映画と夜と音楽と…[300] かつて棄てた夢・息子の夢
── 十河 進 ──

投稿:  著者:


リトル・ダンサー DTSエディション●すべてを棄て息子の夢を叶えようとする父親

父親はイギリスの炭坑町で抗夫として働いてきた。夕方まで坑内で石炭を掘り、夜はパブで仲間たちと飲み一日の疲れを癒す。ときに妻を亡くした悲しみに襲われるけれど、ふたりの息子たちも立派に育っている。次男はまだ学校に通っているが、長男は自分と同じ抗夫だ。

イギリスの階級社会の壁は厚い。息子たちは自分と同じような人生を歩むものだと思っていた。同じ職場で働く長男とは仕事の話で共通点がある。会社の横暴に対して長期ストライキに入っても、そのために収入が途絶えても、息子と共に闘っている一体感があった。

そんな父親が、次男が抱いたバレエダンサーになる夢を知ってしまった。自分には理解できない夢だが、息子はそのためにロイヤル・バレエスクールに入学したいと言い出す。次男を指導してきた女教師も彼に才能があるという。ぜひ、ロイヤル・バレエスクールを受験すべきだという。

だが、そのためには金が必要だ。長い長いストライキに入り、収入はない。ある夜、父親はたったひとりでバレエの練習をする次男の姿を見る。父親は何かを決意する…


翌朝、父親は昨日まで「裏切り者」と罵りさげすんでいたスト破りをする抗夫たちを運ぶバスに乗る。会社側の警備員がロックアウトする炭坑の周囲を組合員たちが抗議の声をあげて取り囲んでいる。その中をバスは進んでいく。

バスに卵が投げられ、金網を張った窓で砕ける。父親はバスの椅子に腰を下ろし、ずっと下を向いたままだ。その姿を組合員の中でも戦闘的な長男が見付ける。「なぜだー」と長男は叫ぶ。なぜ、父親が裏切り者に…、あんなに組合の団結を主張した父親が…。長男はバスを追って走る。

警備員たちに守られてバスが会社の敷地に入る。長男が父親の名を泣き叫びながら高い金網を乗り越える。彼は父親をめざして走る。バスから降りる父親を抱きかかえる。「なぜだ」と問う息子に父親は血を吐くように答える。

──あの子のために金がいる。
  あの子を俺たちと同じようにしないために…

「リトルダンサー」(2000年)というイギリス映画のこのシーンを書きながら、僕は涙が流れてとまらない。キーボードを打つ手がとまる。

父親の心情、覚悟、子を思う心、仲間たちへの後ろめたさ、罪の意識、長男への申し訳なさが伝わってくると同時に、「スト破り」と軽蔑してきたその中に父親を見付けた長男の驚きと絶望、父親を止めなければという切迫感、そんなものがすべて一緒になって伝わってくる。それらすべてが家族への愛から発しているものだという感動が僕を包み込む。

僕も長く労働組合員だったから、スト破りの重さはわかる。しかも、日本のような企業別労働組合ではなく彼が所属するのは産業別労働組合が主流のイギリスの石炭労働者の組合なのだ。「裏切り者」の烙印は重い。

しかし、「裏切り者」と呼ばれることを覚悟して、彼は愛する息子の夢を実現させてやろうとする。自分の生き方や節や信条、仲間たちとの友情や信頼感、そんなものを息子の夢の実現のために棄てようと覚悟するのだ。

●息子は夢を叶えて世界的バレエダンサーになる

「リトルダンサー」は、とても幸福になれる映画である。炭坑町で暮らす少年ビリーがいる。学校が終わった後、父親に言われてボクシングの練習をしている。父親は男らしく育ってほしいと願っている。

ある日、体育館の隅でバレエ教室の練習が始まり、ビリーは興味を持つ。父親に言われてやっているボクシングより、バレエに魅せられてしまうのだ。内緒で彼はバレエの練習に参加するが、やがて彼の中の踊りの才能が芽生え始める。

しかし、父親や兄にそのことを知られる。息子が男らしく育ってほしいと願っていた父は、まったく理解できない。彼にとっては男が習うのはボクシングであって、決してバレエではない。兄もビリーのバレエ狂いを「オカマみたい」と冷やかす。

しかし、ビリーの才能をバレエ教師は高く評価する。つきっきりで指導し、彼がロイヤル・バレエスクールに入るべきだと焚きつける。父親に談判する。父は悩む。だが、ある夜、たったひとりで体育館でバレエの練習をする息子を見て決意するのだ。息子の夢を叶えさせてやろうと…

父親がスト破りを決意するまで息子のことで思い詰めていたと知った炭坑の仲間たちは、ビリーのためにカンパをする。ビリーはロイヤル・バレエスクールを受験し入学が許される。そして、そこから一挙に十五年後にジャンプする。

歳をとった父親と長男がロンドンに出てくる。立派な劇場にウキウキと入っていく。座席につくと隣にいるのは、ビリーの子供の頃から仲のよかった友人だ。やがて、舞台の幕があがる。上半身は裸で白鳥の羽根をつけメーキャップを施した立派な体格のダンサー(実際のバレエ・ダンサーであるアダム・クーパーが演じている)が現れる。

ビリーの成長した姿だ。そのダンサーが高く高く跳躍し、ライトを受けた姿がストップモーションになって映画は終わる。

そう、これは映画なのだ。映画だからビリー少年の夢は叶うのである。彼は今や世界的なバレエ・ダンサーとして活躍している。それを父と兄と友人が見守る姿を見せて映画は終わる。だからこそ観客は幸福な気分で映画館を後にできるのである。

夢は叶う、努力すれば夢は叶う…、多くの物語はそう語る。たとえ叶わなくても夢を追って努力したことは、最初から夢を諦めてしまう人生よりずっと充実しているのだ…と、小説や映画やドラマが「夢を追い続けることの素晴らしさ」を謳いあげる。

だが、人は夢を持つ故に裏切られる。夢は叶うことより、叶わないことの方が多い。夢を叶えたほんのわずかな人が歩いてきた道には、夢が叶わなかった人たちの屍が累々と横たわっている。

●現実の親子関係の中では苦闘するしかない

僕も夢を諦めた人間だ。というより、ささやかな夢を持ってはいたが、社会人としての、あるいは家庭人としての生活を優先した。そういう言い方が適切かもしれない。それでも自分の夢に近いところで生きるために出版社を志望し、長く編集者として仕事をした。

だが、夢を棄てきれず自分の時間を使って文章を書いてきた。三十代には何度か文芸誌に応募して選考を通り、通過者として名が出たことを喜んだ。四十代になっても書いてはいたが、新人賞に応募するのはやめた。しかし、今でも僕は自分の名前が掲載された「文学界」と「オール読物」を何冊か大切に持っている。

人は夢を諦めるとき、自分にどういう言い訳をするのだろうか。「どうせ、僕の才能なんて中途半端なのだから…」とか、「成功するかどうかわからないのだから…」ということか。でも、結局、夢を追いかけることで生活を犠牲にするのが厭なのだ。だから安定した生活を選んだだけではないのか。

安定したサラリーマンのような収入が約束されているのなら、誰だって夢を追う。好きなことをやって生きていこうとする。そう考えると、夢というのは、自分が好きなことをやりながら安定した(もしかしたらリッチな)生活ができることに過ぎないのじゃないか。

今でも、僕はそんな風に自虐的な考え方をすることがある。それは、若かった頃の自分に対して何らかの後ろめたさを感じているからかもしれない。自分の選択は間違っていなかったのか、と長い時間を振り返って不意の感傷に襲われる。だが、それも今の自分の生活を認めたうえでのことだ。

生活のため、家族のために夢を諦めて働き続けてきたと僕には断言できない。確かに僕は早く結婚したために生活の基盤を確立する必要があった。子供が生まれ、家族への責任のためにボヤキながらも働き続けてきた。しかし、僕自身が夢を棄て、それを趣味にして生きてくることで満足していたのだ。今となっては、そんな人生を肯定するしかない。

去年、大学を出て就職もしないまま息子が暮らし始めたとき、僕は「何か目的があってやっているならいいが、何の目的もないフリーター暮らしならやめてくれ」と説教した。大学二年で家を出て気ままに暮らしているようだったが、彼がやりたいことが何なのか僕は聞いたことがなかった。

今年になっても息子はアルバイト暮らしを続けていた。母親がたまに携帯メールを送ったり食べ物や金を送っていたが、実家に帰ってくることはほとんどなかった。ある日、母親が「今後どうするのか」と電話で問い質したからだろうか、息子から長文のメールが入った。

そこには抽象的ではあったけれど、息子が子供の頃からいろいろと苦しんできたことが書かれてあった。そのメールの中で僕にとってショックだったのは、親への恨みつらみが連綿と書かれてあったことである。

僕自身は子供の将来を規定したこともないし、親として過剰な期待をしたこともないと思っていた。どちらかと言えば放任だったし、子供のしたいようにさせてきたつもりだった。しかし、僕にはまったく憶えがなかったのだが、息子は自分の夢をつぶしたのは父親だと言う。

そのメールが届いてしばらくの間、僕は少し鬱状態になった。何もかもが虚しく感じられた。休日もぼうっと椅子に座っているだけだった。二十数年、何とか大学まで出した息子にそこまで書かれてしまう精神的な傷を僕は与えてしまっていたのか、と長い年月を怨んだ。その年月が無意味だったのかと…

子供にとって親の存在はときに敵になり、超えるべき障害になる。親の想いは届かない。空回りする。うざいとさえ思われる。ときには、ひどく子供を傷つける。そうわかっているつもりだった。しかし、それが自分のこととして、実際に息子に突きつけられると僕はなすすべを持たなかった。

子供の夢のために自分のすべてを棄てられる「リトルダンサー」の父親のようでありたかった…。取り返しはつかないが、今はただそう思う。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
300という連載回数になりました。1999年8月から初めて丸7年です。ちょうど夏休み前で300回になりましたので、ゆっくり夏休みにさせていただきます。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html
>


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by G-Tools , 2006/07/28