[1821] 淡々と、ナチュラルに…

投稿:  著者:  読了時間:24分(本文:約11,700文字)


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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1821    2005/09/09.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 18393部
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<安心してヲタな自分を丸出し>

■映画と夜と音楽と…(262)
 淡々と、ナチュラルに…
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![11]
 イタリア人御一行様をご案内: オタクツアー
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■映画と夜と音楽と…(262)
淡々と、ナチュラルに…

十河 進
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●「太陽がいっぱい」で知った白い杖の意味

「太陽がいっぱい」という映画の冒頭は、モーリス・ロネ演じる金持ちのフィリップ・グリーンリーフと父親に頼まれて彼をアメリカに連れ戻しにやってきているトム・リプレイがローマでバカ騒ぎをするシーンだ。

酔っ払ったフィリップは白い杖をつき黒メガネをかけた人にぶつかり、その盲目の人物から杖を買い取る。ふたりは白い杖を持って交互に目の不自由な人物の振りをする。フィリップはわざと金持ちの有閑マダム風の女にぶつかり、彼女をだまして引っかける。

そのシーンはふたりの若者の無軌道ぶり、アンモラルな行動を描いているのだろうが、僕は白い杖が目の不自由な人の目印であり、それが世界共通なのだと初めてその映画で知ったのだった。十三歳、中学一年の秋のことである。

それ以来、白い杖の人を見かけると、その人の通り道を邪魔しないように大きく迂回して追い越したり、しばらく立ち止まって相手が僕の横を通り過ぎるのを待つようになった。それは、積極的にお節介は焼きたくないが、少なくとも自分の周囲は安全にゆき過ぎてほしいという意識の現れなのだろう。

僕が通勤で使う駅は、割と白い杖を持った人が降りる。朝のラッシュアワーだから人の流れが速く、そんな人たちの周りだけ人々が避けるように空間があく。時には白い杖に気付かず、ギリギリに横を早足ですり抜けていく若者がいたりして、僕はヒヤリとすることがある。

去年の秋、僕が電車を降りると隣のドアの横に立って電車に乗ろうとしている白い杖を持つ男性がいた。杖はホームの端を確かめるために小刻みに床を叩いている。片方の手で入ってきた電車の車体に触れていた。ドアからは1メートルほど外れている。僕は階段に向かっていたが「危ないな」と思った。

「手を貸すべきか」と、一瞬、僕の足は止まったが躊躇した。その時、男性のすぐ横にいた若い女性が彼の腕をとり、電車のドアの位置を教えた。そのまま彼が乗り込むのをアシストする。シックなスーツを着た落ち着いた印象の女性だった。

いや、彼女を見たのは一秒足らずのことだ。そんなところまで記憶しているわけがない。僕は彼女が白い杖の男性を助けるのを見るとすぐに、いつものように階段を降りて会社に向かった。シックなスーツを身につけた落ち着いた女性などというのは、後から勝手に創ったイメージだろう。

僕は、躊躇せず目の不自由な人に手を貸した女性に好感を持ったのだ。それは自分がそういう人に手を貸そうと思う時、必ず一瞬身構えてしまうことに対する反動だったのかもしれない。

●人々の視線に晒される「嫌な感じ」

あれは、もう二十年も前のことになるだろうか。まだ、バリヤフリーなどという言葉もなく、街は身体障害者にとっては不便このうえない環境だった頃のことだ。特に電車の駅はいたるところに階段があり、車椅子で電車に乗ろうとすると露骨に迷惑がる乗客の視線に晒された。

ある日、僕は仕事の途中で新宿駅に降りた。朝夕のラッシュ時ではないにしろ、ホームには大勢の人がいた。みんな早足で歩いている。そのホームの中程で車椅子を押している若者が大声で「誰か手を貸してください」と言っていた。車椅子に座っているのは三十代くらいの男性だった。

僕は電車から降りたまま立ち止まって、そのふたりを見た。誰も手を貸す様子がなかった。数秒後、誰も申し出ないのを見て僕はおずおずと近寄り「僕でよかったら」と小さな声でつぶやいた。若者は僕をチラッと見ると「もうひとりお願いします」と再び大声をあげる。

僕は人々の視線に晒されるが嫌だった。早く車椅子を階段の下に運んで、駅の群衆の中に紛れ込みたかった。だが、もうひとりがなかなか見付からない。実際には数分のことだったのだろうが、僕にはひどく長く感じられた。その間中、隣で若者が怒鳴っていた。

ようやく若いサラリーマン風の男性が近寄ってきて「いいですよ」と言った。若者はいきなり「じゃあ、右と左を持って」と指示を出す。僕とサラリーマン風の男性は左右の車の部分に手をかけ、若者が背を持ち上げた。そのまま階段をゆっくりと降りる。

人を運んでいるのだから緊張したのを覚えている。階段につまずいたりすると大けがをさせることになるかもしれないな、と思った。階段を降りきるまでせいぜい一分足らずだったろう。自分の足下だけを見て、しっかりと車椅子をつかんでいた。

降りきって車椅子を下に降ろし、ホッとして躯を起こした後、僕は唖然とした。若者は、車椅子を押してさっさといってしまったのである。もう数メートル離れていた。

車椅子に座っている男性はずっと沈黙のままだったし、こちらに視線を向けることもなかったが、それは何かの病気のせいなのだろうと思っていた。だが、車椅子を押していた青年は、身体的な障害も精神的なハンデもまったく感じさせなかった。

「別に礼を言ってもらいたくて手伝ったわけじゃないけど…」と思ったが、若者の無視の仕方を不自然に感じていた。僕と同じように呆気にとられていたサラリーマン風の男性と目が合った。僕らはバツの悪い感じでほんの少し頭を下げる会釈を交わし、右と左に別れた。

改札に向かって歩きながら、あれだけ大声で「手伝ってください」と言っていたのにふたりの人間を確保するまでに何分もかかっている、あの若者はきっと怒っていたのだ、僕はそう言い聞かせた。

しかし、その経験があったからハンデのある人たちを気軽にアシストすることに躊躇するようになったわけではない。それはたぶん、子供の頃、「いい子ぶってる」と級友たちに見られたくないと思った気分によく似ている。

●突然に起こった駅の出来事

先日、午後から出社するために11時過ぎに駅に立っていた。郊外の駅だし、その時間はあまり人がいない。見渡しても数人の人が立っているだけだった。階段を杖で叩く音をさせながら薄い茶色のメガネをした短髪の中年男性が降りてきた。

その男性は僕の方に向かって白い杖で前方を探りながらやってくる。僕はホームの柱の陰になる位置に躯を隠し、彼の通り道の邪魔にならないように身構えた。彼が杖で探って柱に当たり、誰もいないと思って通り過ぎていくことを期待したのだ。

ところが、僕のいるすぐ近くにきた時に男性の躯がホームの端に向いた。そのまま杖で探っていたが、アッと思った時には杖が空中をさまよい男性がホームを踏み外しそうになった。僕は慌てて彼の肩をつかんで引き寄せた。「危ない」と無意識に叫んでいた。

少し僕に抱きつくような形になってすぐに身を離した男性は、「時々、カンが狂うことがあるんですよ」と照れた笑いを浮かべて言った。それから「ここのホームは落ちても逃げられるようになっているんですか」と聞く。僕はホームの端を覗き込み「ホームの下に潜り込めますね」と答えた。

それから電車がくるまで彼の話を聞いた。今度開通するつくばエキスプレスの駅はすべてホームの端にガード用の柵がついていること、ホームに柵を作る運動をしているのだがJRのホームではなかなか実現しないことなど、彼は主張するという印象ではなく世間話のように喋った。

電車がホームに入りドアが開く。僕が「それじゃあ」と言って彼の腕をとろうとすると「肩を貸してください」と言う。そう言えば、目の不自由な人を誘導する時は、なまじ手をつかんだりしない方がいいと聞いたことがある。肩につかまらせる、つまり盲導犬のように誘導するのがいいという。

僕は「ここで段差になります」と言いながら電車に乗り込み、白い杖の男性を空いた席に案内した。僕はひと駅めのターミナル駅で乗り換えるので数分間、立ったままだった。その時、僕が考えていたのは、どういう風に声をかけて降りようかということだった。

──私、ここで乗り換えますから、お気を付けて。

ターミナル駅について降りる時、僕はそう声をかけた。普通に声をかければいいのだ、変に意識する必要なんかない、と思い至ったからだが、それは僕もそれなりに歳を重ねたからだろう。

恥ずかしい話だが、ハンデのある人にほんの少し手を貸すのに、そんなに意識することはないのだ、普通でいいのだと、ようやくわかったのである。淡々と、ナチュラルに、ただ淡々と…、それでいいじゃないか。

ボランティアなどの行為をする人たちを「善いことをしているという満足を得るためにやっている。結局、自分のためじゃないか」と言う人がいる。人に親切にしたり募金をしたりボランティア活動をしたりする、そのことを「いい子ぶっている」と見る人たちがいる。

確かに売名行為もあるだろうし、善意の行いをしている自分に酔っている人もいるだろう。しかし、動機がどうであっても、結果がよい方に向かっていればいいんじゃないか、と最近の僕は思う。

いろんな人がいるのは、どんな世界でも同じだ。他人の善行を「偽善」と皮肉に見る人たちも存在するし、自分がやっているボランティア活動を絶対的正義と信じ、そういう活動に消極的な人たちを痛罵する思い込みの強い人もいる。

だが、他人をシニカルに見るだけでは何も生み出さない。世界はよくならない。同時に、自分だけが正義だと思う人は共感を得られない。世界は広がらない。ナチュラルに…、淡々とやっていきたいなと僕は思う。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
先週の再開の後、何人もの方から「祝再開」メールをいただきました。待っていてくれた人がいるのが実感できると、また書き続けようという意欲も湧いてきます。ありがとうございました。

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かつては犯罪予備軍みたいに言われたオタクも、最近は「電車男」などの影響力もあってか、社会からの視線が多少はやわらいできたように感じる。しかしながら、多々ある趣味の中でゴルフや釣りや旅行、映画や音楽や文学などに比べると、漫画やアニメやゲームなどは、まだまだ人に言うには一瞬の躊躇を感じることがある。

趣味に誇りを持っていないわけではないが、相手を見てから言ったほうがいいということはある。仕事でもらった名刺よりもコスプレイヤーの名刺の方が多いとか、同人誌の重みで床が抜けないか心配だとか、その同人誌の多くは801系(←解説後述)だとか。脳内妻「真紅」との誓いの薔薇の指輪のことだって誰彼にとなく自慢したいのを抑えている。

そうであるからこそ、趣味を共有でき、安心してヲタな自分を丸出しにできる相手に会ったときの親近感には格別のものがある。特にその相手が言葉も文化もかけ離れた異国の人であったりすると、感動的ですらある。

今年の夏は、イタリアから来たコスプレイヤー3人を名所旧跡にご案内する機会に恵まれ、意義深い文化的交流の時間を過ごすことができた。都内の日本庭園でコスプレ個撮、松戸のバンダイミュージアムでガンダム鑑賞、秋葉原の「天使のすみか」でスーパードルフィー鑑賞、他にも、同人誌ショッピング、メイド喫茶でお茶、メイドバーでカクテル、などなど。

Yuzuと知り合ったのは、一昨年の8月のこと。原宿の通称「橋」こと神宮橋で声を掛けて写真を撮らせてもらったのがきっかけである。その2週間後には、コミケのコスプレ広場でも会った。帰国してからも細々とながらメールのやりとりが続いていた。それが、この夏2年ぶりにまたコミケに来るという話になり、俄然メールの往復が加速した。コスプレ仲間を2人連れてくるそうで、みなグラフィックデザインや服飾デザインを専攻する大学生だそうである。コミケの後も1週間滞在するというので、オタク名所巡りをしましょうという話になった。

●教えることは何もなかった

遠い異国に住んでいながら、日本のポップな文化に関する知識が深いのには驚かされた。アニメ作品に関しては最新の人気どころを押さえているし、コスプレの題材にするキャラに関してはマイナーなところまでよく知っている。メイド喫茶やスーパードルフィーのことも知っていた。また、秋葉原の「アニメイト」や中野の「まんだらけ」で同人誌漁りをしていて分かったのは、オタク用語に関しても「やおい」、「攻め」、「受け」、「腐女子」といった基本的なところは踏まえていた。

解説すると、「やおい」とは、「山なし、オチなし、意味なし」の略で、もともとは自分の作品を謙遜して言う言葉だったが、意味が転じて、主として女性作家が女性読者を対象に書く、男性と男性の恋愛を描いたライトノベルの一ジャンルをさすようになった。ほぼ同義に「JUNE(ジュネ)」、「BL(ボーイズラブ)」と言ったり、婉曲に「801」、「や○い」、「やさい」と言ったりもする。

このジャンルの本を集めた文庫として、角川ルビー文庫や徳間キャラ文庫などがある。「攻め」とはやおい系で男性的な役割を言い、「受け」とは女性的な役割を言う。やおいカップルは乗算記号を用いて「リョーマ×不二」のように表記する。この乗算は可換ではなく、前が攻めの人、後が受けの人を表す。ああ、目くるめくやおいの世界! と、このジャンルにハマる人々を「腐女子」と言う。世界に広く浸透しつつある、誇るべき日本の文化である。

新選組は腐女子の想像(=妄想)をくすぐるらしい。もっとも実話としても「そういうこと」はけっこうあったようで、それをネタにした同人誌は嘘801を並べ立てたものとは言い切れない。Yuzuは土方歳三や沖田総司のファンで、NHKのドラマ「新選組!」は全部見たそうである。大島渚監督の映画「御法度」では前髪の惣三郎の話に感動し、原作となった司馬遼太郎氏の「新選組血風録」を原書で読もうとがんばっているそうである。

●コスプレ写真撮影は上々

8月12日~14日にコミケがあり、その翌日に都内の日本庭園で個撮をした。六義園は、そのウェブサイトによると、元禄8年(1695年)、五代将軍徳川綱吉の時代に作られ、当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられていた、繊細で温和な日本庭園、とある。月曜の午前中は静寂に包まれ、前日までのコミケの喧騒とはまるで別世界だった。耐え難い蒸し暑さは同じだったが。

今回、Yuzuがイタリアから持ってきた衣装は「NARUTO」のツナデ、Grenadinは「闇の末裔」の貴人、NA-CHANは「これが私の御主人様」の沢渡みつきであった。新しかったり、マイナーだったり、いい選択である。NA-CHANは残念ながら暑さにへばってしまい、コスプレ個撮には来られなかったが、コミケで撮らせてもらっていた。

茶屋では野点(のだて)傘が立てられていて、これが実に日本的で和風コスのイタリア人とよく合いそうである。お店の人にお願いして傘の下で撮らせてもらった。庭園内で写真を撮りまくっている外国人男性2人をみかけた。うちひとりは長い金髪を後ろで束ねてる姿に見覚えがある。と思ってたら向こうから声をかけてきた。「あ、コミケで...」。おお、あの混雑で目についていたとは、お互い目立つらしい。デンマークから来たという。コミケの翌日に六義園に行こうと思いついたのもすごいけど、そこでまたコスプレイヤーとカメコに遭遇しちゃうとは。そういうもんだと誤解してなければいいけど。

撮影終了後は中野へ。暑さのせいか食欲が全然わかないという。特にGrenadinは、真夏でも気温が15度にしかならないという高地から来たということで、そうとう参っている様子。そういうときは、と冷やし中華を出すラーメンのお店に恐る恐るお連れした。これが好評。しっかり平らげてくれた。元気が出たところで、同人誌やコスチュームのお店を回り、メイド喫茶「TeaRoomAlice」でお茶、さらにメイドバー「エデン」へ。ここは大久保店に続く2号店だ。私の友人2も合流してにぎやかに。

●ちゃんと見てくれ「エヴァンゲリオン」

エデンではいろんな話をして楽しかったが、ひとつモヤモヤっとした思いが残ったことがある。イタリアでもエヴァンゲリオンが人気を得ているという話。それは嬉しいのだが。問題はどう見られてるかってことで。アチラでは主人公の碇シンジが早々に見限られているという。シンジを顧みない父親のゲンドウも不人気。代わりにやたらと口達者で勢いのいいドイツ人の惣流・アスカ・ラングレイや陽気な姉御の葛城ミサトが人気なのだとか。だから結末には何の違和感もなかった、と。

うわあああああああああ!!!!!(悶絶)それでいいのかぁーーーー。あのうじうじうじうじ悩み続けて最後までシャキッとしたところがひとつもないシンジこそが我らがヒーローであり、自分に重ねて見るのが本筋ってもんではないか。親から愛されたことも、人から好かれたこともない僕。だけど、エヴァに乗って敵をやっつければ父親はほめてくれるし、みんなは賞賛してくれる。それは嬉しい。だから、本当は嫌で逃げたいけど、我慢して乗る。他に代わりはいないし。だけど、それはエヴァが動かせるという僕の特殊な能力があてにされているだけで、誰も本当の僕には関心がない。このままでは自分の存在意義はそれしかなくなり、自我というものの居場所がどこにもなくなる。これは人類の防衛の物語ではなく、シンジの心の迷路脱出の物語だ。

あ、そういう意味じゃ、人類を放ったらかしにして、シンジが自分の心の殻を内側から壊すことができるかどうかに焦点を当てた結末に違和感がないのはいいんだけど。

ゲンドウは...。アスカは...。ミサトは...。綾波は...。止まらなくなりそうなので自粛。

日本でテレビ放映されて爆発的に人気が出た'96年当時は、海外への展開の試みは空振りに終わった。ところが、日本のアニメ全般が海外に受け入れられ始めた2000年近くになって、日本のアニメ史に大きな足跡を残したエヴァがようやく注目を集めるようになった。それって「裸の王様」みたいなもの?
「この面白さは利口な者にしか見えない」とか言われて、みんな見えるフリをしているだけとか。今後、海外に出す作品は「日本ではこう見られている」という解説をつけておいたほうがよくはあるまいか。

●いちおう伝統文化も

火曜日は東京タワーと池袋サンシャインシティーに行ったそうである。水曜は松戸のバンダイミュージアムと秋葉原へお連れした。木曜は日光へ日帰り。オタク文化ばかりでなく、日本の伝統文化にも興味があるとのことなので。だが、この時点でみんなもうスタミナ切れ。行きの特急「けごん」では、私を含めた4人とも正体なく眠りこけていた。

だが、東照宮に着くと、涼しかったこともあり、元気を取り戻した。荘厳な建造物や緑まぶしい庭園には思うところあったようで、写真をバシバシ撮っていた。NA-CHANは自分で「日本人観光客みたい」と言っていたが、なかなかどうして。典型的な日本人は、その地に来たことをただ記録に残したいがために、深い考えもなしにシャッターを切りまくり、撮ったことに安心して、次へ次へと関心が移っていくから、結局たくさん回って何ひとつじっくりとは見て来ない。それにひきかえ、NA-CHANはまずじっくり見た上で、アングルなども工夫して、一枚一枚に時間をかけてていねいに撮っている。さすがは美術系(専攻は服飾デザイン)。

しかし、灯篭などを覆う苔が湿気に喜んで勢いづき、生き生きとした表情を放っているのにはまるで関心が向いていない。それを問うてみると、「苔は別に美しいと思わない」ときた。うーん、まだ22歳だし、「渋さ」という美の領域に思いが到達するにはまだ早かったのかもね。

鳴き龍は愉快だった。お堂の中で拍子木をキーンと鳴らすと、鈴を振ったようなシャンシャンシャンシャンという反響がしばらく続く。これは、天井と床との間で音が反射しあって定常波ができるため、ということらしい。そうか。去年の夏、レインボーブリッジの下で花火を見たのだが、そのとき、花火がパーンと鳴ると、それに引き続いてひよこが鳴くようなピョピョピョピョという音が聞こえて、なんとも間抜けだった。あれは鳴き龍だったのだな。

残りの滞在期間にはジブリ美術館や原宿にも行ったそうである。他にも楽しい話はいっぱいあって、半分も書けなかった感じではあるが、全部を振り返ってみると、親善大使ともいうべき大役をしっかりとまっとうすることができたことに満足と誇りを感じている。その後、例の冷やし中華のお店に一人で行ったらあのときのにぎやかさが思い出され、泣きそうになった。馬鹿である。

9月になって、Yuzuから絵はがきが届いた。残りの夏休みをフランスで過ごしているそうで。砂浜に近い浅瀬にヨットがたくさん浮いている写真。太陽がいっぱいだぁ。それが透明な薄いケースで覆われていて、コートダジュールの砂が封じ込めてある。好きなように砂浜を作って遊べる。文面にはひらがなで「ありがと!」と。

Yuzuのホームページ
< http://www.angelic-girl.it/ >

NA-CHANのホームページ
< http://www.livejournal.com/users/na_chan/ >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
国際親善カメコ。ところで脳内妻「真紅」との誓いの薔薇の指輪は、元はと言えばローゼンメイデンのキャラクターグッズ、2,500円で売っていたもの。左手の薬指に3か月間はめていたら傷んできた。その貧相たるに耐えがたく、ジュエリーのお店で作りなおしてもらった。今度はゴールドとプラチナで。重さはずしりと2倍、値段は35倍。一生ものである。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/ >

<応募受付中のプレゼント>
インターネットは「僕ら」を幸せにしたか? 本誌1817号(9/12締切)


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■編集後記(9/9)
・昨日の編集後記で、ツクツクホーシのことからうっかりしてヒグラシに話が飛んでいた。いずれも夏の終わりを告げる、ちょっとおセンチになっちゃう鳴き声だ。/石川九楊著「縦に書け!」(祥伝社)という本を読んでいる。日本語を横書きにするのは、英語を縦に綴るのと同じ愚行である。横書きが日本人を壊している、という警世の書である。縦書きが必須の日本語において、ワープロやパソコンが日常的に使われるようになれば、文化や日本人の精神に錯乱をもたらすのは必至であると説く。その理由というのはよく理解できたが、うけうりできるような内容ではなく、うまく伝えられない。石川さんは、ケータイ、インターネットは小中学校、義務教育における廃止と禁止とが必要だという。パソコンなんか義務教育で始める必要はなく、大学生や社会人になってからで充分だともいう。同感である。義務教育期間はもっとほかにやるべき大切なことがあるはずだ。わたしは、ケータイとインターネットが現代の社会から消滅してくれたらどんなにいいかと思う。日常的に便利さを享受していながら、これほど憎むべきもの、恐るべきものはない。この社会状況下で、親としてほんとうにまっとうに子供を育てられるかというと、まったく自信がない。幸い、わが子は成人だからもう自己責任でやってもらうしかないが、その子どもたちが心配である。だが、時代の流れを堰き止めるのは非常にむずかしい。貧乏だったけど向上心があって勤勉だったころの日本がなつかしい。(柴田)

・母親が不在者投票をしてきた。「目の前に○○という人が通りかかったから、その人に入れたの」と言うのでワタクシぶちギレ。身体がしんどいのに(自業自得)無理に起きては時々仕事をしていたりするから、八つ当たり気味。さらに「一票ぐらいで変わんないわよ」と。「その適当な一票のために、真面目に考えて投じた人の一票が相殺されてしまうわけでしょうが。投票しないのと同じぐらい悪い。投票しないのも、組織票の割合を濃くしてしまうから、他人に票をあげているのと同じ。」「どうせ4年間でしょ。たくさんのことはできないわよ。(自分は)この先長くないし。」「孫が可愛くないわけ?」「じゃあ誰に入れたら良かったのよ。」「家族といえど人に強制するわけないでしょ。支持政党は違って当たり前。ちゃんと考えて入れたのなら怒らないわよ。」と。よくよく聞くと、二人に絞ったんだけど決め手がなくて、通りがかった候補者に入れたらしいんだけど、私がいきなり怒りだすから適当に返事をしてしまったらしい。郵政民営化投票時の国会中継は衆議院、参議院ともに見てて、時間ばかりかかってて効率化なんてないし、何も決まらないし、どこかの(私の中ではやってほしい人がたくさんいるけど)社長さんらが政治家やってくれないか、自分が出たいと思ったぐらいだったので(やんないし、国会は立法、三権分立三権分立……)、今回の選挙への関心は高い。比例区はこの政党だな~と決めているんだけど、選挙区から出ているその政党の候補者の経歴やサイトでの主張、顔まで嫌いなので困っている。政党政治って!(hammer.mule)

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