[1062] 完全な人間はいない

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1062    2002/04/05.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 20527部
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 <多くの言葉が今の僕を作り上げている>

■デジクリトーク 120
 完全な人間はいない
 十河 進

■金曜ノラネコ便
 ○○さえあればどこだって/アミ棚の上のドラマ
 須貝 弦+堀本真理美



■デジクリトーク 120
完全な人間はいない

十河 進
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●ワイルダーならどうする?

3月28日、ビリー・ワイルダーが死んだ。95歳である。20世紀初頭のウィーン
に生まれ、ナチスの台頭を目にしながらベルリンで映画人としてのスタートを
切り、1940年代から1970年代までハリウッドで最も映画作りの上手い監督とし
て君臨した。
 
ウィリアム・ホールデンを売れっ子俳優にし、オードリー・ヘップバーンとマ
リリン・モンローという両極端の女優を自在に使いこなして、ふたりの代表作
を残した。ジャック・レモンとウォルター・マッソーという絶妙なコンビを創
り出し、映画史に残る名作を多く遺した。
 
彼が自分の人生を語った「ビリー・ワイルダー自作自伝」(文藝春秋)が出た
のが85歳の時だった。翻訳が出版されたのが1996年のことだ。ワイルダーの新
作が見られなくなって10年近くがたっていた。僕は600ページ以上にわたって
語られるワイルダーの人生を読み終えるのが惜しくて、少しずつ読んでいった。
 
人気劇作家の三谷幸喜は、書斎に「ワイルダーに聞け」と書いた紙を貼ってあ
るとエッセイに書いている。ワイルダーが書斎に「ルビッチに聞け」と書いて
あるのを真似ているのだが、朝日新聞のワイルダーの死亡記事にコメントを寄
せているように三谷さんはワイルダーを尊敬しているらしい。
 
ワイルダーが尊敬するルビッチとはエルンスト・ルビッチ。ワイルダーがナチ
スの手を逃れてハリウッドにたどりついた時、師事した名監督である。やはり
ヨーロッパに生まれ、ハリウッドで成功した人だ。ルビッチがグレタ・ガルボ
を主演にした「ニノチカ」の脚本を書いたワイルダーは、多くをルビッチから
学んだ。
 
ワイルダーはドイツで脚本家としてスタートし、生涯「自分は脚本家だ」と言
い続けた人である。彼はストーリーなどにいき詰まった時、「ルビッチならど
うする」と考えた。現場で演出に迷った時もやはり「ルビッチならどうする」
と考えて判断した。彼にとってルビッチとはそういう存在だったのだ。
 
そのルビッチが1948年に死んで葬儀に出た時、友人の「もうルビッチはいない
んだな」というつぶやきに対してワイルダーは言ったという。

──それよりももっと悪いことがある。もうルビッチ映画は見られないんだ。
 
そして今、僕らはワイルダーの新作を永遠に見られなくなった。もちろん、ワ
イルダーは1981年の「新・おかしな二人 バディ・バディ」という映画を最後
に作品は撮っていない。それに「新・おかしな二人 バディ・バディ」は日本
では公開されなかった。
 
それでも、ワイルダーが生きている限り、彼のシニカルなテイストを生かした
作品が生まれる可能性はあった。監督は無理でも、彼の新作脚本が映画化され
る可能性はあったのだ。
 
昨年の正月の深夜、三谷幸喜がワイルダーに会いに行くまでをドタバタ調に描
いたテレビ番組が放映された。番組自体はあまり好きにはなれなかったが、ワ
イルダーその人が出てきたのには感激したし、ワイルダーは構想中の新作につ
いても語っていた。
 
そのインタビューの後、三谷幸喜はワイルダーに「ワイルダーに聞け」と色紙
に書いてもらっていた。現在の書斎にはその色紙をかけているそうである。も
っとも、それは大きな色紙の端っこに小さく書かれていたが、あれはワイルダ
ー一流の皮肉だったのではないだろうか。
 
トニー・カーチスだったか、ウィリアム・ホールデンだったか、あるいは「麗
しのサブリナ」(1954)撮影中に不仲を噂されたハンフリー・ボガートだった
か忘れたが、「ワイルダーの言葉は剃刀だらけ」と言った俳優がいる。ズタズ
タに傷つけられるということだろうか。
 
三谷幸喜のインタビューの時にも僕はドキリとしたものだが、「あなたの作品
の中では『あなただけ今晩は』が一番好きです」と言う三谷さんに「くだらん
映画だ」と吐き捨てるように言っていたのが印象的だった。
 
確かに辛辣でシニカルな人だったのだろう。そうでなければ「サンセット大通
り」(1950)や「ねえ、キスしてよ」(1964)のような人生の本質的な苦みを描
くような映画を作れるわけがない。

●シチュエーション・コメディの代表作
 
ワイルダーは脚本を大事にした人だけに、その作品の中には気の利いたセリフ
やジョークがいっぱいある。その中でも僕がよく口にするのは「お熱いのがお
好き/SOME LIKE IT HOT」(1959/122分)のラストのセリフである。
 
禁酒法時代のシカゴ。聖バレンタインデーの虐殺として有名なギャングの抗争
事件をモデルにしているのだろうが、失業中のふたりのバンドマン(ジャック
・レモンとトニー・カーチス)がギャングの殺人を目撃する。
 
ギャングたちの追跡を逃れるために彼らは女装し、女だけのバンドに潜り込む
ことに成功する。ここで「そんなあ、バレないわけがない」と思う人は、この
映画は楽しめない。シチュエーション・コメディだから、そこは無前提的に受
け入れなければならない。
 
さて、バンドはマイアミのホテルに出演することになる。バンドには酔っ払い
の歌手シュガー(マリリン・モンロー)がいる。ふたりは彼女に夢中になるが、
彼女は金持ちと結婚することを夢見ている。
 
そこで、トニー・カーチスは男に戻り、金持ちの息子を演じて彼女の気を惹こ
うとする。トニー・カーチスは女装してバンド仲間に戻ったり、金持ちの男に
なったりというドタバタで大いに笑わせてくれる。一方、ジャック・レモンは
年寄りの金持ちに見初められ、追い回されるはめになる。
 
昔のハリウッド映画は、こういうシチュエーション・コメディの宝庫だった。
トニー・カーチスは、いわゆる艶笑コメディには欠かせないキャラクターで少
し後には「ボーイング・ボーイング」(1965)などという映画もあった。
 
プレイボーイの主人公が各国の航空会社のスチュワーデス数人をセックスフレ
ンドにしている。それぞれのフライトスケジュールを調整して、アパートで彼
女たちが鉢合わせしないようにしているのだが、ある時、一斉にフライトスケ
ジュールが変更になり、ドタバタ騒ぎが始まる。
 
それだけの映画なのだが、当時のハリウッドにはそういうアイデアばかり考え
ている脚本家たちがいたのだろうと想像するとおかしい。彼らはノーベル賞作
家(ウィリアム・フォークナーは金のためにハリウッドで仕事をしている)な
どよりずっといいギャラをとり、一日中、奇抜なストーリーやギャグを考えて
いたのだ。
 
ワイルダーもまず核になるアイデアから発想したのだろう。「女たちだけの世
界に女装した男がふたり入ったらどうなるか」と考えたのだ。「アパートの鍵
貸します」は「上司の情事のために自分の部屋を貸す男」というアイデアだっ
たのだろうし、「はからずも娼婦のヒモになってしまった嫉妬深い男」という
発想が「あなただけ今晩は」を生んだのだと思う。
 
もっともワイルダーのフィルモグラフィによると、ほとんどの作品に原作があ
るようだ。しかし、脚本家としてのワイルダーは原作をずいぶん無視したよう
だし、オリジナルアイデアにこだわった。
 
ワイルダーはジェイムズ・M・ケイン原作「倍額保険」を「深夜の告白」
(1944)として映画化しているが、この時、やはり高額なギャラ目当てで脚色
に加わったのがレイモンド・チャンドラーだった。
 
この時のことをチャンドラーが書き残し、ワイルダーも「自作自伝」の中で詳
しく話しているが、やはり個性の強い人間同士が共同で何かを作り上げるのは
相当にむずかしいのだろう。僕はチャンドラーの小説もワイルダーの映画も好
きだが、とにかくふたりはまったく反りが合わなかったようだ。

●どんなことでも許せる気分になる結末
 
「お熱いのがお好き」は当然の成り行きだが、ギャングたちがかぎつけてふた
りを殺そうとやってくる。そこで最後のドタバタがあり、トニー・カーチスと
マリリン・モンローは結ばれ、ジャック・レモンと金持ちの老人を含めて4人
はモーターボートで海に逃れる。そして、最後に大いに笑わせてくれる。
 
ジャック・レモンは「結婚しよう」と迫る金持ちの老人を諦めさせるために様
々な欠点を挙げていく。その度に老人は「そんなこと、何でもない」とか「許
す」とか言って気にもかけない。業を煮やしたジャック・レモンは、ついにカ
ツラをとって、最後通牒をつきつける。

──俺は、男だ。

それに対して金持ちの老人は、まったく動ぜずに応える。

──Nobody is perfect
 
今まで僕は「お熱いのがお好き」をテレビ放映(吹き替えが多かった)などで
数度見ているが、その最後のセリフは様々に訳されていたように記憶している。
「それが、どうした」とか「誰にも欠点はある」とか「そんなことは関係ない」
とか、要するに「男であったとしてもいいんだ」というニュアンス(そして、
そのおかしさ)が伝わるようにいろいろ工夫していた。
 
しかし、ある時、僕は字幕放映で見て英語のセリフが「Nobody is perfect
(Nobody's Perfect)」だということを知って、とても気に入ってしまった。

──完全な人間はいない(完璧な人なんて誰もいない)
 
僕は本や映画の中の言葉で慰められたり癒されたり、勇気づけられたり生きる
希望を与えられたりしてきた人間だ。多くの言葉が今の僕を作り上げている。
 
この「Nobody is perfect」も座右の銘ということではないけれど、少し落ち
込んだ時などに、海の上を疾走するモーターボートの上で口説き続ける金持ち
の老人にうんざりしてかつらを持ち上げるジャック・レモンの映像と共に浮か
んでくる。すると、とても仕合わせな気分になれる。
 
「完全な人間はいない」という言葉は、自己嫌悪の状態の時に己を慰める言葉
としても有効だが、本当は人に対してイントレランス(不寛容)になりそうに
なった時に自分に言い聞かせることが多い。
 
つまり、人に対して不満を感じたり、非難しそうになった時、僕には金持ちの
老人(コメディアンのジョー・E・ブラウンが演じた)の「Nobody is perfect」
という声が聞こえるのだ。
 
好きになった女が男だったとしても「まあ、大したことじゃない」と思えるの
なら、世の中のほとんどすべてのことが許せてしまえるじゃないか。

だからといって、僕が寛容な人間だということではないけれど……。
 
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。もう最後だろうと思って、夜中に桜を見に車で出かけた。桜並木
を時速60キロくらいで走り抜けていく。ハイビームのヘッドライトに浮かび上
がる散り際の桜が数キロ続き、何だかシュールレアリスティックな気分になる。
やはり桜の下では日本人はフツーではいられないようです。

投げ銭フリーマーケットに旧作掲載
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■金曜ノラネコ便
○○さえあればどこだって/アミ棚の上のドラマ

須貝 弦+堀本真理美
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日刊デジクリ「ナニゲないこと」担当、金曜ノラネコ便。
デジクリらしいことや、らしくないこと(後者が多い)を、ツラツラと。
今週は、ちょっとボリューム多めの二部構成で。


■○○さえあればどこだって――須貝 弦

以前は私のトレードマークともなっていたオレンジ色のiBookから、今の白く
て(少し)小さいiBookに買い替えてからいちばん変わったことは、Macを開く
場所を以前ほどは選ばなくなったことだ。これで、「どこでも仕事をする」と
いう傾向が以前にも増して強くなってきた。

もっとも大きい利点は、電車の中で使えるようになったことだ。そもそも、オ
レンジ色のiBookを白いiBookに買い替えた最大の理由は「電車の中でも原稿を
書かないと間に合わない!」という、異常なほど切羽詰まった状況に追い込ま
れたからだ。気が付けば、ソフマップでマイナーチェンジ前の売れ残りを買っ
ていた。

翌日から、小田急線の中でもフル稼働。新宿~鶴川間40分の移動のうち15分で
も座れれば、他の乗客が迷惑がるくらいの勢いでキーをタイプし、なんとか乗
り切った。その仕事の原稿料でほぼ元はとれたので、無駄な投資ではなかった
と思う。

そして、以前ほどではなくなったけれども、コーヒーショップでiBookを開く
頻度も相変わらず高い。仕事量が多いというわけでもないのだが、とにかく与
えられる時間がいつも少ないので、アポとアポの間に移動をのぞいて1時間で
も空き時間があれば、迷わずドトールを探して席を確保するわけだ。

書くべき内容がすでにはっきりしている仕事であれば、そんな環境でも十分す
ぎるほど作業を進めることができる。また、テキスト入力だけでなく、デジカ
メ画像のダウンロードと編集、HTML打ちなど、できることはなるべく済ませる
クセがついてしまった。カバンにペンタブレットを忍ばせれば、その場でイラ
ストだって書きかねない勢いだ(これはすでに実践されている方がいるはずだ
が)。

そこで「○○さえあればどこだって」である。モバイルで仕事する上で必要な
「○○」にあてはまるものを、優先度の高い順に3つ挙げてみよう。

●バッテリさえあればどこだって

可能性は、バッテリの残り時間だけあると言っても過言ではない。ACアダプタ
を持ち歩いたところで電気を分け与えてくれるところは限られているので、ま
ずはバッテリ持続時間。白いiBookは4.5時間ほどバッテリ駆動できる。これで、
東京~名古屋を新幹線で往復するくらいなら余裕。ドトールでも、バッテリの
持ち時間だけ粘れる(違うか)。

年に一度くらい、トラブルでバッテリ残量が無くなってしまうことがある。あ
るときなどは家でディスプレイを閉じたときにフリーズしてしまい、つまりバ
ックライトも煌々とついたままでスリープしておらず、いざ銀座のスターバッ
クスで取り出してみたらカバンの内部がホカホカ&バッテリ残量は30分、なん
てこともあった。そのときは有楽町のビックカメラでACアダプタを買い、無理
を言って某社におじゃまして電源を借りたのだった……。

●電波さえ届けばどこだって

Air H"利用者としては、電波が届けば後は任せろ! みたいな感じである。
「今データ送ったからちょっと見て下さい」とか急に言われても、電波が届か
なければ意味はない。また、取材当日に原稿アップなんていう悲しいスケジュ
ールの仕事も、出先からデータを送信できてこそ、なのだ。

★今週の画像:こいつで電波を捕まえています
http://www.macforest.com/dgcr/008.html

電波が届いて座れるところならば、駅のホームだろうがデパートの屋上だろう
が公園のベンチだろうがスタバだろうが何だろうが、それだけでグッと可能性
が広がるのである。電車の中のように移動中ならともかく、喫茶店などにいて
も電波が届かないとわかるとiBookは出さない。ネットに繋ぐことができない
なら、意味はない。

●勇気さえあればどこだって

電波が届けばどこでも……とはいえ、最後に必要なのは勇気だ。とくに駅前広
場のベンチでとか、場合によっては路上でとかいうことになってくると、これ
はもう相当に勇気を要する。

私は過去に数回、路上でMacを開いたことがある。どうしてもすぐに必要な連
絡先とかを見るために、だ。いただいた名刺で今後頻繁に連絡を取ることにな
りそうだと思う方であればPalmに入れてあったりするが、一度限りの取材とか
だとそこまではしない。だいたいは取材先の情報をPHSにメールで転送してお
くのだが、ときどきそれを忘れたりして、しかも現地の駅前で気付いたりする。
こういうシチュエーションでは、むしろ勇気こそいちばん必要である。

「バッテリ」「電波」「勇気」この3つがそろえばもう最強。言うことナシ。

しかしまぁ昔に比べると、なんとラクになったことよ。ほんの数年前まで、
PowerBook 5300に予備バッテリ2本を加えて持ち歩いて、たった3時間しか作業
できなかったのである。コンピュータでまともに仕事をする頃にはWindows 95
もインターネットもあった世代だが、それでも日々の技術革新の速さには驚く
とともに感謝感激ってところだ。

とはいえ本当のところは、出先のいろんなところでiBookを取り出して仕事を
するのではなく、ちゃんとしたオフィスに大きなディスプレイで、いい椅子に
深く腰掛けながら仕事がしたいものだ。ドトールやスタバの椅子もさすがに飽
きたし、ソファでは寝てしまう……。


<ちょっとだけSide B>
■アミ棚の上のドラマ――堀本真理美

会社を辞めて以来「通勤」からは解放されたわたしだが、最近になって久々に
在来線・通勤電車に1時間以上乗ることが何度か続き、人間ウォッチングを楽
しんでいる。で、思った事あれこれ。

よく新聞や雑誌がアミ棚に置き去りにされているが、「アミ棚に置く=所有権
を放棄する」というのが暗黙の了解になっているのが不思議といえば不思議だ。
サラリーマン界の掟なのだろうか? そして、それらをごく自然な感じで手に
取って読む男たち……。それは日常的に見かける光景だし、彼らには何の抵抗
感もないのだろう。

個人差があるのは承知の上で言わせて頂くが、女に比べて男のほうが衛生的な
感覚が鈍いのだろうか? それとも羞恥心の感覚が鈍いのだろうか?「失敬な
! 男をみな一緒にするな。僕はそんなことしないぞ!」と憤慨される方もお
ありかと思うが、わたしは女性がアミ棚にある新聞や雑誌を手に取って読むの
をこれまで一度も見た事がない。

10年ほど前、ギョッとする光景を見て以来わたしはその行為に抵抗感120%な
のだ(そうでなくとも自分ではしないと思うが)。──新聞を読む中年男性。
下車駅が近づくと、彼は読んでいた新聞を二つ折りにし、ゾッとするような音
をたてその紙面に痰を吐き、更に二つに折ってヒョイッとアミ棚に投げて足ど
り軽く降りていった。電車が動き出すと隣の車輌から別の中年男性がやってき
た。そして、件の新聞を手に取ってさらに車輌を移動していった……。

わたしは「あっ~、オジさん! そっ、それは……!」と思ったが、口に出せ
るハズもなく。アミ棚の新聞や雑誌には、そんな“汚れたドラマ”が隠されて
いることもあるのだ。ぜひともご注意あれ。

【すがい・げん】sugai@macforest.com
堀本さんの多忙から「リレー」の形式は取れなくなったので、「金曜ノラネコ
便」は当面スガイがお送りしますが、ときおり今回のような感じで「ちょっと
だけSide B」が登場します。
・macforest.com
http://www.macforest.com/

【ほりもと・まりみ】mari@macforest.com
ウェブデザイナー/フォトエッセイスト。ただいま都合により《金曜ノラネコ
便》の両面をスガイ氏に託しております。が、プチコラムでいちおう存在を
主張(^-^;

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■編集後記(4/5)
・kodakのセミナーに参加した。取材ではなくてお勉強というのは気楽でいい。
最初のセミナーの講師は河口洋一郎さんだった。この人の無手勝流の話術は面
白いのだ。ところが、壇上には浜野保樹さんが。河口さんは中国に行っていて
来られなくなり、ピンチヒッターが浜野さんということだ。タイトルは「デジ
タル映像から生まれる感動」、始めのうちはしょうがないなあと思っていたが、
じつはものすごく興味ふかい話であった。浜野さんは黒澤明文化振興財団とジ
ブリの関係者である。黒澤の膨大なコンテと、美術の村木村与四郎が半世紀前
の東京を記録したこれまた膨大な資料のデジタルアーカイブ化を進めていると
いう。そして、黒澤映画「夢」(わたしはこれがいちばん好き)で、絵コンテ
まで起しながら、当時の技術では不可能な表現としてハリウッドからも断られ
た「飛ぶ」というエピソードを、樋口真嗣がコンテをもとにアニメ化したもの
の一部を見せてくれた。非常にアナログタッチなデジタル作品だ。このアニメ
はいまだに公開されていない。また浜野さんは、映像をつくる新しいシステム
のプロジェクトを進めており、いままで丼勘定だった映画製作費の透明化と大
幅なコストダウンを実現しつつある。意義ある仕事だ。日本のアニメが世界最
高峰であることはもちろんだが、映画のデジタル制作についても技術や実績は
世界最高だという。元気づけられるいい話だった。2つ目のセミナーは、ある
制作会社による、デジタルでもうかるビジネスモデルの話。いやはやカタカナ
言葉乱舞の、昔よくあったかっこいいプレゼン。何も残らぬ。   (柴田)

・今日はぐっすり寝るぞー! 早く仕事終えるぞー! えい。(hammer.mule)
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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 

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 担当:濱村和恵
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