映画と夜と音楽と…[304]写真が信じられていた頃
── 十河 進 ──

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欲望●淀橋浄水場の近くにあった小さなカメラ店

テレビでニコンのデジタル一眼レフのCMが流れている。木村拓哉が「やっぱ、いいわ、ニコン」と言う。ニコン、自信満々だな、とそれを見て思った。その言葉には、ニコンブランドに対する誇りがうかがえる。「ナイコン」と発音されながら、世界中で愛用されてきた実績に裏打ちされた自信だろう。

僕も初めて使った一眼レフはニコンだった。名機と言われるニコンFである。高くて自分では買えなかったから、友人に借りたものだ。ニコンFは分解ができた。レンズと裏蓋(底蓋も一緒だった)とペンタプリズム部を外すと、本体部分はフォーカルプレーンシャッターしか残らない。

フィルム交換も大変だった。底蓋と一緒になった裏蓋を外し、フィルムをセットしてベロを引き出し右側のスプールに巻き付ける。連写なんてトンデモナイ話だった。露出計も内蔵されていないから、標準の露出で撮るか、単体露出計を使った。

Nikon デジタル一眼レフ D80 AF-S DX 18-135G レンズキット友人のニコンFを借りて京都旅行をし撮影にはまった僕は、一眼レフを買おうと決意してアルバイトで貯めた金をおろし、当時、まだ淀橋浄水場跡が原っぱだった頃の新宿西口に向かった。そこに東京で一番安くカメラが買える店があるとカメラ好きの友人に聞いたのだ。


店ではなかった。小さな窓にカウンターが付いているだけだった。そのカウンターに人が群がり、それぞれに欲しいカメラの名前を言っていた(というより、怒鳴っていた)。そうすると店員が奥からカメラの入った箱を持ってくる。みんな、ここでカメラを見ようとは思っていない。カメラ選びは他の店ですませ、ここへは買いにくるのだ。

僕も「ニコマートELありますか」と大声で訊いたが、「今、ニコマートはないよ」と店員はにべもない。「じゃあ、キヤノンFTbはありますか」と僕はもう一度訊き、そのカメラを買った。キヤノンFTbは追針式の露出計が内蔵され、QL(クィックローディング)というフィルム装填がウリのカメラだった。

あの日、ニコマートがあれば、僕はそのままニコン党になっていただろう。ニコンとキヤノンはピント合わせをするためのレンズのヘリコイドの回転が逆なので、一度、キヤノンに馴れてしまうとなかなかニコンには移れなかったのだ。しかし、それもオートフォーカス全盛の今では関係のない話である。

しかし、あの小さな店が今や全国展開をするヨドバシカメラになろうとは、常套句で恐縮だがホントに夢にも思わなかった。先日、秋葉原のヨドバシカメラに買い物に寄ったら店内で迷いそうになったくらいだ。大阪の梅田店も外から見ただけだが、巨大な店舗だった。

もっとも、僕がカメラを買いにいったのは大学生のときだから、もう三十五年近く前のことである。その後、僕はヨドバシカメラの暗室用品売り場で引伸機などを買い自分で下げて戻ったこともある。大学時代は下宿で暗室作業をやりすぎて部屋が酢酸臭くなったし、夢中になってよく夜明かしをした。

COMMERCIAL PHOTO (コマーシャル・フォト) 2006年 10月号 [雑誌]そのおかげで、後年、カメラ雑誌の編集部に異動になったときも何とかやれたのだと思う。大学時代の僕は「アサヒカメラ」「カメラ毎日」「日本カメラ」を毎号読んでいたし、時々は「コマーシャル・フォト」という専門的な写真誌も覗いていた。

●写真に写っているのは現実なのか

モデルに馬乗りになったカメラマンは、モータードライブがひっきりなしにフィルムを巻き上げる音の中で狂ったようにシャッターを切り続ける。人々が想像するようなプロカメラマンの現場である。スタジオにセットされた大型ストロボがシャッターにシンクロして発光する。

そんなファッション撮影が終わった後、カメラマンはそれまでの狂騒が嘘のような静かで知的な男に戻り、カメラを一台肩から下げて町に出る。やがて、公園でキスをするカップルを見付けた彼は、何気なくスナップする。だが、それに気付いた女がしつこくフィルムを戻せと言う。

女を振りきってスタジオに戻ったカメラマンは、そのフィルムを現像しプリントする。女がなぜあれほどしつこく迫ったのか不審に思いながら、プリントを見ていくと、公園でカップルがいた奥のしげみにピストルを構えた男らしき影と死体のように見えるものを見付ける。

そこから、カメラマンの孤独な暗室作業が描かれる。彼は、プリントの一部をどんどん拡大し、しげみの中の影の正体をつかもうとするのだ。果たして本当に死体なのだろうか。

カメラマンは公園に戻る。しかし、そこには死体も何もない。この後、単なるミステリ映画ならだいたいのストーリーは予想できるのだが、現代の不条理を描く映画はどんどん不可解な世界へと入っていく。

イタリアの芸術派ミケランジェロ・アントニオーニ監督が初めてイギリスに渡って作った「欲望」(1966年)は、カンヌ映画祭でグランプリを獲得し、公開当時、日本でも大きな話題になったものである。原題は文字通り「BLOW-UP」という。

僕と同い年のカメラマンのFさんは、この映画を見てカメラマンになることを決意したという。確かに、最初のモデル撮影シーンからインパクトはある。主人公が黙々とプリント作業をするシーンのかっこよさも印象に残った。

しかし、この映画では「写真が写しているものは真実なのか」という疑問が提示されているのだ。現実とは何だ、というもっと根源的なテーマなのだろうが、そのテーマを端的に表現したのが「たまたまスナップした写真に写っていた死体らしきものの存在は現実か否か」ということなのである。

よく言われるのは、日本では「写真と名付けられたから、真実を写すものと間違われてしまった」ということである。フォトグラフィーとは「光で描いたもの」という意味だから、欧米では「描くもの」と認識されているのだろうか。

しかし、コンピーュータ・グラフィックスが全盛でデジタル画像が当たり前になった現在、写真が真実を写していると思っている人は少なくなっているのかもしれない。写真の証拠能力を疑わざるを得ない時代なのだ。

●写真が証拠として価値を持っていた頃

死刑台のエレベーター写真が証拠能力を疑われていなかった時代の映画が「死刑台のエレベーター」(1957年)である。後年、「刑事コロンボ」によって「倒叙もの」というミステリの一形式が有名になる。「倒叙もの」とは、犯罪者の側から描いたものだ。その犯罪がどのようにしてばれるか、いつ破綻するかというサスペンスで見せる。「死刑台のエレベーター」はその代表的なフランスの作品である。

社長夫人フロランス(ジャンヌ・モロー)と恋仲になったジュリアン(モーリス・ロネ)は、邪魔になった社長を殺す計画を立て実行する。しかし、社長を殺して会社を出る途中でジュリアンは会社のエレベーターに閉じ込められてしまう。会社は月曜日まで誰もやってこないし、エレベーターも動かない。

夫を殺した後に会うはずだったのに約束の場所にジュリアンがこないため、フロランスは夜のパリをさまよいながら疑心暗鬼にとらわれる。ジュリアンは夫を殺したのだろうか、会いにこないのは心変わりをしたのではないだろうか、という内面の声がさまようジャンヌ・モローの姿にかぶさる。

そのシーンの雰囲気を盛り上げたのは、マイルス・デイビスのトランペットだった。マイルスがパリにきているのを知った監督のルイ・マルは、マイルスにラッシュ・フィルムを見せ「音楽をつけて欲しい」と依頼した。伝説ではいきなり即興でトランペットを吹いたということになっていたが、それなりの準備はしたようだ。

さて、エレベーターに閉じ込められたままのジュリアンの自動車を若いカップルが盗む。ふたりはドライブに出るが、車の中から拳銃と小型カメラ(ミノックスかな)を見付ける。やがて、ふたりはスポーツカーに乗ったドイツ人の中年夫婦と知り合い、一緒にモーテルに泊まることになる。

しかし、その夫婦の車を盗もうとして見付かり、若い男はドイツ人夫婦を射殺して逃亡する。しかし、宿泊するときに若いカップルがジュリアンの名をかたったことから、ドイツ人夫婦を射殺したのはジュリアンだと警察は断定する。

ジュリアンは何とかエレベーターから脱出するが、自分が別の殺人事件の容疑者として手配されているのを知る。その冤罪を晴らすためには、実際の殺人を告白しなければならない。ジュリアンは逮捕され、絶体絶命の窮地に陥る。

フロランスはジュリアンのために真犯人を捜す。ラストシーンは写真店の暗室である。ドイツ人夫婦と一緒に写っている証拠の写真をとりにきた男が暗室に入り、男を追っていたフロランスがやってくる。

ふたつの殺人事件を追うのはリノ・ヴァンチュラ扮する警部だ。彼は写真店に先回りして待っている。そこで、現像されたプリントからドイツ人夫婦と一緒に写っている若いカップルを確認する。しかし、その同じフィルムには別の写真も写っていた…

写真が犯罪の証拠になるという前提があった頃には、映画でも写真が小道具としてさかんに使われていた。「死刑台のエレベーター」は、その中でも非常にうまく写真を使った作品だ。ラストシーン、白い印画紙に次第に像が現れてくるという仕掛けがシャレていた。

先日、ハリウッド映画の大作の予告編を見たら、全編ほとんどCGだった。映画だって今やデジタルカメラで撮っている。後処理を考えたらフィルムからデジタル化するよりずっと効率的だし、経費が安くなる。スチルカメラも携帯電話に搭載されているカメラから一眼レフまでデジタル全盛だ。

しかし、動画にしろ静止画にしろ、ここまでデジタル画像が普及すると、昔のあのモノクロームの写真がとても懐かしい。大学時代に伸ばした写真を久しぶりに見てみようか。水洗だけはしっかりやったから、未だに変色はしていないと思う。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
九月は中途半端な月だと思う。まだ秋という感じにはならないし、もちろん夏でもない。着るものも中途半端だ。そろそろネクタイをしなければならないか、と思いながら一度外したネクタイを締めるのは気が重い。

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>

photo
「愛のめぐりあい」撮影日誌―アントニオーニとの時間
ヴィム ヴェンダース Wim Wenders 池田 信雄
キネマ旬報社 1996-08


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by G-Tools , 2006/09/15