[1357] 黄昏を生きる

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1357    2003/07/25.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 20060部
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             <よりよき半分>

■映画と本と音楽と… 179
 黄昏を生きる
 十河 進

■金曜ノラネコ便
 梅雨明けを待ちながら電卓を叩く
 須貝 弦

■ライフスライス研究所
 オリジナルデジカメ開発奮闘記(2003年7月25日金曜日)
 第3回「ライフスライスってインターバル撮影のことだろ?」
 ユビキタスマン



■映画と本と音楽と… 179
黄昏を生きる

十河 進
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●ヘンリー・フォンダの実人生と重なる物語

「黄昏」(1981)という映画を見ると、僕にはスクリーンの中に生きている老
人がヘンリー・フォンダその人に思えてしまう。ヘンリー・フォンダは、校長
として仕事をまっとうし、今は妻と湖畔の別荘で余生を送るノーマンという老
人を演じているのだが、その設定がフォンダ自身にあまりに重なるのである。

原作はヒットした舞台劇である。先日も日本で公演され、ノーマンを杉浦直樹
が演じ、妻を八千草薫が演じた。ノーマンの誕生日に恋人とその連れ子と一緒
にやってくる娘の役は浅野温子だった。原題は「ON GOLDEN POND」という。
PONDはLAKEよりは小さな湖で沼と訳されることもある。原題は「黄金に輝く湖
で」という意味だと思う。

だから、ヘンリー・フォンダを想定して書かれた脚本ではない。実にぴったり
の芝居を娘のジェーン・フォンダは見付けたものだと感心する。この映画は娘
のジェーンがヘンリー・フォンダにアカデミー主演男優賞を獲得させるために
作られた映画なのである。川本三郎さんによると、この映画制作のプロジェク
トは「フォンダ親娘のオスカー・オデッセイ」と呼ばれたという。

ヘンリー・フォンダは、1940年代に代表作を作ってしまった人だ。1940年の
「怒りの葡萄」と1946年の「荒野の決闘」は名匠ジョン・フォードと組んだ映
画史上の名作だし、1947年には同じジョン・フォード監督で「逃亡者」を撮っ
ている。この原作はグレアム・グリーンの代表作「権力と栄光」だった。これ
らの作品は僕の世代からしても大昔の映画だが、本当に素晴らしい。

「怒りの葡萄」で母親に貧しい者の味方として生きていく決意を述べるラスト
シーン、「荒野の決闘」で死んだドク・ホリディの婚約者クレメンタインが東
部に帰る朝、見送りながら「私はクレメンタインという名が好きだ」としか言
えない内気なワイアット・アープの悲しみに充ちたシーン、どちらも何度でも
見返したくなる。

1950年代に入るとリベラルなヘンリー・フォンダは赤狩りを嫌ってハリウッド
映画には出演せず、舞台を中心に活動する。それでも1955年の「ミスタア・ロ
バーツ」、1957年の「十二人の怒れる男」「間違えられた男」など、舞台劇の
映画化作品やヒッチコック作品で代表作を残した。

しかし、1960年代後半から彼は次第に作品に恵まれなくなる。1969年のセルジ
オ・レオーネ監督作品「ウエスタン」に出演した時は「ジョン・フォードの西
部劇に出た名優がなにもマカロニ・ウェスタンに出なくても……」と同情を買
ったという。

●子供たちに凌駕される時

レオーネ監督のファンである僕にとって「ウエスタン」は好きな映画だ。例に
よって回想シーンを断片的にフラッシュカットで挿入し、次第に過去のいきさ
つが判明するという、後に「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」
で完成させる語り口が魅力的な映画だった。

主人公はヨーロッパに出稼ぎにいって世界的な人気スターになったチャールズ
・ブロンソンだったが、最初に見た時、僕は悪役に驚いた。ヘンリー・フォン
ダだったのだ。それも華を持たせた悪役ではなく、徹底的に冷酷非情、感情移
入の余地もない悪役をやっていた。「あのヘンリー・フォンダが……」と僕も
絶句する思いだった。

1969年、「ウエスタン」と同じ年に息子のピーター・フォンダは「イージー・
ライダー」を制作主演し、一躍、ハリウッドの成功者になる。また、娘のジェ
ーンはフランスにいってロジェ・バディム監督と結婚。「獲物の分け前」「バ
ーバレラ」に主演し、帰国してからは精力的にハリウッド映画に出演する。

今から振り返れば、1970年代はジェーン・フォンダの時代だった。彼女は1971
年の「コールガール」(原題の「クルート」の方がずっといいと公開当時から
僕は思っている)と1978年のベトナム戦争後遺症映画「帰郷」で二度もアカデ
ミー主演女優賞を獲得する。おまけに彼女は1977年には、あの名作「ジュリア」
にも主演している。

母親がヘンリー・フォンダに離婚を迫られて自殺したことを知ったピーターと
ジェーンが、長く父親と不仲であったことは公に知られていた。しかし、大人
になって和解し、1981年、一度もアカデミー主演男優賞を獲得していない父親
の手にオスカー像を握らせるためにジェーンは「黄昏」の映画化権を買い取り、
制作に乗り出した。もちろん、劇中の娘の役は自らが演じた。

その時、ヘンリー・フォンダの健康状態は非常に悪く、映画の完成も危ぶまれ
るほどだったという。

●よりよき半分の育み方

映画版「黄昏」は、夕陽を反映して黄金色に輝く湖をタイトルバックにして始
まる。さざ波がその輝きに陰翳を加え、美しさはたとえようもない。これが映
画の強みだ。映像の美しさがタイトルの意味を伝え、これから始まる映画の静
かな雰囲気を導き出す。人生の最後をこんな世界で過ごしたいと誰もが思うこ
とだろう。

湖畔の誰もいない別荘が写る。持ち主の老夫婦がやってくる。50年も主人公ノ
ーマンに連れ添った妻を演じるのは名女優キャサリン・ヘップバーンである。
キャサリン・ヘップバーンは74歳、まだまだ溌剌としていたし、得意の水泳も
映画の中で披露した。

ノーマンは80歳の誕生日を迎える設定だが、実際のヘンリー・フォンダはその
時、76歳だった。そして、ノーマンと同じように心臓に病気を抱えていた。ノ
ーマンは偏屈で皮肉屋の男だ。彼は自分の死さえジョークにする。彼は死にた
がっているように見える。老いが彼を追いつめるのだ。

人は歳をとる。老いる。だが、肉体の老いに精神がついていけない。精神と肉
体のギャップが人を苛立たせる。自分の躯にもどかしさしか感じられなくなる。
散歩に出たノーマンは、馴れているはずの森の中で急に帰り道がわからなくな
りパニックに陥る。そのことが精神的な衝撃となり、ますます彼を老いさせる。
彼は、人生の黄昏を迎えている。

だから、彼は偏屈になり意固地になり、自分の殻に閉じこもる。そんな夫を妻
はやさしく包み込む。彼の最大の理解者は彼女である。彼の皮肉な言葉の裏の
優しさを彼女は理解し、他の人々への翻訳者となる。彼女がいなければ、ノー
マンはとても世の中をわたってこれなかったのじゃないかと思えてくる。かけ
がえのない存在……

英語には「ベターハーフ」という言葉がある。昔、僕は「よりよき半分」と直
訳し、一時期ふざけた振りをしてカミサンをそう呼んでいた。「黄昏」の老夫
婦を見ていると、その言葉本来の意味がわかる。彼らは半世紀を共に生き、互
いにかけがえのない存在になっている。ふたりは、ひとつに融合しているよう
にさえ見える。

「黄昏」が提示するひとつのテーマは、夫婦の愛だ。ノーマンと妻は誰もが理
想とする年老いた夫婦の関係である。映画のラスト、心臓発作で倒れた夫を抱
きかかえて妻は「まだ、この人を連れていかないで」と神に祈る。彼女は、偏
屈で扱いにくい夫を包み込んでいた妻だった。しかし、それは一方的に許し包
容する関係ではなく、彼女もまた、夫がいなくては生きてこれなかったのだと
わかる。

●死後の評価を気にしない

「黄昏」のもうひとつのテーマは、親子の断絶である。娘は父親に違和感を感
じ続け、四十を過ぎた今はうわべの関係を取り繕いながら「私は父親に愛され
ていない」とこだわっている。彼女は、父親がほしかったのは男の子なのだと
思い続けている。

その父と娘が長いわだかまりを解消し和解するシーンをクライマックスに「黄
昏」は幸福な映画として幕を閉じる。そのシーンを撮っている時、ジェーン・
フォンダは演技と私生活の区別がつかなくなり、父親と抱き合って泣いたとい
う。僕も、ノーマンという役とヘンリー・フォンダ個人の区別がつかなくなり、
複雑な想いをしたものだった。

ハリウッドの人々もそうだったに違いない。「黄昏」でヘンリー・フォンダは
予想通り初めての主演男優賞を受賞する。だが、すでに病の床から起きあがれ
なかったヘンリー・フォンダは授賞式に出席できず、ジェーン・フォンダが代
理でオスカー像を受け取った。その夜、ジェーンが父親の自宅へいきオスカー
像を手渡すところまでがテレビ中継された。

コラムニストのボブ・グリーンが68歳のヘンリー・フォンダに取材した文章が
残っている。それによると彼は自分の出た映画を見ることはなく、舞台こそが
自分の世界なのだと思っていた。彼は映画化された作品ではなく、舞台の「ミ
スタア・ロバーツ」を生涯の誇りにしていた。

だが、彼が映画に出てくれたからこそ、今でも僕らは「怒りの葡萄」や「荒野
の決闘」を見られる。年老いた「黄昏」のヘンリー・フォンダに彼自身の人生
を重ねて涙することができる。世界中の人間がヘンリー・フォンダという映画
スターがいたことを記憶している……

「どのような人間として人々に思い出してもらいたいか」というボブ・グリー
ンの質問に対してヘンリー・フォンダは「しばし動きを止め、それから窓の外
を眺め」ながら答えている。

──そんなこといままで考えたこともなかった。どんな人だったと思われたい
かって……そうねえ、誰だっていい人だったと思われたいんじゃないですか。
名前の前後にどんな修飾語をつけてもらえるかなんて、どうでもいいことです。
ただ、好きだと思われていたら、それで十分ですよ。

アカデミー賞受賞から五ヶ月後、ヘンリー・フォンダは、心臓の病でその生涯
を閉じた。最初の妻の自殺、子供たちの離反、早すぎた栄光の時代、失意と不
遇の時代、心ならずも80本以上の映画に出てしまったことなど、様々な77年間
を経てヘンリー・フォンダは、最後に幸福な死を死ねたのだった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
元々、トリビアな知識を得て歓びを感じる方だったけれど、フジテレビ「トリ
ビアの泉」は感心しつつ見ている。「ボキャブラ天国」「ネタでナイト・フィ
ーバー」のスタッフが作っているに違いない。昔の「カルトQ」はジャンルの
スペシャリストたちが出てトリビアな知識を競い合っていたが、僕も映画のテ
ーマの時にはテレビの前で回答してかなりいいところへいった。

旧作が毎週金曜日に更新されています
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玄光社WebSite
http://www.genkosha.co.jp/

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■金曜ノラネコ便
梅雨明けを待ちながら電卓を叩く

須貝 弦
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いつもなら「ああ、夏だなぁ!」と実感できる季節なのに、関東はまだ梅雨空
だ。たとえ雨が降らなくても、スカッと晴れる日は少ない。昼間、すごく暑い
わけではなく、微妙に暑く微妙に蒸すし、夕方になると雨が降る。そんな中、
家の中で固定ローラー(手っ取り早く言えば、手持ちの自転車でジムのエアロ
バイクみたいなことができるようにするトレーニング機材)にまたがり、自転
車用アンダーウエアの着心地をチェックしていたら案の定、風邪をひいてしま
ったではないか。

ジムでエアロバイクをやったことがある人ならわかると思うが、壁を見つめて
黙々とペダルを回すのは苦痛でしかない。ヘッドホンで音楽を聴いていたとし
ても、有酸素運動に至る前に飽きてしまう。目の前にiBookを設置して、そこ
でDVDでも見ながらやると、気合いも持続するだろうか。でもやっぱり、自転
車は外で走るから楽しいのであって、ペダルが回せればいいってわけではない
んだなと、改めて実感することができた。

夏はやっぱり休まなくてはいけない。そして、休みがあったら旅に出たくなる
というもんだ。ここ数年、プライベートで旅行と呼べるようなことはしておら
ず、せいぜい乗鞍や美ヶ原のヒルクライムレースに遠征するくらい。今年は、
自転車でどこかに行けたらいいなぁと思う。でも8月もすぐそこというのに、
何のプランも練ることができない。旅に出る以前の問題として体調もイマイチ
で、8月最後の週末に乗鞍を登りきれるのかどうかも不安になってきた。

まとまった日数を休んで、たとえば6泊7日で自転車の旅に出るなんてことは難
しいかもしれない。でも「センチュリーラン」みたいなことなら、できるんじ
ゃないだろうか。センチュリーランとは、160km(もしくはハーフ80km)を走
るサイクリング大会みたいなもので、基本的に交通規制などはなく、公道をみ
んなで走るものだ。先を急ぐのは一部の強い人たちだけで、あとはみんな「ジ
ワーッっと」走っているみたい。

もしくは、これは定番コースでもあるんだけど、寝台特急に自転車を載せて西
へ行き、「しまなみ海道」を走ってくるのも面白いなと思う。列車+自転車な
ら、短い時間で確実に遠くまで移動することができる。多少疲れても、帰りの
列車で寝て帰ってくることで可能だ。

何事もモノから入ってしまう性格だから、自転車で旅することを想像すると、
旅の行き先よりも、旅に使う自転車のことを考えてしまう。ちょっと前の「BE
-PAL」で自転車の特集があって、いくら専門誌ではないとは言えずいぶんと乱
暴な特集だったが、いわゆるカタログ記事の部分はしっかりとチェックしてし
まった。長い距離、ある程度荷物を積んで移動できる自転車が欲しいなぁ。

まぁ、工夫をすればロードバイクでもそこそこの荷物を積んで走ることはでき
る。走ったときの軽さを考えても、やっぱりロードバイクがいい。そして長い
距離を走るなら、ショック吸収性に優れたフルカーボンのフレームが欲しい
……と考えながら、気が付くと電卓を叩きはじめている自分がいる。

PowerBook G4を差し置いて、新しいフレームの購入を企む自分。きっかけさえ
あれば、人は変わるもんだ。

【すがい・げん】sugai@macforest.com
ストレス太りをする人なので、自転車に乗っていても体重が減らない。という
か、忙しくなると食べる量は増えてないのに体重が戻ってしまう。うーん、ラ
ンニングもやらないとだめかな。

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■ライフスライス研究所
オリジナルデジカメ開発奮闘記(2003年7月25日金曜日)
第3回「ライフスライスってインターバル撮影のことだろ?」

ユビキタスマン
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首からかけたカメラが自動的にシャッターが切れていくカメラの話ですが、こ
のライフスライス方式は肖像権の侵害となるのではないか? と思う方も多い
かと思います。これについては開発する上でぶつかる問題ですから、もちろん
対策を講じてあります。それはおいおいお話するとして、ここではこの方式が
持つ根元的な意味について考えてみたいと思います。

写真とは最初から、そして今までも人が介して撮影するものでした。そしてラ
イフスライス形式というのは、すでにある撮影用語でいえばインターバル撮影
にすぎません。そこにはなんらの新規性も独創性もありません。しかし、明確
に「ライフスライス」と「インターバル」(もしくはタイムラップ)を区別す
る部分があります。たとえば、アサガオの前にインターバルカメラを置いて撮
影すること、自宅のベランダから見える夕陽を撮影すること。これは「ライフ
スライス」とは言わないのです。

なぜなら、それはカメラが生きていないからです。正確に言えば、生きている
ものにカメラがついていないからです。固定されたカメラが写すものは、固定
した撮影者の意図は反映しているものの、その時間の流れは被写体の変化に
依存します。「ライフスライス」は装着者の変化(行動)に依存するのです。

ユビキタスマン(川井拓也)
http://www.lifeslice.net/
jp_kawai@lifeslice.net

【告知情報】27日(日)に茅ヶ崎の海岸で行われるイベント「ベアフットフェ
スティバル2003」にライフスライス研究所がブース出展。ライフスライスキッ
トの貸し出しを行います。世界で唯一のライフスライス研究所公認カメラキッ
トを体験したい方はぜひ遊びにいらしてください。

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■編集後記(7/25)
・「サザエさん」が愛読書という人がわたしの「よりよき半分」である。朝日
の文庫版を全45巻揃えて、何度も読み返している。どんなに面白いのかと読ん
でみるが、そんなに面白くもない。なんという古さだと思うが仕方がない。そ
こで「いじわるばあさん」全4巻を買ってやった。こっちは面白い。とんでも
ないばあさんで、取り返しのつかないいたずらや仕打ちをする。こんなブラッ
クなキャラクターだとは知らなかった。こういう憎まればあさんも最近はいな
くなった。憎まれじいさんもいなくなった。わたしの祖父は村でも知られた頑
固で口うるさい迷惑なクソジジイだったが、それが年寄りの正しい姿だったの
かもしれない。わたしもそんな役割を演じたいが、髪の毛の色がどんどん黄色
系になっていき、はなはだ貫禄に乏しい。先日会ったクリエイターから、初対
面の挨拶をされたが実は二度目、前にあの授賞式で会ったよと言うと、でも髪
は黒かったですよお、と言われた。もちっと黒系に戻すべきだろうか?(柴田)
・鳩山由紀夫ウェブサイトのオープニングムービーにはいつも苦笑。
http://www.hatoyama.gr.jp/

・ミラノの家具やバッグをかっこいいと思う人は多い。けれどたいていのメー
カーは中小企業。町の小さなメーカーが世界に羽ばたけた原因は何か? 日本
が中国との価格争いに巻き込まれず、地位を確立し経済を立て直すには? と
いうフォーラムがあった。まずは品質とデザイン、イメージ戦略。そしてマー
ケティング、プロモーション。それから情報発信。いいものを作っても知られ
なければ売れない。大阪に住んでいるが、大阪には文化情報発信拠点がほとん
どない。何十年も前の国策によって文化は東京に集中しているのだとか。繊維
は大阪が拠点であり、それを取り巻くメディアもあった。ファッション都市に
なる可能性もあったのに、と。ならば大阪はどうすべきか? ミラノを見習っ
てみようかという話。スピーカー同志の議論なんてあったら面白かったのにな
ぁと微妙に消化不良。/見慣れてしまっているかもしれないが、と前置きして
パオロ・パーチ氏が言うには、寿司は見た目にも鮮やかで美しく、寿司職人の
握り方は洗練されていてまるで踊っているようだと。海外では日本ブームが起
こっているし、日本を見習おうとしている。どんな雑誌でも特集が組まれたり、
コーナーがある。有名シェフは皆日本人をアシスタントに雇い、日本風を盗も
うとしているのに、日本に来たらアメリカナイズされてしまっているのを知っ
て残念だし、なぜそのブームに気付いていないのかと。/同じくパーチ氏。マ
ーケティングを学んだ人よりも、好奇心を持つ文化的素養のある人を雇用する
らしい。/書ききれないので機会があれば。仕事仕事~。  (hammer.mule)
http://mediasvr.kyoto-web.ne.jp/odf/main_0022.html  フォーラム
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 ファイルメーカーProによるシステム構築 1356号。

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