[2207] 甦った過去からの声

投稿:  著者:  読了時間:23分(本文:約11,000文字)


<カメコの幸せを噛みしめながら>

■映画と夜と音楽と…[334]
 甦った過去からの声
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![51]
 鳥取の中国庭園と砂丘でコスプレ
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[334]
甦った過去からの声

十河 進
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●「ムービーマガジン」という雑誌があった

キネマ旬報4月下旬号の「私が選ぶ2006年映画本ベストテン」というコーナーで、映画演劇評論家の浦崎浩實さんが僕の「映画がなければ生きていけない」をベストテンにあげてくださっていると教えてもらった。懐かしい名前だ。浦崎さんは僕のことを覚えているだろうか。

浦崎さんと会ったのは、もう二十六年前になる。誰かに紹介され、名刺交換をした。当時、浦崎さんは「ムービーマガジン」編集長だった。1981年、僕はアマチュアの映画制作の専門誌である月刊「小型映画」編集部にいて、どこかで浦崎さんを紹介されたのだ。場所は忘れてしまった。試写会場だったか、新宿ゴールデン街の酒場だったか…

僕が浦崎さんのことを鮮明に覚えているのは、「ムービーマガジン」の愛読者だったからである。部数は決して多くはないだろうが、その映画専門誌はコアな映画ファンに愛されていた。特に日本映画についての情報がほしかった人間にとっては、希有な雑誌だったのだ。

名刺交換をしたせいだろうか、「ムービーマガジン」が選ぶ1981年度のベストテン選出アンケートが僕のところにも送られてきた。1982年になってすぐの頃だと思う。

僕は初めての子供が生まれ、担当している雑誌の売れ行きに一喜一憂する日々を送っていた。ビデオカメラがアマチュアにも手の届くものになりつつある頃で、8ミリのフィルムカメラはどんどん衰退していた。結局、その年の秋に僕が担当していた雑誌は休刊になる。

その頃、僕は様々な企画を提案していたが、どんな特集を組んでも雑誌の売れ行きははかばかしくなかった。特に商業映画の記事は、あまり読者に受け入れられなかった。アマチュアの作る映画と劇場で掛かる映画はまったく別物だと読者の多くは思っていたのだ。

その頃、自主映画と呼ばれる若者たちが中心になったムーブメントが高まっていたが、それも主流にはならなかった。その頃の「小型映画」の自主映画紹介コーナーを見てみると、森田芳光、大森一樹から始まり、石井聰互、長崎俊一、手塚真、犬童一心といった、今、映画界で活躍する人たちの名前がいっぱい出ているが、当時はみんな学生だった。

そんな中、「各雑誌の映画担当者が選ぶベストフィルムズ」というアンケートに僕は答えたのだ。1981年、僕は新作を作った監督たちにインタビューするページを企画し、加藤泰、工藤栄一、岡本喜八、鈴木清順、大林宣彦、相米慎二、小栗康平、東陽一というそうそうたる顔ぶれを取材した。だから、その年の主だった映画は見ていたのである。

「各雑誌の映画担当者が選ぶベストフィルムズ」は、「ムービーマガジン27号」に発表になった。表紙はタバコを持って少しはすに視線を流す桃井かおりである。巻頭の見開きに桃井かおりの写真とフィルモグラフィーが掲載されている。

●1981年のベストフィルムズを選出する

「各雑誌の映画担当者が選ぶベストフィルムズ」の邦画と洋画のベストテンは以下のような結果だった。

■日本映画
1.陽炎座(鈴木清順監督)
2.セーラー服と機関銃(相米慎二監督)
3.ガキ帝国(井筒和幸監督)
4.嗚呼! おんなたち・猥歌(神代辰巳監督)
5.野菊の墓(澤井信一郎監督)
5.遠雷(根岸吉太郎監督)
7.スローなブギにしてくれ(藤田敏八監督)
8.泥の河(小栗康平監督)
9.風の歌を聴け(大森一樹監督)
10.狂った果実(根岸吉太郎監督)

■外国映画
1.ブルース・ブラザース(ジョン・ランディス監督)
2.レイダース 失われた聖櫃(スティーブン・スピルバーグ監督)
3.スーパーマンII 冒険篇(リチャード・レスター監督)
4.最前線物語(サミュエル・フラー監督)
5.殺しのドレス(ブライアン・デ・パルマ監督)
5.ジェラシー(ニコラス・ローグ監督)
7.皆殺しの天使(ルイス・ブニュエル監督)
8.グロリア(ジョン・カサベテス監督)
9.ストーカー(アンドレイ・タルコフスキー監督)
10.9時から5時まで(コリン・ヒギンズ監督)

僕が選んだのは「陽炎座」「炎のごとく」「スローなブギにしてくれ」「ヨコハマBJブルース」「セーラー服と機関銃」「魔界転生」「天使のはらわた・赤い陰画」の七本で、それについてのコメントが懐かしい。

──映画を見る以上、映画的映像あるいは見せ場で唸らせてくれないと欲求不満になるところがあり、それを基準に選ぶと「陽炎座」はダントツ。加藤泰のローアングル、藤田敏八の軽さ、工藤栄一の逆光、相米慎二の長回し、「魔界転生」の炎上シーン、これらはまさにコーフンもので、映画館の椅子からズリ落ちそうになった。「天使のはらわた・赤い陰画」は、たまたま見てシャドウを基調にした画面作りに魅せられた。映像的スタイルを持つ映画は強いと思う。

そんなことを書いていたのだと、久しぶりに開いた「ムービーマガジン」を懐かしく読み返した。この後、外国映画についてのコメントも書いている。「グロリア」「最前線物語」は、当時の僕のお気に入りだった。それにしても、そのコメントからは三十になったばかりの僕の気負いが伝わってくる。

「三十以上を信用するな」と言っていた自分が三十を過ぎてしまったこと、子供が生まれたことが、当時の僕を大きく変えたことは間違いないと思う。とりあえず自分の好きなことを…と思って就いた編集者という仕事も八年目に入り、そろそろ覚悟を決めなければという想いに迫られていた。

●インタビューの教科書だった本

今も手元に「みんな不良少年だった」という白川書院から出た本がある。サブタイトルに「ディープ・インタヴュー」と付いている。筆者は高平哲郎だ。後にタモリのブレーンになり「今夜は最高!」の構成を担当するが、その本を出した頃は、まだそんなに名が通ってはいなかった。

奥付を見ると1977年1月20日の発行になっている。出てすぐに買ったから、僕はまだ駆け出しの編集者だった。二十三人の俳優、女優、監督、ミュージシャンなどのインタビューが掲載されていた。川谷拓三から始まり、岡本喜八、渡哲也、原田芳雄、荒木一郎、菅原文太、梶芽衣子、室田日出男、藤竜也という顔ぶれを見て僕はすぐに買った。

そのインタビュー集は何度も読み返した。初出誌を見ると「ムービーマガジン」や「宝島」がメインだった。インタビューと言っても、そこには様々なスタイルがあった。一人称で語りきってしまうもの、インタビュー中の相手を描写しながら印象的な言葉を効果的に挿入していくやり方、問いと答えを交互に出す方法など、高平さんは工夫をこらす。

もちろん、どれも相手の反応によって選ばれたスタイルである。ほとんど喋ってもらえなかった藤竜也のインタビューは、実によくできた「読み物」になっていた。また、原田芳雄のインタビューでは最後に数行、高平さん自身のコメントを出すだけで、後はすべて喋り口調を生かした原田芳雄の一人称だった。

その本は僕の教科書になった。僕は多くの人をインタビューしたけれど、相手の話を聞きながら「今回は、こうまとめよう」と考えている。そのとき、手本になったのが「みんな不良少年だった」である。そして、高平さんのインタビューを続けて読むために僕は「ムービーマガジン」を買い始めたのだ。

僕のコメントが載っている「ムービーマガジン27号」で高平さんがインタビューをしているのは桃井かおりだ。そのインタビューを読むと、その頃には高平さんはすでにタモリの「今夜は最高」の構成を手掛けている。そして、桃井かおりの最新作は、東映版「青春の門・自立篇」(佐藤浩市が主人公を演じた)
だった。

●古いインタビューテープが甦る

先日、昔なじみのNさんの紹介で「レッドパージ・ハリウッド」(作品社・刊)を上梓した上島春彦さんと会った。昨年、本が出た後、朝日新聞の書評欄で取り上げられ読みたかった本である。上島さんは僕より十歳ほど年下だったが、実に映画的知識と記憶にあふれた人だった。

すでに何冊も著書があり、「宮崎駿のアニメ世界が動いた──カリオストロの城からハウルの城へ」は京都映画祭で賞を獲得したという。「レッドパージ・ハリウッド」も日本推理作家協会賞の評論部門の候補になっているそうで、一週間後の発表が気になっている様子だった。

Nさんもかつて二本の映画を自主制作した実績を持っているから、様々な映画的記憶を持つ人である。その三人が酒を呑むのだから、とにかく様々な映画のタイトルやシーンの記憶などが飛び交った。

「レッドパージ・ハリウッド」はエスクァイアマガジンジャパンのウェブサイトで連載している「ハリウッド・ブラックリストライター列伝」が元になっている。様々な資料に当たった労作である。推薦文を蓮實重彦さんが書いており、確かに「これを書かねば二〇世紀を総括しえぬと心に決めた上島春彦の意気込みは、平成日本の安逸をしたたかに撃つ」ものだ。

その上島さんが「今、鈴木清順をまとめようと思っているのです」と言った。鈴木清順監督作品で見ていないのは初期の数本だけになったという。おそらく鈴木清太郎名義で監督したものだろう。

人後に落ちない清順ファンである僕は「それは楽しみです」とすぐに反応し、二十六年前、「陽炎座」公開直前に清順さんにインタビューしたことを話した。その当時、映画評論家の松田政男さんに「清順さんがあそこまで具体的に答えるのは珍しい」と言われた記事である。

清順さんはインタビューにまともに答えてくれないので有名だった。自分の映画の解説などしないし、韜晦まじりの煙にまく返事ばかりで編集者泣かせと言われていた。だが、僕の雑誌が商業映画の専門誌ではなかったからだろう、撮影の裏話などを具体的に話してもらえたのだった。

──その取材テープ、まだ持ってますよ。家宝にしてますけど、お送りしましょうか。

そう言ってから、テープを聴かれると自分の下手くそなインタビュアーぶりがバレちゃうなと思ったが、手遅れだった。上島さんは「ぜひ」と言う。テープを送ることを約束して帰ったその夜、久しぶりに僕はそれを聴いてみた。

三十になったばかりの僕の若い声がスピーカーから流れ出した。過ぎ去った遠い昔が甦った。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
大沢在昌さんと対談してきました。今回は素面で、雑誌掲載のためという重圧によって、大したことはしゃべれませんでした。対談前から腹痛に見舞われ、本番に弱い体質がまた露呈しました。子供みたいだなあ、と我ながら情けない。それにしても、大沢さんは細やかな気遣いをするホントにいい人でした。

●第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本
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■Otaku ワールドへようこそ![51]
鳥取の中国庭園と砂丘でコスプレ

GrowHair
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5月12日(土)、13日(日)と、鳥取県の中国庭園「燕趙園(えんちょうえん)」でコスプレイベントが開かれ、北海道から九州、四国まで全国から74名のコスプレイヤーが参加した。日本最大の中国庭園という、格好のロケーションを求めて遠征してくるほどの気合いの入ったコスプレイヤーたちは、衣装の作りこみようも並ではなく、色彩の豊かさと装飾の細かさがそれはそれは見事、あたかも庭園に命を吹き込むかのようであった。

初日の夜には交流会が、二日目の午後にはコスプレコンテストが開かれて、コスプレイヤー同士すっかり仲良くなり、終始和やかな雰囲気に包まれた。「コスプレ部」のスタジャンや中国服を着たスタッフが園内を回ってコスプレイヤーたちに話しかけ、おしゃべりに花が咲いたのも楽しかった。

二日目の終わりには、別れが名残り惜しくて泣いた人がスタッフにもコスプレイヤーにもいたという。帰ってきてからも、みんな口々にいいイベントだったと言い、11月の再会を今から楽しみにしている。

●和歌山がきっかけで鳥取へ

鳥取くんだりまでカメコりに行くことにしたのは、芋づるのような経緯からであった。去年の夏コミで、宝塚のベルばらの華やかなコスをしていた汐音さんに声をかけて撮らせてもらったのがきっかけで個人撮影の話が進み、10月には秋バラの咲くバラ園で撮らせてもらえた。

3月25日(日)に和歌山のポルトヨーロッパで開かれたコスプレイベントには、事前に行くという知らせを受けていて、私も行ってきた。汐音さんと仲のよい万鯉子さんも行くと聞いていて、現地で会ったときに、長々と立ち話。そのときに、万鯉子さんから、5月には鳥取に行くという話を聞いて、じゃ、私も行きます、という話になったのであった。

万鯉子さんは、去年の世界コスプレサミットで蝶子さんとのコンビで国内予選を勝ち抜き、8月に名古屋で開かれた本戦の舞台に上がっている。各国の予選を通過した9ヶ国からの代表がコスプレ世界一を競い合い、万鯉子さん・蝶子さんのコンビは宝塚のベルばらコスで2位を獲得している。いわば、日本を代表するコスプレイヤーのひとりである。

燕趙園でのイベントは去年の9月に第一回が開かれていて、そのときのコスプレコンテストでは、万鯉子さんたち四人のチーム「裏天竺」が優勝している。今回は第二回になるが、審査員として参加とのこと。

何回か撮らせてもらったことはあったが、和歌山のときまでゆっくり話す機会がなかった。去年の冬コミでは万鯉子さんが「のだめカンタービレ」の千秋、蝶子さんがのだめをやっていたが、私は撮らせてもらっておきながら気づいてなくて、千秋はものすごい美形の男性かと思っていた。

●いずれにしても遠いけど

東京から鳥取まで行くには、夜行列車、夜行バス、飛行機などの手段がある。鳥取から西に40kmほどのところに倉吉という町があるが、そのひとつ手前の松崎駅から徒歩で行けるところに燕趙園がある。東郷湖の湖畔にあり、近くには東郷温泉や羽合(はわい)温泉がある。

20:30品川発の夜行バス「キャメル号」で行くと、翌朝8:00に倉吉に着く。22:00東京発の特急列車「サンライズ出雲」に乗り、上郡、鳥取で乗り換えると、8:19に松崎に着く。客車を機関車が牽引する、いわゆるブルートレインではなく、薄い赤紫色の電車なのがちょっとつまらない。けど、寝台料金なしで乗れる「ノビノビ座席」はお得。構造は二段寝台と同じく、片側の窓際に通路があり、横向きにのびのびと寝られるようになっている。ただ、寝台の代わりに座敷のようになっていて、固いけど。

朝6:00東京発の新幹線「のぞみ」に乗り、新大阪、姫路で乗り換えると、12:29に倉吉に着く。7:10羽田空港発の飛行機で行くと、8:20に鳥取空港に着き、そこからバスに乗ると、9:20ごろ松崎に着く。私はこれで。万鯉子さんたちも同じ便だった。バスの乗客約20人のうち、15人ほどがコスプレイヤーであった。

●華やかに和やかに

9:30ごろ燕趙園に着くと、やはり行くと聞いていた、水無瀬紅(こう)さんに会う。水無瀬さんは、一昨年の秋ごろ、都内の日本庭園での個人撮影で、「遥かなる時空(とき)の中で」のコスで撮らせてもらっている。ノビノビ座席で一番乗りの到着だったそうで、すでに今回の相方のTomoeさんとともに「三国無双」の陸遜と甘寧の姿になっている。

燕趙園に入って全景をざっと眺め渡し、「これはいい」と嬉しくなった。広々とした園内に、中国風の門があり、回廊があり、池があり、橋があり。どこに立って、どっちを向いても絵になる。広さの割に人がそれほど多くないので、背景に無関係な人を入れないようアングルで苦労することもほとんどなく、のびのびと撮れる。そう言えば、ここはテレビドラマ「西遊記」のロケ地にもなったところだったっけ。

場所柄、多く見かけたのは、三国無双、彩雲国物語、十二国記、西遊記などのコスであった。初めて会ったコスプレイヤー同士でも、すぐに仲良くなっている。同じ作品のコスだったり、中国の歴史という共通の話題があったりということもあるだろうが、鳥取まで遠征してきたという「本気」のオーラを放つ仲間同士という共感もあるのだろう。初日の6時から開かれた、コスプレイヤーたちの交流会も和やかな雰囲気だったらしい。

二日目の午後にはコスプレコンテストが開かれ、9チームがエントリーした。審査員長は鳥取大学地域学部の野田教授。審査員はみな中国服かコスプレで。客席には湯梨浜町の町長と副町長の姿も。やはり中国服で。

コンテスト参加者のパフォーマンスはどれも面白かったが、特に、一歳の娘さんを孫悟空に仕立て上げた家族チーム「だんな!! 一座」は抱腹絶倒ものだった。抱え上げるお母さんはきんと雲役。娘さんは、当然筋書き通りに演じてはくれず、舞台から逃げ去ろうとしたりと突拍子もない行動に走るのだが、父親は動じず、あたかも予定通りだったかのように、アドリブ、アドリブで取り繕うのが可笑しくて可笑しくて。

ゲーム「真・三国無双」の周瑜、孫策、孫権、陸遊に扮したチーム「不動峰」は、よくスーパーなどで食料品をのせてラップで包んで売っている何の変哲もない白いプレートを、もったいつけて一万円で売ろうとする芸(テレフォンショッキングのパロディー?)で会場を沸かせ、優勝を獲得した。ついつい芸に目を奪われてしまったが、衣装の美しさも格別であった。

審査結果の集計中に万鯉子さんたちのチーム「裏天竺」のパフォーマンス。「西遊記」の孫悟空、沙悟浄、猪八戒、三蔵法師に扮し、賞金を奪い合う妖怪たちを師匠がたしなめる寸劇。役者揃いである。台詞がスムーズ、表情が生き生き、立ち回りもきれい。模範演技と言えよう。コンテスト参加者も含めてみんな、舞台度胸がよく、ギャグのセンスがよく、演じるのが上手い。非常に楽しかった。

二日目終了後にはスタッフの打ち上げがあり、バス待ちのコスプレイヤーたちも招き入れられたらしい。「この時間がずっと続いてくれたら」と感極まって泣く者もいたらしい。これほどいい思い出を残すコスプレイベントを私は聞いたことがない。次回、11月を心待ちにしている。

●封印してたはずの趣味が...

余談ながら、一日目の夕方、倉吉駅で列車を眺めていて、ディーゼルエンジンのガランガランブオウという音を聞くともう矢も盾もたまらず、衝動乗り。時刻表をチェックして、一時間ほどで往復できる浜村まで。二両編成の一両目の後ろのドアから乗って整理券を引き抜き、前のドアから降りるときに運転手さんに料金を支払う方式。車掌さんはいない。

線路の継ぎ目を車輪が通過するガタンゴトンがなつかしい。さっきまでいた中国庭園を横目に松崎駅を過ぎると19:00を回るが、日没後の薄暗がりでも遠くまでよく見え、広がる田園風景が美しい。すぐに山裾が迫ってきて、トンネルに入ったり、山林地帯を走ったり。

浜村駅は、窓口はあっても閉まってる無人駅。駅前には噴水の水受けの部分だけのようなものがあり、すり切り張られた水が周囲から流れ落ちていく。薄暗がりに目が慣れると、湯気が立っていて、温泉と分かる。足洗い場もある。駅舎の中の壁には詠み人知らずの川柳が六首ばかり掲げてある。
例えば、こんなの。
  酒タバコやめたあの人先に逝く
  借家でも自宅待機と言うのかな
なんか物悲しいユーモアですね。

二日目の夕方は、二両編成のディーゼル特急「まつかぜ」で米子まで。途中駅全部通過で30分ほど。単線を時速120kmで快走。米子で引き返すつもりが、0番線に停車中の、側面に「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男がでかでかと描かれた一両編成の列車を見ては、もう自制心がきかず、またまた衝動乗り。境線の終点境港(さかいみなと)は水木しげるゆかりの地である。

車内の天井には、等身大のねずみ男が描かれている。途中ですれ違った列車は鬼太郎だった。各駅には妖怪の別名がついている。駅名板にはイラストとともに妖怪名が書かれ、下にカッコして小さく本名が書かれている。「べとべとさん」(大篠津)駅で反対から来た列車に乗り換えた。運転手兼車掌さんから呼び止められたら「え? 私の姿が見えるんですか?」ととぼけてやろうと思っていたが、見逃してくれた。はなから妖怪だと思われてたとか?

●鳥取砂丘を笑いの渦に

翌日、5月14日(月)は、鳥取砂丘へ。万鯉子さんたちがそこでコスプレ個人撮影をするとあらかじめ聞いていたので、一瞬たりとも迷わず会社を休んで。私は鳥取県に足を踏み入れること自体、今回が初めてで、行く間際までまったく地理が分かっていなかったが、鳥取砂丘は鳥取駅の北東方向、バスで20分ほどのところにある。8:43倉吉始発、京都行きの特急「スーパーはくと」(「因幡の白うさぎ」にちなんだ名前か?)で、鳥取駅まで30分。途中駅全部通過。

砂丘って、広めの砂浜ぐらいのものかと想像していたので、バスがずんずん山を登っていくのにびっくり。峠を越えるのかと思いきや、頂上が「砂丘センター」だといい、にわかには信じられなかった。でっかい砂の山だ。そこで万鯉子さんたちと落ち合う。

前日と同じ、西遊記のコス。リフトでなだらかな傾斜を砂丘へと下る。リフトで戻ってくる人たちとすれ違うわけだが、みんな大笑い。すれ違うまではにこにこ笑ってるくらいで耐えているが、後ろへ見送ってからは腹をよじってヒィヒィ笑ってる人たちもいる。そりゃ、三蔵法師が孫悟空と沙悟浄と猪八戒を引き連れてリフトで下りてきたら、幻覚でも見たかと思うわな。後ろに乗ってる私もつられて大笑い。

砂丘でも人気者になっていた。写真を撮っていく人、多数。「今回の旅行で一番面白かった」と言っていく人もいた。影がびーっと伸びる夕方まで居たかったが、帰りの飛行機の時間が迫り、私だけ先においとま。17:50鳥取空港発の最終便で羽田へ。三日間を振り返り、よかったぞ、なんかすごくよかったぞ、とカメコの幸せを噛みしめながら帰途についた。

帰って最初にしたことは、ジーンズを脱いで逆さに。ケツの両ポケットから砂がさーっと流れ落ち、靴脱ぎ場が砂丘になった。

鳥取の写真はこちらからどうぞ〜。
< http://growhair2.web.infoseek.co.jp/Tottori070512/Tottori070512.html >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
さすらいのカメコ。今はコスプレが旬の時期。これから数週間にわたり、カメコとしての私がどんどん「予約」されていっている。このコラムもしばらくはカメコ話が続くと思います。よろしくおつきあい下さいませ〜。

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■編集後記(5/25)

魅惑の仏像 阿修羅―奈良・興福寺もちろんすぐに買いに走った。講談社の週刊「日本の仏像」。パートワーク、分冊百科ともよばれるこの分野、とくに創刊号は目玉特集でサービス価格だから、たいてい買ってしまう(そしてそれ以降は買わない)習性のわたし。「日本の仏像」の特色は、仏像を原寸大で誌面に再現していることだ。そんなことが可能なのか。日本の仏像たちが、本当にA4変形判のサイズに収まるのか?すぐに思いつくのは奈良の大仏はどうなる? ということだが、第5号で掲載される。これはぜひチェックしなければなるまい。創刊号は興福寺の阿修羅である。仏像界のトップスターである。当然の起用だ。原寸大ギャラリーには、美しいお顔などが掲載されている。もちろん、八部衆や興福寺のほかの有名仏像も原寸ではないが収録されている。この本の特色は、仏像が造られた当時の姿を復元したり、細部にわたる詳しい解説もあることで、かなりいい内容だ。一週間後には朝日新聞社から「週刊仏教新発見」全30冊の刊行が始まる。これも興味深い編集内容だ。この項つづく。(柴田)
< http://shop.kodansha.jp/bc/butsuzou/ >  「日本の仏像」
< http://opendoors.asahi.com/data/detail/8069.shtml > 「週刊仏教新発見」

・セクロボの七話が二話に差し替えって? 実在する事件を想起させるって?放送未定って? 夜中でも夏でもいつでもいいから放送して欲しいよ。八話はドラマ「すいか」メンバーと聞いてわくわくしている。これは差し替えになりませんように。/やましたくにこさんのショートストーリーを読んで、「プロポーズ大作戦」を見てみた。人間はやり直したいと言うけれど、やり直せば本当に上手くいくのか(違う結果を生む選択ができるのか)、その自信はどこからくるのか、みたいな三上博史の台詞が良かった。紙飛行機か。/学生時代はドラマなんて大嫌いで、ドラマにはまっている友人が理解できなかったし、同意や共感を求められるとつらかったのだが、歳とってくるとわかるようになってくるね。セクロボのニコが、恋愛しているのが当たり前みたいな風潮がしんどくて、人を好きなフリをしている、と言うところで爆笑したよ。そういう時期あったもん。悲劇どっぷりはいまだに好きじゃないし、救いのないものは嫌いだ。セクロボが好きなところは、決してシリアスになりすぎず(シリアスすぎると毎週見るのがしんどい。引き摺る)、人によっては上っ面っぽいと捉えられそうな台詞は学生時代に見ていたら気恥ずかしいだろうけれど、今の歳だと二重、三重に意味を捉えられるところがいい。わかりやすそうで、実は考えながら見ないとわからないところも好き。説明が多いドラマはうざったい。二時間ドラマの解決シーンだと、視聴者は途中で犯人やトリックはわかっているわけで、それを改めてくどくど言われるとめんどくさい。あとはお考えください、もう一回みてみたい、という映画ちっくな方がいいと思うのは、気楽に見たい視聴者にとっては別の意味でめんどくさいかもな〜。セクロボをつまんないと言う人には、十年ぐらいのちに改めて見てもらいたいなぁ。二十年後ぐらいに見ると、また気恥ずかしいものになってたりして。(hammer.mule)
< http://www.ntv.co.jp/sexyvoice/ >  セクシーボイスアンドロボ
< http://bn.dgcr.com/archives/20070522140300.html >
やましたさんの
< http://mirumo.serika.ciao.jp/?eid=676464 >  これを見た