[1214] 燃えつきたい

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1214   2002/12/06.Fri.発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 21130部
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      <「あしたのジョー」を読むためだけに生きていた>

■映画と本と音楽と… 150
 燃えつきたい
 十河 進

■金曜ノラネコ便
 思ったようにいかなかった?2002年
 須貝 弦

■デジクリトーク
 世界がわかるイベントに参加してください。
 石川淳哉



■映画と本と音楽と… 150
燃えつきたい

十河 進
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●ボクシングに熱中した頃

五木寛之の「青春の門」の主人公・伊吹信介は早稲田大学に入学し、体育の授
業を選択しようとしてほとんどの種目が埋まっていたため、やむを得ずボクシ
ングを選ぶことになる。そのボクシングの石井という教師に素質を認められて
彼の家に住み込み訓練を受ける。

僕も同じ経験がある。体育の授業の選択の時に遅れていったため、人気のある
テニスやら球技類は定員が埋まってしまい、残っているのはボクシングだけだ
った。仕方なく僕はボクシングを申し込んだ。もっとも、僕にはまったく才能
がなかったため、教師からスカウトされることはなかったけれど。

体育の授業は休まなければ単位をもらえると聞いていたので、週に一度、僕は
必ずボクシングに通った。当時、僕の大学のボクシング部は関東大会の優勝候
補で優秀な選手が揃っていた。僕は理工学部の校舎内にあるジムで授業を受け
たが、そこにはボクシング部員たちが昼間から裸でウロウロしていた。

ボクシング・ジムの隣がレスリング・ジムでレスリング部員たちが大声をあげ
て格闘をしていた。その中で最も有望な選手が鶴田というのだと級友が教えて
くれた。彼はミュンヘン・オリンピックでメダリストとなり、後にジャンボ鶴
田という名を名乗ることになる。

当時の僕は何級だっただろう。ボクシングはランクがひどく狭く区切られてい
て、ライトフェザー、フェザー、モスキート、フライ、バンタム……などの階
級の名称は覚えているが、自分が何級だったかは忘れてしまった。

ジムに入るとまず運動着に着替える。次にバンテージを掌に巻く。最初はグロ
ーブなど付けさせてもらえない。縄跳びをして汗をかき、次にウェイトを上げ
る。パンチングボールを叩き、仰向けになった腹部に重たいボールを落とされ
る。サンドバッグを叩かせてもらえたのは数カ月後だった。

もちろん基本の説明も受けた。まず、ファイティングポーズ。足を前後に置き、
かかとを浮かせてフットワークに備える。左手の拳を自分の顎の前に置きガー
ドする。右手の拳は少し前に出し、高さは目の位置だ。

ストレートはまっすぐ腕を伸ばし、すぐに引く。出す時より引く時の速さが大
事だった。アッパーも大きく振らずに、すぐに基本スタイルに戻れるようにす
る。フックは小刻みに出す……、今でも躯に染みついた基本は忘れていない。

授業の最後は1分間のシャドウボクシングだった。1分がひどく長く感じられた。
とても3分間のラウンドは保たないと思った。学年末の最後の授業で16オンス
のグローブとヘッドギアを付けて1ラウンドだけ相手のある練習をした。1分ほ
どで腕が上がらなくなった。練習用の16オンスグローブが鉛のように重くなっ
ていた。

しかし、ボクシングが気に入ったのか、二年生になった僕は再び授業でボクシ
ングを選択した。一年目よりは動きやスピードはましになったが、それでもま
ったく素質がないのを改めて確認した。

●あしたのジョーは真っ白に燃えつきた

僕がボクシングをやっていた頃、「少年マガジン」では「あしたのジョー」が
まだ連載されていた。宿敵・力石徹はとっくに死んでしまったが、ジョーは次
々に現れる敵に傷だらけになりながら挑んでいた。彼は死に向かって急速に加
速しながら闘っていた。

何のために闘っているのか、彼自身にもわからなかったはずだ。ただ、生きる
充実感だけを求めて彼は闘い続けた。しかし、彼の闘う姿からは次第に悲しみ
が漂い始めていた。熱狂だけではない何か、闘うことの美しさだけではない何
か、それは悲しみとしか形容のできないものだった。

ジョーが「真っ白に燃えつきた」のは1973年のことだ。正確に言うと「少年マ
ガジン」5月19日号で、5年4ヶ月の間リングで戦い続けた矢吹丈は「燃えたよ
……真っ白に……燃えつきた……真っ白な灰に……」とつぶやいて再びコーナ
ーから立ち上がることはなかった。

その数カ月後、TBSが出していた「調査情報」1973年9月号に沢木耕太郎という
まだ無名の若いライターが「クレイになれなかった男」という短編を掲載した。
僕がそのノンフィクションを読んだのは、1976年に文藝春秋で「敗れざる者た
ち」という単行本にまとまった時である。その作品集の冒頭に「クレイになれ
なかった男」は置かれた。

カシアス内藤という落ち目のボクサーの韓国での再起戦をリングサイドで見な
がら、若きライターは「あしたのジョー」の夢をその試合で見ることを熱望す
る。沢木もまた「あしたのジョー」を読むことだけを支えに、あの激動の時代
を生き延びたひとりだったのだ。

作家の夢枕獏は「『あしたのジョー』を読むためだけに、生きてゆける時代が
あった。他に、生きている理由が全て喪失してしまったとしても、『あしたの
ジョー』の続きを読むためにだけ、次の一週間を自分は生きてゆけるだろうと
思ったことがある」と書いている。

確かに僕もある時期「あしたのジョー」を読むためだけに生きていた。一週間、
僕は「あしたのジョー」を待ち続けた。連載で読んでいた人間にとっては、過
酷な減量の果てにジムの水道がすべて針金でロックされていることを知り狂っ
たようになる力石が、白木葉子が勧める白湯を床に棄てて立ち直るまでに一週
間という時間が経過したのだ。

超人的な努力で減量をやり遂げた力石は、絶対にジョーに負けてはならなかっ
た。だから、そんな力石を殺してしまったジョーには、闘い続けて燃えつきる
以外にどんな生き方も残されてはいない。つかの間の休息の時、ジョーは紀子
とデートをした後、こんな風につぶやく。

  燃えているような充実感は今まで何度もあじわってきたよ
  血だらけのリング上でな
  そこいらの連中みたいにブスブスとくすぶりながら
  不完全燃焼しているんじゃない
  ほんの瞬間にせよ まぶしいほど真っ赤に燃え上がるんだ
  そして あとには真っ白な灰だけが残る
  燃えかすなんか残りゃしない 真っ白な灰だけだ

ここには僕らが熱中したジョーのエッセンスが語られている。まぶしいほど真
っ赤に燃え上がり、真っ白な灰しか残さないほどの充実感……、闘う相手こそ
が自分の最大の理解者であるという幸福な一体感、そんなものは僕らの人生の
どこを探しても存在していなかった。

だが、闘い続けるしかないジョーから紀子は悲しみを感じ「矢吹くん、かわい
そう」と涙を浮かべる。ジョーが闘い続ける姿は悲しみを誘う。それは生きる
悲哀といったものかもしれないが、生きることが闘うことという宿命を背負っ
たジョーから、ついに悲しみが去ることはなかった。

●やってこない“燃えつきるいつか”を望み続ける

昭和45年(1970年)10月22日、日大講堂でWBA世界フライ級タイトルマッチが
行われた。フライ級一位の大場政夫は、チャンピオンのベルクレックをKOで破
り、チャンピオンベルトを手にする。大場政夫は「あしたのジョー」のモデル
と言われたボクサーである。

大場政夫は「あしたのジョー」の連載開始より3年前の昭和40年(1965年)か
らボクシングを始め5年でチャンピオンに登り詰めた。しかし、昭和48年(19
73年)1月25日午前4時頃、首都高速・池袋線の大曲カーブで大場の乗ったスポ
ーツカーが大型トラックに激突して大破した。23歳の夭折だった。

大場政夫は徹底したインファイターだった。「あしたのジョー」のように相手
の懐に入って打ち合った。小さな躯に闘争心を剥き出しにして拳を振るった。
優しい顔つきだったが、瞼が腫れ上がり目が細くなってくると、強烈に闘志を
感じさせた。しかし、僕はいつも彼の試合から悲しみのようなものを感じた。

リング上ではなかったが、結局、悲劇的な死を遂げる彼に運命の影のようなも
のを感じていたのではなかったか、と彼の事故死を知って僕は思った。もちろ
ん、悲劇的な死を知った後だから、そんな風に運命づけるのだと言われればそ
れまでだが、彼の闘う姿にはどこか儚げな何かがあったのだ。

彼の死から五年が経った頃、沢木耕太郎が初めて大場政夫を取り上げた。しか
し、大場の闘う姿がなぜ、あんな風に悲しみを誘ったのか、沢木のノンフィク
ションの中にも答えはなかった。ご多分に漏れず、父親の道楽がひどく大場の
家は貧しかった。水泳が好きだったが、プールに入る30円がなかった。母親を
庭付きの家に住まわせるのが夢だった……。

しかし、僕が感じたのは、貧しさの中から這い上がろうとする強烈な意志が漂
わせる悲しみではない。闘うことだけで自らの運命を切り開こうとしている若
者が、どこかに感じている虚しさのようなものが漂わせる悲しみだったのでは
ないか。それは「あしたのジョー」に感じたと同質の悲しみだった。

大場がチャンピオンを防衛し続けている頃、女性マネージャーが彼の部屋で見
付けた便せんに、激しく何度も書かれていたという「俺はチャンピオンだ。俺
はチャンピオンだ」というフレーズが僕に何かを喚起させる。彼もまた、闘い
続けることに倦んでいたのではないか。いや、闘うことに充実感を感じなくな
りつつあったのではないか。

パンチドランカーの兆しを感じ、それを自覚しながら破滅へと向かっていくジ
ョーにも僕は「ここらで終わりにしようや」という気分を感じていた。「闘い
続けて燃えつきるしかないのなら、さっさと燃えつきたい」と悲しみを抱きな
がらジョーは思ったに違いない。

しかし、現実の世界を生きる僕たちは、あるいは大場政夫のような劇的な死を
死ねず長く生き続けなければならない多くの人間は「そこいらの連中みたいに
ブスブスとくすぶりながら不完全燃焼」するしかないのである。

若き沢木耕太郎は「クレイになれなかった男」の最後に「人間は、燃えつきる
人間と、そうでない人間と、いつか燃えつきたいと望みつづける人間の、三つ
のタイプがあるのだ」と断定し「望みつづけ、望みつづけ、しかし“いつか”
はやってこない。内藤にも、あいつにも、あいつにも、そしてこの俺にも……」
とパセティックに書く。

さだめし僕は「いつか燃えつきたいと望みつづける人間」の典型のようである。
やってこない「いつか」を諦めきれない人間なのだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。カミサンがスペインへ出かけた。実家の母親は何度説明してもス
ペインとフセインを間違え「そんな危ないところへ、おまえ…」と言われたら
しい。電話口で「フセインちゃう。ス・ペ・イ・ン」と大声を出していた。

旧作掲載
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html

竹内敏信ネットギャラリー&オリジナルプリント販売
http://www.genkosha.com/gallery/photo/

フォトテクニックWebSite
http://www.genkosha.co.jp/pt/

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■金曜ノラネコ便
思ったようにいかなかった?2002年

須貝 弦
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この年末の忙しい時に風邪をひいてしまい、若干仕事のペースが鈍ってしまっ
ている。○○さんと□□さんにはとくに、いろいろお待たせして申し訳ありま
せん。待たせているにも関わらずデジクリの原稿を書いている私を、お許し下
さい。

で、そろそろ2002年を振り返るモードとなってきている。今年の私は、なんと
いっても自転車ブームという大きなトピックがあった。自転車にハマりはじめ
たのは昨年の夏のことで、ロードレーサーを買ってしまったのも昨年の暮れだ
ったが、今年はレーサージャージを買ったりヒルクライムのイベントに出たり
と、それまでの自分では考えられないような行動に出た。

が、振り返ってみて、どうよ。体重が減っていないじゃないか。

そう、私は「自転車に乗れば痩せるのではないか」という淡い期待を抱いてい
たのだ。事実、クロスバイクを買った昨年の夏から年末にかけては、僅かでは
あるが体重は減少した。しかし、その後ピッタリと減少傾向は止まってしまい、
ある一定のラインを行き来している(つまり増減している)という状態なのだ。

ひとつは、痩せるほどは自転車に乗っていないのではないか、ということ。そ
れなりに脂肪は燃焼しているが、その分ご飯がおいしくて、すっかり取り戻し
てしまう……そういう釣り合いが取れてしまう状態なのだろう。実際、平日は
駅と自宅の間の往復だけだし、自転車で50km以上走る機会は、現在のところ月
に1回くらいしかない。

もうひとつは、たぶんロードレーサーのせい。なぜ痩せないのを自転車のせい
にするかというと、軽くてスムーズに進むロードレーサーはラクチンでしかた
がないのだ。乗りはじめた頃は、なんだか自転車にせかされるようにペダルを
回転させて、クロスバイクに比べて明らかに速いが、明らかに疲れる……とい
う状態だった。しかし最近になって、ラクして走ることを覚えてしまった。

先日も、友人を誘って鶴見川沿いをサイクリングした。私はロードレーサーに
乗り、身長/体重の近い友人にはクロスバイクを貸した。体力的には明らかに
友人のほうが上回っているのだが、実際にしばらく走ってみると、明らかに友
人の方は疲れている。私は、ほとんど疲れていない。しかし、自転車を取り替
えてクロスバイクに跨がってみると「こりゃ疲れるわ」と思った。両方とも自
分の自転車なのに。

痩せる/痩せないとは関係なく、実際はもっと自転車に乗りたい。乗る時間を
作りたいと思っているのだが、せっかく時間を作っても天気が悪かったり、自
分が体調を崩してしまったりと、どうもうまくいかない。そこで、すでに2003
年の目標は「月間走行距離300km」と決めているのだ。

え? 目標が低いって?
そんなコト言わないでよ、今年はその半分も走れていないんだから……。

●今週の画像
http://homepage.mac.com/macforest/PhotoAlbum6.html
今回はいつもと違って「.mac」のページから、11月に開かれた自転車展の様子
をお届けします。

【すがい・げん】sugai@macforest.com
すっごく久しぶりに連絡を取り合った人から「相変わらずマカーですね」と言
われるくらいのMac派の私だが、現在自宅に2台のPCが。1台はメーカーからの
借り物。1台はついにやってきた自分のPC。これで、某社から「うちMacしかな
いんで貸して下さい」と言っては何度も強引に借りてたPCを返せた。

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■デジクリトーク
世界がわかるイベントに参加してください。

石川淳哉
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冒頭から、まずはお願い。みなさんの12月21日(土)をボクに預けてください。
その夜から、人生が少しだけハッピーになります。きっと。

参加申し込み(無料)フォーム
http://www.joicfp.or.jp/jpn/event/event_01/

またもや、イベントをやる。

今年6月、ワールドカップ応援イベント『2002 FIFA WORLDCUP PUBLIC VIEWING
IN TOKYO』が終わったとき、「この胃の痛さといったら、もう思い出したくも
ない・・・もう慣れないことはやめといた方がいいなイベントの運営なんて」
と、決めたはずだった。舌の根も乾かないうちに・・・っていわれても仕方が
ありませんね。しかし、その内容が、今年ずっとマガジンハウスと取り組み続
けていた「世界がもし100人の村だったら」関連なので、今年の締めくくりと
してやはりボクがやるべきかな? と思い、ついつい手を挙げてしまった。で、
またまた色んな人を巻き込んでしま うことになるのであった。

JOICFPという団体がある。
http://www.joicfp.or.jp/

ジョイセフと読む。「読めないよ」ってよくいわれますが、ゴメンナサイ、そ
う読んでください。正式名称は【家族計画国際協力財団】という。開発途上国
に人口・家族計画・母子保健に関する援助を行うNGO団体財団法人だ。

1968年からというから、もうずいぶんと長い間活動を続けている日本発世界へ
展開する尊い団体なんだが、恥ずかしながらボクは全然知らなかった。ユニセ
フは知っているけれど、ね。みなさんも多分はじめて聴く人が多いんじゃない
かなあ?

それは何故かというと、世界の人口問題という果てしなく大きな問題に取り組
む団体だからかも知れない。「困っている子供に援助が必要」(ユニセフ)っ
て言われた方がそりゃあ身近ですよね。しかし、この団体が日々やっているこ
とと言ったら、凄いことなんですよ。ホントに。人口問題っていう大きな問題
も重要だが、ボクらがまず出来ることは何? っていうことを、本当に頭が下
がるぐらい地道にやっている団体なんです。

ボクは、九州の片田舎で物心つくまで、「この世界は神様や宇宙の真理みたい
なものが微妙なバランスをとっているんだ」と思っていた。その後、「いやい
やバランスは、人間が。それもボクたちが少しずつやっていることが最終的に
世界のバランスになるんだ」なんて思っていた。

40になって初めて、「こういう団体や人々がいない限り、最終的な歪みや調整
をとる人たちはいないんだ」って気づいた。プラモデルのバリ(はみ出た箇所)
の部分を丁寧に削るとるような地道な作業だ。なんとも気付くのが遅すぎた。

遅蒔きながら、そんな人たちの気持ちをわかりやすく伝えるイベントのお手伝
いをさせてもらえるのを最近うれしく思っている。本当は、このような活動を
自分の大半の人生を掛けてやっている人・団体は、もっと沢山存在する。でも
世界の63億人の人と出会うことが出来ないように、自分自身にすべてを取り込
むことは難しい。

だからボクは、単純なんだが出会って感じたら実行に移すようにしている。そ
のための感じる気持ちとフィルターをいつでも整備しておくのが人生において
一番重要なんじゃないかと思ってもいる。結果から言うと、ボクはジョイセフ
に感じた。感じたからイベントのプロデュースを引き受けた。感じたから、今
こうやって寄稿文を書いている。そういうことだ。

はじめにも言ったが、またもや色んな人を巻き込んでしまった。今回の被害者
は、このような人々。

ずっと、この女性と何かやりたかった。
その人、PR会社サニーサイドアップ次原悦子女史。
http://www.ssu.co.jp/

ご存じ、中田英寿、乙武洋匡、大黒摩季、フランシスコ・フィリオなどの所属
事務所として有名だが、PR会社としての有能さは、至る所で耳にしていた。ブ
ランドマネジメント能力の高さと、交渉能力の高さは業界では有名だ。日本の
ビジネスモデル慣習と違う手法を切り拓いた手腕は、つねに凄いなあと思って
いた。

はじめて会って驚いた。抱いていた印象と大きく違ったのだ。事前情報が多く
って、ボクとしたことが、なんか、ちょっと構えていたみたい。実は、すごく
素敵な人だった。ほら、オーラを感じる人っているでしょう? 次原さんは、
まさにそんな女性だった。

このイベントの意義・意味を汲み取る速さと言ったら、まるで超能力者のよう
だった。ボクらが、ゴールイメージを共有するのに少しの時間も必要じゃなか
った。すべてのプロジェクトがこのように最初にイメージが出来たら、どんな
に素敵なんだろう? って感じたのを覚えている。PR活動は、まさにこれから
本格的な領域に入る。PRって決して約束できないつらい仕事だと思う。しかし
ながらスタッフも気持ちのいい人ばかりだ。きっといいPRプログラムが組める
と思う。

永遠に変で、なんかうらやましいぞ。
クラブキング桑原茂一さん。
http://www.clubking.com/

「ここは、警察じゃないよ~」って台詞を知っている人も少ないんだろうなあ。
桑原茂一さんは、ボクの永遠のアイドルだ。高校生のころスネークマンショー
のテープをすり切れるまで聴いていたなあ。友達の家を訪ねるとき、「ドンド
ンドン、警察だ!!!」って悪ふざけをしていた。当時付き合っていた彼女の
家にこの襲撃を掛けたとき、親父が出てきてぶん殴られたことがある。

この人が何者か? ボクはよくわからない。プロデューサー、編集長、選曲家、
コメディアン(?)色んな顔を持っているんだけど、未だによくわからない。
詩や曲や絵画や小説などマルチな分野で活躍した才能たち(セルジュ・ゲンズ
ブールやマルセル・デュシャン)をジェネラリストと呼んだが、その趣ともち
ょっと違うこの人の職業は、「桑原茂一」なんだと思うことにしたとたん、妙
に納得し、ちょっと溜飲が下がった。

なにはともあれ、桑原さんは今、世にも珍しいコミュニティを主催している。
ディクショナリーというフリーペーパーを軸にしたそのコミュニティは、他に
ちょっと例を見ないぐらい、「キッチュ」で「ハートフル」で「尖って」て
「IQが高く」て「デザイン性が高く」て「音楽的」で「頑固」だ。(ボクの印
象なので、あんまり突っ込まないでね、桑原さん)

そんなコミュニティを今回、ジョイセフの人達と「お力を借りよう」と、色ん
なことをお願いした。とにかく、スタッフのみなさんが前のめりに考え、動い
てくれたおかげで12月10日配布の特別編集「ディクショナリー デラックス
mother meets joicfp」は、想像していたより遙かに、すごくいい出来に仕上が
った。街で見かけたらぜひ、手にしてください。

今年は、あなたと一杯一緒にいましたね。
イベント会社 イマジン 小林大介さん

ワールドカップ応援イベント『2002 FIFA WORLDCUP PUBLIC VIEWING IN TOKYO』
仲間、小林さんの手に掛かると企画段階のイベントが魔法のように現実になっ
ていく。やりたいことと出来ることを摺り合わせていく作業にこういうプロの
人は不可欠。ボクは、アイディアまでは立てられるがイベント実務までは手に
負えないのだ。サンキュー、小林さん。

▼1214-2 へつづく

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■編集後記(12/6)
・昔の資料を整理していたら、昔の(といっても7~8年前の)写真が出てきた。
あの当時はけっこうあちこちに講演や取材で出没していたものだが、頭髪はな
んの加工もしていなかったから、そうとうきたない白髪だった。染めるなんて
まったく考えていなかった。いやまったく我ながらジジムサイ。数年前、娘が
いたずら半分で染めてくれたが、そのときは予想以上に真っ黒になって、家族
からは気持ち悪い、いやらしいと悪評ふんぷん。わたし自身やばいと思った。
その後、家族も慣れちゃったし、カラーも黒茶系にしたので、いまや昔の白髪
の面影はない。早くからやっときゃよかったと思う。さっき鏡を見たら隠れた
部分がそうとう白い。今日は染めるか。しばらく臭いのが困るが。 (柴田)

・皆既日食。TVで見ても嬉しくねぇよ!ってな気持ちである。生で見たいに決
まってる。日本での次の皆既、金環日食まで待ってられないっ。2009年と2012
年なんだって。前者は南西諸島に行かないと見られない。それまで待つのかぁ。
2005年のコスタリカ、モロッコあたりは綺麗そうだなぁ。オーロラも見たいな。
流星や日食を追って旅をする人ってのもいいね。      (hammer.mule)
http://www.live-eclipse.org/  TV見逃した人はここで
http://www.live-eclipse.org/jpn/eclipse/map/  なるほど
http://www.live-eclipse.org/jpn/eclipse/map/con5a1.html  北極は流石に
http://www.moonsystem.to/  月はこっち

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 Painterキャラクターデザインブック 1206号。
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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
アシスト    島田敬子 

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