[2221] 都心から離れてもデザインの仕事に差し支えないか!?

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<「今年は電子雑誌元年」だそうです>

■デジアナ逆十字固め…[48]
 探検隊のドレイとなる
 上原ゼンジ

■デジクリトーク
 都心から離れてもデザインの仕事に差し支えないか!? …実験中。
 小笠原たけし

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 第53回N.Y.TDC展+2007タイポグラフィ年鑑受賞作品展

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■デジアナ逆十字固め…[48]
探検隊のドレイとなる

上原ゼンジ
< https://bn.dgcr.com/archives/20070614140300.html
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●「あやしい探検隊」のドレイ

はじめて「あやしい探検隊」のキャンプに連れていってもらったのは1983年、大学3年の時のことだ。別にオーディションがあったりしたわけではなく、本の雑誌の助っ人の中の一人として招集を受けた。以降、北は青森県大間岬から、南は石垣島まで、20回ぐらいドレイとして参加させてもらった。

初参加の際は椎名誠隊長以下、キムラ弁護士、沢野画伯、釜炊きメグロら東ケト会オリジナルメンバーがそろい、新潟の粟島まで遠征した。オジサン達に囲まれ、おどおどしながら、くっついて行った記憶がある。

集合は当時沢野さんが勤めていた絵本の出版社。ここにキャンプ道具が一式保管されていた。というか、ただ前回のキャンプの時の残がいが、段ボール箱に放り込まれているだけで、鍋釜食器類とともに、しけった蚊取り線香やら、干からびたカボチャの切れ端が発掘された。それをその出版社の新しい段ボールに詰め替え、ヒモを掛ける機械でグルグルと巻いて荷造りをした。

出版社は江戸川橋にあったのだが、そこから上野までは赤帽を使った。軽トラックの荷台に段ボール箱やリュックを載せ、一緒に人間も乗り込む。夜でしかも幌が付いているので、中は真っ暗。ドレイはどこに連れて行かれるのかも知らされていなかったので、荷台で揺られながら不安な思いをしていた。

上野から新潟までは夜行列車を使った。夜行を使ったのは、たぶんこの時が最後。さらにフェリーに乗り継ぎ、翌日の昼前に無事粟島に到着。いや、無事ではなかったかもしれない。ドレイどもが持っていた段ボール箱のヒモが緩み、内容物がはみ出したままズルズルと引きずっていたので、到着したころにはすでに、敗残兵のようになっていたからだ。

探検隊というと何か特別なものを想像されるかもしれないが、言ってみればただのオジサンたちのキャンプだ。最近はアウトドアグッズもいろんなものがあって、すごく便利になっているが、当時は本当にそこら辺にあるものを見繕って持っていった。

テントなんかもすごく進化して、軽くコンパクトになっているが、その時持っていったテントというのは、畳んでもサンドバッグぐらいの大きさにしかならないバカデカテントだった。米軍放出といった感じの10人用テントは、組み立てるとモンゴルのゲルのような形になった。

ここに手足の長いオジサン、歯ぎしりをするオジサン、イビキをかくオジサンたちが、絡まり合いながら寝た。しかし二日目、私は最後になってしまい、寝られるような隙間もなく呆然としていると、もう一人あぶれている人に気づいた。陰気な小安さんだ。

しばらくは二人で言葉を交わすこともなく、焚き火に木をくべていたのだが、蚊帳テントというのが立ててあったので、そこに寝ることにした。蚊帳テントというのは、我々が勝手に呼んでいただけであって、正式名称や使い途は分からない。四角いフレームの周りを、蚊帳のような薄くて透ける生地で囲んであるだけのものなので、雨が降れば水浸しになってしまう。訳の分からないものだが、テントではないはずだ。

蚊帳テントで寝始めてしばらくすると異変に気づいた。やたらと蚊が多いのだ。その時、ジャージの上下を着ていたのだが、露出している部分が蚊にさされてしまうため、足首や手はジャージを伸ばして隠し、頭や顔はタオルで覆った。

しかし、そのテントの中にいる蚊は尋常な数ではなさそうだった。一度入ると抜け出せない蚊取りテントのようなもので、我々は蚊をおびき寄せるためのエサだったようだ。タオルで覆った両耳からは、絶え間なく蚊の羽音が聞こえた。タオルやジャージの上から蚊たちが、一生懸命刺そうとしているのが分かった。この時初めて蚊にも重みがあることを知った。

たまに海外ニュースで、全身ミツバチに覆い尽くされたミツバチオジサンを見かけることがあるが、たぶんあんな感じで我々は蚊に覆われていたのだろう。皮膚を露出していないので、ダイレクトに刺されることはないのだが、とても寝られる状況ではない。

しばらくは真っ暗な中で、蚊に覆われている自分を想像しながら横たわっていたが、ついにガマンができなくなって蚊取りテントから抜け出した。すでに薪も底をついていたので、遠くまで木を探しに行き、フイゴで風を送って火を絶やさないようにしながら夜明けまで過ごした。

粟島中の蚊たちはすべて蚊取りテントの中に捕獲されたのか、その後は蚊に悩まされることはなかった。バカデカテントの中には、朝までヒューヒューというフイゴの音が聞こえていたそうな。

●初めての本作り

同じ年の秋、私は沢野ひとしさんの本の担当編集者になった。交換広告の担当をしていたので、写植の指定は多少できるというレベル。それまでは書籍の編集は椎名さんがしていたのだが、執筆のほうが忙しくなってきたので、私がやることになったのだ。今考えてみれば、よく学生に任せたものだと思う。

ある日、椎名さんから三つの段ボール箱に無造作に詰められた沢野さんのイラストを預けられた。沢野さんは厚手のトレーシングペーパーに絵を描くのだが、小さいものだと4センチ四方ぐらいしかないので、段ボール箱三箱分というのは、かなりの量なのだ。

私の任務はそれらのイラストを使って、本を一冊作り上げることだった。椎名さんは「オレも手伝うからな」と声を掛けてくれた。椎名さんがいなくなると、発行人の目黒さんがススッと寄ってきて、「椎名はああ言ってるけど、手伝ってくれないよ」と耳打ちし、どこかへ消えていった。長年椎名さんと付き合ってきた目黒さんからの的確なアドバイスだった。

決まっているのは判型と「沢野ひとしの片手間仕事」というタイトルだけ。当時「糸井重里全仕事」「仲畑貴志全仕事」といった「広告批評」の「全仕事」シリーズが話題になっていたので、それに対抗して付けられたタイトルだ。まだサラリーマンだった沢野さんが片手間に描いたイラストだったので、片手間仕事というタイトルが付いたというわけだ。

判型はA4変型だったのだが、その時点で私は困ってしまった。本の雑誌はA5判なので、それに合わせたレイアウト用紙しかない。A4の見開きでA3だから、最低B3ぐらいのレイアウト用紙が必要だ。たった一冊のためにレイアウト用紙を印刷することはできない。会社のコピー機はB4までだから使えない。悩んだ末に私は製図板とT定規を買ってきて、手書きのレイアウト用紙を作り上げた。

それから完成までには半年かかった。事務所の鍵を預かり、みんなが帰ったあと、一人沢野さんのイラストを作業台の上に広げ、手を動かした。同じ傾向のイラストを集めたり、自分の感覚でイラストの価値を判断してセレクトする。さらにそれを見開き単位でレイアウトして、ページ順を決めていく。段ボール箱の中の混沌とした状態に秩序を与え、少しずつ形にしていく作業というのが、すごく面白かった。

最近は編集の仕事はしていなかったが、自分の本を作るために写真を選んだり、順番を考えたりという編集作業があり、沢野さんの本を作っていた時の感覚が戻ってきて楽しかった。特にInDesignがあるのがありがたい。

トレスコ(※)もなく、手作りのレイアウト用紙にコピーしたイラストを貼り付けていた時代から考えれば、雲泥の差だ。あまりInDesign使いの編集者というのは聞かないけど、編集作業に使うとすごーく面白いツールだと思う。

※トレスコ=トレスコープの略。調べてみたらトレーシングスコープだの、トレーススコープだの諸説あるようだ。イラストや写真のアタリをとったり、紙焼きに使う機械。デザイン事務所や写植屋さんに置いてあった。

【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com
◇キッチュレンズ工房
< http://kitschlens.cocolog-nifty.com/blog/
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■デジクリトーク
都心から離れてもデザインの仕事に差し支えないか!? …実験中。

小笠原たけし
< https://bn.dgcr.com/archives/20070614140200.html
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最近自宅兼事務所を、都心から離れた自然豊かな場所に移転した。理由は、広い空が好き、山の見える場所が好き、緑に囲まれて暮らしたい、できれば車の騒音は聞きたくない、、などなど。

私はフリーランスのデザイナーとして、ウェブを中心とするグラフィックデザインや、企業および大学で講師をしている。それらのほとんどは、東京都内の企業からいただいている仕事である。そのような仕事をしている私が、都心から離れても移転前と変わらずに仕事を続けられるのだろうか。目下実験中である。

移転前は埼玉県所沢市に住んでいた。充分田舎だと言う方も多いが、都内には駅まで歩く時間も含めて40分くらいで出られる場所である。仕事の打ち合わせには一時間くらいで行けないとなぁ、、と思っていたのだ。

だが私の仕事をよく考えると、慣れている相手とはメールのやり取りが殆どで、それほど会う事はない。新規の仕事が始まる時、最初だけ会って打ち合わせをし、その後はメールか電話。これが殆どなのだ。

定期的な講師の仕事はあるが、それを含めても都内にでるのは週平均二回である。それも今直ぐにでも打ち合わせに行かなければならない、という仕事はまずない。これならもっと田舎でも大丈夫だと思った。

田舎暮らしはたっての希望であったが、ひとつだけ条件があった。優れたネット環境である。データのやり取りは殆どがネットを使っており、特に近年は100MB程度のデータもネットでやり取りしている。しかし、それに一時間もかかってしまうのでは仕事に差し支えがあるので、ある程度速いネット環境だけは必要であった。

住みたいエリアはほぼ決まっていたので、調べたところ一応ADSLは可能な地域であった為、移転を決断できた(のち、引越までの間にケーブルTVのインターネットも開通し、現在はかなり快適なネット環境である)。

前置きが長くなったが、なんだかんだで今年の4月から田舎暮らしが始まった。田舎、田舎と言っているが、どのあたりかというと、埼玉県の西側で平地から山地に変わる境目あたり。奥武蔵といわれている場所。

最寄り駅までは歩いて30分くらい。電車は一時間に二本。駅から都内には一時間強かかる。通勤に二時間かけているサラリーマンも多いと聞くので、特に田舎ではないのかもしれない。

しかし田舎の香りはかなりする。家に居て聞こえる音は、鳥のさえずり、犬の鳴き声、風の音のみで、車や人の声は殆ど聞こえない。庭にはキジをはじめとする、色々な鳥が来る。名前を知らない植物や虫がたくさんいる。すぐ近くに山が見える。駅まで歩く30分の間にすれ違う人は二〜三人。私は充分田舎だと思っている。

住み始めてまだ二ヶ月くらいであるが、私にとっては欠点より利点の方がはるかに多い。

【利点】
・とにかく空気がきれい。排気ガスの匂いはまったくしない。
・気分転換効率が良い。長時間パソコンに向かっていても、30分くらい外にでるだけでかなりリラックスできる。
・人がやさしい。すれ違う人は挨拶をする。これはとても気持ちがよい。今までは隣に住んでいる人もよく知らなかった。
・野菜がおいしい。自分の家でも野菜をつくり始めた。近所の農家の人が野菜をわけてくれる。穫りたての野菜はびっくりするくらい美味しい。
・健康に良い。駅までの距離が長いのは欠点かと思っていたが、歩かないわけにはいかないので歩く。日頃の農作業も加わって、二ヶ月間で体脂肪率が5%も下がった。

【欠点】
・以前より交通費がかかる。なるべく打ち合わせは同じ日に集めるようにして対応しているが、Suicaの減りはかなり早い。
・終電が早くなった。飲み会を今までより約一時間早く退散する必要がある。さもないとタクシーになる。

欠点は主に交通関係であるが、都心へは週二回程度なので、それほどたいした問題にはなっていない。仕事も今までと変わらず、現状では減ってはいない。これはやはりネットのお陰だとつくづく思う。十数年前に移転していたとしたら、かなり仕事に差し支えがあっただろう。この自然豊かな環境で、自分の好きな仕事ができ、とても贅沢な思いができるのは本当にネットあればこそなのだ。

複数の人と同じ場所で共同作業をする会社組織は、人が集まりやすい都心にオフィスを持つのはわかるが、フリーランスの場合は、ある程度場所もフリーで大丈夫と思い始めている。仕事は人と人との関係が大切なので、まったく会わずに仕事ができるかというと、まだ難しい面もあるが、これも時間の問題なのかもしれない。ネットは嫌な面も多くあるが、仕事という面で見ると、とても良い時代に生きていると思う。

さて、この二か月間の実験結果では「成功」だといえる。今後この実験は長期に渡って(たぶん生涯?)続けることになると思うが、状況は機会があれば、また報告したいと思う。

【小笠原たけし/CGクリエータ】oga@graphic-art.com

私が執筆している本「プロがこっそり教えるウェブ制作術 改訂第2版(ソフトバンク クリエイティブ)」の台湾版が発売されることになり、サンプルが届いた。日本語版と付き合わせてみると面白い。「ピクセル→像素」「ネットワーク→網路」これはわかりやすい。「デザイナー→設計師」なるほど、もっと修行しなければ。「CSS→串接式様式表」カスケードの意味を再認識した。
サイト:< http://www.graphic-art.com/
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■展覧会案内
第53回N.Y.TDC展+2007タイポグラフィ年鑑受賞作品展
< http://www.ito-ya.co.jp/communication/event9f.html
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< https://bn.dgcr.com/archives/20070614140100.html
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会期:6月12日(火)〜6月19日(火)10:30〜20:00 月火日19時 最終日17時
会場:銀座伊東屋9階ギャラリー(東京都中央区銀座2-7-15 TEL.03-3561-8311)

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■編集後記(6/14)

・一時期は電子書籍端末に未来を感じて夢中になったが(買わなかったけど)いまどうなっているんだろう。ソニーの「リブリエ」はまだあるようだが、松下の「シグマブック」は2005年の10月に生産中止、いまは「ワーズギア」という多目的なビュワーになっている。でも両者とも本気で端末を売っているのかどうか知らないが、あまり話題になっていないのは確か(だと思う)。パソコンにダウンロードして読む、ずっと前からあるスタイルのほうは、たぶんユーザーは増えていると思うが正確なことは知らないので、そのうちちゃんと調べてみる。ソニー系も、松下系も、読書サイトはいずれも専用ソフトをダウンロードしなければ利用できない。そいつはWindowsしか対応していない。電子書籍・オンラインコミックの蔵書が日本最大級というeBookJapanでも、いまだにWindows環境のみである。とにかく、Macintoshユーザーは電子書籍業界から冷たい仕打ちを受け続けている。でも、わたしが電子書籍のためにWindowsに鞍替えなんて金輪際ありえない。そんな今、小学館が雑誌の市場「Sook」開設、一気に7誌を創刊、月額会費で読み放題、立ち読みは無料、なんていう事業を開始した。ここの読書スタイルは、FlashベースだからOSを選ばず、画面上で雑誌を読む感覚で楽しめることだ。いま公開中のゼロ号を読んでみた。ボタンをクリックすると、あたかも紙をめくるような動きを見せてページが進み、見開きで展開する。前ページへ戻るのも同様だ。目新しくはないけど、このギミックは嫌いではない。でも文字はややにじみがある感じの画像だからキリッとしていない。拡大モードにすればちゃんと見えるが、うっとおしくもある。紙の雑誌には不可能な、WEBの特徴を生かしたいろいろな楽しみもできるから、けっこういいかもしれない。出版界では「今年は電子雑誌元年だ」と言われているそうだ。「今年は電子書籍元年だ」という声も何年か前に聞いたな。「Sook」でいま公開されているゼロ号、あんまり面白くない。容れ物はまあいいけど中身がこれではちょっとな、、、。(柴田)
< http://www.magsook.jp/
>  雑誌の市場「Sook」

・トレスコ! なつかしー。トレースコープだと思っていた。スは重なるのね。そりゃそうか。/私はもっと市内に移転希望組。確かに出なくて済む仕事は多い。一歩外に出ると一時間ぐらい、地下鉄二〜三駅ぐらい歩くのは全然平気なんだけど(荷物がなければもっと長く動ける)、出るまでは体が重い。打ち合わせのある時は「出かける」という意識が強くなる。出不精だからちょこっと歩いて主要なところに行ける場所がいいなぁ。5分歩いてアップルストアに行けるとか(笑)。ちょっと時間できたからセミナー覗いてくるわ、って感じでさ。予約のいらないセミナーがあったら気楽に覗けるよなぁ。デパ地下で毎日の食材が買えるとか、大型書店やハンズ、ロフト、家電量販店で何かないかなぁとぶらつくとか。夜景や海が見えたり、それで治安や空気が良かったら最高なんだが。←当たり前。/ふと思ったのだが、医療保険を使う医者はハードだし専門知識が必要で、人の命を扱うからお金持ちで当たり前なんだよね? 医者の暮らしなんて誰も非難しないよね。介護保険を使う介護業者は儲けたらいけないの? 会社形態だから? 不正請求や高いピンハネ料は非難されてしかるべきなんだが、テレビやネットの論調では、介護で儲けるなんて、というようなのが時々あるんだよ。(hammer.mule)