映画と夜と音楽と…[339]豚の嘆き・狼の戸惑い/十河 進

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●豚はおとなしく食べられるだけの動物か

豚は可哀想だと思う。その名前を呼ばれるだけで罵りになるのは「豚」と「犬」くらいだろう。ただし、犬には「走狗」などというカッコイイ(?)表現もあるが、豚はあくまで「豚」という言葉しかない。他には、せいぜい「豚児」くらいか。「犬」と言われるより「豚」と罵られる方が精神的には辛い。「犬」と呼ばれることにはまだ救いがあるが、「豚」は存在自体を否定されるところがある。そういえばウォーレン・マーフィーが「豚は太るか死ぬしかない」というミステリを書いている。

僕は若い頃は「痩せたソクラテス」だった。今では「太った豚」になってしまった。慚愧の念に耐えない。六十年安保の挫折の後、若き石原慎太郎は「狼生きろ豚は死ね」という戯曲を書いた。今でも現都知事は本気でそう思っているに違いない。彼にとって安保闘争を闘い敗北した大衆の象徴が「豚」なのだろう。「豚」は能なしの弱者なのだ。群れることしかできない。

KT 特別版阪本順二監督の「KT」(2002年)の中で、主人公の元自衛官(佐藤浩市)が「狼生きろ豚は死ね、だ」と言うセリフがあるが、これは角川映画「白昼の死角」(1979年)のキャッチコピーに使われて有名になったようだ。角川映画は「野性の証明」(1978年)では、「タフでなければ生きられない」という誤ったフィリップ・マーロウのセリフをキャッチコピーに使い有名にした。


さて、豚に対するこの偏見は何なのだろう。ベジタリアンを別にして、豚を食べたことがない人はいないと思う。最近では牛肉コロッケと称していても、豚肉が混ぜられているらしい。吉野屋も牛丼が出せなくなったときに豚に救いを求めた。豚は人類の役に立っているのに、どうしてこんなに貶められなければならないのか。

それは、豚がおとなしく食われるだけの存在に思えるからだろう。無抵抗で、文字通りブタのように(?)残飯を食らい、人間に食われるためだけに肥え太る…、その情けないイメージが豚を覆っている。喜劇的であり、軽蔑される存在になっている。同じように人間に食われるための存在である牛は広い牧場で草を食み、ゆっくりと生きているイメージがある。賢者の趣もある。豚のように蔑まれることはない。

しかし、豚は凶暴な動物なのだ。僕は身をもって知った。けっして無抵抗な動物ではない。攻撃的で、旺盛な食欲は人間さえ食べてしまう。まだ小学生になる前のことだが、僕は豚に追いかけられ、逃げ回ったことがある。母親は後々までそのことを言って笑い、僕を傷つけた。豚に追い回されて泣き出したことは、笑い話にしかならない。

それは小学校の運動場で開催された「農場体験」だった。小学生になったばかりの兄と僕を連れて母は参加した。豚がいたのは強烈に覚えている。「ホラホラ、さわってごらん」などと母親が言ったに違いない。僕はおそるおそる手を伸ばした。子豚だった。絵本で見るほど鼻はペシャンコではなく、猪まではいかないがけっこう尖って見えた。

子豚はおそるおそる伸びてくる僕の手が気に入らなかったのだろうか。いきなり、鼻で手をはねのけた。「ブヒブヒ」と啼きながら追ってくる。僕は逃げた。必死で逃げた。豚は速かった。ホントに速かった。泣きながら僕は校庭を逃げ回った。

それ以来、仇のように豚を食ってきた。トンカツ、ポークソテー、ポークシチュー、ポークカレー、チャーシュー、酢豚、豚汁…ありとあらゆる豚料理を食べ続けてきた。一度だけだが、豚足まで食べたことがある。あげく、己が豚のように太ってしまった。

●豚だからヤクザが奪い合うバカバカしさが出せる

ハンニバル食うだけの能なし。豚はそのように思われている。「食って寝てばかりじゃ豚になるよ」と人は言う。だが、雑食性の豚は人も食う。比喩ではない。ホントに人を食べるのだ。人食いレクター博士が活躍する「ハンニバル」(2000年)では、レクターの宿敵は豚に食われて死んでしまう。これほど情けない死に方があるだろうか。もう少しましな死に方があると思うのだが、レクターの宿敵の富豪は「当然の報い」として豚に食われるのである。

豚に食われる話は、サキの短編が有名だ。僕はオリジナルを読んだことがないのだが、サキの短編をマンガにしたものをずいぶん昔に読み、「ああ、『豚と軍艦』はこれはだな」と思った。ストーリーはよく覚えていないが、最後の場面で豚肉を食べている男が何か固いものがあったので口から取り出すと人間の金歯だったというオチである。

豚と軍艦この話を取り込んだのが今村昌平監督の初期作品「豚と軍艦」(1961年)だ。横須賀を縄張りにしている暴力団が米軍基地から残飯を払い下げてもらって養豚業を始める。それを任されたのがチンピラのキン太(長門裕之)である。暴力団のシノギとしてはカッコ悪いが、これで恋人のハルコ(吉村実子)と一緒になれるとキン太は張り切る。

組に因縁をつけてきた流れ者を殺してしまうエピソードがある。その後、組員たちが豚を食うシーンがあり、ひとりが固いものを噛み、あわてて取り出すと人間の金歯だ。「何でぇ、こりゃ」と言うと加藤武演じるヤクザが「めんどくせぇから細切れにして豚に食わしちまった」と言う。組員たちは、あわててゲェーゲェーと吐き出そうとするが、ひとり加藤武だけが悠然と食い続ける。

もうひとつの笑えるエピソードは兄貴分のヤクザ(丹波哲郎)が血を吐き、自分がガンだと思い込んだことから始まる。彼は「どうせ死ぬのなら…」と知り合いの殺し屋に自分を殺すように依頼する。しかし、その後、単なる胃潰瘍だとわかり、その殺し屋から逃げ回るはめになる。

「豚と軍艦」のクライマックスでは、横須賀の歓楽街(ドブ板通り)を豚の大群が走り回る。豚の利益をめぐってヤクザたちの抗争が始まり、トラックの荷台から豚が解き放たれるからだ。キン太は「大事に育てた豚を奪われてたまるか」と機関銃を撃ち続ける。ヤクザたちは豚に追い回され、踏みつぶされる。キン太も死んでしまう。

ここでは、ヤクザが利権争いをする対象が豚だということで喜劇になる。だから、豚以外のものには置き換え不可なのだ。その馬鹿にされる豚によってヤクザ組織が壊滅する。ヤクザが狼だとすれば、その狼たちはただ走り回るだけの豚の大群に悲鳴をあげて逃げまどうだけなのだ。狼を気取ったって、物言わぬ(ブヒブヒと無意味に啼き続けはするが)豚の大群にやられてしまう。

●豚はみじめにぶざまに生き残るのだろうか

狼と豚と人間「豚と軍艦」が公開された三年後、新鋭監督として注目されていた深作欣二が「狼と豚と人間」(1964年)を作る。ドヤ街に生まれた三兄弟を三國連太郎、高倉健、北大路欣也が演じた。当時、暴力描写の凄まじさが評判になった映画で、笑える「豚と軍艦」とは対照的だろう。何しろ、一匹狼のヤクザになる次男(高倉健)は、愚連隊になった三男(北大路欣也)の仲間の手を万力に挟んで潰すのだ。

次男が「狼」で三男が「人間」だとすると、当然、「豚」は長男の三國連太郎ということになる。長男は、母親の金を奪って家出して暴力団に入り、組織の一員として飼われている。ひとりで生きている次男(狼)にもなれず、人間らしい暮らしを求めて抵抗する三男(人間)にもなれない。だが、最後までぶざまに生き残るのは長男(豚)である。

紅の豚豚がカッコよく登場したのは、宮崎駿監督の「紅の豚」(1992年)だった。「刑事コジャック」こと森山周一郎の声を得て、「紅の豚」は思いっきりハードボイルド・ヒーローの雰囲気を醸し出した。豚のくせに群れず、スタンドアローンで生きている。飛行機の腕は超一流だ。「一匹狼の豚」という形容矛盾を生むヒーローである。

だが、豚をカッコよく表現したのではなく、従来からのカッコいいヒーロー像をそのまま再現し、キャラクターを豚にしたただけなのだ。その証拠に主人公自身が「飛べねぇ豚は…ただの豚だ」と断言する。そのセリフはテレビスポットで繰り返し流され、人々の脳裏に刷り込まれた。

当時、八歳だった僕の娘はご多分にもれず宮崎アニメのファンだった。僕はまだ三十代で、一週間の勤めの疲れで週末はいぎたなくグズグズと寝ていることが多かった。ある朝、遅くまで寝ていた僕の部屋にやってきた娘は、「飛べねぇ豚は、ただの豚だ」と言いながら蹴りをいれ僕の布団をはいだ。少し傷つきましたねぇ、僕は…。

「紅の豚」は豚が持つイメージを変えようとしたのではなく、「ただの豚」は否定しているのである。豚の対極に存在するものとしてよく使われる狼のイメージを借りれば、「紅の豚」は「豚の顔をしたひとり狼」なのである。誇りを持ち、誰にも頼らぬ生き方をし、実力も能力もある「豚」なのだ。だから、美しい歌姫にも惚れられ、若きエンジニアの娘にも愛される。

豚を正当に扱った映画としては「豚の報い」(1997年)を思い出す。流行りの言い方をすれば、脱力系の不思議な映画だった。芥川賞受賞作を映画化した崔洋一監督は、不思議な余裕とユーモアを漂わせながら、ゆったりとした映像の流れを創り出す。特別な登場人物はいない。フツーの人たちがフツーに話し、盛り上がりのない物語が悠々と進んでいく。

キーワードは「豚がもたらす厄」である。豚は穢れる存在なのである。だが、その映画に豚を貶める気配はない。最初に豚がスナックに迷い込んでくるシーンは、何だか「豚と軍艦」を思い出す。まるで「豚と軍艦」からスピンオフした物語のようだ。しかし、豚には何の隠喩も感じない。豚は豚として存在しているだけだ。その映画の中の人々がフツーの人として存在しているのと同じように…

豚に勝手なイメージを付与するのは人間だ。同じように狼にだって勝手なイメージを持っている。それによって、豚や狼が迷惑しているとは思わないけれど、もしかしたら豚は嘆き、狼は戸惑っているかもしれない。とはいっても、僕だって「太った豚」と呼ばれるよりは「ひとり狼」と呼ばれたい。「ただの豚」よりは「飛べる豚」になりたいと思う。

しかし、「狼生きろ豚は死ね」と本気で言う輩を信用してはいけない。誰だって、ぶざまに、みっともなく、豚のように生きる権利はある。豚であることを恥じる必要はない。豚だって日々を懸命に生きているのだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
テレビの歴史の本を調べて書いたのだけれど、前回の文章の中で「柔道一直線」の開始時期が違っているのでは…と指摘されました。確かに「てなもんや三度笠」よりはずっと後にスタートしたなあ、と今更ながら思う。資料は複数にあたらないとダメですね。

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by G-Tools , 2007/06/29