映画と夜と音楽と…[330]妻の軽蔑・夫の弁解/十河 進

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軽蔑●「軽蔑」のシーンを再現したシャネルのCM

大阪のフォトグラファー福島正造さんからは、時々、メールが届く。先日いただいたメールの中でゴタールの「軽蔑」(1963年)の冒頭のシーンがテレビCMとして使われていると書かれてあり、ああ、あれかとすぐにわかったが、福島さんのメールをもらうまで僕はそれが「軽蔑」のシーンの模倣だと気付かなかった。

週末に気をつけてテレビを見ていたら、そのCMが流れた。オールヌードの金髪の女性が柔らかそうなシーツにくるまり、脚を曲げたりしながら「わたしの脚は好き?」「わたしの唇は好き?」などとフランス語で訊く。女性の肌を流れるようなキャメラワークで映し出す。重厚な音楽が流れる。

「これ、口紅のコマーシャル?」と聞いたら、隣で見ていたカミサンが「シャネルよ」と言う。「なるほど、シャネルのルージュなんですね。このCM、ゴダールの『軽蔑』のパクリらしい」と言うと、近くにいた息子が「わかるように撮ってんじゃないの」と口を挟んだ。


僕は確かめたくなって、「軽蔑」のビデオを取り出してデッキに入れた。ファーストシーンは映画の撮影場面だ。奥から手前にレールが敷かれており、移動車に載せられた大きなムービーキャメラがゆっくりと近づいてくる。タイトルと出演者などのクレジットがナレーションで流れる。

次のシーンはミッシェル・ピコリとブリジット・バルドーがベッドで会話するシーンだ。オールヌードでうつぶせになり頭をミッシェル・ピコリにもたせかけたブリジット・バルドーが「わたしの脚は好き?」「わたしのお尻は好き?」などと訊いていく。

「わたしの乳房と乳首は、どっちが好き?」と訊かれたミッシェル・ピコリは「そんなことは答えられない。どっちも好きだ」というようなことを言う。そのときに流れている音楽がCMでもそのまま使われていた。シャネルのCMは、44年前のブリジット・バルドーにオマージュを捧げていたのである。息子の指摘が正しかったのだ。

福島さんには僕の本を読んでいただいているようで、メールに「あの本の中で十河さんが述べておられる『ゴダール作品で一番わかりやすい映画』つまり『軽蔑』のビデオを今見ています」とあり、そんなことを書いたかなあ、と思って元のテキストデータを検索してみたのだけれど、それらしい記述が出てこなかった。

どちらかと言うと、僕は初めて「軽蔑」を見たときに、よくわからなかったという印象があり、これは結婚を経験しないとダメなんじゃないかと思った記憶がある。僕は二十歳になったばかりだった。「軽蔑」の公開から五年以上はたっていたが、あちこちでゴタール作品の特集上映があり、割りにいつでも見られた時代だった。

●ゲッベルスに招待された映画監督

僕は「軽蔑」を見たとき、フリッツ・ラング監督が本人役で出演していることの方に興奮した。映画青年らしい反応である。1890年にオーストリアに生まれたフリッツ・ラング監督は1976年に亡くなったが、「軽蔑」に出演したのは完全にリタイアしていた時期だ。だが、僕が「軽蔑」を見た頃は、まだ生きていたし、伝説の監督だった。

フリッツ・ラング・コレクション M「軽蔑」でフリッツ・ラング監督が登場するシーンでも少し話されるが、第二次大戦前にすでにドイツの有名監督だったフリッツ・ラングはナチスの手を逃れてアメリカに渡り、ハリウッドでも数々の名作を作る。ドイツ時代の代表作は「ドクトル・マブゼ」(1922年)「M」(1931年)などである。

それらの作品のシナリオを書いたのは夫人のテア・フォン・ハルボウだったが、彼女がナチス信奉者になったことから亡命の際に離婚する。思想上の対立で離婚したのが何となく面白いが、男女の間だからそれだけが理由だった訳ではないだろう。

岩崎昶さんの「ヒトラーと映画」(朝日選書)によれば、フリッツ・ラングはゲッベルスに会いにいき自作の「ニーベルンゲン」を絶賛され「ヒトラー総統もあなたの熱烈なファンです」と言われる。ゲッベルス直属で映画制作の采配をまかせると言われたが、有り金をポケットに入れてパリへ向かう寝台車に乗る。彼はユダヤ系だったのだ。1934年のことである。

死刑執行人もまた死す(トールケース仕様)フリッツ・ラング監督「リリオム」(1934年)という映画を僕は見ているが、それはフランスで監督したのだろう。その後、ハリウッドにいき「激怒」(1937年)を作る。以後、「暗黒街の弾痕」(1937年)「西部魂」(1941年)「マン・ハント」(1941年)「死刑執行人もまた死す」(1943年)「飾窓の女」(1944年)など、精力的に作品を作り続けた。

中でも僕は「死刑執行人もまた死す」という映画に驚いた。ナチスに支配されたチェコのプラハが舞台だ。「死刑執行人」と異名をとるナチスの支配者がレジスタンスに暗殺される。ナチスは威信をかけて犯人を捜し出そうとする。そのために「犯人が名乗り出るまでプラハ市民を無作為に逮捕して処刑する」という暴挙に出る。

その葛藤、サスペンス、物語がどう展開していくのかというスリル、全編を貫く緊張感、背もたれに身をあずけることなどできない映画だった。最初から最後まで身を乗り出し、スクリーンを文字通り食い入るように見つめ、拳を握りしめる。手に汗がにじむ。息を詰め、瞬きさえできないほどの緊迫感だった。

1943年、まだナチスの勢いがあった頃にこんな映画を作ったんだ、と僕は拳を握り続けた。チャップリンの「独裁者」がナチス全盛の1940年に作られたことを知ったときの感動と同じだった。チャップリンもフリッツ・ラングも映画という武器でナチスと戦おうとした。映画は剣よりもペンよりも強し、という確信が彼らにあったに違いない。

「軽蔑」を見ると、ゴダールのフリッツ・ラングに寄せる敬意がスクリーンから伝わってくる。フリッツ・ラングはイタリアのチネチッタ(ムッソリーニが作ったイタリアの巨大な撮影所。英語だとシネマシティですね)で「オデュッセイ」の映画を作っている設定だから撮影シーンがよく登場するが、そのアシスタント役でゴダール自身が出演しているのもフリッツ・ラングへのオマージュなのだろう。

●妻や家族を言い訳に使ってはいけない

さて、改めて「軽蔑」を見ているとミッシェル・ピコリがゴダール自身に見えてきた。若禿げのミッシェル・ピコリは名優と言われたが、ゴダールは自分のイメージを重ねている。だとすると、ブリジット・バルドーには当時の妻だった女優アンナ・カリーナを重ねているのだろう。

僕が「軽蔑」を「ゴダール映画で最もわかりやすい」と書いているとしたら、不明を詫びねばならない。「軽蔑」はやはり長い夫婦生活を経験して、新しい意味を持って立ち上がってくる映画だった。冒頭のシーンにあるように妻は熱烈に夫を愛していた。だが、あることから夫への愛が醒め、軽蔑を抱くようになる。

夫は探偵小説を書いて糊口をしのいでいたが、今はシナリオを書いて金が入るようになっている。だが、彼の夢は戯曲を書くことだ。妻は元タイピストで、新しく手に入れたマンションが気に入っている。夫は「君のためだ」と妻に言い訳をしながら、「金を得るための仕事」に心ならずも手を染めている(というようなことを口にする)。

原作はイタリアの作家アルヴェルト・モラヴィアの「軽蔑」である。モラヴィアは1960年代には早川書房などでも翻訳が出ていたし、映画になった作品も多いのだが、日本ではあまり馴染みがないかもしれない。ゴダール作品にしては、珍しく原作に忠実な方らしい。

ある日、夫はチネチッタに呼ばれアメリカ人プロデューサー(ジャック・パランス)からフリッツ・ラングが撮影しているラッシュを見せられ、「客が入るような色っぽいシーンを書き加えてほしい」と依頼される。「美人の奥さんに金がかかるんだろ」と言い、秘書の背中をデスク代わりにして小切手にサインし無造作に渡すような男だ。人はすべて金で動くと思っている。

ゴダールらしい設定は、主人公夫婦はフランス語を話し、プロでデューサーとフリッツ・ラングは英語を話し、舞台はイタリアだということで、様々な言語が交わされることだ。それらを通訳するのはプロデューサーの秘書であり、その翻訳された言葉の微妙なズレが面白い。

さて、妻が夫を軽蔑するキッカケになるのは、撮影所にやってきた妻をプロデューサーが自宅で一緒に酒を呑もうと誘い、ツーシーターのスポーツカーではふたりしか乗れないため「後からタクシーでこい」と言われた夫が「そうするよ」と答えたからである。

そのときのバルドーの視線が凄い。「一緒にタクシーでいきましょうよ」という妻の言葉を聞かず、夫はプロデューサーと一緒にいけと言うのだ。そこに妻は夫の権力者への媚びを感じたに違いない。極端に言えば「わたしを売り渡すの」ということだ。なぜなら、夫はタクシーの事故だと言い訳をしながら三十分も遅れてやってきたのだから…

夫は「口説かれたか」と聞くくらいだから、妻がプロデューサーに言い寄られるかもしれないことを想像していなかったはずはない。いかにも女好きで手の早そうなプロデューサーとして描かれているのだ。彼は一万ドルの脚本料のために自分の妻を差し出したのだろうか。

その後、マンションの中で夫婦の会話が延々と続く。夫は妻に軽蔑されたと知り、なぜだと問い詰める。プロデューサーの海辺の別荘で突然に仕事を断ると言い始め、自分の夢である戯曲を完成させると宣言するが、もう遅い。妻の心は翻らない。

「自分には夢がある」と彼が言ったとき、僕は「やめておけ」と思った。彼の言葉のひとつひとつが弁解にしか聞こえなかった。心ならずも金のための仕事をしているのは妻のためであり、自分を犠牲にしたようなことを言う。そんなことを言えばさらに妻の軽蔑を招くだけだ、と僕は思った。

金のための仕事をしてきたのは自分の選択である。「家族や愛する人のため」を言い訳にしてはいけない。よしんば「家族や愛する人のため」にやってきたとしても、それを誇りこそすれ、嘆いてはいけない。悔いを口にしてはいけない。「家族や愛する人」を幸せにすることが自分の幸福だったんじゃないか。人を愛するとはそういうことだ。

さらに言えば、そのことによって家族や愛する人からの感謝や見返りを求めてはいけない。「家族や愛する人のために自己を犠牲にして働き続けてきた」ことを悔やまず、誇ることだ。そうすれば、少なくとも軽蔑されることはないだろう。「軽蔑」を見てから三十数年、長い時間を経て僕はそう悟った。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
気が付けば四月も半ば。桜は散り、街に半袖の人さえ歩いている。疾風怒濤の嵐が過ぎて落ち着いてみれば、毎週の原稿書きは今まで通りにもかかわらず、プレッシャーだけが増えている。やれやれ。

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