[0750] ようこそ映像新世紀!(前編)

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0750   2000/11/27.Mon発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 17136部
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 <課金にふさわしいコンテンツと遭遇したことは一度もない>

■デジクリトーク
 ようこそ映像新世紀!(前編)
 神田敏晶

■イベント案内
 エイリアス・ウェーブフロントが3Dグラフィックス・コミュニティの祭典
 「3December 2000」を東京で開催



■デジクリトーク
ようこそ映像新世紀!(前編)

神田敏晶
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KNN神田です。

NTTによる郵政省へのDSL参入認可申請により、日本でもようやく常時接続環境
の入り口が見えてきました。高速インターネット常時接続時代の夜明け前がや
ってきたと言えるでしょう。これにより、ストリーム関連のビジネスが大ブレ
イクしそうな勢いを感じております。
http://cnn.co.jp/2000/JAPAN/11/21/asahibm001.asahi/index.html

テレビでは、デジタルBSなどの一方通行の多チャンネル化に躍起になっていま
すが、完全にあらぬ方向を向いているように感じます。28KモデムではEPGを電
話線からダウンロードするのが関の山。むしろ、インターネット対応のデバイ
ス普及によって新しいメディアが沸々と誕生しているように感じます。

そんなレトリックを、映画産業の芽生えの時代と対比して考えてみました。今
発売中のアスキー「UrtraGraphics Vol.04」に、映画産業の発達との比較を寄
稿しているので、そこからお届けいたします。

●映画の歴史

映画、テレビのビジネスモデルから、ストリーミングの未来を予測してみた。

人類が「動画=モーションピクチャー」を意識したのは、実は2万年前にも遡
るといわれる。マドリッドで発見されたアルタミラの洞窟の壁画には野生のバ
ッファローの足が6本から8本まで描かれ、躍動している姿があったという。2
万年前の洞窟からモーションピクチャーを夢見た祖先がそこにいたのだ。

映画が発明されるまでには、重要な技術要素が必要であった。まずは1881年に
ジョージ・イーストマン(コダックの創始者)がセルロイドの工業化に成功し、
フィルムの素材を安定供給できるようになり、1889年エジソンが「のぞきから
くり」と呼ばれるキネスコープを発明。パリの博覧会に参考出品し、1891年に
は、ニューヨークにキネトスコープパーラーを開店する。そして同年に、全天
候型のスタジオ、ブラックマリアをつくり太陽光を取り入れたスタジオを発明
する。1895年には、リュミエール兄弟が映写機シネマトグラフを発明し、フラ
ンスのグランカフェで初の公開型の映画の歴史をスタートさせた。

リュミエール兄弟は技術的な側面もさることながら、エジソンのパッケージ型
メディアであったテクノロジーをパブリック型にした事にブレイクするポイン
トがあった。つまり現在の「映画館」のフォーマットを、興業というスタンス
で提供したからである。グランカフェには1日30フランの使用料契約。客には1
フランの入場料。初日はたった35人の入場者。しかし、1週間後には、2500人
が訪れ映画興業ビジネスを起こした。

話題は新しいテクノロジーだけではなく、記録映画の中に創作された演出劇コ
ンテンツがあったことが特筆される。つまり、ドキュメンタリーを写せる技術
を使って、今まで演劇でしか見ることができなかったコンテンツを量産化した
事にある。また、それにインスパイアされた手品師のジョルジュ・メリアスが、
手品の手法を活かして1902年に世界で最初のSFX「月世界旅行」を公開した。
映画はドキュメンタリーからエンタテインメントへこの作品からかわったので
あった。

キネトスコープで失敗したエジソン側も、黙ってこの市場を見てはいなかった。
エジソン社のカメラエンジニアであった、エドウィン・ポーターが、1903年に
「大列車強盗」によって、劇映画も凌駕する全編ロケ、また移動する視点によ
る大活劇映画を投入した。モンタージュ手法による撮影など、映画ならではの
時間と空間をこの時期に完成させたのであった。当時はカメラを扱える技術者
が監督を兼ね、制作も進行も管理しながら映画づくりが行われていた時代であ
った。

1900年初頭のアメリカでは、ニッケルオデオンと呼ばれる、ニッケル(5セン
ト硬貨)で楽しめる小劇場が乱立し、活動写真の大ブームとなっていた。どち
らかというと、舞台や音楽会に行けない低所得者層や移民の娯楽として発展し
ていく。そこに、東欧ユダヤやロシアからの貧しい移民たちが、小金を溜めて
はニッケルオデオンの小劇場を運営し、映画ビジネスの「興業」を開始しはじ
めた。

そのうち、小劇場の買収をくり返し、チェーン店化し「配給」をおこなうよう
になった。当然、他社が作るよりも自前で作った映画を配給した方がいいため、
ロサンゼルスの北にある「製作工房」が集まった街に集うようになった。貧し
い移民から抜け出した彼らは、流れ作業で映画を作れるスタジオシステムをそ
こに設けた。それがハリウッドのはじまりであった。ハリウッドシステムで自
前で作られた映画は彼らのチェーン店で配給、興業され、利益を得るようにな
っていった。未成熟であった映画産業だったからこそ、参入できたのである。
そして映画技術の革新は、トーキーの時代へと向かう。

1927年「ジャズシンガー」によって、はじめて映画は言葉をしゃべり、歌を唄
い、音楽を奏でた。光学式のサウンドトラック技術が登場したからだ。サウン
ドトラック技術を得たことによって、映画は容姿だけではなく、演劇で発声を
トレーニングされた俳優、音楽家、そしてサウンドエフェクトなる多様な職能
者を要求することになっていく。

それと共に映画づくりの仕組みが必要となり、ハリウッドの存在が注目される。
映画が活動写真としてではなく、総合的な芸術性を要求されるコンテンツへと
変革していったのである。その頃、映画ビジネスには、ウエスタン・エレクロ
リックやゼネラルエレクトリックなどの大資本が動きだし、映画会社の隆盛へ
と至る。また、トーキーのライセンスを巡ってハリウッドの系列化が進んでゆ
き、映画産業は2大財閥モルガンとロックフェラーとも深い関係を結んでいき、
エンターテインメントコンテンツとして市場を席巻していくのであった。

「テクノロジーの進化」と「コンテンツの発展」、そして「市場の成熟」とい
うこの3つが確立した事によって、映画という産業が成立してきたのである。

●ラジオとテレビの誕生

その後の映画の隆盛は、大衆娯楽の王道を歩むこととなる。映画ビジネスの誕
生には、いくつものテクノロジーの発生とコンテンツ制作現場の変化が大きく
関わってきた歴史によって築かれたといっても過言ではないだろう。しかし、
一番の参入チャンスは、映画ビジネスが、当時のあだ花であり、低所得者相手
のニッチな市場であったことも忘れてはならない。その映画産業に新たなメデ
ィアのビジネスモデルが誕生してくることとなる。「テレビ」と「ラジオ」だ。

1920年に、米ウェスチングハウス社系列のピッツバーグKDKA局で世界で最初の
定時ラジオ放送が開始された。当時、ラジオのコンテンツは、ラジオというハ
ードウェアを売るためのコンテントであり、ハードを買えば楽しめるというビ
ジネスモデルであった。ラジオは無線電信技術を利用した音楽の家庭への配信
ハードウェアとして販売された。放送はつまり販売促進としての一貫であった。

マルコーニ無線とGEは共同で、アメリカ・ラジオ会社(RCA)を作り、マルコ
ーニ無線時代にタイタニック号のSOSを伝えたデビッド・サーノフが、音楽だ
けではなく、スポーツ中継にラジオを利用し、ヘビー級タイトルマッチをラジ
オで放送したことによって話題を集めた。さらに1922年からは、ラジオの収益
だけではなく、広告を挿入することによってのビジネスを考案し、映画の視聴
者からの個別課金ではなく、広告による「無料ビジネスモデル」が初めて産声
をあげたのであった。そしてラジオはそのビジネスモデルで、速報性を活かし
たニュースの時代へと向かうのであった。戦争などの社会情勢を伝えるメディ
アとして、ラジオは浸透し、手放せないメディアへとなっていった。

1925年、ジョン・ベアードは、イギリスの百貨店でテレビの公開実験をおこな
い、1926年高柳健次郎がテレビ放送に成功し、RCA社が最初のラジオ&テレビ
局NBCを1926年に設立する。1939年よりアメリカでテレビ放送が開始されるが、
アメリカでは、ハリウッド映画とラジオ全盛の頃であり、巨大資本によるテレ
ビジョン産業の進出も、100万台に普及するまでに約10年の歳月を要する事と
なった。

しかし、1950年代に入ると、テレビは、今まで体験しえなかったコンテンツを
提供することとなった。大量消費時代の幕開けと共に、大量の広告が家庭にも
流れ、家電製品が浸透し、家事からの開放が、家庭の中にもゆとりを生み出し
つつあった。一家の団欒は、暖炉ではなくテレビを暖炉変わりにしてとられる
ようになった。

生活を便利にする家電が家庭に浸透し、テレビジョンは30秒の広告スポットを
大量に放映できるメディアとして、広告による無料視聴料を実現し、生活をよ
り豊かにするための提案をおこない。人々はまた、それらをキャッチアップす
るために働き、家庭はそれらの消費を実現し豊かさを満喫できるようになった。

テレビコンテンツも当初は、映画の模倣であり、放映権を獲得した古い映画を
放映していたが、30分や60分のドラマが制作されるようになった。ソープドラ
マと呼ばれる、ショウ形式のドラマがさかんになる。その反面、制作したもの
を流すという制作から「生」という放送形態が取られるようになった。これは
映画では不可能であった技術である。さらに、生放送を複数のカメラでスイッ
チングしながら見る角度を変えたり、ビデオでつなげたりという映画とちがっ
たテレビ番組フォーマットを構成していく。

テレビに観客を奪われると感じた映画業界は、この時期からテレビとの差別化
で、大形スクリーンやフルカラーの大作映画で勝負を挑む。超スペクタル巨編
の映画が産出された。技術的には、3D上映を開発したり、ニオイの出るペーパ
ーを配って、ニオイを体感させるなどの、奇をてらった技術をフィーチャーし
た模索にも走るが、結果として、映画とテレビは役割が違い、共存共栄の関係
を結び、後のCATVに至っては、映画配給ルートとして考えれらようになる。

さらにテレビは1960年代になってから、映画やラジオ、もちろん紙媒体では不
可能な、世界で今起きていることを伝えはじめた。ケネディとニクソンのテレ
ビ討論(1960)、ケネディ大統領の暗殺(1963)、アポロ11号の月面着陸(19
69)らのリアルタイムなニュースは、続々とテレビを通じて家庭へストリーム
された。決定的瞬間に全世界の人々が、お茶の間で立ち会うことがテレビによ
って可能になった。

大作で商業化するハリウッドに対して、映画コンテンツの中で変わった存在の
時期がある。これがフランスの「ヌーベルバーグ」である。1959年~1960年の
たったの2年の間になんと67人の新人監督が65本の処女作を発表したのである。
さらにこの監督たちは、通常の監督への道のりである助監督あがりは2割りに
満たなかった。アメリカの商業主義映画とちがって、若手監督、いや映画未経
験の監督たちが新しい感覚で映画をとり始めたのだ。予算はハリウッドの1/15
から1/10で映画が製作できたからこそ、新しいトライがなされた。映画畑出身
でないからこその斬新な手法はのちに、アメリカにも影響を与え、アメリカン
・ニュー・シネマ時代の呼び水となった。

その背景にあるものは、やはりテクノロジーであった。そのテクノロジーとは、
まるで万年筆のようにカメラがいつでもどこでも使えるということで、「万年
筆カメラ」とも呼ばれた。今までの映画では見た事がないような、視点で不安
定ながらも動きのある斬新なる映像手法によるコンテンツが開発されていった。
これは小型カメラのテクノロジーがもたらした福音であった。

1980年、CNNが登場し1991年の湾岸戦争で、3大テレビネットワークをさしおき、
CNNの報道力を圧倒的に決定づけた。24時間、パラボラアンテナを武器に、ア
メリカ軍の立場ではなく、戦火の中の模様を伝える手法をとったからである。
かつて戦争は自国が従軍記者をともないリポートしていたが、CNNは映像によっ
て現場の生の映像を全世界に届けるという手法を確立した。

CNNのジャーナリスト、ピーター・アーネットは、敵国のトップの単独インタ
ビューに成功した。戦争をしている敵国のトップの話をテレビで視聴できる時
代となったのである。衛星テクノロジーだけでなく、戦争中であってもメディ
アの持つ伝達力は敵国であっても活用されるという事にも注目したい。もはや、
メディアの前では戦争相手も広報手段として活用すべき時代なのである。

●そしてストリーミング

1993年、米作家マイケルクライトンが、「The Media Zaurus」という講演で、
アメリカのメデャイアを絶滅途上にあるもう一つの恐竜として例え、マスメデ
ィアは10年以内に、この世から跡形もなく消えてしまうと予言した。その翌年、
ジョージ・ギルダーが「Life After Television(TVが消える日)」を上梓し
た。これらは、テレビメディアが大量消費時代で果たした役割が、すでに破綻
を起こしている状況を指適している。子供から老人にまで同じ番組の提供、ワ
ンウェイのコミュニケーション、そしてアナログゆえのパフォーマンスに注意
を投げかけている。

またこの時期、危惧されているのは、マスメディアの可能性はすでに飽和して
いた。過剰なまでにスケールアップしたスクープ報道、白痴化したバラエティ
ーショウ。大量の広告投入。むしろ、テレビの役割はすでに、社会の情報を写
す窓としての地位を獲得しながらも、ただただ、時間を消費するメディアへと
変遷していたのかもしれない。今のテレビ番組にインテリジェンスを感じる番
組を探す方が難しいほどだ。

テレビとインターネットとの融合は、以前から何度も論じられてきたが、テレ
ビとインターネットはすでに融合しているといても過言ではない。実際にキャ
プチャーカードがあるパソコンであれば、コンピュータの画面にTVを映し出す
ことが可能であるし、必要なポイントだけをチョイスしてクリップをデータに
録画することも可能である。

また、セットトップボックス型のテレビモニタからのインターネット利用は、
WebTVやドリームキャストのような機器で以前から実現されている。しかし、
テレビを見ながらアクセスフィーを課金されるのであれば、課金にふさわしい
コンテンツが必要であろう。しかし、残念ながら、それらの課金にふさわしい
コンテンツと遭遇したことは一度もない。

インテル社のゴードン・ムーアが唱えるムーアの法則では、MPUは18ケ月ごと
に倍増するという話は有名である。そこにギルダーは、新たな法則を唱えてい
る。マイクロコズムの法則では、コンピュータのパワーはそのムーアの法則の
自乗であり、18ケ月ごとに4倍となるという。さらに、テレコズムの法則では、
ネットワークのパワーはつながるコンピュータの倍であると唱える。

これらの法則をかけあわせると、年間で10倍のスピード、5年では10万倍に、
さらに10年では100億倍となる計算である。このスピードには当然今までのメ
ディアではキャッチアップすることができない、いや、キャッチアップする必
要はないのかもしれない。インターネットやIPネットワークがすみずみにメデ
ィアの裏側で活躍する時代がくるからだろう。

映画は視聴者からのダイレクト課金。テレビは広告料による視聴者への将来の
購入見込みからのプロキシー課金というシステムである。テレビコンテンツが
最大2回までの再放送率を考えると映画コンテンツは6倍まの再生率が考えられ
るコンテンツである。ロードショウ、2番館、ビデオ化、DVD化、キャラクター
収入、CATV、テレビ、テーマパーク、ゲーム化にいたるまでコンテンツの最大
の再利用化が働いている。投資コストもテレビとは、比較にならないが、収益
構造もハイリスクハイリターン型になっている。

もはや、デジタルBS放送などが開始され、テレビモニタが、広告付きの地上波
テレビ番組だけを写しだす機会はますます減っていく一方なのである。その一
方で、インターネットを使用しながらテレビを見る層は増えている。その時に
既存の視聴率の数字は何を意味するのか? リアルなアクセス数でテレビの視
聴者数を測定できる時代なのかもしれない。少なくともインターネットユーザ
ーの属性やデータマイニングは完全に掌握できるチャンスがある。

2000年、NAB(全米テレビ放送連盟)の大会での話題は、1999年より米国で開
始されたデジタルTVではなく、TVのストリーム化する総合機材展でもあった。
展示会場にはテレビ局向けのストリーム放送用機材が各社から一斉に出品され、
テレビ局が次に何をめざすべきなのかといベクトルを示唆した展示会となった。
単純に機材をデジタルTV対応機種にすれば対応できるフォーマット間の問題の
デジタルTVとは、ちがいストリーム放送の場合は、映画の誕生、テレビの誕生
と同じくらい大きく今までのメディアを凌駕するポテンシャルを秘めているこ
とは確かだ。テレビメディアがストリームに目覚めなければ、このままメディ
アザウルスは氷河期を迎えてしまうことだろう。

テレビとインターネットを単純に比較してみるとよくわかることがある。イン
ターネットを使いながら、キーボードやマウスをまったく操作しないというの
は非常に苦痛を伴う。アクティブなメディアで情報を自分で引き出しコントロ
ールしたいからだ。逆にテレビを見る時は、ノートとペンを片手に見るよりも、
何もせずに見ていたいパッシブなメディアである。アクティブなメディアの場
合は机やイス、キーボードがあった方がいいし、パッシブな場合は、ソファや
居間でくつろいだ状態の方が快適である。

かつて無理矢理テレビとインターネットを融合した製品を販売しようとされた
時期があったが、むしろ、インターネットの途中でテレビを見たり、テレビを
見ている途中にインターネットをしたりというのは、どちらにとっても必要に
なってくると思う。ストリーミングコンテンツは、そのアクティブな部分とパ
ッシブな部分の両側面を持ちあわせているメディアの特性であることを理解し
て、それにふさわしいコンテンツのありかたが望まれる。

これまで、映画、ラジオ、テレビの発展を長々と述べてきているが、これらの
歴史的な流れは、今までのストリーミングの世界と酷似しており、ストリーミ
ングの未来を予測する時に非常に参考となる結果を示唆してくれているからで
ある。

まず、どのメディアにも普及するブレイクポイントまでに、テクノロジ-、コ
ンテンツ、市場ニーズのこの3つの成長が必要であり、初期段階でのニッチな
ビジネスモデルが市場の大部分を押さえるという傾向をとらまえることができ
る。また、テクノロジーとコンテンツは当初からの狙いどおりという事は過去
の歴史からもなく、むしろ全く違った所から新しいテクノロジーにふさわしく
フィットするコンテンツがあらわれるというところに注目したい。そして、大
事な市場であるが、これはブレイクさえしかければ後は、市場側がキャッチア
ップしくる事を過去のメディアが証明されている。

そういう意味でも、いままでのプアで細くインパクトの弱かったストリーム放
送のニッチな世界から、続々と新しいチャレンジがなされ、今日もどこかで、
新しいストリームステーションが世界中で続々と誕生の雄叫びをあげているこ
とだろう。

The smallest digital TV station in the world
KandaNewsNetwork http://www.knn.com
Toshi Kanda mailto:knn@rr.iij4u.or.jp

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■イベント案内
エイリアス・ウェーブフロントが3Dグラフィックス・コミュニティの祭典
「3December 2000」を東京で開催
http://www.alias-wavefront.co.jp/3December/index.html
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<主催者情報>

3Decemberは映画、ゲーム、ビデオ、インタラクティブ3Dコンテンツ制作とい
ったエンタテイメント分野の第一線で活躍するプロフェッショナルや、インダ
ストリアル・デザイン/スタイリング分野の最先端で活躍するデザイナ、コン
ピュータ・ハードウェア、ソフトウェア・メーカはもちろんのこと、教育関係者
や学生、さらには一般商品やサービスを通して3Dグラフィックスの恩恵を受け
ている幅広いコミュニティを対象に開催するイベントです。

世界各地で開催される3DecemberはWebサイトで配信され、全世界で10万人以上
の視聴者が地域や時間の制約なしにその模様を共有することになります。エイ
リアス・ウェーブフロント社は、世界35都市での開催で合計1万名の参加者を予
定しております。

3December 2000は、3 December = 3D Graphics Dayです。3Dグラフィックスの
「21世紀への橋渡しとなる20世紀最後のイベント」として、3Dグラフィックス
というカルチャを共有する方なら誰でも参加できる参加型イベントを目指しま
す。また、エイリアス・ウェーブフロントは3Decemberを一企業のプライベー
ト・イベントの枠を超えた、国内3Dグラフィックス・コミュニティの一大イベン
トとして成功裡に終了、そして今後も継続して開催できることを期待しており
ます。
 
場所は渋谷の、話題の大型クラブWOMB。各ルームのカジュアルな雰囲気を楽し
めるようにプログラムを組んでいます。3D業界に関わっている展示スペースコ
ーナー、CGアーティストギャラリー、ハンズオンコーナー、ゲーム競技会など
の様々なことをお楽しみできるようにいただけます。

開場 12月3日(日)13時30分
メインプログラム(講演)14時~18時
・日産自動車デザイン本部 モデル開発室長  坂口義英
・スタジオジブリ株式会社 百瀬義行
・Digital Domain The Grinch & Young James Brown Dan Loeb,
 Digital Artist
・Kleiser-Walzcak X-Men & Little Miss Spider Jeff Kleiser, Director,
 President
18時半より20時までレセプション すべて入場無料
会場 WOMB 渋谷区円山町2-16 (地図はサイトにあり)

▼家族連れでも楽しめるイベントのようです

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■編集後記(11/27)
・先週土曜日に、大学のクラブ活動の35周年記念イベントがあった。これはわ
たしが設立した「レタリング研究会」がいまだに生きながらえているという奇
跡的なお話。しかしながら、このご時世にレタリング研究なる活動がそのまま
行われているはずもなく、数年前に「クラブアーツ」と名前を変えて、絵画、
写真、デジタルアートなどに活動の範囲を広げているとのことだ。「レタリン
グ研究会の宴会に行く」と言うと、娘が「クライ、、、」とつぶやいていた。
その娘よりも若い厚底ブーツ、赤い髪、コスプレみたいな現役会員たちの挨拶
を聞くとなんとまあ幼いとあきれた。わたしの学生時代もそうとう幼稚だった
けど、さらに幼児化している。わたしたちがガリ版で作っていた会報は、同じ
名前でコピー誌になっていたが、あまりのゴミ同然の内容に怒りすら覚えて捨
ててしまった。節目のイベントには初代会長として責任上ずっと参加している
が、学生の頭が悪くなる一方だと感じる。「レタリング研究会」からは、ヒラ
ギノ制作チームの一員も出している、というのが自慢なんだけど。 (柴田)

・明和電機がグッドデザイン賞を貰ったと聞いた。なんですと? 調べてみる
と「人間初」と書かれてある。うーん、なんかかっこいいな。金賞のマイクロ
スコープはおもしろそう。インタラクションデザイン賞のふたつも気になると
ころ。だけどやっぱりロングライフデザイン賞。持ってます、持ってました。
finderで検索かけると今年の受賞件数は895。意外なものがいろいろあるので、
覗いてみると面白いかも。                (hammer.mule)
<http://www.tkma.co.jp/tjc/j_pop/maywa/f_topics.html> 明和電機
<http://www.yoshimoto.co.jp/music/maywadenki/> 明和電機
<http://www.g-mark.org/> グッドデザイン賞
<http://www.intel.co.jp/jp/home/howto/makeweb/micro.htm> スコープ
< https://www.g-mark.org/search/Detail?id=912 > 明和電機の受賞詳細

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■ 日刊デジクリは投げ銭システム推進準備委員会の趣旨に賛同します ■
http://www.nagesen.gr.jp/  <投げ銭システムをすべてのhomepageに>
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発行   デジタルクリエイターズ
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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
        森川眞行 

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 担当:濱村和恵
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