映画と夜と音楽と…[303]たまには深呼吸をしてみよう/十河 進

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人生の特別な一瞬●愛読してきた詩人の言葉

長田弘さんの詩を初めて読んだのは高校生のときだった。生意気盛りの頃である。ある日、新聞部のTがやってきて、「ソゴー、クリストファー詩篇、読んだか?」と言った。その頃、知らないという言葉は僕の中には存在していなかった。知らないと認めるくらいなら死んだ方がマシだった。

──いや、まだ読んどらん。
──だったら読め、全部読め。思潮社の「現代詩文庫」に入っとる。

その日の帰り、僕は「現代詩文庫13 長田弘詩集」を買った。現代詩文庫は、田村隆一を第一巻として谷川雁、岩田宏、吉本隆明、鮎川信夫など戦後派の詩人から始まっていたが、長田弘さんはそれよりひと世代は若い。世代的には六十年安保世代である。


鮎川信夫や谷川雁などの重厚な詩を読み慣れていた僕にとって、長田弘さんの詩は魅力的で共感できるフレーズに充ちていた。若い時期に特有の正体のわからない苛立ちや焦り、敵意などを受け止め、癒してくれた。長編詩「クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか」は当時の僕の気分にぴったり合ったのだろう、冒頭の数行は今でもそらで言える。

  あれは金曜日だったとおもう
  疲労が おおきなポピーの花束のように
  きみの精神の死を飾っていた日だ。

そのとき買った詩集を僕はまだ持っている。奥付を見ると1968年9月1日に第一版が出ている。僕が持っているのは1969年8月1日付けの第二版のものだ。だとすると、僕は高校三年の夏休み頃にその詩集を読んだのだろう。その頃の僕は、こんなフレーズに惹かれた。

  青年の栄光なんて、今日
  酔い痴れることと 自動車事故で
  ぶざまに死ぬことにしきゃねえんだ。

そのフレーズの前には若くして自動車事故で死んだジャズ・トランペッター、クリフォード・ブラウンのことが書かれているのだが、僕が未だにクリフォード・ブラウンを聴くのは「クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか」の影響が大きい。三つ子の魂百まで、である。

その後、僕は長田弘さんの本を見付けると買うようになった。「箱舟時代」には戯曲がおさめられていたし、「ねこに未来はない」というエッセイ集は特に猫好きでもない僕に猫への興味を起こさせた。それは、猫の好きな奥さんと結婚した長田弘さんの新婚生活エッセイでもあった。

長田弘さんは晶文社の社外ブレーンのひとりだと聞いたことがある。それだからだろうか、晶文社から多くの本を出している。僕が持っている晶文社から出た長田弘さんの本は評論集「探求としての詩」と詩集「言葉殺人事件」「メランコリックな怪物」「深呼吸の必要」である。

その中の「深呼吸の必要」は緑のインクで印刷されている。そこには四十代半ばになった詩人の優しい言葉が連ねられていたが、僕が知っていた長田弘さんの言葉ではないような気がした。激しさやきびしさが影をひそめ、優しさだけが突出しているように僕には思えた。

だか、その本を買ったとき、僕も三十代半ばで二人の子供の父親になっていたのだ。十代の気分はまだ憶えていたが、すでに遠いものになっていた。だからだろうか。長田さんのこんな言葉が身に沁みた。

  言葉を深呼吸する。あるいは、言葉で深呼吸する。
  そうした深呼吸の必要をおぼえたときに、
  立ちどまって、黙って、必要なだけの言葉を書きとめた。

●詩集からインスパイアされた映画

深呼吸の必要 (初回限定版)「深呼吸の必要」というタイトルの映画が公開されたのは二年前のことである。タイトルは長田弘さんの詩集からとられていることが謳われていたが、直接的な関係はない。だいたい詩集だから映画化のしようもない。ストーリーはまったくのオリジナルだった。

都会で派遣社員として働いていたらしい若い女性(香里奈)が沖縄の島に着くところから映画は始まる。彼女はその島でサトウキビの収穫をするためにやってきたのだ。そういう一時的なアルバイトツアーがあるのかどうかは知らないが、沖縄の島で働くために何人かの若者たちと一緒に迎えにきたトラックに乗り農家に到着する。

そこには、オジィとオバァと呼ばれる老夫婦がいる。迎えにきたのは、あちこちの農家を季節ごとに渡り歩いて暮らしている青年(大森南朋)である。サトウキビの収穫を終えると、千葉の農家に雇われ大根を収穫する…といった生活を送っている。サトウキビの収穫が初めての若者たちを彼は指導する。

やってきた若者たちは、ひと言も口をきかない高校生(長澤まさみ)、甲子園で有名になった元野球少年(成宮寛貴)、後に医者だとわかる青年(谷原章介)などである。若いけれど、あるいは若いゆえに、それぞれが何かを負っている。ヒロインを演じる香里奈はわりにまともそうだが、それでも都会の生活に疲れている様子が伝わってくる。

彼らはサトウキビの刈り入れを始める。リーダーぶる大森南朋に反発したり、慣れない仕事にうんざりしたり、それぞれが批判し合ったり…、現代の若者たちだから簡単には打ち解けない。自由人ぶる大森南朋に対して「あんたは現実の生活から逃げているだけだ」という痛烈な批判も出る。傷ついた心が南の島の自然の中の労働で癒されていく、という風には簡単にいかない。

それでも、最初はとても期日までに収穫できないと思っていたサトウキビ畑が徐々に刈り取られていく。単純な労働だからこそ、目に見える成果がある。働く喜びがある。ひと言も口をきかなかった少女の表情も明るくなる。経験者の余裕からか、ついリーダーぶっていた大森南朋も彼らと同じ悩みを持っているのだとわかってくる。

ある嵐の夜、車で事故を起こし怪我をした大森南朋を助けるために、初めて自分が医者だと明かした谷原章介は、医療の現場で傷つき迷っていた自分をさらけ出し、再生に向かって歩き出す。そう、彼らは南の島の自然の中で共同生活をし、単純労働に従事するうちにいつの間にか癒されていたのだ。挫折したり、落ち込んだり、疲れたりした気持ちが再生に向かうようになっていたのである。

長田弘さんの詩集からインスパイアされた「深呼吸の必要」という映画は、そんな風に「ときには立ち止まって深呼吸をしてみよう」というメッセージを映画全体で伝えてくる。見終わって優しい気分になれる映画だった。

●若い頃に抱いた正体のわからない苛立ち

青春時代は、未決の時季だ。苛立ちや正体のわからない敵意、権威や権力、すでに出来上がっているものへの反感、反抗心、そんなものに押し潰されそうだった若い日、青春の悩み…、そんなものに充ちている。そんなことを「深呼吸の必要」の登場人物たちを見ながら甦らせた。

  おお 誰れが信じようとしなくとも
  時は短い、ぼくたちに
  時はさらに短いのだ。

「クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか」の中でリフレインされるフレーズを若い頃の僕はよく口にした。そのころの僕は、まだ二十年も生きていないのに「時の短さ」が実感できたのだ。僕は焦っていた。性急に何かになろうとした。だが、僕は何者にもなれなかった。

今から振り返ると、若い頃の僕は様々な鬱屈を抱えて生きていた。もちろん、今でもそれなりの鬱屈はある。人には言えない想いもある。しかし、若い頃より落ち着いた気分で生きているのは間違いない。僕はもう半世紀以上の時間を生きてきたのだ。

だから、今、僕は中年になった長田弘さんが書いた「深呼吸の必要」の最後に置かれた詩篇「贈りもの」のフレーズがよくわかる。

   ときどきアントン・パーヴロヴィチの短い
  話を読む。人生はいったい苦悩に価するもの
  なのだろうかと言ったチェーホフ。大事なの
  は、自分は何者なのかでなく、何者でないか
  だ。急がないこと。手をつかって仕事するこ
  と。そして、日々のたのしみを、一本の自分
  の木と共にすること。

かつて「ぶざまに死ぬことにしきゃねぇんだ」と書いた若き詩人は、長い年月を生きて「自分が何者でないか」を見極めたのだ。昔、「精神の死」という言葉に反応した僕も、長田弘さんと同じようにチェーホフの「人生をあまりむずかしく考えぬことです。たぶん人生は、実際にはもっとずっと簡単なものでしょう」という言葉に共感するようになった。

人はなるようにしかならない、という諦念もいつの間にか身に付いた。人の浮き沈みも見てきたし、友人の死にも巡り会った。子供が生まれ、成人にまで育て上げた。子供のことはいつまで経っても心配ではあるのだが、ずっと面倒をみてやれるわけではない、と割り切っている。

実際に死ぬとわかればどう反応するか自信はないが、いつ死んでもいいという気持ちもある。性急さはなくなった。若い頃より残された時間はずっと少ないが、焦りなどはない。やれることしかできないのだとわかっているし、だからといって努力を放棄するつもりはない。時間と共に生きるしかないのだ。時に深呼吸をしながら…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
それにしても時間が早く過ぎてゆく。特に休日は。管理部門に移って、わりに週休二日は取れているのに、気づくと日曜日の夕暮れだ。ああ、まだ原稿ができていない…とウィスキーのグラスに手を伸ばす。

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長田弘詩集
長田 弘
思潮社 1968-09


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ねこに未来はない
長田 弘
角川書店 1975-10
おすすめ平均 star
star残念でした
starこれは…。
star切なくも楽しい
starタイトルで引かないで。
star芸術家と猫は相性が良い?

長田弘詩集 深呼吸の必要 死者の贈り物―詩集 食卓一期一会 おかめなふたり

by G-Tools , 2006/09/08