[2098] 年月を重ねて見えてくるもの

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<企画するほうも恐かったに違いない>

■映画と夜と音楽と…[313]
 年月を重ねて見えてくるもの
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![40]
 ブロガーは販促の戦力になるか
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[313]
年月を重ねて見えてくるもの

十河 進
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●いつまでたっても解決しない男女の関係

マイク・ニコルズが監督した「クローサー」(2004年)は、かつてジャック・ニコルソンとアート・ガーファンクルが出演した「愛の狩人」(1971年)のテーマを継続していて、三十年以上たつのにニコルズさんは未だに解決していない男女問題を抱えているのだなあという気がした。

「クローサー」はジュリア・ロバーツ、ナタリー・ポートマンというふたりの女性とジュード・ロウ、クライヴ・オーウェンというふたりの男性が交錯するややこしい関係が描かれ、愛とセックスというテーマが深く考察されている。よくできた映画だと思うけれど、きわどいセリフが多くて、僕はちょっと…という感じだった。

マイク・ニコルズは「卒業」以来、セックスをテーマにしている監督だ。「愛の狩人」も大学の同級生ふたりの数十年にわたる愛と性の遍歴の物語で、女優陣はキャンディス・バーゲンとアン・マーグレットだった。しかし、当時の映画評に「不能になったニコルソンをフェラチオするマーグレット…」と出ていて、僕は見る気を失なった。

しかし、僕とは逆に、カサノバのように生きることを目的にしていたある友人は、「愛の狩人」を見てきて深く感銘を受けていた。彼は高校のときからセックスに深い関心を寄せていたし、当時の高校生としては珍しく様々な実践もしていたようだった。

彼が「愛の狩人」のセックスにとらわれたジャック・ニコルソンについて、滔々と語るのを聞きながら「人の価値観は様々だなあ」と僕は思った。当時の僕は、どちらかと言えば好きな女性と寝ないことをもって尊しとする方だったから、彼のように露骨にセックスについて話すことは嫌悪感を伴った。

「クローサー」でもクライブ・オーウェンは娼婦を買ったことを妻のジュリア・ロバーツに露悪的に告白し、ジュリア・ロバーツはジュード・ロウとどのような体位でセックスしたか、どう感じたかを詳細に話す。互いに傷つけあうのが目的だとしても、聞くに堪えないシーンだった。君たちも一度は愛し合って結婚したのじゃないか、と言いたくなった。

それでもアカデミー賞には四人とも候補になったと思う。ナタリー・ポートマンはクラブで踊るストリッパー役で扇情的なシーンやセックスシーンが多く、いわゆる「体当たり演技」を評価されたのだろう、助演女優賞にノミネートされた。「スターウォーズ」ファン、あるいはアナキン・スカイウォーカーは嘆いたかもしれない。

ナタリー・ポートマンを除く登場人物はそれぞれインテリやアーティストで、ジュリア・ロバーツは写真家、クライブ・オーウェンは医者、ジュード・ロウは作家を目指す新聞記者だった。僕には、ジュード・ロウが演じた新聞記者が面白かった。

登場したばかりのところでジュード・ロウが「死亡欄の担当者」として自己紹介するのが印象に残る。担当としても下っ端でデスクの指示で記事を書く。しかも、いろんな人の死亡を予測して、あらかじめ書いておくのだという。死んでからでは、その人のことを調べている時間が足りないのだろう。

結局、「クローサー」で最も僕の印象に残ったのは、死亡欄担当記者という設定だった。それは僕が欠かさず死亡欄を読み続けているからかもしれない。

●死亡欄の愛読者(?)は多い

今年の三月、脚本家の佐々木守さんの死亡記事を読んで書いたコラムが出た翌週、佐々木守さんのお嬢さんから長文のメールをいただいた。それによると、お父様が亡くなって各新聞社から電話があり「代表作は『アルプスの少女ハイジ』と『ウルトラマン』でいいんでしょうか? 他はないですか?」というようなことを訊かれ、うまく答えられなかったという。

僕がコラムで「佐々木守さんの死亡記事の見出しが『ハイジの脚本家』はないよな」と書いたから、お嬢さんは「うまく答えられなかった私が悪い」ように書いていらしたのだろう。しかし、予断を持って電話取材する新聞記者にも問題があるのではないだろうか、それに、父親が亡くなって大変なときに新聞社は平気で肉親に取材するのだなあと、僕は思ったものだった。

そうは思ったものの、死亡記事は確かに調べている時間はない。書く方も大変なのだろうと思い直した。誰を載せ、誰を載せないか、どれくらいの扱いにするか、迷っている時間はない。たぶん死亡欄担当デスクがすぐに決め、指示を出すのだろう。遺族を取材する担当者が決められ、ざっと調べて電話をする…、そんな光景が浮かぶ。

ところで、十一月二十二日の夕刊にロバート・アルトマンの死亡記事が掲載された。四十行の記事だった。死亡記事としては大きな扱いの方だと思う。ロバート・アルトマンは昔から巨匠扱いされていたけれど、キャリアとしてもかなり長いのだと初めて知った。死亡記事を読んで初めて知ることは多い。

僕は「M★A★S★H」(1970年)で初めてロバート・アルトマンという名を知ったから、それほどの年齢だとは思っていなかったが、八十一歳だった。第二次大戦で爆撃機のパイロットだったという。世代的には、ハリウッドで巨匠扱いされても不思議ではない。昨年は、アカデミー名誉賞をもらった。

ただ、僕はロバート・アルトマン作品と相性が悪いのかもしれない。「M★A★S★H」は公開時に評判になった映画だが、僕はあまり楽しめなかった。エリオット・グールドやドナルド・サザーランドという怪優たちをメジャーにした功績は認めるけれど…。

再起のキッカケになったという「ザ・プレイヤー」も感心しなかったし、「ナッシュビル」以来アルトマンの特徴になった大勢の人が出てくる群像ドラマも僕にはテーマが散漫な感じがしてしまうのだ。「ロング・グッドバイ」も雰囲気描写はいいのだが、原作の改竄は納得できなかった。

僕にとって感慨深かったのは、十日ほど前に載ったジャック・パランスの死亡記事を見たときだった。たった十五行のベタ記事だったが、「ああ、ジャック・パランスが死んだのだ」という想いが立ち上がってきた。シェーンを演じたアラン・ラッドの死から数えて、四十二年後のことである。

●歳をとると違う側面が見えてくる

ジャック・パランスはゴツゴツした怪異な顔をしている。見るからに悪党面である。十数年前、アカデミー授賞式に久しぶりに登場したジャック・パランスは、司会のビリー・クリスタルのジョークに応じてタキシード姿で片手腕立てをしてみせた。

そのとき、ジャック・パランスはビリー・クリスタル主演「シティ・スリッカーズ」で助演男優賞にノミネートされていたのだ。その夜、ジャック・パランスは見事に助演男優賞を獲得する。それは、七十歳を過ぎた伝説の俳優に対するハリウッドの敬意の表明でもあったろう。

「シェーン」(1953年)が日本で公開されたのは、昭和二十八年十月一日だった。「禁じられた遊び」が九月六日、小津安二郎の名作「東京物語」が十一月三日に公開になっている。「シェーン」の黒ずくめのガンマン役だけで伝説となり、語り継がれる俳優がジャック・パランスである。

もちろん僕は「シェーン」を公開時には見ていない。若いときに一度、そして、最近、もう一度見た。若いときには「単なるありきたりな西部劇」だと思ったが、最近見て「やはり映画史に残るだけある名作だなあ」と感じた。開拓農民と牧場主の対立、流れ者のガンマン、ガンマンに憧れる農民の息子、彼にほのかな愛情を寄せる農民の妻…、古き良き西部劇の香りである。

昔は気付かなかったが、ジーン・アーサーが演じる開拓農民の妻の演技が味わい深い。礼儀正しい流れ者シェーンがやってきたときの警戒心、その警戒心を解きシェーンの人柄に次第に惹かれてゆく心の揺れ、シェーンと夫が牧場主と会うために町にいくことになったときの夫ではなく流れ者を心配する後ろめたさ、別れのせつなさと夫を裏切らなかった安心感…、彼女の内面を想像しながら見れば、それは悲しい恋物語なのだ。

歳はとってみるものである。昔、「ヒーロー西部劇」としか見えなかった映画が「大人の恋愛映画」に見えてくる。見えなかったものが見えてくる。開拓農民を演じたバン・ヘフリンも木石漢ではない。妻がシェーンに惹かれているのを知っている。知ったうえで許し、妻に対する信頼は揺るがない。シェーンに対する敬意も払う。「シェーン」が長い年月に耐える普遍性を持ったのは、その三人の関係をきちんと描いているからだ。

それは、半世紀後に「クローサー」で描かれたのと同じ男女関係である。もちろん「シェーン」の頃には、惹かれあう男女が手を握ることもない。告白もない。しかし、男女の精神性においては、ワイオミングの大自然の中でも半世紀後のロンドンと同じドラマが起こっているのだ。

そんなドラマの中に、ジャック・パランスが悪の象徴として登場する。「シェーン」の中でジャック・パランスの登場シーンはひどく少ない。セリフもほとんどない。それだけで伝説になってしまったのは、よほど公開時のインパクトが強かったのだろう。残念ながら僕は先に伝説を知ったので、「シェーン」を見てもそんなに強い印象はなかった。

映画も後半になった頃、牧場主に雇われた凄腕のガンマンの噂が開拓農民たちの村に伝わってくる。ジャック・パランスが、いかに早撃ちかというエピソードが描写される。それ以前にシェーンが開拓農民の子に銃さばきを見せるエピソードがあり、シェーンの早撃ちは勝てるか、という興味が後半のサスペンスになる。

黒い革のベスト、黒いズボン、黒いガンベルトに黒い革手袋、黒いテンガロンハット…、そんな黒ずくめのスタイルを初めて見せたのがジャック・パランスなのかもしれない。キザに革手袋を直すと、目にもとまらぬ早業で腰の拳銃を抜き、正確に相手を倒した。シェーンは勝てそうもなかった。

僕らが子供だった頃は「早撃ち」という言葉に心をときめかしたものだ。「シェーンは0.3秒なんだぞ」とクラスでも話題になったりした。ガンベルトと玩具の拳銃を買ってもらい、早撃ちの練習をした。いくら早く抜いても、射撃の正確さが必要なのだと気付くのはずっと後のことだった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
息子は初めてひとりで運転して成田から無事帰還し、留学中の娘は復活し、カミサンはフリーパスを買ってロンドンをひとりで観光しているらしい。29日に帰国予定だが、息子が成田まで迎えに行くという。今度は、息子が無事に成田までいけること、カミサンが無事に帰国することを祈る日々である。世に心配のタネはつきません。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html
>

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■Otaku ワールドへようこそ![40]
ブロガーは販促の戦力になるか

GrowHair
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11月20日(月)、日産自動車がスカイラインの12代目にあたる新型車を発表した。それ自体は特別のことではないが、今回画期的だったのは、銀座の本社ギャラリーにて、ジャーナリスト向けの発表会に引き続き、ブロガーだけを100人ほど招待しての発表会を催したことである。

これは、多分どこのメーカーも思いつかなかったということではなく、考えはしたのだけれど、裏目に出るリスクを考えると恐くて実行に踏み切れなかったのだと思う。まずは日産の思い切りのよさに拍手を送りたい。

先陣を切った者の常として、成否の行方に注目が集まるのは当然の成り行き。これをてこに、今後、ブロガーは販促の戦力として定着していくのだろうか。

●企画するほうも恐かったに違いない

日産は約2年前、ティーダというコンパクト車の販促でいち早くブログを活用して話題を呼んだ。当初は2か月間の期間限定の予定で立ち上げたブログだったが、今も続いている。そのまずまずの成功を踏まえ、一歩進める形で、今回のブロガー向け発表会に踏み切ったのであろう。
< http://blog.nissan.co.jp/TIIDA/
>

さて、このブロガー起用大作戦、吉と出るか、凶と出るか。大雑把に言って、3つのシナリオが考えられる。シナリオその1、大成功。ブロガーが本音の部分でスカイラインをほめたたえ、それを参考にして購買を決める人が多く、結果として売り上げが伸びる。シナリオその2、裏目。ブロガーにけちょんけちょんにこき下ろされ、製品のイメージが下がり、売り上げが落ちる。シナリオその3、スカッと空振り。ブロガーが大した記事を書かず、あるいは購買層がブログを参考にせず、売り上げにはさしたる影響なし。

成否を左右する要因は3つあると思う。要因その1、ブロガーの実力。知識量、批評眼に裏打ちされ、的確な表現力をもってブログが書けるかどうか。これなしに、思いばかり突っ走るにまかせてほめたりけなしたりしても、言葉の重みに欠け、読み手の信頼は得られないだろう。要因その2、ブロガーの評価内容。結局良いのかダメなのか。どこがそうなのか。多くのブロガーの意見が一致する点があれば、それは一般の人々の商品イメージや購買欲をリードする評価につながっていきそうである。要因その3、ブログの影響力。読み手がどれほどいて、ブログをどの程度参考にするか。

企業側が一番恐れているのは、プロはだしの豊富な知識をもった「濃ゆ〜い」マニアが微に入り細にわたり競合製品と比較検討し、「結論。まだまだだね」のようにズバッと斬り捨て、読み手はすっかり説得されてしまい、それが広まって評判として定着していく、というシナリオだろう。

だからといって、ブロガーを餌で手なずけようとしたり、否定的な意見を封じ込めようとしたりといった恣意的なことをすれば、後々噴出するトラブルの種をまくようなものである。今回、日産は、ブログ検索のテクノラティで、キーワード「スカイライン」を入れてヒットしたブログの上位100名の運営者に招待状を送ったそうで、ほめてるブロガーだけをご招待、なんて小賢しいことは一切していない。あるブログでは、「我々は呼ばれたというよりかは出頭させられて『文句ばっか言ってんじゃねぇ!』と説教されるんじゃないかと思ってた」と言っているほどである。

また、日産のウェブサイトのスカイライン公式ブログからはすでに60個ものトラックバックが張られているが、その中には思いっきり酷評しているのもある。とかく企業というものは、ネガティブな評判に対して神経質になりがちなものだが、それだけに、日産の清濁併せ呑む覚悟のよさにはさわやかさを感じる。根拠のない酷評は言った側の信用を下げるだけで、製品イメージにさしたる影響を与えないので心配には及ばず、一方、根拠のある酷評は謙虚に聞くべきなのだから、こういう開かれた姿勢は大変よいと感じるのである。
< http://blog.nissan.co.jp/SKYLINE/archives/2006/11/post_1.html
>

もうひとつ、やりづらそうだと感じたのは、ブロガーと向き合う姿勢、つまり、ジャーナリストとみるのか、お客様とみるのかを決めづらいという点である。前者とみるならば、情報が何よりの価値なので、専門知識豊富なエキスパートを揃えて臨むのがよく、後者とみるならば、おいしい食べ物を振舞い、パフォーマンスを演じて楽しんでいただき、お土産をお持ち帰りいただくという、おもてなしをするのがよい。今回、きっと迷っただろうが、いちおうジャーナリストと同等の扱いを貫いたのは、私はよかったと思う。けど、中にはパフォーマンスや食べ物を期待する声も聞かれた。

●とか何とかいいつつ、行ったのは私ではなく...

そもそも私はブログやってないし。日産から招待状が届くはずもなく。職場で右隣に座っている直江雨続(なおえあめつぐ、もちろんペンネーム)君がその栄誉に浴している。職場はクリエイター系とは縁もゆかりもなく、堅〜いエンジニア系であるが、まわりにはやけにオタクが多く、しかもそれをひた隠しにしなくてはいけないという雰囲気もなく、まあ、オタクの楽園である。上司の胃がどこまでもつか、心配ではあるけれど。

雨続君は、私の右脳となって働いてくれている20代の若手。住む場所を決める第一条件は図書館に近いこと、というくらいの読書家で、歴史小説やライトノベルを中心に読む。漫画やアニメに詳しい正統派オタクだが、車オタクでもあり、フィギュアスケートオタクでもあり、サバゲもちょっとやったりする。

頭の回転は早いし、仕事ぶりも悪くないが、どこかおちゃらけたところがあり、入社1年目にして、「今日は遅く来たので、その分早く帰ります」と言い残してさっさと帰っていったときは、こいつ、だんだん俺に似てきたぞ、と頭を抱えたもんである。学生時代からの彼女がいて、これがなんと、3次元で、しかも動くのである。まあ、天下無敵の腐女子のようであるから、お似合いと言えよう。スカイライン発表会の翌々日、11月22日(水:いい夫婦の日)に無事入籍している。

そんな彼の運営する「直江雨続の嵐を呼ぶブログ」は、軽いギャグがふんだんに散りばめられた、テンポのよい文章が満載である。今回の件に関しては、招待メールに半信半疑なところから始まって、4本書いている。
< http://ametsugu.no-blog.jp/
>

それもさることながら、事前にGT4で歴代のスカイラインの運転感覚を体験しておくという、予習を済ませてから臨んだのは、あっぱれである。GT4は実際の車やサーキットの詳細なデータがインプットされたドライビングシミュレータで、テストドライバーも練習に利用しているほどリアルにできている。このレポートを見ると、歴代のスカイラインのイメージの劇的な変化がよく分かるし、雨続君の車ヲタっぷりもよく分かる。
< http://ametsugu.net/GT/gt4_skyline.html
>

●説明員はそうそうたるエキスパートたち

そういうわけで直接見てきていないので、ブログの寄せ集め情報であるが、当日は、呼ばれた100人のブロガーの約9割が参加したという盛況ぶりで、自由見学時間には、内容の濃い会話があちこちで展開していた模様である。8:00pmにスタート、まず、マーケティングダイレクター加治慶光氏が登場、今回の「日産初」の試みであるブロガー向け発表会を開催するに至った経緯などを語った。次に、開発責任者の大澤辰夫氏がこの新型スカイラインのコンセプトや特長などについて、説明した。先代より車高を2センチ下げ、車幅を2センチ広げたこと、新開発のV6エンジンを搭載したこと、ボディ強度を大幅にアップしたことなど。

それから、CMを4本上映。野球のイチロー選手と俳優の渡辺謙氏が起用されている。その後は自由見学と質疑応答の時間。説明員の方々は実際にスカイラインの開発に携わっており、付け焼き刃じゃない説明が可能だそうで、そういうエキスパートと直接話ができる機会に恵まれたブロガーは至福のときを過ごせたに違いない。今回のセダンに続いて、来年秋にはスカイラインのクーペの新型が発表される予定だそうで、自分好みのクーペにならないかと下心を抱いて、デザイン担当者を必死に説き伏せにかかるブロガーもいたようで。

説明員として異彩を放っていたのは、リカちゃん人形。今回の発表会はタイアップ企画なのだそうで、本年度タカラトミーに入社して広報・IR部に配属された香山リカさんが、特別研修生として日産に出向しているということで、けなげに見習い説明員をしており、リカちゃんと名刺交換するブロガーが何人もいた。また、NHKやテレビ東京が取材に来ていた。

●ブログのレポートは玉石混交、賛否両論

発表会から1週間が経ち、日産のブログには、参加者のうち約20名が、参加レポートへのトラックバックを張っている。ただの日記から、嘗め尽くすような論評まで、玉石混交。高く評価する声もあれば、酷評もある。

まず、多くのブロガーたちが違和感を唱えていたのは、歴代のスカイラインのイメージからの乖離である。かつてのスカイラインは、スポーツカーというコンセプトを前面に押し出し、他車とは一線を画するツッパリっぷりが若者受けした。ところが、先代くらいから他車と大差ない形に落ち着いてきて、家族向けの普通の車になりつつある。「一目でスカイラインと分かるオーラがなくなった」、「同じ名前で呼んで欲しくない」という否定的な意見もあったが、一方、「スカイラインは大人になった」と肯定的に捉える向きもあった。奇をてらって注目を引くのをやめて、実質的な性能向上に注力するようになった、ということだろう。

また、北米市場でのシェア拡大を狙うあまり、日本人受けしない方向へ走っているという批判もあった。スカイラインは国内よりも海外で売れ行き好調で、売り上げの40%がアメリカ、国内の売り上げは全体の10%にすぎない(北米では、上位のフーガとともにインフィニティと名前を変えているが)。そのため、ボディーのどっしりとした形状などは、日本人よりも北米の好みを反映させたとみられ、「スカイラインに名前を借りたインフィニティ」と評されたりしている。

新開発のエンジンは、「7,500回転/分まで軽く滑らかに吹け上がり、高出力でレスポンスが良い」、「左右完全対称吸排気システムを採用し、濁り音のないエンジンサウンドを実現」とうたっていて、これは好評。あまりに好評すぎて、上位のフェアレディーZのオーナーから文句が出ているほどである。試乗したら、自分の車よりもよく走る、と。

総合すると、尖っても凹んでもいない車、つまり、大きな冒険はしていないが、これといって見劣りする点もない、バランスのよい車。コストパフォーマンスがよく、お買い得、ということのようである。

●ブロガーの地位向上につながるか

雨続君は「各社続々とブロガーを新車発表会に招待するような世の中になることを祈りたい」と言っているが、私も、そうなれば面白いと思う。かび臭い部屋でいろんなものに埋もれてくすぶり続けていた一介のオタクが、ある日、情報発信者として価値を認められ、社会の中でも割と高いところに置いてもらえるって、まるでシンデレラではないか。(うっとり)

ただし、そうなるかどうかの鍵は、ブロガー自身が握っているように思えてならない。単なる日記や感想文の域から一歩踏み出して、読み手が頼りにしたくなる情報や、メーカーが一目置くような論評が発信できるようになれるかどうか。そのためには「好き」が高じて「馬鹿」と言われるくらいののめり込みようも必要だろう。

また、仮に、目に見える形での売り上げ向上に貢献しなかったとしても、メーカーとユーザーとの間のコミュニケーションのツールとしてブログを活用し、次の代の製品開発に生かしていくという方向性も考えられる。さしあたり、この新型スカイラインのブロガー起用大作戦が大コケしないことを祈って、見守りたい。

ところで。私は全くの車音痴。運転免許すら持ってないし。大八車からクレーン車まで、車という車は全部同じに見え、カッコいいも不細工もまるで見分けがつかない。で、ご質問のある方は、右脳のほうへどうぞ。
< http://ametsugu.net/
>

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。かつては行きつけだったメイド喫茶に久々に行ったら、浦島太郎状態。その日はメイドではなく、コスプレ。元作品が分からないコスの店員さんがいて、聞くと「宇宙のステルヴィア」という答え。「うっ、知らない」。「一般の方はあまりご存知ないかと思います」。いてててて...。ついに、一般人呼ばわりされてしまったか。やばい、精進せねば。
< http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/stellvia/
>

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■編集後記(12/1)

・編集後記を書き始めて何回になることやら。デジクリのアーカイブが完成してしまったので、過去の恥ずかしい編集後記をすべて読もうと思えば読めるがそんな勇気がない。いつも同じことを書いていると思う。ろくでもないことを書き散らしていると思う。前と違う主張をしていることも度々ある。それはそれでいいのだ。大事なこと、本当のことは(というほどのことでもないが)たった今しかない。過去このことは、もう知らない。さて、nikkei BPnetの、立花隆「平沼赳夫一人を男にした郵政造反議員の復党問題」を読んで、まったくそうだなあと思う。「自民党の郵政造反議員(郵政民営化法案の反対組)の復党問題で男を上げたのは、平沼赳夫・元経産相だけだったのではないか。復党した11人は、政治家として大切な筋目を通すことができなかったという点において、男(女)を大いに下げた」と。賛成派も反対派も復帰希望組も、なんだかみんながマヌケに見える復党騒動だが、平沼さんだけは毅然としていてステキだった。いずれにしろ自民党への信頼が失われるけっこうな迷走劇で、観客としては楽しめる。先日、めったに見ない昼のニュースショーで、せっかく平沼さんにインタビューしているのにまったく切れ味の悪い女性アナだかキャスターだかが、平沼さんの一分はなにか、とかいう質問をしていておおいに違和感があった。一分とは「一身の面目」のことで、自分から言い出すとか他者の評価ならともかく、面と向かって「あんたの面目は?」なんて聞くのは無礼ではないのか。スタジオでは、並んでいる連中が「いい質問でしたね」と言い合っていたが、やはりヘン。キムタク映画のタイトルを利用して気を利かせたつもりだろうが、おかしいぞ。(柴田)
< http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/061128_fukutou/
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立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」

・昨日紹介した「アルゴリズムたいそう」の囚人バージョンは、週刊アスキーで紹介されていたんだって。もっと早くに紹介すれば良かった〜。/同じく昨日紹介した「ストックホルムで」なのだが、カメラで撮られていたりして、案外ストリートパフォーマンスアートってこんな感じなんだろうなぁと思った。あれはたぶん音を流しながらやっていないよね? 最近のiPodや携帯音楽プレイヤーの機能に明るくないのだが、全員で音楽をシェアする、もしくは同時にスタートできればいいのになぁと思った。無線LAN類で受信できるとか、タイマースタート、グループ化させたiPodのうち一つが再生をはじめると他も同期するとか。用途は今回のような時や、電車の中で同じ音を聞く(たとえばトークものや音楽)、聞いて〜と好きな音楽を聞かせる(笑)、英会話の練習(一台の再生機に分岐プラグをつけて二つのイヤホンを用意。聞き取った質問文をリピートし、相手が答えを推測して答えるという方法がある。その後回答を聞き次の設問にうつるのだ。)……うーん、あればあったで用途は出てくると思うなぁ。お芝居に使ったり、スタンプラリー音声命令編とか、イベント進行用とか、一つだけ同期していないものを用意して、とか。英会話の時は分岐プラグを忘れたら練習ができなくなったさ。コードが邪魔だし。今ならコードレスがあるからいいのか。Shuffleなら首にぶら下げておけば、いつでも練習できるからいいなぁと思ったのだ。あ、センター試験の聞き取りテストは同期してあるんだっけ? ICレコーダーを配るやつ。あ、レコーダーだから同期する必要ないのか……。(hammer.mule)
< http://steam.blog12.fc2.com/blog-entry-135.html
>  分解してみた