[1904] たかが映画じゃないか

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1904    2006/01/27.Fri.14:00発行
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      <(瞬間湯沸かし器のようだと言われている)僕>      

■映画と夜と音楽と…[278]
たかが映画じゃないか

十河 進

■ショート・ストーリーのKUNI[17]
 キッチン
 やましたくにこ



■映画と夜と音楽と…[278]
たかが映画じゃないか

十河 進
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●「たかが…」という言葉の正しい使い方

「たかが選手が…」と放言し、日本プロ野球史上初のストライキという状況を
招いたのは読捨新聞(じゃなかった…読売新聞)のワンマン爺、ナベツネこと
渡邊恒雄である。

この場合は「たかが…」という言葉の正しい使い方であり、完全に選手をバカ
にしたニュアンスである。「たかが選手ふぜいがプロ野球のオーナー会議に異
議を唱えるとは何事だ。生意気な」というナベツネの気持ちは正確に伝わり、
古田率いる選手会を一致団結させてしまった。

しかし、言葉には様々なニュアンスがある。

「たかが映画じゃないか」と言ったのは、アルフレッド・ヒッチコックだった。
「山羊座のもとに」(日本では未公開だと思う)を撮影中、イングリッド・バ
ーグマンに向かって発した言葉だったという。

このフレーズは有名になり、その後、あちこちで引用されることになった。和
田誠さんと山田宏一さんという無類の映画好きふたりの対談本のタイトルにも
使われている。

「たかが競馬、されど競馬」と言ったのは、歌人であり詩人であり、戯曲家で
あり演出家であり、シナリオライターであり映画監督であり、ときに競馬評論
家だった寺山修司である。

このフレーズも有名になり、「競馬」の部分を様々に言い換えて流布されてい
る。この寺山修司の言葉がヒッチコックの言葉のニュアンスを補っているので
はないか、と僕は昔から思っている。

ヒッチコックだって、本気で「たかが映画じゃないか」と言ったのではないだ
ろう。その言葉の裏には「されど映画」という想いがあったはずだ。映画はヒ
ッチコックにとって仕事(メシの種)であると同時に、自己を表現する手段だ
った。強烈な自負と自信がなければ「たかが映画じゃないか」とは言えない。

もっとも、当時、大監督だったヒッチコックがそう言ったから伝説として残っ
たエピソードである。名作を何本も作った実績があり、客の入る監督として映
画会社にも認められ、批評家たちも絶賛していた監督だからこそ言えた台詞だ。
実績も何もない監督がいったところで負け惜しみにしか聞こえない。

職人監督という言い方がある。日本では、加藤泰、鈴木清順、工藤榮一、岡本
喜八などがそう呼ばれた(みんな、僕の好きな監督だ)。彼らは決して芸術作
品を作ろうとしたのではないが、どの作品も完成度の高い、彼らにしか作れな
いオリジナリティの輝きを放っている。

ヒッチコックも生涯をかけてスリラーを作り続けた。サスペンスをいかに観客
に感じさせるかに腐心した。職人気質であり、常に観客を想定した仕事をした。
彼は決して自分を芸術家とは思っていなかったはずだ。だからこそ、「たかが
映画じゃないか」という発言ができたのだと思う。

●「たかが…」のニュアンスが通じなかった失敗

しかし、ヒッチコックの言葉を念頭において「たかが雑誌じゃないですか」と
発言し、大失敗したことが僕にはある。まだ僕は三十代で、雑誌編集者のキャ
リアも十年ほどしかなかったし、大した実績もなかった。僕の発言は上司を怒
らせてしまったのである。

まず、上司はヒッチコックのエピソードを知らなかった。週刊誌の記事のタイ
トルなどでもよく使われていた「たかが…、されど…」というニュアンスも通
じなかった。ナベツネ発言と同じように受け取られたのである。「おまえは雑
誌作りをバカにするのか」と怒鳴られたものである。

そう言われてしまうと、「いえ、そうじゃなくて…、されど雑誌編集ですから」
などと言っても腰の引けた言い訳にしかならない。僕としては「すいません。
そういうつもりじゃなかったのですが」と謝るしかなかった。

そのとき、軽率な言葉遣いで同じように誤解された思い出が甦った。「おまえ
はどういうつもりで雑誌を作っているのだ」と先輩に問い詰められ、「メシの
種だと思って作っています」と答えたときのことである。「おまえは自分の作
っている雑誌に愛情がないのか」と先輩に怒られ、あきれられ、見放された。

「メシの種」だからこそ仕事は大事なのだと伝えたかったのだが、そのとき、
僕は、日本的精神性においては一所懸命さや熱心さを見せることが大事なのだ
と悟った。「たかが仕事じゃないですか」というクールな姿勢は否定されるの
である。斜に構えたひねくれ者、と見られてしまうのかもしれない。

「僕は仕事を愛しています」と臆面もなく発言し、大した仕事もできないのに
姿勢だけは一所懸命さを見せた方が好感を得られるのは間違いない。根性、熱
血、という言葉に象徴される精神主義は現代日本でも生き残っているようなの
だ。

ところが、最近、「熱い」「熱血」という言葉が少し違ったニュアンスで使わ
れる。

自民党の比例代表で当選してしまった杉村某代議士が地震で崩壊した山古志村
を視察し、当時の村長(そのときは国会議員に当選していた)と並んで記者会
見しているニュースを見たことがある。

杉村某は元山古志村村長を誉め上げた挙げ句、「このオッさん、熱いなあとい
う感じ…」と若者言葉でまたも不適切な発言をしていた。

あるいは、テレビのスポーツ番組のレポーターなどでよく登場する元テニスプ
レーヤーの松岡某も言動が「熱いなあ」などと番組内でメインキャスターに冷
やかされたりしている。その松岡某は、子供にテニスを教える姿勢もスポーツ
大会のレポートをする姿勢も一所懸命で熱心なのである。

そんな「熱いなあ」という言葉には、少しバカにしたニュアンスが感じられる
のだ。「侮蔑」とは言わないが、「軽侮」くらいは紛れ込んでいる。その一所
懸命さに感心しながら、どこかであきれ「少しやりすぎじゃないか」という引
いた気分が漂う。

●熱い心をクールな外見で包んで生きてゆく

梶原一騎の「巨人の星」がジョークで使われる時代である。サッカーの中田選
手やメジャーリーグのイチロー選手のクールさが受ける時代である。「熱血」
「根性」がギャグにされ、「熱い言動」が笑いを誘う時代である。もしかした
ら日本人の精神性も変化しているのだろうか。

僕はへそ曲がりなので、「熱血」や「熱い」ことを軽侮するような世間の風潮
を感じると、俄然、反対に回りたくなる。確かに松岡某の熱心さは、見ていて
鬱陶しく感じることもある(若者には「ウザイ」などとひどい言い方をされて
いた)。だが、冷ややかに見ているだけの奴は許せない、と思ってしまうのだ。

正直に言うと、僕はイチロー選手や中田選手がクールな発言をしているのを聞
いても好感は持たない。一所懸命さや努力を売り物にしないところは好きだし、
結局、結果がすべてなのだと割り切っている感じが伝わってくることには共感
するが、ときには「熱くなれよ」と思ってしまう。

だから、先日、初めての世界野球大会への出場依頼を受けたイチロー選手が珍
しく「王監督に恥はかかせられない」と言ったとき、僕はテレビの前で拍手を
しそうになった。

松井や井口といったメジャーリーグにいる日本選手の出場辞退が続いた後だっ
たから、なおさらだった。しかも、その熱い決意をイチロー選手はクールに言
い放ったのである。

そのイチロー選手のクールな姿勢と熱い言葉から僕は「たかが野球じゃないか。
でも、だからこそ、されど野球なんだ。自分がやっていることに熱くなれなき
ゃ人生は面白くないじゃないか」というメッセージを受け取ったのである。

そう思って振り返ってみると、僕は「熱い心をクールな装いに包む」という生
き方が好きなのだと気付いた。小説にしろ、映画にしろ、そうした登場人物に
好感を抱いてきた。

わかりやすい例を挙げるとレイモンド・チャンドラーの作品と主人公のフィリ
ップ・マーロウである。彼らのセンチメンタルで熱い多情多恨の精神は、シニ
カルでクールな言動に包み込まれている。

「カサブランカ」でハンフリー・ボガートが演じたリックも同じ種族に属して
いる。ギャビン・ライアルが創り出した人物たちを始めとして、冒険小説の主
人公たちも概ね同種族である。

結局、ぼくはへそ曲がりなのだろう。ひねくれ者という気もする。ストレート
に熱い心を出すことに照れがあるのかもしれない。だからといって僕がクール
な人間かというと、人はそうは思っていない。感情をすぐに出す、と見られて
いる。年と共にその傾向は強くなったと自覚はしている。

そんな僕に、ヒッチコックの言葉はどんなに熱くなっても「たかが…」という
精神の余裕が必要なのだと教えてくれる。どんなに自分にとって重要な事柄で
あっても周りが見えなくなるようなのめり込み方をせず、「たかが…」と醒め
た目で客観視できる大切さを教えてくれる。

しかし、「たかが…じゃないか」というフレーズは、キャリアと実績のない人
間が言っても誤解されるだけである。たとえば70くらいになって「たかが人生
じゃないか」と言ってみることには憧れるが、20代の若造が「たかが人生じゃ
ないか」と言うと、それは人生をなめているとしか思われない。

やはり、若いうちは「熱い心」を「熱い言動」で表した方がいいのかもしれな
い。若い頃にはクールを装い(装いきれなかったけど)、年と共に地が出て熱
くなった(瞬間湯沸かし器のようだと言われている)僕としては、経験的にそ
う学んだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
大雪の降った土曜日、窓の外を眺めながら、終日、自室に籠もる。一日中、マ
イルス・デイビスをかけ、前夜、「たけしの誰でもピカソ」に大江健三郎一家
が出てきたのを思い出しながら「燃えあがる緑の木」の第二巻を読んで過ごす。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
<http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html>

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■ショート・ストーリーのKUNI[17]
キッチン

やましたくにこ
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ラップがシュガーポットに恋をした。

そのことはラップのすぐそばにかかっていた鍋つかみから、その下の水切りか
ごにいつも伏せられているマグカップへ、マグカップからまな板へ、まな板か
ら蛇口へ、蛇口から焜炉の定位置を占めているミルクパンへ、ミルクパンから
引きひもを伝って換気扇に、換気扇から電線を伝って、キッチンの文字通り最
重鎮ともいえる冷蔵庫へと瞬く間に伝えられた。

「本気なのよ。毎日毎日彼女のことを思っているのよ」

シュガーポットはテーブルの上、ラップはそれを見下ろせる戸棚の中にいた。
シュガーポットはひなげしの模様を施したまっ白の磁器製で、ラップは初めて
見たときから恋に落ちたのだが、ふたりの間には2メートルの距離があった。
触れることさえかなわない。

「どうにかしてあげたいわ。でも、どうしたらいいか」

おせっかいな鍋つかみはラップが自分の息子ででもあるように気をもみ、マグ
カップにつぶやき続け、それはまたまな板から蛇口やミルクパンや換気扇や電
線を通って冷蔵庫に伝えられた。冷蔵庫は自分の背後から伸びて、テーブルの
脚にとりつけたフックに先端が架かっているLANケーブルをちらりと見やると、
大きな身体に見合った重々しい声で告げた。

「LANケーブルよ。シュガーポットにラップの思いを伝えてやりたまえ」

LANケーブルは不快そうに眉をひそめた。

なぜLANケーブルがそんなところにあるかというと、この家の主は別室に置か
れたコンピューターとは別に、時々キッチンテーブルの上にノートパソコンを
広げて使うからだ。テーブルはキッチンの真ん中にぽつんと島のように置かれ
ていたが、ただこのLANケーブルによって冷蔵庫と、そして他のものたちとも
つながっているといえた。

ケーブルは冷蔵庫の指示に従いたくなかった。なぜなら、彼もシュガーポット
を愛しく思っていたからだ。この家の主がノートパソコンを広げ、シュガーポ
ットのすぐそばで自分をつないでくれるときが彼の最も幸福な時間なのだ。ラ
ップの思いだと? だれがそんな。

ケーブルは冷蔵庫にはあえて逆らわず、従ったふりをして、実際は無視した。

何日かたつと、また鍋つかみがやきもきし始めた。

「ああ、かわいそうだ。20メートル巻きだったラップがあともう7メートルし
か残ってないんだ。だのに、シュガーポットは知らん顔だなんて」

冷蔵庫にこの声が伝わると、冷蔵庫は不信感も露わにケーブルに聞いた。

「本当にシュガーポットに伝えたのかね」

「つ、伝えましたとも!」

ケーブルは真顔で憤りを表したが、内心びくびくしていた。冷蔵庫を怒らすと
どんなことになるかわからない。最近は老朽化のせいで判断力が衰えていると
はいえ、いまも最高権力者であることは間違いない。キッチン内のだれだって、
冷蔵庫の下敷きになればひとたまりもないではないか。

だが、その日も主がノートパソコンをテーブルに置いた。そして自分をつない
でくれて間近にシュガーポットの可愛い姿を見ていると、冷蔵庫の指示などど
こかへ飛んでいってしまった。ケーブルはシュガーポットに夢中だった。彼女
のほうでもラップより自分を好いてくれているはずだ、一度も間近で視線を交
わしたことさえないラップなんかより、おれのほうを。ケーブルはそう思って
いた。

「たいへんだわ! もうラップは1メートルしか残ってないわ! もう‥
‥あとがないのよ!」

鍋つかみが悲壮な声を出したとき、さすがに冷蔵庫はほうっておけないと感じ
た。ケーブルをにらみつけ、いかなる反論も許さない声音で「なんとかしろ」
と命じた。

ケーブルはまったく理不尽だと思った。到底納得できなかった。こんなことが
あっていいのか。シュガーポットをラップと? なんとかしろ? 冗談じゃな
い。彼女はおれのものだ。ばかげてる。こんな指示など無視してやる。従うく
らいなら、いますぐこの世から消えてしまったほうがましだ。それらすべての
感情をのみこみ、唇の震えを抑えながらケーブルは言った。

「わかりました。必ずラップの思いが遂げられるようにいたしましょう。みん
なが私の言う通りにしてくれれば」

その夜、家の主が帰ってきた。この中年の独り身の男はいつものように寂しい
夕飯を済ますとテーブルにノートパソコンを置いてケーブルを接続し、しばら
くいくつかのウェブサイトをのぞいたりメールの返信を書いたりした。それが
済むと椅子から立ち上がり、コーヒーを飲むためにミルクパンを使って湯を沸
かし始めた。やがて小さな音を立てて湯が沸き、火を止めた後、持ち手の一部
の金属がむき出しになっているミルクパンを持つため、男は用心深く鍋つかみ
に手を伸ばした。

その瞬間を逃さず、鍋つかみはぽん! とはねた。驚いた男は鍋つかみが床に
落ちる前に拾おうと、不自然な姿勢でしゃがみ、転びそうになってあわててシ
ンク下の戸棚の持ち手を片手でつかんだ。戸棚が開き、中からドレッシングの
びんが転がり出た。男は右手で鍋つかみ、左手でドレッシングのびんをつかん
だが、びんの表面に漏れ出ていたサラダ油が指についたことに気がつかなかっ
た。

コーヒーをいつものマグカップで飲み終えたころ、冷蔵庫が「ウーッ、ウーッ」
といつになく大きな雑音を響かせた。まるで冷蔵庫の奥に何か未知のおそろし
い生物が潜んででもいるかのような。男は気になってウェブ閲覧どころでなく
なり、ブラウザを終了した。コンピューターの電源も落とし、ケーブルを左手
で抜こうとしてずるっ、と滑った。サラダ油のせいだ。くそっ。男は舌打ちを
し、いっそう力をこめて抜こうと試み、スリッパをはいた足の位置を変えた。

すると、ずっと前から床の片隅に転がっていた一粒のコーヒー豆がころころと
移動して----他のメンバー同様、なぜ、何のためかは知らされず、ただラップ
のためにそうせよ、とだけ指示されていた----スリッパの下に潜り込んだ。男
は足元をすくわれ、ケーブルを左手に持ったまま、大きくバランスを崩した。

------ああっ。

椅子が後ろに倒れ、自分まで倒れまいと必死でもがいた男の腕が、シュガーポ
ットをテーブルから突き落とした。

ガシャン。

床に散乱した白い磁器の破片と砂糖を目にして、男はしばらく呆然とたたずん
でいた。それから、思いついた。

------ラップだ。

男は戸棚からラップを取り、かつてシュガーポットだった美しい磁器の破片と
雪のような砂糖とをていねいに拾い集めてラップで包んだ。ラップは残り少な
かったので、これによって使い果たされた。そして、部屋の隅のダストボック
スに、紙の芯とケースごと放り込まれた。

だれもひとことも発しなかった。重苦しい沈黙がいつまでも、その夜のキッチ
ンを支配した。

【やましたくにこ】kue@pop02.odn.ne.jp
みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
<http://www1.odn.ne.jp/%7Ecay94120/>

<応募受付中のプレゼント>
世界のファッションフォトグラファー Vol.1 本誌1901号(1/31締切)
プロがこっそり教えるウェブ制作術(改訂第2版) 本誌1901号(2/3締切)
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「デジタルフォトテクニック #007」#762号 1月31日(火)14時締切


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■編集後記(1/27)
・昨日は2週間ぶりに外出、本郷の文京学院大学に行った。この学校で教えて
いるCGアーティスト喜多見康さんに呼ばれて、「CGアニメショー」に参加した
のだ。学生の作った作品と、第20回デジタルコンテンツグランプリとデジタル
クリエイターズコンペティション2005の受賞作品の一部を上映するイベントだ
が、大学の学食で学生と一緒に楽しむというお気楽なものだという。ところが、
行ってみたら学生作品の審査員5人のうちのひとりだという。まあ、よろしい。
ちゃんと見ましょう。しかし画面は小さく、遠く、度の軽いメガネではちょっ
と苦しいのであった。審査するのは、一次選考をパスした10数作品だった。う
ーむ、これは、、、評価は挙手なのだが、なかなか手をあげることができない。
画像が稚拙なのは仕方がないが、とにかく何をいいたいのかわからない作品が
ゾロゾロ。オチがわからない(ないのかも?)。しかし、他の審査員は次々と
手をあげる。わからないのはわたしだけか? かろうじてストーリーが読めた
作品は、ストーリー自体がつまらないときた。絵はまあまあよかったけど意味
不明の長編などは拷問に思えた。一作毎に作者グループが登場してプレゼンテ
ーションするのだが、上手にできる娘(みんな女子学生なのだ)は少数で、わ
たしは作品ではなく彼女らのキャラクターで評価してしまった。それでも6本
をむりやり選んだ。わたしが最高に評価したのは、じつは締切に間に合わなく
て65%しか仕上がっていない参考出品扱い作品というのも皮肉だ。審査後のコ
メントは、いつも辛辣なことしか言わない性格の悪いわたしだが、女子学生相
手だからちょっと控えめにしておいた。そのあとの、コンペ受賞作品数本の上
映は、この環境ではディティールがよく見えなかったのが残念だった。学生作
品は比較的良く見えたわけは、ディティールがなかったから?   (柴田)
第20回デジタルコンテンツグランプリ <http://www.dcaj.org/>
デジタルクリエイターズコンペティション2005
<http://www.dcaj.org/dcc/top.html>
第2回CON-CANムービー・フェスティバル(賞金1万米ドル! 締切2月28日)
<http://www.con-can.com/>

・昨日の続き。「貴方は長女ではありませんか? 家を背負う人です。」
「(今の時代、末っ子と言うよりは確率高いし、違ったら長女的気質と言えば
いいんだし)長女です。」「指の付け根に仏眼が出ているはずです。あ、出て
ますね。それが出ている時は転機なんです。良かったらどんな転機かお教えし
ますが。」「先を急ぎますので。」「そうですか、今の転機を大事になさって
下さい。」と笑顔で送り出される。幸せな言葉をいくつももらえて、ちょっぴ
り温かな気分。不安にさせて物を売るならいざ知らず、大丈夫と言いながら物
は売りつけられないだろうし、宗教勧誘されても入らない自信があるので答え
ていたのだが、転機ってどんな? と頭の中から離れない。言霊ですな。小1
時間ほど、通りすがりの人に頭の中を支配されてしまった。 (hammer.mule)

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
リニューアル  8月サンタ
アシスト    鴨田麻衣子

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