[2194] いつか来た道?

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<やる気のないことないこと、トホホ>

■音喰らう脳髄[28]
 いつか来た道?
 モモヨ

■ショート・ストーリーのKUNI[28]
 ふとん
 やましたくにこ

■デジクリトーク
 文字文化の成熟と多様さをあらわす、文字どおりの「活字書体集成」
 書評『基本日本語活字見本集成』
 前田年昭

■展覧会案内
 深澤直人ディレクション「チョコレート」


■音喰らう脳髄[28]
いつか来た道?

モモヨ
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葉桜の季節だなどとうそぶいているうちに、ひどく暑い時節に突入してしまった。このところ、寒いか暑いかのいずれだ。それがどうも気にくわない。いわゆる快適な時節はどこへいったものか、どうも妙である。4月から普通に夏日があったりしているわけで、これは、もうどう考えても温暖化の影響だろう。すでにぬきさしならないところに人類は来ているのだ。

そんなことがあからさまだというのに、国際会議ではぬるい応酬が続いている。先進国が温暖化の責任を負うべきだと発展途上国が主張しているとか、ニュースを耳にしたが、どうもよくわからない。発展途上国という曖昧な表現は避けたほうがいいのではないか、そう思う。なにしろ地球の未来を占う大事な会議だ。出席者それぞれの態度は、せめて国別に明示すべきである。

例えばアメリカの場合、京都議定書の時に、温暖化に対して、ある科学者の仮説にすぎないと主張し、冷たい態度をとったことを世界中が目撃している。かの大国は、その後、すべてを曖昧に晦ましながら、環境汚染に対して致命的ともなりうる決断を下したことを誤魔化そうとしているわけだが、そうはいかない。私は、絶対に忘れないだろう。何か行動するつもりはない。生涯、アメリカのとった態度を忘れない。そして代々言い伝えてやる。

先進国対発展途上国という単純化した図式はどうでもいい。どっちにしたって各国代表がぬるいのは目に見えている。

ヨーロッパで温暖化など環境の問題が国家規模で認識されたのだって、ここ数年のことだ。それまでは、ずっと『温暖化が進行している《かも》知れない』程度の物言いを貫いてきた。

こんな悠長なことを続けていてどうなるか、そんなことは誰だって知っている。しかし歯止めがかからない。馬鹿みたいなものだ。後の世の歴史家はこの事態を指して人類の愚かさを云々するだろうが、弁解のしようもない。たしかに愚かなのだ。どうしようもない。

現在、我が国がかかえている問題、年金制度の破綻や自治体の破産だって、どうにもならないような壊滅的な事態となってからやっと対外的に認めたわけで、そのパターンでいえば、地球がボロボロで再生不可能になってはじめて、この危機的状況を認めるに決まっている。国際政治だろうと市町村のそれだろうと根源的なありようは似たようなものなのかもしれない。誰が、ということが見えないうちは、平気で馬鹿なことをしでかす。匿名性を利用して呆けてみせる。

発展途上国といわれている国が環境対策に真剣でない、ということも、よくわからない。地球温暖化、海面上昇や砂漠の肥大化で影響を被るのは多くそうした国である。そればかりではない。こうした問題に国家運営にたずさわる者が無頓着でいると、かつて日本が高度成長期に体験した工場の廃液や煤煙による公害だって再現されることになる。そうなれば、自国民に対するテロに等しい。そんなことまで考えてしまう。

国民の命を大事にしない国家というものを私たちはなかなか想像できない。が、たしかにそういう地獄は存在する。例えば、ミャンマーではいまだに多くの人々が政治犯として獄に繋がれているし、国民虐殺の噂もささやかれる。ミャンマーだけではない。他にも、民人の不幸をくらって国家中枢の要職につく者だけが贅沢な生活をしている国が、私達に身近なこのアジアには幾らもある。

直接、暴力をふるわなくても、こうした公害で国民を損なうのも似たようなものだ、そう考えるうちに、ミャンマーに昭和の工業地帯が二重写しに見えた。

この道はいつか来た道。

Momoyo The LIZARD
管原保雄
< http://www.babylonic.com/
>

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■ショート・ストーリーのKUNI[28]
ふとん

やましたくにこ
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私は大和田保夫の所有するところのふとんであり、大和田保夫とはかれこれ19年ものつきあいである。喜びも苦しみも、私は彼とともにしてきた、と信じている。

それがある日、気持ちよくベランダの手すりで日光を浴びていたところ、折からの強風によって、私は手もなく吹き飛ばされてしまった。その日に限って大和田保夫は私をふとんばさみでとめておくことを忘れたからだ。でも、私はそんなことで大和田保夫をうらんだりしない。我々の間には19年にわたる信頼関係があるのだ。たった一度の過ちがなんだろう。

のみならず、私は大変に前向きな性格だ。風が私を手すりからひきはがし、空中に投げ上げたとき、私の胸に去来したのは不安でもなんでもなく、さあこれで知らない世界が体験できそうだという一種の高揚感であった。それに、大和田保夫の居室は16階にあったから、その高さは半端なものではない。空高く舞い上がり、そしてふたたび降下を始めるまでには十分すぎるほどの時間があり、私は少しもあわてず、空中で来し方行く末を思ったり、空飛ぶ絨毯の気分とはこんなものかもしれないと夢想したりした。自分の下に湿った畳ではなく、空気があるとはまったく不思議で、それだけで何かすばらしいパワーを授かった気分なのだ。

あ、言い忘れたが私は敷きぶとんである。

私はそれで、アラビアの美しい姫をわが背に乗せて命じられるままインドの宮殿に行ったり砂漠のオアシスの上をゆったり旋回してはらくだにウインクする場面を想像してうっとりしたが、それは実際にはコンマ数秒のことだったかもしれない。たちまち風向きが変わり、私はまっすぐ降下したと思うと横に投げつけられた。はっと気づいたときには9階のベランダにひっかかっていた。

ものすごい声が内側から聞こえた。夫婦げんかの真っ最中なのだ。物を投げつける音、びりびりと何かが破れる音がして、急にドアがばん! と開いた。けばけばしい化粧をした中年女が出てきて私を見ると、ぎゃーっと叫んだ。

「あんた…あんた! 何よ、こ、こんなとこに…汚いふとんが!!」

私は驚いた。汚いふとん? 私が?

「なによ、その不満そうな顔は! 自分が汚いふとんじゃないとでも言いたそうね」

私は驚いた。その女は私の表情が読めるらしいのだ。それともこれはあたりまえのことなのか。私は大和田保夫しか知らないから判断のしようがない。

「そこをどきなさいよ、気持ち悪いったら!」

ひどい言い方だが、一刻も早くその場を離れたいのはこっちのほうだ。好きでそんなとこにひっかかったわけじゃない。すると、またしても一陣の風が私を吹き上げ、あっけなく小汚い中年女のもとを離れることができた。それどころか風は私を軽々と空中でもてあそび、私はくるりと一回転して今度はどこに飛ばされるのかとはらはらしていたところ、みごと6階のベランダにひっかかった。

どさっと音がしたため、その家の中の子供が気づき、がたん、とドアを開けた。そして私を見るやいなや
「ママー! きたないふとんが〜!」

私は見た。その子供の背後の部屋のそのまた奥の部屋でこちらに背を向けて座り、いましも化粧直しに余念のない母親の前の三面鏡、その中に写っているのは本当に汚いふとん…私なのか? あれが? あのずず黒く汚れ、しわくちゃで、どこのゴミ捨て場から拾ってきたのかと思える、あの、汚いふとんが私なのか?!

私の受けたショックはあまりにも大きかった。全身から力が抜け、ずるずるっと私は手すりから落下した。今度は風も吹かなかった。私は一直線に地面に落ちた。かすかに湿り気を帯びた枯れ葉や犬の糞、ごみの散在する地上に。そして、私は本当に、汚いふとんになった。

私は悲しかった。晴れ渡った空が一転して雲におおわれたその下、午後の団地の湿った土の上で、見捨てられ、うち捨てられ、ひたすら悲しかった。私はこんなところで終わりを迎えるのか? いや、そんなはずはない。大和田保夫が迎えにくるはずじゃないか。私がベランダの手すりにないことに気がつくやいなや、すぐさま飛んでくるはずだ。そうに決まっている。

早くも日は傾きだし、私の胸に不安が満ちてきた。大和田保夫が現れる気配はなかった。

いや。

まさか。

私は思った。大和田保夫との日々、数え切れないほどの夜々。私の上で、いや、正確には私の上の女の上で果てた夜もあったではないか。いや、そんな夜より、女抜きで、まさに私の上で果てた夜もあった、どころかそっちのほうが圧倒的に多かったじゃないか、大和田保夫! 私はなんだって知っているのだ。君が長いことへそのゴマをため込んでいること、カップラーメンを食べるときにふたを全部めくってしまわず、くっつけたまま食べること、寝過ごした日はさもしんどそうな声色を使って会社に電話してずる休みすること、時々その声色の練習をしていることまで、全部知っているのだ!

なのに。

夕暮れが迫るころ、だれかの手が私にふれた。私をあちこちひっくり返したりしながらじろじろ見た後、ややためらいながらではあったが、その手が私を肩にかつぎ、団地のエレベーターホールへと向かった。やがてエレベーターが着き、扉が開き、閉まり、上昇し始めた。エレベーターは16階で止まった。

私をかついだ人間は大和田保夫のドアの前でインターホンを鳴らした。出てきた大和田保夫はいつにも増して貧乏くさかったが、私を見るとぎくりと顔色を変え、見開いた目で私を見たかと思うと部屋の奥をちらっと見たり、また私を見てはしばしぼうぜんとした。私がベランダからなくなっていることに全然気がついていなかったようだ。

「これ、お宅の、ですよね?」

私を運んできた男がそういうと信じられないことに大和田保夫は
「いえ…ちち違います」と答えた。

「え、そんなことはないでしょ?」
「いえ…違います、知らないっす!」
「おかしいなあ。あのね、このふとんにはあなたの名前と住所が書いてあるんですよ、ほら、シーツのここに、マジックで!」
「いや、あの、その…とにかく、おれのじゃないっす、知らないっす!」

ばたん! と目の前でドアが閉められ、私を運んできた男は舌打ちをした。それから仕方なく、私を肩にかけたまま、また来た通路を戻りエレベーターで一階に下り、団地の裏庭のクスノキの枝に私をひっかけるとどこかへ立ち去った。

私は深く、深く傷ついた。ひどい。ひどすぎる。この仕打ちはなんなのだ、大和田保夫。君と私との友情はどうなるのだ。それともそんなものは最初から存在せず、私の幻想だったというのか。この19年間を、君は否定するのか。こんなことなら、空を舞っていたほうがよかった。あの16階からの落下が永遠に続けば、私はどんなに幸せだっただろう。

世間がすっかり寝静まり、団地のあかりもまばらになった頃、大和田保夫は足音をしのばせてやってきた。だれかに見られていないか、あたりをきょろきょろと窺いながら。

「そんなにすねるなよ」

私をそっと肩にかつぎながら大和田保夫はひそひそ声で言った。

「恥ずかしかったんだよ。だって、おまえは…なんというか、おれ自身みたいなもんだからな」

私は不覚にもほろりときた。この貧乏くさい薄情者のろくでなしからそんなことを言われて。だが、もう遅い。私の深く、深く傷ついた心はそんなことくらいで癒えはしないのだ。

【やましたくにこ】kue@pop02.odn.ne.jp
みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
< http://www1.odn.ne.jp/%7Ecay94120/
>

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■デジクリトーク
文字文化の成熟と多様さをあらわす、文字どおりの「活字書体集成」
書評『基本日本語活字見本集成』

前田年昭
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重い! というのがとにもかくにも本書の第一印象である。宅急便で送るときには重さ2kg、三辺長さ計60cmまでという基本料金の制限ギリギリであるから梱包材にはよくよく気を付ける必要がある。それほどまでに重く、A4変形判で640ページある。

ページを開くとなぜ重いかがわかる。百花繚乱! 日本語OpenTypeフォント18社1650書体が収録されているからである。しかも活版や写植、初期DTPの1行見本ではなく本文に組んだ状態での「活字・組み見本」470ページには圧倒される。解説として付された、小宮山博史さんによる「日本語書体の分類(書体開発の変遷 含む)」、小形克弘さんと直井靖さんによる「デジタル活字の基礎知識(直井さんの解説による Adobe-Japan 1-5 Character Collection for CID-Keyed Fonts 含む)」はこれらのデジタル書体を使いこなすために必要な知識である。

こんなに要らないよ、第一こんなにたくさんの書体を入れたらマシンが起ち上がるまで時間がかかってしようがないよ、という前に、近代日本の活版印刷史、とりわけ活字書体史の研究を小宮山博史さんや鈴木広光さんらとともに切り開いた府川充男さんの言葉に耳を傾けてみよう。府川さんは瑣末な字形統一主義を皮肉り、異体字について次のように述べている。

【……人々が多くの異体字を許容し共用し遣いこなすとは一面では文字文化の成熟と多面性を指示する事態とも言える筈である。敢て言えば、異体字は諸書体の並存がそうであるのと同様に文字文化の豊かさの徴標の一つであり、人々の黙契の中に生き続けてある文字文化が不可避に産み出す字体の振幅、文字文化の多様な可能性の化肉というものではないだろうか。】(『聚珍録』第一篇、三省堂、2005年、p.28)

どこを開けても見飽きない書体見本集成であるが、特筆すべきは本邦初の書体分類試案としての「日本語書体の分類」であろう。小宮山さんは「ここでおこなっている書体分類法は、動物や植物の分類に用いられるような、大きな特徴から細部の特徴にいたるまでの項目を立てたうえで、市販されているか近日発売予定の、現在のオープンタイプフォント(OpenType Font)一千六百五十書体について分類を試みたもの」と述べている。

小宮山さんはまず、「ここでいう書体とは、図形文字の図形表現としての形状についての抽象的概念である字体に……、一定の様式(デザインといってよい)を施したものをいう」と、字体、字形などの用語とあわせて定義している。次に、これまでの日本近代活版史のなかでどのような分類がなされてきたか、矢野道也(1925)、飯田常治(1929)、三谷幸吉(1930)、佐藤敬之輔(1973)ら先学の試みを検討している。

小宮山さんは、大項目として、基本書体、伝統書体、ファンシー書体(装飾書体)、ニュースタイル、学参書体の五種に分類し、そのそれぞれについて二つ下の階層まで分類している。たとえば、基本書体は明朝体、角ゴシッ体、丸ゴシック体、ミックスタイプに分類され、その明朝体はまた、オールドスタイル、スタンダードスタイル、モダンスタイルに分類されている。

たとえば、リョービの本明朝は基本書体—明朝体—スタンダードスタイル、ヒラギノ明朝は基本書体—明朝体—モダンスタイル、に分類され、またDF痩金体は伝統書体—古筆—中国に分類されている。

近年、急激な技術革新と業態の変化によって、活版はもちろん写植も歴史の彼方に押しやられてしまった。私などは親しい印刷会社の営業さんから「前に印刷した本を組み直して出してくれとお客さんに言われたのだが、同じものをつくるためには何という書体でどう組版指定したらいいのか」と相談を受けることがある(もっとも、ごく最近の編集者は「明朝体だったら何でもいいから」とやる気のないことないこと、トホホ)。

欧字書体では識別のためのハンドブックとしてタイプファインダーというものがある。これ、実は、今回の『基本日本語活字見本集成』をひとりで組版したという驚異のデザイナー・向井裕一さんのご教示によって私は知ったのである。
- Rookledge's International Typefinder: The Essential Handbook of Typeface Recognition and Selection (Paperback) by Christopher Perfect(1991)

 ※なお他にも以下の類書があるようだが、これは私は見ていない。
- Type Style Finder: The Busy Designer's Guide to Type by Timothy Samara (2006)
- Rookledge's Classic International Typefinder by Christopher Perfect (2004)

さて、"Rookledge's International Typefinder" では、(1)e の横画の傾き(2)o の縦軸および d の右の縦画の上端下端のセリフの傾き、など8つの特徴をとらえた基本分類からはじめ、ページをたどっていくと書体が容易にわかるようになっている。

今回の小宮山さんによる書体分類試案は、将来の“和字書体におけるタイプファインダー”づくりの礎ともいえる歴史的意義を持つものである。

税込み4,410円で手元に置いておいて損はなく、万一入手し損ねれば後悔するであろうことは間違いない。

【まえだ としあき】編集者 tmaeda@linelabo.com

●ブックガイド「基本 日本語活字見本集成 OpenType版」
< https://bn.dgcr.com/archives/20070423140200.html
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写真で見る「「基本 日本語活字見本集成 OpenType版」
< http://www.dgcr.com/kiji/20070423/
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■展覧会案内
深澤直人ディレクション「チョコレート」
< http://www.2121designsight.jp/schedule/program.html
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会期:4月27日(金)〜7月29日(日)11:00〜20:00 火休
会場:21_21 DESIGN SIGHT(東京都港区赤坂9-7-6 TEL.03-3475-2121)
入場料:大人1000円、大学・専門学校生800円、中高生500円、小学生以下無料
内容:第一回企画展でとり上げた題材は、チョコレート。誰もが親しみを持つこの題材は、デザインの視点を提示するためのきっかけにすぎません。この言葉、この甘くて苦い食べ物を通して見た世界について、深澤直人と約30組のクリエイターが、意外性に富んだヴィジョンを発表します。展示作品は約70点。インスタレーション、映像、写真、立体など、多彩な展示にご期待ください。(サイトより)
会期中、参加クリエーターによるギャラリートーク、深澤直人のデザインレクチャー、パティシエによるチョコライヴなどがある。
※2193号で会場の情報が抜けていました。すみません。

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■編集後記(5/8)

・(昨日のつづき)さて「小回り」といえども六時間以上経過している。当日の目的地(?)である隣りの駅に下り、自動改札を通ろうとしたが当然の警告音。130円区間の切符でそんな長時間どこでなにをしていたんだと、不正乗車の疑いを持たれるのは仕方がない。駅員に口頭で説明してもめんどうなことになるので、ちゃんと用意したものがある。JR東日本サイトにある「運賃計算の特例」をプリントし、路線図に当日のコースをマーカーで書き込んでおく。「大回り」中の必需品であり、検札があってもこれを示せば説明無用のはずだ(と思う)。この特例を利用した乗車は一般によく知られるようになったそうだが、JRとしては歓迎できないものであろう。不審を抱いた顔の駅員に対して、用意の書類を見せると渋い顔になって「この切符の制限時間は二時間である。それを過ぎるともう一度買ってもらうことになる」とみょうなことを言う。特例のテキストを盾に争うかと身構えたら、「まあ今回はいいでしょう」とあっさり解放された。釈然としないが、なにごとも荒立てないのがわたしの性格なので(←大ウソ)まあいいや。この特例は大阪近郊区間にもあり、和歌山・奈良・京都の大回りや、琵琶湖一周もできる。こんど大阪に行ったらトライしたいと思う。さいきんは「駅ナカ」が充実している。東京駅や上野駅など、見て食べて楽しめる店舗がたくさん入っている。山の手線の駅ナカめぐりも、この特例を利用すれば楽しめる。もちろん、一筆書きで、同じ駅を二度通らないようにコースを選ぶ必要があるが、それもゲーム感覚でおもしろい。JRにとっては、まったくおもしろくないだろうが。(柴田)

・サルコジか……。/エキスポランドの事故。痛ましい。こういう事故を知っても個人的には何もできないから、せめてバックアップはちゃんととろうとか、パソコンは早めに買い替えしないとなぁとか考える。昨日書いた友人のマンションについての考え。少々高くついても強化セキュリティ、強い地盤、管理会社が同じということで安全を買う。無駄を省いて地道に貯蓄をしている彼女だが、そこは必要なお金と判断している。危機管理の観点からでも、人間だって安い賃金での使い捨てが企業にとってお得かというと違うしさ。話はそれるがどうして中学時代の映像や文集が放送されるんだろう。中学時代が一番輝いていた人って少ないよね? 文集が恥ずかしくない人なんていないんじゃない? 私の時は高校までの映像や文集は使用禁止だ。いや、それ以降もあやしい。あっ、この後記だって引用禁止だ。恥ずかしいことばっかり書いているんだから。自分が一番きれいだった時期っていつだろうと考えると、頭にいくつか候補が浮かぶけれど、総合的には今の自分の方が好きなので、やっぱり今の自分の写真を使って欲しいなぁ。私の価値観だと、CMや映画で昔の自分と今の自分が並んで表示されてしまうタレントさんや女優さんは気の毒な気もする。もっと歳とったらそうも言えなくなるのかも。(hammer.mule)
< http://corp.itmedia.co.jp/corp/notice/20070502.html
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