交会点到達記
── GrowHair ──

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先日11月24日(日)、日本の陸地では最北端に位置する交会点、北緯45°東経142°の地点を踏んできた。

●交会点って何?

交会点(degree confluence)とは、整数値をとる緯線と経線との交点のことである。その数は360×(180-1)+2=64,442個である。(ややこしい植木算)

世界中の交会点の写真と到達記を募集するプロジェクトが「Degree Confluence Project」である。
http://www.confluence.org/


このサイトへ行って[Worldwide Maps]-[Composite World Map]をつつくと、交会点の写真を敷き詰めた世界地図を見ることができる。これは感動的だ。何でもないところで撮った写真など普通はつまらないとしたものだが、こういう形でかき集められると壮大なロマンを感じる。


私は今までに地平線を見たことがあっただろうか。空の色と土の色と、2色で塗り分けられただけの風景。そんな地点に立ったら、今まで経験したことのなかった心の状態を知ることになりそうである。どうも人間は人間の行くところにしか行きたがらないという習性があると見えて、我々はどこへ行っても人がいるもんだと錯覚しがちである。

こんなふうに地球表面上にほぼ均等に点がばら撒かれると、実は、視界に人工の建造物が見えるような地点は注意深く探さないと見つからないほどしかない。行けども行けども人間に出会わないようなところが地球上のほとんどの部分を覆っている。

だから、よくぞこんなところまで行って写真を撮ってきたもんだ、とひれ伏して拝みたくなるようなのが多い。アラビア半島の砂漠はその雄大な起伏が美しいけれど、もし車がエンコしたらどうするつもりだったのだろう。

それと、人間は(戦争状態でもない限り)自分が生まれ育った環境が「本来の」状態だと思い込みがちである。しかし、電車が走っているのも、電話で通話ができるのも、誰かが発明し、実用化し、運用の仕組みを企画し、物を設計し、製作し、テストし、改良し、維持管理し、運転・操作し、事務処理を遂行しているからこそであって、放っておいても自然にそうなっているわけではない。

そういう当たり前のことをたまには思い出してみるのも新鮮である。最初は全くの天然自然の状態だったところから、人類が文明をここまで築き上げてきた結果、今、こうなっているのである。結果と言ったって今の状態は実は常に経過にすぎず、これからも世の中が絶え間なく変化していくのは間違いない。その方向性を発展と見るか、破滅へ向かってまっしぐらと見るかは見解の分かれるところかもしれないが。なんか、このサムネイル世界地図を眺めていると、とりとめのない方へ空想がすっ飛んでいく。

このプロジェクトには誰でも参加できる。ルールはざっと次のようである。地図と方位磁針とGPS(Global Positioning System:全地球測地システム)を頼りに交会点に到達する。許容誤差は100メートルまで。上空は不可。その地点でGPSの画面の写真を撮り、東西南北それぞれの方向を向いて写真を撮り、さらに少し離れた地点からその交会点自体の写真を撮る。これらの写真と到達記録レポートを提出する。さらに4枚まで自由に写真を追加できる。承認されると上記サイトに掲載してもらえる。

このプロジェクトでは、全交会点を主要交会点と二次交会点とに分けている。主要交会点は、まず陸地および陸地の見える水面上に絞り込まれている。つまり、どちらを向いても水平線ばかりの海上や湖面上は二次に格下げされている。さらに、緯度の高い(北極、南極に近い)ところでは経線の間隔が詰まってくるので、適当に間引かれている。それでも主要交会点は12,646個もある。

そのうち2004年10月30日(土)現在、3,521点が完全到達認定を受けている。不完全到達の場合でも、そのレポートは次に挑む人たちへの貴重な情報を提供することになるので、載せてもらえる。そういうレポートの中にも感動的なのがある。

●日本の交会点は?

日本の陸地に限定すると、候補点は39か所ある。10月初旬の時点で33か所が完全到達されていて、残り6か所しか空いてなかった。残っているのはすごいところばかりである。例えば知床は二度のアプローチが退けられている。夏にアプローチを試みた人は、密な植生に阻まれて全く足を踏み入れられず、あえなく退却。ならばとばかりに雪深い3月にスキーでのアプローチを試みた人がいた。雪上にキャンプを張って一日半歩いたけれども、わずか6.7kmの行程のうち半分も進めず、3.8kmを残して退却。生還できただけでもすごい。残り物には理由(わけ)がある。

私がこのプロジェクトのことを知ったのは一年以上前のことである。購読しているメルマガに、面白いウェブサイトを紹介するという主旨のものがあり、それに載っていたのである。その頃は日本はまだガラ空きだった。が、食指が動かなかった。プロジェクト自体はすごいと思ったのだが、日本の交会点に行ってくるのは何となくありきたりな労働のような気がして、誰かに任せておけばよい、と思ったのである。しかし、残り少なくなり、到達困難なところしか残っていないのを見て、俄然、我がものにしたいという意欲が湧き起こった。硬派の血が騒ぐ。

10月には紋別の44°N 143°Eと新潟の37°N 139°Eの到達宣言が続けざまに掲げられ、残り4か所になった。みんな、狙っているらしい。そういう気配がびんびんと感じられる。来年の夏まで待ったのでは、どこも空いていないかもしれない。

残る4か所のうち3か所は北海道にある。知床冬の陣を張った人は、この3地点を「北海道極悪トリオ(Hokkaido's Evil Three)」と呼んでいる。まず、その知床は論外。私とて命が余っているわけではない。旭川に近い交会点44°N142°Eも地図を一目見ただけで敵意を感じたので、避けよう。天塩(てしお)の45°N 142°Eは比較的行きやすそうに見えた。よし、そこに狙いをつけてみよう。

旭川に住んでいる知り合いの古池氏(以前、青山墓地での花見のときに登場した有能なプログラマ)に、どんなところか知らないか、聞いてみた。すると、すっかり乗り気になってくれて、じゃあ一緒に車で行ってみましょうという話になった。車が入れなくなったところから歩けばよい、と。

と言っても、私は山歩きの心得があるわけでも何でもない、ずぶの素人だ。無理はせず、ただなぜその地点が今まで人類を寄せ付けなかったのか、その理由を確認してくるだけでもよしとしよう。

●「森の熊さん」とピンクレディーの「SOS」と

大きな台風が通過した後で、東京はいい天気だった。10月下旬とはいえ、冬の気配はまったく感じられず、実際この秋になってまだセーターを着たことがないくらいであった。ところが交会点攻めの前日、羽田から旭川行きの飛行機に乗ろうとしていると、アナウンスがあった。現地はみぞれが降っているため、もし降りられなかったら新千歳空港(札幌)に降りる、と。

そのときになって初めて、ひょっとすると現地は冬かいな、という思いがよぎった。飛行機は無事旭川に降りられたものの、霧雨が降り、気温は1 ℃だった。冬じゃん。

翌朝、雨は止んでいたが、道はまだ濡れていた。雲が低く垂れこめていた。9:00amに古池氏が旭川のホテルに迎えに来てくれた。

国道40号線を200km ばかり北上して、問寒別(といかんべつ)の近くで右折した。問寒別川沿いに遡り、続いて、ケナシポロ川沿いに遡る。この名前は日本語っぽくない。「ポロをけなす」のでも「毛のないポロ」でも意味をなさない。ということはきっとアイヌ語から来ているに違いない。その意味するところは「飢えたヒグマ」でなければいいが。

ある地点で右折して、ケナシポロ川を後にした。ここからは舗装されていない、林道である。やがて車がそれ以上進めない地点に来た。脇へ車を寄せて、そこから歩き始めた。1:00pmだった。尾根沿いに小径がついており、多少のアップダウンがあるものの、全体的には登りだった。両側は背丈よりも高い熊笹でびっしりと覆われており、その向こう側がどうなっているかは知りようもない。

もし熊に遭ったら、と思うと怖くなった。熊鈴などの熊除けグッズを持って来なかったので、口笛でごまかした。こういうときは陽気な曲に限るということで、「森の熊さん」。

北へ向かって小径を約3km歩くと、北緯45°の地点に来た。この点は交会点の約100m東である。時刻はだいたい1:30pm。私は古池氏をそこに残して、ひとりで笹薮に分け入った。もし助けが必要になったら口笛で合図を送ることにしよう。そのときの曲はピンクレディーの「SOS」だ。

密集した笹薮の間を通り抜けるのは不可能だ。なぎ倒して踏みつけるしかない。身体が一瞬空中に浮き上がる感じがして、その後バキバキっという大音響とともに、笹は折れた。こんな進み方をしていると 5メートル進むのに5分かかる。このペースでは永久に交会点にたどり着けない。幸いなことに、もう少し進んで陽当たりの悪い木陰に入ると笹薮はややまばらになった。

次のハードルは下りの急斜面だ。足がすくむほどであり、ここでは進んでいいものかどうか、迷った。遥か下には、右手から来た小さな流れと正面から来た小さな流れとがちょうど足の下で合流して、左手に流れているのが見える。流れは細くて、簡単に飛び越せそうである。この地形が、地図を見て思い描いていたのとあまりにもぴったり合っていたため、一瞬「おお、設計図通りにしっかりできてる」と思ってから「それは違うだろ」と自分にツッコミを入れた。

到達できないかもしれないと思っていた交会点は、すぐそこにある。正面の流れを少し遡ったところである。このときは、気持ちがはやった。行きたい。

昨日の雨のせいか、足下の土は耕した畑のごとく柔らかい。ということは、最悪のケースを想定して、重力に屈して滑り落ちたとしても、泥まみれにこそなれ、怪我は負わないだろう、多分。この状況は青信号と判断した。後で考えると、たいていの人はそうは思わないかもしれない。

というわけで、その急斜面を降り始めた。今度は、笹が非常に頼りになる。これにつかまっていないと、滑り落ちるしかない。うっかりと枯れたフキの茎を掴んだら、中空のそれは何の抵抗もなく折れた。引張れば根元からするりと抜けた。ぞっとする。傾斜の途中に木が生えているコースを選び、もしずり落ちてもそこで止まるようにする。そこへ到達したら水平に移動して、また別の木に向かって降りる。

こうして何とか下まで降りきった。無傷だし、チビってもいない。後は比較的楽だった。流れが出会う地点から西に約50m行ったところに緯線経線が出会う地点がある。左側の流れはほぼ真東に向かって流れているので、それを遡ればよい。両側が急斜面のV字谷である。流れを右へ左へ飛び越えて、歩けるところを見つけて進んだ。水際はぐちょぐちょしている。踏むと油気の混じった水がぐちゅっとにじみ出た。

GPSの受信状態はよくなかった。時折「弱受信」の警告が表示され、読みが不安定だった。微調整しようとしばらくがんばったが、どうにもならず、ちょうどの位置を見つけるのはあきらめた。流れの中に大きな丸太が埋もれている。苔で覆われているばかりでなく草まで生えている。その地点が一番近いところだと判断し、写真を撮った。3:00pmだった。

そして引き返した。降りることができた斜面は必ず登ることができる、という法則がある。ただし、滑り落ちた場合は別。実際、登りはコースに目星をつけながら行けるので、比較的楽だった。なるべく下を見ないようにはしたが。

古池氏と再会したのが3:30pm。彼は怒っていた。雨が降りそうな雲行きになってきたのを見て、私を呼び戻そうと大声を張り上げていたのだそうだ。全然聞こえなかった。どうもすみません。彼は声が枯れていた。本当にすみません。

何とか日没前に車に戻ることができた。この日の日没は 4:30pmであった。8:00pmに旭川に帰り着き、イオンの「糸末(いとすえ)」で一緒にラーメンを食べた。格別に美味であった。

●振り返って

ひとつ分からないことが残った。この程度の難易度なら、なぜ今まで誰も行けなかったのだろう。単に遠いから? それともあの斜面を降りようとは誰も考えつかなかったから? 今のところ私がこれではないかと考えている答えは、一年の中でそこへ行ける期間が非常に短いから、である。2日後、雪になった。

兎にも角にも、このような無謀な計画に天罰を下さなかった八百万の神に感謝、感謝である。今度やったら見逃してはくれないかもしれない。自分がやっておいて言うのも何だが、よい子は決してまねしないように。未到達の交会点に挑むなら、くれぐれも準備を怠りなく。

【GrowHair】
これを会社の出張経費で落とした不良サラリーマン。写真は以下に掲載されました。トップページから[Japan]を選び、最北端の交会点をつついて、ご覧になって下さい。実名と顔写真を晒しました。
http://www.confluence.org/