映画と夜と音楽と…[312]ローレン・バコールの瞳/十河 進

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愛蔵版 グレート・ギャツビー●村上春樹版「グレート・ギャツビィ」が出た

このところまた、村上春樹さんを巡る話題がにぎやかだ。まず、東京でハルキ・ムラカミをテーマにしたシンポジュウムが開催された。世界のハルキ・ムラカミの翻訳者たちも多数参加したらしい。おそらく世界で最も翻訳されている日本の現役小説家は村上さんだろう。多くの国で翻訳され部数もかなり出ているという。

そのシンポジュウムの頃から「次のノーベル文学賞はハルキ・ムラカミだ」という評判が高くなった。実際に有力候補ではあったらしい。だが、ノーベル賞は受賞できず、フランツ・カフカ賞を受賞した。そのプラハでの授賞式で初めて村上さんは共同記者会見を行ない、それが朝日新聞にも大きく報道された。

村上さんは別にマスコミ嫌いというわけではないと思う。僕の友人のカメラマン加藤孝は、昔から何度か村上さんを取材している。中公文庫「中国行きのスロウ・ボート」のカバー裏に載っている村上さんの写真は加藤くんが撮ったものだ。ある雑誌で村上さんの仕事部屋を撮影したときは、オリジナルプリントを見せてもらったこともある。


中国行きのスロウ・ボートしかし、朝日新聞に掲載されたフランツ・カフカ賞の授賞式の写真は、村上さんに気を遣ったのか、記者団に答える斜め後ろからの姿しか写っていない。珍しくネクタイをしているようだった。その記事の数週間後、村上春樹訳「グレート・ギャツビー」の書籍広告が掲載された。箱入りの愛蔵版(付録の小冊子が付いている)とペイパーバックサイズの軽装版が出ていた。

偉大なギャツビー「えっ、もう翻訳を出したんだ」と僕は思った。昔から村上さんは「いつか『グレート・ギャツビー』の翻訳を出す」と言っていたから僕は心待ちにしていたのだ。その日の昼休み、僕は書店でその本を買った。もちろん本体2,800円の愛蔵版の方である。夜、僕は野崎孝訳の「偉大なギャツビー」を取り出し、書き出しのフレーズを比較してみた。

村上春樹はくせになる先日、朝日新聞が創刊した朝日新書シリーズの第一回配本の中に「村上春樹はくせになる」という本があり、今まで村上さんについての評論などは一切買わなかった僕が珍しく買ってしまい、それなりに面白く読んだ。その本を読んだ効用は、長く読めなかった「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に興味がわき、二十一年ぶりに箱入りの本を取り出し読み始めたことだった。

1985年の初夏のことだと思う。僕は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」が出てすぐに買ったのだが、50ページも読み進めなかった。その五年前、「文學界」1980年9月号に「街と、その不確かな壁」という村上さんの小説163枚が載り、それを読もうとした僕はあまりの生硬さ、観念的な会話に閉口して読めなかったのだ。学生が書く習作のような作品だった。

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」はふたつの物語が交互に語られる構造だが、「世界の終わり」と題された物語は「街と、その不確かな壁」をベースにしていたのである。おそらく「街と、その不確かな壁」に感じた幼稚にさえ思える観念性が僕に読み通すことをさせなかったのだろう。

だが、二十一年ぶりに本を開いた僕は、なんとわかりやすい物語だろう、と思った。「ハードボイルド・ワンダーランド」は私立探偵小説的展開を下敷きにしたある種のパロディになっていて僕には馴染みの世界だったし、「世界の終わり」からは深い悲しみと喪失感が伝わってきたのである。

●「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読む

村上春樹全作品 1979~1989〈4〉 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド二十一年ぶりに読み始めた「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は一週間ほどの通勤時間だけで読み終えてしまった。「ハードボイルド・ワンダーランド」は「私」という一人称で語られるのだが、「私」は何かと映画を話題にする。

アフターダーク村上さんは早稲田大学の卒論を映画をテーマにしたと聞いていたので、かなりな映画好きだろうと思っていたが、他の小説ではそんなに映画のタイトルを出してはこない。近作「アフターダーク」でゴダールの「アルファビル」を重要なモチーフに使い、ゴダールへの偏愛をうかがわせたのが珍しいくらいだった。

しかし、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」には、「ワーロック」のヘンリー・フォンダについての言及やジョン・フォードに関する記述などが頻出する。

ある章のタイトルの中に「ベン・ジョンソン」の名が出てきたときには黒人ランナーの方を連想したのだが、読むとジョン・フォード映画で脇役としてよく登場したベン・ジョンソンだった。暗闇の中で崖をよじ登りながら「私」は案内役の娘とこんな会話を交わす。

「ベン・ジョンソンのことを考えていいかな?」と私は訊ねてみた。
「ペン・ジョンソン?」
「ジョン・フォードの古い映画に出てくる乗馬のうまい俳優さ。すごくきれいに馬に乗るんだ」

そんな会話を読みながら、「私」の映画ファンぶりに僕は子供っぽいこだわりのようなものを感じ(人のことは言えませんが)、ほほえましく思った。だいたい「ワーロック」のヘンリー・フォンダを出してくるのは相当にマニアックだと思う。

「ワーロック」は僕も大好きな西部劇だが、ヘンリー・フォンダは複雑な役で善人なのか悪人なのかわからない。相棒のアンソニー・クィンもいい味を出すが一種の悪役だ。真の主人公は、悪党面のリチャード・ウィドマークだと僕は思う。誰が主役かよくわからない映画なのである。

さて、7章のタイトルは「ハードボイルド・ワンダーランド(頭骨、ローレン・バコール、図書館)」となっていて、ローレン・バコールがどう出てくるか楽しみに読んでいたら、こんな文章が出てきた。

──ヴィデオ・テープでハンフリー・ボガートの『キー・ラーゴ』を観た。私は『キー・ラーゴ』のローレン・バコールが大好きだった。『三つ数えろ』のバコールももちろん良いが、『キー・ラーゴ』の彼女には何かしら他の作品には見られない特殊な要素が加わっているように私には思える。それがいったい何であるのかをたしかめるために私は何度も『キー・ラーゴ』を観ているのだが、正確な答はまだ出ていない。それはあるいは人間存在を単純化するために必要な寓話性のようなものかもしれない。

●映画は男女の関係性さえ映し出す

キー・ラーゴ「キー・ラーゴ」(1948年)はシチュエーション・ドラマである。ギャングたちに支配された海辺の小さなホテルでの人間の行動を描いた物語で、ベースになったのは舞台劇だ。それを監督のジョン・ヒューストンがリチャード・ブルックスと共に脚色した。

第二次大戦が終わって数年、フランク・マクラウド(ハンフリー・ボガート)は戦死した戦友の父と妻が営んでいるフロリダのキー・ラーゴという小島のホテルにやってくる。だが、そのホテルにはキューバへ追放されていたギャングのロッコが手下と情婦を連れ釣り客を装って宿泊していた。

フランクは戦友の父と妻に引き留められ泊まることになるが、ロッコたちは、その夜にやってくる取引相手を待っている。しかし、逃亡したインディアンを探しにやってきた保安官補に正体を見破られたロッコが保安官補を殺したため、ロッコは正体を現しフランクたちを人質にしてホテルに立て籠もる。その夜、ハリケーンがやってくる…

脱出 特別版フランクの戦友の妻ノーラを演じたのが、実生活ではハンフリー・ボガートの妻だったローレン・バコールである。「脱出」(1945年)で出会ったふたりはハンフリー・ボガートの離婚を待って結婚。四十五歳と二十歳だった。「三つ数えろ」(1946年)「潜行者」(1947年)と共演作が続き「キー・ラーゴ」はふたりが一緒に出演した最後の作品になった。

まだ二十代半ばにもなっていないローレン・バコールだが、夫の戦死を受け止め車椅子の義父を守り、夫の戦友だった男に好意を寄せていく若い未亡人を印象的に演じている。「ザ・ルック」と呼ばれた上目遣いの魅力的な視線を、愛する夫であるハンフリー・ボガートに向ける。

三つ数えろ 特別版取引を終えたロッコたちはクルーザーでキューバへ向かう。その船の操縦をさせるためにフランクも連行される。「キューバへ着いたらすぐに殺されるわ。いっちゃダメ」とロッコの情婦が耳打ちするが、フランクは黙ってロッコたちに従う。その姿をドアの陰に身を隠してじっと見つめるノーラの表情は、凄い、としか形容できない。

これは演技じゃないぞ、と僕は思う。村上さん的に表現すれば「他の作品には見られない特殊な要素が加わっている」のだ。沈黙のまま見つめる視線が彼女の心を伝えてくる。表情は怖いくらいだが、ジョン・ヒューストンは実に美しく彼女を捉える。

「キー・ラーゴ」の主要人物を単純化すれば、ハンフリー・ボガートが「勇気」、戦友の父親が「寛容」、ロッコが「悪」、ロッコの情婦が「悔恨」と言えるかもしれない。ノーラが象徴するのは間違いなく「愛」だ。

「キー・ラーゴ」のラストシーン。フランクが無事だったと知ったノーラは義父にそのことを告げた後、窓を開け放つ。部屋に陽光があふれ、ノーラを輝かせる。そのノーラの表情は至福の歓喜に充ちている。まさに「愛」そのもののようだった。

それは村上さんが言うように「人間存在を単純化するための寓話性」なのかもしれないけれど、「キー・ラーゴ」のローレン・バコールの特殊性は私的な要素からにじみ出たものではないだろうか。

僕も「キー・ラーゴ」のローレン・バコールが大好きで「キー・ラーゴ」は何度も見てきた。その結果、「脱出」の共演中に恋に落ちたふたりの関係がそのままスクリーンに映し出されたように、「キー・ラーゴ」では新妻が愛する夫に向ける視線がそのまま写しとられているのだと僕は思う。

「キー・ラーゴ」がなぜふたりの最後の共演作になったのか。それは、ローレン・バコールが妊娠していたのが判明し、翌年には長男が生まれたからだ。五十を間近にしてハンフリー・ボガートは初めて子供をもったのである。その三年後には長女が生まれ、ハンフリー・ボガートとローレン・バコールは子どもたちと共に幸せな日々を過ごす。

それは、たった五年間しか続かなかったけれど…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
イギリス留学した娘が少し落ち込んでいるらしいので、激励にカミサンがひとりでイギリスにいくことになった。往復チケットだけ買っていくという度胸に改めて感服。そのカミサンを若葉マークをつけた車で成田まで息子が送るという。まず、息子が無事に帰ってくること、次にカミサンが無事に娘のところにたどりつけること、さらに娘が元気になること…、パスポートもないオヤジはただただ心配するだけだ。

僕の勤め先が11月28日〜29日開催のフォトショップワールドを共催しています。
割引チケット販売 < http://www.genkosha.com/psw2006/ >

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html >

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愛蔵版 グレート・ギャツビー
フランシス・スコット フィッツジェラルド Francis Scott Fitzgerald 村上 春樹
中央公論新社 2006-11
おすすめ平均 star
starこのかたちだ


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「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
村上 春樹
朝日新聞社 2006-11
おすすめ平均 star
star『腹が立ったら自分にあたれ・・・』
starここはひとつ村上さんのご意見を…
star490には残らなかった


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村上春樹はくせになる
清水 良典
朝日新聞社 2006-10
おすすめ平均 star
starそうそう、そうだよねと同志を得たような気分で

世界は村上春樹をどう読むか 「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? 愛国の作法 村上春樹 イエローページ〈2〉 ハルキ・ムラカミと言葉の音楽



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脱出 特別版
ハンフリー・ボガート
ワーナー・ホーム・ビデオ 2006-12-08
おすすめ平均 star
starローレン・バコール!!

by G-Tools , 2006/11/24