[2056] 好物を断ってまで精進した芸

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<一巻は六百頁近くになりそうです>

■映画と夜と音楽と…[305]
 好物を断ってまで精進した芸
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![36]
 オタクは死んだのか
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[305]
好物を断ってまで精進した芸

十河 進
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●志ん朝師匠が憧れた写真家

写真家の丹野清志さんとは、もう二十年以上のつきあいになる。何冊目の本になるのだろう、先日、ナツメ社から「写真屋稼業」という新刊が出た。もちろん、このタイトルは日活の「ろくでなし稼業」からきているに違いない。日活映画をこよなく愛する丹野さんらしいタイトルである。

丹野さんは僕より八歳ほど年上だから、石原裕次郎がデビューした頃は高校生くらいだったろうか。小林旭、宍戸錠、赤木圭一郎など、日活アクション全盛の頃に多感な青春時代を過ごしている。その後、写大を出て、当時、日本で最大部数を誇る月刊誌を出していた出版社の写真部に入るが、勤め人の水が合わず早々にフリーになった。

僕が初めて丹野さんに会ったのは、1982年のこと。当時、僕が在籍したカメラ雑誌の筆者としてだった。丹野さんは文章も書くので、連載エッセイをお願いし、僕が担当したのである。以来、個人的におつきあいいただき、このコラムにも写真家Tさんとして何度か登場している。丹野さんがいなければ、今も僕は運転免許を取っていなかっただろう。

その丹野さんから古今亭志ん朝師匠と会った話を聞いたのは、師匠が亡くなる数年前のことだったと思う。仕事でのつきあいがなくなっても、会社の近くにくると丹野さんは電話をくれる。僕はいそいそと会社を出て、近くの喫茶店で会う。映画や本の話をすることが多いのだが、そのときは丹野さんも感激したのだろう、いきなり「古今亭志ん朝師匠に会ったよ」と始まった。

雑誌の「クロワッサン」で志ん朝師匠のインタビューが載ったとき、最後のコメントが「丹野清志さん、彼のように撮りたいですね。カメラで日記を書くような人で、瓦一枚写っていたりする。気負いがなくて、いいな、そういうのって」だったという。

「クロワッサン」の記事には志ん朝師匠がライカを構えている写真と実際に撮った写真が掲載されていた。それを見た丹野さんの知人の落語協会の人が引き合わせてくれたのだ。古今亭志ん朝師匠は相当に写真が好きらしい。僕は後に知ったのだが、志ん朝師匠の十歳年上のお兄さんである金原亭馬生師匠も高校生の頃からカメラが趣味で、自宅で暗室作業までやっていたそうである。

しかし、「丹野さんのような写真が撮りたい」とは、なかなか言えないセリフである。丹野さんの写真はすごくいいのだけど、地味である。写っているのは農家のおじいさんやおばあさん、田舎の子供たちや田園風景である。僕は丹野さんをスナップの名人だと思っているけれど、丹野作品の良さはじっくり見ないとわからない。

丹野さんは志ん朝師匠と会った後、礼状と共に自分の写真集を送ったが、師匠からは「お贈りいただいた写真集は買い求めて持っているので、これは写友に差し上げようと思います」という丁寧な手紙が届いた。

こういうことを書くと申し訳ないが、丹野さんの写真集はそんなに部数を刷っているわけではない。僕は「えっ、昔出したあの写真集を持っていたのですか」と丹野さんに聞き返してしまった。失礼な話である。

もう何年か前になるが、丹野さんの数十年の写真の中から人物の「貌」をテーマに選んだ写真集が出て、朝日新聞の読書欄で紹介されたことがあるけれど、それも「売れた」とは聞いていない。

「それで、会談はどうなったんですか」
「それがね、こっちも憧れの師匠に会うわけだろ。両方で『師匠』『先生』と言い合っているうちに時間がきちゃったよ」

丹野さんは、そういう場面でひどくシャイになる。含羞の人なのである。その話を聞いて僕は思った。古今亭志ん朝師匠も、きっと含羞の人に違いない、と…

●タワーレコードで落語CDを買う

その丹野さんと、先日、会った。僕が最近、古今亭志ん朝師匠を追悼して歴代の弟子たちがいろいろ話したことをまとめた「よってたかって古今亭志ん朝」という本を読んだことを話したものだから、自然と志ん朝師匠の話になった。

「その本読んだら、やたらに志ん朝師匠の落語が聞きたくなって、この間、帰りにタワーレコードに寄ってCDを買って帰りましたよ。タワーレコードで落語のCDを買うというのもなかなかオツなもんです」

僕のそんな言い方に「寄席へいきなさい」と丹野さんは冷ややかに答えた。丹野さんは師匠が亡くなった後、写真集を出す話を落語協会の人を通してしてもらったようだ。「志ん朝さんはドイツびいきでね、ずっとライカを愛用していたんだ。あのライカどうなったかな」と丹野さんはつぶやいた。

その数日後、いつものように某出版社のIさんといつもの店で呑んでいるときに、Iさんが寄席に誘われたのにいけなかったという話から、落語家の話題になった。Iさんと落語の話をしたことはなかったと思うが、他のジャンル同様Iさんは落語にも詳しかった。

「この前、買ったCDは三百人劇場でやったときの録音みたいです」
「あのときはよかったという評判ですね」
「聞いていると映像で見たくなるんです。でも…」
「そう、映像は残したくないと言っていたようですね。テープを録るのだって厭がってたと聞きますから」

志ん朝師匠は弟子に稽古をつけるときでも、絶対にテープを録らせなかったという。落語の芸は生でなければならない、一場限りの消えてなくなるものでいい、そんな覚悟で生きていたのだろう。それでも、少ない音源が残ったのは、僕のような遅れてきた落語ファンにはとてもうれしいことだ。

やはり早くに亡くなった志ん朝師匠のお兄さんである金原亭馬生、そのふたりの父親である伝説の古今亭志ん生、彼らも少しは録音が残っている。それらを聞くという楽しみが僕にはまだあるのだ。落語は寄席で聞くべきという意見に耳を傾けるつもりはあるけれど…

●「平成狸合戦ぽんぽこ」の語り

僕にとって古今亭志ん朝という人は、NHKドラマ「若い季節」に出ていた若手の落語家という印象だった。小学生の頃に欠かさずに見ていたドラマである。その後、思い出すと浮かんでくるのは初期の「鬼平犯科帳」(鬼平は先代の松本幸四郎だったか、丹波哲郎だったかはっきりしないけれど)の女にだらしない同心・木村忠吾である。

最初、役者になろうと思っていた志ん朝師匠は、芝居もおろそかにはしていない。舞台もいろいろ出演している。しかし、映画ではこれといった印象的な役がない。ネットの日本映画データベースで検索したら出演作が12本ヒットした。そのうち、僕は4本を見ていた。

1963年に出演した「咲子さんちょっと」は、テレビで人気が出たドラマの映画化だった。咲子さんは江利チエミが演じた。どこに出ていたか、まったく記憶にない。1968年の「日本一の裏切り男」は植木等主演シリーズで僕が最も評価する作品だが、やはりどこに出ていたか覚えていない。デモ中継のアナウンサー役らしいから、ワンシーンの顔見せ出演だろう。

驚いたのは渥美マリ主演「裸でだっこ」(1970年)という映画に出ていたことだ。僕は見ていないが、大映が倒産間際に量産した際どい映画群のひとつである。翌年には、やはり倒産しかかっていた日活で「女子学園 おとなの遊び」に出ている。これは夏純子の主演シリーズでタイトルの割にはよくできていた。その後、1974年に実相寺昭雄監督の「あさき夢みし」に為家の役で出た後、映画出演は途絶えたようだ。

僕が見た古今亭志ん朝師匠出演の最後の映画は1994年に公開されたスタジオ・ジブリの「平成狸合戦ぽんぽこ」である。このアニメーション作品で師匠は全編の語りを担当している。狸たちが活躍する、このとぼけた愛すべきアニメーションの仕事は、まさに師匠に最適だったと思う。

古今亭志ん朝、本名は美濃部強次。昭和十三年(1938年)三月十日に生まれる。昭和三十二年(1957年)に前座名・古今亭朝太を名乗る。昭和三十四年(1959年)に二ツ目に昇進し、三年後の昭和三十七年(1962年)に真打ち昇進。三代目古今亭志ん朝を襲名した。

以来、四十年近く古今亭志ん朝の名を大きくして、平成十三年(2001年)十月一日に亡くなった。享年六十三歳。落語家としては、まだまだこれからという歳だった。父親の古今亭志ん生は八十三歳まで生き、晩年は病気のために高座には昇らなかったが、名人の名をほしいままにした。

古今亭志ん朝師匠の一周忌に合わせて出版されたお姉さんの美濃部美津子さんの「三人噺 志ん生・馬生・志ん朝」(文春文庫)には、父親と弟たちに関するいい話がいろいろ載っているが、中でも印象に残ったエピソードがある。

ずっとうなぎを食べなかったから、美津子さんは志ん朝師匠はうなぎが嫌いなのだと思っていた。しかし、あるときテレビ番組に出た師匠が「最後の晩餐には、うなぎが食べたい」と言ったのでひどく驚いたという。

──志ん朝の守り本尊が虚空蔵様でね。谷中に虚空蔵様を奉った小さなお寺があって、お正月やことあるごとに「芸が上達するように」というんで熱心にお参りしてたの。その虚空蔵様のお使いがうなぎだったんですよ。

師匠が亡くなった後、お姉さんはうなぎ屋で陰膳を用意し「強次、食べな。大好きなうなぎだよ。本当は好きだったのに食べないで、一生懸命頑張ったんだね」と語りかける。

噺家になった十九の頃から四十四年間、好きなうなぎを断ってまで自分の芸を磨こうとした人なのだ。CDでもいいから、改めて聞き直してみたい。もうすぐ五回目の命日がやってくる。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
単行本は一回目からの全編を二巻に収録する予定で、四百字詰め原稿用紙三千枚強をすべて整理し直しました。一巻は六百頁近くになりそうです。沢木耕太郎さんの作品集「ミッドナイト・エキスプレス」みたいに分厚くてコンパクトな二段組みになるといいなと思いますが、読む方は大変でしょうか。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html >

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■Otaku ワールドへようこそ![36]
オタクは死んだのか

GrowHair
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去年は「電車男」が話題になったりして、オタクにとっては順風が吹いた年だった。さすがに、オタク男と負け犬女の結婚ラッシュなんて現象が起きるまでには至らなかったけど、世間のオタクを見る目は、犯罪予備軍から珍獣へと格段に向上した。しかし、今後、社会の中でオタクの位置がどうなっていくのかとなると、まったく不透明と言わざるをえない。

●岡田氏のオタク死亡説

オタクをめぐる言説のうちでも特に斬新なのは、岡田斗司夫氏によるオタク死亡説である。これは、5月24日に新宿ロフトプラスワンにて開かれたワンマントークショー「オタク・イズ・デッド」で提唱されている。

岡田氏は10年前「新世紀エヴァンゲリオン」がテレビ放送されていた当時、制作会社である(株)ガイナックスの社長であったことで有名だが、それ以前からも一貫して評論活動に精を出しており、著作も多く、そっちでも有名である。オタクを、高い情報処理能力などのすぐれた特質をもつ進化した存在として、平均的な一般人よりも高い位置に置いている。

そういうわけで、オタクにとって岡田氏は、世間から吹いてくる冷たい風を巨体で受け止めて庇護してくれる防風林のような存在で、「オタキング」とも呼ばれている。その岡田氏に「オタクは死んだ」と言われるのは、ニーチェに「神は死んだ」と言われるよりも衝撃的である。

ところで私は、8月13日(日)、コミケで岡田氏の講演の内容が記録された同人誌を見つけたことで、その講演があったことを知った。後でもう一回立ち寄ってみると、なんと、岡田氏がみずから売り子をしていた。まるで恐竜展に行ったら生きた恐竜が歩いていたみたいな驚きであった。まさかご本尊にお目にかかれるとは。畏れ多くて話し掛ける勇気もなく、乙女のように遠くから見つめてもじもじしているしかなかった。

●死んだのは連帯意識

岡田氏の言説を要約すると、「漫画、アニメ、ゲームなどのオタク向け作品は続々と生み出されているし、それぞれのファンも健在である。しかし、世間とは違う生き方をしているハズレ者どうしの、ジャンル横断的な連帯意識が著しく薄れてしまった」ということである。それは、SFのファンの間で一度起きたことだとしている。

ハヤカワSFシリーズが名作や新しい話題作を中心に出版された1964年ごろがSFの一番熱い時期で、その読者が第1世代と呼ばれる。それから4年後には、ファンタジーやニューウェーブなどからSFに入ってきた人たちが登場し、第2世代と呼ばれる。両者の間には世代間闘争が起きたが、共通したメンタリティとして、SFを精神の修練のように捉え、あらゆるサブジャンルにわたって100冊、1000冊と読んでいかないとSFが分からないとする、勉強熱心で求道的な態度があった。

ところが、1970年代半ばに「ガンダム」と「スターウォーズ」から人が大挙してSF界に参入してくるに至り、彼ら第3世代は、お互いに分かり合わなくてはならないという意識をもっておらず、好きなものしか見なかったため、ファンとしてのまとまりが崩壊してしまった。その背景には、映像の分かりやすさがあった。映像を見れば、努力なしに、一瞬にしてSFというものを感覚的につかむことができる。結果として、SFファンとしての連帯感や誇らしさが失なわれ、単なる趣味のひとつになってしまった。

オタクにも同様のことが起きているという。大雑把に、1960年代、'70年代、'80年代生まれをそれぞれ第1世代〜第3世代とする。それ以前はオタク原人、あまりオタクらしい特徴は備えていなかったという。

第1世代は、子供のころからテレビが家にあった最初の世代で、オタクとしての意識は貴族に近いという。一般庶民とは生まれが違う貴族の特権として、漫画やアニメの面白さが分かる才能が与えられていると思っている。ノーブレスオブリージュ、つまり、特権と引き換えに引き受けるべき当然の義務として、勉学を怠ってはならないと考え、漫画やアニメを趣味ではなく、人格形成とか人間修養の場と捉えている。

第2世代は、連続幼女誘拐殺人事件や地下鉄サリン事件などで、世間から同類とみなされて迫害された世代で、意識はエリートであるという。差別に対抗するには戦闘的な姿勢にならざるをえず、「オタクですが、何か問題でも?」と開き直って、意地を張って生きていく。オタクとは自分の意志で選び取り、努力してなるもの、という実力主義。

当然、世代間闘争が起きる。貴族からエリートを見ると、社会の中で地位を得ようとする必死のあがきがみっともなく見え、エリートから貴族を見ると、先に生まれたってだけで業界のご意見番みたいなでかい顔をして殿様ぶっているのが腹立たしい。しかし、腹の底ではちゃんと分かり合っている。

第3世代は、ひとつの作品がライトノベルから漫画、アニメ、ゲームのすべてに展開するメディアミックスの世代で、メンタリティは快楽主義。オタクという種族全体の社会的地位を支える理論武装など不要で、自分の好きな作品だけ見て楽しめればよい。貴族もエリートも要らないのである。

そこには「オタク」=「萌える人」、「萌え」が分かれば即オタク、という分かりやすさの蔓延があるという。ひとつのサブジャンルで「これが萌えだ」という感覚がつかめると、簡単にオタクへの切符が手に入ってしまう。「ミリタリー萌え」という言葉もいちおうあるが、それが備長炭を頭に乗せた少女キャラ「びんちょうタン」に対して抱かれる「炭萌え」と同一の感情かと言えば、疑問を禁じえない。

結果として、バベルの塔のように、サブジャンル間で言葉が通じなくなってきている。どうも感性が違い、同じ仲間とは思えない。オタク統一民族としての相互理解という幻想が崩壊し、オタク文化の維持は不可能になった。「これがオタクだ」という中心概念が存在しえなくなったのである。

だから、今となっては、オタクを定義することも不可能であるという。岡田氏はこの講演の中で、斎藤環氏のメンタル面からの定義や、森川嘉一郎氏のダメ志向という定義について、まるで東京だけを見て日本を論じてるみたいな底の浅さを感じる、と批判している。

斎藤氏は以前、岡田氏のオタクを持ち上げた定義に対して「病理的側面をあえて見ない、一面的な印象を与える」と言っており、お互いに狭い狭いと批判しあいっこなのだが、オタクがあまりにも多様化した今となっては、全体の把握は不可能という点では意見が一致している。

かくて、オタクは死んだ。去年ぐらいにオタクがどっと増え、オタク市場が何千億円と騒がれたのは、実は盛大な葬式だったのだという。

●死というよりは分裂か

「死んだ」と言えば衝撃的だが、冷静に捉えると、ソ連が崩壊してみたら国がたくさんあった、というような状況なのではなかろうか。もともとオタクとは変人集団である。常識ある一般人が真ん中にごちゃっと固まっているとしたら、変人はその周辺に円環状に分布する図式。正反対に位置する者どうしは「変」の方向性がまるで逆で、もともとひとつのカテゴリーでくくりようがないのである。一般人からの圧力に対抗する便宜上、まとまっていたようなものである。この圧力が緩んできた以上、結束がほどけてばらばらになっていくのは自然なことと言える。あのヨーロッパがEUという形でまとまったのは、アメリカの横暴への対抗策であって、今後もしアメリカが弱体化すれば、再びばらけていくだろう。

「オタクが死んだ」という現象は、別の観点から捉えなおすと、「情報のセグメンテーション化(区画化)」という潮流がオタクの世界の内部にまで浸透してきた、とみることもできるのではなかろうか。

「情報のセグメンテーション化」とは、偉い社会学者が提唱した概念というわけではなく、私が勝手に言っているだけなのだが、ひとつひとつの情報単位が、ある一定のコミュニティ内ではまんべんなく流通するのに、コミュニティの壁を越えて伝達されることがほとんどないという現象である。ここでいうコミュニティとは、現実のある地域内の住人ということではなく、特定のジャンルに興味をもつ人々の情報ネットワークのようなものである。

'70年代ぐらいまでは、国民全体に日本人としての誇りみたいなものがあって、みんなで一丸となってがんばろう、とか、沈むときはみんな一緒だ、みたいな連帯意識があった。大晦日には紅白歌合戦を見るときまったものだ、とたいていの人が思っており、そういうことを通じて「日本人の心」を再確認しあうのだという感覚があった。常識とされる知識はみんなで共有しあい、情報の流れに壁というものが感じられなかった。あらゆる人があらゆるジャンルにある程度の知識はもっていたのである。

何かが流行れば、みんながわっと飛びつき、たまたま乗り遅れた者は「おっくれてるぅ〜」と揶揄された。「オヨヨ」が流行語になれば、日に10回ぐらいは聞いた。流行に乗り遅れることが恐怖だったのである。

今は人々のライフスタイルが多様化し、日本人全体の一体感は著しく希薄になった。人と違う道を行っても、それほどやいのやいの言われなくなり、隣りを気にせず、好きなことを追求できる。情報を取得する動機も、他人に遅れまいとしてではなく、各人が好きなジャンルで動向を把握し、専門知識を蓄積していきたいからというふうに変化してきている。

それと、インターネットの普及などにより、情報の絶対量が爆発的に増大しているという現状がある。あらゆる方面のあらゆる情報があらゆる人に届けられたりしたら、たちまち情報の大洪水となり、人々は取捨選択や蓄積が追いつかなくなり、あっぷあっぷしてしまうだろう。それで、情報は、それを欲しがっている人にさえ届けばよいとされるようになってきたのではあるまいか。その結果、特に芸術や文化や趣味の方面で、情報はそれぞれのセグメント内では瞬く間に流通するが、よほどのきっかけがない限り、セグメントの壁を越えていかないという現象を生み出している。

オタクという集団も、情報流通のひとつのセグメンテーションをなしていた。またいつもの例だが「ローゼンメイデン」という作品は、オタクの間では相当ヒットしたと認識されているが、一般人に聞いてみると、知らない人がほとんどなのである。セグメントの内外で、情報の行き渡る率に極端な開きがあるのである。

今はそれがもっと進んで、オタク全体というセグメントがさらに細分化されてきており、その細分化されたセグメント間での情報の流れが悪くなってきている。オンラインゲームで何が流行っているのかアニメファンは知らないとか、オタクだけどメイド喫茶には行きたくもならないとか、そういうことが普通になってきている。それが、岡田氏の言う「オタクは死んだ」ということなのだろう。

排他的な姿勢は、受信側からだけでなく、発信側からも示されている。コスプレイヤーのホームページへ行くと、お決まりの記述に「こちらはxxxxの自己満足コスプレサイトです。コスプレにご理解のない方、嫌悪感を持つ方の閲覧はご遠慮願います。ご覧になってからの苦情等は一切受け付けません。同意された方のみお入りくださいませ」とある。

もっとも、紀元前4世紀、プラトンのアカデメイア(哲学の学校)の入口には「幾何学を知らざるものは、この門を入るべからず」と刻んであったというから今に始まったことではないが。「理解できない人は理解してくれなくていいから放っておいてくれ」という姿勢である。考え方の多様性は、そのままにしておけばよく、相互理解を目指して言葉を交わしても、結局は感情的なやりとりになって、お互いに傷つくだけである。それよりも、不干渉により、相互理解を放棄し、表面上の平和を保った方が賢いというものだ。

それでもいいけど、漫画やアニメの中には一般の大人の方々でもきっと楽しんでいただけそうな質の高い作品はたくさんあるのに、情報が流通していかないのは、なんとももったいないような気がする。何か次の展開があってもいいのではなかろうか。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
最近あんまりカメコってないなぁ。今日(9/24)は同人誌即売会「アンジェ金時」に行ってきた。いつもながら自意識が揺さぶられる、乙女ばかりで大混雑の環境。800サークルがカップリング別に配置されてる! みんな感性が豊か、絵がきれい、表現が繊細。ネオロマ大好き。俺も感性磨かねば。こういうやつを「腐女子」ならぬ「腐男子」あるいは「腐兄」というそうな。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/ >

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■編集後記(9/29)
・子どもの発熱ってじつにいやなものだ。もうじき一歳の男児が連日40度に達する高熱を発している。今朝はだいぶ下がったとのことだが、これで一安心というわけにはいかない。昨日はその母親(=わたしの娘)のお供でかかりつけの病院に行った。だっこしていた赤ん坊は熱くて、こっちが汗だくになった。医師のみたてでは、風邪ではない、突発性発疹かもしれない、様子をみましょうとのことだった。その場合、熱性けいれんが起きることがあり、それはかなりショッキングな様子なのであわてないようにと、その症状を実演して見せてくれたそうだ。そんなわけで、とくに処置はないので、相変わらず高熱のままの一日だった。しかし、機嫌はいつもと変わらないし、食欲もある。家に帰ってからネットで調べたら、まさしくこれは突発性発疹の症状である。娘も最初から、「もしかしたら突発だから」と、それほど焦っていないのだ。最初の子で経験済みだ。これが、核家族で相談する人もいない環境の若い父母だったら、赤ちゃんが初めての発熱、しかも高熱が何日も続く、となると心配で気も狂わんばかりだろう。うちの娘の場合は、ネットで調べるとか、ママ仲間の情報網でいろいろ情報を得られるので案外と落ち着いている。今日あたり熱が下がり、赤い発疹が身体中にできればいっちょあがりだ。ああ、早く「赤いブツブツが出たよ」の知らせが欲しい。早く安心させてくれ。「人間は病気を直すために熱を出している。41度までの熱なら高熱そのものが原因で死ぬことはないし脳症も起こらない」それは分かっている。しかし、熱が下がるのをただ待っているのはつらい。(柴田)

・眠い。オーバーワーク。区切りがついたら寝込みそうな予感がする。で、後記ネタはなく……。質問。2つの数字を使って10を作れ。シンキングタイム。CM明け。質問。2つの数字を使って10を作れ。2+8、5+5のような人が多いと思う。次に2*5かな。90/9、1000-990のような答えを出した貴方、発想が豊かですね。分数あたりまで出してきた方、ひねくれてます(笑)。(hammer.mule)