[1629] 阪神大震災と9.11の教訓

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1629    2004/11/01.Mon.14:00発行
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         <ボランティアと義援金の問題だ>

■KNNエンパワーメントコラム 
 阪神大震災と9.11の教訓
 神田敏晶

■電網悠語:Ridual開発記編(69)
 震災
 三井英樹



■KNNエンパワーメントコラム 
阪神大震災と9.11の教訓

神田敏晶
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KNN神田です。

新潟県中越地震で被災されている人に心からお見舞いを申し上げます。

阪神大震災、あれから10年を迎えようとしている今、同じような事が、またも
や繰り返されようとしている。ボランティアと義援金の問題だ。

●大惨事と隣り合わせなボク

ボクは、好むと好まざるにかかわらず、大惨事に巻き込まれそうにながらも、
いつも寸前のところで、いろんな神々に助けられている。

一番最初に、この「運」に気づいたのは忘れもしない1985年8月12日のことだ
った。ボクは東京でのワインマーケティングの仕事で、まとまった休暇をもら
い、社会人になってはじめて、新幹線よりも料金の高かった飛行機で神戸に帰
省しようと、突然思いたち予約もなく羽田へと向かった。帰省ラッシュに沸く
空港では、どの飛行機もスタンバイだらけ。羽田-伊丹のJAL123便は、幸運に
も4番目のスタンバイであった。

飛行機に搭乗しているイメージを持ちながら、順番に並んだ。しかし、あと2
人のところで123便には乗ることができなかった。その後の飛行機もすべてス
タンバイなので、満員の新幹線で帰ることにした。実家に戻ってテレビをつけ
ると、日航機の123便は御巣鷹山の尾根に消えていた。

1994年1月16日、深夜にシリコンバレーを出て、101号線を南下し、ロスに到着
したのは夜明け前であった。サンタモニカフリーウェイをわたり、常宿のトラ
ベロッジモーテルにチェックインして、少しだけ仮眠をとベッドに入った直後、
信じられないほどの、ものすごい揺れで目を覚ました。ロサンゼルス(ノース
リッジ)地震であった。

マグニチュード6の体験は、自分が揺れるのではなく、家屋から投げ出される
感じであった。壁がきしみ、家中が低い轟音を立てる。ほんの数時間前に走っ
たサンタモニカフリーウェイは、SF映画のように崩壊していた。

●あのときの神戸の現実

1995年1月17日、一年前のロサンゼルスの地震の回復ぶりを取材の立場で見届
けたあと、15日に帰国し、神戸の自宅のスタジオで、そのロス地震のビデオを
編集し終え、ベッドにもぐりこんで眠りに入った。すると、同じレベルのマグ
ニチュードに襲われてたたき起こされた。海外のモーテルとちがって、ありと
あらゆる私物でおおわれた自分のスタジオが、揺れによって凶器と化した。阪
神大震災だった。

震災後、3日目くらいからボランティアがあらわれるようになった。一週間も
すると全国からボランティアがこぞって集まってくるようになった。テレビや
メディアがボランティアの成果をたたえる。また、ボランティアが増える。

ボクの住む兵庫区(長田区のとなりの区)でも、ボランティアが支援活動を行
うが、食事の炊き出しには、被災したご近所よりも、ボランティアが半数をも
占める回があった。

確かに震災ボランティアに来ていただけるのはありがたいものだ。彼らは自分
の時間と費用を提供して、親身に世話をしにくる。そのうち、大学がボランテ
ィアをゼミの単位として認めたり、被災地で記者会見をやってから、ボランテ
ィア活動をする本末転倒なグループまで登場する。

神戸市役所にはボランティアが殺到するが、役所にはこんな非常時の対応を想
定したマニュアルがあろうはずもなく、的確に指示できる人がいない。ボラン
ティアは、体育館など避難所の現場に直接やってくる。「何かお手伝いするこ
とありませんか?」「何か手伝える仕事をください」と昼夜を問わず現れ、現
場では丁寧にお断りする対応に追われる。

テレビがボランティアの特集を放送しだすと、仕事そっちのけで、テレビのイ
ンタビューに多弁になる。テレビで話題になる地域にだけボランティアが殺到
する。「ボランティアお断り」の張り紙が避難所に張られた時もあった。

昨日まで普通の生活していたのに、1月17日以降は「被災者の方々」と特別扱
いされる。おにぎりにはもう飽きて、のどを通らないのに、テレビで二日前の
おにぎりがありがたいという情報が流れる。全国からおにぎりばかりが届き、
ほとんどが捨てられる。一週間もたてば、焼肉や寿司を食べたくなっても、そ
んな声は全国に届きもしない。

毛布が必要という情報に毛布が大量に寄せられ、近隣の三木市や三田市では余
分な毛布が雨にさらされ捨てられる。

また、コンビニのビニール袋2枚とティッシュペーパーさえあれば、トイレの
用は足せたのに、簡易トイレが全国から山ほど届く。確かに用便時は、簡単だ
が捨てる時にかさばり異臭を放つ。テレビでは、何万個の簡易トイレが足りな
いという。コンビニの袋で十分と説明したが、邪魔な「善意」が全国から山ほ
ど届く。

ボランティアが、被災地でブームになってしまっていた。募金運動も盛んにな
った。とてもありがたいことだ。しかし、実際に義援金を手にしたのは、半年
もあとになってのことだ。その頃には、10数万円の義援金など、ありがたくも
なんともない。失なった損害は数百万規模なのだから。

しかし、その義援金を震災直後に手渡しできていたら、当座の小口現金の財布
代わりに使えただろう。食事などは、炊き出しなどで利用できるが、ちょっと
した現金が心のささえになる時期はあった。

これはボクの偏見かもしれないが、どこかの団体に義援金を託すくらいなら、
新潟県の現地の避難所の代表者あてに、「自由に使ってください」と直接送る
べきだろう。必要なのは、未来の10万円よりも今日の1万円なのだ!

貴重な義援金だから、審議委員会を開いて、どこからも文句がないように使お
うとした結果、最後には、震災記録防災センターみたいなハコ物に使ってしま
うというバカげた用途になってしまう。

また、愛すべき神戸市民は、震災をネタに甘えた生活をするものも多くなった
ことも事実だ。

●そして、9.11

2001年9月10日、マジソンスクエアガーデンで開催されたマイケル・ジャクソ
ンの芸能30周年イベントの2ndステージを取材後、知人と待ち合わせをして、
朝までBARで飲んでいた。このままホテルに戻ると、帰国の飛行機を寝過ごし
てしまうので、荷物をピックアップして、空港で仮眠をしようとラガーディア
空港に向かった。

自分の予約していた飛行機は欠航になっていて、成田行きのコンチネンタルが
今なら間に合うというので、すぐにチェックインした。朝の6時であった。3時
間後、中継地のヒューストンに、なぜかいつまでたっても到着しない。空港か
らの着陸許可待ちが数時間続いた。その頃、WTCでは自爆テロが起きていた。

ようやく着陸体制許可が出て、機内では拍手が起きる(さすがアメリカ人)。
着陸体制にはいってから、しばらくすると機長から再度アナウンスがあり、で
なんらかの理由で、ヒューストンではなく、ニューヨークにまい戻るという。
機内は、ちょっと騒然となった。

機長からは状況がわかり次第、連絡するというが、その後何も知らされない。
そのうち、携帯電話を持っている人が空の上から連絡を取り、通話中に泣き
出した。WTCで何かが起きたという。ニューヨークから飛んだ飛行機なので、
WTCに関係のある人は多数いる。軽いパニック状態ではあるが、数100キロ離れ
たヒューストンでは、ニューヨークで起きた事故についての安否を心配するだ
けであった。

あとは何が起きているのかを知りたいだけだった。国防省が飛行中の飛行機に
対して迎撃命令を発令しかけているなど考えるものは誰もいなかった。

無事、ヒューストンに到着して、テレビの画面を見て騒然とした。行き場がな
く、空港がロックアウトされた。ホテルはすべてフルで、赤十字が手配してく
れたバスでメキシコ人のグループと一緒に体育館に非難することとなった。簡
易ベッドが運ばれた時には、阪神大震災を思いだした。

9月13日、メキシコ人たちは、戦争が起きたことを想定して何かの覚悟を決め
たようだ。ヒスパニックでよくわからないが、棟梁のような人が誘ってくれた
ので、ダウンタウンの買出しにつきあった。プロパンガス、鉄板、食材を買い
込んだ。その日の午後、ボクたちはホットドッグ売りをはじめた。そう、この
まま戦争になっても困らないように、外国人である彼らは日銭を稼ぎはじめた
のであった。

避難所でじっとしていて赤十字のほどこしを待つ生活もあるが、すこしでも自
立するつもりがあるならば、行動することをこの時に学んだ。阪神大震災でも
途方にくれるよりも、屋台でも大工でも何でもできるところから自立する意思
は必要だったと思った。9.11でメキシコ人やユダヤ人の危機に関する行動力の
すばらしさを身を持って体験させてもらった。

もしも、ボクが新潟にボランティアに行くのなら、屋台をもって、被災地では
あまり食べられないような贅沢なものが食べられるお店にして商売をやる。そ
して、その商売を被災した人に受け継いでもらえるようにできないだろうか?

金や物資を提供する以外の義援の方法もあるかと思う。地域の人たちと同じ商
売をやることによって、将来の不安を少しでも紛らわせることも必要だと思う。
避難所暮らしは、時間がたてばたつほど、精神的にまいってしまうからだ。

短期でボランティアに行く人は、少なくとも自分の食事くらいは用意してほし
い。また、指示を待って動くのではなく、何が困っているかを現場で判断でき
る人でないと足手まといになるだけであろう。

きびしいことを言ってしまったが、「阪神大震災と911の教訓」を活かしてほ
しい。

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■電網悠語:Ridual開発記編(69)
震災

三井英樹
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阪神淡路大震災の一週間後、私は神戸にいた。今まで、自慢話のような気がし
て友人にも話すのを躊躇していたのだが、やはり残しておこうと思う。

●わたしたちのしたこと

あの震災を知ったのは、昼過ぎにたまたまテレビをつけた時だった。映し出さ
れたモノが、倒れた高速道路であると理解することにすら時間がかかったのを
憶えている。

当時、父が大阪天王寺区に住んでいて、何度も電話をしたがつながらなかった。
数日後、父が無事であることを知るが、何かじっとしていられない気分だった。
その前の月に前職を希望退職制度で辞め、無職の状態だったのも関係した。

一週間後、通っている教会の牧師から連絡が来た。夕方の4時頃だったと思う
が、「今から神戸に行くことにした、一緒に来るかどうか一時間で決めてく
れ」。車中に二泊、神戸には三日間、計五泊の予定だった。米国人宣教師二人
が交代で運転するという。

計五人がバンに乗り込み神戸に向かった。神戸では現地の教会に寝泊りさせて
もらって、指示された「現場」に通った。教派的には異なる教会が現場だった。
大きな教会堂は塔の部分に縦に亀裂が入り、横にあったという建物が全壊して
いた。三日間、その全壊した場所約150坪を更地にし、残った教会堂の横に炊
き出しをする小屋を作る手伝いをした。同伴した宣教師はプロ並みの大工だっ
たことと、その教会の牧師が巨大なショベルカーを運転できたので、もう少し
でどちらも完成というところまで進めた。

毎日砂ぼこりの中で休む間もなく働いた。毎日泥だらけになり、へとへとで話
をする気力もなかった。でも最後の日も、日が暮れてもなお炊き出し小屋の屋
根に釘を打った。実動三日間を最大限活用しようと意地になっていたのかもし
れないし、この日が終われば「家」に帰るだけだったからエネルギーを残して
おく必要はなかった。ただ車に乗れば良いだけだった。

最終日の昼食時に、その教会の方が近づいてきて、不思議そうに質問された。
「何故見ず知らずの私達にそんなにしてくれるのですか」と。その時の不思議
そうな顔が今でも忘れられない。でも多分私も不思議そうな顔をしたのだと思
う。自分達が彼らを助けているという意識は殆どなかった。

正確に言うと、何かできると思って神戸に向かった。しかし、直接的に人を助
けることなんてできないと思い知らされた。声をかけることもはばかられた。
言葉を選べなかったから。でもその時に自覚したことがある。私達のしたこと
は、更地作りを手伝ったことでも、炊き出し小屋を作ったことでもなく、ただ
頑張る姿を見せたことなんだと。

瓦礫の山だった約150坪が更地になったことよりも、炊き出し小屋ができたこ
とよりも、見ず知らずの数人が毎日ヘトヘトになりながら作業をしている姿に
意味があったのだと思う。

実際、炊き出しを計画できるのだから、その場には食事も水も食べ物も、それ
なりに存在した。同系列の教会からの支援が集っていたからだ。だから、その
教会の人たちがやる気になっていれば、更地も小屋も似たような時間内で出来
たに違いない。理屈では。

でも、やる気になれないのだ。力がでないのだ。そして、それは誰にも責めら
れない。宣教師の勧めで破壊された街を少しは見て回った。焼け野原の中、様
々な哀しい話も聞いた。体育館で寝泊りする人達にも会った。そこで思ったの
は、「頑張れ」ってそう気軽に言える言葉ではないということだった。

今まで頑張って築いてきたモノがあっという間に破壊されたのである。そこを
更に生き抜くには頑張るしかないと頭で分かっていても、やはり力が入らない。
人の頭はスイッチのようには行かない。時間が必要だ。

そんな時、私たちのような「帰る場所」がある人間が役立てる。あと何日、あ
と何時間でこの地を去ると決まっていれば、かなりの無理がきく。それらの積
み重ねが、被災者達の「俺たちも頑張るか..」につながっていくのだと思えた。

●ネットでできること

今回の新潟の映像を見るたびに、息を呑む。今回私は時間的にも何もできない。
でも、先日某Flash系企業の社長がボソッと言った。「RIAとかFlashとかやっ
ているんだから、避難所にネットが来さえしていたら、ご老人達にも使い易い
安否掲示板のようなものが提供できるんだよなぁ」。ドキリとした。

9年前の震災時には、ネットインフラはまだまだ高価だった。今はそれ程無理
しなくても提供できる。パソコンもあの頃に比べれば早くて安いマシンが手に
入る。開発技術も格段に上がってきている。ネットでできることも広がってい
たんだ。

安否を知りたい、知らせたい人達からの情報を集積する。必要としているもの、
送ろうとしているものの情報の整理をする。必要であれば、紙に印字できるよ
うになっていてもいい。連絡が取り合えた後も、その伝言の紙を握りしめて、
精神的な糧にできるかもしれない。電話の言葉も力になるけれど、繰り返し読
める文書も力になる。

もちろん、生身の人間のあたたかさに勝るものはない。でも、ネットもそれに
近い何かを伝達できるようになって来ている。ネットのセールスポイントは、
今も昔も、「時間も空間(場所)も超越できる」ことだ。何かできることはな
いか、そんな人間としての根幹を広げる道に、ネットは育っていける。

...新潟県中越地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます


【みつい・ひでき】 h-mitsui@nri.co.jp / ridual@nri.co.jp
息子の通う中学でも生徒会が緊急募金を募った。できるところから。

・Ridual(XMLベースのWebサイト構築ツール)公式サイト
 http://www.ridual.jp/
・超個人的育児サイト(書籍は絶版中)
 http://homepage3.nifty.com/mitmix/MilkAge/
 
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「ステイショナリー・ワンダーランド ~伊東屋の文房具たち~」
デジクリ1625号 写真を楽しむ生活485号 11月2日・14時締切
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・先週の金曜日午後から土曜日の深夜にかけて、All Aboutの記事を書くため
「美少女CG作家国勢調査」(笑)を敢行。作家のサイトを全部点検して、いろ
いろな角度からパーソナルデータを拾ってみようという企画(思いつき)であ
る。リンクされているサイトはいくつあるのか。じつは、当事者のわたしも数
えたことがなかったが、なんと、268サイトだった。サイトに行ってどこを見
るか。まず「プロフィール」である。ここで、本名や住んでいる地域、年齢、
職業、使用ハード、ソフトなどが分かるはずであった。それで全部を記録すれ
ば、すばらしい統計になる。なんという有意義な企画だ! 意気込んで始めて
はみたものの、それは甘い幻想であることにすぐに気がついた。信じられない
ことに、「プロフィール」がない作家がいる。あっても、肝心の情報がない。
作家が自分なりのルールで書いているのだから、こちらが求める情報が全然載
っていない。そのうえ、ざっとの観測だが半分はここ一年以上更新がないでは
ないか。この調査で収容したテキストは、45字詰めで1500行を超えた。しかし、
統計的にはほとんど、いやまったく価値がなかった。失われた2日間! それ
でも、これからの記事ネタはいくつも拾えたからいいけど。きのうようやく記
事をまとめてサイトに上げ、疲れた身体にむち打って永吉克之さんの作品展パ
ーティに。デジクリ、ディジタル・イメージ、mixiつながりの人たちがたくさ
ん集まっていて、ゆるゆると楽しい時間を過ごした。       (柴田)
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編集長     柴田忠男 
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