[1094] 奇妙な仕事

投稿:  著者:  読了時間:23分(本文:約11,400文字)


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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1094    2002/05/31.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 20907部
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【デジクリは言論出版の自由を脅かす「メディア規制三法案」に反対します】

■デジクリトーク 126
 奇妙な仕事
 十河 進

■デジクリトーク 金曜ノラネコ便
 それでも新しいMacが欲しい!/必要に迫られて買うのは正しい、ハズ。
 堀本真理美+須貝 弦

■デジクリトーク
 話題の人、メテ・メリット ノルウェー皇太子妃
 本間可奈



■デジクリトーク 126
奇妙な仕事

十河 進
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●「奇妙な仕事」は時代状況の暗喩?

ノーベル賞作家である大江健三郎が一躍注目されたのは、東大仏文科在学中の
昭和32年(1957年)5月のことだ。東大新聞に掲載された短編小説「奇妙な仕
事」は話題を呼び、芥川賞候補にまでなる。彼は「学生作家」と呼ばれ、どこ
へいくにも詰め襟の学生服を着用に及んだ。

今では大江以上に大量に小説を書き続けている久世光彦は、同じ頃、東大に在
学しており、「奇妙な仕事」を赤門近くの喫茶店で読んだ時の衝撃をエッセイ
に書いていた。その時、久世は「こんな才能がいるんじゃ、俺は作家にはなれ
ないな」と思いTBSに入社する。彼が小説を書き始めるのは50歳を過ぎた、盟
友・向田邦子の死から何年も後のことである。

「奇妙な仕事」は主人公の「僕」が実験用に飼われていた犬150匹を三日間で
殺す仕事をアルバイトとして引き受ける話である。その奇妙な仕事については、
一応、説得力のある説明がなされるのではあるが、どちらかというと「殺され
る犬たち」のことを1950年代後半の青年たちの閉塞感の暗喩として語っている
ような小説である。

「奇妙な仕事」が認められ、文芸誌から依頼がきた大江は続けて死体処理所で
アルバイトする男女学生の物語「死者の奢り」を書く。この短編小説も芥川賞
候補になるのだが、実際に受賞するのは「飼育」によってである。1958年の夏
だった。今では見られないかもしれないが「飼育」は1961年に大島渚によって
映画化されている。

大江の初期作品の学生たちはみんなせっせとアルバイトに励んでいるのだが、
その頃の学生はよほど恵まれた家の人間でない限り、生活費や中には学費まで
アルバイトで稼いでいた。僕は大江健三郎に較べるとずっとずっと後の世代で、
社会的には高度成長期を経て豊かになりかかった頃に大学生になったけれど、
やはりアルバイトは欠かせなかった。

小学生の頃から休みになると小遣いを稼ぐために父親の手伝いで建築現場の下
働きをしていた僕は、アルバイトとなると基本的に肉体労働しか思い浮かばな
かったのか、ほとんど額に汗するような職種ばかりを選んだものだった。

上京した18歳の夏に東中野にある三越の配送所で働き、その年の暮れには東長
崎にある西武デパートの配送所で働いた。その後、大学を出るまで夏と暮れに
は西武デパートの配送所に働きにいった。最も続けて働いたのは6カ月で、板
橋区にある保冷車を作る工場だった。ここは泊まり込みなどもあり、一日15時
間くらい働いたこともある。その分、いい金になった。

長期の休みに集中して働き資金を貯め、学校がある間は基本的にアルバイトは
しなかったが、時々、短期のアルバイトをすることがあった。カウンターを持
って一日、環七の大原交差点に座り交通量の調査をしたこともあるし、ペイが
よかったので深夜の引っ越しにいったこともある。深夜の引っ越しは事務所専
門で、朝までに新しいオフィスで働けるようにするのである。

いついっても雇ってもらえたのは、市ヶ谷にある大日本印刷の深夜の製本作業
である。ほとんどがマンガ週刊誌だったが、夜の10時から朝の6時まで50分働
いては10分休み、ひたすら製本作業を進める。ぼうっとしていると裁断機で指
が飛ぶ。実際、製本部門の社員で指のない人もいた。

●誰が何のためにやっているのかわからない仕事

今もよく覚えているのは、多摩川の水質検査のアルバイトである。どこかの測
量会社が国の何とか庁から受注した仕事だ。しかし、僕はどんな仕事かわかっ
て応募したのではない。アルバイトニュースを見ていて、一晩だけでいい金に
なるアルバイトだったから、電話をしたら「すぐこい」と言われたのだ。

川崎市の測量会社だったと思う。僕は、その会社が何をしているのか、よくわ
かっていなかったし、今でも測量会社は誰の依頼で測量しているのかよくわか
っていない。時々、道端でひとりが三脚にたてたスコープを覗き、ひとりが長
いポールを持って立っているのを見かけるが、それは誰が何のためにやってい
るのかと考えると不思議な気がする。

その会社で僕が説明を受けたのは、簡単に言うと「多摩川の岸で夜明かしし、
一時間に一回ゴムボートで川の中央に出て、水深1メートルのところの水を汲
み、採取した場所と時間を書いた記録シールを貼っておくこと」というものだ
った(あまり簡単じゃないけど)。

僕は一緒にいく社員に引き合わされた。30代と40代くらいの社員で、ふたりと
も経験豊富そうだった。彼らは普段は道端でスコープを覗いたり、ポールを持
って立っていたりするのだろうか。刑事みたいに測量会社の社員はコンビを組
む相手が決まっているのかもしれない。

30代に見える人は無口だった。怖そうな感じはなかったが、僕が頭を下げても
無関心で視線をこちらに向けてこない。仕事はできるのだろう、テキパキと道
具をワゴン車に積み込んでいた。

40代半ばくらいのおじさんは人が良さそうな笑顔で「あんちゃん、学生かい」
と声をかけてくれた。黒縁メガネをかけ髪を短く刈り込み小太りだが、動きに
は経験からくる重厚感があった。僕は故郷の父親を連想した。

ワゴン車には空気を抜いたゴムボートとオール、オーバーオールみたいに胸ま
で包む形のゴム長、それに試験管のようなガラス管が並べられたケース、その
他わけのわからない様々なものが積み込まれていた。ワゴン車の後部座席はそ
んなものが満ち溢れ、僕は片隅で身を縮めて腰を下ろした。

何月だったかは覚えていない。でも、もう夜は寒さが堪える時季だった。多摩
川まで車ではそんなに時間はかからなかったが、人家があまりない地帯に暗く
なって車を駐め、男三人が何やら怪しげな道具を運び出しているのは、自分で
も「やばい仕事」をしているような気になってくる。

一日だけのアルバイトとはいえ賃金分は働かねばなるまいと思って、僕は率先
して荷物を運び細かく気を遣って動いていたつもりだったが、中年の方のおじ
さんに「朝まで長いから、あんまり張り切ると保たないぞ」と言われた。言わ
れた途端、僕のペースは落ち、その現金さにさすがに己で呆れた。若い方の社
員の人は黙々と準備をしていた。

●真っ暗な中、多摩川に出ていく

水辺に必要なものをすべて運んだら、ゴムボートを膨らますことを僕は命じら
れた。海水浴に持っていくようなチャチなものではない。救命ボートのように
本格的なやつで、ゴムもぶ厚かったから重量はあった。空気を入れるのは足踏
み式のポンプである。セットして、僕はポンプを踏み始めた。

しかし、空気はなかなか入らない。もちろん僕が不慣れなせいでもある。社員
の人たちがやったら、もっと要領よく時間もかからずに入るだろうと思った。
しかし、少しずつでも空気は入っている。それは間違いない。〈明けない夜は
ない。空気の入らないゴムボートはない〉などと唱えながら僕はポンプを踏み
続けた。

ボートのゴムを押すとグッと押し返してくるような反発が感じられるまで空気
が入った頃には、もう周囲が暮れてしまい遠くの対岸の家々の明かりが目立つ
ようになっていた。その時、これでは真っ暗な中で一夜を過ごすことになるぞ、
と僕は初めて気付いた。

どこかへいっていたふたりが帰ってきた。中年のおじさんはスーパーの紙袋を
下げていた。若い方の人は小枝を両手に抱えていた。焚き火をする気だった。
「車に新聞紙があるから持ってきてくれ」と初めて彼は口を利いた。僕は「は
い」と言うとすぐに駆けだした。暗くはなっていたが、なぜか足下だけは確か
だった。

僕が水辺に戻ると、ゴムボートは川に浮かんでいた。若い方の人がすでに乗り
込んでいる。「一緒にいくか?」と言う。僕はうなずいて乗り込もうとしたが、
安定が悪く揺れる。「コツがあるんだ」と言いながら中年のおじさんがボート
を押さえてくれる。いつの間にか、おじさんは胸まであるゴム長を着込んでい
た。魚市場の人みたいだが、それで川の中に入っていくのだろう。

僕がその姿を見ているので「これで岸辺の水も採取するんだ」と説明してくれ
た。「もう水が冷たいから、けっこう躯が冷える」と付け加えた。そういう仕
事はアルバイトにさせればいいんじゃないか、と僕は思ったが、まあ、黙って
おくことにした。

ボートを漕ぐ役は僕が引き受けた。一本のオールでカヌーを漕ぐ要領で「右・
左」と心の中で掛け声をかけながらリズムを取ったせいか、そんな蛇行せずに
川の中央まで出ることができた。わずかな明かりの中で多摩川の真ん中にボー
トを浮かべていることを考えると不思議な気がしてきた。

若い方の社員が管のようになったポール状のものを水中に差し込む。ポール状
のものには目盛りが付いていた。ちょうど1メートルのところで、手元の蛇口
のようなものを捻る。数秒してから管を引き上げた。懐中電灯を点けて、試験
管のようなものに水を移して密閉する。ボールペンで記録紙に記入し、貼り付
けて終了だった。

その間、僕は懐中電灯を持って彼の手元を照らすだけだった。「いいよ」と言
うので、懐中電灯を消して、ボートのオールを握る。僕は岸へ向かってボート
を漕いだ。「漕げよマイケル」のメロディが浮かんでくる。「………」と彼が
何か言った。「は?」と僕が振り返ると、「ヘンな仕事だろ」と彼は初めて笑
顔を見せた。「はあ」と僕は肯定でもなく否定でもない返事をした。

●結局、焚き火の見張り番に

焚き火を囲んで一時間が過ぎた。「さて、いくか」とふたりが腰を上げる。中
年のおじさんが胸まであるゴム長を身につけようとしているので、「それ、僕
がやりましょうか」と声をかけると、一瞬、ふたりは顔を見合わせた。

それから、ゆっくり僕の方を向いたおじさんは「これ着て倒れるとな、水が入
ってその重みで身を起こすことができなくなる。そのまま溺れてしまうことも
あるんだ。慣れていないと……」と言い聞かせるように言う。「はあ?」と、
僕はまた肯定とも否定ともとれる中途半端な返事をするしかなかった。

その後、僕がボートに乗ろうとすると若い方の人が「いいよ、俺ひとりで。あ
んた、焚き火の見張りをしていてくれよ。まったく誰もいなくなると困るから
な」と言う。「はあ?」と三度、僕は生返事をすることになった。

結局、その夜、僕は徹夜で焚き火の見張りをしていただけだった。もちろん、
採取から引き上げてきたおじさんのゴム長を脱がす手伝いをしたり、ゴムボー
トから荷物を降ろす手伝いをしたりはしたが、僕のメインの仕事は焚き火の見
張りだった。僕は煙を浴び、夜明け頃に一時降った霧雨に濡れ、髪の毛も皮膚
もゴワゴワになった気がしていた。

その夜、ふたりとはいろいろな話をしたはずだ。10時間くらい一緒にいたのだ。
一時間に一度、ふたりは水の採取に出かけたが、それも10分くらいで終わって
しまう。後は焚き火を囲んで話をするしかない。若い方の人も次第に打ち解け
た感じになり、親切にいろいろなことを教えてくれた。

おそらくシャイな人なのだと僕は思った。いつも、スコープを覗いたりポール
を持って立っていたりするだけで、知らない人間と話すことはないし、もしか
したらそういう仕事だからこそ選んだのかもしれない。

日が昇り、夜が明けてくる。小学生や中学生たちが多摩川の土手を通り始めた
頃、僕らは仕事を終えて荷物をしまった。勤め人たちが川沿いの道を足早に歩
いていく。彼らとは逆の方向に車は走り始め、僕はようやく眠気を感じた……。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。昔から、なぜかワールドカップの年になると部署異動になった。
特に関連はないのだが、そういうことでワールドカップにはあまり関心を持た
ないようにしてきた。だからワールドカップが始まる日も知らない。

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■デジクリトーク 金曜ノラネコ便
それでも新しいMacが欲しい!/必要に迫られて買うのは正しい、ハズ。

堀本真理美+須貝 弦
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まずい、金曜日未明だ。まどろみ半歩前で踏み止まれ……金曜ノラネコ便!

●Side-A「それでも新しいMacが欲しい!」――堀本真理美

成り行き(?)で足を踏み入れたデジタル業界……ふと気付けば10年近くの年
月が経っていて、自分でもびっくりです。けれど、わたしのコンピュータへの
関心や知識はほんの少ししか向上していない気がします。

コンピュータとの初めての出会いは確かMacintosh SE/30、留学地イギリスの
アートスクールの授業でイヤイヤ足を運んだコンピュータルームでのことでし
た。この時代のマシンのことは話のネタにはなりますが、いまだに「コンピュ
ータ=キカイ=ニガテ」感が拭えないわたしは、実のところ、Macにもそれほ
どの思い入れはありません。子供時代、インベーダーゲームにもファミコンに
もちっとも魅力を感じなかったように、コンピュータ(Mac)との出会いにも
強烈な印象はなかったのです。

帰国後、初めて勤めた会社にあったのは全てMacintosh。当時でもコンピュー
タにはいくつかの種類があることはわかっていましたが、選択の余地などなく
「Mac(なら/だけ)は使える」という感じで、コンピュータについてなーん
にも知らないまま仕事をしていたわたしは、必要に迫られ(ずいぶん泣きを見
て)鍛えられたのでした。その後転職した会社でも、これまた必要に迫られ、
沢山のソフト的な知識を覚えデザイナーとしての経験を重ね、なんとかそれな
りのMacユーザーになりました。

多くMacユーザーが、それぞれの時代のMacとある意味衝撃的な出会いをし、ア
ップルに対して並々ならぬ愛着を持っておられる、という話はよく聞きます。
一方で、わたしのように「これしか使えないので使っているんです」派はどれ
くらいいるのでしょう? わたしが仕事でデザインに関わり始めた当時の環境
では、仕事道具としてどうしても必要なもの、それがMacでした。

「本来キカイは苦手」とは言うものの、仕事道具なわけですから、ユーザー歴
も長くなるとに求める処理速度や機能性も少しは大きくなるというもの。ウェ
ブ中心で大きなデータはあまり扱わないわたしの今のメインマシンはiMac DV、
プレゼンに持っていくのがiBook(他にPM7500/100も所有)。これで間に合っ
ていたんですが、これからさらにバンバン仕事をこなしていくには「もっと高
性能なマシンが必要よね」と、何度目かの必要に迫られ「Power Mac G4が欲し
い!」という思いを日に日に強めているわけです。

しかし毎度毎度マシンの買い替えには悩みます。こちとら稼ぎの少ないフリー
ランス小市民、「同じようなスペックでもPCはあんなに安い」と、唯一Macユ
ーザーであることに複雑な思いがする瞬間があったりして。

               ◆ ◆ ◆

●Side-B「必要に迫られて買うのは正しい、ハズ。」――須貝 弦

Power Mac G4が必要と感じられるだけの仕事があれば、ある意味健全じゃない
かと思う。というか、ちょっとうらやましいな。頑張って買って下され>堀本
さん

そういう私も、ここ数年の間は「必要に迫られて」Macの購入をしている。た
とえば新しいiMacが出て「カッコイイから」「欲しいから」という理由だけで
買うようなことはまったくしていない。新しいMacが出て「欲しい!!」と感
じることは確かにあるが、結局のところは「必要だ!」と思わない限り絶対に
買わない。

PowerBook 190を買ったときは、PHSを使ってデータ通信できる、しかもテキス
ト入力がしやすいマシンが必要だったので無理して買った。その190が壊れて
しまってしばらくしてから、やっぱりどうしてもモバイルする必要に迫られて、
PowerBook 5300csを買った。これらはいずれも中古だった。

PowerBook 5300csが度重なる故障に見舞われるようになると、「これではいつ
か仕事を落としてしまう」という危機感から新しいモバイルMac探しが始まっ
た。なにせ日刊のメルマガ/Webの原稿でメシを喰っていたので「すみませー
ん、PowerBook壊れたから今日は原稿が送れませんでしたぁ」では済まされな
い状態にあったのだ。

このときは、持ち運べていちばん安い!という明解な理由から、タンジェリン
の初代iBookを購入した。3.2kgある重量級、でもデータ通信してもバッテリ駆
動4時間は楽勝なこのマシンで、いったん金額にしていくらぶんの原稿を書い
たことか、しかも出先で。そういう意味では元はシッカリ取れた。取りまくっ
たと言えるだろう。

が、大活躍の初代iBookも次第にその重さが「足かせ」になってきた。だんだ
んと、持ち運ぶのがおっくうになってきたのだ。また、図体のデカさと色の恥
ずかしさ(気に入っていたんだけど)から、電車の中で使えないという大きな
欠点もあった。そこに、どう考えても日々の移動時間(電車に乗っている時間
など)を使ってでもやらないと間に合わない仕事が入ってきた。

私は1日電卓をはじき、その仕事で得られる収入と今のカタチになってからの
iBookの価格をてんびんにかけた。また、その後2~3ヶ月くらいの仕事の「短
期読み」をたてて、電卓の数字をにらめっこしたあげくに、心の中で「買える
!」と叫んだ。叫んだ1時間後には、もう買ってた。

そんなこんなで経験してみてわかったのは「必要なら買え!」ということなの
だ。元が取れると思ったら買え、いや、絶対に元を取ってやるってくらいの意
気込みで買え!と私は言いたい(えらそうな……)。ちなみに私、2台目の自
転車もどういうワケか「元を取るぞ」と思って買ってしまった。自転車、しか
もロードレーサーの「元」って、どうやって取りかえすんだ?

●今週の画像URL
http://www.macforest.com/dgcr/014.html

【ほりもと・まりみ】mari@macforest.com
ワールドカップ開幕ですが、わたしがいま気になるのは仕事の締切り……。そ
れにしてもミーハー的な報道にはうんざり。もっとサッカーという競技自体に
興味を持てる内容にして欲しいものです。

【すがい・げん】sugai@macforest.com
あーでもないこーでもないと悩むことはあっても、落ち込むことはあんまりな
かったハズなのに、どうもここ数日はどうもいかん。もっと攻めにゃぁ!

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■デジクリトーク
話題の人、メテ・マリット ノルウェー皇太子妃

本間可奈(ドイツから)
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ヨーロッパには王室が多い。ダイアナ妃の時ほどではないにしても、彼らの言
動や行動はマスコミの注目を浴びる。その中でも最近特に話題になるのが、ノ
ルウェーの皇太子妃メテ・マリット(28歳)である。

皇太子ハ-コン(28歳)は物静かで、芯の強そうな美男子だ。そんな彼が昨年
生涯の伴侶に選んだのがメテ・マリット。金髪、碧眼の北欧美人である。う~
ん、お似合いのカップル! 

ちょっと待てよ、誰あのメテ・メリットの横に引っ付いてる子供は? えっ、
メテ・メリットの連れ子、マリウス(5歳)だってぇ。この子は以前付き合っ
ていた恋人との間に生まれたらしい。

そりゃ~、今の時代結婚以前に浮いた話の一つや二つやあっても当然だろうが、
何でまたよりにもよってこの方を皇太子妃に選ぶわけ? 別の候補者はいなか
ったんだろうか? 王室会議で反対意見は出なかったんだろうか? 

「あんな娘はお妃としてはふさわしくない」と意見をハーコン皇太子は「いや、
僕達は愛し合っている」とかなんとか言って押し切ったんだろうか? 

それとも、寛大なご両親が「ちゃんと子供も産めているし(不妊症かどうかで
気を揉む事もない)、経験豊かな女性の方が安心だ、それにメテ・マリットは
性格もいいじゃないか」と乗り気だったのかもしれない。

野次馬おばさん(私)は、一体どんな経緯で結婚に至ったのだろうと非常に興
味がある。一つ確実に言える事は、これが日本の皇室だったら、メテ・マリッ
ト嬢は皇太子妃にはなれなかっただろう。

ドイツのn-tvというテレビ局が数週間前にハーコンとメテ・マリット皇太子ご
夫妻をインタビューした。その時に司会者がメテ・メリット妃に「皇太子と結
婚されるということは、すなわちノルウェーという国と結婚するという気持ち
で決断されたわけでしょうか?」と質問した。

するとメテ・マリット妃は「そのような気持ちはあまりありませんでした」と
答え、横からハーコン皇太子が「結婚はプライベートなことですから、、」と
口を挟んだ。あっそ~、プライベートね。

な~んか、ちょっと違うんじゃないの、と私は思った。何が自分の仕事かわか
っているのかしら? そういう方々はご自分のお立場をよくわきまえていらし
て、内心はどう思っていようとも「彼女と一緒だったら国民の為により一層貢
献できます」とでもお答えになるかと期待していた私はガッカリした。まあ、
いいか。好きにして頂戴。

余談だが、メテ・マリット妃の連れ子には王室の血が混ざっていないので、王
位継承権はナシ。しかも王室の家族の一員ともみなされてなくて、ナントカ記
念日に王室全員がバルコニーから国民に手を振るときに、この子は下から国旗
を振っている。皇太子ご夫妻にお子様はまだいないが、生まれたら今まで以上
にマウリスは母親から遠ざけられてしまうのではないかと思う。母親が玉の輿
に乗ったツケが子供にまわってきていると私は見る。

本間可奈 茨城県出身 ドイツ在住 趣味:旅行、ゴルフ、語学
(ファミリーでメールアドレスを共有しているため、ご連絡はデジクリ編集長
宛にお願いします)▼デジクリに超ミスマッチですが面白ければいいのだ。

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■編集後記(5/31)
・家から自転車で20分くらいのところに、新しいショッピングセンターがある。
紡績工場の跡地だから広大なスペースだ。ジャスコといろんな専門店が入って
いる。妻や娘は車で度々行っていて、面白いから行ってみればと前々から言わ
れていたのだ。その近くで高校時代の同級生が酒屋を営んでいるはずなので、
ついでに会いに行こうと思った。そのショッピングセンターにはわたしの巡回
ルートの店がふたつも入っていた。須原屋書店とラオックスだ。加えて無印良
品やスポーツ用品の店もある。これではしばらく出てこられるはずがない。だ
が冷房がしっかり入っていて、Tシャツ1枚では背中が冷えてしまった。友人の
店を探し回ったが見つからない。ローソンに転業したらしかった。 (柴田)

・下請けしていた取引先から電話が入る。その取引先がメインにつきあってい
た代理店が潰れたのだそうだ。私のしていた仕事は、なるべく支障のないよう
に図ってくれるそうなのだが、取引先はショックで落ち込んでいる。いままで
の仕事の代金はもちろん、今後の仕事をどうすればいいのかと。こんなこと身
近にあるんだね、と言われたので、親会社が潰れる前の日の夜に、赤帽呼んで
私物持って帰った経験があります、と答えた。最後の給料貰ってないんですよ、
と。大手がばんばん潰れていく昨今だから、仕事があってもなくても、次どう
しようと悩む自分がいるのだ。掛け持ちしたくないけど、無理して引き受けて
いるのだ。営業したことないから、営業をどうするか考えているのだ。事務所
を借りる際、万が一、まったく仕事なくても10月まではお給料出せるから、と
島田氏に言った。借りなかったら昇給できるんだけど、と話したら、昇給しな
くてもいいから事務所借りなよ、と言ってくれた。彼女は経理をしているから、
うちの経営状況は見えている。うちは原材料費の必要な製造業ではないし、資
金の借り入れはなく、簡単に潰れたりはしないが、外部要因での給与遅配は避
けたい。資金プールしておきたい。慎重でせこくてすまん。/今朝の朝日新聞
のジダン記事は良かった。ネットでも発見。        (hammer.mule)
http://www2.asahi.com/2002wcup/player/K2002053100543.html ジダンの記事

http://www.dgcr.com/fps2001/cgi-bin/video/enq.cgi?id=dgcr  アンケート
「デジタルイメージギャラリー2002」「テクスチャイリュージョン・アンパラ
レルド」が今なら当たります。詳細は1081号、1092号を。
http://www.dgcr.com/present/
http://www.dgcr.com/present/index5.html

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発行   デジタルクリエイターズ <http://www.dgcr.com/>

編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 

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 担当:濱村和恵
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