デジアナ逆十字固め…[29]超芸術トマソン探査への参加
── 上原ゼンジ ──

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超芸術トマソン久しぶりにトマソン探査に参加した。トマソンというのは「超芸術トマソン」のことで、「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」という定義がある。たとえば、建物の入り口へと続く階段。入り口がなんらかの理由でつぶされたのに階段だけは撤去されずにような残った物件。上り下りは可能だが、何の役目も成さない。

そういった意図的に作られたわけではない超芸術物件を見つけ出し、様々な考察を加えていくのがトマソンの楽しみ方だ。第一号が発見されたのは1972年、赤瀬川原平氏によってだ。その後、赤瀬川さんが教鞭をとっていた美学校絵・文字工房(後に考現学研究室となる)での授業の一環として探査が行われるようになる。


トマソンの概念が固まり、「超芸術探査本部トマソン観測センター」が設立されたのが1982年。報告書や認定印なども作られ本格的な活動を始めた。といってもその核になったのは、その年に考現学研究室に通っていた生徒達で、活動というのは、みんなでトマソンを探し歩いたり、個人で探し歩き報告書を書くというのが基本になる。まあ、そんなに大袈裟なものではない。

翌1983年1月に「写真時代」誌上で赤瀬川さんによるトマソンの連載が始まった。そして私は4月から美学校に通い始め、センター主導の探査にも参加するようになる。ちょうど色んな物件が、ぞろぞろ発見された時期だったので、今から思えばひじょうに面白い場に立ち会えたものだと思う。

路上観察学入門1985年に「写真時代」での連載が「超芸術トマソン」(白夜書房)としてまとめられると、他の雑誌やテレビなどでも取り上げられ話題になるようになった。しかし、翌1986年に超芸術トマソンの枠組みを越え、「路上観察学会」が誕生すると、世間の注目を集めるようになるとともに、トマソン自体は下火になっていった。

当時、先生と生徒の遊びを取り上げられてしまったようで、少しさびしい気がしたのを覚えている。

今春行われた「美学校ギグメンタ2006」にトマソン観測センターも参加することになり、私も何通かの報告書を提出した。トマソンというのはトマソンを発見する眼にならないと発見することはできない。カメラを持って街中をお散歩していれば眼に入るというものではなく、けっこう意識的である必要がある。

私も意識的にトマソンを探すようなことはなくなってしまっていたが、それでも街中で撮り歩いて時にたまたまトマソンを発見すれば、習性としてシャッターは切る。そんな写真がいくつかあったので、報告書として提出したというわけだ。

展覧会の基本は新しい報告書の展示、古い報告書ファイルの閲覧だったが、報告会も行われた。これが私には美学校当時の授業を彷彿させて楽しかった。スクリーンに写真を投影しながら、発見者が報告をし、周囲の人がツッコミを入れるというスタイルだ。

写真が投影され、トマソンでも何でもないのに、皆が同時に感嘆の声を漏らすような物件もある。何か「ほほー、お見事!」という感じなのだが、誰にも何が見事なのかは分からない(笑)。でも、このシンクロがけっこう気持ちいいのだ。

トマソンの概念を知らない人にとっては価値のないものだが、分かっている人にはその価値を共有することができる。けっこう知的な遊びなんじゃないかと思う。

●トマソンの視線

今回の探査には観測センターの会長以下8名が参加した。新東京タワーの出来る辺りを中心に、その変貌を写し留めておこうというのがコンセプトだ。一応、業平橋駅に集合したのだが、その後はそれぞれ分かれて独自に探査を行なう。会長は前日にも一人で探査を行なったということで、地図には歩いたルートが赤くなぞられていた。会長にはきちんと探査のスタイルが確立されていて、それがすごく渋くて格好いい。

私は久しぶりの探査で、うまく調子が掴めず、無闇に歩き回ってしまい、日が暮れる頃にはかなり疲れてしまった。それでも多少の成果はあった。というのは物件としての成果ではなく、撮影するスタンスに対する発見だ。

今回は「写真」を撮りに行ったのではなく、「トマソン」を撮りに行った。しかし、気になる被写体があればシャッターは切る。その時、何か力まず撮れた気がするのだ。もちろん力むというのは指先に力が入っちゃうというようなことじゃなくて、アプローチの問題としてね……。何かトマソンを観察する時の視線というのは、自らの表現というよりは、物件中心になり、押しつけがましくないフラットな写真になるような気がする。

夕方5時に亀戸で落ち合い、居酒屋で本日の成果の報告と来年3月の展覧会に向けての打ち合わせを行なう。まずギャラリーの床には新東京タワーを中心とした地図を敷き詰め、その中心に新東京タワーの模型を配する。物件を見つけた場所には地図上に物件のサムネール写真と番号を記し、壁面の物件写真に対応させる。なんていうアイディアも出たが、果たしてそんなことが可能なのか?まあ、そんなことを話している時間が楽しいのだけれど……。

トマソンの写真を撮っていれば、トマソンの定義からは外れるようなものも目に留まる。そうやってはみ出ていったものが路上観察へとつながっていったと思うのだが、路上観察やVOW的なネタはやめて、トマソンの原点に立ち返ろうという超芸術原理主義の考え方もある。

それに対し、超芸術という概念は元々そんなに狭いものではなく、「なんとも分類しようのない物件にたいする驚きの感覚こそが超芸術原理主義」という立場もある。トマソンをあまり狭い所に閉じこめず、「いやー、それは違うんじゃない?」という物件も、ゆるーく許容してしまう方がトマソン的なのかもしれない。

美学校の考現学研究室というのは物の面白がり方、考え方を学ぶ場だったと思う。赤瀬川さんはいろんな種を蒔いては、別の興味ある所に移動してしまうけど、書籍化、文庫化され話題になったおかげで、トマソン自体は定着し、多くのトマソニアンを生み出した。私も積極的に自主探索を行なうほどのヒマではないのだけれど、できれば今後もトマソン周辺で遊んでいきたいと思っている。

●さて、来年は……

今回は本年の最後ということもあり、違うネタを考えていたのだが、トマソンのことを書き始めたら長くなってしまった。顕微鏡写真の方はどうなっているのかというと、どうにもなっていない。しかし、そこには生と死の壮大なドラマがあったよ(ホントカナー)。年が明けたらいよいよ核心に迫っていくぞ!(ホントカナー)。

それからキッチュレンズの方も地味ながら動きがある。レンズじゃなくて、フィルターを作ってみたら、けっこう面白かった。フィルターというのはなんか姑息な気がしてたんだけど、面白いからいいや。自分で勝手に制限をつけてしまわずに、どんどん実験していこう。

【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com
◇上原光子・金子千枝二人展
カミさんが大宮で作品展をやっています。ご近所の方はぜひ覗いてやってください。12月23日(土)にはマトリョミンによるコンサートあり。
< http://www.maminka.com/
>
◇キッチュレンズ工房
< http://kitschlens.cocolog-nifty.com/blog/
>

photo
超芸術トマソン
赤瀬川 原平
筑摩書房 1987-12
おすすめ平均 star
star一度味わったらやめられない、それが赤瀬川原平の世界
starやはり「トマソン」がおもしろいのだ
star芸術ってなんだろう
star芸術ってなんだろう
starたいへんなはっけん

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by G-Tools , 2006/12/21