[1196] 美と倫理の基準を求めて

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1196   2002/11/12.Tue.発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 21590部
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          <失なった時間>

■デジタルサウンズ研究室
 美と倫理の基準を求めて
 モモヨ

■web bau -蜘蛛の糸から理念を紡ぐ-08
 伝えたいことは何?(1)
 UZ

■電網悠語:Ridual開発記編(16)
 時間
 三井英樹



■デジタルサウンズ研究室 
美と倫理の基準を求めて

モモヨ
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その3 音楽と易経

ながながと儒教、時に易経の周辺を論じてきたが、このシリーズは今回が最後
だ。で、今回は、それがデジタルサウンドと如何なる関わりがあるかを考えて
みよう。

千利休に千宗易という異称があるのはよく知られているが、この宗易なんぞは、
前々回、このコラム末尾に論じた易=蜥蜴説をあてはめて眺めると、凄いこと
になってくる。宗という字に、宗主という意味を与えれば、宗易は蜥蜴の宗主
を意味する。英語でいえば、Lizard KingといえばThe Doorsの盟主、ジム・モ
リスンなのである。こうした意味論的な、あるいは象徴論的な視点にのみ絞っ
て考えると、利休もドアーズのジム・モリスンも同じ自画像を心の奥に蔵して
いた(?)ということになるのである。

だから、ロックファン、特にドアーズファンは易経を学ぶべし、なんて言うと
トンデモ本の世界になってしまう。もちろん、そんな主張をするつもりは、こ
れぽっちもない。ここでは、単純に蜥蜴という存在の持つ象徴的意味を覚知し
て欲しいだけだ。

前回の末尾に、易経ソフトをどなたか作ってくれないか、なんて安易な呼びか
けをしてしまったが、実は、以前、私自身がそれをモノにしようとしたことも
あった。

CD固有の再生機能を使って易経を実践するのである。

企画の肝要なところは、所要時間一分足らずのトラックを易経全六十四卦に即
して制作する、これにつきる。64曲すべてのフレーズはそれぞれの卦に対応さ
せ、それぞれ卦が持つ独自のイメージを含ませるのだ。で、通常の曲順は易経
オリジナルのそれに準じたものにしておく。これを占いの道具にするのだ。

ミソはユーザーにランダムプレイで再生してもらう、この点である。ソフトに
は簡単なブックレットをオマケでつけておきたい。これを使って偶然再生され
たトラックナンバーから卦を読み取る。もちろん、占い以外にも連綿と再生さ
れるフレーズの流れは環境音楽として十分観賞に耐えるものにしておくのだ。
ユーザーの都合で、占い用に使ったり、毎度異なる曲順の環境用音楽に使って
もらうのである。

というこれについては、実は、売れる売れないに関わらず、いつか私自身のた
めに制作しようと思っている。

ところで、身近に偏在し過ぎているためかどうか、私たち日本人は、こうした
東洋の知恵を軽んじる傾向がある。例えば、『アンドロイドは電気羊の……』
の作者、フィリップ・K・ディックのように、易経によって物語の行く末を決
めつつ長編一作をものにした作家もいるが、こうしたアプローチを日本の作家
がした例を私は知らない。

易経、Book Of Changesは、日本国内に比較して、より本質的な捉え方をされ
ているし、ディックの例のように実践されてもいる。実際、数多くのジャンル
で、偶然をとらえる試みは理論武装を繰り返し、歴史の中に立ち表われている。
いわく、偶然性の音楽であるとか、チャンスオペレーションであるとかいうの
がこの類だ。そこにも、東洋的叡智の影響が見受けられる。

例えば、ブライアン・イーノが七十年代に考案した音楽制作用のカードがあ
る。これはスタジオでアイデアが思いつかない時に利用するものだそうで、
カードそれぞれには、

『幽玄、静けさの中でオーバードライブギター』

という具体的な一行が書かれている。つまり、全てのカードには、音楽の各種
位相を示唆する表現が用いられているわけで、スタジオで制作に煮詰まる度に
シャッフルした中から一枚を抜き、そのカードの指示に従うのである。カード
には具体的呼称がついていたが、それは失念したが、いずれにしろ、きわめて
易経的アプローチといえる。

イーノだけではない。イーノがこのカードの存在を公表した時期、共同でアル
バムを制作していたデビッド・ボウイにしても東洋的叡智に対する尊敬の念は
本物だ。そして、悲しいかな、この国には、今のところ、彼らの期待に応え得
る人材がほとんどいない。残念なことである。

いまここに私が書いているものが、読者の胸に落ち着くには、それなりの機な
り縁なりが必要かもしれない。そもそもが、私自身が、前にも書いたように、
論語知らずであったし、天啓がなければ縁も開けなかったろう。

現在、あらゆる理論、主義、体系が混乱の様相を帯びてきている。これは私が
今更書くまでもないが、そのような時であるからこそ、神がかったりするもの
は疑い倒して、実践的に東洋の叡智を学ぶべきだと思う。

原稿、総タイトル『美と倫理の基準』の秘密は不立文字だ。花を持って花を伝
えるしかないのである。

モモヨ(リザード)
http://www.babylonic.com/

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■web bau -蜘蛛の糸から理念を紡ぐ-08
伝えたいことは何?(1)

UZ
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日記サイトは、個人がメディアを持てるというWebのメリットの最たるものだ。
その人のアタマの中をさらけ出すことで、その人に興味を持ち、つながりを持
ちたいと願う人間が出てくる。今までは、単に自分で読み返すくらいの忘備録
が、全く新しい人間関係を生むメディアとなるのだ。知らないうちに、知らな
い人に情報を与え、影響を与えているかもしれない。

しかし、書き手の立場からすると、そこまで意識して日記をWebにアップして
いるかどうかは、疑問である。そうとう確信犯的に作らないと、日記は不特定
多数を相手にしたコミュニケーション手段には、ならない。どちらかといえば
何も考えず、ただ日記がデータとして残って、自分でもきれいなインターフェ
イスで見える、というくらいの理由でアップしている人が多いだろう。

ではWebかどうかは別にして、そもそも日記とは、なぜ、何のために書くもの
なのだろう。

文化人類学者の梅禎忠夫氏は「日記というものは、時間を異にした『自分』と
いう『他人』との文通である」と定義している。

未来の自分に、今の自分を伝えたい。未来になったとき、過去の自分を知りた
いのだ。(今日の日記のページに「1年前の日記」が表示されるようにしてい
る人がいる。まさしく過去の自分を認識するためのツールになっている)

文章を起こし、それを自ら読むという行為は、「伝えたい」という願望の表現
の一つなのだと思う。文章は絵画や音楽などがそうであるように、表現するた
めの技術が必要な道具だ。言葉は、解釈がある程度決まっていて、感覚、感情、
心理などを伝える共通の道具になりえる。しかし技術が充分でないと、微妙な
感覚のずれが生じる。伝えたい意味と異なる意味でものごとが伝わると、誤解
が生まれる。

文章を書く第一義的な意味は、自分がものごとを整頓し、客観的に捉えること
だと思う。よく理解できない自分に対して、もう一人の自分が整頓し、わかり
やすくして伝えるためだ。

次に来る理由が、自分以外の対象者に何かを伝えるということ。対象者がはっ
きり存在する場合もある。受け取られることが前提の文章、ビジネス文書など
の手紙はそうだ。

しかし、実は、反応を期待して書かれるものばかりでもない。対象者は思いが
届くことのない、遠くに存在する異性かもしれない。もうこの世にはいない誰
か、またはまだこの世にいない誰かかも知れない。日記、エッセイ、小説、シ
ナリオなどは、その類。

現状、Webで日記を公開している多くの人々は、ここがWebという広大なメディ
アであることは、意識していないと思う。立ち位置なんてどこでもいいのかも
しれない。

だけど対象者は、書き手の中でははっきりしていると思う。日記サイトでは、
形式上は日記だから対象者を明確にしなくてよくて、しかしWebだから読んで
いるかもしれないという淡い期待があり、多少高揚し緊張感を抱きながら書く。
そして自分のサイトにアップする。

●日記サイトの次 -ブロッグ-

そう考えると、なぜWeb上に公開されるものを作るときに「自己満足」に陥り
がちなのか、理由が見えてくる。

多くのWebサイトの場合、対象者は明確ではない。ターゲットの設定を行うも、
全くターゲット層から反応が得られない場合や、ターゲットと全く異なるユー
ザーに、意図したのと全く異なる使われ方をしたりする。

日記サイトと同様に、企業のサイトが自己満足に陥りがちなのは、伝えたい対
象者や内容がはっきりしないまま、Webというメディアに公開するという、表
現の快楽ばかりを追いかけてしまうからなのではないだろうか。

半年ほど前から、個人のメディアの新しい潮流と言われている「blogs(ブロ
ッグ)」(*)とは、日記サイトの発展形。特徴ある切り口を持って集めた情
報を公開するサイトである。ただの日記とは一線を画す、批評集や独自リンク
集といった個人色の濃いもののことを指す。オリジナル曲をリミックスするDJ
のようなものだろうか。

ブロッグサイトに必要なのは、作り手のセンスや、いかに共感を呼べるもので
あるかということである。リサーチの基準は、作り手の個性。自分ブランドで
商品を集め、セレクトショップをプロデュースするように、収集と編集の能力
が必要となるだろう。

日記サイトが今までの潮流であったとしたら、増えすぎたWebサイトという道
具を選抜することで自分を表現するブロッグが、これからの自己表現の潮流な
のかもしれない。ユーザーとしても、ただの日記サイトより数倍、便利だ。

これなら、企業のWebサイトにしても、応用できそうだ。数ある企業活動の中
から、Webサイトに載せて面白そうなサービスをピックアップする。企業がユ
ーザーの立場になって、便利そうなものから載せていくなら、企業側も満足、
ユーザーも満足。

●伝えたいことがあるから

自分で感じたことを発信する者として、自分は制作というものを目指した。水
の流れではなく、湧き出す水から作り出すような作業が、その苦しみでもあり、
楽しみでもある。

結果的に有害な物質となるか、有益なものとなるのかという、作り手の意図が
入っていない場合、それはアートと呼ばれるのかもしれない。アートであれば、
感性から来る衝動から物ができる。その後に左脳からの意図は付け加えられる
(しかも、しばしば本人ではなく受け手側から)。

しかし、誰にでも気持ちの良い構図や色使いがある。もしくは感触がある。気
分を感化される理由は、長い生き物の歴史、人間の歴史から徐々に明らかにな
ってきたものだ。それを形にするのがデザインであり、衝動からものを作る作
業とは、種類の違う作業である。頭を使う。感覚も必要。そしてひとりでは、
できない。

伝えたいことはなんなのか、どうすれば伝わるのか。人間として存在している
以上、それを考えずに時間が過ぎることはない。多くの場合は、対象となる人
に、自分という存在を認識してもらうために、伝え方を考える。他の人に対し
てのみではない。自分が自らを認識するために、自分に対して伝えたい、とい
うこともある。

料理を作る。自分だけが食べるのに、パセリやミントの葉を飾ったりは、あま
りしないが、それでも盛り付けには多少の工夫をするだろう。もし人に煮物を
食べさせるならば、鍋から直接食べさせる人はそんなにいない。料理を味わう
という喜びを、その人に伝えたいから、彩りや味付けを考えるのだ。

 --次回に続く

(*)
http://www.blogger.com/
ブロッグサイトを作成するツールを公開。現在もさまざまなブロッグサイト
が生まれている。
http://www.zdnet.co.jp/news/0202/06/e_dvorak.html
ブロッグ現象についてのレポート。

【uz】
某コンピューターパッケージベンダー勤務を経て、現在はWeb系ライター、Web
サイト構築業務に携わる。
「映画を研究する人々のためのサイト Urban Cinema Squad」
http://www.u-c-s.org/ もよろしく。

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■電網悠語:Ridual開発記編(16)
時間

三井英樹 / ※Ridual=XMLベースのWebサイト構築ツール
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インターネット時代に入って、私達は何を得て何を失ったのだろう。....どち
らも「時間」ではないだろうか。

特定の情報が欲しいとする。ネット前なら、図書館や人づてに情報の尻尾を嗅
ぎまわり、全体像に迫っていく。ネット後なら、少しのキー操作で殆どのこと
が事足りる。直接誰かに会いに行くことは出来なくても、その誰かの「言葉」
に辿り着く時間も短縮された。

特定の情報を記録したいと思う。どうせ書くなら、誰かにも見てもらおうと思
う。力の入れようも変わるが、やりがいが生まれる。見知らぬ誰かに評価され
る喜びは、体験したものでないと分からないだろう。情報を残す時間も大幅に
短縮された。いやこれはネットがなければ不可能に近いものだった。市井の人
のコメントに全くの他人が触れることができるのだ。

失った時間もある。今までだと帰宅して新聞を開き、その印刷された時間まで
のニュースが束になって形として存在した。帰宅前に確認したニュースサイト
が家で待っている新聞よりも未来を報じてくれている。結果を知ってから、そ
の発端を新聞で見ることになる。新聞報道に物足りなさを感じたりもする。そ
もそも新聞を味わう時間が減っている。

好きな選手の試合など、録画を見るまで、絶対に結果を知るまいと意地になっ
ていると、そうした情報に触れることすらできないこともある。日々蓄積され
る情報に押し流されて、システムが決めた規定数を超えるとリストに載らない。
最新の情報が追加される毎に、多くの情報が奥へ奥へと消えていく。同時にそ
れを味わう時間も、ネットの中に消えていく。まるで、何かに追われるかのよ
うに。

それでも相対的には、時間を得た気がする。失った時間は気がつかないのでカ
ウントしようもない。人参を目の前にぶら下げられたようにも感じつつ、この
ドッグイヤーを駆け抜ける。時間を「得」したように思い込みながら。

時間を得た分、時間を浪費させられるものに寛容さがなくなってきている。迷
子にさせられるWebサイト。どこをクリックすればよいか考えさせるデザイン。
有効利用しそうにもないアンケートの設問。ダウンロードにやたら時間がかか
る何か。毎回メニューの中の奥のほうを探さないと出てこない機能。必要な情
報を得るまでに何回も単なる挨拶メールを必要とする担当者。イライラする。

時間の流れる速度が部分的に加速されてるのに、その部分と何かをつなぐ場面
で今までと同じように時間がゆったりとまったりと流れている。断続状に「動
く歩道」が配置されているような感じ。そんな道が延々と続いている。しかも
不規則でリズムもつかめないように。そっちが普通なんだと頭で理解しても、
なにか不快感が伴う。

ネットに慣れ親しんだ者にとって、時間がキーワードであるならば、情報への
アクセス時間を基準に、そのサイトの優劣がつけられるだろう。単純にクリッ
ク数だけじゃなく、ボタンの大きさや総合デザインも考慮して。時間をキー
ワードにしたら、もう少し客観的なユーザビリティの判断基準ができるのかも
しれない。

時間が価値を持っているのは、仮想空間だけじゃない。パソコン等が分かり易
い。新版のリリースは早い。それなりの価格のマシンを買うと、もう少し待て
ば良かったと誰もが思わされる。新版はやはり魅力的な機能を増しているもの
だ。その新旧のマシンの間にどんな価値の差があるのだろう。きっと、「早く
使った」という時間が価値なのだ。1月の大きな展示会で新製品が発表される
のを待つのと、型落ちを了解してクリスマス前に購入して使い始めるのを、ど
ちらが価値あるとするか。それは時間の価値化の問題だとも言える。

さて、開発はどうだろう。開発の時間はこの数年間で短縮されたのか。コー
ディング作業などピンポイントでは短縮された。でも全体的には余りそうは思
えない。何がネックなのだろう。連携だと思う。ツールとツールの連携。思考
と現実との連携。人と人との連携。情報とデータの連携。飛躍的に加速された
ものがあるだろうか。

Ridualを見せると、ほとんどの場合、「それ、○○でできるよ」という反応が
返ってくる。○○は既存のHTMLエディタであったり、オフィス製品であったり
だ。でも、私には断続的動く歩道に見える。部分が加速されても、全体として
はそうではない。

機能を説明するたびに、それは○○で、それは△△で、それは□□で、とツー
ルの名前が並ぶ。で、その○○と△△と□□を連続して使って、使いやすいで
しょうか? 手に馴染んだツールは快適である、というのが大抵の答えだ。そ
れには賛成だ。出てくるツールは殆ど全て私も好きなツールだ、その幾つかは
休日にも何時間もいじっていて楽しいものもある。

しかし、仕事上ロスしている時間が存在してることには気がついている。その
ツールを使うことに目的があるのではない、目的は他のところにある。そして、
その目的はひとつのツールだけで達成できるものでないし、1人で辿り着ける
ものでもない。そこそこに情報が記述できれば、他ツールとの連携のほうが重
要であるシーンは多々あるのではないだろうか。

時間や連携といった言葉を中心に、開発作業を見直して、その最大公約数的な
機能をひとつのツールに凝縮したい。既存製品と共存しつつ。

【みつい・ひでき】 h-mitsui@nri.co.jp / info@ridual.jp
時間をキーワードにすると、重くなっていくソフトは改悪と言えるかもしれな
い。かくいうRidualも多ページサイトでは重い。Macromedia DevConにひょん
なことから出展します。聞きたいセッションが多いので少し複雑な気分。

・Ridual(XMLベースのWebサイト構築ツール)公式サイト
http://www.ridual.jp/
・超個人的育児サイト(書籍は絶版中)
http://member.nifty.ne.jp/mit/MilkAge/index.html

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■編集後記(11/12)
・ちょっと頭が冴えない日曜日、じゃ自転車で一走りと10時前に家を出て17号
線を南に向かったら、途中で長い行列に出会った。建物に寄りかかってって座
り込んでいる若者もいる。パチンコ屋さんの開店待ちだった。たぶん日曜日に
限らず毎日がこんな状態なんだろうなと思う。あまり美しい光景ではない。パ
チンコに依存する病の人もたくさんいるらしい。朝日の記事で、パチンコ生活
からの脱却を掲げるWebサイトにアクセスが多いことを知った。禁煙サイトと
いうのもあった。最近のケータイ依存もかなり危険なんじゃないかと思う。と
りあげたらパニックを起こす若者も多いのではないか。多機能になったケータ
イが日本人を支配か? わたしはとっくに捨てちまったから大丈夫。(柴田)

・終点まで20分。空いていた席に座る。と、シルバーシートの前でいらいらし
ているおばあさんがいたので、譲ろうと立ちかける。おばあさんは後ろに目が
あるらしく、まだ立ちおわっていない私の席に荷物を割り込ませ座る。次の駅
でドア付近に立っていた私の横をすり抜けて降りていった。/娘が切符を送っ
てくれたんですわ、と見知らぬ人に話しかけているおばあさん。にこにこして
いる。よっぽど嬉しかったみたいだ。指定席じゃないけれど、ここに座ってい
てもいいんですかね、と。検札員が来て、娘が切符を送ってくれた事情から説
明するおばあさん。いいですよ、追加料金がいくらかかりますが、と返事する。
その検札員もいい人で、おばあさんの長い話をちゃんと聞いていた。その後、
車内販売員が通りかかると、お水かお湯はないかと、薬を飲む事情から説明す
る。お湯とティーバッグが分かれたお茶を勧める販売員。またしばらくたって、
別の販売員が通りかかり、ティーバッグはありませんでしたか?と声をかける。
一から説明するおばあさん。説明を聞き終え、笑顔で離れる販売員。その販売
員と目が合ったら、笑顔を返してきた。みんな事情を聞いて、おばあさんのこ
とが気にかかるようになっちゃってたのね。おばあさんは帰宅したら、娘さん
に、世の中はいい人ばかりだと一から説明するのかなぁ。愛されるのが日常に
なっていて、特に変わった出来事だと思ってないかもなぁ。 (hammer.mule)

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発行   デジタルクリエイターズ <http://www.dgcr.com/>

編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
アシスト    島田敬子 

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