KNNエンパワーメントコラム 東京拘置所獄中記(6)
── 神田敏晶 ──

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3日目の朝。7時のラジオのベルで目が覚めた。窓からは明かりが見えている。クーラーが聞き過ぎて寒い…。ラジオでは真夏日で寝苦しい熱帯夜が続いたというが、拘置所は南極のようだった。

7:05 「点呼!」 「おはようございます! 200番神田敏晶!」で朝の仕事は終わり。

7:30 朝食。とても動いてもいなくて、3食も食べないので苦痛だ。しかも朝からパンではなく、鮭の切り身にモズクに納豆に、玄米。信じられないほど豪華な朝定食だ。幕張プリンスのバイキングと勝負させたら拘置所が勝つかも知れない。

また午前中は暇でのんびりしていたら、先生から購買品目の説明があった。部屋にあるマニュアルでは、日本語が英語の翻訳のようで意味がよくわからなかった。

購入するものは月曜日にマークシートに記入すると、届くのは木曜日であるという。もちろん土日は休みだ。いつでも申し込めるのではなく、申し込み日も文房具は木曜日だけで、届くのは翌週の火曜日だ。ボクがいる間には、ノートもボールペンも届かないではないか。これはきっと計画性を持って生活を強いるためのシステムだったと思った。

そして、その後、先生の口から恐ろしい言葉を聴いてしまった。「月曜日から盆休みになります。労役はありません」という。頭の中が真っ白になってしまった。ヒマつぶしとなる労役が盆休みでなくなるという。

一週間の滞在にして、雑居坊での出来事を取材して…と描いていたが、この生活であとの日々をすごすのはボクには辛すぎる。30分も黙っていることができない性格がたたられる。

その日の面会に来た、バーチャル田中さんに、リングにタオルを投げてもらうことをお願いした。リングを去る理由は「お盆休みに負けたから」だった。


●あの組織はなぜ横柄にふるまうのか


お昼を食べた後、その日でお盆前の最後の封筒はりをして、お盆休みまでに出所できなかったらと思いながらいると、荷物を持ってきなさいと別の先生に言われた。思わず、「出所ですか?」と聞くと、「わからん」といいながら、ダースベーダーの要塞を歩いていく。途中何人かの先輩と合流しながら、エレベーターに向かう。なかなかの遠出だ! 散歩に連れて行ってもらえる犬の気持ちがよくわかる。

到着は、初日に来たロビーである。桑田と長門のあわせた先生もいた。「出所」を確認した。時計を久しぶりに見た。13時17分ほどであった。時を知ることの喜びに浸りながら、出所準備をすることとなった。

本日の出所組はボクをあわせて4人。ボク以外の3人は20代中頃という感じ。会話ができないので彼の持ってきた膨大な手紙の束を見て、その年月をうかがい知る。取材感覚で来ていることを初めて申し訳ないと感じた。3人はかなり先生に忠実であり、ボクが一番反抗的であったかもしれない。

「ES」という、新聞広告で集められた被験者を「看守役」と「囚人役」に分け、模擬刑務所で生活をさせるドイツ映画があったが、まさにそのロールプレイングの状態が東京拘置所でも成立している。

公務員であるだけの看守の先生のお言葉はなぜか「絶対的服従」をいつも強いている。なんらかの理由で服役しているボクらの「辞書」からは、「反抗」という言葉は破りすてられていた。「人権」がどうのこうのではない、最初から「人権」なんてページは辞書に載っていなかった。

結果としてたったの3日間だったけれど、どうしてあんなにエラぶりたいのか、不思議である。犯罪者だからか? しかし、あなたがそれに対して、エラくなったり、横柄に振舞う権利はないとボクは思った。自暴自棄になって暴れたい気持ちもあるが、良識な市民として、大人として、この実情をなんらかの形で社会に問いかけたいと感じた。

狭いロッカールームに入れられ、1時間も待たされる。「俺たちに人権はない」トイレに行くのも、いやいや対応される。用意ができてから独房から呼び出せばいいと思ったが、彼らにはそんな道理は通じない。ボクたちは犯罪者なんだから。

ゴザの上に3日前の衣服やカバンが戻ってきた。シャツを着て、ズボンをはいていくうちに、元の自分に魂が変身していくのがわかる。ようやく着替え終わると、悲壮感のある自分ではなく、強い自分を取り戻した。

最後の先生に、出所後の予定を聞かれる。「会社に戻ります」というと、「会社で仲良くしてもらえるか?」とやさしい言葉で聞かれた。ちょっと嬉しかった。「自分の経営している会社なので」と答えるとニコっとしていた。人生イロイロ、看守もイロイロだ。「電車賃はあるか?」「宿はあるか?」と他の3人にも聞いている。まるで「砂の器」の巡査さんだ。

私服になった4人は厳重な出口のゲートをひとつづつ、超えていく。ボクはなんだか、「ひとーつ」、「ふたーつ」、「みっつー」と数えていた。人間として生まれ変わる門が開いていくような気分だった。

面会ロビーには、たくさんの家族がボクたちを待ち受けていた。待っていた家族は、まるで拉致家族が開放されたかのうように、ボク以外の3人にかけよって、「ご苦労さんやったねー」「あんじょうしてた?」「お疲れお疲れ」と銘々に声をかけている。出所仲間として、密かに携帯で記念写真を撮ろうと思っていたが、良心がとがめた。

一歩、外に出ると、すでに17:00すぎなのに、灼熱地獄だった。まるで東京拘置所の中は、別世界のようだった。工事中の階段を超えてから、差し入れの雑誌が届いていなかった事を電話で確認でき、差し入れの雑誌を拘置所のロビーに取りにもどった。案の定、待たされる。待たされる。

待たされている間に、なぜか気持ちが妙にのど元にひっかかることに気がついた。彼らは17時で業務が終わりだったのに、新たな案件がきたので、如実にいやな対応だ。

「ここで待て」「すぐに来るから」「誰が届けた?」「先生に聞いたか?」と出所しているにもかかわらず、まだ犯罪者扱いされている。というか、言葉が見下した感じだ。

それが服役を終えて、すべてを白紙にもどした人間に対する態度なのか? また、差し入れをしかるべき場所に迅速にデリバリーできなかった組織人が言うべきセリフだろうか?

一番若手の看守に「出所してもまだそのような口のきき方をされるんでしょうか?」と他の看守にも聞こえるように、聞いてみた。3人の看守すべての言葉使いが一斉に替わった。少し、小気味よかったが、すぐに、なぜ普通にしゃべれる人たちが、あえて見下すようしゃべるように教育されているのか、その組織に問題があるかと感じた。

やはり時間外で対応できず、後日送付するということで話をつけた。3人の看守は、「おつかれさまでした」と、今度は銘々が丁寧にお辞儀をしてくれた。百貨店の閉店後によく見られる、丁寧なんだが、心のこもっていないお辞儀だった。

最寄の小菅駅に着いた。電車に乗ると、窓には、夕日に照らされる東京拘置所がそこにいた。ボクの夏が終わった。



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