[1250] 肥えた目

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1250    2003/02/13.Thu発行
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          <「凄い、この人、真剣だ」>

■電網悠語:Ridual開発記編(27)
 肥えた目
 三井英樹

■笑わない魚 56
 めちゃくちゃはヨイか
 永吉克之



■電網悠語:Ridual開発記編(27)
肥えた目

三井英樹 / ※Ridual=XMLベースのWebサイト構築ツール
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「最近の子供は目が肥えている」。最近朝日新聞のどこかの特集で語られた言
葉。語ったのはゲーム業界の方で、何がウケるのか予想がつかないという趣旨
だった(確か「学ぶ意欲」という特集だったと思ったんですが、見つけられま
せんでした)。

でもこの言葉を何度か読み返して、自分の体験も踏まえて考えると、なんとな
く違和感があった。そもそも作品は本気で作られているのか、という素朴な疑
問がそこにある。ゲームはド素人なのでテレビで考えてみる。

私は1963年生まれ。アニメやプラモの活気のあった時代に育った。余り裕福な
家庭ではなかったので、飽きるほどそれらに浸った訳でもなく、その頃の映像
には未だにキュンとする。ウルトラマンや仮面ライダーやゴジラなど、その頃
のヒーローは未だに心の中では大きな存在だ。子供とテレビを見る時も、平成
ウルトラマン3部作なんかは、私の方が真剣に見ていた。

実はここ1年殆どテレビは見ていないのだけれど、少なくとも1年前の状況では、
この作品本気で作っているんだろうか、と首をかしげる作品が多々あった。今
でもそれなりに人気がある作品でも、戦いの最中に突然「愛」とかいう言葉が
唐突に出てきて、それまでの力比べ体力勝負戦がいきなり一見高尚な戦いにな
ったりしたものがあった。それまでのストーリーの流れから見て、余りに場違
いな結論。

今までは何だったんだ、そんなんで納得できるのかと怒りさえ感じる。一応一
緒に見ていたけれど、噴出してしまい、隣で真剣に見ていた子供に悪いので咳
でごまかしたりしたものだ。そもそも、キャラクターデザインからして、これ
って最終稿なのかと疑問に感じるものまである。

もちろんそんな作品ばかりじゃない。平成ウルトラマンは自分と同世代の、昔
ウルトラマンに憧れた世代が作ったものに相応しい出来だったし、真剣さがに
じみ出ていた。仮面ライダークウガだって、制作スタッフの情熱が画面からほ
とばしる感があった。所詮怪獣モノだと、ともすると手を抜いてしまうモノに、
本当に真剣に取り組んでいる姿が、確かに伝わってきた。ありきたりの答えで
はない何か、それを考えて台詞にし映像を撮る。見る者に、「こいつら本気で
やってる」と思わせる何か。

メフィラス星人やジャミラ、クレージーゴン...目を閉じるまでもなく、当時
インパクトがあった話は頭に浮かぶ。それを見て育った同世代が当時の疑問を
ぶつけてくる。どうしてウルトラマンは1人でなにもかも背負い込んで戦わな
ければならないのか、人間はただ見ているだけなのか。当時の疑問に最新のCG
映像で自分達なりの答えを伝えてくる。奇麗事で何でも済ます大人は卑怯なの
か。「でも、奇麗事で済めば一番良いじゃん」とクウガは誰にも真似できない
微笑で返す。万人ウケする訳じゃないし、多少空回り的に感じる演出も、荒削
りさも感じたけれど、一生懸命なのは伝わってくる。

こんなドラマを見ているとき、我が子達は真剣だ。一所懸命台詞の意味を受け
取っている。下の娘などは小1にして、私が選んで見せるビデオでは度々涙を
流し、私の手を耐えるようにきつく握る。真剣さは伝わっている。

私はドラマ作りが仕事ではないので分からないことも多いけれど、安直な答え
に流されている作品は増えているように感じてならない。同じ答えに至るにし
ても、怪獣とか荒唐無稽なモノに対する対応にしても、作り手の身を削るよう
な模索を経ているのかはとても大切な要素だ。そしてその苦悩は画面を通じて
伝わって行く。

じゃあその子供達の感受性に今と昔の差はあるのだろうか。多分ない。大人が
真剣に取り組んでいる姿は、スレ切ってしまっていない限り子供達の心には届
いている。今「目が肥えて」いて、見透かされているのは、作り手の安直な逃
げの姿勢ではないだろうか。まぁこれくらいで良いか、スポンサーの意向もあ
るしィ、これ以上やってもやんなくてもワカりゃしないよ、このご都合主義の
設定でもいいさ。こんな声には私達も昔も今も感じ取れるし、今の子供達もそ
うだろう。

さてネットである。自分でサイト訪問をしていて惹かれるのは、技術である場
合もあるけれど、やはり真剣さじゃないかと思うことが多い。星の数ほどある
サイトには色んなサイトがある。HTML技術的にも、グラフィック技量的にも、
全然駄目だと思えても、それでも気になって見に行ってしまうサイトがある。

こんなテーマにこんな情熱をかけている。馬鹿にしているのではない。言葉で
「馬ッ鹿だよね~」と発したとしても、そうした情熱の矛先を向けられる対象
を持っていることに、羨ましさを感じている。「凄い、この人、真剣だ」。そ
れが再度訪問したくなる理由だ。ふとした瞬間、その真剣な未だ見ぬ人が気に
なる。あのサイトどうしてるかな。だから久々に訪ねて、様々な事情で廃屋に
なっていたりすると、なんだか気落ちするし、寂しい。誰かの情熱が冷めるこ
とが寂しい。もう少し頑張って欲しい、と思ってしまう。

ゲームメーカーが目の肥えた子供達を相手に奮闘するように、サイト開発者も
それ以上に奮起しないと駄目なんだろう。これくらいでいいや、これ以上詰め
るのはやめよう、これくらいで勘弁してよ...。多分そんな言葉は伝達されて
しまうのだ。そして、ネットの端っこでまだ見ぬ人が呟く、「あっ、手抜いて
る」。

情熱という言葉で全てを語ることはできないだろう。先日自分でこのコラムを
読み返して、その青臭さに赤面してしまった。しかし、それでも「人」に惹か
れている自分を否定できない。個人サイトであろうと企業サイトであろうと、
頑張っている人やチームの姿が、あるいはその影が見えることが魅力に繋がっ
ている。その本人への興味もあるし、その本人に権限委譲している組織にも興
味が湧く。そしてそれだけ入れ込んでいる対象物にも自然と興味が高まる。

ウルトラマンの話をもう一つ。平成4作目のコスモス。怪獣との共存という今
までにないテーマに挑んだ意欲作。テーマの掘り下げに物足りなさを感じ、更
に最終話直前に主役俳優の誤逮捕のゴタゴタがあって、後味の悪い終わり方を
してしまった作品でもある。そのゴタゴタのさなか、テレビ局は打ち切りを一
度は決意する。しかし話の結末を見せろという視聴者の声に押されて、主役俳
優の映像を出来る限りカットしたモノを放送した。それを見ながら更に考えさ
せられた。

人類の危機が来て、巨大戦士ウルトラマンが現れて、問題を解決する、という
だけではつまらないのだ。苦戦していても、人間が変身するシーンがないだけ
で、感情移入の度合いが下がる。一人の人間が、もがきながら傷つきながらウ
ルトラマンになって戦うからウルトラシリーズは魅力が溢れるのだと知らされ
た。結局「人」なんだ。

どんなに堅牢でパフォーマンスの高いシステムをを作り上げても、それは多分
便利なだけ。好きとか嫌いとか主観の後押しは少ない。だから、より便利なサ
イトが出現したら、さっさと移っていける。後ろめたさもない。それはそのブ
ランドに対する想いが育っていないということだ。人間が変身しないウルトラ
マンと同じ、ただ便利でありがたい存在。でもそこに知人が居たら、別に本当
に会って話せるかどうかは問題ではなくて知っている人、親密感を勝手に抱け
る人が居たなら、話は変わってくる。

ネットは中間層を剥ぎ取っていく構造だ。データを手渡しするだけの層を排除
して需要と供給の接点を驚くほど接近させる。だから現場は情報発信について
多くの権限を持たねば立ち行かなくなる。そしてそれを進めることで、人の姿
がネットの端っこの人にも見えてしまう構造を作れる。ハイテク(最新技術)
&ハイタッチ(心からのもてなし)。数年前にこの言葉が出たときは、イマイ
チ手垢まみれで真実味がなかった気がする。でもITバブルも厳しくなってきた
今は、原点のように思える。現場に居るのも「人」だし、「肥えた目」で厳し
く見てくれるのも「人」である。

ps.
コスモスは、主演の無実が判明した後、彼が登場する回が全て放映された模様。

【みつい・ひでき】 h-mitsui@nri.co.jp / info@ridual.jp
・最近、抽象的な情熱論に傾き過ぎていると反省しているのですが、現実的ノ
ウハウはそもそも余りないので苦労しています。ただ、最近Webデザイナっ
て...と否定的な感じで語られるのに抵抗するのが、単純青春路線の私の役
目かなとも思っています。

・Ridual(XMLベースのWebサイト構築ツール)公式サイト
http://www.ridual.jp/

・超個人的育児サイト(書籍は絶版中)
http://member.nifty.ne.jp/mit/MilkAge/

・2月18日(火)デジハリ東京本校にてRidualについて話します。デジクリ読
 者の方は、デジクリの最初のページ(日付不問)を印刷してくれば、通常
 6000円が3000円になります。領収書発行などで時間がかかる可能性がありま
 すので、お早めにお越し下さい。
 詳細情報:http://op.dhw.co.jp/jsp/user/a1.jsp

 但し、事前登録は必要で、下記にmailしてください。
 ・登録先:partners@dhw.co.jp
 ・Subject:[オープンカレッジ]2/18参加申込
 ・本文:2/18(火)「Webサイト開発の新常識と新非常識」へ参加申込みます。
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■笑わない魚 56
めちゃくちゃはヨイか

永吉克之
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昨今の日本語会話の味気なさたるや、コンクリートを嘗めるかのごとくである。
古来より風流を愛してきた日本人の気質、何処にありや。

                 ■

正しくは「食べられる」を「食べれる」と言ったり「(袖すりあうも)他生の
縁」を「多少の縁」と思い違いをしている国民が増えているのがけしからん、
などとアカデミックなことで嘆いているのではない。

言葉の正否は多数決で決まる。日本人の90パーセントが「食べれる」と言うよ
うなったら、それを「正」と認めるしかないだろう。同じように、日本人の大
半が群馬県を「インカ帝国」と呼ぶようになったら、地図上の名称は暫くの間、
「インカ帝国(旧群馬県)」と表記しなければならない。

個人が批判したところで、時代の趨勢には逆らえないが、日常会話はその国の
民度を表す指標になるのではないか。

【民度】
ある地域に住む人々の、生活水準や文化水準の程度。( goo国語辞典に拠る )

                 ■

「めっちゃ」という若者言葉はフェイドアウトしたかなと思っていたが、若い
連中の会話を聞いていると、少なくとも関西では、まだ命脈を保っている。

「めちゃくちゃ」を「めっちゃ」と簡略化してしまうのは、まず発音しやすい
からだろう。ブラッド・ピットを「ブラピ」と言うがごとくである。要するに、
フルに「ブラッド・ピット」と言うのが面倒なのである。その結果、会話のテ
ンポは良くなるが、語の本来のイメージが減衰してしまう。

最も身近で、道具のいらない表現形態が会話である。せっかくいろんな言葉が
あるのだから、クリエーターなら、安易な簡略化や一時的な流行語を使って、
テンポがいいだけの空疎な会話はしてほしくないものだ。

フランス人は、フランス語が世界一美しい言語だと思っている。そういう身近
なものに「美」を意識することができるから、日本と違って、フランスは芸術
が一般人の生活の中にも根付くことができるのだ。

                 ■

「めっちゃ面白い」と「めちゃくちゃ面白い」

前者の方が発音しやすいが、私は後者の方が、より面白いもののように感じる。

別に、若者言葉に反感を持っているわけではないが、一応、良識のある大人と
しては、この場合、本来の「め(む)ちゃくちゃ」を使って、語感を充分に活
かすべきだと思うのである。

「総理、本年度の防衛予算の割合がめちゃくちゃ増加していますが、この点に
 ついて、ご説明をお願いします」
「今年の芥川賞を受賞する決め手になったのは、作者のめちゃくちゃ繊細な感
 受性であろう」
「この国は建国以来、戦争も民族紛争もなく、めちゃくちゃに平和を享受して
 きたのである」
「古都京都には、いにしへの面影が、めちゃくちゃに残っている」
「どないもこないも、むちゃくちゃでござりまするがな」(花菱アチャコ)

このように正しく使ってこそ、言葉は生きるのである。

【花菱アチャコを紹介したサイト】
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/aw/awr0320.htm

                 ■

私はイタリアやフランスの映画で、タクシーの運転手同士が、路を譲る譲らな
いの口論になって、打々発止の渡り合いをするようなシーンが好きだ。結局罵
り合いなのだが、そのボキャブラリーの豊富さといったら、メモしたいほどで
ある。「このオカマ野郎」「インポ野郎」「お前の女房が間男引っぱり込んで
るのも知らねえでよ」といったようなセリフがポンポン飛び出す。これが現実
にどれだけ近いかは分らないが、少なくとも日本人の喧嘩より面白いだろう。

今の日本では、ケンカを見て「火事とケンカは江戸の花だい」とは言えなくな
ってしまった。燃えやすい木造家屋も減ったし、最近のケンカは陰湿で、殺し
合いの様相を帯びているので、これらはもはや観光資源にはならない。

日本には、元来「トウヘンボク」「オタンコナス」「ボンクラ」「スカタン」
といった味わい深い悪口があったはずなのだが、いつの間にか死語になってし
まった。そして、関東では「バカ」、関西では「アホ」「ボケ」が生き残った。

ちなみに愛知県あたりでは、まだ「タワケ」が主流なのだろうか。それと広島
だが、ヤクザ映画の影響か「くされ外道」という言葉が頭を離れない。しかし、
幼稚園児が「こん、くされ外道があ」とあどけない顔で言っているとは考えら
れないので、主流ではないのだろう。

日本人は口ゲンカがヘタで、またケンカ言葉も非常に乏しいので、すぐに口論
が終わってしまい、あとは実力行使するしかなくなってしまうのだ。ボキャブ
ラリーが豊かというのは大切なことである。

                 ■

また、日常会話の中に諺や格言の類いが用いられなくなったのが、ちと淋しい。

「こんなところで再会できるなんて、縁は異なもの味なもの、だね」なんて、
今の時代、真顔で言えるものではない。言えるものなら言ってみるがいい。恥
ずかしさのあまり失神するだろう。

「畑野、今進行中のプロジェクト、お前も参加してくれないか。お前がいれば、
 鬼に金棒なんだがなあ」
「そんなこといって、金ヅルにする気だろ。その手は桑名の焼きハマグリさ」
「こいつぁ、怖れ入谷の鬼子母神だ。本音をいうとそうなんだ。でもな、金は
 天下の回りものといってな、使ってこそ生きるんだからな」
「お前に説教されるとは、驚き桃の木山椒の木。釈迦に説法とはこのことだ」
「己を釈迦に例えるとは笑止千万なり。それとも貴殿、馬の耳に念仏と間違う
 ておられるのではござらぬのかな、ふふ」
「おのれ愚弄しおって。ただではおかぬ。ええい、抜け! 抜け!」

「拙者を早乙女主水之介と知っての狼藉か。額に冴ゆる三日月は、天下御免の
 向う傷。直参旗本 早乙女主水之介、人呼んで旗本退屈男。諸派流青眼崩し、
 一差し舞うて見せようか。 ふ、ふは、ふはははははははは」

まあ、そういうことなのである。

【ながよしかつゆき/アーティスト】katz@mvc.biglobe.ne.jp
私は日本酒党だったのだが、『あるある大事典』で、焼酎は太りにくいと聞い
て焼酎党にコンバートした。日本酒は忘れられないが、健康のためじゃ、いた
しかたあるまい。「ほな、いっそ飲まんかったらええがな」という意見もある
が、それができれば誰も苦労はせぬわ。
EPIGONE / http://www2u.biglobe.ne.jp/~work/

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■編集後記(2/13)
・432ページもある尾之上浩司編著「ホラー・ガイドブック」(角川ホラー文
庫)をようやく読み終えた。途中一部は斜めに読んだが。「アカデミックな話
題は少ないのでご安心ください」と編著者がことわっている通り、めんどうな
理屈がないのがいい。おもしろければなんでもありがホラーなのだ。日本の作
品紹介が多いのがうれしい。本だけでなく、映画やテレビ番組も取り上げてい
てなつかしくも脱力な物件がぞろぞろ出て来る。それのかなりを知っていたり
リアルタイムで見ていたり、オンエアされた超B級映画を録画して持っていた
りする。いかにわたしの趣味がB級であるかが分かってウレシイ。(柴田)

・上海に戻る。うんざりしている人すみませーん。ネタ楽なんす。/一緒に行
ったMさんはさらっと幸福に出会う人だ。つい「それってラッキーですよ」と
私は言ってしまうけど、彼女には日常茶飯事らしく意識していないようだ。周
荘から中心地へもどった日、Mさんの知り合いの会社へ挨拶に行った。その日
はツアーから離れ、その会社の従業員さんたちに案内してもらっていたから、
お礼のためだった。別のところに行こうかと話していたのに、Mさんが先にそ
の会社に行こうと提案した。着くと先客がいて、その人は「先生」と呼ばれて
いた。その先生夫妻と同じテーブルに座ることになって、名前を聞くが思い出
せない。サインに添えられたイラストを見て、もしかして、と。同席できたの
は30分ほどで、もしあの時にMさんの提案がなければ……。接点を考えたこと
もない人との写真を見ながら不思議な気持ちになっている。 (hammer.mule)
http://www.mol.co.jp/yanagihara.shtml  船で上海に来られたんだって

<応募受付中のプレゼント>
 ハマムラデスクの上海土産 1245号。

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編集長     柴田忠男 <mailto:tdo@green.ocn.ne.jp>
デスク     濱村和恵 <mailto:zacke@days-i.com>
アソシエーツ  神田敏晶 <mailto:kanda@knn.com>
アシスト    島田敬子 <mailto:keiko@days-i.com>

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