デジクリトーク バカの柱/GrowHair

投稿:  著者:  読了時間:8分(本文:約3,600文字)


もし電柱の声を聞く能力があったなら、外を歩くと相当騒がしいに違いない。

何しろ奴らは暇なもんだから、通行人を仔細に観察しては、噂話に花を咲かせている。「あのコ、タンクトップなんて着るようになったのね。口紅もアイシャドーも、塗りすぎよぉ。それにあのハイヒール、小さくて歩きづらそうね」「女子大に進学したらしいわよ。私立名門校のサークルに入ったとかで、はじけちゃったみたいね。土曜なんか、深夜におぼつかない足取りで帰ってきたわよ」「あらあら。ついこの前までは、おとなしくて真面目そうなコだったのに」「今に鼻ピアスとか しだすんじゃないかしら」「彼氏は顔ピアスとかね」「ほほほほ……」かしましい。たまったもんじゃない。

電柱。気になる存在である。残念ながら私はまだ声が聞けるレベルにまでは至っていないので、何を考えているのかいまひとつ分からないのが、もどかしい。せめて、その姿から何か語りかけてくるものを読み取れないか。というわけで、電柱ウォッチングがマイブームである。どこでも流行ってなくて、一人で盛り上がってるから、マイブーム。


●「バカの壁」と「I'll (アイル)」と

きっかけは、たまたま時をほぼ同じくして、電柱の登場するものをニつ読んだこと。

ひとつは養老孟司氏の「バカの壁」。よく「話せば分かる」というが、話しても分からないときがある。それは、聞いちゃいないときである。人は、周囲にあふれ返る情報の中から、関心の度合いに応じて取捨選択して取り込んでいる。言い換えると、五感を通じての入力に対して、関心度に応じた係数を掛けて、行動への出力としている。だから、価値のある情報だと思って与えても、受ける側に関心がなければ係数がゼロになっており、その人は何の影響も受けない。こういうふうに情報をブロックしようとする心理機構が「バカの壁」である。いわゆるオタクとは、ある特定の狭い分野に関しては係数がやたらと高いのに、それ以外のことにはほぼゼロになっている人たちのことである。……てなことが書いてあった(もちろん私の読解にも妙な係数がかかっている)。

この本は300万部も売れたというから、読んだ方も多いと思うが、「ハテ、電柱なんか出てきたっけ?」という感じなのではなかろうか。実は、「係数がゼロになっているのが正しいこともあり、外を歩いていていちいち電柱に反応していたのではしょうがない」というくだりがある。

それはその通りで、さらっと読み流してどうってことないところだが、たまたまもうひとつのものを読んでいたために、引っかかった。

浅田弘幸氏のコミック「I'll (アイル)」である。これもまた、電柱がテーマというわけではない。神奈川県は国府津(こうづ)にある高校のバスケットボール部で、ライバルどうしの立花茜(たちばなあかね)と柊仁成(ひいらぎひとなり)が、他のメンバたちとともに、一途ながんばりや勝利だけでなく、不和や挫折を通してバスケへの思いを深めていき、より高いところを目指していくという、スポ根青春ものである。バカの美学というものについて教えられる。絵がすごーくきれい。

電柱は絵の中に時おり描きこまれているだけなのだが、ことごとく傾いている。それが気になった。電柱って傾いてたっけ?

この作者は、明らかに電柱に対する係数がゼロではない。傾いた電柱にちょっとユーモラスなものを感じ取っている。あるいは、せかせかした人たちからは見向きもされない物に、共感と慈しみの念をこめて描いているようにも見える。

傾いた電柱の描きこまれた住宅地の絵からは、なんだか長旅から帰ってきたときのような懐かしさが漂ってくる。それと同時に、こんな何でもない日常の光景に何か心を揺さぶるアートの要素があったのだということを示されて、「やられた」という気分にもなった。どうやら電柱への係数がゼロになっていては、美術のセンスもゼロなのかもしれない。

●国府津とシリコンバレーと

正直言って、私は今まで、無機質なものにあまり関心がなかった。趣味で写真を撮り歩くことがあるが、花咲き草木生い茂る自然の風景の中では電柱のような人工の建造物はしばしば雰囲気をぶち壊す、目障りなものでしかなかった。

桜が満開の折、土手の桜並木はそれはそれは見事な咲きっぷりを呈していたが、惜しむらくは、その桜並木に沿う形で等間隔に電柱が植わっていた。その醜悪ぶりには嫌悪感をおぼえた。ここへ電柱を据えることに決めた人間は、そういうことをして何も感じないのだろうか。そういう感性の欠落した人間が、権力をもって世の中を動かしているのであろうか。夜中にこっそり切り倒してやろうか。後で「あの電柱を切り倒したのは私です」と告白すれば、大統領になれるかもしれない。

ネイチャーだけでなく、ネイチャンを撮ることもあるが、やはり美少女と電柱を比べれば、前者にばかり関心が行ってしまう。こんなことではいけない。美少女も電柱も同じように愛せるようにならなくては、真の悟りを開くには至らない(その前に煩悩を何とかしたい)。

そう言えば、L.A.Story というコメディー映画(1991年)では、スティーブ・マーチンが、ハイウェイ脇の電光掲示板からの甘いお誘いメッセージ(何故か彼にだけ読める)に応えて、柱に抱きついていたっけ。こだわりからの解脱もその域まで行けたら……。

桜や美少女とは調和しなくても、電柱は電柱の声を発しているに違いない。それが聞こえるようになりたいもんだ。

というわけで、国府津に行ってきた。電柱は傾いているか? おーおー、傾いちょる、傾いちょる。電柱をまっすぐに立てちゃいかんという条例でもあるのかと思えるほどだ。どれも、これも。いい感じに条例を守っている。

国府津は湘南の海沿いにある、何もない田舎町。アイルの中でも、中学限りでバスケをやめると言い出した立花が、「おもしれえ事なんていくらでもあんだよ。凄まじいほどの青春を謳歌したおしてやらあっ!!」と町へ飛び出して行くが、やることなすこと裏目に出て、腐った気分で戻ってくる。「おもしれえ事なんて、別にねえじゃん」そんな町である。

ちょっと意外だったのが、自然が豊かだったこと。川があり、野原があり、富士山がきれいで、山ではみかんの花が咲いている。そんなの、漫画では全然描かれてなかったぞ。代わりに、自動販売機とか交通信号機とか塀とか金網とか。いい感性してる。係数のかかり方が全然違うんだね。

この町に一番特徴的なのが、海岸の上を走るハイウェイ。これがなければさわやかなビーチであったであろうに。日陰の砂浜、じめじめして、ごみがたまって、汚らしい。人生をまっすぐに歩んでいない人たちが好んで集まってきそうなとこである。実際、アイルの中でもしばしば重要な場面として登場する。

この漫画に感化され、私の中で、電柱に対する係数が増大していった。日本で一番傾いている電柱はどこにあるのだろう、なんてことが頭を掠めた。電柱オタクへと傾きつつあるのかも。

先日、出張でアメリカに行ってきた。行き先はシリコンバレー。日本語で言うと、豊胸の谷間である(意訳)。ただし、"valley"を「谷間」と訳すのは誤訳に近く、たとえうんと遠くでもいいから、相(あい)対する二方向に山が見える平地を valley というのである。この段で行けば、京都はテンプルバレー、小田原はカマボコバレーであってよい。たとえペチャパイでもバレーはあるのである。そういう予備知識なしに行ったので、シリコンバレーのあまりの貧乳ぶりに驚いてしまった。

サンフランシスコからサンノゼに向かうハイウェーから見えた電柱がすごかった。あれは傾いてるなんてもんじゃない。電柱が電線を吊っているのか、電線が電柱を支えているのか分からないほどである。両脇から仲間の肩に支えられ、引きずられていく泥酔オヤジさながらの格好。ここまで来ると「早く直せよ」レベルである。

アメリカはセキュリティ対策やらイラク攻撃やらで使い果たして素寒貧、電柱を直す金も残ってないのだろうか。こんなことでは今に国が丸ごとあの電柱のように傾くだろう。そうなったら、両隣りの電柱は日本とイギリスであることを覚悟せねばなるまい。きっと重いぞ、このヨタレ電柱は。

今回のアメリカ出張で一番深く印象に残ったのが、あの電柱であった。

電柱はにぎやかにメッセージを発している。それが聞こえるのは、バカの道を究めた者だけに与えられた特権である。

・GrowHair
仕事楽チン収入安定の税金ドロボー公務員よりは少しだけマシな、給料ドロボーサラリーマン。今回の米国出張は、たった2時間の会議のために4日費やして行ってきたのだが、時差ボケの調整に失敗して、肝心なときにぐーすかぴーすか寝てしまった。バカにつける薬は売ってないものか。
< http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/2967/ >