[0802] 子供たちの自尊心

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0802    2001/02/16.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 17490部
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 <彼女は涙を拭いていた僕を捨て置いて……>

■デジクリトーク
 子供たちの自尊心
 十河 進

■デジクリトーク 連載:現実までも悪夢となった日 [2/N]
 月影に映りしもの
 なゆみ かすい

■イベント案内
 プラネット映画祭2001開催 今日から



■デジクリトーク
子供たちの自尊心

十河 進
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●不幸な子供たちを救え

幼児虐待、児童虐待、子殺しといった話題が続く。朝日新聞が集中して取材記
事を連載していた。涙なくしては、読めなかった。いくら生活が豊かになった
と言われていても、平和が半世紀以上続いていても、不幸な子供たちはどこか
にいる。

子供たちを幸せにしない世の中は、ろくなもんじゃないと思う。だが、人間の
社会は常に子供たちを不幸にしてきた。戦争や紛争は子供たちを巻き添えにし、
貧困は子供たちに真っ先に犠牲を強いる。今も、世界のどこかで子供たちが飢
え、そして死んでいる。

僕は、子供たちがイノセントだなどとは思っていない。心優しい子供もいれば、
平気で人に暴力を振るう子もいるだろう。懸命に生きている者もいれば、人の
ものを奪って平気な子供もいる。貧困は子供たちから人間としてのモラルを奪
うこともある。

だが、子供は弱者である。どんな人間に育つのかは、基本的に大人の責任だ。
人間の子供は、親(あるいは大人)の保護がなくては生きていけない。どんな
赤ん坊でもかわいいのは、誰でもが保護したくなるようにできているからだと
いう。なのに、実の親が子供を虐待し意味もなく殺してしまう。

数ヶ月に一度くらい一緒に飲む女性の友人がいる。広告代理店で20年以上働き、
独身を通している人で、酒を飲むと少し荒れる(?)きらいはあるが、自立し
て誰にも頼らず生きている精神的にもタフな女性である。

数年前、一緒に飲んでいる時に「私は、こんなだらしない生活をしているけど、
フィリピンに子供がいるのよね」と言って、彼女はバッグからパスポートのよ
うなものと手紙を取り出した。「私の子供」と彼女は言って、僕にその手紙を
見せてくれた。

それはフォスター・ペアレントの証明書と、彼女が毎月支援金を送っているフ
ィリピンの子供からきた手紙だった。「大した額を送っているわけじゃないの
よ。それでも、向こうじゃ、この子が学校へいけるの」と彼女は言う。少し照
れていたのだろう。だが、フォスター・ペアレントになることで、彼女自身も
生きるための何かを得ているのがわかった。

その時に、もうひとりのフォスター・ペアレントを思い出した。親しく口をき
くといった間柄ではなかったが、その人は「俺は自分の子供はいないけど、ア
ジアには5人の子供がいるんだ」と言っていた。彼は、5人の子供たちのフォス
ター・ペアレントになっていたのだ。

フォスター・ペアレントは、国際的な「足長おじさん」制度である。国際的機
関が仲介し、子供たちを支援する。確か子供と会うことは許されなかったと思
うが、子供からフォスター・ペアレントへは機関を経由して手紙が届く。

そうした支援をする人を偽善的だと思う人がいるかもしれない。結局は、「恵
まれない子供を支援している善人の自分という満足感」を得るためにやってい
るのだ、とひねくれて分析する人も世の中には多い。

しかし、それでもいいんじゃないか。人の善意は肯定しよう。よしんば、慈善
の動機が売名行為であったとしてもいいと思う(昔の笹川良一さんみたいなの
は「ちょっと…」と思うけれど)。結果として誰かが救われれば、それで少し
は世界が良くなるかもしれないじゃないか。

●自分の母親が男たちに抱かれる時

「泥の河」(1981/105分)という映画の中で、田村高廣が演じた主人公の父
親は「子供は生まれたくて生まれてくるんじゃない。子供は親を選べない」と
言う。それが、もしかしたらこの映画の主題だったのかもしれない。

親を選べない子供たちは、幸せな家庭に生まれることも、不幸な家庭に生まれ
ることもある。不幸な家庭に生まれた子供たちに、あるいは不幸な世界に生ま
れた子供たちに、僕らは「運命だから諦めろ」と言えるだろうか。

僕も子供の頃に、親に向かって「生まれたくて生まれたんじゃねぇや。もっと
金持ちの家に生まれたかったんだ」と憎まれ口を利いたことがある。今の歳に
なって振り返れば、そう言われた親の気持ちがわかる。本当に申し訳ないと、
改めて頭を下げたくなる。

「泥の河」の郭船の母親(加賀まりこ)も、切なくやるせない想いを子供たち
に抱いていたに違いない。子供たちを養い、何より自分が生きていくために、
彼女は見ず知らずの男たちに、夜毎、身を任せていたのである。

「泥の河」は昭和30年(1955年)の話だ。戦争が終わって10年、まだまだ戦争
の傷跡を引きずる人たちがいた時代である。主人公のノブオは9歳。戦後、闇
市で出会った父と母(藤田弓子)の間に生まれ、両親が営む川岸沿いのうどん
屋で暮らしている。

父は出征し満州からシベリアへ送られ、引き揚げ船で舞鶴に戻ってきた過去か
ら解放されていない。母は、そんな父を前の妻から奪い10年一緒に暮らしてき
たが、いつか夫がいなくなるんじゃないかと、どこかで不安に感じている。

そんなノブオ一家の住む店の向こう岸に、ある日、一艘の船が停泊する。小さ
な水上生活者の船である。その船には、腕のいい船頭だった父を亡くした一家
が暮らしていて、母親は生活のために身を売っているのだと、店に出入りする
客たちによって語られる。

そんなことは、もちろんノブオはわからない。ノブオは、雨の日に橋の上でそ
の船の子であるキイチと出会い友だちになる。キイチに連れられて行った船で、
ノブオはキイチの姉のギンコと会う。11歳のギンコは親切で、健気で可愛い女
の子だ。ノブオには、まぶしい存在である。

子供たちが生活している船室と壁を隔てた部屋に母親がいて、声だけが聞こえ
てくる。キイチは公園の水道で水を汲み、ギンコは母親の世話をしながら食事
や洗濯をする。もちろん彼らは父親が死んで以来、学校へも通っていない。

ノブオの店へ遊びにくるようになった姉弟だが、客のひとりに「この子、郭船
の子やろ。この子も客引きしよるいう話やで」とノブオの前で言われた時のキ
イチの屈辱に耐える表情が哀れだ。

初めてできた友だち、その家族の前で客引きをしていることを明らかにされた
時のキイチの気持ちを思えば、涙が止まらなくなる。(今、こう書いている時
でさえ、僕は涙を浮かべている)

キイチもギンコも自分たちが何をやって生きているのかを自覚している。母親
が壁の向こうで、夜毎、何人もの男に抱かれているのに耐えて生きている。そ
んな中でも誇りを失わず自尊心をなくさず弟をきちんと躾ようとするギンコは、
初めてノブオの母と家風呂に入って笑い声をあげる。

その姉の笑い声を聞いて「お姉ちゃん、笑ろてるわ」と言うキイチの言葉に、
この少女から笑いを奪った過酷な運命を想い僕の頬を涙が伝った。姉弟は耐え
ている。母を愛しながら、その母の行為に耐えているのだ。そうしなければ、
一家が生きていけないことを知っているからである。

ある夜、キイチと船に行ったノブオは壁の向こうの呻き声を聞く。その時から
キイチは異常な行動をとる。飼っていたカニを油に浸けて火を放つのだ。ただ
ひとりの友だちに秘密を知られてしまった恥辱、それがキイチを異常な行動に
駆り立てたのだろう。

船縁を悶えながら動いていくカニを助けようと追ったノブオは、船窓から母親
が男に抱かれている姿を見てしまう。翌日、郭船は移動を始める。衝撃から立
ち直ったノブオは「キっちゃーん」と呼びながら川岸を追い続けるが、船は窓
を閉めたまま川を下っていく……。

この映画を見終わって、すぐに席を立てる奴を僕は信用しない(1981年の春、
草月ホールの完成試写会で最初に見た時には隣にカミサンが座っていたのだが、
彼女は涙を拭いていた僕を捨て置いてサッサと席を立った)。

悲しい映画だが、静かな感動が見終わってからも続く。小栗監督は「泣かせる
つもりで作ったんじゃない」と言っていたが、本当に感動して僕は泣いたのだ。
あざとく涙を誘うような志の低い映画なら、僕は泣かなかっただろう。その後、
小栗監督は処女作「泥の河」を越える映画を作っていないと僕は思っている。

キイチとギンコの将来に僕は不安を感じない。貧しく悲惨な境遇に育っても、
彼らは自尊心を失わず立派な大人になるだろう。貧しさを引き受け、みじめさ
と屈辱に耐え自覚的に生きている彼らは、貧しさによって育つはずだ。貧しさ
は人を育てることもあるのだ。

「泥の河」が感動的なのは、過酷な現実に負けまいとしている幼い子供たちを
描き出し、彼らの将来に希望を感じさせてくれるからだ。彼らは貧しいままか
もしれない。不幸な境遇から抜け出せないかもしれない。しかし、彼らは貧困
や偏見に精神まで冒されているわけではない。いや、悲惨な運命や貧困、心な
い大人たちの偏見が間違いなく彼らを育てている。

「泥の河」を見ていない人がいたら、ぜひ見てほしい。もしかしたら、まった
く感動しない人もいるかもしれない。だが、この世の中に「泥の河」という映
画が存在したことだけは、多くの人に知ってもらいたいと思う。

●貧しい子供たちのみじめさと屈辱感

「泥の河」のノブオは僕の兄の世代だ。昭和30年には僕は4歳だった。だが、
モノクロームの映像は懐かしい風景を描き出していた。それに「泥の河」を見
ると、僕は子供の頃のある情景を思い出す。

彼の名はS君と言った。僕がS君と仲良くなったきっかけは、社会科の授業での
父親の職業調べの時だった。小学校3年生で、僕は8歳か9歳だった。

その日、教師はまず「お父さんが会社に勤めている人」と聞いた。大半のクラ
スメイトが手を挙げた。次に「お店をやっている人」などと教師は聞き、最後
まで手を挙げずに残ったのは僕とS君だけだった。

僕の父はタイル職人で何人か弟子を使う親方ではあったが、一日働いてナンボ
という手間賃で生きている人間だった。仕事がなければ収入はない。不景気な
時は自宅の裏でタイル張りの流し台を作ったり、地元の仕事がなくなれば京阪
神まで出稼ぎに行くこともあった。

家族のために働く父親を誇りに思ってもいたが、僕にコンプレックスや僻みが
なかったとは言わない。そんな気持ちもあって、僕は父親の職業分類調査に反
発していたのかもしれない。

だから教師が僕に「ソゴー君とこは、何をやってるの」と聞いた時、僕は「日
雇いや」と自虐的に答えた。教師は一瞬、絶句した。その時、日頃「職業に貴
賤はありません」と言っていた教師の(というより大人の)偽善に気付いた。

教師のとまどった沈黙を破るように、S君が「うちもそうや。母ちゃんが日雇
いや」と大声で言った。その声で、授業の間いたたまれなかった彼の気持ちが
僕にも伝わった。

親しくなってわかったことだが、彼のうちは母子家庭で母親の日雇い仕事で暮
らしていた。僕の母親は、S君がシラミをわかせていることにこだわって「あ
まり仲良くするな」などと言っていたが、彼と遊ぶことを全面的に禁止はしな
かった。

彼は少しの雨なら学校に来たが、強い雨の日は学校を休んだ。長靴も(当時は
道が悪くて長靴は必需品だった)傘もないのを僕は知っていた。それに「××
殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の三日も降ればよい」などと言われていたように、
彼の母親も雨の日は仕事に出られず、その結果、収入もなくなるのだった。

その頃、誰かが休むと給食に付くコッペパンを帰りに届けていた。ほとんどは、
休んだ人間の近くの級友が届けるのだが、S君に関しては僕が届けるのが決ま
りのようになっていた。

その日、少し大回りをして僕はS君の家にコッペパンを届けた。彼の家は長屋
で、土間を入るとすぐに3畳の部屋があり、その奥の襖が閉まっていた。そこ
は6畳の部屋で、その向こうが縁側と便所になっていた。もちろん風呂はない。
時代劇に出てくる長屋とそう変わらない。土間の脇に竈があって薪を炊いて炊
事をした。水は共同井戸から汲んでくる。

S君は何もせず、表にも出られず、朝からぼんやりしていたのかもしれない。3
畳の部屋の隅にやかんが置かれていた。雨漏りをそれで受けているのだ。ポチ
ャン、ポチャンと規則的な音が響いていた。

S君は僕がコッペパンを差し出すと、「ありがと」と言ってうれしそうな顔を
した。もしかしたら、朝から何も口にしていなかったのかもしれない。すぐに
むしゃぶりついた。そんな彼を見ながら僕がぼんやりしていると、いきなり襖
の向こうから野太い男の声がした。

僕が驚いて彼を見ると、S君は何とも言えない表情をした。泣きそうにも見え
たし、「まいったなぁ」とおどけているようにも見えた。泣き笑い、に近かっ
たのかも知れない。

男の声に続いて、S君の母親の忍び笑いが聞こえた。それに衣擦れの音がした。
その時の僕が、襖の向こうのことをわかっていたかどうか。たぶん、わかって
いなかっただろう。記憶を後から意味づけたのかもしれない。

しばらくして、襖が開き母親が顔をのぞかせた。その時、見えた情景は僕の脳
裏にくっきりと残った。着物をだらしなく着込んだ母親の奥に、股火鉢をした
男がいた。

母親はS君に「水、おくれ」と言い、彼がコップの水を差し出すと僕を無視し
て襖を閉めた。S君が申し訳なさそうに僕を見た。僕は「それじゃあ」と言っ
てS君の家を出た。

それ以来、僕は一度も彼の家に行かなかった。彼も僕を避けるようになった。
彼が僕に一番見せたくなかったものを見てしまったことを、僕は申し訳なく思
っていた。僕と話すたびに、彼はあの日のことを思い出すだろう。

しばらくして4年生になりクラス替えで別々になった僕らは、もう二度と一緒
に遊ぶことはなかった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。朝日新聞の読書欄を読んでいたら、元「マリ・クレール」編集長
で「ヴォーグ・ニッポン」創刊にも携わった井上明久さんの「惜春」(河出書
房刊)という小説が紹介されていた。さすが元「文芸」編集部員である。僕は
一度しかお会いしていないが、知っている人の本が出るのはうれしい。

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

フォスタープラン協会
http://www.fosterplan.gr.jp/

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■デジクリトーク 連載:現実までも悪夢となった日 [2/N]
月影に映りしもの

なゆみ かすい
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あれは満月にして仏滅、2月8日のこと――既にご存知の方も多いかもしれない
けれど、昨年末、冬休みに突入する直前に無理をお願いして告知させていただ
き、また、今月も紹介させていただいたばかりの「krietron(くりえとろん)」
に実に致命的な問題が生じてしまった(※「生じた」というよりも「はじめて
認識した」というのが正確)。

それは、先行する類似名称の存在。七瀬至映さんが提唱されている「CREATRON
(クリアトロン)」(*1)がそれで、既にJ-WAVE(FM)や書籍などといった形で
展開されており、これからも更に展開されていく予定らしい。

そうはいっても、こちらも昨年の8月頃から、思案を重ねながら準備を進めて
きて既に実行に移していただけに、この思いもよらぬ躓きを“悪夢”といわず
して何といおうか。

まして、皮肉なことに当初の正式名称候補は「little-bridge(ちいさな橋)」。
「krietron」なんかではなかった。既存の名称や既存のドメイン名に気を配り
ながらも、最終検討段階まで残っていた候補の中から選ばれたのが「krietron」
というわけ。

ちなみに、「little-bridge」に一発で確定されなかったのは、普段、名称を
考える際に課している最低限の制約のひとつを満たしていなかったため。

・英字で表記できること
但し、ローマ字表記の場合、発音や表記が紛らわしくなる文字は避ける
(例えば、「TSU・TU」、「DSU・DU」と「ZU」、「N(ん)+母音」など)

・「8-3ルール」または「8-2ルール」を満たすこと
(英字表記で、8文字以内、かつ、3(2)文字にきれいに省略できること)

これに、ひらがな&小文字大好きな人種ということ、字面や音調の雰囲気など
の要素を加味して検討される。

*1 ... <http://www.creatron.net/>

【なゆみ かすい】mailto:kasui@flux.gr.jp
まったくもって、昨年の須貝さんのような、びっくり状態(#743、#754参照)。
今のところ、どうするかは決めかねていますが、この企画(↓)自体は続けて
いきますのでよろしくお願いします~。

創作とコミュニケーションの舞台装置「krietron(訳あって暫定)」
~ 第2回定期展の出品募集テーマは「薄紅」または「永遠」 ~
<http://www.krietron.net/>

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■イベント案内
プラネット映画祭2001開催 今日から
http://www.mydome.or.jp/pla-sta/pcf.htm
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自主映画の祭典「プラネット映画祭2001」が今日から3日間開催される。上映
タイトルには「実験人形ダミー・オズマー」(活弁映画)「愛と青春の低気圧」
「バカは死ななきゃなおらない」「世紀末蹴球部伝説-香港代表-」など期待で
きる。イベントでは、一般公募作品の上映、およびプラネット・シネマ・プロ
デュース「十月の花火」「しょうた」の2本をふくめ35本を上映。料金無料。

プラネット・シネマ・プロデュースとは? 「映画を創りたくても仲間がいな
い」「場所や機会がない」そのような考えを持つ人たちを映画製作の経験、未
経験を問わず募り、企画から上映までを体験、自主映画の楽しさを知ってもら
うために製作した映画。映画祭スタッフが創る映画。

プラネット・トーク・セッション2001 2月17日(土)19:20~
テーマ:~これから(21世紀)の自主映画について~

プラネット・シネマ・ライブ 2月18日(日)13:40~
スペースギャグムービー 『惑星大探査 ギャグプラネット』上演
監督・脚本PRINCE.ALIBABAが贈る巧みな舞台演出と映像効果を駆使したニュー
タイプ・ギャラクシー・アドベンチャー。息をのむような迫力と臨場感。交差
する空想と現実。冒険は天国か地獄か!!

日時 2月16日(金)13:00~
   2月17日(土)12:30~
   2月18日(日)13:00~
   *開場は上映開始の30分前です。

会場 プラネット・ステーション4F/プラネットホール
   大阪市中央区森ノ宮中央2-13-33 Tel.06-6942-2441
   http://www.mydome.or.jp/pla-sta/pcf.htm
   JR大阪環状線『森ノ宮』駅下車 西へ約500mm

問い合わせ:cap69580@pop01.odn.ne.jp

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■編集後記(02/16)
・今度の日曜日に娘のダンナの両親が、新婚家庭を見に来るという。我が家は
二世帯住宅だから、当然われわれの住いもご披露しなきゃならない、ト妻が言
う。この住宅を設計したのは妻だから、たしょう自慢の気分があるのだろう。
しかし困ったのはわたしだ。デジタル書斎はともかく、アナログ書斎と本棚の
徹底清掃を命じられた。そこは段ボール箱や本が積み上げられて、たしかにみ
っともない。そのうち暇ができたら、ト言いながら何年も経過してきた。そろ
そろ年貢の納め時か。雑誌は捨てないとなあ、本は捨てられないけど。ビンテ
ージものをふくんだマンガの整理はそう簡単にはできない。あ、ベータマック
スのテープはどうする? 「ウルトラセブン」を完全収録したの。「スターロ
グ」全巻とか。こういうのネットオークションで売れるのかな。捨てるより、
だれかの役にたててもらいたいものだ。今日と明日はお掃除に費やす。(柴田)

・数年ぶりに一眼レフに触った。フィルムを買うために、駅前の小さなカメラ
屋に行ったら、下げているカメラを見て店主が嬉しそうに近づいてきた。「リ
バーサルフィルムをください」と言ったあと、ふと「室内なんですけど」と付
け加えてみた。店主はにこにこしながらうんちくを語り、フィルムを選んでく
れた。デジカメ主流で消えていくかもしれない技術なのかな、と思った。実際
に写真を撮り始めると、シャッター音が気持ちいい。デジカメだと静かだから、
セミナーなんかだと便利だけど、あの音がないのは寂しい。 (hammer.mule)

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
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        森川眞行 

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