映画と夜と音楽と…[320]命を賭して守るべきもの
── 十河 進 ──

投稿:  著者:


再起●立て続けに三十年来の昔なじみに再会する

今年に入って、三人も続けて昔なじみに逢った。三十年来の知り合いである。ひとりはイギリス競馬界で知らぬ者のいない調査員シッド・ハレー、ひとりはタフを売り物にしたボストン住まいの私立探偵スペンサー、もうひとりはアル中なのだが、もう何十年も酒を口にしていないニューヨーク住まいのマット・スカダーだ。

昨年暮れにまとまってディック・フランシス「再起」、ロバート・B・パーカー「スクール・デイズ」、ローレンス・ブロック「すべては死にゆく」と、それぞれ新作が出たのだ。年明けから立て続けに読んだ。その間にジャック・ヒギンズの「死にゆく者への祈り」やデズモンド・バグリィの「高い砦」を再読したから、久しぶりにハードボイルド・冒険小説漬けの日々だった。


冷たい銃声ロバート・B・パーカーは多作だから、ついこの間、三十二作目の「冷たい銃声」(ホークが撃たれる話だ)を読んだ記憶があるが、ディック・フランシスは六年ぶりの新作で、シッド・ハレーものとしては「大穴」(1965年)「利腕」(1979年)「敵手」(1995年)に続く四作目である。マット・スカダー・シリーズは欠かさず読んでいるが、やはり久しぶりという感じだった。

現在、八十六歳になるディック・フランシスの競馬シリーズは四十年続いており、シッド・ハレーともうひとり二作に登場する障害競馬の騎手を例外として一作ごとに主人公の設定を変えている。牧場主であったり、銀行員であったり、アマチュア写真家であったり、映画監督であったりする。そのつど、よく調べているので感心する。

大穴僕はカメラ雑誌の編集をしていたこともあるので写真についてはそれなりの専門知識を持っているつもりだが、写真が重要なモチーフになる「反射」でも感心したし、映画撮影現場を背景として映画監督の主人公が謎を追う「告解」でも専門的な描写に間違いはなかった(もっとも、僕もそんなに現場に詳しいわけではないけれど)。

ディック・フランシスもロバート・B・パーカーも翻訳はすべて菊池光さんだった。菊池節と言われる翻訳文はファンが多く、今やベストセラー作家になった大沢在昌さんは駆け出しの頃、ギャビン・ライアル作・菊池光訳「深夜プラスワン」の冒頭の部分を書き写して文章修行をしたという。

しかし、「再起」も「スクール・デイズ」も翻訳者は菊池さんではない。それぞれの「あとがき」を読んで、僕は菊池さんが昨年亡くなったことを知った。翻訳はそれぞれ弟子筋の人らしい。それなりに菊池節を意識しているのだろうが、何となく違う感じを受けた。「テイプ」「テイブル」と表記する菊池光さんの文章が懐かしい。

シッド・ハレー、スペンサー、マット・スカダーはどれも新作を待ちかねている読者が多い人気シリーズだが、なぜか映画化作品は少ない。ディック・フランシスの原作でイギリスBBC放送がテレビドラマ化したシリーズは、昔、NHKで放映されたときに見たことがあるが、映画化されたのはトニー・リチャードソン監督の「大本命」(1974年)だけではないだろうか。

スペンサー・シリーズも映画化されたと聞かない。昔、夜遅くにテレビドラマシリーズが民放で放映され、一、二本見たことがあるけれど、スペンサーとホークのイメージが違ったので見るのをやめた。マット・スカダーも映画化されたのは「800万の死にざま」(1986年)だけだと思う。三人とも個性が強すぎて映像化には不向きなのかもしれない。

●現代の探偵たちは愛する家族を持っている

すべては死にゆくマット・スカダーは1976年の「過去からの弔鐘」で初めて登場した。それから三十年、彼は現実の時間と共に歳をとっている。警察を辞職し妻子と別れてアルコール漬けになり、その後、禁酒をして元娼婦のエレインと結婚しているが、その間に元妻は死にふたりの息子は育った。「すべては死にゆく」を読むと、その息子に子供が生まれ、マット・スカダーはお祖父さんになった。現在、六十半ばの設定である。

シッド・ハレーが初めて登場したのは1965年の「大穴」であり、そのとき三十一歳だったが、1979年の「利腕」も同じ年の事件として描かれた。1995年「敵手」では三十五歳になっていたが、その中では携帯電話が頻繁に使われるなど、環境はその時代に合わせていた。「再起」は「敵手」の数年後の設定だが、パソコンとインターネットが重要なモチーフになっている。周囲の世界は現実に合わせて進歩するが、登場人物たちの年齢を重ねる速度は異常に遅い。

ゴッドウルフの行方面白いのはスペンサーである。僕が持っているスペンサーシリーズ第一作「ゴッドウルフの行方」はポケットミステリ版で翻訳は渡辺栄一郎という人である。後に文庫本は菊池光さんの訳で出た。オリジナルは1974年にアメリカで発行された。以来、三十年を越えるが、スペンサーはもちろん、主要な人物である恋人スーザンや相棒のホークは歳をとった印象がない。

初秋もうずいぶん前からスペンサー・シリーズはもういいや、と思いながら、新作が出るたびに僕は読んできた。つい手がのびるのである。腐れ縁のようなものだ。僕が一番好きなのは七作目の「初秋」(1981年)。自閉症ぎみの少年ポールを救いだしスペンサーが鍛える話だが、当時、幼い息子を育てていた僕には印象的な物語だった。

「初秋」の後日談が十八作目の「晩秋」(1991年)である。しかし、現実の十年という歳月は、ポールだけに流れたようだ。ポールは青年になり、新しい事件に巻き込まれる。スペンサーは父親のようにポールを見守り、スーザンは母親のように彼を包み込む。そして、ホークはポールにとって何でも聞いてくれる叔父さんのようである。

マット・スカダーにも少年の頃から面倒を見てきた息子のようなTJという黒人青年がいる。エレインと三人で疑似家庭を築いている。シッド・ハレーにも恋人ができた。離婚した妻ジェニィに皮肉ばかり言われていたシッド・ハレーが本気で結婚を考える相手である。そして、ジェニィの父でシッド・ハレーのよき理解者チャールズも健在だ。

フィリップ・マーロウやサム・スペイドと違って、現在の調査員や探偵は守るべき愛する人々がいるのだ。疑似家族であっても、家族同様の人がいる。それが彼らの弱点になる。マット・スカダーの妻であるエレインは殺人鬼に何度も狙われ、実際に刺されて瀕死の重傷を負ったこともある。不屈の主人公たちも、愛する人を狙われては手も足も出ない。

そして、シッド・ハレーの新作「再起」は、まさに愛する人たちをどのように守るかがテーマになっている。

●自分の守るべきことのために愛する人を犠牲にできるか

利腕ディック・フランシスの競馬シリーズで最も人気が高いのは「利腕」かもしれない。主人公シッド・ハレーは障害競馬の騎手だったが、レース中の事故で左手が使えなくなって引退する。その後、調査員となって競馬界の不正を調べたりしているが、最初の登場作「大穴」で拷問を受け、左手は義手になる。

「利腕」のシッド・ハレーは、またも競馬界の不正を調べることになる。しかし、物語が三分の一ほど進んだところで意外な展開になる。シッド・ハレーはどのような不正が行われているのかわかっていない段階で、黒幕と思われる男にとらわれてしまうのだ。相手は、シッド・ハレーの残った右手にショットガンを押し当てて脅す。「手を引け」と…

──これまでの人生で経験したあらゆる恐怖も、今この瞬間の全身が溶けるような、精神がバラバラになるような、思考力が崩壊するような恐怖に比べたら物の数ではない。私は意志力がこなごなになってしまった。その破砕した細片の中に埋没した。恐怖の沼にはまり、魂が泣き声を発するような状態にまで落ちた。

残った利腕を撃つと脅されたのだ。シッド・ハレーの恐怖はひしひしと伝わってくる。彼は屈服する。重賞レースが終わるまでイギリスを離れていろ、という相手の言いなりになってパリへいく。「自己憐憫という卑屈な精神状態に陥って、今回は自分は本当に尻尾を巻いて逃げだしたのだ、という事実をかみしめ」るしかない。

脅されてから「自分の体にどのようなことが起きようと、たとえ自分ではなにもできない不具になることすら、耐えられるかもしれない。自分が永遠に対応できない、耐えられないこと……ようやく、鮮明、確実に理解できた。それは自己蔑視である」とシッド・ハレーが悟るまで、なんと「利腕」の三分の一が費やされる。

「利腕」で描かれるのは、脅されて屈服した自分を許せず、利腕を失う恐怖を克服するまでのシッド・ハレーの葛藤である。ミステリ的なストーリーはどうでもいいとまでは言わないが、その葛藤を描くための筋立てでしかない。屈辱、屈服、克服…そして再生、その過程が描かれるのだ。シッド・ハレーが命を賭して守ろうとしたものは、自尊心なのである。

だが、最新作「再起」でシッド・ハレーが脅される対象は残った右腕ではなく、愛する恋人マリーナである。殺人事件を調査するシッド・ハレーに手を引かせるために、相手はマリーナを襲い警告のメッセージを残す。だが、傷ついたマリーナは、こんなことを言う。

──あなたを痛めつけたくらいでは調査を阻止できないことを悪党どもは知っている。むしろ、その逆。あなたを傷つければ、それだけいっそう、調査を続けようというあなたの決心が固くなる。(中略)私も同じ方法で身を守りたがると、どうして考えてくれないの?

男の立場からすれば、理想の女性である。かつての妻ジェニィが常に命の危険がある騎手という職業に馴れることができず、離れていったのとは対照的だ。職業に対する誇り、どんな障害があっても仕事をまっとうしようとする自尊心、シッド・ハレーにとってそれは命を賭けても守るべきものだとマリーナは理解している。だから、自己犠牲とも思える言葉を吐く。

だが、敵は再びマリーナを襲う。シッド・ハレーは迷う。愛する者の命を賭しても守るべきものがあるのかと……

状況は違っても、現実に生きる僕たちにも同じ葛藤は起きる。こと志と異なることをしなければならないことは日常的に起きる。現実の社会を生きていれば、組織の中にいれば、なおさらだ。だが、これだけは守りたいと思うことはある。一寸の虫にも五分の魂という奴だ。命を賭してとまでは言わないが、守るべき自尊心はある。しかし、愛する家族がいれば、ときに彼らを人質(心理的にだが)にとられる。

たとえそうだとしても、命を賭して守るべき自尊心があるだけまし、いつの間にか僕はそんな風に考えるようになった。守りきれなかった様々な思い出を甦らせながら……

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
完全版「映画がなければ生きていけない」に日本冒険小説協会会長こと内藤陳さんの推薦コメントがもらえ、版元がPOPを作ってくれました。書店店頭に置くのですが、陳さんにコメントをもらえたのが嬉しい、と思いつつ、少し恥ずかしいですね。

●第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本
完全版「映画がなければ生きていけない」書店およびネット書店で発売中
出版社< http://www.bookdom.net/suiyosha/suiyo_Newpub.html#prod193
>




photo
再起
ディック フランシス Dick Francis 北野 寿美枝
早川書房 2006-12
おすすめ平均 star
star困難を乗り越え、読めるだけで読者はよいのだ
starすみません…
star「自己蔑視」との決別。
starお帰りなさい!

スクール・デイズ 勝利 敵手 すべては死にゆく 烈風



photo
ゴッドウルフの行方
ロバート・B. パーカー Robert B. Parker 菊池 光
早川書房 1986-09
おすすめ平均 star
starハードボイルド
starスペンサー登場
star自分にスペンサーを読む資格があるか?


photo
初秋
ロバート・B. パーカー 菊池 光
早川書房 1988-04
おすすめ平均 star
starあえて星みっつ
starえぐりこむように・・・読むべし!
star3大傑作のNo.1
starこれは傑作
starこれを読んで自分の中に潜む少年が成長した

レイチェル・ウォレスを捜せ 失投 残酷な土地 誘拐 ユダの山羊



photo
利腕
ディック・フランシス
早川書房 1985-08
おすすめ平均 star
star作者自身の再生を図った作品
starスカッとしました
starもう少しリラックスしてよ、ハレーさん!
starスポーツ精神で読みたい歴史的傑作!

大穴 敵手 興奮 本命 度胸

by G-Tools , 2007/02/09