[0778] 「仲間を信じろ」と深作は言った

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0778    2001/01/12.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 17318部
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 <「権力は何をやっても許される」というメッセージ>

■デジクリトーク
 「仲間を信じろ」と深作は言った
 十河 進
 
■デジクリトーク
 ニッポン印象記、再発見の記~虚の世界
 MIDORI



■デジクリトーク
「仲間を信じろ」と深作は言った

十河 進
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●既視感が漂う「バトル・ロワイヤル」の設定

W・ゴールディングの「蝿の王(LORD OF THE FLIES)」のことを友人から教え
てもらったのは、もう20年以上昔のことになる。飛行機事故で無人島に流れ着
いた24人の子供たちが次第に分裂し殺し合う話で、友人は「ヴェルヌの『15少
年漂流記』の逆のストーリーだよ」と言った。

その後、僕は小説を買ったのだが読めないまま何年かが過ぎた。ある日、ゴー
ルディングがノーベル文学賞を受賞したニュースが流れ、彼の代表作「蝿の王」
は話題になり1990年には映画化された。しかし、僕は結局、小説は読めないま
まだ。「無人島で殺し合う少年たちの話」を積極的に読もうという気には、な
かなかなれない。

「バトル・ロワイヤル」はホラー小説大賞の最終選考に残り、審査員たちが不
快感を示して落選したが、ゲリラ的な出版物で知られる太田出版から出てベス
トセラーになった。僕は「中学生たちが無人島で殺し合う話」と聞いて「蝿の
王」の影響だろうかと思った。

コロシアムで殺し合うのを見ることは、ローマ帝国の昔から行われている。現
代でも、殺し合い闘う設定の劇画やゲームは多い。「バトル・ロワイヤル」の
設定もそういう意味では特に目新しくはない。発想は格闘技ゲーム・レベルの
ものだ。また、過去にも似たような映画はいろいろあった。

スティーヴン・キング原作、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「バト
ルランナー/THE RUNNING MAN」(1987/101分)では、主人公は襲い来る刺客
たちと殺し合い、それがテレビ中継される。近未来社会を舞台にしたディスト
ピアものだった。

「ブレードランナー/BLADE RUNNER」(1982/116分)のレプリカント役で人
気が出たルトガー・ハウアー主演「ウェドロック/WEDLOCK」(1991/101分)
は、近未来のハイテク刑務所が舞台だ。囚人たちはすべて首輪で管理されてい
る。その首輪は誰だかわからぬ他の囚人の首輪とリンクしており、ある距離以
上にふたりが離れると爆発する仕掛けだ。

「グッドフェローズ/GOODFELLAS」(1990/145分)で好演したレイ・リオッ
タ主演の「ノー・エスケイプ/NO ESCAPE」(1994/117分)は、近未来のスー
パー・テクノロジーによって隔離された脱獄不可能な絶海の孤島を舞台に闘う
男たちを描いた映画である。

このように「バトル・ロワイヤル」の設定には、どこか既視感が漂う。そのた
めか、原作者は国家の定めた法律によって合法的に「中学生たちが最後の一人
になるまで殺し合う」というセンセーショナルな思い付きに飛びつき、それで
新味を出そうとしたのだろう。

その背景に中学生が教師を刺殺した事件や神戸のサカキバラ事件など現実の事
件の無惨さをイメージさせ、それを利用しようとする作家のスキャンダラスな
計算が働いている。その原作者の術中にまんまとはまり、映画公開の中止を申
し入れた国会議員などは、逆に格好の宣伝をしただけだ。

少年犯罪の多発による少年法の改正が行われたばかりの時期であり、不況で社
会的閉塞感が深まるなか、中学生たちが殺し合うことを社会的状況の反映にし
ている(と見せかけている)ことが、「バトル・ロワイヤル」のウリなのであ
る。商業主義最優先の現在の日本では、すべてのことが商品になる。

●国家が許可すれば殺し合いも合法になる

僕が「バトル・ロワイヤル」(2000)を見たいと思ったのは、深作欣二の映画
だったからだ。僕は深作映画ファンである。「仁義なき戦い」(1973-74)は、
人間社会の奇怪さを教えてくれた貴重な映画であるし、「仁義の墓場」(1975
/94分)や「蒲田行進曲」(1982/109分)も僕には大切な映画だ。

僕が見に行ったのは暮れの12月28日。午後の回だったが、若い人でいっぱいだ
った。R-15指定だから中学生は入れないのだが、どう見ても15歳以下だろうと
いう感じの子供たちも多かった。渋谷の街で座り込んでいれば似合いそうな少
年少女が多くて、おじさんとしてはちょっと場違いである。

ストーリーは、かなり乱暴だ。小説ではもっと書き込まれているのだろうが、
なぜ「中学生たちに殺し合いをさせる」法律が成立したのかまったく説明がな
い。確かに社会不安、子供たちの荒廃などが理由として少しは描かれるが、結
局、ビートたけしの「この国は駄目になりました」というセリフの説得力だけ
に頼っている。

しかし、自分のクラスの生徒に殺し合いをさせることを反対した、良識的なク
ラス担任を殺してしまう乱暴さには首を傾げる。「これは駄目な大人です」と
担任の無惨な死体を見せるのは、単にショックを与える設定でしかない。それ
は合法的な殺人なのか、という疑問が湧く。

この疑問は結末に至って解決する。結末をばらすことになるので詳しく書けな
いが、「国家が許可すれば殺人も合法だが、個人的に人を殺せば犯罪者として
追われる」というテーマが映画を見終わって浮かんでくる。だから最初の担任
教師殺害は、「権力は何をやっても許される」というメッセージなのだ。

この映画を見ながら、僕は社会学者・宮台真司の言葉を思い出した。

───多くの人に大きな誤解がありますが、人類社会にはいまだかつて「人を
殺してはいけない」という規範が一般化したことは一度もありません。……中
略……人類社会が伝統的に維持してきたのは「仲間を殺すな」「仲間のために
は人を殺せ」という二つの規範です。

「仲間のために人を殺せ」という合法的殺人としては、「国のために人を殺す
こと」を個人に強要する戦争という形が代表的である。つまり殺人には国家が
許可した合法的殺人と、個人が勝手に人を殺してしまう非合法殺人があるのだ。
殺人さえ、国家が管理している。それは、かつてチャップリンが「殺人狂時代」
(1947/124分)で指摘したことではあるけれど……。

「仲間のために人を殺す」ことはモラルとして許されている。だからこそ、戦
争映画を代表として多くの映画で正当な殺人が描かれる。「ダイ・ハード」シ
リーズも「リーサル・ウエポン」シリーズもそうだ。「善良な市民を守るため
に敵(悪人)を殺す」という物語構造である。ここでは、殺す相手が悪人であ
ることが、殺人の大義名分になっている。

「バトル・ロワイヤル」も無人島に流れ着いた少年少女たちが一致団結して、
襲い来る凶悪な海賊たちを撃退する(殺す)「6デイズ7ナイツ」(1999/103
分)のような設定だったら、仲間たちの友情を謳い上げる映画として認められ
たはずである。

「バトル・ロワイヤル」が冒したタブーは「国家が許可した合法的殺人」とし
て「仲間同士で殺し合う」設定にしたことである。「仲間を殺すな」というタ
ブーを冒し、「国家と国益と国民を守るため」という大義名分もなく「国が殺
人を奨励する」設定が衝撃だったのである。

もしかしたら「バトル・ロワイヤル」の上映中止を申し入れた国会議員たちは、
「国家が殺人を命じることの理不尽さ」を描いた映画であることを自覚してい
たのかもしれない。「青少年にとって有害」とは口実で、実は権力者たちはそ
のことを隠蔽したかったのではないだろうか。

●「仲間を殺すな」というタブーを冒した設定

世間的に「バトル・ロワイヤル」が顰蹙を買った最大の理由は「子供たちが仲
間同士で殺し合う」ことの無惨さにある。

「仲間とは、信頼しあい互いに助け合う存在」として認識されてきた。友情を
信じることは、青少年の教育にとって最も大切なモラルであるが(そして僕も
そう思っているが)、そのことを「バトル・ロワイヤル」は否定している(よ
うに見える)。

「仲間を殺すな」というタブーを冒し、その掟破りによって観客に衝撃を与え
る方法論を「バトル・ロワイヤル」は採っているのである。「仲間(愛する者)
同士で殺し合う」ことは、残虐描写にとうに馴れてしまった20世紀末の観客に
も、まだ衝撃性を保有しているらしいからだ。

小山ゆうが連載しているマンガ「あずみ」の最初の試練は、殺人マシーンとし
て育てられた子供たちが仲間同士(彼らは兄弟姉妹のように育てられた)で殺
し合うショッキングなものだった。そこでは、「愛する者を殺せるか」という
人間的感情を超越することが試される。

「バトル・ロワイヤル」のテーマも「自分が生き残るために、愛する人間や友
だちを殺せるか」である。そのことは藤原竜也と前田亜季のカップルと、重要
な役を担う山本太郎(いくら留年生だといっても中学生には見えないぞ)によ
ってわかりすぎるほど説明してくれる。

世の中は理不尽である。ある日、突然、国家によって殺し合いを強要されるこ
ともある。彼らは、好きな相手、友情を感じる友を殺さなければならなくなる。
その時、彼らはどのように行動するだろうか。

秋也(藤原竜也)は中川典子(前田亜季)を守るために武器を手にする。「な
ぜ、武器なんか」と問う典子に対し「君を守る」と宣言する。彼は自ら盾とな
り、銃弾から典子をかばう。防衛と犠牲の姿勢を貫く。

「みんなのことが好きだったのを忘れていた」と自殺する少女がいる。「人を
殺したくない。このゲームには参加しない」と心中する少年と少女がいる。専
門的な能力を発揮して「みんなで脱出しよう」と努力する少年たちもいる。

国家によって理不尽な状況に投げ込まれた個人は、自らの意志によって「拒否」
(自殺)「参加」(積極的殺人)「努力」(殺しも殺されもせずに生き延びる
途を探る)「犠牲」(愛する人をかばって死ぬ)を選ぶ。彼らそれぞれの選択
をどう考えるか、というのが観客に迫られる。

涙を流すほどではなかったが、僕は「バトル・ロワイヤル」を見ている間、何
度か目を潤ませた。僕は映画から「仲間を信じろ、愛する者を信じろ」という
メッセージを感じたのだ。同時に「国家を信じるな、大人を信じるな」という
メッセージも伝わってきたのではあるが……。

深作欣二監督は、敗戦時に15歳だった。彼は15歳になるまで「国家のために、
天皇陛下のために、敵を殺せ、人を殺せ」と教えられてきたはずだ。敗戦後、
一転して民主主義教育を受けた世代である。大人(先行世代)など信じられる
はずがない。

焼け跡闇市が日常の風景の中で、暴力があふれていた時代を生きた深作監督は
「仁義なき戦い」の若者たちに己の心情を託し、戦争という国家の暴力と個人
の暴力を対比させて描いた。

70歳を越えた現在、彼は「国家に命じられた殺人を拒否せよ。己ひとりの力で、
自分の信じるように生き抜け。それが『愛する者を守る』ことなら、そのため
に戦え。走れ、走り続けよ」と言っているように僕には思えたのである。

●直接表現は刺激的にエスカレーションするしかない

ところで、僕はホラー映画が嫌いだ。よく練られた心理的ホラー映画には感心
することはあるが、血しぶきがスクリーンから飛び散ってきそうなスプラッタ
ー・ムービーは嫌いである。「バトル・ロワイヤル」も客を呼ぶためとはいえ、
不必要に残虐な仕掛けを強調していた。

「バトル・ロワイヤル」には志を感じたが、暴力や殺人シーンのリアルさだけ
で客を呼ぼうとする映画は、残虐描写をどんどんエスカレートしていくしかな
い。その行き着く果てはスナッフ・フィルム(殺人ムービー)である。セック
ス描写をリアルにエスカレートした果てに行き着く先がポルノムービーである
ように、だ。

最近では、ニコラス・ケイジが主演した「8mm/EIGHT MILLIMETER」(1999/
123分)がスナッフ・フィルムをテーマにしていたが、後味の悪い映画だった。
脚本を書いたのが「セブン/SEVEN」(1995/126分)の脚本家だと聞いて納得
した。「セブン」は厭な映画だった。

「セブン」を見終わって「こんなものを映画にする必要がどこにあるんだ!」
と僕は叫んだものである。何の志もメッセージもなく、単に観客に衝撃を与え
るためだけに残虐な結末を設定したとしか思えない後味の悪い映画だった。脚
本家も監督のデビッド・フィンチャーも、観客を不快にさせることで快感を得
る変態たち(彼らの映画の登場人物たちのように)ではないだろうか。

僕は暴力・殺人描写がどんどん直接的になることを嘆いている人間である。か
つて映画は、見事な間接表現を行ってきたではないか。たとえばヒッチコック
の「サイコ/PSYCHO」(1960/108分)は、究極の表現を生み出した。

有名なシャワールームの殺人シーンで、直接、ナイフがジャネット・リーに刺
さるカットはない。シャワーカーテンに映るナイフをふるう殺人鬼の影、ナイ
フのアップ、叫ぶリーのアップ、流れる血(モノクロだから黒い)など、細か
なカットを重ねてショッキングなシーンを作り上げていた。名人の技である。
あれこそプロフェッショナルの仕事だった。

「サイコ」はホラーではなくショッカーと言われた。観客にショックを与える
映画である。「悪魔のような女/LES DIABOLIQUES」(1955/107分)も質の良
いショッカー映画だった。あれほど気持ちよくショックを与えられると、観客
はカタルシスを感じ、爽快な気分で映画館を出ることができたものだった。

古き良き時代の話。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。年末年始休暇にやりたいことはいろいろあったけど、何かをやっ
ていると「せっかくの長期休暇なのに、こんなことをやってていいのか」とい
う気分になり、すべて中途半端になる。それでも、持ち帰りの仕事は一応仕上
げた。見たかった映画も数本こなした。ただ、読了した本は1冊だけだった。

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

前田亜季オフィシャルページ
http://www.granpapa.com/production/maeda/aki/

バトル・ロワイヤル
http://www.battle-royale.com/

巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督のすべて
http://www.enjoy.ne.jp/%7Eayahiro/hitch/link.html

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■デジクリトーク
ニッポン印象記、再発見の記~虚の世界

MIDORI
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昨年12月、東京の実家へ2年ぶりの帰郷をした。実家で大晦日を過ごすのは15
年ぶりだ。

22年前に初めてのヨーロッパ旅行(初めての海外旅行)をした時から数えると
8回目の帰郷。日本の地を踏むたびに自分の心の中に起きるニッポンに対する
物思いが違う。その心で見る印象もまた帰郷の楽しみの一つになっている。お
気に入りの小説や映画のビデオを何年かぶりに取り出してみると、前に気がつ
かなかった読み方ができるのと似ている。

●初めての帰国は…

3ヶ月の南ヨーロッパ旅行を終えて初めてニッポンに他国から下り立ったとき
は、ヨーロッパで受けたのとおなじくらいのカルチャーショックを受けた。

成田空港の第一印象は「無機質」。出発は羽田だったので初対面だった。人間
の匂いがしなくて、銀色のロボットが歩いていても不思議ではない雰囲気を感
じた。片道8ヶ所の国際空港を見てきた後、この冷たさはちょっとショックだ
った。祖国には暖かく受け入れてもらいたかった。

当たり前だけど、働く人が皆日本人であることが、何となく妙な感じだった。
皆にこりともせずちらりと見る。

京成電車から見る、小雨に濡れる新緑の千葉の田園はしっとりしていた。ここ
そこに見える農家の黒瓦の日本家屋のたたずまいは田園に溶け込んで美しく、
長い歴史に裏付けされた確かな何かがあった。

「無機質」な空港とはうってかわった日本の風景のたおやかな美しさは、パリ
のアパルトマン、バルセロナのガウディの建物、ローマのロマネスク様式と肩
を並べられるものだった。

後日、町に出てみると:
髪の色が黒ばかりなのが不思議だった。他愛ないまわりの会話が労せずにわか
ってしまう事が不思議だった。電車の中、視線を感じて目を向けるとさっとそ
らす視線が不快だった。皆が自我を意識して自我を振りまいて、その意識がう
るさかった。

3ヶ月の旅行中、いつの間にか頭の中でマンハッタンのような近代美の都市に
育っていた新宿が、猥雑でごちゃごちゃした良くも悪くもアジアの一角である
事を見てショックを受けた。

たった3ヶ月の異国体験が日本を遠いものにしてしまった。

●昨日の続き…

ところが、2回、3回と回を重ねるうち、おもしろい現象が起こってくる。東京
へ帰ると、ストップしていたビデオを再生するように「昨日の続き」になるの
だ。ローマへ帰ればまた「ローマの昨日の続き」が始まる。

今回も成田へ着くなり、すんなり「昨日の続き」が始まって違和感がなかった。
「働く人全員が日本人」も違和感がなかった。

トーシローの場合は、帰国してすぐ電話に出ると「プロント」などと言ってし
まうのだが、こちとら、すぐさま「もしもし」とすんなり出てくる。握手では
なくてちゃんとおじぎをする(でも、このスキンシップの欠除は寂しさを感じ
たなぁ。今回、メールで知り合った人とお会いする機会を何回か得たが、「あ
なただったんですね!」と抱きつきたくなるのを何度我慢した事か…)。

スイッチの切り替えがうまく行き過ぎて、イタリア語が困難になってくる。ダ
ンナに説明するのに苦労する。あんなに当たり前の言葉が出てこない。この現
象には、どんな脳みその不思議がかくされているのだろう?

見るのを楽しみにしていたガングロがいなくなってて残念だった。たくさんい
た茶髪、金髪はヨーロッパ人種を見なれた目には全く違和感がなかった。テレ
ビ番組がクイズと料理バラエティショーばかりでつまらなかった。いちいち発
言を字幕にするのがうるさくて目触りだった。

●虚の世界へ御案内

一時間ほどいた澁谷がおもしろかった。何口だろう。パルコがあるところ。そ
の日、あるマンガ家の事務所へ行くにはまだ時間があり、何か腹ごしらえをす
る必要があった。

クリスマス前で華やかな飾り付けが町を飾っていた。流行のファッションに身
を包んだ若者(ヨーロッパ人を見なれた目には全員中学生くらいに見えて困っ
た)がさっそうと歩いていた。そして、そこは虚構の世界だった。

極東アジアの国である事を極力忘れ、ヨーロッパ、あるいは、おしゃれな先進
ニッポンの夢想を具体化しようと必死になっていた。そこに来る人々もその夢
想を求め、具体化に協力しなければならなかった。ファッションも、立ち居振
る舞いも言葉使いもその夢想に準じたものでなければならない。

サンドイッチでも食べようと思って入ったヨーロッパ調の喫茶店で、向いの席
に座った若妻と姑の、主に姑の会話がとても象徴的だった。どうしてもパン食
になってしまうお宅の御飯、スペイン旅行で購入した指輪の話、おっほっほ。
テレビドラマであんな演出したら作り過ぎでひんしゅくを買いそうなお二人だ
った。で、それが澁谷の虚構によく似合っていた。

虚構は他にもたくさんあった。車内中吊りも、駅のポスターも、テレビのコマ
ーシャルも、デパートの売り込みも、現実ではない世界がニッポンの姿、あな
たの現実だと思い込ませようと必死になっていて、大衆もそれに乗っていた。
乗ろうとしていた。乗っている振りをしていた。信じていると思い込もうとし
ていた。

なぜそうする必要があるのだろう?

実家は西日暮里で、谷中から上野へ徒歩で向かう途中、戦火から免れた古い家
並みがここそこに残る。こじんまりした木造家屋の玄関先、たたきのセメント
の端から青々した雑草が顔を覗かせ、主人が植えた玄関先の鉢植えの緑と競っ
ていた。

何十年も風雨にさらされ、使い込まれた木製の玄関の戸の色と、わずかな隙間
に覗く土の色と雑草の色、そして鉢植えにみる主人の生活臭が、懐かしいよう
な感じがした。小さいけれど、現実感のあるどっしりした風景だった。そこだ
け写真に撮ったら美しい絵ができるだろうと思った。人間が写っていなくても
人間を感じさせる写真になると思った。

ところで、澁谷に見た虚構をバカバカしいと思いながら嫌ではなかったのだ。
ヨーロッパを見る振りをながら、実はニッポンだけを見てる、ニッポン製の虚
の世界。実家近所の木造家屋と同じように、なんだか可愛らしく感じた。

今回は、ニッポンで見るものすべてを愛おしく思ってしまった。歳と共に許容
範囲が広くなっているのだろうか。

【みどり】midoroma@geocities.co.jp
と、いうわけで、一ヶ月里帰りをしました。おせち料理がおいしかった。お屠
蘇と吟醸酒も。ぷはぁっ! 白飯がおいしくて、朝から二膳飯。私が日刊デジ
クリにコラムを書くきっかけを作ってくださった十河さんに無理矢理会ってい
ただきました。お忙しいところありがとうございました。ご自分をドンガバチ
ョおっしゃってますが、もっとシャイに素敵にした感じの方です(十河さんに
もおじぎをして、抱きつかなかった)。メールだけで知ってる人に会うのは、
贈り物を開ける時のようにわくわくして病み付きになりそうです。

●マンガシークのコラム新しいのができました。
http://www.mangaseek.net/yom/column.php3?writer=midori&num=12

イタリアのマルチ漫画家イゴルトについて書きました。
彼の単行本が日本で出る時、担当編集者も交えて、いろいろ紆余曲折苦楽を共
にしていまや戦友のような(戦友を持った経験はないけど)感情を抱いてます。

なお、マンガシークではマンガに関するコラムを日刊YOMというメルマガにし
て発行し、別サイトも立ち上げました。
http://www.mangaseek.net/yom/

無報酬で良くやるよ、と思いますが、ネットで何ができるか?!を積極的に探
っている若いグループでもあります。今後の動きにも注目してやってください。

そういうわけで、マンガのデータベースを作って提供しているサイトにコラム
を書いてます。イタリアのマンガ(家?)情報をお伝えしてます。お仕事中の
気分転換に上司にナイショでごらんください。マンガ業界の方は仕事の資料集
めという大義名分を使いましょう。

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■編集後記(01/12)
・「もうフィクションは読まない」ト友人は言う。「もうパンツをはかない」
と言ったカツシンをなぜか思った。特別面白いフィクションを読んでいるあい
だは、この幸せが長く続きますようにと祈っているほどなのだ、わたしの場合。
もっとも面白こわい貴志祐介の作品。ようやく「青の炎」を読んだ。いままで
の3作がそれぞれ、まったく傾向の違う作品となっている力量に恐れ入る。今
回は読んでいて、前3作のような何とも言えぬ底知れぬ不安でドキドキするよ
うなことはなかった。完全犯罪の殺人への挑戦というストーリーだ。スマート
なだけにスリリングさは薄い。面白かったけど。続いて瀬名秀明「BRAIN VALL
EY」に突入。とんでもない展開になっている。フィクションは面白い。(柴田)
・柴田から読者のみなさんにごあいさつ。ココをごらんください。ワッ!
http://www.dgcr.com/shibata/honey3.html

・「蝿の王」を初めて読んだ時、怖くて怖くて眠れなくなった。あの残酷さは、
あってもおかしくないと思った。ハンディキャップのある人が生き残れるのは、
近代社会だからだ。眼鏡がないと生活できない私は社会的弱者なんだ。だから
こそ、体を鍛えて知恵をつけようと思ったんだ。ああ、そうだった。細かな部
分は覚えていないのに、妙に意識下に残っている。「バトル・ロワイヤル」に
興味はなかったが、今日のコラムで見たくなった。最近の事件で思うのは、平
和ゆえの甘えから来たものなのか、国家レベルではなく個人レベルでの危機が
何故かあって、個人的な戦争勃発なのか、ということ。他人の命の重さって自
然に学べるものじゃなかったんだね。他人を殺めないといけないくらいの危機
って、この時代、何なのさ? /ひとつ思ったのは、世の中の人すべてが十河
さんのような理解力(趣旨をくみ取る力)のある人ばかりではないということ
だ。逆説的に見せる手法をそう受け取らない人や、コラムを読んで「天皇」と
いう言葉だけで噛みついてくる人もいるだろう。何故噛みつく必要があるのか
考えてみればいいのに。/ドラマ「カバチタレ」を見た。笑った笑った。ご都
合主義は置いておくとして、主役二人の性格の差がいい。自分はどちらに近い
かと考えませんでした?                 (hammer.mule)
http://www.fujitv.co.jp/kabachi/

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
        森川眞行 

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