武&山根の展覧会レビュー この夏、岡本太郎ツアーに行こう!/武 盾一郎&山根康弘

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Be TARO!―岡本太郎に出会う本
●まずはMKオマージュ

武: こんにちは! MKチャット[#2015]でいじって頂いて光栄です!
山: こんちはー。何を隠そう、あれはオマージュです(笑)。
武: そうそう。オマージュなんです。ってのはね、実はフラッシュと出会ったのはまつむらまきおさん主宰のバカ@フラなんですよ。
山: あー、バカフラってよく言ってましたねー。
武: で、フラッシュに衝撃を受けて、笠居トシヒロさん主宰のフラッシュメーリングリストに入ったんですよ。
山: そうなんや。それって、ファンやったって事やな?
武: そーなのよ。で、ひたすらロムって、まつむらさん著の「おしえてフラッシュ」買って、バカフラに投稿することを目標に掲げて「新宿西口地下道段ボールハウス絵画集フラッシュバージョンを2年がかりで作ったんです。
< http://cardboard-house-painting.jp/flash/ >
山: 良く頑張りましたねぇ。賞も取ったしな。
武: でね、実はデジクリ読むようになったのは、その笠居さんとまつむらさんがチャット対談してたからなんですよね。
山: ほー。ということは、武さんはかなり昔からマツカサチャットを見ていた、と。
武: そうなんす。そのMKチャット対談でいじってもらって、涙が出るほどうれしい。。。おーい、おーい(泣
山: ほほう。つまり、ついつい悪いこととは知りながら、チャット対談形式をパクった、と(笑)ま、武さんの賞は剥奪ということになりそうやな。
武: 賞はいいけど、賞金は返さんよー(笑)。チャットレビュー頑張ります!

●太郎ツアー3か所へ

山: で、本題。今日はお疲れ様でした!
武: いやー、よかったねー「岡本太郎ツアー」
山: 濃い一日やったわ。
武: この夏一番のおすすめですよ!


山: 壁画「明日の神話」から岡本太郎記念館、そして岡本太郎美術館へ。移動
時間もそんなにいらんかったし。
【壁画「明日の神話」】< http://www.ntv.co.jp/asunoshinwa/ >
【岡本太郎記念館】< http://www.taro-okamoto.or.jp/ >
【岡本太郎美術館】< http://www.taromuseum.jp/ >
武: 「なんで今更、岡本太郎なの?」なんて言ってる輩は豆腐の角に頭ぶつけて一回死んでから生まれ変って、納豆で顔洗って出直して来いってなもんだよ。
山: 今更、か。まあ壁画が発見されたのが最近やからね。そやけど今日はえらい仰山太郎作品見て、何て言うんか、わからなさ、理解拒絶、みたいなとこは残ったなー。
武: そーだねー。

●壁画─4枚の下絵

山: まず僕らは解説抜きで壁画から見た訳やけど、最初見た時どうやった?
< http://www.1101.com/asunoshinwa/ >
武: テレビ、有名・著名人、企業あらゆるボピュリズムを巻き込んで商売的にも成立して蘇った壁画だよね。俺の第一印象はタブローとして、描かれる形体の悪さ、色彩配置の悪さ、構図の悪さ、ガッコの答案だったら「零点」だよ。しかも、それが巨大! これはただごとではないって感じたんです。
山: 確かにただ事ではなかった。僕の最初の印象は、反核がテーマって聞いてたけど、そこらへんはまるで感じへん、ってとこやろか。
武: そうだねー。原水爆、第五福竜丸がテーマだったとは知らなかった。太郎がそういう社会問題から発案していたというのは案外意外。(第五福竜丸参照→ < http://d5f.org/top.htm >)
山: 核の悲惨さ、戦争の恐ろしさ、的なものは何も感じへん。むしろ感じたのは強烈な自意識。そんで崩壊。いわゆる爆発。圧倒的やったなー。
武: 圧倒的って?
山: 自意識のほとばしりが。ほとばしってへんかった?
武: うん、そうだねー。で、絵としてどう感じたん?
山: 実はな、「この感じ、どっかで見たことあるぞ、、、、あ、新宿ダンボールハウス絵画や!」と、おもた。
武: わはは!確かにね、色使い、構図、なぜかかなり一致してるような。。。俺達も巨大壁画(ラブホテルの依頼で描いた全長50mにも及ぶ巨大壁画、その後経営が悪化し取り壊し)描いてたしね。。。
山: あの壁画はもうどこにもないけどな。2か月間泊まり込みで、途中辛くて酔っぱらってあばれたりしながら描いたのになー。
武: はは。で、絵師として、あの壁画をどう見たん?
山: うーむ。普通こうはならんやろ、もうちょっとちゃんと描くやろ、と。いろんなとこがやり残しっぽいように感じたな。形も洗練されてるとは言えんし。下絵を4回も描いてるのには驚きや!
武: わはは!下絵4回描いて、これかよ! みたいな。
山: そうそう。4回描いてこれ選ぶんか! って。
武: 俺達は出来上がり壁画をまず最初に観たでしょ、その後、岡本太郎記念館で第1原画を観る。第1原画はテーマがとっても分かり易く見えてくるんだよな。「原水爆と第五福竜丸」が。
山: そうやったな。よけいなものは省かれてた。
武: 絵が小さいせいか構図も破綻してない。
山: 下絵、って感じの絵やったけどね。
武: テーマ、つまり「意味」がしっかり絵画化されてる。「意味的な絵」として原画はスタートしてる。言語的要素がしっかりしてるんよね。第1原画は。
山: そうやね。
武: で、岡本太郎美術館で、第4原画(最も大きい原画)を観るじゃないですか。第1原画が「意味性」だとすると、最終原画(1→2→3→4原画と徐々に巨大化していく)は絵画として最もクオリティーが高いと感じたんすよ。
山: 確かにあれが絵としては一番いい絵に感じたな。
武: そーなのよ。で、本番の壁画「明日の神話」は、絵画的バランスが全て破綻してるのよ。そこらへんが「岡本太郎」なんかな〜、ため息。。。。
山: なんかとりとめない感じがあったよな。どないせいっちゅうねん、みたいな。とにかくでかいで! 見とき! みたいな。
武: 意味から出発してるのに、出来上がりが意味不明。
山: 実際時間なかったんちゃう?
武: ははは! 確かに同時進行で大阪万博の「太陽の塔」を制作してたわけだしね。

●太郎の対極主義

山: それにも驚いたな。僕は「太陽の塔」好きでよく一人で見にいってた。
武: えーっ! そうなん?
山: そうやで。近かったし。エキスポランド。
武: で、「太陽の塔」と「明日の神話」ってどうよ?
山: 「太陽の塔」も意味不明なんよ。
武: わはは!
山: 僕は大阪万博の時は生まれてなかったんで、その時どうやったかは知らんけど、周りの景観を無視して突如現れるねんな。あの巨大な顔が。なんやねんこれ!って。
武: 理解を「拒絶」してる、と。
山: だけど、無言でのっしりとただそこにいる、という感じが妙な興味を引くんです。で、見てる内にコイツけっこういい奴ちゃう? って思えてくる。気がついたら好きになってる。。って恋愛か!
武: そ・れ・は、恋だよ(笑
山: 少年のとげとげした心をやわらげてくれたんです(笑
武: ははは。たださ、「太陽の塔」と「明日の神話」が同時期ってのはかなり示唆的だよな。
山: そうやな。「太陽の塔」は意味不明やけどそこにしっかりとした形態を感じる。
武: なるほど、立体だしな。
山: 余計なことをなんも気にさせないぐらいに存在感がある。塔、というのもまたいい。
武: 機能性のない塔だしの。
山: 実際僕は入ったことないけど、中に入れるというだけでわくわくする。かなり想像力をかき立てるねんな。
武: 俺も観たことも入ったこともないけど、内部はお面とか飾ってあったらしい。で、「太陽の塔」はとても開放的でポジティブな印象を受けるのに対して「明日の神話」はかなりネガティブなモチーフだよね、原水爆だし。
山: 受けるイメージはまったく対称的やね。
武: 対極的なのに、なぜか太郎という作家のアイデンティティーは保持される。どころか、ますます強固になるんだよな。非常に不可解なんだよ。理屈で考えると。
山: 太郎の言う「対極主義」なんかな。そんで壁画やけど…
武: ほい
山: 原水爆を第一のテーマとしているにもかかわらず第五福竜丸なんて画面の右下の方にちょこっと描かれてるだけで、むしろ中央の、これがホントはテーマなんやろうけど、骸骨が壊れてるとこしか強く見えてこーへん。しかも骸骨かなんなんかよくわからん(笑
武: ふむ、確かに骸骨メインだよな。けどさ、骸骨は壊れてないんだよ! 存在感バリバリでむしろ骸骨が活き活きとマチエルで盛り上がって描かれているんだよな。
山: あ、なるほど。骨はむしろリアリティなんや。
武: 死の象徴の骸骨が生きてるのよ。太郎の対極主義はそこでもかいま見れる。
山: 最後に行った太郎美術館に「メキシコでは死を否定的なものとして捕らえない」、みたいなことが書かれてたな。
武: そだね。実は縄文時代の死生観もそうなんだよな。「死ぬ」ということは、神への産道を通って「産まれる」、という価値観を持っていた。
山: 向こうの国に新たに生まれるわけやな。
武: 死は忌み嫌うことではなく喜ばしいことだった、と。だから、縄文人の宇宙観は「我々は宇宙から来て宇宙に帰る」だったらしいんですよ。
山: 太郎は縄文を強く肯定していたわけだから、同じようにメキシコの価値観もすんなり取り入れることができたんやろか。
武: そうだねー。
山: ただ太郎の絵からは、縄文もメキシコも感じへんのはどういうことや?
武: ははは! 宇宙観そのものを表現しようとしたのかな? 今の俺達の価値観は「生まれる」→「死ぬ」といった直線的なイメージを持ってるじゃないですか。太郎だと「死」と「生」が同じ場所になってしまう。太郎が本気で「進歩」に対して「拒絶」してた理由はそういうところにあるかも知れない。
山: でもそこに矛盾が生まれるんよなー。
武: そうだねー!!! むずかしーよ! 哲学的だよ、あまりにも。

●太郎のメッセージ

山: 太郎は「明日の神話」で描きたかったのは、というか表現したかったのはパンフにも書かれてたように、悲惨な出来事や矛盾もあるけれど、とにかく「負けないぞ」という姿勢とちゃうかな。真ん中で骸骨がばらばらになっても。
武: うんうん。
山: あの骸骨のイメージは、精神の崩壊、自我の崩壊を現しているように僕には見えるんやけど、それでもエネルギーはけっして消えない。
武: おー! 自己崩壊しても、それは決してネガティブなものではなく、生へのエネルギーはとどまらない、と。
山: 骨は生々しくリアリティを持って存在してると。
武: うむ。太郎の作品がどうしてこんなに愛されてしまうんだろうか? って考えるとね、なんつーか、卑屈感とか、被害者意識とか、そう言うものを一切はねとばしてるんだよね。誰だって、自己否定するじゃん、多かれ少なかれ。
山: そうやね。
武: 太郎も心の内は修羅だとは思うんだけど、作品になると「明日の神話」が例え重いテーマであっても、色彩トーンが低くても…
山: 色彩はペンキのせいやったりしてな。(※「明日の神話」はペンキで描かれた)
武: ははは。けど、それらをひっくるめて「生きてる」というポジティブ感というか、そういうもので何もかもを打開してるんだよな。変人のように観られるけど、もの凄く自己存在に従順っていうか、肯定的っていうか、その在り方がやっぱり「ありえない」んだよ。
山: なかなか真似できるようなもんではないわな。
武: だってさ、自我が崩壊したら、落ちるでそ。
山: ふつうわな。
武: 誰かを恨むでしょ。
山: そういうこともあるやろねー。
武: 原爆落とされたら、被害者でしょ。太郎はテクノロジーやモダニズムを「拒絶」するけど、被害者であることも「拒絶」するんだよな。
山: そやな。美術館の展示の中に、太郎はむしろ原爆を肯定しているとも取れる発言が残ってた。
武: そうなのよ。「原爆のあの美しさ」、とか言ってる。
山: それって今の時代に言ったらかなりの問題発言やな。当時もか。
武: そうだねえ。危険発言だな。
山: なんで怒られへんかったんやろ?
武: そこに「真実」があったから。だと思うぜ。
山: その真実を提示できた、稀有な人やったってことか。普通の人がテレビやなんかで言ったらとんでもないことになるで。
武: うん。誰しも出来ることじゃないよな。言葉だけでなく、本気で太郎はそう言って、そのような作品を創った。そしてそれはブレなかった。
山: 一貫してたんやな。矛盾を含みつつも。

●岡本太郎VS丹下健三

武: 丹下健三と対照的なんだよな。
< http://www.ktaweb.com/ >
山: 仲いいんだか悪いんだか。
武: 「太陽の塔」は丹下の建築物をぶち抜いて建てたって言われてるよね。丹下設計は地下のマグマを抑えつけるモダニズムの象徴なんだよ。でさ、20世紀の優れた芸術家は殆どすべて共産主義思想を通ってる。
山: やっぱりそこを通らんとあかんかったんかな。
武: 太郎は革命家兼画家のシケイロスの影響をとても強く受けているし。「明日の神話」のパトロン、スワレスはシケイロス、リベラなどのパトロンでもあった。丹下健三も親しいので、当然そこら辺は共産主義思想を共有してるわけだ。
山: 共産主義思想が当時の最先端やったからか?
武: なんだろな、共産主義って。俺達の世代だと、すでにピンとこなくなってる。
山: なんでしょうな。世代と言うか、時代と言うか。
武: うん、ただね、ハッキリ言って20世紀の芸術を紐解くには、「共産主義思想の興奮」を理解しないといけないんだよなあ。
山: ははあ。そうやなあ。
武: ダダシュール、抽象そしてロシアアバンギャルドといった芸術運動、シケイロス、リベラ、ピカソブレヒト安部公房、岡本太郎、山下菊二丸木位里澁澤龍彦大江健三郎、といった個人、、、みーんな、共産主義思想が関連してる。。。。
山: そこにある希望があったはずやな。
武: 今、なんで「共産主義思想と芸術」を語らないんだろう?
山: 必要がないから、とちゃうか?
武: わはは!
山: 太郎に戻るけどな、
武: はい。
山: 第五福竜丸があんなに小さく描かれているにもかかわらず反核がテーマ。というのは無理があり過ぎる気がするねん。
武: 「反」ではないよな。肯定してみて、じゃあどう乗り越えるか、みたいな、ね。
山: 「明日の神話」の副題が「広島、長崎」って書いてたような気がするが、違うかったっけ?
武: 広島、長崎ってあったっけ?
山: なんかどっかに書いてたような・・・
武: そうそう、広島と言えばね、例の丹下健三は広島平和公園を設計してる訳だ、でね、岡本太郎は平和公園の在り方をクソミソに批判してるんよ。
山: あーそうやったな。書いてたな。
(広島平和公園の参照リンク< http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/page2ax01.html >)
武: 拝んでみてイー気になるな、みたいな。平和公園行って、平和を願って、平和平和って拝んで、良いことした気になってみんな帰って行く、みたいな。そんな空間に、リアリティーは一切ない、みたいな。言葉にしづらいんだけど、太郎のその暴言にはある種の「真実」が見えるんだよな。
山: そうやね。わかります。
武: 太郎は常にそういう目線なんだよ。偽善を暴くっていうか。で、対にあるのは、丹下健三(笑)。最高傑作は、バブルの塔で有名な東京都庁、歴史に残る芸術はどちらだろうか?
山: 都庁って芸術なんか?

●太郎と縄文─現代縄文説?

武: うーん、なるほど。じゃあこんなんで切ってみよう。「太郎と縄文」。フランスに行って海外の圧倒的な芸術に打ちのめされる太郎がよりどころとしたのが、縄文文化だと言えるよね。でね、太郎は知ってたのかどうなのか、縄文土器や陶器って女性が作ってんだよね。
山: ほう。
武: で、それは作り手としてプロ化されてないんですよ。
山: というと?
武: 各家庭、集落の女性達が、思い思い、というか必要に迫られたのか、土器を作っていた。
山: なるほど。みんな作ってたんや。
武: 作品として誇示する訳でもなく、ただただ、生活に溶け込んだ生活用具や信仰道具だったワケだよ。あのつたない形体、そして、あの解放感。あれはみんな女性作。
山: 作ることがごく自然やったんやね。作品とかじゃないってことやな。
武: そう言う意識はなかっただろうな。
山: たとえば、生活にしても信仰にしてもおおまかな括りはあるとしても個人的なもんとちゃう? 個人でしかわかんない。
武: ただ、信仰としては全体感がある訳じゃん。生活だって、個人じゃ出来ないし。
山: うん。もちろん一人ではできへんけど。そやけど実際生活するのは他人がする訳やなし、信仰かって自分が祈らんとできへん。他人に変わってもらうことは基本的にはないでしょー。
武: おー、そだね。縄文土器ってのは極めて個人的に作ったのに、全体的なものでもあったわけか、みんなで使い回したろうし。
山: そうやね。なんかしらの共通な意識はあったんやろうな。
武: 弥生になると、突然、機能性が全面に出る。無駄なデザインは一切排除され、上手な人が上手に作るようになって行く。
山: うん。つまり代理や。
武: そだね。プロ化。
山: アミニズムって代理はあり得ん気がするんよ。
武: なるほど。
山: 団体的な宗教なら「あの人がそう言ってるからそうだ」、みたいなことはできるかも知らんけど、アミニズムは自分で感じてへんと何もないんとちゃうやろか?
武: あー、そだねー。自分で感じとらないとならない。ってことはマニュアル(教典)は通用しない。ってことは文字は必要ない。。。か。
山: 全ての人がわかっていた訳ではないかもしらんけど、少なくとも何かを感じることはちゃんとできたんとちゃうかな。それが、いつしか代わりにやってくれる人が出てきて考えなくてもいいことになってしまった。あるいは、ある特定の時期だけ感じてれば良い、とか。
武: そうかあ、ってことは「進化」ってのはプロ(代理)が細分化されていく過程って捉えることも出来るな。個人が感じることを失って。
山: 文明化、とも言えそうやね。
武: ところが、縄文に文明がなかったとは俺は到底思えないんだよ。「進化と合理と権威」が結びついて進むことを「文明」と呼ぶなら別だけどさ。
山: ふむ。
武: 各集落、或は各家庭で女性が気ままに土器をつくってたのが縄文。弥生になると土器作りが合理化されプロ化する。縄文人は弥生人に戦争で負けた訳だから、人を殺す方法を合理的に考えたのは弥生人だってことになる。
山: ふむ。
武: その為には富を備蓄する「所有」という概念がなくてはならない。いかに多くを所有するかというベクトルはどうしても権威を生む。権威と合理が結びついて加速してくことを、今の俺達は「進化」と呼んで喜んでる、と。
山: それはそうとも言えるかもね。で、縄文の文明とは?
武: 所有しない、権利がない、畏れは自然。土器の制作が象徴するように、全体的なのに、極めて個人。
山: なるほどな。
武: ひょっとしたら、まさに今とリンクするかも知れん。
山: おお。なるほど。重なる部分ありそうやね。現代縄文説!

 ●「明日の神話」はあなたが作る。

武: 縄文を呼び覚ました太郎の壁画が、共産主義を通り越して、今見つかった訳だ。
山: 共産主義って理想的なもんじゃなく、ただ通過するものやったんちゃう? そう考えると資本主義もそうとちゃうかな。
武: あー、えっと、つまり太郎は「舶来」の(共産主義)思想に定着したワケではないってことよ。だから、「今さら太郎」なんじゃなくて、ひょっとしたら、「今こそ太郎」なんかも。
山: そうやね。今さらジローは小柳ルミ子やけどね。
武: ・・・。救いを縄文に見出したんだよね。欧米史観、欧米主導を、縄文文化だけで覆せるというようなことを言ってる。また、極端だけど(笑
山: はたして縄文的思考は今の時代に蘇るのか?
武: ロハス(笑
山: ってなに?
武: うーん、俺もよくはしらんが、なんか、エアコンやめて、無農薬野菜食べて、現代のスピードに併せるんじゃなくてゆっくり過ごすの。スローライフ、エコ、アロマ、ピース、みたいなのが混ざった感じなのかな?
山: へ〜。知らんかった。
武: っつーかね、セレブな人達が、そんなライフスタイルをステータスとしてる訳よ。で、ビンボー人も「なんかそれってオサレ」みたいに追随してんの。
山: って優雅やでそりゃ。トウキョウの夜は暑いでー。
武: わはは、まあ、ホームレスもある意味ロハスだけどね。窓開けて、エアコン切って、キャンドル灯して、アロマかぎなさい。
山: それは是非田舎でやりたいな。ほんと、空気が違うからね〜。
武: って、太郎の話ですよ! 縄文! 実際の縄文はそんな優雅じゃないだろうなあ。
山: あ、そう? いや、考え様によっちゃ優雅やで。
武: あんな面白い土器作ってるけど、生死がいつも隣り合わせだろう。
山: でもほんとは今だってそうやろ。そりゃ獣は出ーへんけど。
武: でも、死が隠蔽されてる。
山: あー、今の時代は死が商品になってるよな。最近引っ越したんやけどね、前の家の前に葬儀場ができて。で、引っ越し当日そのオープニングイベントがあって中村玉緒の声を聞きながら引っ越し作業。ある意味、死の肯定。次の日はアグネスチャン。前の日は由美かおる。
武: はははははは!!!
山: テレビ等豪華商品が抽選で当たる! ときたもんだ。葬儀場やで? 死ぬまでテレビでも見とけってか?
武: いやー!!! まいった。
山: まいりますがな。まったく。
武: 現代社会で、ものごとを肯定する方法は「商品」でしかあり得ない、ってことなんだなあ。
山: そこにしか反応できへんのやろね。
武: まあ、肯定なんだから、解釈の仕方によっちゃあ良いんかも知れんが、けど、なんか直観が「違う!!!!」って叫ぶよ。
山: そやから、縄文人が自分の手で土器作ったりしてるのは、優雅とは言えずとも理に適ったこととちゃうやろか。つまり太郎が言わんとしているのは「自分でやれ」と。
武: おーーーっ! 己の身体で確かめろ、と。
山: そういうことやろ。てめえで背負えと。そしたら「カレーライスぐらい食わせてやる」(by岡本太郎)、と。人にやってもらおうとするな、ってことかな。代理はいらん。
武: 一番難しいことだよね。
山: そうやね。でもこれからはもっとそうなるんちゃうかなあ。ある部分。
武: 縄文時代とは形は変わるだろうけど、ね。
山: でもそれって一生仕事があって楽しいかもしらんで。すくなくとも定年になったから終わり、とかはない。
武: そだのー! 楽しいし苦しいし、両方だね。
山: 来るべき未来に向かって、まずおまえがやれ、おまえが神話だ。それが「明日の神話」。
武: あー、いいオチだー。パチパチパチ!
山: 最期に故・岡本敏子さんの言葉を借りとこ。

「『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、岡本太郎の最大、最高の傑作である。猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。逃げまどう無辜の生きものたち。虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、健気に力をふりしぼっている。第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びながら鮪を引っ張っている。中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、亡者の行列が小さな炎を噴きあげながら無限に続いてゆく。その上に更に襲いかかる凶々しい黒い雲。悲劇の世界だ。だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美さとさえ言いたくなる鮮烈な赤。にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、びっくりしたように下界を見つめている。外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。タイトル『明日の神話』は象徴的だ。その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、地球は回復不能な破滅の道につき進んでるように見える。こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。」

●壁画「明日の神話」< http://www.ntv.co.jp/asunoshinwa/ >
期間:8月31日(木)まで(雨天・強風時は中止の場合があります。入場制限
をする場合があります)
時間:11:00〜19:00
料金:無料
場所:日テレプラザ ゼロスタ広場

●岡本太郎記念館 < http://www.taro-okamoto.or.jp/ >
修復プロセスを追体験 再生への道
期間:10月15日(日)まで 火曜休館(祝日の場合は開館)
時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)
料金:一般600円、小学生300円

●岡本太郎美術館 < http://www.taromuseum.jp/ >
壁画誕生の軌跡をたどる 完成への道
期間:10月3日(火)まで 月曜休館(9月18日を除く)
時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで)
料金:一般900円、高大学生700円、中学生以下65歳以上無料

【武 盾一郎】(たけ じゅんいちろう)take_junichiro@mac.com 画家
・新宿西口地下道段ボールハウス絵画集
< http://cardboard-house-painting.jp/ >
・夢のまほろばユマノ国
< http://www.uma-kingdom.com/ >

【山根康弘】(やまね やすひろ)ymn_yshr@ybb.ne.jp
阪神タイガース信者兼画家
・交換素描
< http://swamp-publication.com/drawing/ >
・SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/ >

(終わりに)
武: 山根的に言い切った感はある?
山: ない。なんか太郎の話にならんところが、ひょっとして太郎のすごいと
  こか?
武: わはは! 言えてる。
山: どないしょ?
武: そこも含めて迷走ぶりと矛盾をそのまま柴田さんにぶつけるのじゃ!!
山: こわ・・・
武: 対極主義じゃなくて怠慢主義。
山: 太郎が聞いたら激怒。
武: カレー喰わしてくれないかなあ。。。
山: 無理やな、掃除とかさせられるで。
武: っつーかこういう余談も入って来た方がいいんだよな、太郎の場合。。。
  美術館で沢山メモったのにほとんど無意味と化す。。。
山: そうやねんなー、まだ話すこといっぱいある気もするけど、これはこれと
  した方がええんか?
武: 多分、太郎は自分の作品を観て、こういう談義をして欲しかった人なんか
  も知れんし。芸術がどーのとか、画法がどーのじゃなくて。
山: 死んでも「拒絶」。
武: わははは! もう、降参。