映画と夜と音楽と…[319]ロマンティックな愚か者/十河 進

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ダック・コール (上)●内藤陳さんに勧められた本

内藤陳さんと初めて話をしたのがいつだったか、僕は書棚から稲見一良(いなみ・いつら)さんの「ダック・コール」という小説を取りだして確かめた。そのとき、陳さんに勧められ、すぐに買った本だからだ。陳さんは「おいしい小説です」と言った。奥付は1991年5月31日の再版だった。ということは十六年近くも前のことになる。

稲見さんは寡作だった。最近、光文社文庫で「セント・メリーのリボン」が再発売されたけれど、稲見さんが亡くなって以来、本は入手しにくくなっていた。「ダック・コール」は第四回山本周五郎賞を受賞した作品集だが、読んだ人にはほとんどお目にかからない。

僕も、明け方の「深夜+1」のカウンターで陳さんに勧められなければ、買うことはなかっただろう。もしかしたら、あのとき、カウンターの中に入っていたのは作家になる前の馳星周さんだったかもしれない。稲見さんは亡くなり、馳さんは人気作家になった。十六年という歳月の長さを改めて実感する。


セント・メリーのリボン正月休み明けの週末にかわなかのぶひろさんと久しぶりに新宿ゴールデン街にいき、当然のことのように「深夜+1」にいった。僕は一番最後に店に入ったのだが、いきなり陳さんに歓迎された。十六年ぶりなのだ。僕のことを覚えているはずがない。先に入ったかわなかさんが「映画がなければ生きていけない」の著者だと紹介していたのだ。

その週の初めにかわなかさんの紹介で、版元から陳さんに二巻の「映画がなければ生きていけない」を送ってもらっていた。しかし、本がすぐに届いたとしても二日くらいしかたっていない。読む時間はなかったんじゃないか、と僕は思ったが、陳さんはかなり読んでくれていて、「ソゴーさんはハメット派じゃないの」と言われた。「スタンド・アローン」という章でハメットのことを書いていたからだろう。

それからハメット派の船戸与一さんについての話が始まり、レイモンド・チャンドラーの話になり、さらにジョゼ・ジョバンニの話になった。「昔、内藤陳さんの酒場『深夜+1』で聞いた話だが…」という一節が僕の本の中に出てくるのだが、そのことから「ダック・コール」を勧められたという話になった。

陳さんは日本冒険小説協会を創った会長である。もう二十五年になる。冒険小説協会を創ろうと思ったのは「素敵な本の話をしたかったから」だと言う。そう、淀川長治さんがどんな映画でもよいところを見出して誉めたように、陳さんも本への愛情にあふれている。素敵な本を人に勧める喜びを感じる人なのだ。どうしょうもない本については何も言わないだけである。

そんな陳さんに自著を読んでもらっただけでも僕は感激していたのだが、気に入ってもらったことで、その夜、舞い上がっていたのは事実だった。そして、陳さんと話すうちにかつて僕が熱中し愛読した作家たちの記憶が甦ってきた。アリステア・マクリーン、ハモンド・イネス、デズモンド・バグリィ、ジャック・ヒギンズ、ディック・フランシス、そしてギャビン・ライアル…

●ジャック・ヒギンズを再読する

陳さんと話をした翌日、僕は陳さんが神と仰ぐジャック・ヒギンズの本を書棚から抜き出した。「地獄島の要塞」はジャック・ヒギンズの三作目の小説で、初めて翻訳が出たものだったと思う。僕の持っている本の奥付は1974年8月の初版だ。当時、僕はギャビン・ライアルとデズモンド・バグリィの小説は出ると必ず買っていたが、ジャック・ヒギンズは新人という認識だった。

そのジャック・ヒギンズがブレイクするのは「鷲は舞い降りた」である。1975年にイギリス、アメリカで発売され、いきなりベストセラーになった。菊池光さんの翻訳で、翌年(奥付では2月29日初版)に早川書房から出た。「地獄島の要塞」が文庫本での発行だったのに較べて、ハードカバーの上製本で1300円もした。

もちろんハリウッドは、すぐに映画化権を買った。マイケル・ケインのクルト・シュタイナ中佐、ドナルド・サザーランドのリーアム・デブリン、ロバート・デュバルのラードル中佐という豪華な配役に加えて、「荒野の七人」「大脱走」など西部劇・戦争ものを撮らせたら当時右に出る者のなかったジョン・スタージェスが監督だった。

映画版「鷲は舞い降りた」(1977年)については、ハヤカワ文庫「冒険・スパイ小説ハンドブック」の中で、作家の伴野朗さんが「箸にも棒にもかからない駄作であったのは、なぜだろうか」と書いている。僕はそれほどまでひどくはなかったと思うけれど、確かに映画版の印象は薄い。

余談だが、伴野さんがその原稿を書いたのは、日活八十周年記念映画として製作された「落陽」(1992年)の監督を引き受けた頃のことだ。原作者である伴野朗を監督として起用し、ダイアン・レインやドナルド・サザーランドなどハリウッドスターを招聘した大作だったが、残念ながら「落陽」は箸にも棒にもかからない駄作だった。

小説「鷲は舞い降りた」が魅力的なのは、登場人物たちが素晴らしいからだ。アメリカ人の母とドイツ軍の将軍である父親を持つドイツ軍将校クルト・シュタイナ中佐は、移動の途中でワルシャワ駅に降り、SSに追われるユダヤ人の少女をかばい逃がす。彼に心服する部下たちはSSに銃を向ける。クルト・シュタイナは言う。

──彼らは、なぜか、わたしには理解できない理由で、ある種の忠誠心をわたしに抱いているのです。あなたが、わたしだけで満足して、彼らがしたことを見逃してくれる可能性はないだろうか?

そうした絆で結びついているクルト・シュタイナと部下たちは、イギリスの片田舎に降下し、別荘に滞在するチャーチルを誘拐するという決死の作戦を命じられる。彼らは様々な困難を乗り越えてチャーチルに近づいていく。だが、彼らが高潔で立派な人間だったが故に作戦は失敗する。

チャーチルの誘拐作戦を誰に命じるか検討しているときに、SS長官のヒムラーはクルト・シュタイナの資料を読んで、こんなことを言う。

──非常に頭がよくて、勇気があり、冷静で、卓越した軍人だ。そしてロマンティックな愚か者だ。

エリート軍人であり、歴戦の勇士であり、英雄であったクルト・シュタイナは、たったひとりのユダヤ人の少女を逃がすために、自分のすべてを棄てることができる「ロマンティックな愚か者」なのである。だが、そんなクルト・シュタイナには、彼と共に死地に赴く二十九名の部下がいる…

●愚か者を彩る魅力的な登場人物たち

お伽噺だとしても、ハードボイルド小説や冒険小説を読む歓びは、そこに理想の男や女が生きていることを実感できるからだ。だが、「鷲は舞い降りた」のクルト・シュタイナ中佐ほど高潔で、誇り高く、勇敢で、人間的で、騎士道精神に充ちた人物は、やはり小説の中でこそ生きるのだろう。マイケル・ケインが演じたとしても、映像による説得はむずかしかったのかもしれない。

そう思ったからかもしれないが、僕はジャック・ヒギンズ原作「死にゆく者への祈り」映画化作品(1987年)は見なかった。ミッキー・ロークが人気絶頂だった頃で、主人公のマーチン・ファロンを演じていたが、僕はミッキー・ロークのマーチン・ファロンが見たくなかったのである。

モナリザしかし、先日、「死にゆく者への祈り」を再読した折りに映画化作品を調べたら、重要な脇役のダコスタ神父をボブ・ホスキンスが、悪役のジャック・ミーハンをアラン・ベイツが演じていたと知り見たくなった。公開当時、僕はボブ・ホスキンスの「モナリザ」(1986年)は、まだ見ていなかったのだろう。

僕が持っているソフトカバーの単行本の奥付は、1978年2月28日初版になっている。原書が出たのは1973年だから、映画化までにはずいぶん時間がたっている。ヒギンズ人気が盛り上がったから改めて映画化されたのだろうか。ヒギンズ自身は最も好きな自作として「死にゆく者への祈り」を挙げている。

「死にゆく者への祈り」を再読して、僕はグレアム・グリーンの小説を読んでいるような錯覚に陥った。マーチン・ファロンは元IRAの戦士で、イギリスの官憲からもIRAからも追われており、密航するためのパスポートと資金と船の手配を報酬に、あるギャングの始末を依頼される。

だが、その殺人現場をダコスタ神父に目撃される。マーチン・ファロンもIRAだったのだから、カソリックである。マーチン・ファロンはダコスタ神父に殺人を告解し、そのことで神父の口を封じる。告解されたことをカソリックの神父は人に話すことはできないのだ。

マーチン・ファロンとダコスタ神父、神父の姪の盲目の美女アンナ、ロンドン警視庁のミラー警視、フィッツジェラルド警部など、出てくる人物がみんな魅力的で、好きになれる。悪の権化のような葬儀屋ジャック・ミーハンさえ魅力的なのだ。悪役が魅力的であれば、小説は名作になる。

その男ゾルバ 〈特別編〉 スタジオ・クラシック・シリーズ
「その男ゾルバ」(1964年)「フィクサー」(1968年)という代表作を持つアラン・ベイツが引き受けたくなったのもわかる気がする。ジャック・ミーハンは、死体に化粧を施し防腐処理をするときに恍惚となるような男だが、そこには葬儀屋という職業に対する誇りさえ感じられるのだ。

邪魔者は殺せ(けせ)古い教会が主要な舞台である。僕はキャロル・リード監督の「邪魔者は殺せ」のシーンが浮かんだ。キリスト像、燭台、告解室…、そしてオルガンの演奏が聴こえてくる気がした。すべてに絶望し自分が死んでいるようにしか感じられない殺し屋マーチン・ファロンは、かつてオルガンの名手だった。その手が奏でる美しい音楽は盲目の美女アンナを魅了する。

そんなロマンティックな愚か者が登場する物語ばかりを僕が読んでいたのは、十代から二十代にかけての頃だった。読んだ本の影響を最も受けた時代である。ロマンチックな愚か者たちは僕にとっての理想像になった。共に死地に赴いてくれる仲間たちがいるような人間でありたいと僕は願った。少なくとも、そう願い続けることで、己の堕落をいくばくかはくい止めてきた…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
正月明け早々に入社試験に立ち合い、先日、面接に立ち合った。卒業前の若者たちや二十代半ばの転職希望の人たちである。自分の息子や娘と同じ年頃の人たちの懸命な対応を見ていると、若者たちに希望を感じさせる社会が必要だな、とつくづく思う。

●第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本
完全版「映画がなければ生きていけない」書店およびネット書店で発売中
出版社 < http://www.bookdom.net/suiyosha/suiyo_Newpub.html#prod193 >

●デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html >

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映画がなければ生きていけない 2003‐2006
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映画がなければ生きていけない 1999‐2002

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ダック・コール (上)
稲見 一良
埼玉福祉会 2002-10



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ダック・コール 猟犬探偵 戻り川心中 産霊山秘録 クリスマス・プレゼント



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star英語でもなんとか読めます。

鷲は飛び立った 女王陛下のユリシーズ号 深夜プラス1 ナヴァロンの要塞 長いお別れ



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ミステリ・ハンドブック 新・SFハンドブック 海外ミステリ・ベスト100―ハヤカワ文庫名作ガイド 消されかけた男 深夜プラス1



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アンソニー・クイン ニコス・カザンザキス マイケル・カコヤニス
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2007-03-02

by G-Tools , 2007/02/02