[0923] ゴーギャン伝説の誘惑?

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0923    2001/08/31.Fri発行
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 <完璧な人生なんてない>

■デジクリトーク
 ゴーギャン伝説の誘惑?
 十河 進

■デジクリトーク
 アルメニアの深さ
 東 知世子(モスクワの関西人)



■デジクリトーク
ゴーギャン伝説の誘惑?

十河 進
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●芸術家の魂は一般市民にはわからない?

かつて、芸術家は市民生活のアンチテーゼとして存在した。つまり、普通の生
活人として送る人生と芸術家としての人生は相容れないもの、対立するものと
して認識され、芸術に殉じるためには幸せで安定した普通の生活を放棄しなけ
ればならない、あるいは諦めねばならないものと思われていた。

先日、「月と六ペンス」を読了した。サマセット・モームがゴーギャン伝説に
インスパイアされて書き上げた長編小説である。「『月』とは「人間をある意
味での狂気に導く芸術的想像情熱を指すものであり、『六ペンス』はストリッ
クランドが弊履のごとくかなぐり捨てた、くだらない世俗的因習、絆等を指し
たものであるらしい」と翻訳者の後書き(ひどい日本語ですね)にある。

ストリックランドとはゴーギャンをモデルにした主人公だが、この小説で「弊
履のごとくかなぐり捨てられるくだらない世俗的因習、絆」とは、彼が若くし
て結婚した妻であり、彼が生ませたまだ成人しないふたりの子供たちである。
もっとも、彼らが自らを「くだらない世俗的因習」だと自覚していたかどうか
は不明である。

この小説の中で主人公は40過ぎまで株式仲買人として目立たず地道に暮らして
いるのだが、ある日、突然に妻子を捨ててしまう。語り手である「私」は「画
家になる」と言う主人公に「奥様やお子さんが、乞食をなすってもかまわない
とおっしゃるんですね」と問いかけるが、主人公は「ふん、勝手にするがいい
さ」とうそぶく。

小説家の福永武彦は「ゴーギャンの世界」で「この孤獨な畫家は、妻子を棄て、
家庭を棄て、職を棄てて自分の好むところに専心したエゴイストであると、一
般に考へられてゐる」と書いている。実際のゴーギャンには五人の子供があっ
た。その妻子をゴーギャンは絵画のために棄ててしまう。

───彼の藝術は、要するに得たもの(藝術)と喪つたもの(市民生活)との
長い闘ひといふことが出来る。

福永武彦は、彼についてそう一言で要約する。あるいは、象徴的に把握する。
ここでも芸術と市民生活は対立するものとして認識されている。

昔、トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」という小説を読んだことがある。
簡単に言えば、詩人の魂(芸術)と一般市民(生活)との対立、あるいは相容
れない精神世界をひとりの人間の少年時代から描いたものだ。

ルキノ・ヴィスコンティが映画化した「ベニスに死す」(1971/130分)もト
ーマス・マンの原作で、ここでは芸術家の魂の遍歴がさらに深化したテーマと
して描かれた。

僕は「トニオ・クレーゲル」にも「ベニスに死す」にも感銘を受けたが、しか
し、芸術家の魂を持った人間は世俗的な一般市民には理解されないと思い込ん
でいる芸術家のエリート意識が鼻についたのも事実だ。

世の中には芸術家の精神を理解する多くの人々がいるから、「トニオ・クレー
ゲル」は名作として残っているのだし、トーマス・マンも本が売れて飯が食え
たのだ。読者をバカにしてはいけない、と思う。それとも、彼が想定した市民
とは、文学作品も読まず、美術に感銘せず、音楽も理解しない人間たちなのだ
ろうか。

僕には、そんな人間たちがいるとは思えない。人々は美しいものを見たいと思
うだろうし、心が癒される音楽を耳にしたいはずだ。時には、精神が浄化され
る文学を読みたいと、飢えるように魂が求めるはずである。

●ライオンの哀しい知性的な目に惹かれる

その絵を見た時に、僕は何を感じたのだろうか。今も明確には語れない。しか
し、何かが僕を捉えた。その絵が発するものの正体はわからなかったが、見知
らぬ国への憧れ、あるいは夢、想像、ロマンティシズム、オリエンタリズム、
そんなものが伝わったのかもしれない。

いや、今から振り返れば、その絵を描いた男の気持ちが伝わってきたような気
がする。もちろん、その時には僕は彼がどのような生涯を送ったのかは知らな
かった。しかし、その絵には芸術家の魂が存在したし、その絵を描くことで解
放されていく描き手の魂の救済も感じられた。

明らかにリアリズムの絵ではない。しかし、絵そのものは、リアルに細かなと
ころまではっきりと描かれている。その時に、ゴーギャンのタヒチの絵を思い
出した。ゴーギャンが楽園幻想に囚われていたかどうかはわからないが、彼の
タヒチの絵はあくまでも彼自身が見て描いたものだった。

しかし、その男の絵は、明らかに彼自身が見たことのない世界を描いていた。
砂漠で眠るジプシーの女。枕元にはマンドリンのような楽器と壺が置かれてい
る。女の服も敷いた布もカラフルな縞模様で描かれ、この暗いトーンの絵の中
に夢の世界を感じさせる配色になっている。

その眠るジプシー女を覗き込むようにしている動物は一体、何なのだろう。ラ
イオンのようにも見えるが、奇妙な姿だ。たてがみは細密に描かれているし、
尻尾もライオンを連想させる。しかし、小さく光る目には知性を感じさせる何
かが描き込まれている。天空に描かれた月には、きちんと影が描かれ、見方に
よっては人の顔が浮かんでいるようでもある。

別の絵には、ジャングルの中に立つ笛を吹くシルエットの女が描かれる。葉っ
ぱのひとつひとつ、水辺の植物は精細に描かれ、頭上の枝からは巨大な蛇が鎌
首をもたげている。そこでも満月が、どこにも存在しない画家の頭の中にだけ
ある世界を見下ろしている。

「眠るジプシー女」と題された絵は1897年に描かれ、「蛇使いの女」と題され
た絵は1907年に描かれている。どちらも、その画家の代表作である。ふたつの
絵には10年という時間の隔たりがあるが、画家の憧れはその10年間、まるで変
わっていなかったかのようだ。

その絵を描いた男、アンリ・ルソーは1844年にフランス北西部のラヴァル市に
生まれ、1910年の9月にパリの病院の大部屋で死んだ。ゴーギャンより4年早く
生まれ、7年早く死んだ。9人の子供が生まれたが7人は幼くして死に、ひとり
は18歳で死んだ。たったひとり残った娘を嫁にやり、妻は1884年に死んだ。

ルソーはパリ税関の下級官吏として勤めあげ、40歳を過ぎてから絵を描き始め
た。彼が絵を始めたのは1880年代の半ばである。セーヌ川に停泊する万国旗を
掲げた船を背景にし、遠近法が間違っていると言わしめた巨大な己の姿を描い
た、あの有名な自画像は1890年の作品である。

彼は死ぬまで素人の日曜画家だった。

●ゴーギャン的生き方とルソー的生き方

僕はここでゴーギャン的生き方を非難し、ルソー的生き方を肯定しようと思っ
ているわけではない。人の生き方はそれぞれだ。ゴーギャンはゴーギャンとし
ての生涯を生きたのだし、ルソーはルソーとしての人生をまっとうした。その
生き方を比較しても意味はないし、非難したところで仕方がない。どんな人の
人生に対しても毀誉褒貶はある。完璧な人生なんてない。

しかし、ゴーギャンは妻子を棄ててタヒチに行かなければ、おそらくその作品
を生み出すことはできなかった。彼の内部でマグマのように吹き上げてくる情
動が、彼に穏やかで落ち着いた人生を選ばせなかったのだろう。その彼の人生
は不滅の作品を生みだした。

ゴーギャンのような人生を送る中で生み出されてきたものもあれば、ゴッホの
ように狂気の中で描き出されたものもある。あるいは、ピカソのように生前か
ら名声に溢れ莫大な財産を手中にし女たちを愛し長寿をまっとうしながら、膨
大な作品を残した芸術家もいる。

しかし、彼らは芸術を誰かのために創り出しているのではない。芸術家は皆、
やむにやまれぬ創造への情熱に駆られてエゴイスティックにそれに向かって突
き進む。その時、彼は周囲の人間のことなど考えてもいないだろうし、自分が
創り出したものによって救済されるかもしれない不特定多数の人間のことなど
想像さえしないだろう。

そこで、ルソーである。どちらかといえば彼は芸術家らしくない人生を送った
と言われる。芸術家らしく奔放に生きたわけではなく、妻子を愛し、たったひ
とり残った娘を嫁にやり、絵画塾などを開きながら老後を送り、穏やかな生活
の中で作品を描き続けた。そのことが、彼の絵画に対する情熱を疑わせるのだ。
本当の芸術は、そんな風にバランスの取れた穏やかな人生の中からは生まれな
いのではないか、と。

だが、そこには芸術家=奔放・放浪者・女遍歴・自堕落といったステレオタイ
プの思い込みがある。同時に、本当に自分のやりたいこと(夢)があるのなら、
そのことだけに向かっていくべきだ、それが正しい生き方なのだ、という画一
的「夢礼賛主義」の考え方がある。夢を貫き、夢を実現する人生が最も尊いの
だという口当たりの良い人生論である。

自分の夢のために妻子を犠牲にしたのなら、そして、その結果、素晴らしい作
品を生み出したのなら世間は彼を糾弾しない。なぜなら「彼は芸術家であり、
夢を実現したから」だ。自分の夢のために妻子を犠牲にしたけれど、何の作品
も生みださなかった人間は単なる「傍迷惑な生活破綻者」としか見られない。

僕にも若い頃の夢といえるものはあった。夢をつぶすように生きてきたつもり
はないが、いつの間にか自分の限界も見えたし、日々の仕事や生活に追われて
それを放棄し努力を怠った。格好良く言えば、いつの間にか仕事が面白くなり、
仕事での自己実現をめざしたことで若い頃の夢を喪ったのかもしれない。

しかし、何かのために自分の夢を犠牲にしたとは思わない。それは夢を叶えら
れなかった自分自身への言い訳にしか過ぎない。

まして妻子のために本当にやりたかったことを我慢してきた、などというのは
自己欺瞞だと思う。なぜなら、本当にやりたいことと安定した(妻子を養える)
生活を比較して、安定した生活を棄てきれなかったのは自分自身であり、その
選択の責任は己にあるからだ。

結局、人は生きてきたようにしか生きてこれなかったのだ。日々、迷いながら、
後悔することを怖れながら、それでも自分で人生を選択して生きるしかない。
何かが自分の人生から喪われていくことを感じながら、長い時間が奪い去って
いく何かを自覚しながら、それでも生きていくしかないのだろう。

しかし、と僕は思う。
ルソーは、一度もゴーギャンのような生き方に憧れなかったのだろうか。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。住んでいるのが巨大な団地なので、町内でやっている「ふるさと
祭り」も規模としてはかなり大きい。中央にあるグラウンドでは花火大会が行
われる。しかし、夏祭りはいつも8月最後の週で、何となくもの哀しい。

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

ネットギャラリーとオリジナルプリント販売を担当しています。
http://www.genkosha.com/gallery/photo/

アンリ・ルソー
http://shinshu.online.co.jp/museum/harmo/harmo2.htm
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/000624.htm
http://www.infonet.co.jp/apt/march/library/Rousseau.html

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■デジクリトーク
アルメニアの深さ

東 知世子(モスクワの関西人)
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そして、関西人・アルメニア話はまだまだ続く。

なにを隠そうモスクワの関西人は、高校時代から民族音楽にはまっていた。神
戸時代、「民族音楽」と名が付くものならアジア・アフリカ・ヨーロッパ、ほ
とんどなんでも構わず、必ず出向いていたものだ。

元YMOの細野さんが編集した民族音楽CD全集を、「今のうちやで、あたしに投
資できるのは」と父を脅迫して買わせたのも、ちょうどその頃だった。

とにかく、それだけ高まった民族音楽熱、モスクワに来ても、そう簡単に冷め
るわけもなく、芝居に通う日々の合間を縫って、ロシア民謡はじめ、さまざま
な民族関係音楽、カフェっぽいレストラン、ブリヤート民族系からアラブ・ム
スリム系のインスタント・ディスコまで怪しく潜入して、経験を重ねてきた関
西人が、太鼓判を押すのが、このアルメニア民族の音楽!!

モスクワはロシアの首都やし、ロシア民謡で十分と思っとったら、とんでもな
い。長いこと、ちゃっかりロシアにいながら、こんなこと言ったら裏切り者か
もしれんけど、アルメニアの深さは、はまった者しか分かりまへんで。

大体、モスクワは一応ロシアの首都なのだが、いろいろ事情もあって、その時
期、まだレアーだった民族音楽。そのフェスティバル「オリオン・カップ」2
年前はまるでどっかの町の公民館みたいな、ほんまに驚くほどちっぽけな建物
で密かに数日に渡って行われていた。

こんな粗末な建物を改造した、ささやかなホールにソ連時代の歴代書記長に、
直々に招かれて演奏していたという幻の演奏家(あの恐怖のスターリンに、褒
美を遣わされたというほど)。

モスクワでは、ソ連崩壊後ほとんどお目にかかることもなかった民族音楽の巨
匠(?)ジバン・ガスパリャンが来るというのは、にわかに信じ難いものがあ
ったが、それでも、とりあえず、せこく立ち見券で入った関西人は、その出没
をまだかまだかと、待っていたのだった。

集まりの悪いロシア人のことだから、定刻には始まるわけない(それに主催者
は、少しでもじらして多く集めたい)。7時始まりのはずが、30分以上待たさ
れて、ちょうどそばに椅子もあるし、まだ人も少ないし、ほんまは立ち見やけ
ど、座ってまえ!と(ロシアに来てついた悪い癖)思わず座っていたら、隣に
来たおっちゃんが、どうやらアルメニア人。すごく立派な鼻に、太縁メガネ、
なんか古風な顔だ。会場でも、アルメニア人らしき人を数人見かけたがいかに
も最高齢らしき雰囲気。

やれやれ始まりそうな雰囲気になってきたな、と思ったら、この人、急にいろ
いろしゃべりかけてくる、というか親切にもアルメニアの楽器について解説し
始めてくれるのだった。

瓢箪みたいなのに、一弦だけの弦楽器は「あれ、ほんまはバイオリンの原型や
ねんで」とかいろいろ教えてくれて、帰り道には「日本とアルメニアは兄弟や
!」という謎の理論に発展するほど、彼はお喋り好きの老人だった(この話は
また後ほどのネタに置いとくとして)。

●デ・ジャヴみたいな体験

舞台といっても、手が届くほど近くて機材など山積みになった横に、ぎゅうぎ
ゅうに椅子を並べて、5人の演奏者を座らせるという、いかにも居心地の悪い
舞台だが、アゼルバイジャン、キルギスタン、トルクメニスタンと続いたコン
サートの最終日、アルメニアのガスパリャン一行は、にこやかに現れた。

不思議なことに、これまでの出演者で最も有名な人なのに、どういうわけか、
観客との距離感を最も感じさせない、まるで包み込むような、暖かい笑顔では
ないか。今までの、たいして有名でもないのに、いかにも勿体ぶった出演者と、
なんやこっからして天地の差。しかし、この包容力は一体???

演奏が始まるとまず、なにか日本の尺八を思い出させるような、ワビサビの感
じがする音が、まったく形の違う笛から出てくるのに驚いた。しかも、音が似
ているだけでなく、なんとなくその哀愁が今まで聞いた音楽より、もっと深い。
その音が運んでくる世界の深さと渋さは鳥肌が立ちそう。

時を超えてじわーっと効いてくる音、というか。もっと厳密に言うと、深い深
い古代から眠っていた泉の底から沸き上がってくる水の冷ややかさに触れた、
その不思議に厳粛な感触のようなものが、からだ全体に広がっていくような音
なのだ。

この愛惜極まりない音は、古代のアルメニア文化なんて欠片しか知らない関西
人でも、なんだかその空気の中にいると、そのうち、漠然としてはいても、時
の流れを古代に戻っていくような。なんやろう? この不思議な淀みのない流
れは。いつもセーブしている感情にまで、ぐいぐい入ってきてるのに、それで
いて、まったく強引じゃなくて、自然でありのままで、無理してるとこがどこ
にもない。

山のてっぺんで立っているとき、周りになにもない虚空のような状態で、全身
空っぽになって感じている空気みたいに、涼しくて、なにかとてもきりりとし
て、天上からやってきた風みたいに、気が付いたら、その辺を、すーっと吹き
ぬけていってしまってる。

そして、なぜか行ったこともない国の風景が漠然とだけど、脳裏に広がってい
く。このデ・ジャヴみたいな体験、よう考えてみれば、隣のアルメニア人のお
じいちゃんとほとんど同じ感じやんか。もしや、この関西人、前世はアルメニ
ア人か?!

さらに、他の民族音楽だと大体パターンがどうしても同じような曲の繰り返し
になってしまってきて、時間をもたせるのに、けっこう厳しい場合も多かった
のだが、彼らは一曲ごとに喜怒哀楽を転換させて、観客の感情の機微を鋭く誘
導していく。なんというバラエティー!! ひとつのあの、小さなカフカスの
国から来た音楽がこれだけの色彩と、ボリュームを持っているのは、まさに驚
異的!

いやはや、大分前の話から遡ると(一体いつ頃に、それがデジクリに掲載され
たか?)ピアニストのナバサルジャンでも、フランスを代表するシャンソン歌
手になっているアズナブールでもそうやねんけど、なんかしらんアルメニアの
音楽関係者は、人間自体の完成度が高い人が多いようだ。

もう見ているだけで、そこにいるだけで、こっちが癒される。日本流に言えば、
良寛さんみたいなもんか。存在自体の醸す、優しさ、暖かさ、誠実さ、なんか、
今の時代の中では、だんだん失われていきそうなそんな天然記念物級の素直さ
正直さ。心が顔に表れる、まさにその良い方の代表例。

有名になったからといって、それで変わったりせーへんとこがほんまに素晴ら
しい。本物っちゅうのは、どこの世界でもそうや。なにかしら、普遍的な流れ
の中をは生きているからか? 彼らの音楽を聞くと、知らず知らずのうちに、
日頃は無意識に流され、忘れ去られていたものが、心の中に、どっと押し寄せ
てくるみたいに思える。

そして、名状し難い感情となって、熱いものがこみあげ、これでもか、これで
もかと押し戻されてくるようになる。この胸に迫り来るものが一体、なんなの
か? 正直言って、はっきりとは分からん。これを言い表せるようになるには、
さらに、後何回か生まれ変わらなあかんやろう。

しかし、アルメニアに行けば、その根っこにあるものが、まだ、どっかに残っ
てるんとちゃうか?やはりこれは、アララトまで行かねばならぬ・・・密かに、
思いを巡らせる関西人だった。

東 知世子 chiyoko@orc.ru

ロシア演劇・批評家日記
http://www.l-mode.com/diary/new/russian.html

ロシア演劇批評メールマガジン
「ロシア・天井桟敷」公式HP
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5825/tenjousajiki.html

▼あの~こういう「関西人」は特殊なほうじゃないんでしょうか?

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■編集後記(8/31)
・あらら、もう8月も終わりだ。夏休みが終わってから外出3回、それも都内で
会議だ。休み中に3回、あわせて6回しか電車に乗っていない。こういう夏もひ
さしぶり。なんかまた太ったみたいだ。昨夜は、ようやくマンション問題の委
員会を解散した。途中で裏切って分離した連中も呼んでおいたら、まあ自分勝
手なことを抜かしていたが、老人相手ではすっかり寛大になったわたしは、完
璧に論破して満座で恥をかかすのは簡単だったが、武士の情け、我慢した。と
いうか、どうでもいいやと思った。これって人間的に成長したのか? たんに
歳とった証拠か。いずれにしろ、いままでの人生より確実に短いこれから、く
だらないことやめんどうな人間関係にわずらわされるのはごめんだ。気持ちい
いことだけやりたい。好きなことだけに関わりたい。って、老人的?(柴田)

・最近気持ちのいいこと。家事。仕事だといろんな人の都合や思惑があって、
自分の思い通りにならないことが多い。家事は惰性でやっているとしんどいだ
けなんだけど、道具にこだわったり、プロの技を知ると試してみたくなる。や
っつけていく感じがあって、自分がやればやるほど成果が出るから、自己満足
の境地にひたれて楽しい。誰の評価も受けなくていい。あ、仕事に疲れている
のかなぁ。そういや取引先の方は、ストレスが溜まったら冷蔵庫のお掃除を徹
底的にすると言ってはったなぁ。賞味期限の切れた食品を捨てたり、ぴかぴか
に磨き上げるとすっきりするのだそうだ。なんかわかる。家庭のある男性。偏
見じゃなく、珍しいかもと思い追記。           (hammer.mule)

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