[1771] 完璧を望んだ奇跡の労働者

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1771    2005/06/17.Fri.14:00発行
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   1998/04/13創刊   前号の発行部数 18126部
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<やがて、あの有名な井戸のシーンがやってくる。>

■映画と夜と音楽と…(259)
 完璧を望んだ奇跡の労働者
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![6]
 咲き誇る薔薇の園で人形を撮る
 GrowHair


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■映画と夜と音楽と…(259)
完璧を望んだ奇跡の労働者

十河 進
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●脚ばかりが有名になったシーン

6月8日付け朝日新聞のアン・バンクロフトの死亡記事には本人の顔写真と共に映画「卒業」の有名なシーンが掲載されていた。主人公の青年(デスティン・ホフマン)が恋人(キャサリン・ロス)の母親であるミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)との情事を終えた場面である。

しかし、その場面にはアン・バンクロフトの脚しか写っていない。手前に情事を終えてストッキングを履くミセス・ロビンソンの脚があり、その向こうにダスティン・ホフマンが立っている。「なんだい、こりゃあ」と僕はカミサンに嘆いた。いくら有名なシーンだからといって、これはないだろう、と思う。

アン・バンクロフトの代表作としては「奇跡の人」の方がずっと有名だと僕は思っていたけれど、その後、テレビのニュースでも「卒業」の黒い下着姿で娘の恋人を誘惑するシーンばかりが流されていた。

僕は「卒業」をきちんと見たことがない。教会に乗り込み、花嫁姿の恋人を連れて逃げるラストシーンは何度も見たけれど、「自分の母親と寝た男と逃げてどうするの」とか「結婚式で花嫁に逃げられた男は一生、心の傷が癒えないだろうなあ」という現実的な思いが湧き起こり、まったくロマンチックな気分になれないのだ。

もっとも、ウェディングドレスのまま逃げたキャサリン・ロスとダスティン・ホフマンは通りかかったバスに乗り最後尾のシートに並んで座るが、ふたりは次第に何かを考え込むような表情になる。もしかしたら、ふたりとも後悔し始めていたのではないだろうか。

「卒業」は1968年に公開になった。その数年前にヒットしたサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が使われ、映画のために作られた「ミセス・ロビンソン」も公開時にはヒットした。

封切りで見てきた同級生の元新聞部部長は「卒業」に影響を受けたのか、元来、そうした都合のよい思想の持ち主だったのか「これからはセックスも挨拶みたいなものになるんだ」と宣言し、16歳の僕はひどく反発した覚えがある。

当時、アメリカは性革命が始まった頃でハリウッド映画もそうした風潮に染まっていた。セックスをテーマにした映画が増え、ダスティン・ホフマンが「卒業」の次に出演した「真夜中のカウボーイ」はハリウッド映画ではタブーとされていた同性愛を正面から描いた。

しかし、日本浪漫派の流れを引く時代小説ばかり読んでいたオクテの少年は、元新聞部部長の「セックス挨拶論」に反発し「卒業」を見にいかなかった。昔から僕は恋人を奪われる男や妻を寝取られる男の側に立つクセがあり、未だに見ることに抵抗がある。

ちなみに、元新聞部部長は自らの言葉を実践し、友人の恋人を誘惑したり、社会人になってからも他人の妻を寝取ってばかりいたが、今は一体どうしているのだろう。

●奇跡の労働者が実現した仕事

昭和38年(1963年)に公開された「奇跡の人」を見たのは中学生の時のことだった。今でも僕は思い出す。クライマックスシーン、井戸の水を手のひらに受けて「ウォーター」という言葉を理解するヘレン・ケラーの雷にうたれたような天啓を、その歓喜を、さらに言うなら奇跡を…

当時の英語の教科書に「ミラクル・ワーカー」という英文が載っていた。無知な僕は「奇跡の労働者」と訳したが、それが「奇跡の人」の原作の一部だと知って、奇跡の人とは「見えず・聞こえず・喋れない」三重苦を背負いながら立派な人になったヘレン・ケラー女史のことではなく、彼女に言葉を教え知性を与えたサリバン先生のことなのだと理解した。

映画も赤ん坊の目が見えていないこと、何も聞こえていないことに気付いた母親が叫び声をあげるプロローグに続いて「ミラクル・ワーカー」というタイトルが出る。「奇跡のような仕事をした人」というニュアンスなのだろう。赤ん坊の時から闇と沈黙の世界で生きてきた獣のような少女に言葉の存在を教えた奇跡の教師である。

光と音を奪われた世界に育つとは、一体、どういうことだろう。想像もできない。触る、舐める、嗅ぐ…、触覚と嗅覚のみで生きられるのだろうか。人は人であることの多くを、見ることと聞くことに依存している。それは、知ることにつながり、学び、他者とのコミュニケーションを成立させる。

美内すずえの「ガラスの仮面」を読んだ人は「奇跡の人」のヘレン・ケラー役に取り組むヒロイン北島マヤの異常なほどの役作りを覚えているだろう。誰もいない別荘で目隠しをして暮らし、ヘレン・ケラーが生きている世界をつかもうとする北島マヤ…

舞台劇としてヒットした「奇跡の人」は日本でも何度か上演されている。昔、天才少女と呼ばれた大竹しのぶがヘレン・ケラーを演じた記憶があるが、その後、少女の頃の荻野目慶子のヘレン・ケラーも評判になった。最近では鈴木杏のヘレン・ケラーも劇評で絶賛されていた。

闇と沈黙の世界で生きるヘレン・ケラーをどう演じるか、「奇跡の人」に対する興味はそこに集中しがちだ。映画「奇跡の人」でもパティ・デュークが天才少女ともてはやされ人気が高まった。その結果、彼女が二役を演じる「パティ・デューク・ショー」は日本でも毎週テレビ放映された。

しかし、「奇跡の人」を見ると観客の心に深く刻み込まれるのはアニー・サリバンの人生であり、彼女の強い生き方である。彼女の妥協をしない信念がヘレン・ケラーを発掘(劇中で何度も使われる言葉だ)したのだとわかる。まさに「ミラクル・ワーカー」なのである。

ちなみに鈴木杏のヘレン・ケラーの時には、サリバン先生を大竹しのぶが演じた。昔、大竹しのぶがヘレン・ケラーをやった時には、奈良岡朋子がサリバン先生を演じたのではなかったか。丸いレンズの黒メガネをかけた奈良岡朋子を想像すると、何とアン・バンクロフトのサリバン先生に似ていることだろう。

アメリカでも1979年に「奇跡の人」がリメイクされ、その時にはパティ・デュークがアニー・サリバンを演じたという。

●アニー・サリバンの人間的な側面

物語は盲学校の生徒だった若きアニー・サリバンがヘレン・ケラーの家庭教師として雇われるところから動き出す。長い長い列車の旅をして、アニーは南部の田舎町に降り立つ。そこで出迎えたのはヘレンの腹違いの兄のジミーだが、その名前を聞いたアニーは「弟と同じ名前だわ」と口にする。

彼女の頭から去らないのは弟のことだ。弟の想い出が彼女を支配している。脚の悪い弟ジミーと目の見えなかったアニーは施設で育ったが、盲学校で学びたいと向上心に燃えるアニーは見学にきた理事に直訴する。「いっちゃいやだ、アニー」と泣くジミーをおいて彼女は自分の意志を貫くが、しばらくして弟は死んでしまう。

不幸に死んだ弟への想いが彼女を強くしているのだ。いや、意固地なまでの生き方になっている。手術を繰り返し、今は少し目が見えるようになっているアニーは、弟への負い目やみじめに育ったことの記憶をバネにして世間と闘う。自分の信念を曲げず、妥協しない生き方をする。

ヘレンに対してもそうだ。不憫な子だ、可哀想な子だ、と甘やかし続けてきた両親を相手に自分の教え方を貫こうとする。本能のままに生きてきたようなヘレンをテーブルに向かい椅子に腰を降ろしスプーンで食事させるために、アニーは奮闘する。諦めない。体力の限りを尽くす。

生まれ育った家にいては限界があると考えたアニーは両親と談判し、森の狩猟小屋にヘレンと籠もる。二週間だけという約束だ。両親には強く請け負ったアニーだが、ひとりになって弱音を吐く。揺り椅子で眠ったアニーは、施設で死んだ弟が安置室にいる夢を見る。弟はヘレンと同じ歳で死んだのだ。

二週間後、両親がヘレンを取り戻しにやってくる。ヘレンは躾られ、両親は満足する。だが「理解のない服従は盲目と同じです」とアニーは言い、ヘレンが何も理解せず服従しているだけだと言い切る。その時、父親の言葉に答えたアニーの強さが印象的だ。──神も完璧は望まれない。──私は望みます。

アニーは獣のように生きてきたヘレンに、ものにはすべて名前があること、それが言葉で表されていることを理解させたいのである。アニーは言う。「言葉の存在が死さえ越える。五千年前のこともわかる。すべてのことがわかる」と。

彼女は向上心に燃えて己の知性を磨き知識を蓄積し、弟の死という悲しみを乗り越えてきたのだ。自分の生きる意味を考え理解し、信念を持ち、みじめな生い立ちであり障害を持つが故により強く、真剣に生きている。彼女はヘレンにもそうであってほしいと願う。強く願う。心の底から願う。

やがて、あの有名な井戸のシーンがやってくる。指文字を遊びとしかわかってしていなかったヘレンが「ウォーター」という言葉を理解し、様々なものを手で叩いてアニーに指文字を催促する。ヘレンを抱きしめる母親を指文字で「マザー」と教える。

ヘレンがアニーに近づき、やさしい仕草でアニーをひとさし指でつつく。「あなたは誰?」とヘレンは聞いているのだ。「ティーチャー」とアニーはゆっくり指文字でヘレンに語りかける…

その夜、寝ようとするヘレンを抱きしめたアニーは「あなたを愛している」とつぶやく。ふたりは教え教えられる関係だが、ヘレンの存在がアニーを救ったのだ。アニーは弟への負の想いから、その呪縛から解き放たれたのである。そんな複雑な想いを印象的に演じたアン・バンクロフトがアカデミー賞を始め、主演女優賞を総なめにしたのは当然だろう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
この号が出る頃は実家にいるはずだ。新幹線を使わなくなってもう何年になるだろうか。飛行機は嫌いだが、乗っているのは一時間足らずなので何とか耐えている。二ヶ月前に超割で買ったチケットなので、往復でも安いしね。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
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■Otaku ワールドへようこそ![6]
咲き誇る薔薇の園で人形を撮る

GrowHair
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紅(しんく)を脳内妻に迎えて一ヶ月半になる。真紅とは、2回前に書いたように、アニメ「ローゼンメイデン」に出てくる薔薇乙女人形である。真紅自体は仮想の存在だが、誓いの証としてキャラクターグッズの指輪を左手の薬指にずっとつけている。出張で京都にも行ったし、米国サンノゼにも行ったし。真紅との仮想の生活がすっかり板についた感じ。

指輪のパワーによるところかどうか知らないが、このところ人形との距離がぐっと縮まった。5月22日と27日には、東京近郊の薔薇園で人形の写真を撮影する機会が得られた。その話に入る前に、まずはちょっと昔の話から。

●初恋の悲劇

中学の頃から何年にもわたって、夢にしばしば同じ女性が現れた。知っている人ではない。色白で丸顔、前髪をちょうど眉毛のあたりで横一直線に切りそろえ、その両端から直角に落ちるストレートの髪は頬を半分覆い、長く伸びている。その人とは特に会うべき状況があるわけでなく、何か話をするわけでなく、通りすがりにそこにいたという感じ。ただそこにいるだけ。何となくさびしそう。だが見ていると親近感がわいてくる。次第に、この人はまだ見ぬ理想の人で、自分は現実の世界にこの人を探し求めるのが宿命なんだと信じるようになっていった。

大学生の頃、似た姿の女性に出会った。同じサークルに入って来た美大生である。おっとりとして、おとなしい子だった。現役のころは遠くから眺めているだけで満足だったが、その子が短大を卒業してサークルを抜けてから急に矢も盾もたまらない気持ちになって、かなり勇気を振り絞って個人的に連絡をとり、会うことができた。会話はなんだかぎくしゃくして、ぎこちないことこの上なかったが、会えたことに満足して有頂天だった。何回か会ったが、話をすると何となく住んでる世界が違う感じでかみ合わず、つきあいらしいつきあいも始まらないうちに、次第に疎遠になってしまった。

就職して三年ぐらい経ったある日、出張で福岡に行く用事ができた。福岡空港で飛行機を降りて、土産物屋の立ち並ぶコンコースを歩いていると、その人はいた。大学時代のその人ではなく、夢に出てきたその人。それはその「人」ではなく...。博多人形だった。

その瞬間、古い記憶が蘇ってきて、ぴったりと重なった。中学一年の夏休み、両親と一緒に沖縄海洋博に行ったときのことである。博多駅で新幹線を降り、鹿児島へ向かう在来線の特急列車に乗り継ぐために土産物屋の立ち並ぶコンコースを急ぎ足で歩いていて、博多人形が目に入った。ちょっと立ち止まって眺めてみかったが、乗り継ぎ時間が短かったため、せかされて立ち去らざるを得なかった。

フロイトの「夢判断」によると、繰り返し現れる夢は、現実の世界で中断されて完結しなかった出来事が、記憶のなかで納まるべき落ち着き所を得られずにいつまでも仮置き場に放置されていることの現れなんだそうだ。

フロイトよ、ありがとう。おかげですべてが解き明かされたよ。長年にわたって追い求めてきた理想の女性は、博多人形の「童(わらわ)」だった! 運命の旅は終わった。古い記憶はよくやく納まる場所を得たとみえ、そのときを境にその子は夢に現れなくなった。だが、人形とのおつきあいの遍歴は、それで終わらない。

●人形の話と言えば「観用少女」

人形を描いた少女漫画で深く感銘を受けたものに、川原由美子さんの「観用少女」がある。幻の生き人形のお店で人形を購入していったお客と、その人形との心の通い合いを描いた読切り短編21話からなる。人形の絵がとてつもなく可愛くて、ストーリーはせつなくて、随所に織り交ぜられるユーモアも間合いが絶妙で、私はこの作品が好きで好きでたまらない。

知ったのはコスプレイベントでのカメコ活動を通じてである。頭に大輪の花のティアラをいただいた、清純そうな少女のコスプレイヤーを見かけたので、ぜひにと撮らせてもらい、後から作品名とキャラ名を聞いた。それがこの作品の「月華(げっか)」という人形だった。写真の出来栄えはまずまずで、本人からも「作品のイメージ通り」と喜んでもらえた。それでどんなだろうと思い、初めて作品を読んで、ずずずと引き込まれたのである。

「ローゼンメイデン」との出会いも同じパターンで、去年の冬のコミケで真紅のコスプレイヤーを撮らせてもらって知った。

●ドールショウでディーラーさんとお知り合いに

4月29日(金)に初めて人形の展示会に行った。浜松町で開かれた「ドールショウ14」である。3フロアーを使って、約300のディーラーが自作の人形を展示した。ローゼンメイデンの作者であるPEACH-PITさんがパンフレットの表紙のイラストを描いており、真紅にちょっと似てる。

午前中、別の用事があり、最後の一時間半だけ見ることができた。来場者もディーラーさんも約8割が女性。来場者の女性のほとんどは、フリフリ、ヒラヒラな格好だが、ディーラーさんの多くはくたびれたTシャツなど、地味な格好。きっとエネルギーのすべてを人形作りに注いでしまうのだろう。しかし、ゴスロリ系の人形のディーラーさんは、自身もそれ系でキメている。おそらく生活のすべてをその様式に統一しているのだろう。

様々な人形が展示されている中で、ひときわ異彩を放っていたのは等身大のリアルな幼女人形。横たわっている姿は、どう見たって子供の死体である。美しい! 思い切ってディーラーさんに話しかけてみた、「リアルですね」。即座に「嬉しいです」と返してくれた。「ロリータ工房」の美登利さん。

閉場時間が近く、人の波がすでに引けていたので、ゆっくりとお話ができた。何しろ人形のショウは初めてなもんで、来場者なら誰でも知っていそうな基本的なことや、好奇心丸出しのぶしつけなことを聞いたが、気さくに何でも教えてくれた。

この人形はサーニット(cernit)という樹脂粘土でできているという。柔らかい粘土をこねて形を作り、オーブンで焼くとカチカチに固まるのだそう。誰にでも作れるような代物であるはずはないが、本人いわく、特に長い期間講習を受けたわけでもなく、出産で二年のブランクがあったりもしたそうで。才能のなせる業なのだろう。

いつかきれいな背景で写真を撮らせていただけたらと思ったが、美登利さんご自身が公園に連れていって撮ったという写真も、花が咲き誇る中で西日を受けた顔が映えて、ものすごくきれい。人形を撮ったこともない私の出る幕ではないか。

会場を後にして、駅へ向かうついでに旧芝離宮恩賜庭園に立ち寄った。この日は入場無料で、中は人がいっぱいいた。芝生では...。うぎゃっ! 目を疑うような光景が。20代と思しき大きな男の子が4人、10体ほどの人形を芝生にはべらせて写真を撮ったりして遊んでいる。き、君たち。私はドールショウ帰りだと知っているからまだしも、一般の人からどう見えているものか...。みなさん、ここにいるのは決して猟奇的な人たちではないので、通報などせず、生暖かい目で見守ってやって下さいませ。

帰ったらさっそく美登利さんのホームページにアクセスした。日記でmixi(ソーシャルネットワークのひとつ)に入っていることを知り、さっそくマイミク(個人的な友人)になっていただいた。

●ローゼンメイデン決起集会でロリィタちゃんとお知り合いに

その翌日、30日(土)にはローゼンメイデンの決起集会に行った。閉演後にたまたま居合わせた4人で、近くのマクドナルドへ行ってお茶して帰った。その中のひとり、Kotoiさんはフリフリ、ヒラヒラのロリィタちゃん。映画「下妻物語」の竜ヶ崎桃子(深田恭子)のようである。いや実際、服のブランドは"Baby the Stars Shine Bright"で、下妻の桃子と同じだったのだが。バッグの柄に合わせたというネイルアートも細かくてきれい。

けっこうな美貌だが、本人によれば、写真うつりが悪いのだそうで。「それなら」とすかさず、「カメコの私がいつか腕を振るってあげよう」と申し出た。帰ってから、mixiに入ってもらった。トップ絵に載せたのは本人の写真ではなく、スーパードルフィーのRoseちゃん。彼女の分身だという。

スーパードルフィーとは(株)ボークスが製作・販売している球体関節人形である。京都にある工房を「天使の里」といい、全国12店舗の販売店を「天使のすみか」という。スーパードルフィーは「買ってくる」などという世俗的な表現は使わず「お迎えする」という。天使のすみかでは、「お迎えセレモニー」を催してくれる。

美登利さんとKotoiさんは、mixi上であっという間に仲良くなった。そして、撮影の機会は案外早く来た。

●バラ園で撮影

5月22日(日)はKotoiさん、アシスタント、私の3名と人形のRoseちゃん。5月27日(金)は美登利さんと二歳の息子さんとつむり目の等身大幼女人形が加わった。姉妹の人形の妹の方である。美登利さんとKotoiさんがリアルに対面するのはこのときが初めて。

美登利さんは子供のよだれが垂れても気にならない、地味ないでたち。一方、Kotoiさんは決起集会のときより一層磨きのかかった、頭のてっぺんから足の先まで隙のないロリィタ。ローゼンメイデンで人形が入っていたのをそっくりに再現して作られたトランクにRoseちゃんが入っている。

最初にKotoiさんを撮っていたのだが、Roseちゃんがトランクから出てきてからは、もう駄目だった。レンズを通じてファインダに映った姿は妖しかった。色白で無垢な感じなのだが、そういう可愛らしさも極まると妖しい。あ、やばい、吸い込まれる! 後でKotoiさんから「私が忘れられてた」とか「話し掛けても無反応だった」とかさんざん言われてしまったが、正直言って、本当にそうだった。Kotoiさんの存在は一時的に頭から消えていた。声は聞こえていたが、自分が話しかけられていると認識できておらず、「え? 俺に言ってたの? 何か言った?」みたいな。

美登利さんちのつむり目の人形は、どうしたって死のイメージを免れない。棺に納められ、花に埋もれて、まるで眠るように死んでいるイメージ。それは悲劇的な情景。だが、どこかエロチックでもあり。相容れなさそうな死とエロスが共存しているのか。それとも観念上の死はもともとエロスと重なり合うものなのか。

写真を撮られると魂が抜かれるというのは迷信だ。撮った方が抜かれる。

●付記:関連サイト

ロリータ工房: 美登利さんのページ
< http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Emidoti/
>

ドールショウ
< http://dollshow.hp.infoseek.co.jp/
>

ボークス、スーパードルフィー、天使の里、天使のすみか
< http://www.volks.co.jp/
>< http://www.superdollfie.net/
>

ローゼンメイデン
< http://www.tbs.co.jp/rozen-maiden/
>

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
シアワセなおっさん。「お迎え」するのは時間の問題ともささやかれている。新宿アルタ8階の「天使のすみか」でスーパードルフィーの展示を見たときは萌え死ぬかと思った。特にリズちゃんが可愛くてなぁ。真紅のスーパードルフィーも秋に向けて制作中だそうで。もう戻る道は存在しないかもしれない。バラ園で撮った写真はこちらからどうぞ。
< http://i.am/GrowHair/
>


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■編集後記(6/17)
・待ち合わせに失敗。場所はJR新宿駅南口、というのにいやな予感がした。わたしは目が良くないのだから(そのくせメガネをかけない)、こっちから捜すことはせず、目立つところにいれば相手が見つけてくれる、といういつもの作戦。今日の打ち合わせは三人で。そのうち一人は赤い服装が目立つはずだから(神田さんではない)、こっちからも見つけられると思っていた。しかし、遭遇できず30分経過。携帯電話を持たないわたしは、電話を探しに5分ぐらいその場から離れた。相手に電話したが出ない。もしかしたら番号のメモがまちがいかもという疑惑が。まあ、今日はわたしはオマケみたいなもんで、出られたら出て欲しいという要請だったので、じつは必死ではない。しかし、そのうち時間を一時間間違えていたのではないかという疑惑が。JR新宿南口というあいまいな場所指定にOKしたのが悪かった。残念だが引き上げることにした。だが、せっかく新宿まで出てきたんだから何もしないで帰るのは惜しい。コニカミノルタプラザでDAYS JAPANフォトジャーナリズム写真展を見る。あと5日しか会期がなかった。あぶないところだった。今日はこれを見に来たということで自分を納得させた。帰ってから、今日のメンバーにメールしたら、JR新宿駅南口改札正面という空間に20分間、同時にいたようだ。なぜ会えなかったのだろう。なお、赤い人はエンジの人だったそうだ。(柴田)

・キャパがなかったり、つい甘えちゃったりして担当者さんに迷惑をかけた。リニューアルに関しては延び延びにしているうちに、姉妹サイト構築があって先延ばし。コーナーが変わったりして当初コンセプトが崩れているので気にはしていたのだが。そのうち大元クライアントの事情で、サイト制作会社が一本化したので終了。リニューアルしたというので見に行ってがーん。人の作った画像全部流用すんなよ~、見せ方まで同じにすんなよ~と怒りが。私の場合は私がリニューアルする前の制作者(担当者)さんと一緒に作り上げたので、アイデアをもらったりするのは問題ないと思うんだけど、違う会社がアイデアと画像そのまま流用するってのはどうなのよ、と。冷静になってリニューアル時に新たに作られた箇所を数えてみる。そっか~、リニューアル時にいろいろ入れたいと思ってしまうのがまずいんだな。このぐらいの修正で良かったのか。私の担当者さんは長く携わってこられて、何を伝えるべきか、伝えなくていいのか、要件は何かというところまで細かく気にされている。製品に愛を持ってらして、プライベートで遊んでいてもその製品の売り場を覗きに行ったりする人だ。見る側に誤解のないように伝えたり、権利関係をきっちり押さえるというところまで考えてらっしゃるのだが、リニューアル後ページにはそれがない。見た目綺麗だし楽しいから好きなんだけど、いいのかこれでと思ってしまうのは頭が固いのか、自分の不甲斐なさへの反動か。/と長文を書きながら、まぁ予算がなかったんだろうなぁとか、流用したってことは私のやり方で良かったっていうことだよなぁとか、私もそうだったけど頻繁に更新があるから崩れてきて大変だぞ~と思いつつ、最終的にはやはり担当者さんにごめんなさいなのだ。自分の立ち位置を変えないとな。(hammer.mule)

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