映画と夜と音楽と…[335]自信は人を輝かせるか
── 十河 進 ──

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●I.W.ハーパーに付いていたヒッチコックのDVD

いつもいく安売りの酒屋でバーボンウィスキーの棚を見ていたら、I.W.ハーパーにDVDの付録が付いていた。以前、ワイルドターキーに小さなCDが付いていて、ジョン・リー・フッカー、エルモア・ジェイムス、ローウェル・フルソンのブルースが入っていたことがあるが、映画が付録になっているのには驚いた。

いや、驚いたというより感慨に耽ったのだ。そう、もう四十年前のことになる。高校生のときに友人のTが「将来は本屋で映画を売っているよ」と確信ありげに言ったことがあるが、そんな時代はとうに過ぎて、今やウィスキーの付録になる時代なのだ。「映画は映画館で見るべきだ」などと野暮なことは言わないけれど、それにしてもなあ、と複雑な心境だった。


海外特派員I.W.ハーパーには二種類の映画が付いていて、どちらもアルフレッド・ヒッチコック監督の名作である。ハリウッドへ渡って作った第一作「レベッカ」(1940年)と第二作「海外特派員」(1940年)だった。どちらも発表後六十七年になるから著作権が切れているのだろう。

以前はワイルドターキーやI.W.ハーパーを呑んでいたけれど、最近、質より量になってきた僕は千円ほどで買えるフォアローゼズにしていた。しかし、その日、僕はDVDにつられてI.W.ハーパーを買って帰った。二本買えば「海外特派員」と「レベッカ」が手に入ったのだが、「海外特派員」はもう何度か見ているので「レベッカ」の方にした。

レベッカ「レベッカ」には、ちょっとした思い出がある。僕が「レベッカ」のDVDが付いたI.W.ハーパーの前で足を止めたのは、間違いなく感傷に襲われたからだ。「レベッカ」のポスターが印刷されたDVDのジャケットが一瞬で僕の目に飛び込んできた。四十年前の記憶が恥の感覚を伴って甦る。

「レベッカ」を見たのは高校生の頃だった。たった一度だけ、リバイバルで公開になったときに見た。映画雑誌の紹介記事で、ヒッチコックの「鳥」(1963年)の原作者ダフネ・デュ・モーリアの代表作だと知って、見にいきたくなったのだ。「鳥」と「サイコ」(1960年)で僕はヒッチコック・ファンになっていた。

その頃、「0011ナポレオン・ソロ」というテレビシリーズが人気があった。ロバート・ヴォーンがナポレオン・ソロというプレイボーイ・スパイを演じ、相棒のイリヤ・クリヤキン(デビッド・マッカラム)も人気があった。彼らのボスを演じていたのが、レオ・G・キャロルという俳優だと知ったのも「レベッカ」の紹介記事によってだった。

僕は、レオ・G・キャロル(「ナポレオン・ソロ」のボス)が「レベッカ」に出ているという情報を映画が始まる前、隣に座っているそのひとに得意そうに言った。やがて映画が始まり、中盤を過ぎたところで大きな邸宅(というより城だったが)が映り、執事が登場した。そのとき、僕は「ほらほら、あれがナポレオン・ソロのボスだよ」とそのひとに耳打ちした。

しかし、その執事は大した役でもなかったし、よく見るとナポレオン・ソロのボスとは違っているようだった。「あれっ」と僕は思った。もしかしたら早とちりか。だが、映画が後半に入ってもそれらしい人物は登場しない。ようやく、ラスト近くになってロンドンの医者が現れた。レオ・G・キャロルだった。重要な役だが、ワンシーンにしか出てこなかった。

知ったかぶり、早とちりは昔からだったのだ、と四十年後の今になって改めて思う。数え切れない失敗をしてきた今の僕なら「いやぁ、早とちりしちゃったよ。医者の役がソロとクリヤキンのボスだったんだ」と言えるだろうが、僕は十五歳だった。

恋をしている相手に、そんな言葉は出なかった。僕の早とちりについては知らんぷりをしてくれているのだろう、映画が終わるとそのひとは何も言わずに席を立った。僕は落ち込んだ気持ちのまま明るくなった映画館の中でうなだれていた。

●ジョーン・フォンテーンは自信を得て輝き始める

四十年ぶりに「レベッカ」を見ると、ジョーン・フォンテーンの美しさに目を見張る。ジョーン・フォンテーンは新人女優で、どことなく自信のなさそうな様子が「レベッカ」の主人公には合っていた。清楚で、地味で、愛する人にひたむきな印象が最後には輝くような美しさに見えてくる。

ファーストシーンはヒッチコック映画らしく断崖絶壁に立つ男の姿だ。ローレンス・オリビエが演じるイギリスの富豪マキシムである。断崖に向かってじりじりと足を踏み出す。その瞬間「いけないわ」と声がかかる。マキシムが振り向くとヒロイン(ジョーン・フォンテーン)が心配そうに立っている。

ふたりはやがて恋に落ち結婚してマキシムの居城マンダレー館にやってくる。それまでにヒロインはマキシムが一年前に妻を亡くしたこと、レベッカというその妻は美しく誰もが賞賛する女性だったという話を聞いているのだ。そして、マンダレーには死んだレベッカを崇拝するダンバース夫人がいる。ダンバース夫人が館を取り仕切っているのだった。

ヒロインはダンバース夫人からレベッカが完璧な女性だったと吹き込まれる。やがてレベッカへのコンプレックスから夫は今もレベッカを愛しており、自分は愛されていないのだと思い込む。どんどん自信を失い、女主人でありながらダンバース夫人の顔色を窺うような振る舞いをする。

だが、仮装舞踏会の夜、マンダレー館の裏の海岸に難破船が見つかり、その下から沈没したクルーザーが見つかる。その船室にはレベッカの死体があり、調査の結果、船底に穴が開けられていた。事故死だとされていたレベッカだったが、自殺かあるいは他殺なのか…。マキシムが疑われる。

レベッカの呪縛から解放され、夫が自分を愛していたのだと確信できたジョーン・フォンテーンが素晴らしい。自信が漲り、夫を守るために何でもやるわという献身がうかがえる。もしかしたら、撮影が進むうちに女優としての自信が出てきたのかもしれない。ヒッチコックは女優を育てるのに定評のある監督だった。

「レベッカ」を初めて見たときに僕は何を思ったのだろう。完璧な女性などいないのだ、ということだろうか。イギリスの上流社会を背景にしたゴシック・ロマンに現実感を感じられず、夢物語として見ていたのかもしれない。だが、「レベッカ」は単なるサスペンス映画以上の何か残したのだろう。四十年後、もう一度見てみたくなるような何かを…

●オスカーを巡る女優姉妹の悲劇的な因縁

風と共に去りぬ「レベッカ」を見た同じ頃、僕は「風と共に去りぬ」(1939年)もリバイバル上映で見た。原作を読んだのは中学生の頃で、僕はスカーレット・オハラよりメラニーに理想の女性像を見た。そして、映画版でも良妻賢母のメラニーを演じたオリヴィア・デ・ハビランドに好意を感じたものだった。

今から思えば、メラニーは「男から見た」という限定をつけなければならない「理想の女性」である。清楚で、慎ましく、愛する夫や子供のために献身的に尽くす女性。自己犠牲を厭わない。かと思うと、スカーレットと共に闘う強さを持っている。だが、彼女自身の幸せは何だったのだろうと、今の僕は思う。

しかし、1960年代半ばを生きる少年にとってオリヴィア・デ・ハビランドが演じたのは、理想の女性だった。そして、オリヴィア・デ・ハビランドがジョーン・フォンテーンの実の姉であることを僕は映画雑誌で知った。

アカデミー賞―オスカーをめぐるエピソード川本三郎さんの「アカデミー賞」(中公新書)の中に「オスカーに引き裂かれた姉妹」という章がある。オリヴィア・デ・ハビランドは「風と共に去りぬ」でアカデミー助演女優賞の候補になるが受賞を逃す。翌年、新人女優ジョーン・フォンテーンが「レベッカ」で主演女優賞の候補になる。

断崖「レベッカ」では受賞できなかったが、翌年、同じヒッチコック作品「断崖」でジョーン・フォンテーンは再び主演女優賞にノミネートされる。そして、オリヴィア・デ・ハビランドも同じく主演女優賞にノミネートされるのだ。史上初の姉妹対決を制したのはジョーン・フォンテーンだった。

そのオリヴィア・デ・ハビランドとジョーン・フォンテーンは、東京生まれである。オリヴィアは1916年生まれだから、大正時代の話だ。その後、両親が離婚し、姉妹は母親と共にアメリカに移住する。ジョーン・フォンテーンは母親が再婚した後、実父を頼って東京に戻り、聖心女学院に学んだという。

そんなことも僕は「風と共に去りぬ」を見た後で、そのひとに話したことだろう。その頃の僕は自分が知ったことを人に話さないではいられなかった。そのひとの歓心を得ようと僕は得意になって話した。そんなことは何の役にも立たないのだと僕はまだ学んでいなかった。自分の興味があることがすべてだったのだ。

高松の常磐街の入り口にある喫茶店だった。ロココ調の派手な飾りが今でも浮かんでくる。当時は流行っていたのだろうが、そんな装飾の店なんかもうどこにもないだろう。椅子はビロードで覆われていたし、店の真ん中にはゴージャスなシャンデリアが下がっていた。

そんな時代の恥ずかしい思い出ばかりが記憶から消えてくれない。思い出せば唇を噛み、天を仰ぐ。まったくなあ、と頭を振る。自信がないから、他から仕入れた知識をそのまま話し、話したことで自己嫌悪に陥る。本当の輝きは自信の中から生まれてくるものだ。それは知識を蓄積し、熟成させ、自らのものにして初めて生まれる。その自信が人を輝かせる。「レベッカ」のヒロインのように…。

それでも、あの自信のなかった若い頃を振り返れば、妙に胸が疼く。感傷に襲われる。先日、実家の母親からファックスが入った。父親の耳がほとんど聞こえなくなり、去年帰ったときに実家にファックスを設置してきたのだ。以来、僕からの連絡もファックスが多くなった。昨年暮れに僕の本が書店に並んだこと、今年の三月に賞をもらったことなども実家にはファックスで知らせていた。

その母親のファックスには、何かの用事でそのひとと数十年ぶりに電話で話す機会があり、たまたま僕の本のことを知らせたとあった。翌日、そのひとから僕の本を買って読み「とても懐かしかったです」と連絡があったと母親は書いていた。「レベッカ」や「風と共に去りぬ」を見たとき、僕の隣りに座っていたそのひとは、今、小学校の校長先生になっているという。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
どうも体調がうまくない。咳が出る。頻繁に腹痛に襲われる。元々、通勤時間は長いのだが、最近、途中下車する頻度が増えた。何か心理的な原因か? 単なる飲み過ぎだという意見が主流なのですが…

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by G-Tools , 2007/06/01