[1988] 偉大な才能を生む母たちよ

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1988   2006/06/09.Fri.14:00.発行
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<ああ、そっちへ行ってしまっていたか!>       

■映画と夜と音楽と…[294]
 偉大な才能を生む母たちよ
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![29]
 人さがしのその後:傷心につける薬
 GrowHair


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■映画と夜と音楽と…[294]
偉大な才能を生む母たちよ

十河 進
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●アメリカ音楽界の帝王と呼ばれる男

四年前に出た「クインシー・ジョーンズ自叙伝」(中山啓子・訳/河出書房新社)を見付けたので読み始めたら面白くて一気に読んでしまった。クインシー・ジョーンズという名前を僕が意識したのは、もう四十年以上も前かもしれない。ジャズマンというより映画音楽の仕事で名前を知った。

よく覚えているのはテレビシリーズ「鬼警部アイアンサイド」のタイトルクレジットにいつも名前が出ていたことだ。この仕事は本人にとっても思い出深いものらしく、自叙伝にも詳しく出てくる。意外だったのはクインシー・ジョーンズが映画音楽を手掛けた最初の作品が「質屋」だったこと。評価は高いけれど、1965年に作られたロッド・スタイガー主演の地味な映画である。

「鬼警部アイアンサイド」のテーマは、数年前にクエンティン・タランティーノが「キル・ビル」で使って再び評判になったが、これも六十年代後半の仕事である。クインシーの自叙伝の中にバンドのツアーでいったアルゼンチンで若く才能のあるピアニスト、ラロ・シフリンと出会うエピソードがあるが、ラロ・シフリンも六十年代後半に評判の映画音楽を担当した。

ラロ・シフリンの仕事で有名なのは「燃えよドラゴン」だろう。もっとも、僕は「シンシナティ・キッド」「ブリット」などステイーブ・マックィーン主演映画のワクワクするほどカッコいいジャズをベースにしたスコアが印象に残っている。アルゼンチンはジャズが盛んなのだろうか。「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のテーマ曲を書いたガトー・バルビエリもアルゼンチン出身のジャズサックス奏者だ。

「クインシー・ジョーンズ自叙伝」には「私は、これまでの人生で自分がしてきたことに関して、ほとんど後悔はしていない」とあるが、今やアメリカ音楽界の頂点に立つミュージシャンでありアレンジャーであり、プロデューサーであり経営者である人の言葉だから、そんな風に書かれてしまうと「ああ、そうでしょうね」と少し皮肉っぽく応じたくなる。

彼は貧しい黒人の家庭に生まれ、生みの母親が精神病院に入ったために父親とも別れ別れになり、弟と一緒に祖母に預けられる。その時期が最も悲惨だったらしく、掘っ建て小屋でネズミを料理して食べたという。その後、父親に引き取られるのだが、ナイフや拳銃を持って学校にいくようなチンピラ時代を経て、やがて音楽に目覚める。

ジャズトランペット奏者として出発したクインシーは、アレンジャー・作曲家として頭角をあらわし二十代半ばでビッグ・バンドを率いる。天才という他はない。映画音楽で実績をつくり、ポップスのプロデュースに手を染める。彼を一躍、大金持ちにしたのはマイケル・ジャクソンと組んだ「スリラー」の世界的ヒットである。クインシー・ジョーンズの自叙伝は典型的なアメリカン・サクセス・ストーリーなのだ。

多くのミュージシャンを集め世界中で有名になったプロジェクト「ウィ・アー・ザ・ワールド」もクインシー・ジョーンズのプロデュースである。彼はジャズからヒップホップ、さらにクラシックまでを手掛ける音楽界の巨人なのだ。宮崎駿の「風の谷のナウシカ」以来、宮崎アニメの音楽監督であり、大林宣彦作品や北野武作品の音楽を担当する久石譲さんの名前はクインシー・ジョーンズのもじりだというから、久石さんもきっと尊敬しているのだろう。

●どん底からのサクセス・ストーリーを実現した男

ジェイミー・フォックスがアカデミー主演男優賞を獲得した「レイ」(2004年)も音楽でアメリカン・サクセス・ストーリーを実現したレイ・チャールズの生涯を映画化したものである。僕は中学生の頃からのレイ・チャールズ・ファンだから非常に興味を持って見た。「クインシー・ジョーンズ自叙伝」を読むキッカケになったのも「レイ」を見たからだ。

「レイ」は南部の輝くような光から始まる。樹に吊された様々な色のガラス瓶が透過光で美しくとらえられる。その光の中で白いシーツが干され風になびいている幻想的なシーンに続き、一枚のシーツの向こうに人影があらわれる。それはレイ・チャールズの若き母親だ。彼女はカメラに向かって言う。

──レイ、お母さんとの約束よ。誰にも「盲目」と言わせないで。

次に、シアトルいきのバスに乗る青年になったレイ・チャールズのシーンになる。タイトルバックは彼がシアトルに向かうまでのエピソードと旅の経過が描かれる。やがてシアトルに着き、ジャズクラブの前でレイ・チャールズはトランペットを吹いている少年と知り合う。少年は「クインシー・ジョーンズ」と名乗る。

クインシー・ジョーンズの自叙伝にはこんな風に出ている。
──シアトルに引っ越した直後、マディソン街の「エルクス・クラブ」に突然現れ、ピアノの弾き語りで客の度肝を抜いた盲目の男にまつわる噂を耳にした。(中略)彼はレイ・チャールズといった。そして私たちは即座に意気投合した。私は十四歳、レイは十六歳だった。

音楽的天才ふたりが出会うシーンである。その後、五十年以上にわたって二人は親友であり続けた。レイ・チャールズは十六歳で年上の恋人と自分の部屋を持っていた。レコード・プレーヤーと三着のスーツを持っていた。十四歳のクインシーは、それが羨ましい。逆境に育ったふたりは、常に自立する意志を持ち続けていたのだ。

レイに強い自立の意志を植え付けたのは母親である。「クインシー・ジョーンズ自叙伝」は本人の記述の間に彼と関係の深い人たちのコメントが挿入され、レイ・チャールズもコメントを寄せている。その文章はレイ自身の母親について語ることから始められている。

──私は六歳で視力を失った。母を亡くしたのはフロリダ州グリーンヴィルに住んでいた十五歳のときだった。たったひとりの弟は、子供のころに死んでしまった。それに、私には父親といえる人物がいなかった。だから母が亡くなったとき、私はひとりでやっていけないだろうと思われた。だが母は生前、私に生きる術を教えてくれていた。今の私があるのは、すべて母のおかげだ。

母親はレイを七歳で公立盲学校に入れ、家では普通に家事仕事をやらせた。薪割りさえやらせたという。盲目であることをハンデとして認めず、誰にも頼らずに生きていくことを教え「あなたがブリキのカップをもって物乞いするなんてことは絶対にないわ」と言っていた母親は三十二歳で死ぬ。

●ふたりの対照的な母親の存在

「レイ」を見て強く印象に残るのは、強くたくましい母親の姿だ。洗濯女として賃仕事をしていた母親は賃金を誤魔化そうとする依頼主にくってかかり、きちんと代金を受け取る。その戦闘的な姿が素晴らしい。裸足で走り回っているレイと弟に「読み書きを習うのよ、騙されないように…。嘘つきは泥棒よ」と、彼女は生きてきて得た知恵から子どもたちを教育する。そこに僕は教育の本質のようなものを見た気がした。

1940年代のアメリカ南部で黒人で盲目であることのハンデは、僕には想像もできない。どうやって生きていけばいいのか途方に暮れるだけだ。レイの母親もそう思ったに違いない。たったひとり残された息子の視力が次第になくなっていく…、そのことを知ったときに彼女はどれほど絶望しただろう。

六歳の息子にそのことを告げるシーンがある。彼女はやがて失明してしまう息子に「見えるうちに覚えておくのよ」と教え、階段が何段かを息子の躯に記憶させようとする。「泣いたってダメ。誰も憐れんでなんかくれない」という彼女の言葉から、彼女が生きてきた過酷な現実が見えてくる。

十代で長男のレイを生んだのなら彼が六歳の頃には、母親はまだ二十代半ばになるかならないくらいだろう。実際に「レイ」で母親を演じた黒人女優は「娘」と呼んでもいいくらい若かった。だが、その二十数年を二十世紀初頭のアメリカ南部で黒人として生きてきたのだ。その中で彼女は人生の哲学を学んだ。

どんなにハンデがあったって自分の力で生きていく、誇りを持ってひとりで生き抜くしかないのだ、と失明し母親を探して泣き叫ぶレイの目の前で彼女は息をひそめる。彼女は息子が自分への依頼心を打ち消し、自力で立ち上がることを望んでいるのだ。手を差し伸べることなどしない。母親として文字通り「心を鬼にして」いたに違いない。

自分がいなくなっても、この子は生きていけるだろうと確信できるまでに彼女はレイを育てる。自立心を植え付ける。黒人であること、目が見えないことを克服して生きていける精神力を鍛える。叩き込む。厳しく叱責する彼女の言葉から激しい愛がにじみ出す。フラッシュカットのように挿入される母親の鮮烈なイメージが僕には次第に神々しく見えてきた。

一方、クインシー・ジョーンズの自叙伝からうかがえるのは母への複雑な想いだ。「自分の人生を後悔はしていない」というクインシーも母親との関係だけは後悔しているのではないだろうか。レイと違ってクインシーの母親は九十五歳まで生きて彼を悩ませた。

彼女は狂信的なキリスト教信者だったのだろう。精神病院を退院した後も子どもたちにつきまとい、クインシー・ジョーンズがジャズを始めると「堕落した音楽などやらず、賛美歌をやりなさい」とジャズクラブにあらわれて説教する。息子に対してだけではない。そこにいる客にまで「こんな堕落した場所にいてはいけない」と諭し始める。クインシーにとって、そんな母親の存在は苦痛でしかない。

成功した後もクインシーは母親を避け続ける。厄介払いをするように金を送るだけだ。しかし、母親はその金にはいっさい手をつけず、息子のために貯め続けて死んでいったことがわかる。そうして初めてクインシーは母親の愛情を知るのだ。彼は「母のためにも私自身のためにもいまわかることが、母の生前にわかっていればよかったと思う」と書く。おそらく深い後悔と共に…

どんな母親であったとしても、その存在は生涯を通じて大きなものなのだなあ、と僕はしみじみと思う。僕自身の八十を過ぎた母親の思い出を甦らせながら…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
来週、休みますが昔の原稿の掲載をお願いしました。このコラムを始める前、1996年の秋に書いた原稿です。読んでいると、その頃、考えていたことが甦りました。この十年間で、僕の周りもずいぶん変わったし、僕自身も変わったのかもしれません。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html >

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■Otaku ワールドへようこそ![29]
人さがしのその後:傷心につける薬

GrowHair
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去年の8月に、サンフランシスコ在住のアメリカ人男性からメールをもらい、大学時代から14年間思いを寄せている日本人女性を探すのに協力してあげたという話を1834号(05 9/30)に書いたが、今回はその続き。と言っても、見つかったというわけではないのだけれど...。

●これまでのあらすじ

Luisからの最初のメールは、さくらこさんを私のホームページのコスプレ写真の中に見つけたので、連絡をつけてもらえないかという内容だった。大学時代に友達づきあいをしていて、卒業後もしばらくは帰国した彼女と手紙をやりとりしていたが、引越しに紛れて連絡先をなくし、音信が途切れてしまったのだという。その後も思いは募るばかりで、一日たりとも忘れたことがなく、他の人に思いを向けようにも本気にはなれないのだという。可能ならもう一度会って、今度こそは思いを伝えたいという。

そういうことなら、とさくらこさんにメールを送ってみたところ、あっさり人違いだと判明。ありゃりゃ。Luisによれば、それほどよく似ていて、名前も同じなので、てっきり本人に違いないと思ったのだとか。

もうひとつの手がかりとして、記憶の断片から復元した住所があるというので、該当する姓の人が住んでいるか、見に行ってみた。このときは、かなり葛藤があった。もし、自分の思いにばかり忠実で、相手のことを慮る心の余裕のない、猪突猛進の人だったりしたら、迷惑なストーカーの加担をすることになってしまう。聞いてみると、会って思いが伝えられればそれでよく、すでに結婚していたり、関心がなかったりしたら、きっぱりと諦め、絶対に迷惑はかけないという。しかし、返事次第では、何もかもかなぐり捨てて、すぐにでも飛んで来たいとも。

行ってみると、その住所に10軒ほどの家が該当したが、表札を見る限り、その姓は見当たらなかった。ひどく落胆していたが、それでも私の手助けには大いに感謝しているとのことで、できることは何でもするという。ならばカリフォルニアあたりのアニメやコスプレのイベントに行って、どんなふうだったかレポートしてくれないか、と言ったのだが、その種のヲタ話(オタクの話題)には乗って来なかった。

●それはそれ、これはこれ

その後も、新たな手がかりが見つかったと言ってはぬか喜びに終わる、の繰り返し。日本に住むことになったときに備えて日本語の勉強にも怠りないそうで、それなら教材にはアニメが最適、と言ってみたが、やはり反応なし。

4月15日に来たメールでは、ほとんどあきらめムードだが、それはそれとして、一度日本に来たいという。しばらく暮らしてみて、できれば新たに日本の女性とつきあいを始めたいとも。しかし、日本では子持ちの男性はモテないと聞くけど、どうなのだろう、と。え? 子持ち? 聞いてないぞ。2000年に、当時つきあっていた女性との間に男の子ができたのだという。今は別れて、相手の側に親権があるが、週に一遍、会いに行くのだという。

その事実があるのとないのとでは、さくらこさん探しの意味合いがずいぶんと違ってくるではないか。「一日たりとも忘れたことはない」とか言っておきながら、誰かとつきあって子供までいるとは、矛盾していないか? それを問いただすと、さくらこさんへの気持ちに嘘はないという。つきあった相手とこじれた原因には、それもあったのだとか。

その話はさらっと流され、コスプレイベントを見て来ようか、という話に移っていた。ヲタ話を持ち出してきたのはそのときが初めてで、それがかえって、話をはぐらかそうとしているかのようであった。

●なんだか腹が立ってきた

そもそも、最初の時点で私が迷いながらも手を貸すことにしたのは、ひとつには、一途な思いを14年間も抱き続けているという、今どき珍しい純粋さを美しく感じ、そういう思いはぜひかなうといいと思ったこと、もうひとつは、そのときの状況が精神的にずいぶんつらそうなので、できることをしてあげることで、救いの手を差し延べたいと思ったことである。

しかし、子持ちという事実が加わったことにより、当初の認識に比べて、急激に話が安っぽくなったことは否めない。まずもって、思いは全然一途じゃないじゃん。14年間募る思いはそれとして、別の誰かを口説いてるわけで。それも「本当は好きな人がいるけど、見つからなくてさびしいから、とりあえずつきあってくれないか」と言ったとは思えないから、自分の気持ちを偽って、その人しか思っていないようなことを言ったのだろう、きっと。結局はそれがばれて、相手をひどく傷つけているわけだ。

まあ、私とてピューリタンではないから、本命がどうにもならないときに、気持ちを保留して二番手とつきあうことが絶対にいけないと主張しているわけではない。しかし、オトナの態度としては、適当なところで妥協してしまうカッコよくない自分、とか、気持ちを偽ってまで、とりあえず誰かとつきあっていなくては寂しくてやっていられない、弱々しい自分、というものとしっかり向き合って、しょうがねぇなぁ、と自嘲気味に自己肯定してやる、ぐらいがほどよい加減なのではあるまいか。

本気でもない相手とほいほいつきあうような軽さをもって、結果的に人を傷つけておきながら、一途な心を持った自分を自己礼賛してしまう神経には、自分にはない図太さが感じられ、こういう人間に特に親切にしてやる必要はなかったように思えてきた。

それに、「つらそうだから」に関してだって、14年間、彼女への思いに忠実で、誰ともつきあわなかったというのならともかく、適当な相手がいたのなら、つらさの度合いがさほどのものとは思えないし、同情したくもならない。ちょっとしたかすり傷でぎゃーぎゃー大騒ぎする子供のようではないか。その程度で大変だと言うのなら、最後に3次元とつきあったのは '97年12月という私の方がずっと偉くないか?

断片的な情報で美化された話にほだされて動いた自分が馬鹿に見えてきた。なぜインターネットでは、バケツ一杯、水をぶっかけてやれないのだろう。

●言葉の槍でぶすっと

どうやって冷や水を浴びせてやろうかと思案し、思いっきり冷笑してやった。

 お前、こっちじゃ、いい笑い物だよ。純愛話かと思いきや、ありがちなチープな話じゃん。こぶつきかどうかなんて問題じゃなくて、意中の人がいながら、それはそれとしてやることはやってる、なんて奴は、こっちじゃ洟も引っ掛けないよ。ある女性は「男ってみんなこうなの?」と。
 またある女性は「少年のような純粋な心を持つと見せかけてモテ続けることのないよう望みたい。きっと問題を起こし続けるね」と。男性でさえ、「これって現実逃避って言わない? 別れたとき問題の原因を全面的に相手に押し付けて、過去の誰かを理想化するって、典型的じゃないか? 釣り逃がした魚は大きいってね」。(4/24)

絶交メールが来た。

 厳しいお言葉と忌憚なきご批判をありがとう(訳注:皮肉ですね)。
 確かにルックスに惹かれてつきあった私は馬鹿だった。結局彼女は当時の私の給料に惹かれていただけ、全社的なレイオフにあって、給料の下がる職に移らざるを得なくなったら、彼女の態度が変わったのだ。したければ、どうとでも批判し、仲間ぐるみで笑い草にしてやってくれ。あなたは友達かと思ってたけど、思い違いをしていたようだ。さようなら。(4/25)

それから1時間後に長~いメールが届き、私の言ったことひとつひとつに釈明してきた。泣きながら書いているふうだった。日本に行きたいのは決して現実逃避ではなく、前々からいつかはと考えていたことで、祖母からの4分の1は日本人の血が入っているせいか、まだ行ったことのない日本になぜか懐かしさを感じるのだとか。アメリカ人の物質主義的な価値観や、他人への思いやりの欠如には迎合できないとも。それと、私の理解の域外だったのだが、さくらこさんへの思いは本人なりに真剣なのであった。

俺、いじめちゃった? そこは謝ったが、気持ちを偽ったことでその人を傷つけたかもしれないことはどうなのかと聞くと、「もう、誰ともつきあうのはよした。それは偽りの人生を生きることにしかならないから」と返ってきた。我々オタクには2次元キャラの脳内彼女や脳内妻という強力な選択肢があることは、すでに言ってあった。訓練を積むと、脳内会話ができるようになる。それがすばらしいから是非にと薦めるわけじゃないけど、つまり道はひとつではないということを言いたかったのである。

●夢に現れた

5/1に来たメールには苦しい心の内が綴られていた。

 今、夜中の零時半。本当は寝ているはずの時間なのに、起きている。なぜかというと、泣いて目が覚めてしまったのだ。もう33歳だというのに。さくらこが夢に出てきて、ずっと一緒にいたかったのに、雲のようにふわふわと舞い上がり、暗い空へと消えていったのだ。
 なぜだ。酒を飲んでるわけでもないのに。
 まるで、カトリックのいう煉獄(罪人の霊魂が火で清められる場所)にいるようだ。何の報いでこんな目にあっているのだろう。

私がイタリアにいたときで、ちょうどYuzuたちとの夕食の席でカトリックや仏教の話などをしてホテルに戻ってきたところである。仏教でいう「色即是空」のことなどを書いて返した。

●安住の地を見つけた?

5/30のメールには、うって変わって、アニメ関連のイベントに行ってきたことが書かれていた。

イベントのサイトによると、FanimeCon("fan" と "anime" が掛詞になっている)は、5/26(金)~29(月)の4昼夜ぶっ通しで、サンノゼ(いわゆるシリコンバレーの一部)にあるコンベンションセンターで開かれる、アニメ関連の総合イベントとある。ローゼンメイデンのジュンの中の人(?役の声優)の真田アサミさん他が日本からゲストで招かれている。
< http://www.fanime.com/index_2006.html >

どうでもいいけど、その会場、行ったことあるぞー。去年の6月に半導体関連の学会でしゃべってきたところじゃんか。あん時ゃ緊張したが。そんな楽しそうなイベントがあるんだったら、そういうときに行きたかったなー。

Luisはそのうち3昼夜いたそうで。「コルセットがきつくてきつくて...」。え? 写真を見てぶっ飛んだ。よりにもよって、エロゲー(アダルト向けゲーム)の女子高生のコスプレやってるよ。「俺たちに翼はない」という発売前の学園もの恋愛アドベンチャーゲームの渡来(わたらい)明日香というキャラだ。どうやって知ったんだよ?
< http://www.project-navel.com/navel/oretsuba/ >

しかも、息子さんまで連れて! 彼はナルトか何かのコスしてるし。父と息子でコスプレってちょっと珍しいパターンではあるね。パパの女子高生姿ってのも、小さいころから見慣れておけば、そんなに違和感ないのかな?

ああ、そっちへ行ってしまっていたか! しかし、いつの間に? ひょっとして俺のせい? 恋の悩みなんか相談した相手が悪かったなぁ。オタクの一丁上がり、である。まあこれも一種のハッピーエンドということで。

純愛に殉じてオタクとなりぬ。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
オタクの伝道師。CLAMP(女性4人の漫画家ユニット)の「xxxHolic」(ホリック)という作品によると、この世に偶然はなく、すべて必然なんだそうで。彼もこうなる運命だったのだな。ところでそれに出てくる壱原侑子はよいなぁ。丸顔、離れ目、長い黒髪、年齢不詳が好みのタイプ。何しろ、私の好みの原型は人形なもんだから。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/ >


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■編集後記(6/9)
・昨日は、大好きな文字系の座談会に記録係として参加した。会場は企画の中心人物の住む港区の高級マンションである。電車が事故の影響で遅れたため、開始時間まで必死の思いで駆けつけたが、マンションの入り口で重大なことに気がついた。すでに去年から4!)5回は会っているはずなのに、なんと! 相手の名前が出てこない! これでは部屋までたどり着けないではないか。必死に思い出そうとするが、焦っているからますますわからない。この歳で早くもアルツハイマーか。やっぱり「明日の記憶」を見に行こう、なんて場合ではない。カウンターにいる管理のおじさん2人に訳を話して、名前と部屋番号を教えてもらおうとしたが、そう簡単にホイホイ名簿を見せてくれるはずはない。思い出した名前の1文字と、若くて大柄で学者みたいな人というヒントで、さすがに管理人さん、一発で正解を出してくれた(が、名前の1文字は間違っていた!嗚呼)。ちょっと遅れて部屋に入ると、一人はまだ未着。さらに、ゲストに伝えるのを忘れていて「今から来て」と電話したばかりだという(わたし以上の忘れぶりではないか)。結局、1時間遅れてスタートしたが、待っている間に貴重な文献や史料を堪能したからいいのです。わたしが遅れた理由を披露すると、みんなに笑われたが、人の名前が出てこないことは彼らもよくあるという。「gendai.net」によれば、ど忘れしても、後から思い出せたり、知っている人だという事実を覚えていればだいじょうぶらしい。昨日の昼食のメニューを思い出せなくても、食べたということを覚えていればいいんだって。さらに、「あまり新しいことに挑戦せず、現状維持でいいと思っている人は気をつけた方がいい」とのこと、それならわたしはまだだいじょうぶだ。(柴田)

・ゲーム音楽といえばFM音源ということで(?)、いま弟が到着を楽しみに待っているのが「FM音源マニアックス」CD。作曲家陣はそうそうたるメンバーで、イース古代祐三や塊魂でおなじみの三宅優の名前もある。以前からゲーム音楽をコレクションしていて、この作曲家は凄いとか、持っている人が少ないとか、価値が高いとか言っている弟である。雑誌に古代さんがゲームのコイン投入音の再現記事とか書いてらして、それを88に入力させられた覚えがある。アルファベットや数字を入力して、再生させたら音になっていてびっくりした。チップに依存されるもので、タイトーの音源や、コナミの音源など全部違っていて特徴があったとか、誰それの作る音はとかいろいろ教えてくれるが、あまり記憶できない姉である。シンセやらパソコンやらケータイやら、その歴史などはさておき、FM音源を使ったオリジナル楽曲が着メロ・着うたとして配信されている。試聴もできるので興味のある方はどうぞ。(hammer.mule)
< http://ja.wikipedia.org/wiki/FM音源 >
< http://www.famitsu.net/mobile/melomelo/sp/fm.html >  特設サイト