映画と夜と音楽と…[342]躯が汚れるなんて嘘っぱちだ/十河 進

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戦争と人間 第一部 運命の序曲●満州の果てで娼婦が放った誘いの言葉

──兵隊さん、あたしんとこさ遊びにおいでよ。
  うんと、かわいがってやっからさ。

昭和初期の左翼一斉取り締まり事件に始まり、満州事変、上海事変、そしてノモンハンでのソ連との戦闘に至るまでを描き、九時間を優に超えることになったその大河映画は、ひとりの東北訛りの娼婦の言葉で終わった。

その言葉に込められた娼婦の純情に涙がこぼれる。人を想うことの純粋さが、典型的な娼婦の誘い文句から伝わってくる。そんな言葉でしか、あふれ出る愛を伝えられない彼女の切なさと悲しみが…、僕の胸を熱くする。

愛する男が最前線から生きて帰ってきた喜びに浸りながらも、その胸に飛びこんでいけないのは自分が娼婦だからだ。数え切れない男に抱かれてきた。そのことによって汚れたとは思わない。だが、男の胸に素直に身を任せられるほど単純ではない。だから、海千山千の商売女のようなその言葉には、彼女の万感の思いが込められている。


彼女は、東北の小作農の家に育った元気のよい娘だった。勝ち気で明るくて、働き者だった。ある日、馬車を走らせているときに道の真ん中で絵を描いている男に出逢う。「道の真ん中で突っ立ってたら危ないだろ」と男のような言葉で娘は叱りつける。だが、最後に男に見せた笑顔は満面に無邪気さをたたえている。それは、都会の男に対するはにかみだったのかもしれない。

彼女が働く工場では、男たちが卑猥な言葉をかけてくる。「どうせ、女郎に売られていくんじゃないか。一晩どうだ」といった類の言葉ばかりだ。中には抱きついてくる男もいる。そんな中でも、都会から流れてきた元プロレタリア運動をしていたという画家は、彼女の身を案じてくれていた。

その画家の友人だという男に会ったとき、彼女は相手が道の真ん中で絵を描いていた男だと知って恥じらう。本当は、初めて見る知的で優しい都会の男に娘心が騒いだのだ。画家は東京の男の家に女中奉公に出ることで、彼女が身を売らずにすませられないかと親たちを説得する。

娘は東京の男の家に奉公を始める。そこは、大きな財閥の邸宅だった。東北の田舎育ちでは作法を覚えるのさえ大変だ。当主は財界でも主要な位置を占め、軍部とも密接な繋がりがある。男はその家の次男だった。ブルジョアの家に育ったが故に、彼は自分だけが恵まれていることに懐疑的だ。

彼の優しさは貧しい人すべてに向けられている。だが、娘は自分だけに向いてほしいと願う。そんな彼女の慕情を彼は想像もしない。彼が満州へ渡ると知った夜、泣きながら彼の荷物をトランクに詰めている娘の気持ちを彼はわかっていない。

彼が満州に渡った後、実家からは金の無心しかこない。結局、自分の躯が売り物になるうちは、実家の親たちはそれをあてにする。それだったら、いっそ、満州で身を売ろう。満州にはあの人がいる、と彼女は決心する。持ち前の明るい性格は、自分に対する憐れみなどはない。ただ、最後にあの人に抱かれたい。彼女はそう願った…

●「愛し合う」ことと「殺し合う」ことの対比

八月の濡れた砂「戦争と人間」第一部が封切られたのは、1970年8月14日のことだった。翌年の6月、第二部が封切りになる。制作会社の日活は、その年の夏の終わりに「八月の濡れた砂」「不良少女魔子」という二本立てを最後に一般映画から撤退し、成人映画(ロマンポルノと称した)専門の映画会社となった。

「戦争と人間」は、左翼監督あるいは日共監督と言われた山本薩夫の作品だった。労組が経営に参画した日活である。ロマンポルノに活路を求めたとしても、完成させたかったのかもしれない。経営危機の中、日活は「戦争と人間」完結編を1973年8月11日に封切る。ソ連の全面協力をとりつけ、ノモンハン事変を迫力いっぱいに再現した。

すべて通してみれば九時間を超える「戦争と人間」を、先日、久しぶりにWOWO Wの一挙放映で再見した。三十数年ぶりのことである。日活オールスターに加え、俳優座、文学座、劇団民芸が協力している。松原千恵子、吉永小百合、浅丘ルリ子、栗原小巻が若い。高橋英樹も凛々しい青年将校だ。

金環蝕山本薩夫監督は、映画をプロパガンダとして位置づけているのではないか。実際にあった汚職事件をモデルにして描いた「金環蝕」(1975年)という映画を見たときに、そう思った。政財界を舞台に、醜い人間たちが金銭と権力を得ようとあがくその映画は、ときの権力政党にダメージを与える内容だったし、その視点は日本共産党の主張に近かった。

「戦争と人間」も関東軍より中国共産軍の方が人間的であるし、日本で弾圧される左翼系の人々は立派な人間として描かれている。日本陸軍の非人間性は強調され、南京大虐殺は生首の並んだ当時の記録写真を使って描かれる。石井部隊の生体実験のシーンも関東軍の残虐さとして挿入される。

忍びの者もっとも、山本薩夫の作る映画はどれも面白い。市川雷蔵主演の「忍びの者」(1962年)だってそうだ。原作者の村山知義はプロレタリア文学者として有名であり、だからこそ山本薩夫が映画化したのだろう。中学生のときに学校の図書館で「忍びの者」を借りて読んだ。左翼的かどうかはよくわからなかったが、面白さは抜群だった。

「戦争と人間」も同様だ。伍代家という新興財閥の人々を中心にして描かれる…昭和の歴史劇は、原作が五味川純平だからエンターテインメントとしても一級品である。それを山本薩夫は的確に映画化した。そこでは「戦争=殺し合い」と「人間=愛し合う存在」が対比される。愛し合う人間たちは戦争という殺し合いに巻き込まれ、次々に死んでゆく。

愛し合う存在として三人の女優が肌を晒し、象徴的なベッドシーンを演じる。伍代家の長女(浅丘ルリ子)は青年将校(高橋英樹)と別れを覚悟して愛し合う。左翼青年(山本圭)を愛した次女(吉永小百合)は出征直前に結婚し、たった一度の愛を交わして男を戦場に送り出す。

そして、「戦争と人間」完結編のヒロインは、東北の貧しい農家に生まれた苫である。伍代家の女中奉公を辞し、身を売って満州まで伍代家の次男である俊介(北大路欣也)を追ってくる積極的な女だ。彼女は東北訛りで俊介に愛を告白する。

──俊介様が好きでした。最初に逢ったときから。
  あたす、今夜だけなんです。ずぶんの躯でいられるのは…

だが、真面目で堅物の俊介は迫る彼女を避けようとする。俊介の背中に抱きついた苫は、「そんなにあたしが嫌いですか」と切なそうに言う。ゆっくり首を振る俊介を見て、苫の大きな瞳が光を帯び顔が輝く。「だったら、ひと晩ここにおいてください」と彼女は俊介の唇を求める。

●三部作を締めくくる「愛」の象徴を演じた女優

たった一度、俊介に抱かれた思い出を胸に苫は娼家に赴く。酔客や兵隊たちを相手に躯を開く。身を任せる。娼家にいながらも、苫は男の安否を気遣う。しかし、ノモンハンに出征する兵隊たちの中に俊介を見付けても黙って見送るだけだ。野戦病院の看護に借り出されたときも、負傷兵たちに俊介の無事を確かめないではいられない。

そして、ノモンハンでの敗戦。敗残兵を迎える苫は俊介を見付け、黙って水を差し出す。むさぼるように水を飲み干し、俊介は去っていく。その後ろ姿に、苫は声をかけるのだ。「兵隊さん、あたしんとこさ遊びにおいでよ。うんと、かわいがってやっからさ」と…。

その娼婦を演じた女優の泣き笑いのような表情を見たとき、ああ、三十年以上も昔のことになってしまったけれど、あの頃、僕はこの人が大好きだったのだと、その当時の気持ちがそのままに甦ってきた。

野良猫ロック セックス・ハンター/不良少女魔子その女優は夏純子、という。唐十郎が主演した若松孝二監督「犯された白衣」(1967年)でデビューし、日活最後の映画になった「不良少女魔子」のヒロインを演じたクリクリした瞳を持つ女優である。テレビシリーズ「シルバー仮面」(1971〜72年)では春日五人兄弟の長女を演じ、僕の胸をときめかせた。

戦争と人間 第三部 完結篇日活がロマンポルノ路線になったため、松竹に移籍した夏純子は森崎東監督の「喜劇・女売り出します」(1972年)や「剣と花」(1972年)、東宝系で公開された「影狩り ほえろ大砲」(1972年)「反逆の報酬」(1973年)などに出た後、「戦争と人間」完結編のヒロインを演じた。いや、三部作の最後を締めくくる「愛」の象徴を演じたと言うべきだろう。

戦争という「殺し合い」に対抗するには、「愛し合う」ことしかない。「戦争と人間」には様々な人々が登場する。親子、兄弟、友人、恋人、夫婦…、彼らはそれぞれ愛し合っている。愛する対象が存在する。たとえば中国共産党の幹部で伍代財閥の満州支社にスパイとして潜り込んでいる人物(山本学)は、日本人の少女を父親のように愛している。

抗日戦線を強硬に主張し、両親の仇をうつために非情に日本軍を殺しまくる共産軍の朝鮮人(地井武男)も自分と共に朝鮮から中国に流れてきて共に戦っていた女を愛し、彼女の亡骸を雪原に埋めながら「春には桃色の花を咲かすのだ」と慟哭する。

人の最大の悲しみは「愛する人の死」だ。両親の死であり、我が子の死であり、恋人の死であり、妻や夫の死である。戦争はそれらを無視して「敵をどれだけ殺せるか」を競い合う。「愛する人を守るために戦う」などというのは、戦争に巻き込まれた人間が自分の存在理由を己に納得させるための詭弁だ。愛する人を悲しませないためには、絶対に死なないこと、生き続けることである。

どんなにみじめであっても生き続けていること、娼婦に身を落としても生き続けること…、「戦争と人間」のラストのセリフに僕はそんなことを思った。敗残兵である男を見送る夏純子の笑顔から、汚れのない爽やかさが匂い立つ。美しかった。これほど美しい女がいたのかと心底思った。

昔、同じシーンを見たとき僕はまだ潔癖だった。女性経験のない若さが、娼婦という存在にこだわった。大勢の男たちと寝ることで「汚れた躯」になるという価値観から逃れられなかった。純潔であること、処女性に僕はまだとらわれていた。

だが、三十四年後に見た僕は思う。躯が汚れることなんてないんだ。心さえ汚れなければ、躯は絶対汚れない。夏純子が呼びかけた典型的な娼婦の誘いの言葉から、彼女のあふれ出る愛を僕は感じ取れるようになった。真実の心の叫びがくみ取れるようになった。歳をとってよかった、とその時に思った。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
連日、暑い日が続きます。頭も溶けそうです。こんな時には原稿の書きだめもできません。涼しいところで寝っ転がっているのが一番ですが、貧乏性でなかなかそうもいきません。電車に乗ってセッセと会社に通っています。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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小説宝石」7月号に大沢在昌さんとの対談が載りました。「ハードボイルドがなければ生きていけない」というタイトルです。大沢さんの話の間に僕が「そうですね」と言っているだけのような対談ですが、大沢さんの映画やミステリへの愛がうかがえて面白いですよ。


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曲名リスト

by G-Tools , 2007/08/24