[1190] 青年たちが共有した夢

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1190    2002/11/01.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 21561部
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         <グリーン車ってなんですか?>

■映画と本と音楽と… 145
 青年たちが共有した夢
 十河 進

■金曜ノラネコ便
 目のつけどころがヘンですか?
 堀本真理美

■セミナー案内
 iMedio conference 2002
 「ブロードバンド時代・放送コンテンツ流通の課題と展望」



■映画と本と音楽と… 145
青年たちが共有した夢

十河 進
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●夢を断念して死んだマンガ家

──金はなかった。夢だけがあった。

言い古された言葉だが、そんな常套句でも過去を振り返って言える人は幸せだ。
少なくとも彼の人生には夢を追っていた時間が存在した。多くの人は明確な夢
を持てずに生きている。

かつて僕は「夢が叶わないのなら、夢を見る能力なんてほしくなかった」とつ
ぶやいた。「夢はいらない花ならば、花は散ろうし夢も散る」と強がった。だ
が、本当は夢に向かって脇目もふらず突き進んでいる人間が羨ましかった。

僕にも夢はあったが、その実現のためにすべてを犠牲にしてもかまわないとは
思えなかった。しかし、何かのために誰かのために自分の夢を諦めたのではな
い。己の才能を見極めたのだ。安定した小市民的生活を自らが望んだ。

結局のところ、諦められる程度の、あるいは片手間でやってみる程度の夢だっ
た。いや、夢というのはおこがましい。単なる願望だった。「なりたいな。な
れればいいな」と思っていたくらいの憧れに過ぎなかった。それでも中途半端
に諦めた夢は、未だに僕を責め続ける。

寺田ヒロオというマンガ家がいた。ある世代以上なら「少年サンデー」に昭和
34年(1959年)から連載された「スポーツマン金太郎」というマンガを想い出
す。本宮ひろ志の「サラリーマン金太郎」というタイトルは、もちろん「スポ
ーツマン金太郎」をもじっている。

寺田ヒロオは1931年に新潟県に生まれた。新発田高校で野球部に所属し、県大
会の決勝まで進む。卒業後、電電公社に勤務し、社会人野球の投手として都市
対抗野球に出場したこともあるという。1953年、22歳の時に退職しマンガ家を
めざして上京。手塚治虫の住むトキワ荘に入居する。

トキワ荘に手塚治虫が転居したのは昭和28年(1953年)の年初のことだった。
寺田ヒロオの入居は、その年の暮れである。翌年、手塚治虫が出た後の部屋に
藤子不二雄(安孫子素雄と藤本弘)が入居する。

この頃より数年、年長者でもあった寺田ヒロオは若きマンガ家志望の青年たち
の兄貴分として、また、彼らと結成した新漫画党のリーダーとして活躍する。
しかし、彼は昭和32年(1957年)6月、足かけ4年を過ごしたトキワ荘を出る。

資料によれば、寺田ヒロオは1970年代にマンガの筆を折る。僕は、それ以前か
ら、彼のマンガはまったく目にしなくなっていた。それから20年、ある日、新
聞の死亡欄に寺田博雄という名を見付けた。1992年のことである。享年61歳。
残酷な言い方だが、寺田ヒロオの読者にとっては遅すぎた死だった。

●夢に向かって努力する充実した日々

1970年、月刊COMで「トキワ荘物語」という読み切り連載が始まった。毎号、
違うマンガ家が「トキワ荘時代」について描く連載だった。赤塚不二夫、藤子
不二雄、水野英子など、当時の第一線のマンガ家たちが青春の想い出と共にト
キワ荘時代のことをマンガにしていた。

売れっ子になり成功したマンガ家たちは、懐かしそうにトキワ荘時代を語る。
赤塚も石森も安孫子も……。「夢と理想を抱いて生きていた貧しい時代」が彼
らの郷愁を誘う。それは、仲間たちと一緒に純粋に夢を見ていられた時代、マ
ンガとの幸福な蜜月時代だった。

僕は赤塚不二夫の回をよく覚えている。マンガが売れず金がない頃、赤塚不二
夫は寺田ヒロオにマンガをやめようかと相談する。寺田ヒロオは赤塚の単行本
を読んで「詰め込みすぎだよ。僕ならこの話から五つのストーリーを作る」と
アドバイスをする。

──まんが家になろうと思ってトキワ荘へきたんだろう? 
  だったら最後までがんばれよ

そう言った後、寺田は「今月のアパート代あるのか」と赤塚に聞き金を貸す。
このマンガを読んだ時に、僕は「スポーツマン金太郎」や「暗闇五段」「背番
号O」などのベースに流れていた、暖かい気分のする何か、を想い出した。

寺田ヒロオを本木雅弘が演じた「トキワ荘の青春」(1996.03.23公開)は、市
川準の映画が常にそうであるように時間が経つにつれジワジワと心に沁みてく
る映画だった。静謐な時間が過ぎてゆき、見終わると自分の中の何かが変わっ
ている。優しい気持ちになっている。周囲の世界が違って見えてくる。

誰もいないトキワ荘の廊下を写したシーンが切ない気分を誘う。原っぱで風に
吹かれて立っている石森章太郎の姉のショットに胸をかきむしられる。「リボ
ンの騎士」が好きだという娼婦の膝に頭をもたせかける赤塚不二夫のシーンに
涙ぐむ。声高ではない、静かな映像の力を今更ながら確認する。

映画は1995年に制作された。市川準は、もしかしたら寺田ヒロオの死を知って、
この映画を企画したのかもしれない。「トキワ荘の青春」は寺田ヒロオへの追
悼のように見える。いや、純粋にマンガのことだけを考え夢見ていた青年たち
へのレクイエムのようだ。

1948年生まれの市川監督は、「スポーツマン金太郎」の頃は11歳。間違いなく
彼は、それを読んでいただろう。近所の原っぱで仲間たちと野球をやったこと
だろう。そんな時代を過ごした彼は寺田ヒロオの死を知って、何かを感じたに
違いない。

市川監督は自らの少年時代を追憶するように、豊島区椎名町にあったトキワ荘
を再現し、昭和30年代の原っぱを作り出す。電信柱があり、街角にゴミ箱が設
置されている。真っ赤なポストが立っている。板塀の住宅に囲まれた路地があ
る。しかし、いつものように市川監督は過剰な思い入れをしない。淡々と控え
めなキャメラワークで青年たちの貧しく夢に充ちていた日々を描いていく。

●時は移り青年たちの境遇は変わってゆく

テレビもない時代。地方からマンガに夢を託して出てきた若者たちがいる。ト
キワ荘は若きマンガ家志望者たちの合宿所のようだ。自炊をしマンガを描き続
ける。金がないからキャベツを塩で炒めただけのおかずで過ごすことも多い。
連れだって銭湯にいく。近所の原っぱで野球をやる。

親や兄弟が心配してやってくる。藤子不二雄のひとり藤本弘の母親がやってく
る。「世の中には好きな仕事を持っていない人が多いのに、あなたには好きな
仕事があるのだから幸福よ」と言う。寺田ヒロシの兄もやってくる。堅実な仕
事をやれ、サラリーマンになれ、と説教しにきたのだが、弟の夢が堅いことを
知ると黙って帰っていく。

マンガというジャンルの草創期に青春が重なった彼らは幸福だ。彼らはまだ未
知で未開拓なジャンルを切り開いてゆける。そのことが、彼らの夢をさらに膨
らませる。彼らがトキワ荘に集っていた頃、マンガはマーケットを広げ読者を
拡大しつつ様々に変化し始めていた。

やがて、トキワ荘の仲間がひとり、ふたりと売れていく。しかし、石森章太郎
や赤塚不二夫などとは別に、森安なおやのように売れないマンガ家もいる。ラ
ーメン好きの鈴木さんとしてキャラクターは有名になるが、マンガ家にはなれ
ずアニメーターとして生きることになる鈴木伸一もいる。

彼らは青春の一時期、同じ屋根の下で夢を共有した仲間たちだ。しかし、青年
たちがずっと同じ夢を持ち、仲間でいられるほど年月はやさしくはない。いや、
年月ほど残酷なものはない。時間は流れ、様々なことが変わってゆく。

理想家肌の寺田ヒロシは悩む。彼は、子供たちに夢を与えるマンガを描くこと
をめざしている。どんなマンガでもいいから売れたいのではない。彼は自分が
理想とするマンガを描き、それによって子供たちに夢や希望を抱いてもらいた
いのだ。

自分の考えるマンガと売れるマンガとのギャップに悩む寺田ヒロシは、次第に
心の中に空虚のようなものを感じ始める。石森も赤塚も自分を追い抜いていく。
彼の心に違和感が忍び込む。マンガを続けるかどうか彼は迷う。

ラストシーン。彼は原っぱで子供たちの野球を見る。ボールを拾ってやった少
年が背を向けると、背番号は「0」である。彼のマンガの主人公のように……

●夢を実現した後も続く長い長い人生

「トキワ荘の青春」は夢を追い続ける青年たちを手放しで描いているのではな
い。実名で登場する彼らのその後を観客たちは知っている。赤塚不二夫は映画
の時点から十年もしないうちに「おそ松くん」を描き、すでに売れ始めていた
石森章太郎はSFマンガの第一人者になる。

藤子不二雄が大ヒット作「オバケのQ太郎」を描くのもそう遠くない。東京の
実家からトキワ荘に通ってくるつのだじろうは彼らより少し遅れるが、後に
「うしろの百太郎」や「空手バカ一代」で一世を風靡する。

しかし、売れっ子マンガ家になり社会的にも成功した彼らは、青年時代に考え
ていたマンガを本当に描いたのだろうか。純粋に彼らは夢を実現したのだろう
か。そこには様々な妥協や自己への誤魔化しや言い訳があるのではないか。

自己の理想とコマーシャリズムとのギャップに悩んだこともあったのではない
か。そんな時、自分の考えに殉じてマンガを断念した寺田ヒロオという存在が
彼らを責めなかっただろうか。

寺田ヒロオの「そして、僕はトキワ荘を出た」というナレーションで映画は唐
突に終わる。夢を共有できた牧歌的な時代は終わった。夢に向かって一心に努
力している時が最も幸福だったのだと、この映画は語っているようだ。その後
には、長く苦い人生が待っている。それは、どんな人も避けられないことだ。

「トキワ荘の青春」の登場人物たちの映画の中の時間に僕は羨望をおぼえる。
しかし、彼らのその後の生涯を想う時、ある種の悲しみと共にままならない人
生の皮肉を感じないではいられない。生涯かけて純粋に自分の夢を実現できる
人間なんていゃあしないんだ、とつぶやきたくなる。

長い人生の中でほんの一瞬だけ許された、後から振り返ればその時期だけが光
り輝いて見える「夢だけに向かって生きていた(いられた)日々」──それが
青春というものかもしれない。残念だが、多くの人は過ぎ去ってから気付く。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。「戦後野球マンガ史」(米沢嘉博/平凡社新書)が面白かった。
こういう資料をまとめてもらえると嬉しくなる。筆者は僕より年下だが、ホン
トによく調べている。僕は「男どアホウ甲子園」のナンセンスさが好きだった
なあ。

ネットギャラリー&オリジナルプリント販売
http://www.genkosha.com/gallery/photo/

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■金曜ノラネコ便
目のつけどころがヘンですか?

堀本真理美
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以前友人から「"怒ってるんだぞぉ!"ってコラム、シリーズで書いてよ」と言
われたことがある。

曰く、「なんかさ、目のつけ所が面白いよね」とか「よくそんなこと気付くね
ぇ」と一笑されてしまうような出来事に、わたしは憤慨するタチらしい。けれ
ど、自分としてはけっこう真面目に憤慨しているのだ。失敬な。

例えば、あるとき近所の和菓子屋の前に「草餅」のノボリが出ているのを見つ
け、「草餅くださいな~♪」と行ってみると、草餅は売り切れていた。ついさ
っき最後の1個が売れちゃったのよねぇ、という感じではなく、どう見ても2時
間前には完売していた様子。それならば、なぜ売っていない商品のノボリを出
しておくのだぁ~! というのがわたしの言い分(もちろん口に出して店の人
は言えない)。そんなことで怒るな? ごもっとも。では50歩譲って、単にわ
たしの食い意地がはっているだけとしておこう。

また、ある日のJR池袋駅のみどりの窓口でのこと。日曜の午後ということもあ
り、カウンターには長蛇の列。ちょっとウンザリしつつも、わたしはあらかじ
めJR CYBERSTATION(http://www.jr.cyberstation.ne.jp/)で調べておいた詳
細を購入用紙に書き込み、列に並んだ。すると、わたしの後ろで時刻表をいぶ
かしげに眺めていた女の子が、周囲の人にいろいろ質問し始めた。

そうよ、あのぶ厚い時刻表がわかりにくいがために、利用者は「とりあえず窓
口に行ってから聞けばいいや」と行列がどんどん長くなってるんじゃないの? 
とわたしは思った。前述の彼女は「グリーン車ってなんですか?」と聞いてい
た。びっくり。

サイバーステーションの空席案内検索はすごく便利なのに……どうしてこうい
う場所でこそ活用しないんだろう。少なくともあのワケのわからない時刻表よ
りよっぽど楽に速く、乗りたい列車が調べられるのに……。遅々として進まな
い行列と時刻表片手に途方に暮れる女の子を見てそんな風に思った。

このように家の外に出ると(いや、出なくても、電話ですら)頻繁に、疑問、
憤慨、困惑、などを感じることが少なくないのだが、実際はこの程度のことは
取るに足らないのだ。わたしなどとは比べ物にならない怒りに満ちあふれてい
る人物がいたのだ。それは哲学博士で大学教授の中島義道氏である。

先日偶然に『うるさい日本の私』という彼の著書を見つけて、タイトルが興味
をひいたので読んでみたら、これがまあ、エライ剣幕で「音漬け社会ニッポン」
への怒りをぶちまけている本なのだ。現代日本のスピーカー地獄における彼の
凄まじいまでの戦いぶりは本書で確かめて頂くとして、まえがきにこんな文章
がある。

・本人にとっては苦痛であるのに、たとえ告白したとしても「ささいなこと」
 として片づけられてしまう。
・したがって、それを訴えること自体が「わがまま」だとみなされ嫌がられる。
・とすると「自分で解決する」ほかないわけだが、さしあたりいかなる解決も
 思い浮かばない。

そう、そう、そうなのよ。程度はかなり軽いが、実はわたしも彼と同じ「スピ
ーカー音恐怖症」かもしれない、と思い当たった。

家から徒歩30秒のところに猫の額ほどの児童公園がある。その公園の隅に四方
を向いた拡声器がついた柱が立っているのだが、ここから毎日休むことなく午
後5時になるとドでかいチャイム音が響き渡るのだ。わたしにとってこの音は、
すごく不快、なのである。

この拡声器は地域の防災無線用だが、あまり重要とは思えない放送しかしたこ
とがない。やれ選挙だ、区民祭りだ、気象通報だ、と大音量で「お知らせ」さ
れるのである。知りたくもないのに。

[怒り]というほどの感情ではないけれど、こうしたやり場のない疑問というか
困惑というか「なんでそ~なのぉ?!」な出来事、皆さんの身の回りでも起き
ているに違いないと思うのだが……そうでもなかったりして(弱気)。

●今週の画像:目の敵にしています
http://www.macforest.com/dgcr/021101.html

【ほりもと・まりみ】mari@macforest.com
まだまだ花粉は飛んでいる! アレルギー性結膜炎に悩まされてます。原因は
ブタクサという植物で、それらが枯れる11月下旬まで症状は治まらないらしい。
医者:「それまで頑張ってね」だって……。

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■セミナー案内
iMedio conference 2002
「~NHKアーカイブスのオープンを前に~ブロードバンド時代・放送コンテン
ツ流通の課題と展望」
http://www.imedio.or.jp/conference2002/
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収集・保存してきた映像資産を一括して管理し、多角的に活用する施設「NHK
アーカイブス」が、来年2月に埼玉県川口市にオープン。放送と通信の融合が
一段と進む中、NHKが持つ先進的な「電子授業」フルデジタル教材や、総務省
の「権利クリアランス実証実験」への取組みなどの具体例を紹介。

ブロードバンドでの放送コンテンツ流通の課題である、著作権保護とコンテン
ツ管理についての解説は、まさにコンテンツホルダー必見!

http://www.nhk.or.jp/  日本放送協会
http://www.nhk.or.jp/archives/  建設と連動した番組「NHKアーカイブス」

講演日時:11月8日(金)午後2:20~午後3:20(60分)
講演者:日本放送協会 大井康祐氏
費用:1,000円(税込み)

大井康祐氏プロフィール
1968年 早稲田大学第一政経学部政治学科卒業後、記者としてNHKに入局。
1974年 報道局政治部
    以降、総理大臣官邸、自民党、野党、大蔵省、外務省、労働省、防衛
    庁等の取材担当、政治部デスク、報道番組「ニュースセンター21」、
    「おはよう日本」の編集責任者等歴任。
1996年 報道局システム開発部長
1998年 放送事業局権利情報センター長
1999年 マルチメディア局次長
2000年 現職、日本放送協会放送総局アーカイブス建設事務局局長に就任

<参考>
http://www.jdaa.gr.jp/  デジタルアーカイブ推進協議会
http://www.dcaj.or.jp/  デジタルコンテンツ協会
http://www.digital-museum.gr.jp/  デジタル・ミュージアム推進協議会

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■編集後記(11/1)
・早くも11月。毎日メルマガをふたつ発行するという暴挙に出て2か月を経過
した。予想以上にたいへんであった。毎日3時のお茶くらいまで気が抜けない。
いままでは毎日がウィークデーで休みはないけどお気楽な時間を送っていたの
だが、いまはほんとうに土日が楽しみである。休めるからいいのではなく、ゆ
っくり整理する時間があるから土日が貴重なのである。でもなあ、このスタイ
ルもあまり美しくない。人からは、毎日のんびりへらへら遊んでいるようにみ
られたいものだ(いまでもそう見られているか?)。早く編集システムを組み
上げなければ。やはりデータベースだ。FileMakerは買ったものの、なにもし
ないうちに新バージョンが出てしまった。これには大いに反省。  (柴田)
・写真展やコンクール情報がとくに充実しています。読んでね。
http://www.dgcr.com/photo

・Amazon.co.jpの「おすすめ商品」の欠点。あるバンドのCDを買ったら、私が
嫌いで、まったく興味のないバンドをすすめてくる。わかるんだけど。私の買
ったバンドのファン層とかなり重なるから、きっとその人たちの購買履歴には、
この二つのバンドが並んでいるんだ。で、「興味なし」をクリックしても、同
じバンドの違うタイトルをずらずらと列記。商品単位だけでなく著者、バンド
名でもおすすめリストから削除してくれぇ。あと、いま買わないけど、いいと
思っているものに関しては「興味あり」ボタンがあれば、もっと傾向がわかっ
ていいと思うんだけどなぁ。特に音楽CDなんかだと、限定版は持っているけど
通常版がおすすめに並んでいて、買うことはないだろうけど、興味がないわけ
じゃないし、でもこのままいつまでもリストに並んでいるのもうっとおしいし
なぁと。/コクーンの学習能力ってどんなもんなんでしょー。(hammer.mule)
http://www.sony.jp/products/Consumer/cocoon/  コクーン  ↓触覚
http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20021031301.html

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 ッチ・出力講座」 詳細は1174号。

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
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