[1909] 夫婦についてのささやかな考察

投稿:  著者:  読了時間:25分(本文:約12,000文字)


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1909    2006/02/03.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 18120部
情報提供・投稿・広告の御相談はこちらまで mailto:info@dgcr.com
登録・解除・変更・FAQはこちら http://www.dgcr.com/regist/index.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

<They are married people>

■映画と夜と音楽と…[279] 
 夫婦についてのささやかな考察
 十河 進
 
■Otaku ワールドへようこそ![21] 
 「萌え」を語ろう
 GrowHair


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■映画と夜と音楽と…[279] 
夫婦についてのささやかな考察

十河 進
───────────────────────────────────

●今や死語になったか「夫婦愛」

子供の頃から、その歌を聴くだけで訳もわからず涙目になった。歌詞を思い浮かべれば、耳の奥で男声合唱の力強い歌声が響く。ラジオから流れてくるその歌を初めて聴いたのは、六つか七つの頃だった。その歌が流れてくると、いつも父は小声で口ずさんでいた。

 おいら岬の灯台守は 妻とふたりで
 沖ゆく船の無事を祈って 灯をともす

その歌がヒットしたのは昭和三十二年、1957年のことである。その年の一月から「赤胴鈴之助」のラジオ放送が始まり、一般公募で選ばれた吉永小百合、藤田弓子が出演し、後に国会議員になる山東昭子がナレーターを担当した。僕らの娯楽の中心は、まだラジオだったのだ。

二月には「君の名は」で人気が出た二枚目俳優の佐田啓二が松竹大船撮影所前にある「月ヶ瀬」という食堂の姪・益子と結婚する。益子は小津安二郎監督に可愛がられていたためか、結婚式の立会人は小津監督と木下恵介監督だった。後に益子は貴恵と貴一という子供を産む。

松竹を代表する二枚目である佐田啓二と高峰秀子を主演にし、木下恵介監督が灯台守夫妻の哀感を描いた「喜びも悲しみも幾年月」が公開されたのは、その年の十月一日のことだった。「喜びも悲しみも幾年月」は、1957年の興行成績二位というヒット作になり、主題歌もヒットした。

僕が「喜びも悲しみも幾年月」を見たのは、初公開から数年後のことだと思う。小学校の時に月に一度の映画教室というのがあり、早朝から校庭で隊列を組んで繁華街の映画館まで歩き文部省特選の映画を見た。その一本が「喜びも悲しみも幾年月」だったのだ。僕は小学校の五年か六年生だった。

巻頭の場面、長男が死んでしまう場面など、その後もずっと記憶していたから、その時ただ一度見た「喜びも悲しみも幾年月」が僕に強い印象を残したのは間違いない。映画が始まってすぐ「おいら岬の灯台守は…」という主題歌がかかってくるだけで僕は泣きそうになった。

木下恵介監督作品では、おそらく「二十四の瞳」が最も有名だろう。高峰秀子の代表作でもある。いわゆる感動作や泣かせ映画が苦手な僕としては、ずっと「二十四の瞳」を敬遠していたのだが、最近、初めて見て「さすがに泣かせを強調するあざとい作り方はしないな」と感心した。

しかし、僕にとっての木下映画ナンバーワンは「喜びも悲しみも幾年月」で変わることはない。多分に主題歌の要素があるにしろ、小学生の僕にさえわかるように人生のコアを描いていたのだ。その当時の僕が「夫婦愛」などという小難しいことを考えたはずはないが、その映画は確かに夫婦が共に生きていくことの意味を感じさせたのだった。

しかし、今や「喜びも悲しみも幾年月」に描かれたような夫婦愛は消滅したのかもしれない。「夫婦愛」という言葉さえ死語だろう。「喜びも悲しみも幾年月」の夫婦像は僕の父母よりまだ古い世代のものだ。昭和初期に見合い結婚し、戦中戦後を生き、映画の現在時である昭和三十二年に長女を嫁にやる。半世紀以上も前の夫婦の姿なのである。

●わかりやすかった昔の夫婦愛

昨年は、木下恵介監督作品がDVDボックスで発売になったり、作家の長部日出雄が「天才監督・木下恵介」という本を出したり、NHK-BSが木下恵介特集を組んで主な作品を放映したりで、僕も改めて「喜びも悲しみも幾年月」を含めて何本か見たが、木下作品の特徴は人の善を描くことなのだと実感した。悪役や憎まれ役、仇役がひとりも出ない映画を木下監督は作っている。

もちろん時には厭な人物も登場するが、それはことさら悪役を担わされているということではなく、誰もが日常生活で出会う厭な人程度の存在なのである。「喜びも悲しみも幾年月」にも善なる人々(普通の人々)しか出てこない。

昭和七年、有沢は見合いをしてすぐに結婚した妻を伴って勤務先である観音崎灯台に戻ってくる。同僚たちの祝福を受け「早くこいつを台長夫人にしたいと思います」と宣言する。次に赴任した北海道の灯台では長男と長女が生まれる。

子どもたちが少し大きくなった頃に九州の果ての小島に赴任になり、子育ての環境を巡って夫婦喧嘩をし、妻子と別れて暮らすことになる。次の赴任地では、空襲にあって同僚を失う。やがて戦争が終わり、瀬戸内海の男木島に赴任しているとき、高松の学校に通っていた長男を亡くす。

成人した長女は商社勤めの恋人と結婚し、カイロへ向けて船出する。その船を今は灯台長となった有沢は妻とふたりで霧笛を鳴らして見送る。二十五年間を共に過ごしてきた夫婦の悲しみと喜びを噛みしめながら…。

昨年の暮れ、僕は、この映画を四十数年ぶりに見た。その間に僕は有沢夫妻より長い夫婦生活を送ってきた。早くに結婚したものだから、昨年、僕は三十年めの結婚記念日を迎えた。「共に過ごした幾年月の喜びや悲しみ」が目に浮かぶ歳になっていた。

「喜びも悲しみも幾年月」を再見した僕は、もちろんそこに描かれた夫婦愛の物語に感慨深いものを感じた。しかし、時代の違いと映画ならではの美化を感じたのも事実だった。「現実はそんなにきれい事ではないよ」と映画に向かって言うのは野暮だが、自らの三十年の夫婦生活を振り返ると、そんな想いも湧き上がってくる。

だからといって、僕が結婚したことを悔いているわけではない。人は人生を一度きりしか生きられない。「あの時、ああなっていたら…」と思うことは無意味だ。(だからといって、そう思わないでいられるわけではないけれど…)

23歳で結婚し、30歳で長男が生まれ、三年後に娘が生まれ、その後の二十数年をいろいろあっても家庭を維持して何とかやってきた…、それが今の僕なのだ。

●黙ったまま過ごせる相手はひとりしかいない

結婚については、古今東西、様々な箴言が残っている。シニカルなものが多く「結婚は人生の墓場」などはその代表的なものだろう。最近、僕も「好きな人としてはいけないことは、仕事と結婚とセックス」と同僚に話したことがある。

「なぜなら…」と僕は続けた。「それをすると相手の厭なところや嫌いなところが見えてくるから。相手を好きでいつづけたいなら、遠くからじっと見守るしかない」と、僕は経験的な意味を込めて言った。

「本心か」と問われれば、「半分はね」と答えるだろう。後の半分はいわく言い難いニュアンスの世界である。共に生きてきた相手がいることの幸せも感じるし、ひとりだったら…と夢想することもある。家族がいなければ、いろいろな煩わしいことはなかったかもしれない。だが、それがよかったのかどうかは、今となってはわからない。

そんなことを考えると、いつも思い出す映画がある。オードリー・ヘップバーンとアルバート・フィニーが夫婦を演じた「いつも二人で」という映画である。結婚して十年目、仕事で成功したイギリスの建築家夫妻が仕事でヨーロッパ旅行に出る。夫婦仲は冷え切っているが、離婚に踏み切るまでには到らない。

初めて出会った貧乏旅行、結婚して仲がよかった頃の初めての旅行、夫の仕事でのひとり旅、友人の家族との旅行、夫の浮気を知って腹いせのようにフランス男と寝たときの妻の旅行など、夫婦の十年間の歴史がそれぞれの時代の旅を通じて描かれる。

その描き方がユニークだった。時間が自由にジャンプするのだ。たとえば、冷え切った時代のふたりが口論をしながら高級車で走り去った道路脇にヒッチハイクをする若い時代のふたりがいたりする。

だから、建築家の卵であるアルバート・フィニーの「結婚しよう」という言葉を受けて「あなたといるだけで幸せよ」と応える女子大生のヘップバーンのカットに続いて「あなたのそんなところがガマンできないのよ」と言う十年後のヘップバーンが現れたりするのである。それが結婚の現実だ、とでも言いたそうだ。

まだ愛し合っていた頃のエピソードが印象深い。ふたりは泊まったホテルのレストランで会話もなく食事をする中年の男女を目撃する。ヘップバーンが「あの人たちはどういう仲かしら」というようなことを訊き、フィニーが「彼らは夫婦だよ(They are married people)」と答えるのだ。

しかし、「喜びも悲しみも幾年月」の夫婦は何かというと灯台の手すりにもたれて遠くの海を眺めながら会話をする。思いの丈を打ち明ける。「おまえと一緒に過ごしてくることができて幸せだったよ」みたいなことを言う。夫婦愛を確認し、共に過ごした幾年月の出来事を思い浮かべる。

私は違うという人がいたらごめんなさいだが、そんな会話をする夫婦なんていないと思う。「喜びも悲しみも幾年月」は映画だから仕方ないけれど、僕なんか恥ずかしくてとてもそんなことは言えない。うちのカミサンもひどい照れ屋なので、そんなことを言ったことは一度もない。

おそらく世の中の夫婦の多くは、そうやって意志の疎通を希薄にしているのだろうとは思う。だから、誤解することもあるし、疑心暗鬼になることもある。でも、そういうことを含めて結婚生活なんじゃないか、と思うところが今の僕にはある。

いろいろと趣味が合わない僕とカミサンなのに珍しくふたりとも「いつも二人で」が好きで、「彼らは夫婦だよ(They are married people)」という場面ではふたりして苦笑いする。会話がないからといって夫婦の仲が冷えているとは必ずしも言えないと、三十年の結婚生活を経て悟ったのかもしれない。

何も会話しないでずっと一緒にいられる相手なんて、この世にカミサンくらいしかいないじゃないか。カミサンがどう思っているかはわからないけれど…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
先日、初めて宮崎県へ。九州は中学の修学旅行以来のこと。あの時は別府、熊本城、阿蘇山をよく覚えている。阿蘇山で買ってもらったばかりの学生帽が風で飛ばされ噴火口へ落ちていった。だから記念写真では僕だけ無帽。今見ても悲しい。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html >

・メールマガジン「カルチャー・レヴュー」58号(2006/02/01発行)にて、「映画がなければ生きていけない」の書評が掲載されました。
・Web版評論マガジン「カルチャー・レヴュー」最新号
< http://homepage3.nifty.com/luna-sy/review.html >
・Blog版評論マガジン「カルチャー・レヴュー」最新号
< http://kujronekob.exblog.jp/ >

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■Otaku ワールドへようこそ![21] 
「萌え」を語ろう

GrowHair
http://bn.dgcr.com/archives/20060203140100.html
───────────────────────────────────
名言もあれば暴言もあるけれど。

 「萌えの世界では、万人が平等に恋愛できる」(本田透「電波男」)
 「萌える男は正しい」(本田透「萌える男」)
 「萌えとはある個人が偶像的理想人格を希求する快楽であり、純粋な感動を伴うもの」(竹林賢三「萌法序説」)
 「萌えとは、特定のキャラクターに関する不十分な情報を個人的に補う行為」(堀田純司「萌え萌えジャパン」)
 「萌え株30銘柄を『もえっくす30』に指定」(浜銀総研)
 「海外でも萌え(moe)は、わび・さびに次ぐ日本独自の美的感覚として認知が高まっている」(ウィキペディア、「萌え」の項)
 「萌えは別腹」(岡田斗司夫、シンポジウム「萌えてはいけない」にて)
 「萌え=ポルノグラフィ」(大塚英志「ジャパニメーションはなぜ敗れるか」)
 「フィギュア萌え族」(大谷昭宏、奈良小1女児殺害事件の犯人像を推測して)
  
このごろ「萌え」をめぐる言説が騒がしい。

もっとも「萌え~」が流行語大賞のトップテン入りを果たした'05年末には、流行のピークは過ぎていたということはある。しかしそれは絶賛の感嘆詞として発せられる「萌え~」が下火になりつつあるということであり、感情や社会現象を表す普通名詞としては健在、むしろ定着した観がある。

今回は、出来事の報告よりも、論じる方に主眼を置いて書いてみようかと。テーマは「萌え」。とは言え、きっかけの出来事はあって……。

●「萌え」論考に火をつけられた

それは昨年末のコミケである。イベントの趣旨からすると主客が逆転しているけれど、私はコスプレ広場でカメコったついでに、同人誌も見て回る。コミケ名物「男津波」の去った後に売れ残った中にも、掘り出し物はある。

今回は、「萌え」について客観的な視点から緻密な論理性をもって論考した秀逸な書に出会うことができた。竹林賢三氏の「萌法(ほうほう)序説」である。竹林氏は私大に通う学生で、「萌え」を卒業研究のテーマにしている。その傍ら、同人サークル「萌学協会」を主宰している。

'05年3月に発行され、ウェブ上でも全文が読める。
< http://www.geocities.jp/mhpcsouda/moe-thod-index-s.htm >
内容に感激したのと、聞きたいことがあったのとで、メールを送ったところ、丁寧な返事をいただき、以来、何回かやりとりしている。

●まずは定義から

「萌え」はネット上の辞書サイトgooで「新語」として見出し語になっており、中立的で、すっきりとまとまった説明がなされている。「マンガ・アニメ・ゲームの少女キャラなどに、疑似恋愛的な好意を抱く様子。特に『おたく好み』の要素(猫耳・巫女などの外見、ドジ・強気などの性格、幼馴染み・妹などの状況)への好意や、それを有するキャラクターへの好意をさす。対象への到達がかなわぬニュアンスもある。語源は諸説ある」。

堀田氏の「萌え萌えジャパン」ではもう一歩突っ込んで、「特定のキャラクターに関する不十分な情報を個人的に補う行為」としている。「補う行為」がどういうものか私にはピンと来なかったのだが、竹林氏の解説で合点がいった。「そのキャラクターを使ってどんどん想像を膨らませる楽しみ」。

竹林氏自身は「萌法序説」の中で次のように定義している。「萌えとはある個人が偶像的理想人格を希求する快楽であり、純粋な感動を伴うもの」。

これについては、メールで補足説明していただいた。それによれば「萌える」という行為は4つのプロセスからなるという。

(1)まず、個人の中に「自分が魅力的だと思うコンテキスト」が集積される。典型的には「美少女の理想像」。これはプラトンのイデアと似ているが、個人ごとに後天的に形成される点が異なる。
(2)あるキャラクターを見たとき、その外見的特長や設定、あるいは声などから「自分が魅力的だと思うコンテキスト」の片鱗を発見する。
(3)そのキャラクターは、ただのキャラクターから「『自分が魅力的だと思うコンテキスト』を実現する存在」となり、期待が発生する。
(4)結果、このキャラクターが、次にどんな表情を見せるのか待望する、あるいはこのキャラクターだったらどんなシーンが似合うのかを夢想するといった状態になる。

このように、あるキャラクターに、自分の好みのコンテキストを仮託し、そのコンテキストが実現する期待から、そのキャラクターを好きになっていくことが「萌える」ではないか。

なるほど。自己の内部に形成された「美少女のイデア」と、外部から感覚器官を通じて入ってきた信号とのパターンマッチングによって誘発される「えもいわれぬ純粋な感動」が「萌え」であるが、マッチングの点数に応じてその度合いが決定されるような単純な機構ではなく、理想像の「片鱗」を契機に想像を膨らませる喜びに本質がある、というわけである。

●「萌え」の機能

人は(というか、オタクは)なぜ萌えるか、というテーマに関して、本田氏は「萌えには人の心に働きかける機能がある」と説いている。それは、ルサンチマンを昇華させ、自我を安定させる効果である。人は、善良な意図を疑われたり、まじめな姿勢を嘲笑されたり、寄せる思いを拒絶されたりしたとき、内部に負の感情が鬱積する。これを「喪闘気」と呼んでいる。

このとき、鬼畜ルートへ駆り立てられて自爆するか、萌えルートへ導かれて救われるかの分岐点に立っている。どっちに進むかは、妄想する力があるかないかにかかっている。脳内の妄想で一発逆転を遂げることさえできれば、現実には何の事件も起こさずとも、心の安定を取り戻すことができる。

本田氏自身、漫画に描いたようなキモメン(イケメンの反対)で、複雑な境遇を経てきたこともあり、「俺の魂を救えるのは萌えだけだ」と断言している。「オタクは仮想世界に埋没するあまり現実との区別がつかなくなって犯罪に走る」といった、よくある俗説をばっさりと斬り捨てて気持ちがいい。

●「エロ」との区別

「萌えはエロとは違うのか」。これも核心を衝いた問いである。

大塚英志氏は、「ジャパニメーションはなぜ敗れるか」の中で「萌え=ポルノグラフィ」と言っている。しかしながら、これは「萌え」を定義づけようとしてのことではなく、日本発の萌え系コンテンツが海外でどう捉えられているかという実態をありていに言ってしまえばこうなる、という文脈で語られたものである。国策にするのもいいけど、国際社会における日本の位置付けが「ポルノグラフィの供給源」でいいのかな、という論である。

「萌え」と「エロ」とを区別するいい例として、池袋にあるメイドバー「モエドール」の美談が思い起こされる。かつて、サービスの一環として、床に鏡が張ってあり、あらぬ角度からメイドさんの姿を映し出していた。これがすこぶる悪評で、ネット上の掲示板では「そんなところに萌えはない」と辛辣に叩かれた。それを聞き入れる形で鏡は撤去され、まっとうな店舗として生まれ変わり、今は繁盛している。いい話でしょ?

「萌法序説」でも近い立場をとっている。個人の内部に形成される「美少女のイデア」には多かれ少なかれエロの要素も含まれるだろう。その意味で関連性は否定できない。しかし、不可分なものではない、としている。

「長い髪を風になびかせる美少女の光景に萌えるとき、スカートがめくれて下着が見えることが必要かと言えば、そうは思えない。たとえめくれたとしても、萌えのポイントは下着が見えるか見えないかよりも、あわててスカートを押さえた後にどのような表情を見せるかにある」(竹林氏)

●キャラ vs 生身

「萌え」をめぐるもうひとつの大きな問いに、「架空世界の住人たるキャラに萌えること」と「現実世界の住人たる人間に恋をすること」の関係がどうなっているのか、あるいは、どうあるべきか、がある。

最も分かりやすくは「萌え界とは恋愛敗残者の難民キャンプ」と見ることができる。いまどきの恋愛市場で勝ち残るのは容易なことではなく、特に、顔がまずかったり懐が寒かったりすると、大苦戦を強いられる。

「いちおう人間扱いしてあげるけど、気があって特別に優しくしてあげてるわけじゃないから、そこんとこ勘違いしないでよね」と言わんばかりの仕打ちを受けたりする。泣いて帰ってきて、萌えの世界に逃避する以外に癒される道はないのである。つまり、本当は恋愛第一なのだが、不幸にも手中にできなかった人のための代替満足として「萌え」がある、というわけである。

酒井順子氏は「負け犬の遠吠え」で、30過ぎの独身女性を、自分も含めて「負け犬」と称しているが、その負け犬でさえ、そこそこの恋愛経験はある。その下の層には、恋愛のステージに上がることすらあたわぬ負け犬の中の負け犬がいる。負け犬からも笑いものにされ、つきあう相手の候補にも挙げてもらえないみじめな「インヴィジブル」(不可視な存在)たち、彼らを暖かく迎える「萌えの世界では、万人が平等に恋愛できる」(本田氏)。

しかし、同じ現象も反対側から見ると違って見える、ということはある。あの負け犬本の中では本音がひとつも語られていなくて、実は、一冊丸ごと使った壮大な皮肉なのではないかと私は睨んでいる。ホントは自分のこと、負け犬とは思ってないだろ。もし勝ち犬への扉を開けてもらっても喜んで飛びついたりはしないだろ。実は萌え界の住人もそんなフシがあって。

「心の通い合う喜び」としての恋愛がすばらしいというのは否定しないが、そこへ到達できるのは恋愛勝者の中でもごくごく少数の上澄みだけであって、現代の都会的な恋愛はもっと異質なものにゆがめられているという実情がある。虚栄心を満足させるために利用する飾りとしてパートナーを位置づけ、財布(特に他人の)からお金がばさばさと飛び立っていく「消費の快感」をもって「恋愛の喜び」にすり替えている偽者が横行する。

物・サービス・エンターテインメントなどの売り手側がプロモーションのダシに恋愛を使い、人々を消費へと駆り立てる仕組みを本田氏は「恋愛資本主義」と名付けている。それもまた「代替満足」にすぎない。本来、精神性の領域であるべき恋愛が、消費という即物性の満足に置き換えられて大衆化している。この安っぽさが見えてしまうと、アホらしくてやってられなくなる。砂を噛むような即物世界にはとっとと見切りをつけ、豊穣な精神世界へと引越しだ! かくて「萌える男は正しい」(本田氏)となる。

ところで、「電車男」のように、運良く萌え界から救済されて純愛を獲得できた場合、「萌え」はお払い箱なのか。これについて、「オタキング」の異名をもつ岡田斗司夫氏は「萌えは別腹」と言っている。純愛のフルコースを平らげた後でも「萌え」はデザートのようにおいしいらしい。

●少子化と萌え

日本の社会が抱える問題として晩婚化・少子化がよく言われる。これを考える上では、そういうトレンドの背後にある意識のありようをよくよく調べてみる必要性を感じる。声高な要求を鵜呑みにして、子育て奨励金をばら撒いたり託児所などの環境を整備したりすることには疑問を禁じえない。

喜ぶのはすでに子育て中か計画中の人たちであって、総体的には、バケツ一杯のリソースを注ぎ込んで耳掻き一杯の効果を得るにとどまるような気がするのである。

子育ての手前に結婚があり、その手前に恋愛があり、その辺で脱落した難民の急増が無関係ではないような気がする。世の中の意識を一新し、顔はまずくとも、懐は寒くとも、心が豊かなら恋愛に参加できる、そんな明るい社会が到来しない限り、恋愛難民は萌え界から出て来ませんぞ。かと言って、短絡的に「萌え禁止法」みたいなのが制定されても困るけど。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。1月21日(土)の晴海のコスプレイベントはシュールな眺めだった。コスプレはキャラへの愛を表現する手段、とはよく言われるけれど、降りしきる雪にもめげずとは、もはや難行苦行のレベルだ。傘なんか差したら絵にならんので、みんな頭や肩に雪を積もらせつつ撮影している。ああ、美しき求道者たち!
< http://www.geocities.jp/layerphotos/ >


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(2/3)
・う~、欲しい(また、これだよ)。今度は「国産名車コレクション」である。アシェット・コレクションズ・ジャパンの隔週刊のパートワークだ。「日本の名車に関する解説のほか、日本の自動車の歴史にまつわる興味深い記事を満載。各テーマごとに特製バインダーにまとめると、『国産名車』百科事典になります」というおなじみのスタイル。すでに2号まで出ていて、創刊号はお約束のサービス価格690円、2号は1,090円、3号からは1,790円となる。そうとう高い。創刊号から全60冊を揃えたら105,600円。ポイントは、世界中のミニチュアカーファンに愛されているという、ノブレ社の1/43スケールモデルだ。創刊号はスバル360、2号は日産スカイラインGT-R、続いてトヨタ2000GT、ホンダS800、マツダ コスモスポーツ、いすゞ117クーペ、三菱ギャランクーペFTO GSR、日産フェアレディZと続く。納得の名車たちである。創刊号にスバル360を持ってきたのはこころにくい。全60+予約特典オマケ2=62のラインナップはどうなっているんだろう。わたしの大好きだったマツダR360クーペはあるだろうか?プリンス・スカイラインスポーツは?(ミケロッティデザインの、きつい吊眼がステキだった。生産台数60台といわれる超高級車。ネットで検索すれば写真があるから見て欲しい)出てこないだろうなあ。仕上げのいいミニチュアカーは、欲しいな~とは思うがやはり高い。それに、パートワークの読み物はあまり興味がない。ふと思いついたのは、ニッポンの誇るトミカ。サイトを見たら、手頃な値段でものすごいバリエーションがある。あれま、大好きな光岡ビュートまであるではないか。これなら自分の好きなクルマだけ選べるから、こっちのほうがいい。まずは実物を見に出かけよう。(柴田)

・昨日の続き。飽きないし楽なので、ぼちぼち続けている俺流CSフィットネス。GAORAの「フィットネスNOW」は、毎日違うメニューだし、サルサやヒップホップの回まであったりして、ステップを覚えようと動いているうちに体が暖まる。今月は好きな先生が出演しないみたいで残念だ。ESPNの「Fitness USA」は、「フィットネスNOW」で物足りない時に続けてやってみるといい。向こうの番組を持ってきているだけで、徐々に負荷を上げたり、流れを考えてというものではないからだ。でも日本の番組にないステップがあったり、見たことのないフィットネス器具が登場したりと面白い。先生のナイスバディ度は一番。リズムも一番速い。生徒は男も女も痩せも太りも出てきて楽しそう。同じくESPNの「Fitness-i」は、先生がしっかりしていて、総合力は一番上だと思う。勉強になる。いくつかのフィットネス番組を見てわかったこと。マットでのストレッチやヨガよりは、リズムに乗って動いていたい。単に運動不足なのね。(hammer.mule)
http://www.active-sports.tv/fitness.html  フィットネス番組

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
発行   デジタルクリエイターズ < http://www.dgcr.com/ >

編集長     柴田忠男 < shibata@dgcr.com >
デスク     濱村和恵 < zacke@days-i.com >
アソシエーツ  神田敏晶 < kanda@knn.com >
リニューアル  8月サンタ < santa8@mac.com >
アシスト    鴨田麻衣子< mairry@mac.com >

情報提供・投稿・プレスリリース・記事・コラムはこちらまで
                        < info@dgcr.com >
登録・解除・変更・FAQはこちら < http://www.dgcr.com/regist/index.html >
広告の御相談はこちらまで   < info@dgcr.com >

★等幅フォントでご覧ください。
★【日刊デジタルクリエイターズ】は無料です。
お友達にも是非お奨め下さい (^_^)/
★日刊デジクリは、まぐまぐ< http://mag2.com/ >、
E-Magazine< http://emaga.com/ >、カプライト< http://kapu.biglobe.ne.jp/ >、
Ransta< http://ransta.jp/ >、melma!< http://www.melma.com/ >、
めろんぱん< http://www.melonpan.net/ >、MAGBee< http://magbee.ad-j.com/ >、
のシステムを利用して配信しています。配信システムの都合上、お届け時刻が
遅くなることがあります。ご了承下さい。

★姉妹誌「写真を楽しむ生活」もよろしく! < http://dgcr.com/photo/ >

Copyright(C), 1998-2006 デジタルクリエイターズ
許可なく転載することを禁じます。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■