映画と夜と音楽と…[333]絶え間なく流れゆくもの/十河 進

投稿:  著者:  読了時間:10分(本文:約4,900文字)


●「午後の最後の芝生」という短編が好きだった

村上春樹さんの短編で最も好きなものは、今でも「午後の最後の芝生」かもしれない。短編集の奥付を見ると1983年5月10日になっているから、僕は五月の連休前にその本を買ったのだろう。それから二十四年が過ぎ、村上さんの短編はすべて読んできたが、「いちばん好きなのは?」と聞かれたら、やはり「午後の最後の芝生」と答えるだろう。

もちろん、他にも印象的な短編はいくらでもある。「納屋を焼く」も好きだったし、「回転木馬のデッドヒート」の中の短編はどれも忘れられない。特に「プールサイド」は「イン・ポケット」掲載のときから何度も読み返した。また、短編集「レキシントンの幽霊」には「トニー滝谷」という不思議な短編も入っている。


中国行きのスロウ・ボート「午後の最後の芝生」は雑誌「宝島」1982年8月号に掲載され、翌年、「中国行きのスロウ・ボート」という短編集に収められた。ソニー・ロリンズのレコードの「ON A SLOW BOAT TO CHINA」はよく聴いていたから、「村上さんはジャズバーやってた人だものなあ」と僕は納得した。

「午後の最後の芝生」は「僕が芝生を刈っていたのは十八か十九のころだから、もう十四年か十五年前のことになる」という文章から始まる。小説家になった僕の回想である。「記憶というのは小説に似ている。あるいは小説というのは記憶に似ている」という文章が印象に残った。

十八か十九だった主人公は、七月の始め、遠く離れている恋人から「別れたい」という手紙を受け取る。別の男を好きになったというのだ。主人公が芝刈りのアルバイトをしていた頃のことである。ある日、主人公は少し遠くの家まで小型トラックを運転して芝刈りに出かける。

その家には身体の大きな中年の女主人しかいない。「やんなよ。どれくらいかかる」という男っぽい口をきく五十女だ。僕は懸命に芝を刈る。丁寧な仕事をする。女主人は「あんたはいい仕事をするよ」と主人公を誉め、「あんたに見てもらいたいものがある」と言う。

それは二階の無人の部屋だった。典型的なティーンエイジャーの女の子の部屋だ。女主人は「彼女について感じたことを聞かせてくれ」と言う。主人公はその部屋の女の子について頭に浮かんだことを口にする。それを聞き終えると、女主人は「ひきとめて悪かったな」と詫び、僕はその家を後にする。

簡単に言えば、それだけの話だ。その短編集を読んだのは僕が三十一のときだった。まだ学生時代が遠い昔のことではなかった。僕も十三年前には十八だったのだ。主人公の回想は、僕が大学時代を懐かしむ気分によく合った。十八歳の頃、僕にも遠くに住む恋人がいた…

僕が「午後の最後の芝生」が好きになったのは、そんなことがきっかけだったのかもしれない。しかし、本当は最初に読んだときから気付いていたのだ。村上さんの他の小説と同じように、その短編には語られない別の物語が存在していることを。語られている物語の下には、滔々と流れる別の水脈がある。だから、村上作品には常にミステリアスな雰囲気が漂う。

それは作者によって語られる文章のニュアンスの中から浮かび上がってくるものである。読み手はそれぞれに、どのようにもイメージを膨らませることができる。そして、それは決して映像では描けない。映像は目に見えるものが具体的ではっきりしすぎているので、見る者のイメージを規定する。目に見える物語の底に流れる別の何かを感じさせることは困難だ。

●映像では描けないものをどう感じさせるか

トニー滝谷 プレミアム・エディション市川準監督の「トニー滝谷」(2005年)が公開されたとき、僕は「村上さんが映画化を許可したんだ」と驚き、続いて「村上さんは、もしかしたら市川準監督のファンなのかな」と思った。描かれているもの以上の何かを映像から感じさせるという意味では、市川準監督は名手である。

村上作品は実際に語られるもの、描かれるものの背後に存在するものが伝わらなければ、何も伝わったことにはならない。だから映像化は無理なのだと作者自身がわかっているのではないか、と僕は思っていたし、だからこそ自作の映像化を許可しないのだろうと想像していた。

アルファヴィル村上さん自身は映画好きで知られている。大学時代は早稲田の演劇博物館に通い映画シナリオばかり読んでいたらしいし、卒論も映画がテーマだったと聞いた。初期の作品には映画のタイトルがよく登場する。近作の「アフターダーク」では、ゴタールの「アルファヴィル」(1965年)がラブホテルの名前として出てくる。

村上作品の映画化には大森一樹監督の「風の歌を聴け」(1982年)があり、翌年には自主映画として山川直人監督が「パン屋襲撃」を作った。僕は、その後、ずっと映像化された作品はないと思っていたが、調べてみると「100%の女の子」(1983年)と「森の向う側」(1988年)というのがあった。どんな内容のものかはわからない。しかし、2005年に公開された「トニー滝谷」まで村上作品の映像化は実現していない。

一方、市川準監督は禁煙パイポのテレビCMで話題になり、1987年に富田靖子を主演にした「BU・SU」で商業映画に進出した。僕はそのタイトルが嫌いで見にいかなかった。クレージー・キャッツ主演「会社物語」(1988年)、ベストセラーを映画化した「ノーライフキング」(1989年)「つぐみ」(1990年)と続いたが、どれも見たくなる内容ではなかった。

僕が注目したのは「病院で死ぬということ」(1993年)を映画化したときだった。「東京兄妹」(1995年)を見たときには、不明を詫びたくなった。1996年には「トキワ荘の青春」、1997年には「東京夜曲」が公開された。どれも素晴らしい魅力に充ちた、静謐な映画だった。

「トニー滝谷」という短編は、淡々と語られる物語である。カッコでくくられる直接話法は使用されず、登場人物たちの言葉は地の文に溶け込んでいる。主要な登場人物はトニー滝谷、父親の滝谷省三郎、トニー滝谷が恋をし結婚する女性、トニー滝谷のアシスタントとして応募してくる若い女性だけだ。

もちろん「トニー滝谷」という短編にも表面上で語られる物語はある。だが、それは表層である。ゆっくりと流れるように語られるトニー滝谷の物語の底で別の何かが流れているのだ。それは深い河のように…。僕は水面の流れを見ながら、その底には別の水が流れているのを感知する。アンダーカレントである。

村上作品が読者に伝えてくるものは、文章で語られる単なる物語ではない。心の深いところで感じる何かだ。言葉では言い表せない何か、その物語を読むことで胸の裡に湧き上がってくる何か、である。それを市川準監督は伝えることができるだろうか。

●流れゆく映像が何かを伝えてくる

結果から言うと、困難な課題を市川準監督はクリアした。見事だと思う。あの「トキワ荘の青春」で誰もいないアパートの廊下のショットで悲しみを感じさせ、風が吹き抜ける原っぱに立つ石森章太郎の姉の姿だけで僕の胸を切なくさせた市川準監督は、村上作品のコアにある喪失感や切なさを観客に伝えきることに成功した。

それは、小説そのものを朗読するナレーションによって実現される。西島秀俊の落ち着いた静かな声が原作の文章をそのままつぶやくように読み上げる。常に同じ速度でゆっくりと左から右へと流れていくキャメラワーク、ゆっくりと一定のリズムを刻む美しいピアノの音楽…、それらが一体になり絶え間なく流れゆくものを感じさせる。

さらに滝谷省三郎とトニー滝谷をイッセー尾形が演じ、妻と妻の死後にアシスタントに応募してくる若い女性を宮沢りえが演じることで、まるで描かれるのはふたりだけの世界であるように見えてくるのだ。そのことによって、抽象化された何かが描き出される。あるいはシンボライズされた何かが…

また、ナレーションと登場人物の言葉はときに錯綜する。たとえば、車の運転席に座る宮沢りえのフロントグラス越しのアップの映像に、西島秀俊の「交差点の一番前に停まって信号を待っているあいだ、彼女はずっとそのコートとワンピースのことを考えていた」と語りが入り、宮沢りえが「それがどんな色をしてどんな恰好をしていたか…」と続ける。

トニー滝谷は精密なイラストレーションを描いて成功し若い妻を得るが、その妻は洋服を買い続けないではいられない女性だった。だが、妻は大きな部屋いっぱいの洋服と靴を遺して交通事故で死んでしまう。トニー滝谷は深い喪失感に襲われ、妻の洋服を着られる体型を条件にアシスタントを募集する。

応募してきた女性にトニー滝谷は仕事をしている間、妻の遺した服を着てほしいと頼む。彼女は服が合うかどうかを試したいと言い、洋服を置いてある部屋に入る。画面手前に据えたローポジションのキャメラが部屋全体を捉える。広角レンズのせいか、正面の一番奥にあるドアはひどく遠い。洋服と靴が四列に整然と整理されている。まるでブティックのストックヤードだ。

奥のドアが開き、宮沢りえが入ってくる。彼女はコートを着たり、ジャケットを着たりする。キャメラはずっと彼女を写し続ける。やがて、彼女はすすり泣き始める。その長い長いシーンから悲しみが漂い始める。何百という洋服を遺して死んだ若い妻。彼女が一度は手を通しただろう数々の洋服。その中に迷い込んだ宮沢りえは何かに感応して涙を流す。

被写体をことさら強調することなどしない市川準監督のいつものスタイルは、物語の奥にある別の流れを見る者に伝える。絶え間なく流れゆくものを感じさせるのだ。宮沢りえがなぜ泣いたのか、誰も明確に説明などできるはずもない。しかし、彼女が泣いた、泣くしかなかった感情の高まりは、フィックスの長回しの画面から見る者の身に迫ってくる。あふれ出す。胸を打つ。

絶え間なく流れゆくものは時間なのかもしれないし、あるいは人生そのものなのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
大沢在昌さんの作品ばかり読んでいたら、夢にまで見るようになった。夢の中で銃撃戦に巻き込まれたりしている。「拳銃図鑑」「ライフル図鑑」を買ったのはもう三十年近く前のことなので、最近の銃についてはよくわからない。一時、話題になったトカレフより、最近はマカロフの方が多いのだろうか、あの業界では。

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star『午後の最後の芝生』のみずみずしい作品のタッチが、とても素敵だ
starつまり・・
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star「カンガルー通信」がいい

レキシントンの幽霊 パン屋再襲撃 カンガルー日和 TVピープル 回転木馬のデッド・ヒート



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by G-Tools , 2007/05/18