[0841] 自主映画の時代

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0841    2001/04/13.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 17859部
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 <このタイトルが使いたくてこの話を書いている(嘘)>

■デジクリトーク
 自主映画の時代
 十河 進

■デジクリトーク インターネットの紆余曲折(4)
 寒い国からやってきたインド人
 8月サンタ

■イベント案内
 KIT&E FORUM「北九州の未来がちょっとだけ見えてきた。」



■デジクリトーク
自主映画の時代

十河 進
───────────────────────────────────

●映画制作は挫折し写真展に化ける

映画を創ろうとしたことがあった。高校生の頃である。

「おかしさに彩られた悲しみのバラード」(1968)という高校生が作った映画
が、東京の草月ホールで開催されたフィルム・フェスティバルでグランプリを
獲得したのが報じられた頃だった。監督の名は原正孝といった。彼は後に将人
と改名する(逆だったかな)。

高松では見られなかったが、ゴダールという監督がシネマ・ヴェリテという手
法で斬新な映画を撮っているということだった。朝日ジャーナルのグラビアに
登場した、3本ターレットの16ミリカメラを持ち5月革命を記録するゴダールの
姿は惚れ惚れするほどかっこよかった。

そこで、僕と僕の仲間たちは「映画を創ろう」と思った。史上初めて一年生で
新聞部の部長になったという大人びた男は「大林宣彦のアングラ映画『伝説の
午後・いつか見たドラキュラ』(1967)みたいな映画を創ろう」と言い出した。
僕はアンチ・クライマックス・ヒーローの話にしようと主張した。かっこ悪い
青年の話がいい。

僕は生まれて初めてシナリオを書き、ディベートの名人のような元新聞部部長
(彼は社会科の教師を論破した伝説を持っていた)に「おまえの発想はネガテ
ィブ過ぎる」と、徹底的に批判された。

高校紛争の時代で、彼の名は高校のトイレの壁に「民青の親玉××を殺せ」と
書かれるほどだった。彼が民青だったとは思わないが、発想は日共的だった。
香川県に棲息するのが珍しい日教組の組合員である年の離れた兄の影響だった
のかもしれない。

結局、僕のシナリオは幻に終わり、映画作りも挫折した。挫折した原因は何だ
ったのだろう。僕は、シナリオを書き直す気力をなくしていたし、元新聞部部
長はカメラを手配する気力をなくした。あるいは主演女優を頼むという理由で、
彼が女生徒をナンパしまくったからかもしれない。

映画は挫折したが、元新聞部部長は写真展を企画した。文化祭に参加する予定
だった。元新聞部部長がディレクションし、僕もモデルで登場した。内容は、
高校生活を批判するフォトストーリーになっていた。

たとえば、校舎の廊下の出窓に生徒たちを配置し眠っている演技をやらせ縦構
図で写し込む。等間隔で手前から奥まで高校生が窓辺に腰掛けて眠っている写
真に「眠っているだけでいいのか?」などというキャプションがつく。

当時の高校生のやることなんて、そんなものだった。元新聞部部長が創りたが
った映画の内容も何となくわかった。今なら、パターン化された体制批判でし
かない、と言えるかもしれないが、当時の僕は彼の先鋭さに圧倒されていた。

プリントは仲間の姉のボーイフレンドである広告写真をやっていたプロのカメ
ラマンに協力してもらい、彼の暗室で何回も徹夜した。ある夜、協力してくれ
たカメラマンがプリントを見て「これは問題になるかもしれないな」と言った。

問題の一枚は僕と女生徒が手をつないで顔を背け合っている写真で、僕らは白
バックに切り抜きでプリントされ、周囲には雑誌などから切り抜いた動物たち
の交尾シーンが複写され切り抜きでプリントされた。

その写真に「セックスっていけないこと?」というキャプションがつく予定だ
った。それは当時の高校生にとっては、かなり過激なことだった。県立の進学
校の保守的な体質は、「セックス」という言葉だけでも問題にしただろう。

僕はそんな写真になるとは知らなかった。仕上がった写真を見て唖然とした。
そんな写真が出るのは恥ずかしくて嫌だった。元新聞部部長は自己規制して、
その写真を没にした。僕はほっとしたが、同時に彼の限界も認識した。許容さ
れた範囲内での体制批判しかできないのである。

後に、彼は小学館で同じ発想の本を作る。入社して「小学一年生」編集部に配
属された彼はその後も学年誌ばかりを作っていたようだが、「小学六年生」編
集長になり、10年ほど前にゴルバチョフをテーマにした「ゴルビーの冒険」と
いう特集や、小学六年生を対象にした「セックス特集」を展開した。

部数は落ちていたらしいが、彼の編集する「小学六年生」は話題になり、朝日
新聞に取り上げられ、大きなポートレート入りで編集長インタビューが掲載さ
れた。結局、彼は20年以上たって思いを果たしたのかもしれない。

●映画に明け暮れた日々

映画創りは挫折したが、1970年に上京し週に11本をベースに映画を見続けた。
人世坐(2本)、人世坐地下(2本)、弁天坐(2本)、新宿テアトル(3本)、
並木座(2本)で11本になる。これ以外に特集上映やオールナイト5本立てなど
を見ていた。天国の日々だった。

アートシアター・ギルド(ATG)の常設館が新宿文化と日劇文化で、新宿文化
の脇の地下に観客がトイレに行くたびにスクリーンが揺れる蠍座というミニシ
アターがあった。そこでは、ベルイマン作品などの上映と共に自主映画が上映
された。「私の不幸な仲間たち」「空、見たか?」などなど。

映画を創るためには、東大や京大などのエリート大学を出て撮影所に入り、徒
弟制度を経て監督昇進しなければならないのだと、その頃はまだ思われていた。
僕が知る限り、当時、新進気鋭の監督たちはほとんどが東大出身で、京大出身
の大島渚が珍しい方だった。

僕は日大映画学科に入ろうかと考えたこともあったのだが、日大出身の監督は
深作欣二だけしか知らなかった。友人のお兄さんは日大映画学科を出て東映に
入ったが「ここにいても監督にはなれねぇな」と思って、CMディレクターに転
業した。その話を聞いて日大の受験はやめてしまった。

今村昌平監督が横浜映画学校を開校したのが数年前のことだった。僕の高校は
男子生徒は全員4年制の大学に行くような進学校だったが、1年先輩で一人だけ
横浜映画学校へ行った人がいた。今ではウッチャン・ナンチャンの出身校とし
て有名になった。

しかし、時代は少しずつ変わっていた。ATGで大島渚が高校生たちと「東京戦
争戦後秘話」(本来のタイトルは立て看文字だ)を創った。高校生や大学生た
ちが映画を創り始め、小さいが確実なムーブメントになり始めていた。

僕はムービーカメラが買えなかったから35ミリ一眼レフカメラを買ったのだが、
いつの間にか下宿でお座敷暗室をやるくらい熱中した。写真雑誌も定期購読し
ていた。そんなこともあって、現在の会社をカメラ雑誌の編集部志望で受けた
のだが、面接の時に「映画が好き」と答えてしまった。

「最近、何を見たか」と問われて、神代辰巳監督、萩原健一・桃井かおり主演
「青春の蹉跌」(1974)で、ショーケンが桃井かおりを殺すことになる雪山を滑
るシーンを身振り手振りでキャメラワークまで説明した。神代監督は有名な長
回しで、3シーン1カットと言われていた。そのことも、マニアックに語ってし
まった。

映画を創ろうとした時に専門誌を探したことがある。「小型映画」という月刊
誌はその時に、高松の丸亀町にある宮脇書店で初めて見た。正方形の枠の中に
「小型映画」という角張った4文字が配置されたロゴの表紙が印象に残った。
合格通知がきた時には、「小型映画」編集部に配置かと心配になった。

案じた通り、僕の配属は「小型映画ビギナーシリーズ」というムック編集部に
なってしまった。ちょっとがっかりしたが、2冊目の仕事で中井朝一さんや岡
崎宏三さんなど、撮影監督たちのインタビューができたので少し憂さがはれた。
中井さんは黒澤明監督のメインキャメラマンである。

「小型映画ハイテクニックシリーズ」という高度な映画製作技術を教えるムッ
クのバックナンバーを見ていたら、岡本喜八監督が原稿を書き「日本の一番長
い日」(1967)の絵コンテがストーリーに沿って掲載されていた。また、森谷司
郎監督のインタビューと共に「初めての旅」(1971)の全ショットがコマで掲載
されていた。

悪くないかもしれないな、とその時には思った。

●自主映画の俊英たち

その頃、月刊「小型映画」編集部のH女史のところに、いろんな若い男たちが
顔を出していた。なぜか、みんなレイバンタイプのナス型サングラスを掛けて
いた。大森一樹の自主映画「暗くなるまで待てない」(1975)が本誌で紹介され、
やってきた大森一樹はまだ医大生で、やっぱりサングラスを掛けていた。

森田芳光が来たこともあったのかもしれないが、僕は会っていない。ただ「ラ
イブ・イン・茅ヶ崎」(1978)は本誌でよく紹介していた。H女史は後にイメー
ジフォーラムで映像作家かわなかのぶひろさんにインタビューされ「自主映画
の母」と呼ばれていたが、確かに彼女が取り上げた若い人たちは後に日本映画
を革新する才能ばかりだった。

8ミリ版「高校大パニック」(1978)の石井聰瓦を積極的に紹介したのも彼女だ
った。長崎俊一の初の35ミリ映画「九月の冗談クラブバンド」(1982)のプロデ
ュースも彼女が担当した。主演は長崎監督の盟友・内藤剛志である。「ユキが
ロックを捨てた夏」(1978)など、彼がいなくては成立しなかった。まだみんな
大学生だった。

入社して3年が過ぎた頃、月刊の小型映画に異動になった。しばらくしてH女史
はビデオ雑誌に異動になった。僕はもうひとりの編集部員と組んで、自主映画
のページを充実させようとした。そこで「シネマ・パワー」という16ページほ
どのコーナーを作った。

映画監督のインタビュー、映画撮影現場のレポート、ドラマを創るための講座、
それに自主映画の紹介、上映スケジュールの掲載、自主映画のヒロイン紹介な
どで構成した。

大林宣彦、高林陽一などを自主映画(当時、ジャーナリズムはアングラ映画と
呼んだ)第一世代とすれば、原将人、大森一樹、森田芳光、石井聰瓦、長崎俊
一などは第二世代にまとめられるだろうか。しかし、僕らがシネマ・パワーと
いうページを始めた頃には、新しい世代が台頭していた。

ぴあ展から発展した自主映画の定期上映などをバックアップするぴあシネマブ
ティックを経て、ぴあシネマフェスティバルが始まったのもこの頃だ。ここに
もH女史は関係しているが、僕も下審査の時に何度か入れてもらったことがあ
る。審査員は映画評論家の松田政男さんだった。

ぴあフィルムフェスティバルからは、様々な才能が出始めた。当時、僕が紹介
していた自主映画世代は、高校生が中心になりつつあり、今関あきよし、手塚
真といった生まれながらの映像世代のような連中が出現していた。黒沢清が出
たのも、この頃だったろうか。

その頃、自主映画の女優たちを紹介するコラムを連載していて、ある時、自主
映画のオールナイト上映で紹介された、当時、早稲田大学の学生だった室井滋
さんに「今度、出てください」と言って、その後、編集部に電話をもらったの
に、約束を果たさないうちに本そのものが休刊になってしまった。

僕が「小型映画」に在籍した8年ほどの間に、自主映画の世界はずいぶん変わ
った。大森一樹監督は「オレンジロード急行」で城戸賞を受賞してメジャーデ
ビューし、石井聰瓦は映画版「高校大パニック」を沢田幸弘と共同監督した。
森田芳光監督は「の・ようなもの」(1981)を作り、自主映画界で評価された才
能たちが商業映画の世界に進出し始めたのだ。

「小型映画」は休刊したが、その後、自主映画の制作は盛んになり公開のスタ
イルも多様化した。映像を作ることは一部のエリートのものではなく、どんど
ん一般化していった。

先日、某カメラメーカーの30代の人ふたりと話をしていたら、「僕は『小型映
画』を読んでいましたよ」と口を揃えて言う。ひとりの人は未だに会社にバッ
クナンバーを置いていて、時々、読んでいるという。

ふたりは高校・大学と8ミリ少年だったらしい。僕がその頃の話をすると「あ
のページがあったから読んでいたのです」とお世辞かもしれないが言ってくれ
た。もちろん僕がやっていた「シネマパワー」というページだ。

雑誌づくりの仕事をやっていてよかったと、その時に思った。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。先週の文章では「people」のスペルを間違ってしまった。最初に
間違い、ずっとコピー&ペーストでやったものだからすべて間違っていた。こ
ういうことをやると本業でも信用をなくすんだなあ。恥!

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

ジャン・リュック・ゴダール
http://dravida.udn.ne.jp/godard/

大林宣彦
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/1604/oba_index.html

室井滋
http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Emit-o/shigeru01.htm

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■デジクリトーク インターネットの紆余曲折(4)
寒い国からやってきたインド人

8月サンタ
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<前回までのあらすじ>
私、8月サンタは親父から頼まれて、日本の紙加工用機械を、アメリカの親父
の会社を通じ、フィンランドに売る、というプロジェクトの手伝いをすること
になった。契約は既に成されていたのに、フィンランド側では融資がおりず、
何らかのトラブルが発生していたようだった・・・。

●「寒い国からやってきたインド人」

このタイトルが使いたくてこの話を書いている(嘘)、しかし「さらば~」と
付くだけでレイモンド・チャンドラーの「さらば愛しき人よ」になってしまう
ように、「寒い国から」とくれば「寒い国から帰ってきたスパイ」ジョン・ル
・カレ(ハヤカワ文庫刊)がおきまりの定番である。と言うわけで少し寄り道
を。(十河さんの連載の下で非常に非常に恐縮なのですが・・・)

もう数十年に渡り、スパイ小説の最高峰として、例えばハヤカワ文庫の冒険小
説・ミステリハンドブックなどで不動の一位を占めている本だけど、実はル・
カレ溺愛者からみればこの評価は大嘘である。これはまだ誰も指摘していない
と思う。

ミステリ好きの人にル・カレはいかが? と聞くと10人が10人「寒い国から~
は読んだけど、ちょっと暗くて、重くてね・・・」というけれど、これは書評
家や愛好家が悪い。「寒い国から帰ってきたスパイ」が名作と言われるのは実
はみんな同じ理由で、集中力と記憶力にずしっとこたえるル・カレの作品を、
「みんな全作最後まできちんと読んじゃいない」のだ。そして「寒い~」が一
位であり続けること自体がその明白な証拠である。

ル・カレは巨匠と言うけれど、実は相当に作品の出来、不出来が激しい人であ
る。彫刻で言うならノミの痕跡の残る仕上げの雑な作品もあれば、「どうやっ
て作ったのか判らない」神の手レベルの作品もあります。

「寒い国から帰ってきたスパイ」は
・割と短い(投げ出さないで済む)・文学趣味人を満足させる悲劇系のテーマ
・無難な構成 ・先輩諸氏が「定番」として取り上げる(これが一番)
から代表作と言われるのでしょうが、ル・カレの本当の持ち味である
・前にも後ろにも読める楽しみを可能にした重奏的な構成
・細片の描写を幾重にも重ねて描き出す「複数の心理のもつれ合い」のスリル
・最後にスカッ! とする勝利のカタルシス
・なにより「英国人の中の英国人、そしてゲイについて」の描写
どれを取っても今ひとつ。ル・カレはこんなもんじゃない。

と言うわけで黙って「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」をお読み
下さい。テーマが暗くて重いのが名作ならソルジェニーツィンをはじめとする
ロシア文学がある! それよりル・カレのむしろ英国伝統の痛快無比なミステ
リを楽しんでいただきたい。シャーロック・ホームズに心ときめかせた少年が、
大人になって何を読めばいいのか? この本が答えだ。

公文書か古文書か、という行きつ戻りつする時間描写の中を、黙って308ペー
ジまで読んでいただきたい。頭の中で「カチリ」と音がするはずだ。その音を
聞くまで、何度も何度でも読み返していただきたい。その音こそがル・カレの
世界の鍵の回る音である。この音を聞いたことのある書評家だか愛好家だかが
「寒い国から帰ってきたスパイ」をル・カレの代表作に押すはずもないのだ。

●Gが静岡にやってきた

またまた回り道をしてしまったが、98年の4月の話である。
簡単に書いているが、もちろんGが来るまでにはアメリカでも日本でも相当な
動きがあった。Gと銀行の申し開きの裏をとるためにいろんなチャンネルを打
診したり、他の融資、補助金、スポンサー、客探しなど、またいざ輸出が決定
した場合の事務手続き準備などが進められていた。

そして私も、そのとき勤務していた出版社の仕事と折り合いを付けながらその
日を待った。余程のことでもなければ会社を一週間も休めるものではなく、G
の来日する日は二日続いた徹夜のあとだった。親父から電話がかかってきて、
「どうやらフィンランドの銀行の人間は連れて来ていない。G一人だ」と聞き、
私自身は、これはダメかも、と思った。

静岡県某市のホテルに親父がGをピックアップしてきていた。私は最終の新幹線
に乗って彼らと合流した。

私とGとは、一応メールである程度やりとりは済んでいて、挨拶もそこそこに
いろいろ話し始めたが、とにかく精力的な人物、というのが第一印象だった。

Gは本当はGill(ギル)という。初めて会ったとき、マドラスチェックの仕立
てが良さそうなジャケット、モスグリーンのポロシャツにコットンのパンツ、
いかにも中堅のビジネスマンに見えた。もちろんインド人なので肌は浅黒い。
髪はちょっと薄くなり始めているが、入念にくしで分け目が付けられていた。
特徴的なのはとにかくギラギラした目で、デザイナーのアズディン・アライア
にそっくりだった。金色の腕時計が嫌みでなく似合っていた。

インド出身のフィンランド人というのはフィンランド全土で10名以上、20名
以下だそうだ。フィンランド人の奥さんがいて、17歳と13歳の息子がいる。
Gの父親はインドのベンガルの警察長官だそうで、ドイツの大学に学び、長く
ドイツに居たのだが紆余曲折があってフィンランドに住むことになった。ドイ
ツ時代はカーディーラーを経営していた。その時車を運転中、ひどい事故に遭
った。手帳の中にはクシャクシャにつぶれたBMWの写真が入っていた。

「今でもドイツが大好きなんだ。ドイツはいいぞ」Gは日本にフランクフルト
経由のルフトハンザでやってきた。ビジネス上の友人がドイツには沢山いるら
しい。携帯電話を取り出して見せた。「この電話はここでは使えないのか? フ
ィンランドからドイツまで、これはどこでも使えるぞ」

ヨーロッパにはGSMという携帯電話の規格が普及していて、基本的にEU圏なら
どこでも使うことが出来る。私はGの日本滞在用に一台携帯電話を準備してい
たが、Gは国際電話が出来ない電話など電話ではないと言いたげだった。

その日はもう夜も更けていて、商談は次の日からだ。「ではいったん解散とい
うことで」と親父は部屋に引き上げてしまったが、Gは「私はまだ眠くない」
と私を部屋に呼んで自分の半生を延々と話し始めた。Gの家は相当の名家で、
インドに帰国するときには父親や家族の出迎えで空港は大騒ぎになるらしい。
もちろん税関も入管もフリーパスで、どこへ行くにも警察の車が送り迎えをし
てくれるそうだ。Gillも親とおなじエリート警察官の道が用意されていたが、
留学後インドに戻らなかったのには深い深いわけがあった。

「私の父親は私をドイツに留学させたことを大変後悔していたのだ。しかし
私は後戻りはしなかった。」

・・・夜の10時にホテルについて、結局解放されたのは午前3時だった。次の
日は朝からハードな商談で、私はGのインターナショナルな半生の物語に意識
朦朧となりながら、部屋へ帰って気絶するように寝た。    (つづく)

【8月サンタ】ロンドンとル・カレを愛する32歳
「嘘みたいな話」数日前、街角で聞き覚えのある携帯電話の着信メロディーを
聞いた。ずっとずっと気になっていたのだが、さっき思い出した。あれは
「ヴァーチャル・ヴァレリーのテーマ」だ! 誰がわかってくれよう!?
santa@londontown.to

ロンドン好きのファンサイト(写真100枚以上追加しました)
http://www.londontown.to/

▼デジクリサイトの「★デジクリ・スターバックス友の会★」来てね!!
http://www.dgcr.com/
日々パワーアップしてます。

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■イベント案内
KIT&E FORUM「北九州の未来がちょっとだけ見えてきた。」
http://www.kit-e.org/
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<主催者情報>

会場 北九州国際会議場[メインホール・イベントホール]
   北九州市小倉北区浅野3-9-30

●プログラム
4月21日
・「シリコンロード」のポール・サフォー氏がIT都市北九州の未来を語る。
・青色ダイオード開発者・中村修二氏が21世紀型技術者のあるべき姿を示す。
・ゲストの語る21世紀を北九州の未来に重ねるパネルディスカッション。
 ポール・サフォー氏/中村修二氏/シモダユウスケ氏 ほか
・KIT&E交流会(18:30~ \3,000)
 ITベンチャー&起業家が混沌の中から湧き出してくる!
 ゲスト陣も参加する交流会は、そこいらじゃ聞けない話の宝箱。

4月22日
・あん算KidsWorld2001【同時開催】
 日本が世界に誇るテクノロジー「あん算」の天才たちが脳内仮想計算機の
 驚異のパフォーマンスを見せつけます。
・シーマンの開発者・斎藤由多加氏がメガヒット発想の根源を開示。
・アイボの開発者・北野宏明氏がロボットの夢を紡ぐ。
・「こだわり」をキーワードに起業家魂を語り尽くすパネルディスカッション。
 ポール・サフォー氏/斎藤由多加氏/北野宏明氏/美縞ゆみ子氏 ほか

●展示会
特別展示 4月21日~22日
小平尚典写真展「IT革命の先導者たち」e-face
ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブスなどIT革命の先導者達、全32人、超至近
距離から素顔に肉迫。

主催/キット・イー フォーラム実行委員会、北九州市、(財)九州ヒューマ
ンメディア創造センター、(財)北九州コンベンションビューロー、MAF、北
九州テレワークセンター自治会
後援/九州総合通信局、九州経済産業局、北九州商工会議所 他

北九州テレワークセンター開設1周年記念事業
財団法人九州ヒューマンメディア創造センター設立5周年記念事業

※講演テーマ、イベントの時間などは予告なく変更する場合があります。

●北九州IT&アントレプレナーズ KIT&E(キット・イー)

『KIT&E』とは北九州IT&アントレプレナーズ(起業家)の略称です。KIT&Eと
書いて「キット・イー」と読みます。「きっと良い」と言う意味や
『KITAKYUSHU』からKITを抜粋して&Eで『北九州へ来て(KITE)!』と言う意味
など様々な思いが含まれています。

北九州テレワークセンターに入居している企業や個人経営者が中心となり立ち
上げたもので、今後、同業種・異業種交流会などを通じ、地域経済活性の起爆
剤になるべく、ベンチャー起業・SOHO・投資家・あるいは新規事業を試みる企
業などとの間に、人脈的ネットワークを形成することによって、北九州発のビ
ジネス創出を目標としています。

▼21日の交流会は、ゲストスピーカーも参加され、有料になっておりますが、
フォーラムの講演は無料とのことです。エントリーは、http://www.kit-e.org/
からですが、北九州市が開設しているインキュベート施設北九州テレワークセ
ンターからの参加申込も可能とのことです。
http://www.k-twc.gr.jp/

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■編集後記(04/13)
・政治の話ではなく顔の話である。どうして政治家ってろくな顔してないんだ
ろう。歴代総理でまあまあ風格があり押し出しのきく人といえば佐藤栄作、ナ
カソネ、角栄くらいで、あとは一国の代表としてはほとんど恥ずかしいくらい
の顔だらけ。今回の総裁選の人たちを見よ。カメ、悪相、下品。アソー、悪相、
育ちのわりに下品。リュータロー、総理の器量ではない番頭顔、あの落ち着き
払ったポーズの言いようには虫酸が走る、戦犯。一番若いのが変人ことコイズ
ミで、どうみても総理顔ではない(がマシなほう)。オブチだってはじめは平
成おじさんの軽さだったが、最後には政治家らしい凄みが出てきたのだから、
コイズミがベター。あ、これ政治の話じゃないですよ、顔の話。そういえば、
毎朝新聞に出てくるモビット(なんじゃ? これ)の竹中直人、藤吉郎のつも
りなんだろうが、みけんの皺、無精ひげ、なんともむさくるしいったらないと
うようこ。いいかげんにこんなきたない広告はやめてほしいものだ。(柴田)

・経験によってわかってくるのだろうけれど、面倒になりそうな仕事を、どう
やって先回りしてトラブル回避させるかが大切。向こうが出せる金額は決まっ
ているんだから、余計な時間で単価を下げる必要はない。一番やっかいなのは
修正で手間取ることなんだもの。ずるずる引きずられて他の仕事を圧迫する。
仕事の質も下がり致命傷になる。修正理由も「社長がやっぱり●●な感じがい
いって」など百八十度転換しないといけないようなもの。社内で意見統一して
おいてくれよぅ。いやいや、それを予測・確認できなかった私が悪い。またそ
の「●●な感じ」が曖昧で思いつきだからふりまわされる。そうなるとドツボ。
だからまず今の自分が知りたいのは、どうやったらスムーズに仕事をしていく
のかというトータルなワークフロー。仕事の進め方。Julesさんの「プロフェ
ッショナルwebプロデュース」なんてとても勉強になった。代理店やSOHO、フ
リーの人は読んでおいた方がいい。つづく。        (hammer.mule)
http://home.att.ne.jp/sun/jules/books/ISBN/4886472222/
・島田氏曰く、「『明日があるさ』の元歌はいい歌詞だけど、テーマソング
オブ ストーカーだよね」

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発行   デジタルクリエイターズ
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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
        森川眞行 

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 担当:濱村和恵
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Macky!<http://macky.nifty.com/>、カプライト<http://kapu.cplaza.ne.jp/>、
Pubzine<http://www.pubzine.com/>、E-Magazine<http://www.emaga.com/>、
melma!<http://www.melma.com/>のシステムを利用して配信しています。

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許可なく転載することを禁じます。
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