音喰らう脳髄[7]冗談は小説の中だけにしてくれ
── モモヨ(リザード) ──

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テクノロイド ~JAPANESE 80's NEW WAVE SAMPLER風邪が流行っているようである。それも、ドカーンとくるやつでなく、八月の終わりごろからジワジワときて熱を出したり咳で苦しんだりということをしばし繰り返す。もう抜けたろうと思って油断をするとすぐ病状が悪化する。そんな調子の風邪に苦しんでいるという話をあちこちで聞く。

九月の頭、子供達がやられたものの何とか踏みとどまっていた私だが、先週の頭、ドカンときた。そんなわけでデジクリをお休みさせてもらった次第だが、不思議な風邪である。異常なほどに流行しているが症状に波がある。連続的に悪化傾向を著しくするわけでもなく、ゆえにマスコミなどでは警告が発せられない。しかし、突発的な熱を繰り返す。時にとんでもない高熱を出していたりする。インフルエンザではないらしいが、どうにも奇妙である。

単純に季節の推移が妙なだけかもしれないが、であるならば、これは時代の病そのものだろう、マジでそう思う。風邪の流行もあいまって、世の中の底流でぶきみな陰謀が進行しているのではないか、そんな故のない悪寒を覚えたりする。いや風邪で生理的な悪寒を覚え、肌をあわ立たせているに過ぎず、それに勝手な理由をつけているだけかもしれないが、やな感じである。


自民党の総裁選が終り『美しい日本』を著した人物が総裁の椅子につくことが確定した。当該著作は読んでいないが、いずれ正論が書かれているに違いなかろう。問題は、その論ではなく、今後、ひとつひとつの現象に対してどういう処方を施していくか、である。こんなことはいうまでもないことだ。私の悪寒とは何ら関係ない。

美意識にのっとって処断するのは内的な行為である。しかし、政治の世界、公務では美意識だけでは判断できない状況が多々ある。進むも地獄、退くも地獄、どう対応していても醜い、そんな状況は珍しくない。問題は、そうしたひとつ一つの対処にある。重複になるが、私が覚える悪寒には故がない。だから『美しい日本』が直接何事かを引き起こすとは思っていない。明確に××だから危ないということではない。

美意識で判断すべき問題も多々ありはする。北海道のフレンチブルドッグ、百代の事件などは、そのひとつ。

そういえば、このコラムでもフレンチブルドッグの百代が殺された事件のおりに一行、ほんの少しだけ触れた某作家の空騒ぎ。あれなどは、どうなのだろう。美意識のみでいえば、かの作家の関連文章は、私には猥褻物としか見えない。が、だから、それをもって彼女を断ずることはできない。その猥褻物も、世の中を過激な言辞で煽った後、それで終わりにするかと思っていたら、他の新聞に弁解文を投稿するしまつ。

彼女が何を信条にして生きるのも自由だが、人の目が注目する日刊新聞に文章を寄稿する立場であることを思えば、プロとして人の目にふれさせてよい文章とそうでないものくらいは区別すべきであろう。最初の彼女の文章を目にして心を傷つけられた人々もいよう。特に、青少年に与える影響を思えば、それこそ成人限定と読者を規定すべき内容であったと思う。その愚を繰り返している。猥褻行為もここに極まれリと私は思うのだ。ここまでやられると美意識どころか、世の人の心を故意に傷つけているとしか思えない。

告白すれば彼女の作品を私はその初期から読んでいる。初期の段階から、彼女は、命の問題に正面から取り組んできた。当然、物語には陰惨な色彩が濃くなるわけだが、その底流に浄土教的なぬくもりあればこそ、私は物語を最後まで読みとおし、その果てに光り溢れる景観のようなものを予感できたのだ。

そのぬくもりが消失したのは文学賞をとった頃からだと思う。ぬくもりのかわりに写実的傾向に拍車がかかり、陰惨な物語は、さらに絶望の色を濃くした。冷徹な観察眼と称して新傾向を歓迎する人々が多かったし、文学賞もその傾向を賞賛してのものだったが、私は、その頃から彼女の本を手にとらなくなった。今回のことで、私がなぜ彼女の本を読まなくなったのか、その理由が明晰になった気がした。読後、遥かに見えていたはずの光輝溢れる浄土が見えなくなり、悪寒のみが残るようになったのである。

現実が泥濘にまみれている今のような時代に、読者にことさらのように自らの悪夢を見せつける。ホラー小説の作者の在り様そのものと言えなくもないが、『冗談』は作品の中だけにしておいて欲しい。

Momoyo The LIZARD
管原保雄
< http://www.babylonic.com/
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LIZARD
リザード
インディペンデントレーベル 2004-08-25

by G-Tools , 2006/09/26