[0866] 無常と諦観

投稿:  著者:  読了時間:23分(本文:約11,200文字)


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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0866    2001/05/25.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 18139部
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 <自前の人生を自分で生きていくしかない>

■デジクリトーク
 無常と諦観
 十河 進

■デジクリトーク インターネットの紆余曲折(8)
 イタリアからのお客さん
 8月サンタ

■新刊案内&プレゼント
 新ムック誌創刊「Web Site Design」vol.1
 
■セミナー案内
「ヒットするWebサイト、成功するネットビジネス 」



■デジクリトーク
無常と諦観

十河 進
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●読者に迷惑な小説

乙川優三郎の「喜知次」が文庫本で出たので、電車の中で再読するために購入
した。以前に単行本で読んだ時にはラストで涙がとまらなくなった。藤沢周平
が亡くなって新作が読めなくなっていたので、乙川優三郎には期待し、その後
の新作はほとんど読んでいるが、今のところ「喜知次」を越える作品はないと
思う。

「喜知次」は藤沢周平の「蝉しぐれ」がなければ書かれなかった小説ではない
かと思う。乙川さんは「山本周五郎を愛読している」とは言っているらしいが、
藤沢周平にはあまり言及していないようだ。ただ、僕は「喜知次」を読んでい
て、その状況設定や道具立てにしきりに藤沢周平の作品を思い出した。

藤沢周平作品を集中して読んだ時期がある。10年ほど前のことだろうか。「風
の果て」という小説から入り、後期作品のほとんどを読破した。僕は下級武士
が主人公の作品が好きで、特に海坂藩を舞台にしたものは城下の風景もおなじ
みで、しみじみとした気分になれる。

大学時代の友人が20年以上前に、売れなかった頃の藤沢周平の担当編集者だっ
た。小さな出版社で主な売れ筋は宇野鴻一郎や川上宗薫などのポルノ小説だっ
たが、そうした本を出しながら彼は売れない頃の藤沢周平宅に通っていた。

その頃、僕は彼から藤沢周平の短編集を何冊かもらったことがある。装丁や本
の作りにはどこかチープさが漂う本だったが、彼が一生懸命に作った本だった。
「絶対に、この作家は売れる。よくなる」と彼は力説した。

藤沢周平が売れるのは「用心棒」シリーズ、「隠し剣」シリーズからである。
しかし、売れ始めた頃には、彼の小さな出版社ではなく文藝春秋や新潮社から
本が出るようになっていた。

僕が初めて藤沢周平を読んだのは、大学生の頃だった。「木枯らし紋次郎」シ
リーズが月刊「小説現代」に連載されていた頃で、僕は時々買っていたのだが、
ある時、藤沢周平の短編が掲載された。直木賞を取る以前のことだった。

なんて暗い小説だ、と僕は思った。エンタテインメントであるはずの中間小説
誌にこんな暗い話を載せていいのか、と心配した。話は悲劇的で救いがなかっ
た。悲劇的ではあったがカタストロフィによる魂の浄化はなく、ただただ心が
沈んだ。その時の短編の内容もタイトルも忘れてしまったが、しばらく落ち込
んだ気分は今でも覚えている。

藤沢周平はこう書いている。

──私が小説を書き始めた動機は、暗いものだった。書くものは、したがって
暗い色どりのものになった。ハッピーエンドの小説などは書きたくなかった。
はじめのころの私の小説には、そういう毒があったと思う。時代小説を選んだ
理由のひとつはそこにあって、私は小説にカタルシス以外のものをもとめたわ
けではなかった。私はそれでいいとして、読者はきっと迷惑だったに違いない。

その迷惑した読者のひとりが僕だった。当時、藤沢周平はオール読物新人賞を
受賞し、毎回、直木賞候補にあげられながら落選を繰り返していた頃で、長い
長い結核の療養を終えて社会復帰したものの業界紙のマイナーな世界で生活し、
最初の妻を喪うという過去を背負って小説を書き始めたのだった。

僕は救いのない暗い話を読む気にはなれず、友人からもらった藤沢周平の作品
集も本棚に差し込まれたまま時が過ぎていった。その後、藤沢周平の愛読者の
同僚から本を薦められたこともあったが、僕が自主的に読み始めたのは「風の
果て」が出てからである。

●「ながい坂」と「風の果て」

最近、平凡社新書で「時代小説の楽しみ」という本が出た。その中で「走る哲
学者」の原章二さんが「時代小説の美と思想──山本周五郎『ながい坂』と藤
沢周平『風の果て』を読む」という長い文章を書いていて大変面白く読んだ。

乙川優三郎の「喜知次」が藤沢周平の「蝉しぐれ」がなかったら書かれなかっ
たと思わせるように、藤沢周平の「風の果て」も山本周五郎の「ながい坂」が
なければ書かれなかった小説ではないか、と僕も最初に「風の果て」を読んで
思った。

山本周五郎の最後の長編作品「ながい坂」を読んだのは、本が出てすぐの頃だ
から僕は高校生だった。若き中村吉衛門が主人公を演じてテレビドラマ化され
た記憶がある。

細かなところは忘れてしまったが、未だに読後の印象が鮮明な小説のひとつで
ある。読後、「ああ、これが人生というものなのだ」と僕は感慨深く天を仰い
だものだった。少なくとも17歳のまだ人生を知らぬ少年に人生の深みを感じさ
せる作品ではあった。現在、新潮文庫で出ているが、その文庫カバーの宣伝コ
ピーを引用する。

──徒士組という下級武士の子に生まれた小三郎は、八歳の時に偶然経験した
屈辱的な事件に深く憤り、人間として目ざめる。学問と武芸にはげむことでそ
の屈辱をはねかえそうとした小三郎は、成長して三浦主水正と改め、藩中でも
異例の抜擢をうける。若き主君、飛騨守昌治が計画した大堰堤工事の責任者と
して、主水正は、さまざまな妨害にもめげず、工事の完成をめざす。(上巻)

──異例の出世をした主水正に対する藩内の風当たりは強く、心血注いだ堰堤
工事は中止されてしまうが、それが実は、藩主継承をめぐる争いに根ざしたも
のであることを知る。”人生”というながい坂を人間らしさを求めて、苦しみ
もがきながらも一歩一歩踏みしめていく一人の男の孤独で厳しい半生を描いた
本書……。(下巻)

一方、藤沢周平の「風の果て」は文春文庫で出ているが、同じく文庫カバーの
宣伝コピーを引用してみよう。

──主席家老・桑山又左衛門の許に、ある日、果し状が届く。恥知る気あらば
決闘に応じよ、と。相手は野瀬市之丞。かつては同じ部屋住み・軽輩の子、同
門・片貝道場の友であるが、市之丞は今なお娶らず禄喰まぬ”厄介叔父”と呼
ばれる五十男。……歳月とは何か、運とは悲運とは? 運命の非情な饗宴を隈
なく描く、武家小説の傑作!(上巻)

──かつての軽輩の子は家老職を占めるに至る。栄耀きわめたとはいえ執政と
は孤独な泥の道である。策謀と収賄。権力に近づいて腐り果てるのがおぬしの
のぞみか、市之丞は面罵する。又左衛門の心は溟い、執政などになるから友と
斬り合わねばならぬのだ……。逼迫財政打開として荒地開墾の鍬はなお北への
びている。(下巻)

ふたつの小説は、梗概を読む限りにおいては非常に似ているかのように思える
が、読後感はずいぶん違う。いや、ふたりの作者が人の生涯を見つめる目がま
るで違うと言ってもいいだろう。あるいは、「ながい坂」が終わったところか
ら「風の果て」は始まっているのかもしれない。

●「風の果て」にあるものは

「風の果て」は藤沢周平が56~57歳の時に連載されている。功なり名遂げた時
点での悠々とした時期の仕事だ。暗い鬱屈はすでに作者から去っている。ここ
にあるのは「どんな人生も過ぎてしまえば過去の思い出になってしまう」とい
うある種の諦観である。

59~60歳の時に書かれた「蝉しぐれ」が青春の惜別感に溢れているのに比べ、
「風の果て」は主席家老という藩権力の座に登り詰めた男の回想という構成が
一種の無常観を漂わせている。

主人公は権力の中枢に登り詰める。藩の中の最高決定権を持つ地位である。そ
こまでくるのに、彼は最後に若き日の友人と争い相手を失脚させる。その権力
を握った日、彼の許に永年の友人から彼の堕落を糾弾する手紙が届く。

彼は、その友人を捜して心当たりの場所、友人たちとの思い出の場所、共通の
友人たちの家を訪ね歩く。その探索行を現在時として、彼は若き日を思い出す。
仲間だった五人の若者たち。青春の鬱屈を感じ夢を語る日々、である。彼らに
は等しく30年の月日が流れていった。

彼らは否応なく大人の世界に組み込まれていく。ひとりは家柄のよいエリート
として約束された階段を昇り藩政の中心を担う。ひとりは貧しいながら確実な
人生を歩み、ひとりは年上の女に関わって身を滅ぼす。生涯独身のまま拗ね者
のように生きてきたひとりは、今、最も厳しい糾弾者として主人公の前に立ち
ふさがる……。

すべてが終わった(結果が出てしまった)時点から過去を振り返る時、人は何
を思うのだろう。

「風の果て」の主人公・又左衛門は、貧しい生活ながら堅実に生きてきた普請
組の庄六を訪ね、彼が不在のまま「かつて庄六に役目替えをさせ禄高も増える
ように計らおうとしたが断られ、内心は友だちのひきで禄高が増えるのは好ま
ぬというふうに見えた庄六のことを少々腹を立てた」とその妻相手に述懐する。

だが、現在の又左衛門は「むろん、人間の幸、不幸は禄高の多寡で決まるわけ
ではない。そんなあたりまえのことをさとるのに、わしは随分と回り道をした
が、ご亭主の方ははやくからそのことに気づいておったようだの」と語る。

ここには、権力を極めた男の安心感を保った本音のようなものがうかがえる。
彼が語る思いは嘘ではない。だが、それは彼が現在、主席家老であるという自
信が与える回顧でもある。庄六自身が、自分の人生を振り返って、そう単純に
思うことはないだろう。

この時、最も印象的なのは「庄六はふだんはおだやかな男だが、何かのときに
がんとしておのが潔癖を押し通すことがあった。むかしから変わらぬ性分での。
みすみす損するとわかってそうするのだ」と言う又左衛門に対する庄六の妻の
対応である。

──「思い当たることは、たくさんござります」と言って、
   庄六の妻は肩を前に傾けると、くくっと笑った。

その瞬間、間違いなく又左衛門は庄六が羨ましかったはずだ。損な選択をする
ことを含めて夫を理解してきた妻──夫の生き方のこだわりを理解してくれて
いる妻──そんな存在があれば、普請組の辛い仕事も貧しい生活も耐えられる
に違いない。

市之丞との果たし合いを終えた又左衛門は再び庄六を訪ねて言う。
「庄六、おれは貴様がうらやましい」
だが、庄六は突き放すように言う。
「うらやましいだと? バカを言ってもらっては困る」

自分の人生は自分で引き受けるしかない。理不尽な運命から逃れることもでき
ないし、誰かの人生を羨ましがってもそれが自分のものになることはない。と
にかく自前の人生を自分で生きていくしかない。

彼は再び決意する。異例の出世をし藩の最高権力者になった、人から見れば羨
ましがられる彼自身の人生を生き抜くことを……。そこには、権力者の孤独や
寂寥感を再び引き受ける覚悟があり、この世は無常だという諦念がある。

ところで、藤沢周平が逝去してしばらくたった頃に文藝春秋から「藤沢周平の
すべて」という追悼本が出た(最近、文庫化された)。昔、藤沢周平担当をし
ていた僕の友人はそこに「先生の書斎のことなど」という追悼文を寄せている。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。乙川さんが山本周五郎賞を受賞したらしい。けっこうなことです。
乙川さんも森村誠一と同じで、40頃までホテルマンをしていたのではなかった
かな。時代小説を書くにはやはり年季がかかるのだろう。

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

藤沢周平 海坂藩逍遙
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/unasaka/unaidx.html

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■デジクリトーク インターネットの紆余曲折(8)
イタリアからのお客さん

8月サンタ
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<前回までのあらすじ~私、8月サンタは、ある経緯から日本の紙加工用機械
をフィンランドに輸出するプロジェクトのお手伝いをすることになった。
だが仲介者のGによって、事態は非常に錯綜していたのだった・・・>

●イタリアからお客さんがやってきた

話はまた98年に戻る。インド出身のフィンランド人、精力的なビジネスマン、
Gは日本での滞在中に、ヨーロッパから客を呼びつけていた。結構懐は苦しい
だろうに、気前のいいことだ、と思っていたら、その客は自費で静岡のS製作
所の機械を見に来るのだった。

ややこしい交渉の最中だったが、静岡から新関西国際空港まで、その客を迎え
にいくことになった。これで半日はGから解放されると思うと、正直ほっとし
た。関空にローマからの便で到着したのは、イタリアのルッカからやってきた
ペリーニ氏、その甥っ子のマッシミリアーノ・ペリーニ、そしてペリーニ氏の
秘書の女性だった。

ペリーニ氏はジョージ・ルーカスにそっくりな、陽気なおじさんだった。到着
して握手を交わすなり、回りをあおいで、大きな声で「レンゾ・ピアーノ!」
と言った。勿論、関西新空港を設計したイタリア人のデザイナーだ。しかしこ
の人は基本的にイタリア語しか喋れないので、会話は殆どこういう調子なのだ
った。お互いに、知ってる単語を叫び合うだけ(笑)

同行の秘書は40絡みのカトリーヌ・ドヌーブをおばさんにしたような女性で、
亡命クロアチア人だった。英語、イタリア語、フランス語を完璧に話す。当時
コソボの内戦の真っ最中で、どこか暗いかげがあるような感じだった。

そしてペリーニ氏の甥っ子、ちょっとトム・クルーズに似た、小柄でシャイで
黒い髪の27才、マッシミリアーノは合気道の師範をやっており、ずっと日本に
憧れていた。マッシと私はこのときから、今もずっと続く友人になった。

ところで、今回私は日本のS社長から、こんな話をこっそり聞いた。

「亡くなった親父が言ってたんだが、世界には、商売相手として、選んじゃい
けない人種が三つある。中国人、インド人、イタリア人ってね」

こう言って社長は苦笑したのだったが、インド人はもうたくさん、今度はイタ
リア人か、と内心思っていたのは確かだった。イタリア人というと時間や約束
にルーズで、女の子を口説いているか、やかましく食事をしているか、カンツ
ォーネを歌っているようなイメージがある。みなさんもそうでしょ?

しかし、これはまさに「偏見」だった。イタリアからのお客さんは、嬉しく期
待を裏切ってくれた。

●Luccaからやって来たお客さん

デジクリMLにはいろんな国の人が参加していて心強い。彼らの街、Luccaとは、
イタリア在住のMidoriさんによれば、小さな街で、ヨーロッパで、外敵から身
を守るために、まるごと城壁ですっぽり包まれた街がありますよね? Lucca
はその城壁が全て残っている街ですよ、とのことだ。

ちなみにこの街は日本とつながりがある。ヨーロッパ最大の漫画のお祭り、
「ルッカ・コミックス」が街を挙げて開かれるのだ。Midoriさんによればかれ
これ20年になるそうで、コスプレなど非常に盛んで、日本のコミック、アニメ
が大人気なのだという。毎年11月に開かれるそうで、是非今年は行ってみたい
と思う。Midoriさん、情報をありがとうございます。

Luccaは場所としてはイタリアの中部より少し北西側、フランス側にある。斜
塔で有名なPisaの近所だ。Gの説明では製紙業が盛んな街で、彼らは長年製紙
用や紙製品加工用の機械を取り扱ってきた、老舗の業者だということだった。

驚いたことに、彼らもウェブサイトを持っており、セールスをインターネット
で当たり前のようにやっていた。別に大きな業者ではない。ペリーニ氏の同族
経営の小さな会社だ。サイトには英語と伊語の両ページが用意されており、プ
リントすれば彼らがどんな仕事をしているのか、ひとめで理解することが出来
た。1998年、彼らにとってウェブサイトとは、新しい可能性だとか流通革命だ
とか言うことでなく、当たり前の情報ツールとして使いこなされているような
印象を受けた。

ところで、甥っ子、マッシミリアーノ青年と私はあっという間に仲良くなった。
彼は合気道を極めたいと願っており、その総本山の日本を訪れることは長年の
夢だったらしい。またパソコンにも強く、兄貴はイタリアでは一日10時間チャ
ットにふけるどうしようもないオタクだということだった。(イタリアに接続
環境で負けていることが大ショックだった。当時そんなことをしたら破産する
のは明らかだった)

このペリーニ氏、マッシミリアーノ、秘書女史の三人組は本当に、私が抱いて
いたイタリア人のイメージを覆してしまった。物静かで、時間に異常に正確で、
旅慣れていて、手の掛からない人々だった。朝、ホテルのロビーには5分前に
は必ず待っていた。出された食べ物はなんでも喜んで食べてくれた。実は先に
来ていたインド人のGはもの凄い偏食で、全員の食事は常にファミリーレスト
ランで、Gはステーキかピザと、コカコーラとビール以外全く口にしなかった。
ホスト役のS社長は、ビジネスはビジネスで、夜はお客として彼をもてなそう
といろいろ気を配っていたのだが、ちょっとどうしようもなかった。

そこに何でも喜んで楽しんでくれるお客が現れたので、S社長は喜んで、連夜
いろんな料亭に私たちを招いてくれた。Gは殆ど何も食べられないので、仲居
さんに頼んでポテトか何かをフライにしてもらって、テーブルのすみで恨めし
そうにつまんでいた。

●santa誕生!

ところで、彼らに一番驚いたのは、「全員サッカーに興味がなかった」ことだ
った。1998年の4月末といえば、日本は殆どワールドカップ一色に染まってい
た。神田敏晶さんもフランスでひどい目にあっているところをKIPというメル
マガでリアルタイムに送ってくださっていた。私の職場でも会社を挙げての大
規模なトトカ●●ョが進行しており、私はイタリアとクロアチアの代表選手全
員の名前を覚えていたが、秘書女史に「日本は最初にクロアチアと当たるんで
すよ」と言ってもあまり興味のない様子で、ペリーニ氏には「何でそんな選手
の名前を知ってるんだ? オマエはイタリア人か?」と言われる始末だった。

実はイタリア人と言えばアモーレ・マンジャーレ・カンターレの他はサッカー
のことしか考えていないと思っていたので、これは本当にひどい偏見だった。
イタリアの人、本当にごめんなさい。心より謝ります。

彼らにS製作所とその機械を紹介すると、感銘を受けてくれたようだった。彼
らは商談その他を済ませると、東京に滞在することになっていた。Gよりも少
し長く滞在するので、その間、私が東京での案内役を引き受けることになった。
こんな静かで気持ちのいい人々なら大歓迎だ。

そして、私の名前が、一応キリスト教のSaintsに当たるということを話したと
き、彼らは全員で言った。「Oh, Santa!」
私の名前はイタリア語で言うとサンタなのだった。このとき、私の芸名が決ま
ったのだった。ちなみに「8月」はもちろん8月生まれだから。

●インターネットの紆余曲折

さて、だらだら続いているこのコラムだが、このイタリアからやってきたマッ
シミリアーノ、愛称マッシが私の生活と考え方を変えてしまったのだ。すぐに
仲良くなれたのは、相手が日本と日本人に敬意を抱いてくれているから、とい
うことの他に、お互い年も近く、そして夢もあって、しかし貧乏で無力だった
からだと思う。マッシとはイタリアに帰った後も、頻繁にメールをやりとりし、
お互いの近況を報告し合ったり、お互いの友人がお互いの街を訪問するときは、
面倒を見てくれるよう頼むようになった。

つい先月もマッシの紹介で、パリから合気道のレッスンに二人のフランス人が
やってきていた。一人はすれ違いで帰っていったが、もう一人、料理関係の本
のアーティスト、ステファンとは意気投合し、ごちそうしたり、ご馳走された
りした。彼もまた同世代、人に認められる仕事をしようと努力中だった。彼と
もきっと長い間の友達になれるだろう。

次週から、そんなヨーロッパの同世代の連中がどう過ごしているのか、どんな
夢を持っているのか、インターネットで可能になった気軽な付き合い、そんな
ことを1998年の事件に絡めながら、書いていこうと思う。デジクリの読者の方
にも役立つ内容をきっとお届け出来るはずだ。もうしばらくのお付き合いをお
願いしますね。

【8月サンタ】ロンドンとル・カレを愛する32歳 santa@londontown.to
というわけで、書きたいことは一杯あるのだけれど、次週は入門系。「フラン
ス人に聞く、フランス料理はいかが?」お楽しみに!

ロンドン好きのファンサイト
http://www.londontown.to/

▼デジクリサイトの「★デジクリ・スターバックス友の会★」増えたよ!
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プルなテーマを掲げて、この話題をじっくりゆっくり、考えていこうと思いま
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申込方法 メールにてお名前/住所/電話番号/件名「日刊デジクリ0525」と記
入の上 mailto:kyoto@dhw.co.jp までご連絡ください。

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■編集後記(05/25)
・フレッツADSLがつながった。OCNエコノミーも生かしたままADSLの設定をす
るのがこわくて、デスクにファクスやメールでさんざん問い合わせ、やさしく
教えてもらったおかげで両方が使えるようになった。午前、午後に3回ほどス
ピードのテストをしたが、約800出ているからいい方だと思う。あとは折りを
見てOCNエコノミーを解約してOCN ADSLアクセスフレッツプランに乗り換えだ。
ネット代が一気に1/6近くになる。いままで贅沢三昧だったんだなあ。(柴田)

・フレッツADSLには、接続ツールなるものが存在すると聞いてびっくりした。
ODNのJ-DSLにはそんなものはない。手動での接続処理や切断処理なんて必要な
いから、DION常時接続の時と同じ感覚で使える。ただ最近、いっじょーに遅い
時があるので、原因を問い合わせているところ。ネット代半年分でマシンがラ
クラク買えた。でも回線が繋がっていないと仕事にならなかったのよん。いろ
んな人の知識や交流に支えられている。次は光だ~!    (hammer.mule)

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
        森川眞行 

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