[1914] 己に恥じることなく生きる

投稿:  著者:  読了時間:22分(本文:約10,500文字)


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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1914    2006/02/10.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 18130部
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         <常に「卑怯でない人間」でありたい>        

■映画と夜と音楽と…[280]
 己に恥じることなく生きる
 十河 進

■インターフェイスの旅[6]
 本格的な民族大移動は今年?
 InDesignナイトセミナーを終えて(1)
 鷹野雅弘 
 
■セミナー・展覧会案内
 F-siteセミナー「RIAの舞台裏-ちゃちがリッチへ変わるワザ」
 第26回グラフィックアート『ひとつぼ展』



■映画と夜と音楽と…[280]
己に恥じることなく生きる

十河 進
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●戊辰戦争とパリ・コミューンを生き延びる

矢作俊彦さんの新作「悲劇週間」を読んでいたら、主人公である堀口大學のフ
ランス語の教師として登場する元フランス人将校の言葉が胸に刻み込まれた。
彼は若き日に軍事顧問として日本に派遣され、戊辰戦争を幕府軍と共に戦った
後、フランスに帰国してパリ・コミューンに遭遇する。

彼はコミューン側として戦い、敗北後はメキシコに亡命し、長いときを過ごし
た後、若き堀口大學と出会うのだ。堀口大學は二十歳。父親がメキシコ公使と
して赴任していたため、メキシコへやってきて内乱に遭遇する。

堀口大學はフランス文学の翻訳者としても後に重要な仕事をすることになる。
ランボウ、ボードレール、ヴェルレーヌ、アポリネールなどの詩集を僕は彼の
翻訳で読んだ。その実在の詩人を主人公にして、一人称で語るという離れ業に
矢作俊彦さんは挑戦する。相変わらずアグレッシブな作家である。

「悲劇週間」には、サパタとかパンチョ・ビラといった昔のハリウッド映画で
なじみの名前が登場する。ハリウッド映画「戦うパンチョ・ビラ」の脚本を書
いたのはサム・ペキンパーである。演じたのはユル・ブリンナー。「革命児サ
パタ」を演じたのはマーロン・ブランドだった。監督はエリア・カザンだ。

さて、動乱のメキシコシティで砲弾が飛び交う中、老いたフランス語教師が長
い自らの人生を振り返って語った言葉は、次のようなものだった。

──いざというとき、人間は卑怯か、卑怯でないかの二種類に峻別される。今
の今まで、私は自分が卑怯でなかったと誇りを持って言うことができる。しか
し、今、どうすれば卑怯でないのか、自分自身に恥じることなくいられるのか、
それが分からないのだ。

彼の年齢は明記されていないが、戊辰戦争にフランス軍将校として派遣された
のなら、小説中の現在時では70歳近くになっていたはずだ。明治から大正に変
わる一年間、堀口大學の二十歳の一年間を「悲劇週間」は描いている。

当時の70歳なら、もう人生の終わりも見えた年齢だろう。それだけ長く生きて
きて「今の今まで、私は自分が卑怯でなかったと誇りを持って言うことができ
る」人間はとても幸せだと僕は思った。それだけ誇り高く生きてきたのだ。

彼の基準は「自分自身に恥じることなくいられるのか」ということである。常
にそれを意識して生きてきたに違いない。彼は戊辰戦争、パリ・コミューンと
いうふたつの革命を経験する。戊辰戦争では滅びる側に身を置き、パリ・コミ
ューンでは革命側についたが敗北する。

それは社会的な基準や価値観が180度変わってしまう経験を、二度もしてしま
ったということである。そんな中で自分に恥じないように生きるには、自分の
基準を作るしかない。自分のモラルを確立しなければならない。

しかし、結局、人間はどんな場合も自分の基準を持っていなければ生きていけ
ない。法律や社会的なルールがどれだけ整っていても、結局「自分はこういう
ことはしないのだ」という自己の規範を持たない限り、人はどこまでも自分に
甘くなる。何かに流されて生きることになる。

●行動規範や美意識を持たずに生きていけるか?

昨年、勢古浩爾さんの「ああ、自己嫌悪」を読んでいるときに、こんな文章を
見付けてマーキングをした。

──自分のなかに、なんらかの美意識の基準や行動規範をもっていない人間に、
自己嫌悪など金輪際やってくるはずがないのである。

確かにそうだと思う。この「美意識の基準や行動規範」を持っているかどうか
が人間として重要なのだ。しかし、「美意識の基準」という記述は言い得て妙
だな、と思う。自分が取った行動が美しいか美しくないか、気が付くと僕はそ
んな判断をしていることが多い。

たとえば些細なことだが、発車間際の閉まりかけた電車のドアに身を挟み、ド
アをこじ開けるようにして乗り込む行為は僕にとっては美しくない。だから、
少し小走りで乗れば間に合うようなタイミングでも僕は次の電車を待つ。その
ためにいつも時間の余裕を持つようにしている。

電車の中で空いてる席を見付けて駆け寄る行為も僕にとっては美しくない。狭
い隙間に身をねじ込むように座るのも美しくない。だから、ガラガラの電車で
ない限り、座席には座らない。最近、歳のせいかけっこうつらいけど、ひとり
のときはやせ我慢を張って立っている。

──卑怯未練なことをしない、浅ましいことをしない。

それは僕の規範である。「悲劇週間」を読んでいて物語の中のフランス人の老
人の言葉が胸に迫ったのは、「いざというとき、人間は卑怯か、卑怯でないか
の二種類に峻別される」としたら常に「卑怯でない人間」でありたいと常々僕
が思っているからだ。

勢古さんも前述の文章の後にこんなことを続けている。

──卑怯な振る舞いはしない、大物ぶらない、人をだまさない、弱い者いじめ
はしない、汚い言葉はつかわない、群れない、衆をたのまない、他人を自分の
利益のために使わない…

しかし、今までの人生で誇りを持って「自分が卑怯でなかった」と言い切れる
かと自問すると、断言できないのが辛い。慚愧、慚愧…とつぶやくしかない。
自己嫌悪に陥るしかない。自分の美意識にこだわり、規範を持っている人間は
自己嫌悪から逃れられない。

なぜなら、小説や映画の主人公ではない生身の、現実の人生を生きている僕ら
はときに自己の規範を外れてしまうからだ。自分の美意識に反することをして
しまうからだ。自己に恥じる浅ましいことを口走るからだ。

だが、その自己嫌悪さえ逃げ道にはなってくれない。

●自己嫌悪は単なる免罪符なのか?

勢古さんも「ああ、自己嫌悪」の中で取り上げていたけれど、岸田秀センセー
の「ものぐさ精神分析」という本の中に「自己嫌悪の効用──太宰治『人間失
格』について」という文章がある。僕は若い頃に、その「ものぐさ精神分析」
を読んでしまった。

「ものぐさ精神分析」は青土社から1977年の一月に発行された。それを読んで
感銘を受けた伊丹十三は「目の前の不透明な膜が弾けとんで、目の眩むような
強い光が射し込むのを感じ」たと書いたが、僕も同じだった。今まで読んだ本
の中で「目から鱗が落ちる」感覚を持った一番の本である。

その本の中でも「自己について」と題された章の各評論は僕のものの見方を形
作ったといっていいだろう。特に「自己嫌悪の効用──太宰治『人間失格』に
ついて」は、二十歳を過ぎて太宰治を集中的に読んだ時期の後に読んだのでひ
どく印象に残ったし、人によってものの見方は180度変わってしまうのだと学
んだ。

要するに岸田センセーは心理学者的に「人間失格」を読み解き、その中で語ら
れる「自分はダメな人間だ」という自己嫌悪が裏返しの自己肯定だと断定する
のだ。自己嫌悪は免罪符であるというのである。

だから「人間失格」は「ある性格を持って生まれた人々の、弱き美しきかなし
き純粋な魂を持った人々の永遠の代弁者であり、救いである」と評した奥野健
男(太宰専門の文芸評論家)の言葉に対して岸田センセーは以下のように書く。

──「人間失格」は、この上なく卑劣な根性を「持って生れ」ながら、自分を
「弱き美しきかなしき純粋な魂」の持主と思いたがる意地汚い人々にとってき
わめて好都合な自己正当化の「救い」を提供する作品である。

自己嫌悪とは架空の自分が現実の自分を嫌悪する状態であり、架空の自分とは
卑怯未練なことをしでかさない自分であり、人にそう思ってもらいたい自分で
あり、自分でそう思いたい自分なのだという。しかし、架空の自分などどこに
もいない。

その本を読んで自己嫌悪は免罪符だと辛辣に断罪されてしまった僕は、現実の
自分を架空の自分(理想の自分といってもいい)に近づけるしかないと悟った。
そのために己を磨こうと思った。少しでもまともな人間になろうと決意した。

そんな僕に、映画は理想の人間像を具体的に見せてくれる。数年前、アメリカ
映画協会がアメリカ映画史上のベストヒーローは誰だというアンケートを行っ
たとき、スーパーマンやロッキーやジェイムズ・ボンドを抜いてアティカス・
フィンチという名前が一番になった。

アティカス・フィンチとは何者? とほとんどの人が思っただろう。それが
「アラバマ物語」でグレゴリー・ペックが演じた貧乏弁護士の名だとわかった
人は少数だと思う。もちろん、僕はすぐにわかった。彼は僕にとってずっと理
想の人間であったからだ。

1930年代の南部の田舎町、誰も引き受け手のなかった黒人の弁護を父親(アテ
ィカス・フィンチ)が引き受けたために、主人公の少女は学校でいじめられる。
「なぜ、引き受けたの」と問う彼女に「自尊心のためだよ」と父親は答える。
彼は自尊心をなくさないでいたいのだ。自分に恥じることなく生きていたい…

自己の規範や美意識を持たない人間に自尊心はない。自尊心のない人間は「己
に恥じることなく生きていきたい」などとは思わない。自分がそうありたい理
想のモデルを持たない人間に「誇りをもって生きた」と言える人生は送れない。

もちろん規範や美意識は人それぞれである。「自分に恥じない生き方」をして
いるかどうかは、自分だけがわかることだ。死ぬまで自分からは逃れられない。
だとすれば、常に自分に恥じることなく生きていたい、と僕は思う。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
この原稿を書いて送ろうとした土曜の夜、NHK-BSで「アメリカ映画史上ヒーロ
ー&悪役ベスト50」が放映された。悪役1位はレクター博士、ヒーロー1位はア
ティカス・フィンチだった。そこに流れた「アラバマ物語」の短いフィルムだ
けで泣けた。この記事が載る予定の金曜の夜、NHK-BSが「アラバマ物語」を放
映します。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
<http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html>

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■インターフェイスの旅[6]
本格的な民族大移動は今年?
InDesignナイトセミナーを終えて(1)

鷹野雅弘
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アドビシステムズ株式会社、株式会社モリサワの主催による「出版・制作会社
向け Adobe InDesignナイトセミナー」が開催された。その初級編のゲスト講
師として、プレゼンテーションとデモを担当した。

DTP業界に12年、「QuarkXPress+イージーコンポ」にヘビーに依存してきたユ
ーザーの代表として、本音の部分をということでお声がかかった。

実際、InDesign 2.0.2まで様子見をしてきたが「QuarkXPressの未来はないか
も?」という雲行きを感じてからInDesignを検証しはじめ、今では、Quark
XPressに戻れなくなっている。会社でも、2006年からはMac OS 9環境でのお仕
事はお受けしない方針になった。「メーカーの思う壺!」と後ろ指指されてし
まうかもしれないが、InDesignそのものというより、それを取り巻く総合的な
環境に依存してしまったら、居心地がいいのだ。

アップルとアドビ、モリサワ、大日本スクリーンによる『次世代DTP』の啓蒙
・検証・情報提供を目的としてプロジェクト「TNG」は目的を終えたとして、
クローズするそうだが、本格的なDTP界の次世代への移行は、実は今年以降に
なるのではないかと感じている。
<http://www.tng-project.jp/>

マーケティングの分野ではユーザー層を、イノベータ(革新人間)、アーリー
アダプタ(先端人間)、フォロワー(保守的)のように分類することがある。
実際のところ、DTP業界でのMac OS Xの導入はほんの一部であり、(Mac OS X
の画面を)「触ったこともない」「見たこともない」という方さえ、実在する
のが現実だったりする。

ここで重要なのは、「QuarkXPress VS InDesign」といった単純な対立の話で
はないということだ。「Mac OS 8」から「Mac OS 9」とか、「Illustrator
5.5」から「Illustrator 8.0」のような、独立した動きでなく「次世代DTP」
とは、まさに総合的に“次”の環境に移行することを意味している。

次にあげる個々の要素を独立して扱うのでなく、総合的に移行することではじ
めて大きなアドバンテージが生まれることが、重要な点だ。

●Mac OS 9から、Mac OS Xへ

「Mac OS 9は死んだ」と、スティーブ・ジョブスが開発者向けのカンファラン
スにて葬式の演出を行なったのが2002年5月。それから実に3年半以上の月日が
たっている。

とりあえず、仕事をこなせるという理由で使い続けるこという考え方もあるが、
すでにMac OS 9を起動できる新品のハードウェアは数年前から市場が消えてい
る。2005年後半あたりから、Mac OS 9環境でのマシンの不調が出てきている現
場が増えているが、ハードディスクをはじめ、周辺機器などもいつまでもつか
心配になってきている方もいるだろう。

Mac OS 9環境に依存する多くのアプリケーションやフォントはサポートが終了
してしまっている。さらに、このコラムで紹介するほかの“変化”を享受する
ためには、Mac OS Xへの移行は必須だ。

●QuarkXPressから、InDesignへ

私個人のまわりの状況だけかもしれないが、QuarkXPress 6.1/6.5はまったく
話題にもされていない。そもそもQuarkXPressにこだわる方々は、Mac OS 9に
しか興味がないのも事実だが、度重なる“逆撫でマーケティング”の結果、メ
ーカーへの信頼を失なってしまったからなのか、理由は定かではない。「打倒
QuarkXPress」をうたい、InDesignが進化を進める中、いつの間にか敵のほう
がいなくなっていたという構図だ。

●OCF/CIFから、OpenTypeフォントへ

OpenTypeの意義は、フォントのフォーマットが変わったことだけではない。異
体字や豊富な記号類が使えることにより、Biblosフォントなどの外字フォント
が不要になること、プリンタフォントいらずで出力できることが大きなポイン
トだ。

ただOpenTypeのみを導入しても、その機能を引き出せるアプリケーションは限
られることに注意したい。OpenTypeのアドバンテージを享受するためには、
InDesignやIllustrator CS/CS2などのアプリケーションが必要になる。

さらに、プリンタフォントが不要(「ダイナミックダウンロード」と呼ぶ)と
いうことは、環境の構築(新規/リプレース)においての費用計算が大きく変
わってくる。また、使用できるフォントが広がることは、制作の自由度が増す
ことに直結する。

●中間ファイル生成から、生データの貼り込みへ

「IllustratorやPhotoshopのファイルは、EPSファイルに変換してQuarkXPress
等に貼り込む」という常識が変わりつつある。EPSファイルのことを「中間フ
ァイル」と呼ぶが、PhotoshopのEPSではレイヤーを保持できない等、修正の際
にはオリジナルを探して再変換の作業が必要だ。

InDesignを中心とするワークフローでは、Illustratorファイル(.ai)や
Photoshop(.psd)ファイルの貼り込みが推奨されている。もちろん、
IllustratorにもPhotoshopファイルを貼り込むことができる。

ネイティブのPhotoshopファイルは透明を保持できるので、クリッピングパス
を使わずに切り抜き合成を行なえるといった副次的なメリットもある。

●生データ入稿から、PDF/X入稿へ

PDF/Xは、PDFを入稿ファイルとして使うためのルールをISOにて定めた規格。
(1)フォントはすべて埋め込む(→入稿先のフォント状況は無関係)
(2)画像はCMYKで高解像度を埋め込み(添付忘れやリンク切れの問題クリア)
(3)セキュリティなし(パスワードなどのロックをかけないこと)
(4)Acrobat 4.0互換(つまりIllustrator 8.0互換の透明を分割したデータ)
というのが基本的なルールだ。

InDesign CS/CS2や、Illustrator CS2からは非常に簡単なステップで、PDF/X
ファイルを生成することができる。ただし、デフォルトではトンボや塗り足し
はオフになっているので、適宜、付加することを忘れずに行なう必要がある。

●前半のまとめ

印刷というプラットフォームでは、事故につながるような危ない挑戦は御法度
だ。先がないという理由からでなく、メリットを享受するという積極的な理由
で、少しずつ検証を進めるタイミングに来ているのではないだろうか。

実際、Mac OS 9はMac OS Xとまったく異なるし、InDesignがいかに多機能で豪
華でも、QuarkXPressのエレガントな操作感には及ばない。簡単ではないがチ
ャレンジして損はないだろう。

いいことばかりあげてきたが、もちろん、すべてが簡単にいくわけではない。
後半では、次世代DTPに移行するための注意点や覚えておきたいポイントなど
をご紹介したい。

【たかのまさひろ】takano@swwwitch.com
トレーナー・テクニカルライター・デザイナー
株式会社スイッチ代表 <http://swwwitch.jp/>
モスバーガー店員から英会話塾講師、職業作詞家等、100以上の職種を経験後
DTPやWebの制作、トレーニング、ライティングは飽きずに10年。
・常に“乗り継ぎ”を強いられるDTPユーザーのためのお役立ちサイトとして、
[DTP Transit]というブログをはじめた。本日の記事も転載するので、ご意
見や質問などあればコメントいただければ幸いです。
<http://www.dtp-transit.jp/>

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■セミナー案内
F-siteセミナー「RIAの舞台裏-ちゃちがリッチへ変わるワザ」
<http://f-site.org/articles/2004/03/25003056.html>
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<主催者情報>
F-siteはWebとセミナーを通じ、楽しい制作に役立つTipsをお届けしています。
「RIA」という言葉はよく聞くけれど、実際にタッチすることは、少ない。
今回は、デジクリでもおなじみ三井英樹さんをお招きして、RIAシステム開発
の実際について講演いただきます。さらにdemo2とdemo3では、インターフェー
スを設計するときのコツや演出について解説します。ディレクター&プロデュ
ーサー向け。

●demo1「Flashエンジニアリング-SIerとどう付き合うか」
三井英樹@野村総研(60分)
●demo2「粋なインターフェース作りのコツ」徳久達彦@GooGoo(60分)
●demo3「豚も空飛ぶスクリプト」森脇裕也@しわわ(40分)

日時:2月25日(土)13:15~17:00
会 場:代々木・国立オリンピック記念青少年総合センター
受講料:1,000円(税込 / 定員120名)

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■展覧会案内
第26回グラフィックアート『ひとつぼ展』
<http://www.recruit.co.jp/GG/exhibition/2006/gg_0602.html>
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会期:2月13日(月)~3月2日(木)12:00~19:00 日祝休
会場:ガーディアン・ガーデン(東京都中央区銀座7-3-5 リクルートGINZA7ビ
ル B1F TEL.03-5568-8818)
内容:ポートフォリオによる一次審査を通過した出品者10名が、それぞれ3.3
平方メートルのスペースの中で作品を構成し発表する。会期中の公開二次審査
会(2月16日)でグランプリに選ばれると、1年後にガーディアン・ガーデンで
個展を開催する権利が贈られる。
出展:宴、おさださとし、金子佳代、qp、七字由布、原田俊二、堀川登代、
村井美々、山下啓、YUKARINA
 
 
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■編集後記(2/10)
・いや~おもしろかったぞ、荒山徹「柳生薔薇剣」。一晩で読み切った。スト
ーリーは、そんな設定ありかよとあきれさせられるのだが、読み進めるうちに
なんとなく納得させられて、ぐいぐいひきこまれてしまった。「故国・朝鮮と
の縁を切るために美貌の女性うねが、鎌倉東慶寺に駆け込んだ。朝鮮で虐げら
れ日本に永住を決意した朝鮮の人々を、強制帰国させるために朝鮮使節団が来
日したのだ。幕府内の家光派と長忠派の対立や使節団の思惑もからみ、うね争
奪をめぐって幕府は二分される。名だたる剣豪や忍者群の暗躍、朝鮮妖術師も
加わり、血で血を洗う暗闘が始まった(以下略)」とカバーの袖にある。で、
家光は東慶寺の守護を柳生但馬守宗矩に命じる。東慶寺住持・天秀尼によせる
家光の秘めたる思い、うまいものである。宗矩は、嫡男十兵衛を凌ぐ剣客でも
ある実の娘・矩香(のりか)を、男子禁制の東慶寺に遣わす。これがまためち
ゃくちゃな強さ。美しき阿修羅。矩香はまず伊賀の忍び衆三人を斃す。次いで、
16人のあらくれどもを斬り捨てて血の色ひとつのぼせぬ、まさに白薔薇のよう
な剣客なのだ。もちろん、柳生宗矩に十兵衛の姉である矩香なる娘はいない。
もちろん、このストーリー全体が歴史小説っぽい雰囲気をただよわせた虚構の
世界なのだ。壮絶な闘いのシーンあり、イリュージョンかい? と思わせる妖
術あり、虚々実々の政争あり、そしてロマンスもある。そのロマンスたるや、
まさに作者がどこかで語っていた「宝塚歌劇」なのだ。さまざまなネタをぶち
こんで、いちおう破綻なくまとめる手腕はみごとなものである。危険な作家だ。
中毒になりそう。                       (柴田)

・会ってすぐに「ハーフですか?」と聞かれて面食らう。濃い顔なのに何故ハ
ーフなんだろうと。否定しながら、そうかハーフといっても、欧米系ではなく
インド系と聞きたかったのかもしれないなと。「ハーフ」という単語から想像
する範囲が狭すぎるなぁ。彼女は海外の大学を卒業していて、ハーフが珍しく
ない環境だったんだろうと思う。イギリスにステイしていた頃、東南アジアか
らの留学生に「貴方は日本人じゃない!」と断定されて否定したら「そんな顔
の日本人はいない」と。彼らの知る日本人顔ではないにしろ、彼らが挙げた国
は彼らの母国のご近所さんなので、もしかしたらそのあたりに同じような顔の
人が存在するかもしれないなぁと。顔は似ているけれど、全然違う言葉を話す
人たちがいたら面白いなぁ。会ってみたいなぁ。      (hammer.mule)

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
リニューアル  8月サンタ
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