映画と夜と音楽と…[322]混濁の世に我立てば…
── 十河 進 ──

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映画がなければ生きていけない 1999‐2002●笠原和夫が思い入れたテロリストの心情

「226」(1989年)という映画が気になっている。当時、松竹の若手プロデューサーとして辣腕をふるっていた奥山和由が派手な宣伝を展開した作品である。僕は公開前に新聞一面に掲載された広告を今でも覚えている。出演者の顔ぶれは豪華だった。大作映画に起用されることが多かった五社英雄が監督した。

五社英雄監督の映画は、力めば力むほど虚しく空転する。この「226」も同様だ。演出に力が入り、登場人物たちの葛藤が高まり、演技者たちが感情をあらわにすればするほど、映画としては空回りする。しかし、「226」という映画は、なぜか僕の心に残っている。もしかしたら脚本を書いた笠原和夫の思い入れの強さに感応したのだろうか。


仁義なき戦い笠原和夫は「仁義なき戦い」(1973年)の完成試写を見た後、自分のシナリオを深作欣二がメチャクチャに壊したことを不満にスタッフルームにこもったという。笠原和夫は、戦争中の自己の想いを若いヤクザ群像に託した。広能昌三が敵対する土居組組長を殺しにいく場面では、テロリストの目で相手を刺し貫くことを望んでいた。

その笠原和夫の想いは「仁義なき戦い 広島死闘編」の主人公・山中に再び託される。山中はテロリストとして広島ヤクザ戦争の中を蠢き、多くのヤクザを殺し、最後は自決する。山中が体現したテロリストの肖像は、おそらく2.26事件の青年将校や戦争末期の特攻隊員と重なるものである。

仁義なき戦い 広島死闘篇自らの死を見据え、覚悟し、そのうえで思想のために、志のために、人を殺す。自らの死の覚悟と志の高さがなければ、人の命を奪うことなどできない。思想や志に殉じなければ、いくら国賊と見なす相手であっても、銃口を向け引き金を絞ることなどできるはずもない。

おそらく、そうした精神性が「226」を印象深い映画にしている。「226」が見る者の心を動かすのは、青年将校たちが志半ばで投降し、兵を原隊に復帰させなければならなくなってからである。首謀者の青年将校たちは、絶望する者、自決する者、わずかな希望にすがる者…、様々に反応する。だが、彼らの想いは見る者に伝わってくる。

もちろん何かを思い詰めた人間、信じ切った人間は、怖い。「226」の青年将校たちもそうかもしれない。思想的な支柱であった北一輝、彼を信奉し昭和維新を断行するために、皇道派の青年将校たちは決起する。彼らは幕末の志士たちに自らを重ねているのかもしれない。ヒロイズムに陥りがちな状況だ。

時代状況を端的に語るセリフがある。「軍隊に入って初めて白い飯を食ったという兵隊がいっぱいいる」と聞けば、当時の貧しさがうかがえる。「おまえたちの姉や妹が貧しさ故に身を売っている。そんな状況を変えるのだ」と青年将校のひとりは、決起前に兵士に訴える。

「俺たちがやらねば誰がやる」と、彼らは思ったに違いない。ヒロイズムがなければ革命もクーデターも起こせない。確信がなければ、大臣を射殺することはできない。大恐慌の時代である。特に貧しかった東北の農家では、娘たちを売ることで飢えを凌いでいたという。

●2.26事件はロマンチシズムの文脈で語られてきた

2.26事件について歴史的事実は知っていても、詳しいことを知っているという人はあまりいないかもしれない。僕もそうだった。青年将校たちが国を憂い、世の中を変えるために決起した。政府の要人たちを射殺し、警視庁など主要な場所を占拠したが、詔勅により反乱軍となったため数日で投降した。青年将校たちはほとんどが銃殺になった。その程度の知識だった。

昭和史発掘〈1〉「226」は、そうした事実を知っていることを前提に物語は進む。しかし、決起した後の軍内部の対立や青年将校たちの分裂を見ると、その背景が詳しく知りたくなる。僕は松本清張の「昭和史発掘」という文春文庫全十巻を持っていたことを思い出した。

松本清張の本を買うことはあまりないのだが、それは団地で古本市をやったときに見付けた。そのとき僕も「鬼平犯科帖」の文庫本二十四巻を出品しすぐに売れたのだが、そのお金で隣で売っていた「昭和史発掘」を買ったのだった。「せっかく少し本が減ったのに…結局、同じじゃない」とカミサンは不満そうにつぶやいた。

「昭和史発掘」は5.15事件から2.26事件にかけての裏面史のようなもので、2.26事件については数巻にわたって記述されている。膨大な資料にあたったもので、調べ魔・松本清張らしい仕事である。しかし、その資料的な記述に戸惑い、僕はパラパラと目を通しただけだった。それでも、青年将校たちが決起した後の軍内部での反乱軍支持派と鎮圧派の対立、天皇の判断などの事情は多少はっきりした。

しかし、2.26事件が語られるとき、多くは国を憂い死を覚悟して決起した将校たちのロマンチシズムが中心になる。たとえば、四十年近く前、利根川裕の小説「宴」はベストセラーになり、その後、テレビドラマ、映画、舞台にもなった。「宴」は、ヒロインの人妻が愛する相手が陸軍の若手将校であり、彼が2.26事件に関わり銃殺となることがわかっているから悲劇性が高まるのだ。

「宴」が話題になったのは僕の高校生の頃だった。利根川裕はベストセラー作家からテレビ司会者になり、顔の売れた小説家になった。僕は「宴」のテレビドラマを欠かさず見ていた。ドラマ版の配役は忘れてしまったが、松竹で映画化されたときは中山仁と岩下志麻が主演した。1967年の公開で、監督は名匠といわれた五所平之助だった。僕はその新聞広告を切り抜いて持っていたが、とうとう映画は見損ねた。

決定版 三島由紀夫全集〈別巻〉映画「憂国」同じ頃、2.26事件を素材に書いた短編「憂国」を三島由紀夫自身が映画化した作品が話題になった。監督・主演であること、2.26事件を背景とし、主人公が切腹するシーンのすさまじさが評判になった。僕は雑誌の記事でそれを読んだが、四国の地方都市での上映はなく、現在に至るまで未見である。

だが、三島由紀夫があまり好きではない僕が「憂国」を読んだのは、映画が評判になっていたからだ。「憂国」は、三島美学に満ち溢れ、青年将校の死へ向かう精神性を描く短編だった。そこにはロマンチシズムとヒロイズムしか感じられず、社会性がまったくない自己陶酔した小説だと十代の僕は思った。

けんかえれじい2.26事件の思想的支柱であり、青年将校たちと共に処刑されたという北一輝については、鈴木清順監督「けんかえれじい」(1966年)で憧れをもって描かれる。主人公キロクは、ある日、目の鋭い男に出会い深く印象に残るが、2.26事件が起こり、その男が北一輝であることを知ると、「一世一代の大喧嘩」を見るために戒厳令下の帝都に向かう。

●日本が変わるまで狂い続ける決意

三島美学に共感できないように、僕は大音量で軍歌などを流しながら街をゆく右翼が苦手である。ヒロイズムに浸り、自己陶酔している、男らしさを勘違いしているような人々が好きではない。三島由紀夫の割腹事件のとき、十九歳で浪人中だった僕は驚き、興奮し、ニュースを聞いていてもたってもいられず下宿を出て街をうろついた記憶はあるが、彼の行動はまったく支持できなかった。

2.26事件の青年将校たちは社会改革を目的としたのであり、死を覚悟していたかもしれないが、死ぬことそのものを自己目的としたわけではない。彼らは事ならずと悟ったとき、自ら死をもって決着をつけた人もいたが、多くは軍事法廷で裁かれ処刑された。

2.26事件の中心的な人物は安藤大尉であり、「226」では三浦友和が演じた。最初、青年将校たちのひとりだった彼は、軍内部の鎮圧派が勝利し、反乱軍として鎮圧せよという詔勅が出た頃から目立ち始める。リーダー的存在だった野中(萩原健一)が詔勅によってブレ始めると「俺は日本が変わるまで狂い続けるぞ」と投降を拒否する。

僕の記憶から消えないのは、自分の隊に原隊復帰を命じた後の安藤大尉のシーンである。「昭和維新の歌を唄いながらいってくれ」と安藤大尉が言うと、兵士たちは「ベキラの淵に波騒ぎ フザンの雲は乱れ飛ぶ」と歌いながら行進する。年輩の曹長(川谷拓三)がやってきて、叫ぶように言う。

──中隊長殿、絶対、死んだらあかんきにねぇ…

兵士たちは「昭和維新の歌」を繰り返し歌いながら、ザッザッと軍靴の音高らかに行進してゆく。降り積もった雪を踏みしめながら…。それを見ながら、安藤大尉も「昭和維新の歌」を口ずさむ。その安藤大尉を仰角のカメラがとらえる。ゆっくりと右手が挙がる。彼は拳銃を顎の下に当てる。まだ、口ずさんでいる。兵士たちの行進に重なって銃声がする。

先ほども書いたように僕は軍歌を大音量で流す右翼が嫌いだ。そんな歌でヒロイズムに陶酔する単純な人間ではないと思っていた。だが、日本人で在ることの証なのか、僕の血が騒ぐのか、「226」を見た後、「昭和維新の歌」が耳について離れなくなった。いつの間にか自分でも口ずさんでいる。

  汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ
  混濁の世に我立てば 義憤に燃えて血潮湧く

  権門上に傲れども 国を憂うる誠なし
  財閥富を誇れども 社稷を思う心なし

  ああ人栄え国亡ぶ 盲たる民世に踊る
  治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり

  昭和維新の春の空 正義に結ぶ丈夫が
  胸裡百万兵足りて 散るや万朶の桜花

佐野史郎扮する青年将校が告げる兵士たちへの言葉も記憶に残っている。自分についてきてくれたことに礼を言い、ひもじい思いをさせたことを詫び、「おまえたちを誇りに思う」と高らかに宣言する。事件の核心が何だったのかはわからない。しかし、「226」に描かれた青年将校たちの貧しい者たちへの共感が僕の心に刻まれた。

昭和十一年(1936年)、今から七十年以上前のことになる。国を憂い民を想って事を起こし、破れ、自決した若者たち、処刑された若者たちがいたことを、この時期になると僕は思い出す。彼らの行動が軍の支配力を強め、無謀な戦争へと突き進むきっかけになったのだとしても、その思想と志の純粋さが僕の心をうつのだろう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
前回の話で「舞鶴」を間違って「真鶴」としてしまいました。昆虫や植物の種類、魚の種類、鳥の種類など自然科学系は不得意でしたが、地理関係もダメなのが露呈しました。先号が出てすぐに指摘してくれたのは、鉄道マニアの会社の後輩。彼は、日本のすべての駅名が言えるようです。

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