映画と夜と音楽と…[314]彼女が強く求め続けたもの/十河 進

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サボテンの花●「たかが映画じゃないか」と言わせた女優

僕がイングリッド・バーグマンを初めて見たのは「サボテンの花」(1969年)という映画だった。高校生のときに封切られた映画だ。久々にハリウッド映画にイングリッド・バーグマンが出たと評判になっていたが、注目されていたのはこの映画でデビューしたゴールディ・ホーンという若手女優だった。

その年、1915年生まれのバーグマンはすでに五十四歳、往年の美人女優も寄る年波には勝てず、「どこが美人なんだ?」と生意気盛りの四国の高校生は思った。もっとも、ゴールディ・ホーンも目玉をギョロギョロさせ、オーバーな演技を繰り返すばかりで、僕には将来有望な女優とは思えなかった。


「サボテンの花」は女好きの歯科医を主人公にした話で、ハリウッドお得意のセックス・コメディのジャンルに入る。主人公を演じたのは、オードリー・ヘップバーン主演「シャレード」の悪役が印象的なウォルター・マッソーである。ジャック・レモンと組んで主役をとる俳優になり、晩年まで活躍した。

秋のソナタベテランの看護婦を演じたのがイングリッド・バーグマンだった。ゴールディ・ホーンは歯科医の若い愛人である。原作は舞台劇だというから、シチュエーション・ドラマの展開になる。ドタバタ劇がおさまって、ウォルター・マッソーは長年一緒に仕事をしてきたイングリッド・バーグマンの真実の愛に気付くのである。

その映画でゴールディ・ホーンはアカデミー助演女優賞を受賞し、コメディエンヌとしてハリウッドの大物になってゆく。一方、イングリッド・バーグマンは1978年制作のスウェーデン映画「秋のソナタ」が最後の出演作となり、その五年後の1982年、六十七歳の誕生日に永眠した。

イングリッド・バーグマンは、様々なエピソードを残した女優である。中でも有名なのは、アルフレッド・ヒッチコックの有名なセリフを引き出したことだろうか。

ロープ1948年、イギリスでの出来事だった。全編をワンカットのように見せるために長まわしで撮影した実験作「ロープ」に続きアルフレッド・ヒッチコック監督は「山羊座のもとに」を撮影していた。しかし、ヒッチコックの手法はヒロインを演じたイングリッド・バーグマンを悩ませる。そんな彼女を落ち着かせるために、ヒッチコックはこう言った。

──イングリッド、たかが映画なんだよ。

●ハリウッドから追放された女優

無防備都市1972年、五十七歳のときにイングリッド・バーグマンは「マイ・ストーリー」という自伝を発表する。その翻訳を僕が読んだのはもっと後のことだが、内容はあまりはっきり憶えていない。ただ、その書き出しがロベルト・ロッセリーニ監督の「無防備都市」(1945年)を映画館で見るシーンだったのは印象に残っている。

イングリッド・バーグマンはスウェーデンに生まれ、早くに両親を亡くし、あまり恵まれない少女時代を過ごす。しかし、十七歳で映画デビューし、ヒット映画に恵まれ、1939年には早くもハリウッドデビューを飾っている。二十代半ばである。医者と結婚し娘も生まれる。幸福な人生だと思われていた、

カサブランカ スペシャル・エディション1940年代前半は、イングリッド・バーグマンの時代だった。1942年、「カサブランカ」のヒロインを演じる。1943年、ゲイリー・クーパーと共演した「誰がために鐘は鳴る」で初めてアカデミー賞にノミネートされる。そして1944年には、夫への疑惑を深めてゆく新妻を描いたスリラー「ガス燈」に出演しアカデミー主演女優賞に輝いた。

白い恐怖アルフレッド・ヒッチコック監督と組んだ「白い恐怖」(1945年)や「汚名」(1946年)にも出演し、大女優の風格さえ見せるようになる。まだ三十を過ぎたばかりだった。だが、彼女は何かが充たされなかったのだ。傍から見れば羨ましいような人生を生きながら、彼女は何かを求め続けていたに違いない。

だから、彼女はネオ・レアリズモと呼ばれたイタリアの戦後の映画群の代表作と言われる「無防備都市」を見て心を震わせる。それは、ハリウッド映画とは対極にあるような映画だった。人々が憧れるロマンチックなヒロイン像は、彼女にとっては虚像に過ぎなかった。彼女が求めたのは、本当の人間が描かれている映画だった。

「マイ・ストーリー」の最初に語られる「無防備都市」を見たときの感動と興奮は、読む者に彼女のその後の行動を正当だと感じさせる。イングリッド・バーグマンは作品を通してその監督に傾倒してしまう。いや、遠いイタリアに住むその監督に恋をしてしまうのだ。

戦火のかなた「無防備都市」に続くロッセリーニ監督作品「戦火のかなた」を見たイングリッド・バーグマンは矢も楯もたまらず手紙を書く。「イタリア語は『ティ・アモ(愛している)』しか知らないスウェーデン女優は、いつでもあなたと映画を作る用意があります」というメッセージは、ロッセリーニを歓喜させたことだろう。

しかし、ロッセリーニと共に作った映画は散々な結果に終わる。同時にふたりは恋に落ち、イングリッド・バーグマンは夫と娘を棄てる。やがて、ロッセリーニの子供を産み、ハリウッドはイングリッド・バーグマンを追放する。ハリウッドはロッセリーニと・バーグマンが作った「ストロンボリ 神の土地」を上映禁止にしたという。

●ふたつの想いの間で揺れ動いた女優

ブルーベルベット 特別編 オリジナル無修正版二十年ほど前、デビッド・リンチ監督の「ブルー・ヴェルベット」(1986年)が評判になり、イザベラ・ロッセリーニが出ているのを知ったとき、僕は何だか感慨深いものを感じたものだった。名監督と大女優の娘…、あの世紀の不倫事件で生まれた娘という想いが頭をよぎった。

もちろん、僕は当時のハリウッドの人々と違ってイングリッド・バーグマンもロベルト・ロッセリーニも非難する気持ちは微塵もない。男女のことには口は挟めない、というのが僕の基本姿勢なのだ。男と女の間にはどんなことでも起こるのである。モラルやルールなどでは何も裁けない。

イングリッド・バーグマンと男女の仲になったとき、ロベルト・ロッセリーニには妻子もあり、愛人もいたという。それでも、男女のことは起きる。ハリウッドの大女優になっても充たされなかったイングリッド・バーグマンの心の中に存在した何かは、ある時期、ロベルト・ロッセリーニという才能と結びつくことで解消されたのだ。

イングリッド・バーグマンはロッセリーニの長男を生み、続いて双子の娘を生む(そのひとりがイザベラ・ロッセリーニだ)。だが、ふたりが作った作品はどれも不評で、興行的には大失敗に終わる。そうしたことがふたりの仲を次第に冷ややかなものにしていったのかもしれない。

追想1956年、イングリッド・バーグマンは「追想」(1956年)でハリウッド映画に出演する。ユル・ブリンナーが演じた山師が、自殺未遂をした記憶喪失の女(イングリッド・バーグマン)をロシア革命で殺されたはずの皇女アナスタシアとして仕立て上げ大金をせしめようとする物語である。

ガス燈 コレクターズ・エディション頼りなげで、ふたつの想いに揺れる女を演じたらよく似合うイングリッド・バーグマンである。「カサブランカ」のヒロインはふたりの男の間をいったりきたりしているだけであり、「ガス燈」のヒロインは夫への信頼と疑惑に揺れ神経をおかしくさせていく女だった。

そんな系譜に続くアナスタシアは、自分が何者かわからない不安に心揺らぐ女であり、頼りなげな視線にユル・ブリンナーも心を騒がせる。僕も「追想」のバーグマンが最も好きだ。確かに賞に価する演技だった。それは、私生活で迎えていたロッセリーニとの破局が影響したのかもしれない。

アカデミー主演女優賞というハリウッドの許し(アカデミー賞は映画関係者たちであるアカデミー会員の投票で決まる。彼らに嫌われては受賞は無理だ)を得て、イングリッド・バーグマンは復帰する。だが、ロッセリーニとの生活は破綻し、ふたりの離婚が成立する。

●彼女が求めたものは何だったのだろう

僕の知人にも家庭を棄てて愛人の元に走った(なぜ、愛人の元には「走る」のだろう)男や女がいる。その後、別の愛人ができ第二の家庭も破綻した知人もいる。何度か愛人の元に走り、いつの間にか元の家庭に戻っているという恋多き女性も知っている。

さっきも書いたように、僕は男女のことには口を出さないことを基本姿勢にしている。だが、僕から見ているとそういうことをする人は、やはり何かを強く求めているのだと思う。諦めていないのだ。様々なしがらみや義理を棄てても求めたい何かを抱えているのだと思う。

生きる充実感、ときめき、たとえて言えば求めるのはそんなものなのかもしれない。彼らにとっては日常に埋没し、平穏に生きることが耐えられない。誰かを好きになっていたい、情熱を燃やしたい。それは、心の中に存在する隙間、欠落感が原因なのか。何かが足りない、何かが欠けている…。それが何かわからないけれど、誰かを好きになっている間は感じないでいられる。

だが、何も求めていない人、欠落感を抱えていない人など存在しないと僕は思う。だからといって、誰もが家庭を棄てて好きな人の元に走るわけではない。ある人々にとっては、それは寝食を忘れるほど熱中できる何か別のもので充たされるのかもしれない。

ハリウッドに復帰したイングリッド・バーグマンは、演技に熱中することで充たされない何かを封印できたのかもしれない。若い頃とは違って、ロマンチックなヒロインばかりを演じる必要はなくなった。彼女は、演技者として死ぬまで素晴らしい仕事をしたし、様々な賞を得た。

そして、六十七歳の誕生日にこの世を去った。棄てた最初の娘も死の枕元には立ち合った。墓碑銘には「彼女は生の最後まで演技をした」と記されているという。だが、イングリッド・バーグマンが求め続けたものは何だったのだろう、と僕は思いを馳せる。

世界中を敵に回しても…という決意で家庭を棄ててまで求めたものとは、何だったのだろうか。墓碑銘に記されていることに、悔いはないのだろうか。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
カミサンはロンドンから無事に帰還したけれど、成田に迎えにいくはずの息子から「エンジンがかからない」という電話が入る。十二年乗った車の買い換えの話を車中でしたから「フン、どうせオイラはお払い箱さ」と機嫌を悪くしたらしい。ボンネットの前で謝ったらエンジンは直り、本日、最後のドライブに息子と出かけた。明日、新車がやってくる。

■完全版「映画がなければ生きていけない」12月下旬に書店に並びます。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/suiyo_Newpub.html#prod193 >

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
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サボテンの花
ジーン・サックス イングリッド・バーグマン ウォルター・マッソー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2005-09-28
おすすめ平均 star
star役者の熟れ方がちぐはぐで、もどかしー

幸せの向う側 プライベート・ベンジャミン



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秋のソナタ
イングマール・ベルイマン イングリッド・バーグマン
ハピネット・ピクチャーズ 2000-04-25
おすすめ平均 star
star私はただ、己の信じた道を生きてきただけ。
star母と娘、知られざる確執
star感動した映画の1つ
starお薦め映画です
star感心した。

第七の封印 野いちご 処女の泉 叫びとささやき 木靴の樹



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ロープ
アルフレッド・ヒッチコック ジェームズ・スチュアート ファーリー・グレンジャー
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2005-01-01
おすすめ平均 star
starコロンボ警部の原型。
starすごい実験的映画だが、成功してるかというと微妙
star1つの映画を1つのカットで撮影すると言う壮大な妄想

疑惑の影 ハリーの災難 鳥 海外特派員 裏窓



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イングリッド・バーグマン マイ・ストーリー
イングリッド・バーグマン アラン・バージェス 永井 淳
新潮社 1982-01


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戦火のかなた
セルジオ・アミディ ロベルト・ロッセリーニ カルメラ・サツィオ
アイ・ヴィー・シー 2003-05-25

無防備都市 ドイツ零年 山猫 イタリア語・完全復元版 イタリア旅行 (トールケース)



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ブルーベルベット 特別編 オリジナル無修正版
カイル・マクラクラン デイヴィッド・リンチ イザベラ・ロッセリーニ
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2006-10-27
おすすめ平均 star
star非日常の世界を垣間見たような・・・
star端境の物語。

マルホランド・ドライブ キャリー<特別編> ワイルド・アット・ハート スペシャル・エディション ビリー・ザ・キッド 21才の生涯 特別版 フォーリング・ダウン

by G-Tools , 2006/12/08