映画と夜と音楽と…[306]心映えの美しさ…というものがある/十河 進

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蝉しぐれ プレミアム・エディション●十五年かかった悲願の映画化

黒土三男という監督はもっと若い人かと思っていたが、調べてみたら僕より四歳ほど年上だった。今まで数本の映画を撮っているが、僕が見たのは萩原健一が主演した「渋滞」(1991年)という映画だけである。木下恵介プロダクションで助監督として修行し、その後、テレビシナリオの仕事を中心にしてきた人のようだ。

黒土監督が六十近い歳だと知って「蝉しぐれ」の映画化に思い入れている理由がわかった気がした。「蝉しぐれ」は、やはりそれなりの年齢を重ねてから理解できるようなところがある。藤沢周平が「蝉しぐれ」を地方新聞に連載したのも、六十歳前後のことだった。

藤沢周平のすべて黒土監督は「藤沢周平のすべて」という本に原稿を書いている。その本は藤沢周平さんが亡くなった後、藤沢さんを偲んで文藝春秋が出版したもので、藤沢周平の思い出や作品論などを様々な人が書いているが、黒土監督は「いのいちばんに」と題し、熱狂的な調子で「蝉しぐれ」の映画化について書いている。

——七年前、『蝉しぐれ』を読んだ。大声出して、わめきたい程に感動した。そして、何としてでも映画にしたいと思った。

しかし、この時点では、まだ「蝉しぐれ」の映画化のめどは立っていない。藤沢周平さんが亡くなったのが1997年1月26日。それより七年遡るとなると、黒土監督が「蝉しぐれ」を読んでから映画の公開までには十五年かかったことになる。黒土監督の悲願は、十五年経って実現したのだ。


蝉しぐれ映画版「蝉しぐれ」が公開されたのは、去年の秋のことだった。市川染五郎が主人公の牧文四郎を演じ、木村佳乃がヒロインのふくを演じた。その二年前、2003年に「蝉しぐれ」はNHKの連続時代劇として映像化されたが、そのときのシナリオも黒土監督が書いている。主演は内野聖陽と水野真紀だった。

「蝉しぐれ」は青春小説であり、悲恋小説であり、ひとりの武士の成長小説でもある。それぞれに鮮やかな場面が原作にはあり、それを映像化するにあたって黒土監督の思い入れは相当なものだったのだろう。優れた映画とは言い難いが、作り手の気持ちが伝わってきたのか、映画版「蝉しぐれ」は僕のような原作の愛好者を最後まで惹きつける力を持っていた。

藤沢周平の小説の特徴である風景描写の素晴らしさを再現するために、おそらく日本中をロケハンして見付けたであろうロケ地は素晴らしい。光をとらえるカメラワークも力が入っている。それはタイトルバックのシーンに込められた映像へのこだわりからもわかった。

「蝉しぐれ」のタイトルバックのシーンは日盛りのだらだら坂である。その坂を見上げると、木々の枝葉がトンネルのようになっていて、その向こうに夏の陽光があふれている。タイトルが出てから主要なキャスト・スタッフの名が現れるのをずっと見ていると、そのあふれる陽光の中から誰かが現れそうな気がする。

それは文四郎が切腹した父の遺骸を大八車に乗せて登る坂道に違いない。そのとき、日盛りの向こうからふくがやってくるはずだ。ふくは遺骸に向かって手を合わせると、文四郎を手伝って大八車を押し始める。ふくと文四郎が心を通わせる少年時代のクライマックスシーンである。

映画が始まって数十分経ったとき、その坂道のシーンが現れた。やはり、僕が予感したとおりだった。そして、十二歳のふくが坂道の向こうから現れ、駆け下りてくるシーンはハイスピード撮影されていた。

●かなしいほどにいとおしむ気持ち

「蝉しぐれ」は十五歳の牧文四郎が顔を洗いに裏の小川に出たところで、隣家の娘ふくと出会う場面から始まる。ふくは十二歳である。文四郎が顔を洗っているときに、ふくが蛇に噛まれて小さな悲鳴を上げる。文四郎はふくの指をくわえて血を吸い出す。小説は常に文四郎の視点で展開するから、ふくの心理は描写されない。

文四郎とふくの物語は悲恋である。父が藩の政争に巻き込まれ切腹を命じられた後、文四郎と母は藩からの捨て扶持で足軽長屋に暮らすことになる。ある日、文四郎が道場の稽古で遅く帰ったとき、母から「ふくがたった今帰った」と知らされる。ふくは「江戸へいくことになった」と言いにきたのである。文四郎はふくを追うが、会えないまま終わる。そのことが文四郎の生涯の悔いになる。

——文四郎はやはりふくに会えなかったことが取り返しのつかない過失だったように思われて来るのだった。もし推察するような気持ちを抱いてたずねて来たとすれば、それはふくの告白にほかならないことになろうか。

ふくは遠く江戸に去る。やがて、家禄が旧に復することになった文四郎は、そのことを知らせにふくの実家に赴くが、そこで知らされたのは江戸屋敷の奥に勤めたふくに藩主の手がついたということだった。それを聞いた文四郎はふくをかなしいほどにいとおしむ。

──では、終わったのだと文四郎は思っていた。(中略)蛇に噛まれたふく、夜祭りで水飴をなめていたふく、借りた米を袖にかくしたふく、終わったのはそういう世界とのつながりだということがわかっていた。それらは突然に、文四郎の手のとどかないところに遠ざかってしまったのだ。

ここで描かれた喪失感は、読んでいると心の奥底に響いてくる。自分の少年時代の終わりを甦らせる。何を失ったのか、具体的には言えない。しかし、大切なものが手の届かないところに遠ざかってしまった、という気持ちを味わったことは、おそらくどんな人にも経験があるだろう。悲しい…、無性に悲しい、胸がかきむしられる。

だから、二十数年後、ふくは藩主の死後、尼になることを決意したそのときに文四郎と会うことを切に願うのだ。彼女が失ったもの、それも自分の意志に反して奪われたものを取り戻すために…。彼女は精いっぱいの意思表示を、こんな言葉に込める。

──文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか。

最初の章である「朝の蛇」に登場した十五歳の少年と十二歳の少女は五年後につかの間再会し、最終章「蝉しぐれ」で四十過ぎの男女として初めてふたりだけの時間を持つ。その長かった時間と、それほどまでに惹かれ合うふたりがだだ一度の逢瀬だけで諦めねばならぬ理不尽さを思い、歯ぎしりするほどの無念さが湧き起こる

●美しい背景と人を想う心映えの美しさ

「蝉しぐれ」を僕は何度読み返したことだろう。文庫本を買ったのが、もう十五年も昔のことになった。何度読んでも、読み終わった後に胸に迫るものがある。郷愁だろうか。解説を書いている文芸評論家の秋山駿は「晴朗さが漲っている」と書いているが、心が洗われたような爽やかな気持ちになる反面、胸かきむしられるせつなさ、ままならない人生を思ってため息をつくやるせなさが湧き起こる。

「蝉しぐれ」で描かれるのは、どんな逆境に陥っても誇りを失わず懸命に生きる美しさであり、人が人のために尽くす心映えの美しさである。人を想う胸迫る気持ちは、一本の太い幹のようにこの小説を貫いている。それは去った女性への哀惜であり、父の子に対する想いであり、子が父を慕う気持ちであり、友を気遣うやさしさである。そして、誰もが心映えの見事さを見せる。

黒土監督も原作が描く人の気持ちの美しさを映像化するのに腐心したのだろう。文四郎が切腹前の父と最後の対面をするシーン、その文四郎を気遣って待っていた友人の逸平と話すシーン、どれも力のこもったものになっていた。美しい背景と共に人が人を想う心映えの美しさが伝わってくる。

父(緒形拳)との対面は、文四郎から見て逆光で捉えられる。父はシルエットとして現れ、表情がよくわからないまま(それは涙で父の顔がよく見えない文四郎の視線を想像させる)会話をする。「父を恥じてはならん」と言い、息子の精進を誉めたうえで「はげめ」と激励する。去り際には「登世をたのむぞ」と妻を気遣って言い残す。

父との対面を終えた文四郎と逸平が会話をするシーンは、夕暮れだろうか、文四郎の心を映したような昏い空を背景に枯れた立木が印象的である。友を気遣う逸平は「泣きたいのか…、泣きたかったら存分に泣け。俺はかまわんぞ」と言う。

──もっと他に言うことがあったんだ。だが、父上に会っている間は思い付かなかった。
──そういうものだ。人間は後悔するようにできている。

その後、文四郎は声を詰まらせながら「父上を尊敬していると言えばよかった。母のことは心配いらぬと俺から言うべきだった。何よりここまで育ててくれてありがとうございましたと言うべきだった」とうなだれる。逸平はそんな文四郎を黙って見守っている。

そのシーンを見ながら、かつて僕も友人にそんな風に気遣われたことがあったのだと、遠い思い出が甦ってきた。記憶が掻き立てられた。かつての自分は、そのように友に気遣われる価値のあった人間なのだ。そう思うと、今の自分に忸怩たる思いを禁じ得ない。僕は何かを失ってしまった…

心底から友を想う。気遣う。見守っている。そんな気持ちを長い間、僕は忘れていたんじゃないだろうか。そんな慚愧の念と共に、自分もかつて友を気遣ったのだと、悲しくなるほど人を想ったことがあるのだと、記憶の底から浮かび上がってきた。

心映えの美しさを取り戻さねばならぬ、どんな逆境に陥っても不遇なときがやってきても卑屈にならず誇りを持って毅然と生きねばならぬ、なくしてしまった何かを甦らせねばならぬと、まるで時代劇の主人公のように僕は決意した。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
メガネを七年ぶりに新調した。眼鏡屋の口車に乗せられて、自分史上最も高価なメガネになった。小心者の貧乏性だから、すでに後悔している。しかし、一万円以下でメガネが作れる時代だというのに、つくづくへそ曲がりなのだと思う。形状記憶合金のフレームが気に入ったのだけど…

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蝉しぐれ
藤沢 周平
文芸春秋 1991-07
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by G-Tools , 2006/10/06