映画と夜と音楽と…[317]美しい思い出が促すもの/十河 進

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ニュー・シネマ・パラダイス ツインパック <10,000セット限定生産>●フィリップ・ノアレとアニタ・オデイの記事

昨年の十一月二十四日付けの朝日新聞の死亡欄にフィリップ・ノアレとアニタ・オデイの記事が並んで掲載された。フィリップ・ノアレは七十六歳、アニタ・オデイは八十七歳だった。アニタ・オデイが昨年にCDをリリースしたと初めて知った。僕は若い頃のCDしか持っていない。

フィリップ・ノアレは十二月十八日の朝日新聞の「惜別」欄のコラムで再び取り上げられた。「日本のファンにとってはイタリア・シチリア島が舞台の『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989年)で、村の映画館でフィルムを回し続けたアルフレードの役が忘れがたいだろう」と書き出されていた。

もちろん僕にとってもフィリップ・ノアレは映写技師アルフレードの印象が強いのだが、昔からいろいろ出ている人だから、これが代表作と決めにくい人ではある。僕には1973年の「エスピオナージ」という映画のフィリップ・ノアレが強く記憶に残っている。


エスピオナージ(トールケース仕様)「エスピオナージ」はタイトル通りのスパイ映画である。監督はアンリ・ベルヌイユで、フィルム・ノアールをたくさん作った人だ。出演者はヘンリー・フォンダ、ユル・ブリンナー、ダーク・ボガードにフィリップ・ノアレだから、英米仏の大物が火花を散らした映画である。

ソ連情報部の高官ユル・ブリンナーが亡命してくる。それをアメリカ、イギリス、フランスの情報組織のボスたちが偽装亡命か否かを見極めようとする話で、文字通り虚々実々の駆け引きが展開される。ヘンリー・フォンダがCIA高官でフィリップ・ノアレがフランス情報部の高官だった。

地下鉄のザジフィリップ・ノアレは、半世紀で百二十本近い作品に出演したという。僕が見ているのは、せいぜい十分の一くらいだろう。最初に注目されたのは「地下鉄のザジ」(1960年)というのが通説になっているが、あの映画は若きルイ・マル監督の才気ばかりが目立っていて、僕はあまり楽しめなかった。

「地下鉄のザジ」は僕が自覚的に映画を見始めた頃には伝説の映画になっていて、僕は見たくて仕方がなかったのだ。昔のことだから五年も前に公開されたヨーロッパ映画が地方都市で再上映されることはなく、僕はせめてもの思いでレイモン・クノーの原作だけは手に入れた。

それだけ期待が膨らんでいたのだろう、上京してようやく「地下鉄のザジ」を見たときの落胆は大きかった。今から見れば、何と言うことはない表現テクニックなのだが、そのテクニックが気になって僕は映画に没入できなかったのである。「死刑台のエレベーター」「恋人たち」に続くルイ・マルの三作目、まだ二十代の頃の監督作だ。

●『ニュー・シネマ・パラダイス』以後の代表作

日本でフィリップ・ノアレが一般的に認知されるのは、「ニュー・シネマ・パラダイス」の公開以後である。「ほらほら、『ニュー・シネマ・パラダイス』で映写技師やってた人」と言えば、かなりの人がわかるようになった。「ほらほら『エスピオナージ』でフランス情報部の高官をやった人」と言っても誰もわからない。

したがって僕はフィリップ・ノアレの作品を「『ニュー・シネマ・パラダイス』以前」と「『ニュー・シネマ・パラダイス』以後」に分けている。「『ニュー・シネマ・パラダイス』以後」のフィリップ・ノアレの代表作は、やはり「イル・ポスティーノ」(1994年)になるのだろうか。死亡記事にもそう書かれていた。

イル・ポスティーノ「ニュー・シネマ・パラダイス」が主役ではないように「イル・ポスティーノ」のフィリップ・ノアレも主役ではない。主人公に多大な影響を与える重要な脇役である。フィリップ・ノアレのポジションとしては順当なところだろう。フィリップ・ノアレは、ノーベル文学賞を受賞した実在の詩人パブロ・ネルーダを演じた。

イタリアの小さな島に暮らすマリオは漁師の父親から「職に就け」と言われ、臨時の郵便配達夫になる。チリ政府から追放されたパブロ・ネルーダがその島にやってきたからだ。ほとんど郵便物のない島に世界中からパブロ・ネルーダ宛てに郵便が届き、マリオは彼の専属の郵便配達夫になる。

マリオは映画館のニュースフィルムでパブロ・ネルーダに群がる女性たちを見て、詩によって女性たちが熱狂することを知る。やがてパブロ・ネルーダと言葉を交わすようになり、メタファー(隠喩)について詩人と討論するまでになる。マリオはようやく字が読める程度の教育しか受けていないが、詩の本質のようなものを理解するのだ。

マリオは島の居酒屋の娘ベアトリーチェに恋をする。マリオはパブロ・ネルーダに恋をしたことを告げ、詩を作ってほしいと頼む。だが、会ったこともないのに詩は書けないと断られ、マリオは自分の言葉でベアトリーチェに語りかける。そして、マリオの隠喩にあふれた言葉がベアトリーチェを魅了する。

マリオがベアトリーチェに出した手紙が叔母の手に入る。叔母はそこに書かれた隠喩を真実だと受け取り、マリオに姪を諦めさせてほしいとネルーダを訪ねてくる。それはパブロ・ネルーダがマチルダという女性に向けて詠んだ詩を引用したものだった。ネルーダは叔母の言葉をマリオに伝え、「あれは盗作だ」と言う。そのとき、マリオはこう答える。

──詩は書いた人間のものではない。必要な人間のものだ。

世界的な文学者が無学だが素朴な人間に諭されるという設定である。映画ではわりによくあるシチュエーションなのだが、主人公を演じる俳優が朴訥としていて説得力はある。彼が詩の本質を理解するのは、恋の力だというのも純朴でいい。マリオを演じたマッシモ・トロイージは、この映画の完成後すぐに亡くなったという。

●ロベルト・アンリコ監督の「追想」で主演賞受賞

フィリップ・ノアレ主演で僕が忘れられない映画は「追想」である。1975年、就職し結婚した年に見た映画だ。秋のことだったと思う。「追想」はロベルト・アンリコ監督(ロベール・アンリコが正しいのだろうが、最初はこう表記されていた)の最新作だった。

オー!「冒険者」の後、「若草の萌える頃」やジャン・ポール・ベルモンドとジョアンナ・シムカスを使って撮った「オー!」が公開されたが、1971年の「ラムの大通り」以来、ロベルト・アンリコの映画は公開されていなかった。日本では、久しぶりの新作だった。そして、「追想」は僕が見た最後のロベルト・アンリコ作品になった。

「追想」はテレビの新作紹介でも取り上げられたが、そのときに流されたのは主人公のフィリップ・ノアレと妻と娘の三人が自転車でフランスの田舎を走るシーンである。「冒険者たち」でコンゴの紺碧の海を背景に戯れるローランとマニュとレティシアの美しい映像を作ったロベルト・アンリコらしいロマンティシズムにあふれたシーンだった。

ルートヴィヒ 復元完全版 デジタル・ニューマスター妻を演じたのはロミー・シュナイダーである。理知的で高貴な美しさが輝くようだった。今から振り返ると「ルードウィヒ 神々の黄昏」(1972年)や「離愁」(1973年)を経て、ロミー・シュナイダーはそのキャリアの絶頂期を極めていたのだ。彼女は「追想」の七年後、1982年5月29日、パーティーから戻ったままの姿でソファにもたれて死んでいた。四十三歳の急死である。

三人家族のサイクリングの場面は、牧歌的で郷愁を呼び起こす美しいシーンだった。それは、かけがえのない幸福を象徴する。そのシーンがあるゆえに、普通の心優しい男だった主人公が復讐鬼となって人を焼き殺す怒りが納得できるのだった。「追想」でフィリップ・ノアレはセザール賞主演男優賞を獲得する。

ドイツがフランスに侵攻した頃の設定である。フィリップ・ノアレが演じたのは、田舎の医者だ。美しい妻とかわいい娘がいる。彼が何より愛しているふたりだ。あるとき、村にドイツ軍が侵攻してくる。彼の留守中、ドイツ軍によって娘は射殺され、妻は火炎放射器で焼かれる。

フィリップ・ノアレの悲しみと絶望が伝わる。それは怒りへと転化し、復讐が始まる。地の利を利用して(この辺は後年の「ダイ・ハード」みたいだが)彼はひとり、またひとりとドイツ兵を殺していく。普通の臆病な小市民だった男が復讐鬼に変貌するのである。

彼を復讐に駆り立てるのは、幸せだった頃の追想だ。美しい妻とかわいい娘と並んで自転車を漕いだ日々の思い出だ。うららかな春の光があふれ、緑や花々を輝かせている。さわやかな風が吹き抜ける。彼に向けられる妻の微笑みは、何ものにも代え難い宝だった。それを壊したものは許せない!

主人公は、妻を火炎放射器で焼いたドイツ兵と同じレベルに落ちる。彼は最後にドイツ軍の将校を火炎放射器で焼き尽くすのだ。だが、彼には復讐を遂げた満足感などあるはずもない。失われた者は還ってはこない。妻も娘も生き返りはしない。彼は追想するしかない。残されたものは思い出だけである。

「追想」は、幸せな家族を描くシーンと残酷な戦闘シーンが交錯し、戦争の無意味さ、無惨さを視覚的に刻みつける映画だった。美しいシーンの後に残虐きわまりないシーンが続く。それまで見てきたロベルト・アンリコの作品とは思えないほどだった。

だが、悲しみと絶望から復讐に立ち上がるフィリップ・ノアレが素晴らしかった。復讐の虚しさを知りながら、壁に黒こげの影のように焼き付けられた妻の死骸の記憶が彼を駆り立てる。娘の射殺死体が彼に引き金を絞らせる。そして、かつての美しい思い出が、彼に残虐きわまりない行為を促すのである。

そんな馬鹿げたことが起こるのが戦争なのだと、「追想」は強く訴えてくる。戦争は人類最大の愚行である。優しい夫であり父親である男を、血まみれの残虐な殺人者に変貌させる。ロミー・シュナイダーの美しさが際立つからこそ、血塗られた殺人者に堕した主人公の己を厭う気持ちが悲しく哀れだった。あれから三十年、世界では今も人が人を殺し続けている。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
正月明けの一週間は実に充実していた。出社初日に同僚と呑みすぎてしまったけれど、翌日は趣味が高じて青山にジャズバーを開いてしまったデザイナーさんの店で過ごし、その翌日は広尾の銭湯の上に引っ越した写真家の事務所でおいしいワインを飲んでいた。さらに翌日の金曜日…   (この話は次号で)

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