[2128] 映画への愛と記憶

投稿:  著者:  読了時間:24分(本文:約11,600文字)


<台湾女僕珈琲連続出現事件>

■映画と本と音楽と…[318]
 映画への愛と記憶
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![43]
 台湾女僕珈琲萌萌巡礼
 GrowHair


■映画と本と音楽と…[318]
映画への愛と記憶

十河 進
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●かわなかさんに解説を依頼するまで

映像作家でイメージフォーラムを主宰するかわなかのぶひろさんには、ずいぶんとご無沙汰し不義理を重ねていた。このコラムでは、かわなかさんにお世話になった時期のことを何回も書かせていただいたが、2000年に現在のイメージフォーラムのビルが渋谷に完成したとき、そのお披露目に写真家の丹野清志さんと一緒にうかがってお会いしたのが久しぶりのことだったし、そのとき以降も年賀状での挨拶くらいしかしていなかった。

2005年の秋に五百部限定の「映画がなければ生きていけない」が出たときも、かわなかさんに送らねば…と思いながら、映画への愛と記憶に関しては僕など足元にも及ばないかわなかさんに、つまらない駄文をまとめたものを送って恥をかくのがいやで二の足を踏んでいた。その背中を押してくれたのは、やはり丹野さんだった。

丹野さんには限定版が出てすぐに送ってあったのだが、ある日、会社の近くで会って話をしたときに「昨夜、ゴールデン街でかわなかさんと会ったけど、本は送ってないらしいね」と言われたのである。「かわなかさんほどの映画的記憶に充ちた人に送るのは怖いですよ。蓮見重彦に送るようなモンです」と答えたのだが、その日すぐに詫び状を入れてかわなかさんに一冊お送りした。

しばらくして、かわなかさんから電話がかかってきた。何しろ造形大の映像学科の教授である。たくさんの教え子は映画監督や映像作家になっている。僕は先生の前に立たされてテスト結果を聞く学生の気持ちになった。幸い、かわなかさんからは「いつの間にあんなことやってたの?」という感じで好意的な批評をいただき、ホッとした気分になった。

昨年、完全版「映画がなければ生きていけない」を水曜社が出してくれることになり、「解説をどなたかに」と言われたときに真っ先に浮かんだのがかわなかさんだった。ちょうど、かわなかさんの作品上映会の案内をいただいたところだったので、その上映会で改めてお会いしてお願いしようと思い、まず手紙を書いた。

しかし、かわなかさんの作品上映会が近づくにつれて緊張し始めた。自分の本の解説をお願いすることはもちろん初めてだし、駄文を連ねた本にそんな価値なんてないのではないかと、いつもの弱気の虫が騒ぎ始めたのである。僕が八年もこのコラムを書き続けてくることができたのは、読者からのメールに励まされたからだ。何の反応もなければ「こんな駄文に意味はない」と迷ってやめていただろう。

●記憶はゆらゆらと揺れる映像に似ていた

その日、表参道駅を降りて青山学院大学を通り過ぎスターバックスのある角を曲がった途端、イメージフォーラムの前に人がたむろしているのが見えた。何だろうと思いながらイメージフォーラムのビルに近づくと、路地側の壁にいくつか貼ってある映画のポスターが見えてきた。「なるほど、そうか」とひとりで納得した。

イメージフォーラムには、ビル落成のお披露目のときにきて以来だった。あれからもう何年も経っている。そのときには、一階の映写ホールを始めすべて見せてもらった。映画館としてはそんなに広くはないが、映写設備が充実したホールだった。そのホールはシアター・イメージフォーラムとして単館ロードショーを行っている。

たむろしていた人たちは、次回の上映を待っていたのだ。新聞でも取り上げられ、話題になっている「蟻の兵隊」という映画である。僕は人々を掻き分けるようにして受付へいき「かわなかさんの作品上映は何階ですか」と聞いた。外の入り口から入って三階だという。「イメージフォーラム、ダゲレオ出版」と書かれたドアを押し、三階へ上がる。

三階はイメージフォーラムの教室であり、映写ホールでもあるのだろう。時間が早すぎて、まだ前の作品を上映していた。受付の人に「かわなかさんはいらしてますか」と訊くと、まだだという。どちらにしろ上映後に改めてお願いしなければならない。かわなかさんに会うのも、イメージフォーラムの落成お披露目以来だった。

時間がきて正面のスクリーンを背にしてかわなかさんが立った。上映される作品は「私小説」の102分バージョンである。その作品を撮り始めたきっかけから、かわなかさんは話し始めた。時代は1960年代後半まで遡り、草月ホールが前衛芸術のメッカだった頃の話になる。当時の文化運動の雰囲気まで伝わってきた。

やがて上映が始まった。「長篇実験映画の快楽」という特集上映で、松本俊夫さんの「薔薇の葬列」(1969年/ピーターのデビュー映画だ)、金井勝さんの「時が乱吹く」(1991年)、鈴木志郎康さんの「15日間」(1980年)、帯谷有里さんの「毛髪歌劇」(1992年)、大木裕之さんの「HEAVEN-6-BOX」(1995年)と続き、トリがかわなかさんの「私小説」(1996年)だった。

かわなかさんの「私小説」はシリーズ作品だったが、それらをまとめて一本の作品にしたのが「私小説」102分バージョンである。サイレントであり、時々、スーパーインポーズでタイトルが入る。そのサイレント作品を見続けていると、不思議な記憶の感覚が甦ってくる。

トワイライトの都市風景が映る。遠い記憶の中から浮かび上がってきたような、揺れているような映像が無音で綴られてゆく。フッと見知った顔が出てくることがある。それは寺山修司の葬儀に現れた山田太一であったり、ゴールデン街の「まえだ」のママの葬儀のシーンに登場する野坂昭如や三上寛だったりする。

「私小説」の中では、三つの葬儀が映る。寺山修司、川喜多和子、「まえだ」のママの葬儀である。僕は川喜多和子さんと「まえだ」のママには面識があったし、ほんの少しだけだが会話したこともあった。「まえだ」のママは喉頭ガンの手術後で、マイクを喉にあてその震えで発声していた。だからだろうか、そのシーンに心を掻き立てられる。102分のサイレント作品に時を忘れた。

●久しぶりの新宿に備えてホテルを予約

──僕でいいの。一般的には知名度はないよ。もっと有名な人を紹介しようか。

上映後にかわなかさんはいきなりという感じで、そう言った。僕は、まず手紙に書いたことを改めてお願いし、引き受けてもらえるかどうかを確認しなければと思っていたので、断られるのではなさそうだと安心した。「いえいえ、勝手なことを書かせていただいていますし、僕のことを知っていただいているかわなかさんに是非お願いしたいので…」とモゴモゴと答えた。

引き受けてもらったものの膨大なゲラに目を通してください、と言うのは気が引けた。しかし、何とかわなかさんはすべてのゲラを読んで、解説を書いてくれたのだ。同じゲラは僕のところにも校正のために送られてきたが、重ねれば十五センチくらいはありそうだった。自分でもうんざりする分量である。

締め切りの日、水曜社の担当の北畠さんから、かわなかさんがわざわざ自分で原稿を届けにみえたことをメールで知らされた。同じ日、かわなかさんからメールが入り、解説文が添付されていた。初めての出版を応援してやろうという愛情に充ちた文章に僕は心打たれた。

──編集者として、映像や写真を中心とする出版に長年携わってきた著者が、その激務の傍らでずっとずっと思い続けてきた夢---映画への、小説への、音楽への、そしてさまざまな憧れへ---の滋味あふれる結晶からなる玉手箱にほかならない。

──本書のきわだった特長は、映画を中心に小説や音楽や詩やマンガなど多くのジャンルにまたがる蘊蓄を俎上にあげながら、それらが単なる知識としてではなく、必ず「僕」を基点として発語されているところにある。そこが類書にないきわだった魅力だ。

ちょっと誉めすぎじゃないか、と思ったけれど、とても嬉しかった。人の喜びのひとつに「理解された実感」というのがある。わかってくれたのだ…という幸福感だ。人は自分の想いを伝えるために表現行為をする。言葉では伝わらない何かを伝えるために文章を連ねる。その「何か」が確実に伝わったのだ、という実感…

だが、かわなかさんのメールには、ゲラを読んで気付いた部分が控えめに書かれていた。やはり映画的記憶にはかなわないなあ、と僕は思った。えっ、と驚いたのは「東京流れ者」のプロローグのモノクロシーンで、一点だけ真っ赤に描かれているのが血ではないと指摘されたことだった。僕がずっと思い込んでいた記憶が間違いだったのだ。

そんな記憶違いが他にもあるだろう、と改めて本を出すことの怖さを思い知ったのだが、一方で「この本にはソゴーという男の映画的記憶が書かれているのだ、と思ってもらうしかない」と思い定めた。一種の居直りである。蓮見重彦さんや山田宏一さんのような映画的記憶の高みには至れないのだと諦める他にない。

かわなかさんには、本が出る前から何かと宣伝をしていただいたが、見本が届いた頃から、いろいろと贈呈先を教えていただいた。年明け早々には、かわなかさんと親しい長部日出雄さんや内藤陳さんにも送るといいよ、とメールが届いた。昨年、僕は「天才監督・木下恵介」を読んで改めて長部さんの仕事に感服していたので、長部さんに読んでもらうほどの価値があるのかと思ったが、版元にパブリシティとして送ってもらうように連絡した。

内藤陳さんも「読まずに死ねるか」の人である。博覧強記、本や映画に関しては一流の目利きである。昔、一度だけ「深夜+1」で話をさせてもらい、そのときには本に対する愛情にあふれた優しい人だと思ったけれど、僕の半端な知識が通じるとは思えないし、バカなことを書いてんじゃない、と思われるのが怖かった。

年明けの二週目、かわなかさんと新宿でお会いすることになった。水曜社の近くの中華料理店からのスタートである。編集担当の北畠さんとデザインとイラスト担当の鈴木さんの四人だ。少し歩けば新宿ゴールデン街である。僕は新宿の花園神社の向かいにあるビジネスホテルを予約した。門限は夜中の二時だという。門限までには帰れないかもしれないな、と僕は思った。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
アマゾンでは上巻が在庫なしのようなので、ちょっと検索してみたら、楽天ブックスやヤフーブックスの他に大手書店のサイトもいくつかヒットして、在庫何点なんてすぐに調べられるようになっているんですね、今は。小林信彦さんの「映画が目にしみる」(すぐに買いました)と並んで出ていて、ちょっと嬉しい。

●第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本
完全版「映画がなければ生きていけない」書店およびネット書店で発売中
出版社 < http://www.bookdom.net/suiyosha/suiyo_Newpub.html#prod193 >

●デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html >

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■Otaku ワールドへようこそ![43]
台湾女僕珈琲萌萌巡礼

GrowHair
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会社から台湾出張を仰せつかった。1月18日(木)〜20日(土)の3日間で行ってこい、と。去年の6月以来、約半年ぶりである。あの時点で台湾にはメイド喫茶が二軒あった。今はどうなってるかとググってみると、なんと、五軒に増えているではないか。急成長する台湾、侮りがたし。

今回、天の声により授かった任務は、仕事の時間にはちゃんといたというアリバイを成立させつつ、短時間にできるだけ多くのメイド喫茶を回ってくること。まかり間違っても、メイド喫茶のレシートが出張経費精算の書類に紛れ込んで会社に渡ったりなどというミスがあってはならない。

●完全犯罪計画

前回の時点で営業していた2軒のメイド喫茶とは、台北の「Fatimaid」と高雄の「月讀(つくよみ)」である。台北と高雄は台湾のほぼ最北端と最南端に位置し、それぞれ第一と第二の規模の都市になっている。その間、約350km。1月からは両駅を結ぶ新幹線が開業する予定だったが、現在のところ、両端を端折って、台北のひとつ手前の板橋と高雄のひとつ手前の左営の間で暫定開業している。開店半額セール中。それにも乗ってみたい。

というわけで、西村京太郎の推理小説よろしく、電車と飛行機を駆使して綿密なアリバイ工作を企てる私なのであった。台湾女僕珈琲連続出現事件……。19日(金)、午前中は台湾北西部の新竹(しんちゅう)でお仕事の予定。ここは「台湾のシリコンバレー」とも呼ばれるところ。その足で高速鉄道新竹駅から13:55の新幹線に乗り、15:10に台南着。メイド喫茶「白雪」でご主人様な時を過ごし、鉄道で約1時間南下して、高雄へ。メイド喫茶「月讀」で再びご主人様して、20:55高雄発の飛行機で台北へ。21:45着。

20日(土)は、台北市内の西門町(せいもんちょう)にある「萌點珈琲(萌えポイント)」へ。この街は前回行ったが、街全体が、昼過ぎにならないと起きない。帰りのフライトが15:00、台北桃園国際空港発の成田行きでは慌しいので、17:25発のに変更。名古屋行きだけど。20:50に着いて、どうやって東京に戻るかは、そのときになってから考えることにして。

●いきなり計画にほころびが

19日(金)、予定通り午前中に仕事が片付く。後で振り返ってみると、順調に進んだのはここまでだった。新幹線に乗るところで、いきなり計画がつまづく。全車指定席なのだが、これが、普通車もグリーン車もすべて満席。それなら立席特急券を発行してくれるのかと思いきや、そうしてはくれず、乗れないのである。在来線だと3時間半かかる。どうしよ? 呆然と途方にくれること、約30秒。

恋は障害があるほど燃えるというが、これだって、ご主人様とメイドとの道ならぬ恋みたいなもんである。障害があるほど萌える。この程度のことでめげててどうする。そうだ、飛んじまおう。タクシーで台北松山空港へ。

14:10、空港に到着。時刻表では、15分後の14:25発高雄行きがあるが、もうチェックイン締め切りで、電光掲示板の表示からは消えていた。やむを得ず、X線チェックをぴゅーっと走り抜け、後ろからの公安による銃撃を右へ左へとかわし、一目散に機内へ。即、逮捕され、ゲームオーバー。……となっては元も子もないので、カウンター前で土下座して無理を聞いてもらい、乗せてもらった。遠東航空、多謝多謝。

15:45、高雄空港からタクシーで台南へ。バナナ畑を横に見て1時間。元の予定からは約2時間遅れの17:00着。あたりは台湾によくあるごみごみした商店街。立ち並ぶビルが車道ぎりぎりまでせり出し、一階部分が歩道になっていて、四角い柱が連なる。よくあるように、衣料品店、食料品店、医者、バイクの修理屋など、何の関連性もなく軒を連ねる。そのひとつが「白雪」であった。「え? こんなところにいきなり?」という印象。
< http://blog.yam.com/shiroyuki/ >

20人ほど入れそうな店内に、大学生とみえる青年が二人、離れて座っていて、どちらも熱心に何かを読みふけっている。ガラスの引き戸を開けるとメイドさんが応対に来てくれてたが、申し訳なさそうに日本語で「今、入れないんです」と言う。5時から15人の団体客の予約が入ってしまっているという。そうでなければフリーで入れたのだが、相当運が悪かったらしい。仕方なく、引き下がる。店の感じは日本のに比べてまったく見劣りなく、可愛らしさと品のよさが、ほどよくアレンジされていた。

周辺にアキバ系の空気がないところに単独でメイド喫茶は存在しづらいのではないかと思い、あらためて歩き回ってみると、疎らながら、それっぽい店があるではないか。向かいは24時間営業のゲームセンターだし、近くにはパソコンショップがある。ガラス扉には「三国無双」や「ラグナロクオンライン」のポスターが貼ってある。また、日本からの輸入品専門店では「59番目のプロポーズ」のDVDなどが置いてあり、日本語が通じた。

18:04台南発の急行列車で引き返し、高雄へ。新幹線にお客を取られてがらがらかと思いきや、激混み。全車指定席なのだが、在来線は立席もありで、通路が人で埋まっていた。ほとんどが大学生ぐらい。正月休み(台湾の正月は2月)の帰省ラッシュ? そう言えば飛行機も残り一席だったっけ。

19:00、高雄着。駅から少し歩いて「月讀」を発見。何というか、秋葉原のメイド喫茶の黎明期のセオリー通りの位置。電気街の裏通りの目立たないところにひっそりとあり、ビラ配りするでもなく、知っている人だけが来られるという、オタクのオアシスのような感じ。ガラス越しに見える店の内装も、センスがよく、女の子の部屋〜って感じの暖かげな雰囲気。「白雪」もそうだったけど、周辺に漂う生活感丸出しのごみごみ感から極端に隔絶された美しすぎる空間が非現実の空気を醸し出し、大変よろしい。
< http://www.uni-c.com.tw/ >

だが、だが。店内は満杯で、外のベンチに三人座って待っている。うぇ〜、時間ないのに〜。いちおう扉を開けてメイドさんに聞いてみると、日本語が通じなくて、だけど英語は通じて、少なくとも20分待ちだという。今、19:30で、フライトが20:55、え〜っと...。無理だ。

苦労してここまで来たというのに、二軒とも入れないとは。俺、メイド喫茶から結界張られるようなこと、何かしたかなぁ。まあ、普段の行いはあんまり威張れたもんじゃないけど。いやもう、こうなりゃ意地だ。明日こそは結界を一刀両断にたたき斬ってやるぞっ。どこかに入れるまでは帰国するまじという不退転の決意で。

20:00ごろタクシーを拾って高雄空港に向かったら、思いのほか時間がかかって、着いたのは20:40、出発15分前だ。ぎりぎりセーフ。あせった。

●空振りは続くよどこまでも

19日(土)、10:00過ぎにシェラトンホテルをチェックアウトして、徒歩で台北地下街へ。ここは前回来たときに、兄井冥土店長氏に案内されて歩いたところだ。11:00前は開いてる店がほとんどなく、シャッターが続くばかり。なのに、中高生とみえる若者たちがけっこう歩いている。

一番奥にメイド喫茶「Fatimaid」がある。閉じたシャッターの上の壁には[御茶ノ水←秋葉原→浅草橋]と、JR秋葉原駅の表示が描かれている。前回は横目で見ながら通りすぎたのだが、一瞬の印象が非常によかった。トーンを落としたえんじ色の、厚めの生地のロングドレスがエレガントで。
< http://www.piware.com/fatimaid/ >

11:00を少し過ぎたころに戻ると、開店していたが、メイドさんがすまなそうに日本語で、「予約満席」という。え? 予約が必要だったの? しかも満席って...。またしてもアウトか。あー、帰国できるのか、俺。

●頼みの綱は「萌點珈琲」だけ

徒歩で西門町へ。「萌點珈琲」は番地から難なく探し当てることができた。一階は流行服のお店だが、二階以上が「萌萌動漫資訊館(萌え萌えアニメ資料館)」となっていて、二階がコミック本やアニメDVDなどのお店、四階がコスチュームのお店になっている。三階フロアーほぼ全部が「萌點珈琲」で、100席ほどあろうかという大店舗。こんな大きなメイド喫茶、日本でも見たことないぞ。
< http://www.moe2.com.tw/main.html >

入り口で、メイドさんに「入れますか」と訊く。緊張の一瞬。日本語が分からなかったようで、戸惑ったふうに、店内にいた若い男性に目配せした。店長さんらしい。彼が近づいてきて、「どうぞ」と言ってくれた。瞬間、涙出そうになったよ、ホントに。漫画だったら滝のようにでーっとな。

11:30ぐらいで、店内はがらがら。五〜六人の高校生ぐらいの男の子のグループがいるだけ。適当な席につくと、青いロングドレスのメイドさんがやってきて、スカートをちょっとつまんで片足を引いて腰をかがめるごあいさつ。かっ、かわえ〜〜〜。(赤面)

カルボナーラとモカコーヒーを注文。見てると、このメイドさん、ちょこまかぴひょぴひょ、あっちちょろちょろこっちちょろちょろ、あートチった、ひえ〜、どうしよどうしよ、うろたえうろたえ、あーあっちも行かなきゃー、てとてとてと、ごちっ、痛っ、背中ぶつけたー、と、落ち着きのないこと...。あ〜、初々しくて、かあえ〜。

次に入ってきたのは、中学生ぐらいの女の子四人のグループ。それから、もさっとした男の子一人。高校生ぐらいのカップル。12時を回ると次から次へと入ってきて、あっという間に店の7割ぐらいの席が埋まった。日本のメイド喫茶よりも客層がずっと若いぞっ。それはそうと、みんな入口脇のテーブルに置かれた紙をチェックして入ってくる。あれ? もしかして本当は予約が必要だったとか? 店長さんの一存で、特別に情けをかけてくれたとか? 俺、そんなに切羽詰った顔してた? かもな。

ひえ〜、ありがたいやら恥ずかしいやら。もしそれがなかったら、今ごろ日本に帰って来れなくて、街に住みつく野良犬たちと食い物を奪い合っていたかもしれない。どれだけ救われたことか。

店長さんが、お店の伝言ノートを持ってきてくれた。ざら紙の分厚いノートで、黒い表紙には銀色の文字で "Death Note" と書かれている。開いてみると、もうほとんど最後のページ近くまで、100人以上のイラストやコメントで埋まっている。イラストは、メイドさんや流行りのアニメキャラの絵が多かったけど、これがまた、みんなめちゃ上手い。

日本の漫画やアニメは、メジャーなものはほとんどすべて、相当マイナーなものまで、あっという間に中国語訳され、大量に出回っている。「すき。だからすき」と「好きなものは好きだからしょうがない」という似ても似つかない別作品が同じ「喜歡所以喜歡」というタイトルになっちゃったりしている。こういうのにどっぷりと浸って学生時代を過ごす環境が台湾には整っている。作品が逆向きに翻訳される日が来るのも、時間の問題か。

完璧な日本語のコメントもある。日本人が書いたのではないことは、「萌」の字の草かんむりが割れていることぐらいでしか判別がつかない。日本人のコメントはふたつだけあった。ひとつは、大阪日本橋のメイド喫茶よりもよいとほめている。もうひとつはページいっぱいに「萌え」と大書し、下に「2007.1. 15. 日本代表」とあり、ふりがなつきで署名までしてある。"Death Note" に自分の名前書いちゃったS.I.君、お元気ですか?

もういつ死んでもいい気分だったが、西門町をぶらっと散歩して、帰路に。帰りもすんなりとはいかず、日本亜細亜航空と中華航空のカウンターを巻き込んでみんなで悪い汗を一汗かいたのだが、最終的には無事帰国。22:09名古屋発、最終の「のぞみ」で帰京できた。台湾の新幹線に乗り損ねて、日本のに。台北の空港では時間がないどころの騒ぎじゃなかったので、職場への土産はういろうになってしまったが、どう言いつくろったものか?

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
国際遊び人。日曜日は岡田斗司夫氏の「落語 2.0」を聞いてきた。四人の演者の持ちネタをくくるテーマは「美女と水爆怪獣」。男の子を夢中にさせるもの。来場者の7〜8割は男性。岡田氏の話は、男性とは、何かに夢中になると、本来の目的を忘れてのめり込んじゃう馬鹿な生き物なりとの軸に沿って、特撮系映画の自主制作の経験と核兵器開発の歴史をからませて。笑えるだけでなく、じっくり聞かせる面白さ。密度の濃い時間を過ごせた。日曜の渋谷センター街より土曜の台北西門町の方が人混みすごかったなー。

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■編集後記(1/26)

・「早く4時にならんかのう。わしはもう限界じゃよ」と老人語をつかってみ
る。じっさいにそんな言葉を使う老人なんかいない。同じように、博士はたいてい「〜じゃよ」と言うのがお約束だが、そんな博士に会ったことがない。それはともかく、わたしと妻は午後4時を待ちかねる。それは、NHK教育テレビの「あつまれ!わんパーク」の始まる時刻である。幼い孫が遊びに来ることほどうれしいものはない、孫が帰るときは涙ぐんでしまう、なんていう同年配の人は少なくない。たまにあることだからそう思うのだ。同居してたり、毎日来るとなると、そんなこと言ってられないぞ。わが家は後者である。とくに孫2号(男)のほうはものすごく大変だ。機敏に突進してあちこちを荒らし回るので、たえず追いかけている。だっこしてもおんぶしても、もう相当の重量になっているから、かなりハードだ。若い頃は全然感じなかった、乳幼児を相手にすることの身体的なつらさ。これだから、子育ては若いうちのほうが断然楽である。で、「あつまれ!わんパーク」の番組が始まると、その大変さが半減する。ずうっとおとなしくテレビを見ているわけではないが、かなり興味を持って見ている時間がある。テレビに子守させるなという批判があるが、そんなこと言ってられまい。極端に走らなければある程度仕方がない。だが、「あつまれ!わんパーク」の番組群は感心するほどよくできている。「にほんごであそぼ」「からだであそぼ」などとてもおもしろくて、わたしも見入ってしまう。その後の、おじゃる丸もミミカも忍たまもみんな見ている。孫よりも熱心に見ている。「テレビはニュース以外見ない」と常々えらそうに言っているわたしだが、じつは相当なテレビ見ではないか。今日も午後4時が来るのを待つ。(柴田)

・Firewire(IEEE1394)で繋いでいる外付HDD250がデスクトップにあらわれなくなった。どころか、同じハブに繋いでいる他の外付HDD160ほかすらデスクトップに出てこない。システムプロファイラのFireWire装置ツリーにも出てこない。認識していない。大元のFirewireは繋がっていることを160で確認。ハブも壊れていなさそう。250以外はバスパワーで動くから、ランプがついているのが繋がっている証拠だ。ハブに差し込むケーブルの位置をいろいろ変えてみたが解決せず。直前にセキュリティアップデートをしたからか? 電力が足りないとか? とハブにACアダブターで電気を送ってみたが変化なし。Tech Tool Proしても回復せず。が、250をハブから抜けば他はデスクトップに戻ることを知った。これも修理か……と思っていたら弟がひとこと。「HDDが死んでたら、読み込みを無視するだけで、他のHDD読み込みにまで影響するなんてことないよ。250とハブを繋いでいるケーブルを変えてみたら?」 そんなことあるわけが……第一このケーブルはメーカー品の24K金メッキ処理プラグをわざわざ用意したんだよ、抜き差しはしていないし、折り曲げたりしていないし。と、違うケーブルで繋いでみたらHDD250さんとその仲間たちはなにごともなかったように生き返った。ま、こんなことで悩む人なんていないだろうけど、解決策が見つかったので事例をネットにいちおう流してみました。/伊集院光のラジオで話題になっていた「あつまれ!ピニャータ」が気になる。伊集院の話し方が上手いせいなんだけど。どんなソフトか知りたい人はPodcastで聞いてみてね。(hammer.mule)
< http://www.tbsradio.jp/category/junk/ >  今週中なら視聴でも聞ける
< http://www.xbox.com/ja-JP/games/v/vivapinata/report01.htm >
これを見る前にできればPodcastを
< http://www.dgcr.com/present/list.html >  プレゼント受付中!