Otaku ワールドへようこそ![35]オタクの定義論
── GrowHair ──

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オタク学入門いままで一年以上にわたって書いてきたことを、自分で否定しちゃうのも何だけど、そんなことが書きたかったわけではないのである。

●壮大なテーマ

本来書きたかったのは、オタク論。オタクをめぐる種々のテーマ、例えば、定義、分布(年齢、職業など)、変遷、市場規模、オタクの心理分析、社会全体の構造変化とオタク、今後の展望などについて、ある程度客観的な視点から、一般人にも通じる言葉で論じてみたかったのである。

しかし、それは実に壮大なテーマ。まず、資料として踏まえておきたい本だけでも下記のようにどっさりとあり、私はまだ半分も読めていない。

・岡田斗司夫「オタク学入門」太田出版、1996年
・斎藤環「戦闘美少女の精神分析」太田出版、2000年
・東浩紀「動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会」講談社、2001年
・木尾士目「げんしけん (1)〜(6)」講談社、2002〜2005年
・森川嘉一郎「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ」幻冬舎、2003年
・大塚英志「『おたく』の精神史」講談社、2004年
・NRIオタク市場予測チーム「オタク市場の研究」東洋経済新報社、2005年
・堀田純司「萌え萌えジャパン」講談社、2005年
・本田透「電波男」三才ブックス、2005年
・本田透「萌える男」筑摩書房、2005年
・森永卓郎「萌え経済学」講談社、2005年
・杉浦由美子「オタク女子研究 腐女子思想大系」原書房、2006年


だからまず、これらを読むところから始めて、それから自分の見てきたオタクたちや、自分自身とも照らし合わせてじっくりと思索を練り、考えがまとまったら何か書こう、それまでのつなぎとして、現実の、オタクのいる風景などを描写することにより、各論の集大成の中から漠然とでもオタク像が浮かび上がってくればいいや、ということで、その時その時で書けることを自転車操業で書いてきた。

そろそろ真面目に取り組もうかと思って、ちょこっと資料にあたりはじめてすぐ壁にぶち当たった。オタクに関する情報はあまりに膨大で、このテーマはその道の大家でさえ、さじを投げかけているふしがある。

戦闘美少女の精神分析精神科医の斎藤環氏は「戦闘美少女の精神分析」(2000年)の文庫版が今年5月にちくま文庫から出版された際、文庫版あとがきで「2000年以降、質的にも量的にも拡散を極めたおたく文化の動向は、もはや個人がその全貌を語りうる対象ではなくなりつつある」と述べている。とすれば、私にできることはせいぜい先人の述べてきたことを紹介し、感想を添えるくらいがいいとこである。
今回は、定義だけでもこんなに大変、っていう話。

●定義の形式

定義するだけなら、自由にすればよいのだが、「オタク」に関して言えば、すでにある種のイメージを伴って広く世の中に浸透している言葉であるため、それを損なわないように後付けの定義を与えてやるのが大変なのである。そのイメージだって使う人の立場によって異なるし、変化もしている。

定義のしかたで形式的に分けると、興味の対象で範囲を明確化するもの、性格的特徴の列挙により抽象化するもの、それらを併用するものがある。分野のみでくくった場合、他方面の人たち、たとえば切手収集などのいわゆる「マニア」との性格的差異を明確化したり、オタク内部でのメンタリティの共通性を検証したり、定義とは別個になす必要が生じる。

一方、興味対象に入れ込む姿勢や性格的特徴からの定義には、さらに、ネガティブ、ニュートラル、ポジティブの指向に分けられる。もともとがネガティブ、反動で岡田氏がポジティブ、冷静に斎藤氏がニュートラル。性格的特徴だけから定義づけようとすると、思いもかけないジャンルから該当者が出てきてしまう危険性があるので、併用するのが無難かもしれない。

●もともと蔑称だった「おたく」

これは以前にもちょこっと書いたことだが、コミケに集まるようなタイプの人々を称する言葉としての「おたく」が最初に登場したのは、大塚英志氏が編集していた月刊誌「漫画ブリッコ」の1983年6月号から8月号まで掲載された、中森明夫氏の「おたくの研究」においてであるとされる。かなり悪意をもってオタクをこきおろした文章で、読者から猛反発を受けて、大塚氏の判断により、3回で連載が中止されている。

全文掲載サイト:
< http://www.burikko.net/people/otaku01.html
>
< http://www.burikko.net/people/otaku02.html
>
< http://www.burikko.net/people/otaku03.html
>

この時点ではまだ見かけがダサいとか、性格が暗いというレベルに留まっていたが、追い討ちをかけたのは、1989年に宮崎勤容疑者(当時27歳)が逮捕された連続幼女誘拐殺人事件である。家宅捜索でおびただしい本数のアニメビデオが押収されたことから、「おたく」という言葉に「犯罪予備軍」というニュアンスが上乗せされて、一気に世の中に浸透していった。

●大塚氏の慧眼(1992年)

大塚英志氏は「仮想現実批評」(新曜社、1992年)で、おたくの特徴について、世間のイメージからはかけ離れた描写をしている。

・おたくは異性の友人の数が一般よりも多い。社交的。
・おたくは総じて金持ち。エンジニアや医師が多い。
・収入に占める遊びへの投資率が高い。
・テレビの視聴時間が異常に短い。
・趣味の数が多い。

私はつい最近、斎藤氏の本に引用されているのを読んで知り、驚愕した。あの時点でここまでバレていたのか、と。

●大澤氏の精神分析学的定義(1995年)

大澤真幸氏は、「電子メディア論」(新曜社、1995年)でオタクを純粋に精神面から定義づける試みとして、「オタクにおいては、自己同一性を規定する2種類の他者、すなわち超越的な他者(自我理想)と内在的な他者(理想自我)とが、極度に近接している」という仮説を打ち出した。

これは、フロイトとラカンの精神分析学に基づいた記述である。自己同一性(アイデンティティ:自分は何者か、自分が従うべき規範は何か)を確立するためには、自分の中に2人の他者が住んでいないとならない。自我理想とは「なりたい自分の理想像」である。スポーツ選手とか実業家とか芸術家とか声優とか。これだけだと、なれない現実とのギャップに苦しむだけで終わってしまう。理想自我とは「どうあろうと、そんな自分をほめてくれる人」である。よくがんばった、えらい。ああ、なんてすばらしい私。

その両者が近接した人というのは、字義通り受け取ると精神異常にあたる。その仮説はいったいどこから浮かんできたのかと読んでみると、論拠があまりにもずさんで、発泡スチロール製のでっかい岩を頭の上に落としてやりたくなった。アイドルの追っかけが、大物よりも小粒の駆け出しに入れ込むのも、男性オタクの興味の対象が成熟した女性よりも少女に向けられるのも、自我理想のレベルが引き下げられたことの表れだという。

ブー。大はずれ。理想を引き下げたかのように見えたって、アイドルや少女と結婚できるわけでなし、ましてや自分がなれるわけでなし、依然として自我理想は遥か彼方にある。むしろ「自我理想が超越しすぎて別次元(あるいは異空間)にテレポートしてしまった人」と定義したほうがまだ近い。とはいえ、大澤氏の論は「オタクのダメ志向」という側面をよく捉えている。

●岡田氏はオタクを超越的存在とみる?(1996年)

岡田斗司夫氏は「オタク学入門」でオタクの特徴を次のように述べている。

・進化した視覚をもつ
・高性能のレファレンス能力をもつ
・あくなき向上心と自己顕示欲

これは、オタクを一般人よりも上に置く見方が反映されている。

●斎藤氏は精神分析の観点から(2000年)

斎藤環氏は「戦闘美少女の精神分析」で、岡田氏のオタク論を「おたくの病理的側面をあえて見ないのは、一面的な印象を与える」と批判し、オタクとは下記のような特徴をもつ人をいう、としている。

・虚構コンテクストに親和性が高い人
・愛の対象を「所有」するために、虚構化という手段に訴える人
・二重見当識ならぬ多重見当識を生きる人
・虚構それ自体に性的対象を見い出すことができる人

大変難解なので、具体例で置き換えてみると、

・2次元美少女に萌える人
・脳内妻をもつ人
・「マリア様がみてる」を読んで、自分の性別を忘れてる人、あるいはコスプレでいろいろなキャラになりきれる人
・コミケでおかずを買って帰る人

これはいくらなんでも狭く限定しすぎで、相当濃ゆいオタクしか残らないだろう。だいたい、斎藤氏自身、1960〜1990年代のマンガやアニメの膨大な作品群をなぞり、スポ根系、変身少女系、同居系など13種に分類して語り倒すほどのオタクっぷりを発揮していながら、2次元をおかずにしないことをもって、自分はオタクではない、と言い抜けているのはずるい。

●東氏は分野のみであっさりと(2001年)

動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会東浩紀氏は「動物化するポストモダン」で「オタクとは、コミック、アニメ、ゲーム、パソコン、SF、特撮、フィギュアそのほか、たがいに深く結びついた一群のサブカルチャーに耽溺する人々の総称」としている。「そのほか」にどこまで含めるか、とか、耽溺の度合いをどこで線引きするか、などのあいまいさはあるにせよ、ある程度客観的に範囲を限定している。

●森川氏のオタク定義批判とダメ志向(2003年、2004年)

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ森川嘉一郎氏は「趣都の誕生」の本文中でオタクをあえて定義しなかったことについて、あとがきで言及し、オタクを定義すること自体を批判している。曰く、「これまでの定義はおおむね特徴の列記という形で書かれているが、正確に枠づけようとすればするほど抽象的になっていく。その結果、定義通りのオタクが今どき存在するのか、とか、オタクという枠組みがもはや無効なのではないか、といった、議論のための議論に走りがち」。

とはいえ、"en"というウェブマガジンの2004年2月号と3月号では、オタクを決定づける特徴としてダメ志向を取り上げている。

< http://web-en.com/backnumber/0402/main3.cfm
>
< http://web-en.com/backnumber/0403/main3.cfm
>

これは、精神分析学の言葉で記述しなおすことができそうで、興味深い。

●野村総研の市場調査(2004年、2005年)

野村総合研究所は、2004年と2005年にオタク市場の調査結果を発表している。1回目は5分野で延べ285万人、2,900億円規模だったのが、2回目には定義を修正し、分野を広げる一方、メンタリティで限定した結果、12分野で延べ172万人、4,110億円規模と推測している。
< http://www.nri.co.jp/news/2004/040824.html
>
< http://www.nri.co.jp/news/2005/051006_1.html
>

旅行やファッションを趣味にする人たちまでオタクなのか、など、既存のイメージに合わないという批判はあるだろうが、もともとあいまいなのだから、一度、新基準ですぱっと整理しなおしてみる試みもよいと思う。

●岡田氏再登場「オタクは死んだ」(2006年)

本当はこれの話をするつもりだったのだが、紙幅が尽きた。またいつか。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
自由奔放な変人。先週金曜の後記に濱村さんに取り上げていただいた星座占いの結果。奇をてらうのは好きではないが、自由奔放に生きた結果が変人なら何も言うことはありません。素敵な称号を頂戴しました。
そのサイト < http://ura-seiza.cplaza.ne.jp/12stars/
>


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