[0755] ひとことで言えば「変な人」

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0755   2000/12/02.Sat発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 17158部
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 <少し早いが、妻へのクリスマスプレゼントである>

■デジクリトーク
 ひとことで言えば「変な人」
 十河 進

■デジクリトーク 連載・助太刀日誌 番外編
 「記憶」を振り返って-イベントが終わって-
 魚住耕司

■イベント案内
 「キヤノン・デジタル・クリエーターズ・コンテスト」受賞作品展示
 


■デジクリトーク
ひとことで言えば「変な人」

十河 進
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このコラムもとうとう60回を迎えた。60回記念として、今回はデジクリ編集長
の柴田さんについて書きます。映画の話も本の話も、もちろんデジタルの話も
出てこないけれど、柴田さんに興味のある人には、きっと受ける(と思う)。

柴田さんは、ひとことで言えば「変な人」である。不思議な人でもある。少し
コワイところもある。それに何といっても意地が悪い(?)。僕は未だに最初
に会った時の柴田さんの意地の悪さを憶えている。

1975年2月12日のことだ。石油ショックによる就職難を何とかクリアして、僕
は今の出版社に潜り込んだのだが、卒業試験が終わって1週間で出社せよ、と
いうことになった。

当時、人見知りが激しく極度に内気だった僕は、本当に緊張して出社した。午
前中にいろいろと会社の説明があり、上司に引き合わされ、ひとりひとりに紹
介された。しかし、ただの一人も名前を覚えられなかった。

僕が配属になった編集部は3人らしく、編集長を挟んで両脇に編集部員の机が
ひとつずつあった。僕がとりあえず座っておけと言われた席は、ちょうど新婚
旅行中のKさんの机だった。柴田さんは編集長を挟んだ反対側にいた。つまり、
入社した時は柴田さんと僕は同じ編集部だったのだ。

昼休みになって、長い髪をした(その後、どんどん白髪化したが、基本的に同
じヘアスタイルである)柴田さんが、「あんたね」と僕のそばにやってきて言
った。はっきり言ってやさしいとは言い難い口調である。僕は何か叱られるの
かと思ったほどだ。

「僕は、こんなミニコミを出してる」とイラストや写真が入ったコピー機でプ
リントしたような手書きのペラ一枚(表裏に記事はあったが)の社内報らしき
ものを僕に見せた。そして、おもむろにかつ重々しく「新人は必ずインタビュ
ーすることにしているんだ」と柴田さんは続けた。

そう高飛車に言われて、極度に内気で緊張している僕としては「ハア」と答え
る以外にどんな方法がある? そこで僕は近くの喫茶店でランチセットを食べ
ながらいろいろ意地悪な質問に答えることになった。

昼休みが終わって編集部に帰ると柴田さんは「ソゴーさんて、デパートのそご
うの御曹司なんだってさ」とまったくのデマを飛ばした。何人かの人が「本当
なの?」という半信半疑の表情で振り向いた。

僕のデマなんて他愛のないまったくどうってことはないものだが、教師を辞め
て社に入ってきた先輩は「あいつは教え子に手を出して学校にいられなくなっ
た」と柴田さんにデマを飛ばされ、トイレの壁を涙で濡らしたという伝説が流
布されていた。

さて、数日後、新婚旅行中だったKさんが戻ってきて、いきなり異動が始まっ
た。柴田さんは月刊の広告写真誌に異動した。「えー」と僕は思った。なぜな
ら僕はその編集部志望で入社したからだ。つまり、僕が入社することによって
(僕の犠牲によって)柴田さんは念願の編集部に移れたのである。感謝されて
もいいと思うのだが……。

●過激な言動は枚挙にいとまがない

月刊誌編集部に異動した柴田さんは、ものすごい勢いで本を変えていった。コ
マーシャル・フィルムのコーナーを大幅に増やし情報を詰め込んだ。CMの紹介
には必ず制作スタッフリストを付け、それが雑誌の売り物になった。

毎月、各CMプロダクションからフィルム(今はテープになって楽だが)が集ま
るシステムを作り、その月のCMのベストを選ぶページを立ち上げ、業界で知ら
ぬものがいない編集者になった。社内的には「次の編集長は俺だ」と公言した。

こう書くと傲慢な自信過剰な人間のような印象を与えるかもしれないが、反権
力志向が柴田さんにはあり、上司に楯突く感じでそう公言していたのだと思う。
下の人間には優しい人だが、能力があるだけに上の人間が無能に見えてしまう
のだろう。

労使交渉でもめた時などの柴田さんの過激な言動は枚挙にいとまがない。現在
でも、マンション建設に対して住民運動の先頭に立つなど、基本的にもめ事・
争い事が好きな人ではあるが、それは昔から変わらなかった。何か揉めている
と、必ず火に油を注ぐのである。

もう20年以上昔のことだが、当時の役員に「あっちいけ、しっしっ」と発言し、
「私は犬じゃない!」と激怒させたこともあった。「経営が○○やから、仕事
がでけへん」というビラを(阪神の江本発言の頃に)社内の壁に貼り出し、当
時の組合執行部を窮地に陥らせたこともあった。

編集者としては社外の評価が高い人だった。その発言と過激な行動と自分の信
念に基づく妥協しない本作りのために社内の上の評価はよくなかったが、社外
の人脈は豊富だった。正しい編集者のあり方である。それに「何事も一番最初
に手を着つけること」を目指しているところがあり、早すぎるランナーでもあ
った。

コンピュータ・グラフィックスをテーマにしたのMOOKを出したのも、1982年の
ことだと思う。今やノーベル科学者の妻になった、当時NHKディレクターの吉
成真由美嬢を姫と仰ぎつつ監修者に招聘し、日本初のコンピュータ・グラフィ
ックス・マガジンはスタートした。

当時、ちょうど「トロン」(1982)が公開になり、ロバート・エイブルが来日
した。ぴあシネマブティックで「トロン」の先行試写とロバート・エイブルの
講演が行われ、僕もそこで初めて吉成嬢と話をする機会があったが、確かに才
媛であった。

柴田さんは才能があり自立し性格がはっきりしている(要するにきつい性格)
の女性が好きである。社内の総務に伝票などにミスがあると年上だろうが遠慮
なく叱るテキパキした女性がいて、その人に叱られたいためにあえてミスをす
ることもあった。そんな女性にはお仕えしてしまうのである。意地が悪いくせ
に、少しマゾなのだと思う。

さて、CG雑誌が2号で挫折した柴田さんは、その後、イラストレーション誌の
編集部に在籍した後、10年ほど前に「スーパーデザイニング」という雑誌を立
ち上げる。デザイニングという言葉が新鮮だった頃である。

●何事もパイオニアでなければ気が済まない

何事も最初でなければ気が済まない柴田さんの性格は50歳になっても直らず、
その後、ついに社を辞めてネットの世界に進出することになる。Wonder-Jとい
うネットマガジンを立ち上げたのは、もう5年前になるのだろうか。

Wonder-Jで毎号必ず読んでいたのは柴田さんの「編集長日記」である。過激な
性格がそのまま出ていて、「こんなこと書いて大丈夫なの」と毎回、心配にな
った。案の定、業界内に波風を立てていたらしい。あわや訴訟問題に、という
局面もあったらしい。

Wonder-Jが挫折した後、IP-NETというPDFネットマガジンを立ち上げ「ゲゲゲ
の鬼太郎日記」を再び連載し始めた。「ゲゲゲッ」と思うことが多いので、そ
んなタイトルにしたなどと書いていたが、「ゲゲゲッ」と思うことを自らの舌
禍・筆禍で招いているのである。

メールマガジン「日刊デジタルクリエイターズ」が立ち上がることになり、柴
田さんから「創刊メッセージを寄こせ」と言われたのは、3年近く前のことに
なる。その後、時々、原稿を頼まれたが、僕がレギュラーで書き始めたのは去
年の8月末からだ。それまでは僕も柴田さんの編集後記を楽しみにしている読
者でしかなかった。

そんな頃、朝日新聞の夕刊に20×20センチくらいの大きさの柴田さんの写真と
共にインタビュー記事が掲載されたことがある。そのプロフィール紹介のとこ
ろに「SOHO者」とあったのには笑った。羽山信樹の「流され者」という時代小
説を柴田さんは昔、愛読していたからだ。

翌日、社内はちょっとした騒ぎになった。「見たか?」「見た、見た」ってな
もんである。わざわざ柴田さんに電話をした人もいたという。社に対して一種
のリベンジになったのではないか、と僕は思ったが、柴田さん本人はそんな次
元からはすでに関係のない境地に入っていた。

●すっかり柴田さんに似てきたような気が……

柴田さんの退職の意志を最初に聞いたのは僕だった。本人が「あんたに初めて
話すんだからな」と言ったから、間違いないと思う。「会社で話したい相手は
ソゴーさんだけだから」と居酒屋で柴田さんは言った(きっと弱気になってい
たのだ)。柴田さんは僕より年上だが、ずっと僕のことをさん付けで呼ぶ。

柴田さんが辞めることになって、寂しがる人間が大勢いた。もちろん僕が一番
悲しんだ。送別会には組合員全員が出席した。下の人間からは慕われる人柄だ
った。上の人間には命令を聞かない、楯突くことの多い使いにくい人間だと思
われていた(事実だけど)。

柴田さんとの同僚生活20年間で、涙させられたことは何度もある。ずいぶん支
援してもらったし、かばってもらったことも多い。妙に僕を評価してくれて、
いろいろ面倒を見てくれたし、ぼやきも聞いてもらった(今も聞いてもらって
いる)。

10年前、僕がカメラ雑誌からビデオ雑誌に異動になり、悪戦苦闘していた時期
のことだ。平編集者から編集長になり、慣れない世界で右往左往していた。編
集長がビデオについての専門知識をまったく持っていないのである。おまけに
スタッフが全員新人に入れ替わるという事態になった。

最もきつかった時期だと、今でも思う。自分に余裕がなくなっているのがよく
わかった。異動した最初の一年は、髪振り乱して、という感じだった。やった
ろうじゃねぇか、という意地だけで走り抜いた一年だった。

その後、様々ないきさつから僕は別の雑誌の企画書を出すことになり、会社の
会議にかけられることになった。だが、問題は企画の内容ではなく、僕の立場
の問題にすりかわっていた。端的に言えば「今やってる本をちゃんと儲かるよ
うにしてから出せ」ということなのだ。それは予想したことだった。

その時、会議に出ていた柴田さんがいつもの皮肉な口調で口を開いた。「立派
な企画じゃないですか。かつてここまできちんと検討して出した企画がありま
したか。それにこの世界はソゴーさんの得意なところ。やらせるべきです」

不覚にも、僕は涙が浮かんで天井を仰いだ。

もう一度、泣かされたのも会議の場だった。僕がやっていた本の編集方針の転
換とリニューアルが議題だった。その時、柴田さんは僕に方針転換についてし
きりに問い詰めてきた。しつこいほどだった。最初、僕は柴田さんの意図がわ
からなかった。

誘導尋問めいたやりとりになり始めて、ようやく僕には柴田さんの気持ちがわ
かった。僕への確認が終わった後、柴田さんは同席していた役員に向かって発
言した。「今度の編集方針の転換やリニューアル案は、最終的に経営が決定し
たんですね。失敗しても現場に責任を負わせることはないですね」と。

柴田さんは失敗しても僕が責任をとらされないように言質をとってくれたので
ある。この時も、四面楚歌のような中で柴田さんの情けが身に沁みた。

我が家の子供たちは柴田さんのことを「ハーゲンダッツのおじさん」と呼ぶ。
毎年、正月にハーゲンダッツのアイスクリームを持って遊びに来てくれたから
である。

僕は意地悪く「白髪鬼」と呼ぶ。若い頃から白髪の多い人だったし「オニ!」
とカタカナで呼びたくなることもないではないので、怪人二十面相シリーズに
登場する白髪鬼にしてしまったのである。もっとも、最近は茶髪鬼になってし
まった。

何だか、最近、僕はすっかり柴田さんに似てきたような気がする。僕も前述の
総務の女性に叱られるのを喜んでいる節があるし、組織の中で皮肉屋になって
いる気がするし、他にも………だしね。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
出版社勤務。流れ編集者、あるいは編集流れ者。11月に誕生日を迎えて、とう
とう40代最後の歳になってしまった。20世紀のちょうど真ん中に生まれたのだ。
1960年代は10代、70年代は20代、80年代は30代だった。60年代末にキューブリ
ックの「2001年宇宙の旅」を見た時、「2001年には50歳になるなあ」と現実感
なく想像したが、今や目の前のことになった。光陰矢の如し、少年老いやすく
学なりがたし、です。

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

▼追悼文みたい、、、昔のことは忘れた、、、、(茶髪鬼)

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■デジクリトーク 連載・助太刀日誌 番外編
「記憶」を振り返って-イベントが終わって-

魚住耕司
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おはようございます。
mojiko.comの魚住です。
その後、多忙にかまけてご連絡も取らず、ご挨拶もせず、
誠に失礼をいたしました。

去る11月19日の「東京コレクション in 門司港 記憶」の実現に対して、お
気遣いとご協力を頂き、誠にありがとうございました。お蔭様で、無事執り行
うことができました。お礼のご挨拶が遅れたことをお詫びすると共に、改めて
ご協力への御礼を申し上げます。

先日のショーは、門司港駅前の素晴らしいロケーションの中、ロックシンガー
南澤時正が吹くハーモニカによる「カントリーロード」に乗ってはじまり、後
半にはまるで図ったかの様な雨も落ち、一時のショーというものが華やかさと
一対としてもっている“はかなさ”に彩りを添えてくれました。さながら、人
の制御しがたい気まぐれな天候ですら、会場に足を運んで頂いた1800人の皆様
に対し、趣の深い役割を演じてくれる大切なスタッフとなったかのようでした。

瀬上貴司以下、スタッフ一同、「ファッションショーのライブ化」「今、ここ
でしか体験することのできない、短い映画のような一瞬」をつくることを目指
して準備をしてきましたが、その努力は報われたと思っております。

オフィシャルサイトにお詫びを掲載しておりますように、至らぬ点があった事
も事実ですが、今回の成功と反省を糧に、今後ともスタッフは「門司港スタイ
ル」の名の下に、門司港を面白く、アーティストが活躍するフィールドにする
為に活動を続ける所存です。今後とも、どうかご支援を頂けますことを、お願
い申し上げます。

また、当日はTAO様KDDI様navitown様等多くの皆様のご支援を受け、インター
ネットを利用したライブ中継を開催いたしました。そちらへのアクセスは、ラ
イブ映像配信64件、未配信29件。オフィシャルサイトへの当日アクセス件数が
約400件という結果でした。東京を始め各所から、当地へご来場が出来なかっ
た方への新しい発表方法としての役割は少なからず成しえたか、と感じており
ます。

リアル・クイックタイム共にストリーミング映像は現在配信しておりませんが、
来る12月4日から行う、大阪商船ビルで開催されるカフェ形式の一般展示会に
合わせて、改めて公開する予定です。その節にはぜひご覧ください。

最後になりましたが、改めて御礼とご挨拶が遅れたことをお詫びいたします。

●いろいろな偶然、不思議な縁

あれから、10日が過ぎた。正直、イベント終了から一週間程は、何をする気力
も出せない状態になった。今週になって、ようやく上のような文面で、協力の
お願いをして応答してくださった皆様へご挨拶をゆるゆると出している。本当
は、こんなことではいけない。イベントが終了したその瞬間から、よーいドン
で広報の仕事は寸暇を惜しまねばならない、と思いつつできないでいた。

振り返ってみると長いようで短い4ヶ月だったと思う。もっと、広報でやるべ
きことがあった筈。もっと地元の商店を一店づつ丹念に廻って、説明とポスタ
ーの掲示をお願いすればよかった。とか、もっとネット上で色々なサイトやら
掲示板やらへ書きこみやお願いのMAILを出して紹介すればよかった、とか後悔
は色々とある。

特にライブ中継のアクセス数が、上記の挨拶とは裏腹に、本音としては満足が
できる結果ではないだけに、自分の広報力の乏しさと、ネット上での広報にか
けることができた時間の乏しさには悔しいものがある。

またサイトの作成のお手伝いも、中途半端になってしまい悔しいものがある。
モデル紹介の部分を作成したが、当初の予定ではこのデザインで協力者の紹介
も書きなおすつもりだった。しかし、結局手がつけられないままになった(そ
れどころか、手直しもできなかった)。

ライブページも、デザインのお手伝いができなかったし、パーツになる画像の
準備も不徹底だった。結局、今回パーツ画像の作成もフラッシュ作成も全てこ
なして二見の構想を形にしてくれている吉山君におんぶにだっこ状態である。
本当に感謝している(彼は、今も睡眠時間を削って展示会用サイト"カフェカ
ナリア"を用意中。卒論は大丈夫なのだろうか・・・)。

しかし、自らが十分な助太刀をできなかった、という話を棚に上げてこう書く
のも変だが、彼に限らず、思い返せば今回の話は不思議なほどスタッフに恵ま
れていたと思う。技能や能力が必要なパートにフイットする人間が、不思議と
現れてきたのである。

典型的な良い例が、今回のショーのトップと最後のウエディングドレスで登場
したモデルの佐々木さんである。彼女は、福岡ではよくCMなどの仕事をしてい
るが、実は私の務めている職場でバイトもしている。

今回の話があった時、「そういえば、うちの職場にモデルの娘が来てますよ」
と話して、瀬上さんらスタッフに紹介したのである。その時は"何気なし"のも
のだった。しかし今から考えてみると、彼女ほど今回のショーのコンセプトに
フィットするモデルはいなかった。

門司港という街を支えてきた、働く人々がメインテーマのショーである。門司
港で働いている娘がモデルをやっている、という偶然など、そうそうあるもの
ではないだろう。彼女は、今回の作品が生まれてくる上で、喩えて言えば「テ
ストドライバー」的な仕事もしてくれた。瀬上さんはよく彼女のことを「イル
ポスティーノ」と呼んでいる。彼女の協力の価値は、けっして小さくはない。

実は、職場ではバイトの皆さんにリストラの話が出ている。もし去年だったら
私がまだ彼女を紹介できなかったろう。もし来年だったら、彼女はいないかも
しれない。彼女と瀬上貴司というデザイナーが出会えた事は今年だから可能だ
ったのである。こういう偶然の一つにも、不思議なものを感じざるを得ない。

今回のショーは、こういう不思議な縁が、幾重にも重なってしっかり織り上げ
られたものものだと思う。私にしても、自らも周囲も、およそ「結婚」をする
人間だとは思っていなかったのに、バタバタと妻帯し、指輪を買いにいったの
が参加の始まりである。

そういう点では、個人的には最大の殊勲者は、私をランドホーに向わせ、この
四ヶ月会合で遅れて帰ってきても文句を言わず、当日は受付を手伝ってくれた
妻かもしれない。

そういう次第もあり、上で触れている12月4日から始まる展示会のコンセプト、
プレタポルテでもない、オートクチュールでもない、瀬上貴司が理想とする、
ユーザーとの対話を大事にした、言わば「服装の主治医」的なスタイルの実例
をサイトにアップするためのモデルという意味も兼ねて、彼女には瀬上貴司の
新ブランド"kai"の最初のお客になってもらうことにした。

少し早いが、妻へのクリスマスプレゼントである(こうしておけば、新PC購入
の予算折衝が有利になるかもしれない、という打算もあるのだが・・・^^;)。

皆様、いままで連載をお読み頂いて、ありがとうございました。m(..)m
ぜひ、お近くの方は展示会にも足を運ばれてください。

魚住耕司
門司港ポータル&LIVE Station
http://www.mojiko.com
uozumi@mxj.mesh.ne.jp

個人サイトはコチラに
http://www2e.biglobe.ne.jp/~uozumi/

インフォメーション
12月4日から、瀬上貴司"san-kai"ブランドの2001年春夏コレクションの作品展
示会が開かれます。お近くの方は、ぜひ遊びにこられてください。
12月4日~8日 10:00~21:00
場所:北九州市門司区 港町 旧大阪商船ビル一階

「記憶」のオフィシャルサイト
http://www.philly.ne.jp/mojiko/

展示会紹介サイト カフェカナリア
http://www.philly.ne.jp/mojiko/cafe/index.htm

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■イベント案内
「キヤノン・デジタル・クリエーターズ・コンテスト」受賞作品展示
http://www.canon.co.jp/cdcc/
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キヤノンは、デジタル時代の新しい映像表現を創造する作品コンテスト「キヤ
ノン・デジタル・クリエーターズ・コンテスト」の受賞者の発表を12月1日に
青山スパイラルで行ない、10日まで同会場において受賞作品の展示会を開催す
る。ホームページでの受賞作品展示も行なっている。

会期 12月1日(金)~10日(日)
会場 青山スパイラル 6F「スパイラルルームA」
   東京都港区南青山5-6-23

デジタルプリント部門 グランプリ・山中葵 優秀賞・嶋田明美
デジタルムービー部門 優秀賞・赤山仁 亀井克幸 西光一 優秀賞・四竈孝行
WEBグラフィックス部門 グランプリ・黒川正裕 優秀賞・宇田敦子
応募点数合計2004点1456作品<---どういう計算??

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■編集後記(12/2)
・今日のデジクリはちょっと面映ゆい。よくわかんないけど、まあ、そんなヤ
ツです。懲りない男です。今後も夜露死苦。           (柴田)

・今日は後記いらないっすね。うーんと、柴田氏も私も水瓶座。一緒にやって
いる島田氏も水瓶座。彼女と私はA型。水瓶座のA型って占いから見ても変なん
だって。協調性と破天荒さを兼ね備えるから、複雑な性格なのだそうだ。理解
されにくいらしい。柴田さんは何型だったっけな。B型なら、いっちゃって帰っ
てこない、一貫した変さ加減、あっぱれ変人。O型なら、マイペース変人。AB
型なら二重人格な変人、となるそうだ。まぁ今日は何を書いても意味ないね。
マイ伝説号に決定。/753号のプレゼントまだいけまっせ~。(hammer.mule)

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■ 日刊デジクリは投げ銭システム推進準備委員会の趣旨に賛同します ■
http://www.nagesen.gr.jp/  <投げ銭システムをすべてのhomepageに>
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発行   デジタルクリエイターズ
     <http://www.dgcr.com/>

編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
        森川眞行 

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