[1934] 死後の評価は気になるか?

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1934    2006/03/10.Fri.14:00発行
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         <どんな見出しを付けてもらいたいか>        

■映画と夜と音楽と…[283]
 死後の評価は気になるか?
 十河 進
 
■デジクリトーク
 使者のささやき
 南部秀則



■映画と夜と音楽と…[283]
死後の評価は気になるか?

十河 進
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●「アルプスの少女ハイジ」の脚本家が死んだ

先日、数カ月ぶりに編集プロダクションをやっているNさんと呑み、一晩夜明
かしをしてしまった。呑み始めたのは有楽町だったが、その後、自宅とは逆の
新宿までいくことになり、久しぶりのゴールデン街で午前5時過ぎまで呑むこ
とになった。

結局、10時間も呑み続けていた。その間、いろいろな話をしたが、三軒めの店
で佐々木守さんの話になった。僕が「先日、亡くなったけど、朝日新聞の死亡
欄に何と出たか知っていますか」と聞いたのがきっかけだ。

2月27日の朝刊にその死亡記事は出ていたが、その数日後に亡くなったテレビ
演出家で作家の久世光彦さんの死亡記事の扱いに較べると小さなべた記事だっ
た。それに、久世さんのように夕刊の文化欄で追悼特集を組んでくれることも
なかった。そのことが僕には悲しかった。

さすがに同世代で、昔は16ミリで2本の本格的な自主映画を監督したNさんは、
僕の質問にはきちんと反応してくれた。

──佐々木守さんだったら、大島渚監督作品のシナリオを多数手掛けた脚本家
といった見出しだったんじゃないですか。

「それが…」と僕は言いよどんだ。「朝日新聞の死亡記事の見出しは『少女ハ
イジの脚本家』となっていたんです。いくらなんでも『アルプスの少女ハイジ』
の脚本家という見出しはないんじゃないか…、そう思いました」と続ける。

──その記事を書いた朝日新聞の記者がそういう世代なんじゃないですか。そ
れにしても「ハイジ」の脚本家じゃ、ちょっと浮かばれませんね。

●大島渚監督一派が時代を駆け抜けていた頃

佐々木守さんは、死亡記事によると69歳だったという。だとすれば、大島渚監
督たちの創造社で映画制作を手伝うようになった頃は、20代の後半だったのだ
ろうか。

1966年の「白昼の通り魔」では助監督をつとめているが、松竹退社以来、低迷
を続けていた大島渚監督の疾走が始まるのがこの作品からである。以後、佐々
木守さんは大島作品の脚本を書き続ける。

1967年「忍者武芸帳」「日本春歌考」「無理心中日本の夏」
1968年「絞死刑」「帰って来たヨッパライ」
1969年「新宿泥棒日記」
1970年「東京戰争戦後秘話」
1971年「儀式」
1972年「夏の妹」

1967年から1972年まで、今から振り返ればたった5年間にこれだけの大島渚作
品の脚本を佐々木守さんは書いているのだ。世の中が騒然とし、すべてのもの
の価値が問い直され、破壊され、異議申し立てがあらゆるジャンルで起こって
いた時期だった。

その時期のフィルモグラフィーを見ると、いかに大島渚監督が率いる創造社一
派が前衛的だったかがわかる。脚本陣に田村孟、石堂淑朗、佐々木守、役者た
ちは小山明子、小松方正、戸浦六宏、渡辺文雄、佐藤慶といった顔ぶれである。

「忍者武芸帳」は白土三平のマンガをそのまま撮影した実験作で、アニメでは
ないから絵は動かない。当時、かなり話題になった。また、「日本春歌考」に
は、論議の的になっていた建国記念日反対のデモシーンがあるが、そこに黒い
日の丸を出すほど先鋭的だった。

高校生の役で出ていたのが荒木一郎や吉田日出子。宮本信子も出ていた記憶が
ある。先生役が伊丹一三と小山明子だった。ウブな高校生だった僕はこの映画
でいろいろな春歌を覚えることになった。

「無理心中日本の夏」はストーリーを解体した作品で、アナーキーな風がスク
リーンから吹いてきた。狂言回し的な主人公の少年を演じたのが「新人」とク
レジットされた田村正和だ。テロリズムと革命の予感に充ちた映画だった。

「絞死刑」は低予算を逆手にとって演劇的な空間を作りだし、カメラは絞首台
を中心にした場所から一歩も出ない。そこで、死刑囚、刑務所の所長、検事、
教誨師などがディスカッションをする中から死刑制度や在日韓国人問題が浮き
彫りにされてくる。脚本の力を感じさせる作品だった。

「帰って来たヨッパライ」は、フォーククルセダーズの三人組を主演にしヒッ
ト曲をタイトルにした作品だ。実験的な二部構成の映画は途中でまったく同じ
ファーストシーンになるため、観客がフィルムの巻のかけ違いだと思い映画館
に抗議するトラブルが相次いだ。

「新宿泥棒日記」は、当時、新進気鋭のイラストレーターであり、時代のヒー
ローだった横尾忠則を主演にした作品だ。ストーリーは完全に解体され、様々
な映像的断片がつながれる。この映画で、僕は初めて唐十郎を見た。

唐十郎は「解いても解けない謎がある。ここはアリババ、謎の街」と「チム・
チム・チェリー」のメロディで歌いながら新宿の夜を歩く。「昭和元禄美少年、
唐十郎の奥をみせてやろうかあ」と見得を切るシーンがあったから、当時はま
だ昭和元禄だったのだろう。

「東京戰争戦後秘話」は高校生たちの撮影した8ミリフィルムが懐かしい。脚
本は高校生のときに草月フィルムフェスティバルでグランプリを獲得した原正
人改め原正孝が佐々木守さんとふたりで脚本を担当した。

「儀式」はある旧家の物語を日本の戦後史に重ねて描いた作品で、珍しくスト
ーリーの枠組が明確だった。「これが大島作品か」と僕は映画館で声を上げそ
うになった。間違いなく大島渚監督のターニングポイントになった作品である。
ここで、大島渚監督の前期は終わったと見るべきかもしれない。

●多くの人の記憶に残るドラマを書き続けた

「夏の妹」は僕にとっては最後の大島作品であり、佐々木守が大島渚監督に脚
本を提供した最後の映画になった。アイドル栗田ひろみを起用し、義理の母親
役に「わたしは泣いています」のヒット曲を持つりりぃを出演させた。さらに
人気者の石橋正次を相手役にしたキャスティングを見て、二十歳の僕は大島渚
は商業主義に魂を売り渡したのだと思った。

「夏の妹」以後の大島渚監督は、ハードコアを売り物にした「愛のコリーダ」
を経て「戦場のメリークリスマス」など商業的な色彩を強くし、「朝まで生テ
レビ」で怒りキャラを前面に出したテレビタレントになっていく。そんな大島
渚を受け入れたくはなかった。愛読する「新選組血風録」の映画化である「御
法度」まで、僕は大島作品を見ていない。

「夏の妹」の中には、石橋正次と栗田ひろみが夜の那覇の街を歩きながら「シ
ルバー仮面は~さすらい仮面」とシルバー仮面のテーマ曲を歌うシーンがある。
「ああ、佐々木守さんは『シルバー仮面』のシナリオも書いていたんだなあ」
とスクリーンを見ながら僕は感慨に耽った。

「シルバー仮面」は、亀石征一郎、柴俊夫、篠田三郎、夏純子、松尾ジーナの
五人兄妹が宇宙からの侵略者と戦う物語だが、僕にはよほど印象的だったのだ
ろう、今でも物語の底に流れていたある熱い想いが甦る。テーマ曲が口をつい
て出る。

佐々木守さんは「ハイジの脚本家」と見出しに書かれるように様々な子供向け
番組も書いている。「ウルトラマン」も書いたし、「アイアンキング」も書い
た。「おくさまは十八歳」「柔道一直線」も書いた。しかし、どの作品でも彼
の志は貫かれていた。

佐々木守さんの実験精神が話題を呼んだのは、TBSテレビで1970年の秋から翌
年二月まで放映された「お荷物小荷物」である。まるでゴタール映画のシネマ・
ヴゥリテのように役者が突然、試聴者に向かって語りかける構成のこの番組は
「脱・ドラマ」と呼ばれた。

佐々木守さんについては、マンガ原作者としての仕事もあげておかなければな
らない。代表作は水島新司と組んだ「男どアホウ! 甲子園」だろう。少年サン
デー連載だったと記憶している。魔球マンガへの異議申し立てだろうか、主人
公が剛球しか投げない不思議でシュールな野球マンガだった。

●墓碑銘は「生まれて、生きて、死んだ」がいい

──ところで、僕らは死んでも新聞記事にはならないと思いますが、どう評価
されたいですか。いや、さっきの話だと、どんな見出しを付けてもらいたいか
ということですが…

佐々木守さんの話が一段落した頃、僕はそんな質問をNさんにしてみた。

──そうですねえ、とカウンターに肘をついてNさんが答える。隣に座ってい
た若い客が少し興味をもった視線を向けてきた。

──Nさんの場合、「殺しが静かにやってくる」の監督、と呼ばれたいんじゃ
ないですか。それとも、AV女優インタビューを二十年続けた男、とか…。

冷やかすつもりではなかったが、酔った勢いでそんな失礼な言い方になった。
Nさんの昔の映画仲間の何人かは、中堅の映画監督として活躍している。ライ
ター稼業から編集プロダクションの経営者になったNさんは、それなりによか
ったと思っているようだけど…

──ソゴーさんはどうなのよ。

そう切り返されて、戸惑った。そのとき僕は、以前にこのコラムに引用したア
メリカのコラムニスト、ボブ・グリーンが老優ヘンリー・フォンダに取材した
ときの記事を思い出した。

「どのような人間として人々に思い出してもらいたいか」というボブ・グリー
ンの質問に対してヘンリー・フォンダは「しばし動きを止め、それから窓の外
を眺め」ながら答える。

──そんなこといままで考えたこともなかった。どんな人だったと思われたい
かって……そうねえ、誰だっていい人だったと思われたいんじゃないですか。
名前の前後にどんな修飾語をつけてもらえるかなんて、どうでもいいことです。
ただ、好きだと思われていたら、それで十分ですよ。

そう、それで充分なのだ。名前の前後にどんな修飾語をつけてもらえるかなん
て、どうでもいい。墓碑銘は「生まれて、生きて、死んだ」がいい。それがす
べての人の人生だ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
カミサンが実家に帰り、娘が旅行に出て、数日、ひとりで過ごすことになった。
いつもは夜遅く駅までカミサンに車で迎えにきてもらうことが多いのに、こう
いうときに限って早くに帰宅する。コンビニ弁当など買って帰り、ひとり暮ら
しを満喫するのです。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
<http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html>

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■デジクリトーク
使者のささやき

南部秀則
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あれは、高校三年生の時だった。

当時美術クラブにいた私は、デッサンのための大きなパネルを持って、駅のベ
ンチに座っていた。

その時、突然「絵を描いているの?」と、見知らぬ中年のオバサンに声をかけ
られた。「はい。」と答える私に、その人は「趣味だけにしといた方がいいわ
よ。」と言う。

「・・・は?」
いくら何でも失礼ではないだろうか。いきなり話しかけてきた上に、クラブ活
動に打ち込んでいる(?)健気な学生に向かって。


……実は、私が美術クラブに入ったのは高三になる時。そろそろ進路の事も考
えなきゃならないし、成績は下がってくるし。そこで私は、一計を案じた。

「一年間デッサンを勉強してみて、ものになりそうだったら美術関係もアリか
な?」

なんという安直な考えだろう。しかし美術クラブの顧問の先生は、そんな私の
甘い考えを、何も言わずに受け入れてくれた。

いや、さすがに自分でも、その考えは虫が良すぎるとは思っていたんだけれど。
(だからこそ、先のご婦人の言葉が胸に刺さったのかもしれない)

・・・・・・・・・・

ただ、その時は「親に反対されたら諦めよう。」という程度の、思いつきにす
ぎなかった。

ところが、そんな私の言葉に、父は「同じ苦労するのなら、好きな事で苦労す
るのもいいかもしれない。」と、あっさり許してくれた。(どこまでも安直だ
った私の進路決定)

そんなこんなで、それなりの紆余曲折はあったものの、なんとかデザイン会社
に入る事ができた。しかし、その時から当然のように私の苦労が始まった。ま
るで、それまで猶予されていたものが堰を切ったように。一気に、現実の厳し
さが襲ってきた。

程なくデザイナーに挫折して退社した私は、なんとなくイラストレーターにな
ってしまい、今に至っているけれど。自分が今苦労しているのは、そうやって
大した覚悟もないまま、ここまで来てしまったツケのような気がしている。も
し、あの時父に反対されていたら。

仕事に行き詰まっても、「好きな道を選ばせてもらえなかったからだ。」と、
現実を誤魔化す事ができたかもしれない。でも、自分はそれさえもできない。

・・・・・・・・・・

仕事としてイラストを描くという事。それは、既に散々描き尽くし、描く事に
飽いてしまっている時点から、スタートしなければならないという事。

それでも次の仕事を頂くために、持てる全てを出しきらなければならない。も
ちろん、制作に打ち込む過程で自分を追い込み、のめり込むうちに夢中になっ
てくるのだけれど。

眠っている創作意欲を無理矢理叩き起こし、仕事が終わるとまた惰眠をむさぼ
る。そんな事を繰り返しているうちに、自分の中で何かがすり減って来るよう
に感じてきた。

そしてある時、自分から進んで絵を描く意欲を、なくしている事に気がついた。
慌ただしかった仕事が終わり、ふと気がつくと、自分には何もしたいと思う事
がない。ただ、退屈な日常が待っているだけ。

だって自分は、趣味を仕事にしてしまったんだから。これは、一番好きだった
ものを、売り渡してしまった罰なのかもしれない。

あの時、あのホームで聞いたささやきが蘇ってくる。あのご婦人は、それを伝
えるための、何かの使者だったのだろうか。

・・・・・・・・・・

そんな私が、数年前CGと出会った。

コンピュータの前に座っていると、何か作りたくなってくるから不思議だ。あ
の、懐かしい感覚が戻ってくる。もう、はるか昔に忘れてしまったもの。

わら半紙と鉛筆さえあれば、何時間でも夢中で絵を描いていた子供の頃。それ
は、あの頃に感じていた、純粋に絵を描く楽しさなのかもしれない。


……でも、それでもやっぱり。

楽しいと思えば思うほど、それを世に問いたいという思いがピッタリ後ろから
ついてくる。たとえそれが、せっかく取り戻したものを手放す事になるのだと
しても……。

これは、一度使者のささやきに背いた者の、性なのだろうか。

【南部秀則/イラストレーター】
同業のイラストレーターさんから個展の案内が届くたび「自分もしてみたい。」
と思えない事を、寂しく感じていました。そんな自分でも、コンピュータの前
ではクリエイターでいられる。だから、またパソコンの前に座るのでしょうか。
HP <http://homepage3.nifty.com/tobira/index.html>
Blog <http://nitijo.cocolog-nifty.com/zakki/>

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■編集後記(3/10)
・谷口ジローの「晴れゆく空」を読んだ。48歳の意識はそのままに34年前の中
学時代にタイムスリップしてしまった私、という設定の「遙かな町へ」と似た
ような読後感をもつ作品だ。もちろん、両方ともとびきりの感動作で、またし
てもちょっと泣いた。今度は、交通事故を起こした42歳の男と、17歳の高校生
の意識の入れ替わりだ。42歳の身体は死に、同時刻に17歳の身体は奇跡的によ
みがえる、42歳の意識で。2か月後、17歳の意識もよみがえり、17歳の身体に
42歳と17歳の意識が同時に存在するようになる。しかし、42歳はもうすぐ消え
てしまうことを知っている。消える前に、どうしてもひとことだけ妻に伝えて
おきたいことがあると、はじめは反発していた17歳の意識の身体を借りて妻の
もとを訪れる……。この設定はけっして斬新なものではない。「遙かな町へ」
のタイムスリップだって、平凡とさえ言える。しかし、谷口ジローが描くとそ
の物語世界に引きずり込まれてしまう。このマンガは、人が愛する者の死に接
した時の心の揺れを、そして心の再生を描ききっていると思う。17歳の見ず知
らずの高校生の姿でも、犬はわかってくれる。そして、幼い娘も「……パパな
んでしょう?」「……そうなんでしょう?」「来てくれたんでしょ?」「生ま
れ変わって……」とおずおずと近寄り、走り寄って抱きつくシーンなど涙なし
では見られない。幼い娘、かけがえのない宝物……、わが家にもそんな時代が
確かにあった。いまはその娘の娘4歳が宝物の位置にいるが、そうとうな女王
様である。                          (柴田)

・ネタがなくて困る。「体験」が足りないようだ。書きはじめても、身の回り
の細かいことか、季節の話題か、TVや新聞からのあれやこれやの暗い話ばかり。
別の切り口はないものかとポータルサイトのカテゴリを眺め、ふと、人間の興
味や出来事はこれらに集約されるんだなぁと考える。細分化されたものに対し
て、深く掘り下げたり、新しいものを見つけたり、ミックスしたり。健康ノウ
ハウも手を替え品を替え。でもそれが興味深かったり。情報は散り散り。その
中を探索して、見つけて、また泳ぐ。そういや最近、英語を再度勉強したいな
ぁと漠然と考え、文法の本を眺めていた。たった一冊、その数センチの本の中
に不自由のない程度の基本的な文法が集約されているんだなぁと驚き、他のジ
ャンルの本も眺め、本棚の前でめまいがしそうになった。  (hammer.mule)

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
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